はてなキーワード: 社会貢献とは
=本来の目的から解放・放逐された結果、地道な努力をせずに自己目的的、自己完結的にその自由を享受する姿勢
原発推進派も、反原発推進派も、橋下派も反橋本派も、どちらも目くそ鼻くそになるのはこれが原因。
・島宇宙化
=若者の内向化のことと言われるが、実際は世間が崩壊した結果、寄る辺なく数名の仲間と共に漂流している状態と捉えるべき。
自分のことをアッパーミドルとか言っちゃいつつも不安を隠しきれない女子大生などが典型例。
=社会貢献したい若者の数は増加し続けているけど、まともな社会活動に参加する人は増えてない残念なニッポンの現状
=民衆が持つ独自の規範。これが破られるとリアルネット問わずにいきなり炎上する。
このことを知らないと非常に危険。日本のモラルは肯定より否定の形で表現されることが多い
・親密圏、公共圏
=内田樹が大好きな言葉。彼の脳内ではこれがあれば全ての社会問題解決するくらいの万能薬。
彼の語るこれは、なぜか年功序列的な概念とドッキングしており、ユートピア化している。
彼が批判しているのは常にこのユートピアの実現を脅かす何かである、と考えれば、彼のブログが非常に読みやすくなる
・承認欲求
=若者による、言っていることはわかるがお前の言い方が気に入らない、というふてくされた態度のこと。
逆に言えばほめてやれば簡単に動くのでコツをつかめばこういう若者ほどチョロい。
=友達がいなくても、ネットさえあれば、その気になれば友達は作れるという希望のこと
・近代化
=ムラの外側を創造することなく一生を終えていた村人たちを、
国民や個人という自立した存在として引き上げようとしたプロジェクトのこと。
京都に住む友人から「ちゃんと選挙に行きましょうね」なんて唐突に言われた。
ええまあ、とか何とか言いながらお茶を濁してその場を凌いだわけだが、
先刻、全く別の知人から「今だからこそ選挙に行くべきです」などというメールが届いた。
ちゃんちゃらおかしい。
よく考えて見るとよい。
果たしてこの国は選挙に行かなければ意思表示もできないような国なのか。
選挙というのは意思表示の「ひとつ」であって「すべて」ではない。
まるで選挙に行かない人間は何ら意思表示をしていないかのようである。
「選挙に行かない奴らは意思表示ひとつできない腰抜けのファッキン野郎だ!それにひきかえ選挙に行く俺たちは自分たちの意思を示すことができる最高にイカしたナイスガイだ!」とでも言いたいのであろう。
実にくだらない。
それでいて選挙行け行け連呼していれば社会貢献になるとでも思っているからお気楽なもんだ。
「俺たちは社会貢献に人生を捧げる最高にヒップなボーイズエンガールズだ!今日も50人の友人に選挙に行くようメールしたぜ!この社会から選挙行かないヴァンパイアを退治するためになっ!」とでも言いたいのであろう。
盲目的過ぎる。
はっきり言おう。
そして行かない人間に干渉するな。
その後、その友人と知人を着信拒否にしたのは言うまでもない。
働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む
いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと
いくつもの壁にぶつかりながら
「カタリバ」という授業――社会起業家と学生が生み出す “つながりづくり”の場としくみ
誰が世界を変えるのか ソーシャルイノベーションはここから始まる
辺境から世界を変える ――ソーシャルビジネスが生み出す「村の起業家」
裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける
“想い”と“頭脳”で稼ぐ 社会起業・実戦ガイド 「20円」で世界をつなぐ仕事
NPOで働く
社会貢献でメシを食う
世界を変えるオシゴト 社会起業家になったふたりの女の子の感動物語
ユナイテッドピープル 「クリックから世界を変える」33歳社会起業家の挑戦
あなたには夢がある 小さなアトリエから始まったスラム街の奇跡
前へ ! 前へ ! 前へ ! ― 足立区の落ちこぼれが、バングラデシュでおこした奇跡
20代からはじめる社会貢献: 400社が支援した「社会起業」とは
ソーシャル・ビジネス革命―世界の課題を解決する新たな経済システム
中卒の組立工、NYの億万長者になる
コンビニ食と脳科学-「おいしい」と感じる秘密 (祥伝社新書170)
こんだけ読めばあなたもラ・マンチャ爺さんになれるはず。
「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。
ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。
彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。
というか、そもそも自分が宗教団体に属しているという認識が薄いようです。
あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。
彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学のグループだった、とかその程度らしいです。
社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。
そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。
以下「救世の法」から面白げなところピックアップ。別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ。
世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました
幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています。
世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。
・人間の本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります。
しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます。
地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。
上記の真理に反すると地獄に落ちてしまいます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。
霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教の役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。
エル・カンターレは世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。
魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドのブッダを越える大きな使命を持っています。
そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。
私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。
なぜなら、私は創造そのものだからです。私はこの地球の創造力の顕現であり、この大宇宙の創造力なのです。
これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。
クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。
他力の宗教のマーケットは自力の宗教の十倍あると言われています。
わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります。
2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。
この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります。
この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。
店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています。
本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。
地球はやがてフォトンベルトから出ます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います。
むしろフォトンベルトが地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。
国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります。
本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、
これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。
今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく
日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。
アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。
こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています。
漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。
しかし幸福の科学の経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます。
信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。
わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります。
また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。
死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分も存在しないのですから何の損もないでしょう?
わたしの言葉を信じる人の場合、あの世があるときの利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。
親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。
幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法、理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。
慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。
ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。
他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。
そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。
そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。
慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。
そのために人はみな修行をする必要が有るのです。
さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。
ミハエルとムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。
九次元霊マニがゾロアスターにアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。
霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本からは松下幸之助と坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!
争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。
読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め。
幸福の科学グループのご案内。
主な活動は以下のとおり
「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア」
「学校法人 幸福の科学学園(滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。
「幸福の科学出版」
入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。
「私」になるまでの夜空のことなのね。(あるいは「僕は友達が少ない」を「閉じたサークルマンセー」の意味で使って、ぬるいモラトリアムを肯定してるか)
にしても、7巻まで読んだけど、夜空のためだけにあるような話ですな。
どうせ小鷹くんから別れてからいじめられたか友達がいなくなったかで孤立して
幼少時の友達の思い出にすがるというか閉じこもってるわけね。(年取ったから若干「男にすがる」みたいな要素も出てきてる感じだけど)
んで、小鷹くんだけが必要で、二人でキャッキャウフフするために隣人部作ったら余計な奴がゾロゾロ湧いてきてうざったいという感じか。
ただまぁ最終的な結末に向けて、小鷹くんはふたりだけの関係を望まないだろうからこのまわりみちは必要だって話になるね。
夜空の造形と隣人部の関係は「家族計画」の焼き直し的を感じるし、(最後は隣人部解散するんだろうなあ、やっぱ)
夜空の執着は「殻ノ少女」とか「囮物語」の千石撫子によってこのキャラ類型のネタバラシされちゃってるし、
小鷹くんは小鷹くんで手間のかかる妹とか親不在の問題にあって恋愛ができないって話は「こいとれ」に通じるものがあったりと
いろいろな作品を思い出させる要素があって、エロゲオタ的にはおもしろいけど、自分の好きな結末にはたどり着かなさそうで読み進めるのが辛くなってくるなぁ。
ただ、冒頭でエア友達作ったりとかしてたわけで、可能なら女の子の友達が欲しかった、とかそういう所があると可愛いなぁ。
正直はがないを読んでる時はせなさんのことが全く理解できなかったんだけれど、「俺ガイル」のゆきのん読んだからちょっと理解できたかもしれない。
まぁとにかく、この話は夜空さんかわいいよ、でOKっすね。ここまで盤石のメインヒロインも珍しい。
せなさんが魅力的に振る舞えば振る舞うほど、ああ、構造的に圧勝してるからこその思いきりだなぁ、と思ってせなに同情してしまう。
それでも理科さんが煽らなければいけないくらいに(友達に心をひらくことに対して)弱気な夜空がほんまに可愛いわー。
追記
夜空は、ほんとうの意味で友だちを作るために隣人部を作ったわけじゃないよね。
友達を本当に欲しいと思ってない子は、そもそも友達をつくろうとしない。これは友達作りに限らず、社会貢献とか、脱オタとか、なんでもいい。
グリーは海外にこの金を搾り取るシステムが通用するか試すという。
いろいろ試すのはいいことだ。
このふたつをとりあげていた。
1つ目の「ソーシャル」これはNHKの言葉の使いかたが間違っている。
ソーシャルゲームは何もモバゲーのような携帯電話のゲームだけではない。
仲間と一緒に遊ぶのが面白い、他の人と協力してボスキャラを倒す
ゲームの楽しさを、こう利用者は語っていた。
アホだ。貴重な時間を使ってしまっていることに気づいていないのだ。
自分に必要なことよりも不必要なことに時間を使ってしまっていて
幸せになれると思っているのか。
幸せ=充実感=自分が生きていて他の人に役立っていると実感すること
他の人のために役立つには、何か仕事をしなければいけない。
自分が他の人のために働き、その人のために良いことをしたからお金をもらえる
仕事をするには3つ必要なことがある
学校でまなぶこと
他人のために働く
早いうちに始めるのに越したことはない。
なりたい将来の自分について「紙に書きましょう」
気づこう。
やる必要のないことはできるだけやめることだ。
遊ぶことは必要な場合もある。知的作業の後20分以上遊んだほうが
うまく利用してください。
NHKの放送では、100円で一定時間待たなくてもプレイできたり
欲や怒り嫉妬を発生させてお金を知識のない弱者からむしり取る。
おいおいと思ったが、DeNAも気をつけなければいけない。
しかし
知識のない大人がモバゲーを遊ぶのは
学習や仕事に使えば、これほど役立つ効果のあるものはめずらしい。
例えば
そういうのでもいいと思う。
対戦ゲームで欲を煽るより、協力してお互いのプレイヤーがいいことをする
そういう流れにするべきだ。
番組の合間に秋の東北の映像が流れるんだけど、これがよくできていて、東北に行きたくなる。
放射能の脅威については百家争鳴だから、はっきり言って何を信用していいのか分からない。
「ほんとはやべーかもしんないけど時間も経ったし生産者や議員からの圧力があるしでテキトーに出している」ものなのだ。テキトー極まる。
薬害エイズでもB型肝炎でも何でも後からでも十分にひっくり返る。
そしてそれは仕方ないことなのだ。
政府に万能を求めてることが間違っている。政府はただの組織だ。神でもなんでもない。
(オマケに「政府を小さくすべし、自己責任である」と6年前に選挙で意思決定したのは何処の誰だったかね)
チームを潰すには、同士討ちが一番効率が良い(諫早も農水省が地元を分断させて事業を進めた)。
被災地を信用できない。
悲しいことだと思う。けど、どうしようもない。
CMがいつも痛々しい。社会貢献やタバコ以外の事業部門の紹介、いかにタバコの害を減らすかの取り組みばかり。
ああこの会社の至上命題はそもそも存在意義の模索なんだな、そしてそういった命題を抱えた組織というのは、外から見るとひどく痛々しいのだな、と思った。
まあJTは言ってみれば麻薬製造会社で「死の商人」なわけだから、タバコが叩かれそういった窮地に陥っているのは仕方ないだろうし、いずれタバコをやめて違う会社になるだろうと思う。
ただ、東北は違う。
彼らは望んで放射能を浴びたわけではないし、正直あまりにも気の毒だと思う。
現在の放射能被害の責任は、ほぼ100%ずさんな原発管理をしていた東電にある。
ああ、この人達は望まないのに、ゆるやかな死の商人になってしまったのだ。
そして彼らは薄ぼんやりとそれに気付いている。
除染は終わらない。放射能は消えない。けれど、あえてキャンペーンを打つということの意味。
それは、「放射能に汚染されたかもしれない地域をPRするということは、観光客が放射能に汚染されるかもしれないということを分かっている」ということ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.pjnews.net/news/794/20100326_2
2010年03月27日 07:18 JST 【PJニュース 2010年3月27日】異例の再投票に持ち込まれた日弁連会長選挙(2010年3月10日)では、無派閥の宇都宮健児弁護士が主流派閥の支持した山本剛嗣・日弁連前副会長を破って当選するという快挙を成し遂げた。改革を訴える宇都宮氏の当選は、弁護士の置かれた状況への強い問題意識が背景にある。宇都宮氏を当選させる至ったエネルギーは弁護士会の内外で噴出している。 兵庫県弁護士会(春名一典会長)は3月23日の臨時総会で、司法試験の合格者数を年間3千人まで増やすとする方針を見直し、年間千人程度に段階的に減らすよう政府に求める決議をした。日弁連会長選挙で宇都宮氏は1500人程度への削減を訴えていたが、兵庫県弁護士会の求める削減幅は、それ以上である。これは宇都宮氏の改革に対する地方からの援護射撃となるものである。また、中途半端な改革に終わらせないためのプレッシャーとも読み取ることができる。 この兵庫県弁護士会の決議と同日に日経BP社が運営する安心・安全情報ポータル「SAFETY JAPAN」には悪の弁護士が増えているという衝撃的な記事が掲載された(夏原武「「モンスター弁護士」急増中。「借金整理を頼めばかえって損」「自ら詐欺主導」「夫婦で8億脱税」など。 今後弁護士が信用できなくなる「理由」を、全部書く!」SAFETY JAPAN 2010年3月23日)。 http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20100318/216607/ 記事では依頼人を食い物にする弁護士や、偽造した代理権委任状で交渉の相手方から金を詐取した弁護士の事例が紹介される。このようなモンスター弁護士出現の背景として法曹人員増加を指摘する。また、避けた方がいい弁護士として「広告をばらまいているような弁護士」に言及する。これらは宇都宮氏の問題意識と重なる。
今気付いたが、この記者は私のツイッターをフォローした人だ。ユニオン告発だって別ユニオン関係者が横にいる弁護士告発の席で行われている。この林記者にツイッタ内で「追い出し屋対策で検索してフォローしてるのかもしれませんが、私は追い出し屋被害に遭ったのではなく、追い出し屋対策弁護士の被害に遭ったのですが、なぜか追い出し屋対策を書いている林さんにフォローされました」と言う意味の事をツイートしたら、反応は「○さんの幸福をお祈りしています。」だった。その後書き込みしたオーマイニュースをリンクしたが、、また幸福をお祈りだった。
下のはPJニュースの米しようとしたら、サインインできなくて入らなかったもの
それは殊勝な心がけだと思いますが、実践されなければ意味が無いと思います。そう言葉で言う事によって、イメージアップを図り外面を整えているだけではないですか?
そこまで言うなら、宇都宮弁護士さんも関わっておられた追い出し屋対策会議の他の地域の弁護士も見張られたらどうでしょうか?
私はそこの弁護士に法的に間違った事を言われ、他の弁護士に相談すれば仮処分申請してくれたかもしれないのに、その機会を失いました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1367730408
相互リンク http://b.hatena.ne.jp/entry/www.pjnews.net/news/794/20100326_2
苦情は責任者ではないが、アパートの保全ができると言って(電話相談時)実際に動く弁護士を紹介したこの地域の追い出し屋対策会の中心人物に、言っても「保全してくれると思います」(アパートが壊される前)
壊されてから事務所に電話しても、事務員しか出ません。向こうから折り返しの連絡は返ってきません。大変顔の広い方である政党の無料相談の弁護士も路上生活のボランティアに関わる人も名前を知ってました。
私が何年か前にボランティアで行った事務所と同じ名前だったので、そこの代表の弁護士ならその人に話ができるかと思い、電話したら、今はその代表者は居なくなり、そこの事務所ともう一つ違う市の事務所と両方その人が代表をやっているとの事でした。
電話相談に電話して苦情を言っても、ボランティアが出るとまだまともに聞きますが、弁護士だと相手にされません。ボランティアもまた聞いておきますと言いますが、会のまとめ役がその人なので、返事はありません。
過払いや債務整理や生活相談も追い出し屋対策と一緒にやってます。
私は家賃滞納はありません。大家が代替わりし息子さんが居住者付きで売却した業者が、立ち退き交渉もせず水が止まると言ったり、こちらが立てた調停中に、アパートを半壊にしたのです。半壊になるだいぶ前から相談していたので、仮処分申請する時間はありました。その時に「アパートの保全はできない」と言ったのです。こちらが京都の借家を半壊で勝訴した事件番号2455号の資料を持って相談に行っているのに!!(判例 2455 でぐぐる) ある政党の無料相談では、「勝てるだろうけど、賠償金が数十万だから弁護士が嫌がる。費用対効果、もっと言うと労力対報酬だわな」と言われました。それで今までの弁護士達の不可解な態度にも納得できました。電話相談では調停を立てた事をなじるように「自分で立てちゃって」という言い方をチンピラのような弁護士にされた事もありました。この人は名乗らずにPHS番号だけ教えました。今考えると変です。phsはいつかけても電波が通じない所にいるか電源が入っていませんになります。
自己管理できない状態の人が相談者に多いからと言って、自己決定権を奪っていいわけはないのではないか?とこっちの地域の路上支援の医者もこの会を紹介していたのでメールしましたが、全く返事はありません。
大阪のこの地方の会を紹介した電話相談に電話しても、聞く人もいれば聞かない人もいますが、聞いても上の者に言っておくというだけで、返事は無く、電話の返事はどうなったのか切手を同封した手紙を書いても、返事はありません。ボランティアは善良そうで、過払いばっかり拾いに来て!と怒ったら、テレビで宣伝しているような所のように2割も取ってません、とか、債務整理では本当に深刻に悩み自殺を考える人もいますので、と真面目に返されたりしました。ボランティアの人も騙していると思います。なぜか大阪の司法書士の電話番号を教えられたので、電話したらヘラヘラ、ヘラヘラして、こっちが水道止めると言われ、払う必要のない家賃に込みの水道代を「水道代払ってますか?」と言われたという話をしたら、「水道代払おうね」と言われました。こちらの地域の水道局まで電話しましたが、名義が大家のもの(その当時はまだ前大家)だったので、名義変更しなければ支払いを受ける事はできないと言われました。もっと色々ありますが書ききれません。
このように、ものすごく相談者を疑ってます。何か非がある人だろうと思ってます。
宇都宮先生、先生のやってらっしゃる弱者救済に群がる弁護士たちは、何とかなさらないんですか?
自己管理できない容易に自己決定権を奪える相手だから、自分達のいいように利用して、ボランティアは外向きのイメージ戦略で誤魔化し、やってる事は弱者救済に名を借りた、貧乏な弁護士救済じゃないですかwww
法テラスの受任料わずか10万でも拾いたい、けど、調停イヤ訴訟絶対イヤ><だめ絶対>< みたいな。 やる事は何か書くだけ。
こっちは、図書館にあった弁護士が書いた本に、「法テラスは半分ボランティアみたいなもの」とかネットで見た「受任料が相場の半額になってしまう」とか そういうのを知っていたので遠慮もありました。
しかし、弁護士を一人作るために、公費がいくら使われているか考えると、疑問にも感じます。公共性や公益性がある高い倫理観を要求される仕事だからこそ、たくさんのお金を引っ張る事ができるのです。
今は、食い詰めた弁護士が多いから、弱者救済にマトモな人が周ってこないのではないでしょうか? 昔は企業の仕事をしてる余裕がある事務所でも、社会貢献みたいな(本来の弁護士法に謳ってある仕事はこっちですけど)つもりで、弱者救済の経済的合理性には欠ける仕事もやってたのが、食い詰め弁護士が仕事が無いから、社会貢献的にやってた分野で食っていこうとしているから余計ややこしくなるのではないですか?
早く弁護士にも保険制度を導入し、企業と個人で負担額を変えて、企業からたっぷり取って、個人は企業の負担分で賄えるようにして欲しい。 元々これに近い形で回せるようにしてきたんじゃないんですか? 賠償金が数十万だと弁護士が嫌がるとある政党の弁護士に言われたので、本当にそうなのかと裁判記録を閲覧しに行ったら、賠償金なしで家賃値上げに関する訴訟を見つけたので、その関係者に代理人も含め聞いてみた事もありました。 弱者救済と関係ない大きい事務所のようでした。原告側も被告側も不動産屋さんに弁護士を紹介してもらったと言ってました。
「収入あったら高貴」とか「いっぱい寄付したら高貴」じゃなくて、「社会貢献したら高貴」にもっとシフトしていけるといいねぇ。職業的にはただの営利企業で特別な社会貢献はしてなくてもいっぱい寄付したら高貴、でいいし、所得的に寄付はできなくても、社会が必要とする職業は高貴、でいいし、職業も所得も特別なもんじゃないけど、一生懸命ボランティアしたら高貴、でいい。そういうの、感覚的に変えていくのはどうしたらいいんだろうな。
吉野源三郎の君たちはどう生きるかを読むと日本もかつてノブレス・オブリージュはあったのかなと思う。というか金持ちも貧乏人も互いに尊重しあうべきって話だったと思うけど。
日本ってさノブレスな人たちに対してさえメディアがやたら悪く言うじゃん。もともとそれで溜飲が下がる人が視聴者層としてターゲットだったんだと思うけど「そうなのか!あいつら悪い奴だ!」ってなっちゃった人がいっぱいいるんだよね。
あとITってやたら持ち上げられる割にそれを商売にする人は軽視されてるし。
お金を持ってても尊敬されないどころか文句言われるならそりゃ社会貢献なんて意識はどんどんなくなってくよ。そんなのは金持ってるくせにわがままだって言う人もいるだろうけどどんなに金持ってたって所詮人間なんだよ。
たぶん一番いいのは、収入・資産の多寡に限らず寄付・社会貢献文化をつくることで、庶民でも社会貢献が普通なら、「金持ってる庶民」はもっと貢献すると思うんだよね。
ほんとにこれが一番だよね。
「みんなで寄付しようぜ!」って言われるほうが絶対いい。
で、いっぱい寄付したら「すげぇ!流石!」って言って欲しいじゃん。
きっと誰だってそうだよ。
うちの兄貴がよくあるIT成金の1人なのだが、この前あったときに「兄貴は寄付とかしないの?」みたいな話をしたときに、日本の金持ちが多額の寄付をしたり金持ち増税を主張したりしない理由がわかった気がしたので、ここに書く。まあ参考例が兄貴とその経営者仲間だけなので、一般論として語るには無理がある気がしないでもないが、参考になれば。
ノブレス・オブリージュとかあるんじゃないの的なことを聞いた返答がこれ。直訳すると「高貴なる者の義務」なんだから、「高貴」じゃないオレとか関係なくない?と。逆に日本で「高貴」なのはどういう人かと聞くと、官僚、政治家、大企業の経営陣、大学教授、医者とかとのこと。ネット企業の社長が「高貴」とかギャグかよ、と。
これ、ワタシ的には凄く腑に落ちた。もちろん普通に考えると「お金持ち」ってのはそれだけで現代に適用したところの「ノブレス」に該当するんだろうけど、確かにネット企業の社長(たとえばGREEとかMixiとかドワンゴとか)が、「ノブレス」かっていうと、本人たちもあまりそう思ってないような気がするし、確かに世間もあんまりそう思ってない気がする。ちなみにうちの兄貴は「オレは金持ってるだけの庶民だ」と言っていた。
まあネット自体がまだまだ世間から少なからず偏見の目で見られてるってのもあるけど、確かに富豪が多い業界:ITとかパチンコとか消費者金融とか健康食品とか、いくらお金を持っていても「ノブレス」とは思われない気がする。逆に医者とか官僚とかは、年収1000万なくてもなんとなく「ノブレス」なイメージあるし。職業の"貴賎"と、収入・資産の乖離。
うちの兄貴とか、ワタシから見れば10億以上も資産持ってて、明らかに「成功者」だと思うんだけど、なんだろう確かにどことなく卑屈なところがある気がする。本人の中の価値観的に、医者や官僚になった同級生とかと比べて"賎"だと思ってるような。だからか知らないけど、寄付したりとか社会貢献とか、自分の仕事だとは思ってないみたい。従業員や取引先を大切にする的なところでの利他的なモラルは結構あるみたいだけど。
アメリカで暮らしたことないんで、アメリカについて詳しく知ってるわけじゃないが、アメリカは価値観が多様すぎるので、共通の価値観としての「貴賎」は収入・資産の多寡がベースになっている的なところがあるらしい。このシステムだと、金持ちの社会貢献意識がすっごく強くなるから、結構うまく回る気がする。ただ逆に、収入は低いけど社会的に必要な職種については、結構モラル的にまずいことになりそうだけど。
ヨーロッパの場合、こっちも詳しく知らないwけど、こっちはそもそもの階級がはっきりしていて、上の方の階級じゃないとそもそも金持ちになれる可能性が低ければ、やっぱり「貴賎」と収入の多寡は一致する。ただこっちはこっちで下の方の階級がやばいことになりそうだけど。
日本は・・・、うーん、どうすりゃいいんだろうね。アメリカみたいに収入の多寡をベースに「貴賎」を再定義すると、やっぱり労働強度の割に収入の低いセクターが崩壊する気がするなあ。ヨーロッパ式は論外だし。「貴賎」はとりあえず無視して、強制的に高税率かけて再分配するって手もあるけど、上述したように、日本の金持ちってそれに耐えられるような自尊心みたいのないと思うんだよなあ。別に日本は高所得者の税金低くないしね(源泉分離以外)。
少なくともうちの兄貴は、税金に関しては「何の罰ゲームだよ」くらいの被害意識持ってるし、積極的に寄付したり多く納税したりとか、絶対やんねーだろーな。まあかといって海外出て稼げるかっつーと、微妙だから、ふてくされて徹底的に節税やりまくって愚痴いいながら、国内に残りそうだけど。
たぶん一番いいのは、収入・資産の多寡に限らず寄付・社会貢献文化をつくることで、庶民でも社会貢献が普通なら、「金持ってる庶民」はもっと貢献すると思うんだよね。これまた伝聞情報だけど、アメリカって共和党のメイン支持層のロウアーミドルあたりの人たちの寄付っぷりハンパないらしいじゃないですか。年収300万とかなのに、毎月5万とか寄付したりするとか。そういう文化があると、「金持ってる庶民」たる大富豪とか、そりゃ兆円単位で寄付するわなって話ですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20110810122334
という記事を書いたらこういう情報をいただきました。
岩崎夏海「小説の読み方の教科書」 http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refBook=978-4-267-01885-5
『もしドラ』以降、事実上初の岩崎夏海氏の書き下ろしは、「小説の正しい読み方」の指南書。 NHK総合「課外授業ようこそ先輩」(7月9日放送)でも反響を呼んだ、「『もしドラ』流 読書術」のエッセンス。 「小説は、正しく読めばこれほど助けになるものはありません。 ぼくはこれまで、ぼくを生かしてくれたものは何かと問われれば、 まず真っ先に『小説です』と答えてきたくらいです。 ぼくは、小説を読み、そこから学ぶことによって、 これまで成長を果たしてきました。」(著者あとがきより) (目次より〔予定〕) 第1章 ぼくの読書遍歴 第2章 ではなぜ小説なのか 第3章 小説の歴史 第4章 なぜ『ハックルベリー・フィンの冒険』なのか 第5章 『ハック』の読み方(ストーリー編) 第6章 『ハック』の読み方(キャラクター編) 第7章 『ハック』の読み方(テクニック編) 第8章 小説の正しい読み方
タイトルだけ見て大爆笑した。
最近久々にブログでこういう事書いたと思ったらこれの伏線だったわけか。
『もしドラ』を出してからというもの、世の中には小説の読み方が誤っている人、知らない人が多いということにも気づかされた。特にネットの世界では、誤った批評というものが数多く見受けられた。そうして彼らは、その誤った読み方ゆえに、肝心の面白さを見逃してしまっているのだ。
それが、ぼくにはとても「もったいないことだ」と思われたのである。小説も、正しく読めば、今よりずっと面白さを味わえたはずなのに、それをみすみす見逃してしまったのでは、お金も時間も損である。
そこで、そんな人が少しでも減るように「小説の正しい読み方をレクチャーすること」は、ぼくの一つの使命なのではないか――と考えるようになったのである。そうして、「小説を少しでも面白がれる人が増えれば、それは一つの社会貢献になる」とも考えるようになった。
やねうらおさんに思い込み激しいと言われて踏みとどまるわけはなく、むしろどんどん加速していってるハックル△。
どこでクリティカルを突破してグラウンド・ゼロに到達するのやら。これからも目が離せない逸材です。
ちなみにテレビ関係の人というか、手順を踏んで商品発売前に人を集めたり種を蒔いておくのは上手だわ。
逆に考えると、直前にあんまり人集めをしてなかった「エースの系譜」については
売れなくてもいいから彼が言う「正しい読み方」をしてくれる人にだけ読んで欲しかったんだろうかと考えるのはちょっと贔屓目かな。
2 ***が出来ないと問題だ、可哀想だと煽る。○○の話題に人を集める
3 人を集めた段階で***の問題がきになるあなたにこんな商品ありますけどどうぞ、と提示する
4 1~3の流れを商品ありきのヤラセ=3から遡って問題をでっちあげ、ではなく心から困ってる人のために準備しました、という演出を行う。
(客からすればお買得価格が大事なんだけれど、あれも「お客様と私の中ですから」というアッサラーム的な演出でお客さんのいやらしさをフォローするのが大事)
1~4をタイミングよく行っていくことで、商品の品質のチェックや、他の商品との比較が行われる前に短期間で売り切るのがポイント。
ちなみにこれ私が考えたわけじゃなくて、「秋元康の仕事術」とかいうタイトルの本を立ち読みしたときに書いてたのでたぶんAKBもこの方式でやってる。
んで。
ハックルさんの強みは天然で4ができちゃうところなんじゃないかと。
僕らはハックルさんのことをよく知ってるからあんまりピンとこないかもしれないかもしれないけど、
ハックルさんの言動って、あんまり彼のことを知らない人が見たら、ネタなのかマジなのか判別が難しいところだと思う。
「よく知らない人」にはなんだか真面目そうだしいいんじゃない?って思わせられる。
これは今のやらせ臭さがプンプンするぜぇーなテレビや出版業界ではとってもイケてる性質じゃないかと。
実際4のみせかけの部分を「CSRマーケティング」とか言って売り込んでる業者さんに遭遇したことあるので結構大事だと思うんだ。
こういうところは素直に見習いたいけど、見習おうにもこの人の人の話聞かない&周り見えてないっぷりは真似しようと思っても真似できないのがツライ。
ハックルさん次は「真摯マーケティング~ドラッカーが教えてくれたビジネスで一番大切なこと~」とかの本を出さないかなー。
この人のいう真摯って私の思ってるのと違うんだけど、彼がこの言葉をどう捉えているのかすごい興味があるんだよ。
ちなみにこの本は11月発売だそうです。
この本も私が買って、笑えるところは皆さんと共有する予定。
読むのめんどいけど読まずにハックルさんをDISるのはちょっと気がひけるという方は買わないでしばらく待っておいてくださいね。
http://anond.hatelabo.jp/20110810152313
トラバ有難う。
1つは彼は純粋にそれが読者のためだと思ってやってる。
なんというか、やねうらおさんも書いてたけど、彼の言動に嘘とかごまかしとかはあんまりない気がする。
ただ、彼の中で納得できない部分があるんだろうな。
いちいち「僕はこういうのやりたくないけど読者のためにサービスとしてやることにしました」って書く人は普通いないので
読者は色々邪推しちゃうけど、この人はこの人なりに読者のこと考えてやってるんだと思いたい。
こっちとしてはその彼のサービスに全然満足できないのが残念だけれどw
「フラクタル」のコミカライズの人みたいに、コミカライズ担当の椿あすさんの寿命がストレスでマッハにならないことを祈る。
フラクタルって書いて思い出したけど、この人ヤマカンの人に似てるきがする。
ぼくの「本の読み方」は、どうやらちょっと特殊らしいということが分かった。それは、どうやらぼくの強みらしいのだ。
ということだと私は思う。ヤマカンの人は、○○○○○○○の分析とかはすごい鋭いと思う。
もっとも、もしドラの作者の読み方は小説家を志す人なら当然に持っているべきもので珍しくない。「ピギー・スニードを救う話」とか読めばわかる。
またこの読み方が「唯一正しい」読み方ではない。
この人はとにかく周りが見えず、自分自分自分の考え方が唯一正しいのだと信じるところが最強の強みなのだろう。
そこでもしドラの人はそこでこう考える。
それでいうと、『もしドラ』を出してからというもの、世の中には小説の読み方が誤っている人、知らない人が多いということにも気づかされた。特にネットの世界では、誤った批評というものが数多く見受けられた。そうして彼らは、その誤った読み方ゆえに、肝心の面白さを見逃してしまっているのだ。
それが、ぼくにはとても「もったいないことだ」と思われたのである。小説も、正しく読めば、今よりずっと面白さを味わえたはずなのに、それをみすみす見逃してしまったのでは、お金も時間も損である。
そこで、そんな人が少しでも減るように「小説の正しい読み方をレクチャーすること」は、ぼくの一つの使命なのではないか――と考えるようになったのである。そうして、「小説を少しでも面白がれる人が増えれば、それは一つの社会貢献になる」とも考えるようになった。
文章力がないことに自覚がないのはともかくとして、とりあえず自分の強みに基づいて行動していると思う。結果論なところもあるけれど。
一方のヤマカンの人は、自分の強みと違うところで頑張ってるようなきがする。
この人はtwitterみてもわかるように「言葉による」表現力はすごいと思う。
というかとにかく目立つということをよく知ってる人だと思う。
本質的なことを端的にまとめるの上手。人を敵味方に切り分けて争いを創りだすのも上手。稀有な才能を感じる。
でも、そういうところってアニメに全く活かされてないと感じる。
「フラクタル」において印象に残った言葉があっただろうか。全然ない。ぼんやりとしてる。
あえてわざと結論出さない、曖昧な表現を使う、割り切れないものを描く。
これって彼の強みと正反対の部分じゃないだろうか。
本当に哀れなほど皮相な人間観だね。喜怒哀楽の波があってはいけないと?ふーん。
じゃあ例えば星野仙一とか金田正一とかは辺り構わずキレまくったりしてるわけだが、あれはかなり作ったキャラであるにしても、少なくともあれを見て星野仙一に「陰」のイメージを持つ奴はまあいないだろう。星野や金田は間違いなく「陽」側のキャラクターで、「陰」なのはむしろ喜怒哀楽を露わにしない野村克也とかだろう。幸せそうに「見える」のは星野や金田だろう。違うかね。
単に八つ当たりしてるだけじゃないの。これは「啓蒙」なの。おわかり?キレ口調も釣りが半分以上ってわからんかね。
ここまでばらしてやらんとわからんとはもはや哀れを催してきたが、ナチスなんて言葉をわざわざ題名に入れるのも半分「釣り」なの。ホッテントリ狙って取りにいってるの。
勿論、出生前診断がナチス的な行為であるというのは俺の信念であるしそれに対して怒りを持っているのも当然だが、それを抑制した冷静な口調で、例えば論文調で書いたとしてだ、それがホッテントリになるか。ならんわな。「長いので3行でまとめて」とかいう脊髄反射トラバが1個ついて終了だ。
ところがこうやって釣ることで、ブクマした人数だけで300人以上、実数で言えばもしかすると1000人以上に俺の主張を伝えることができたわけだ。はっきり言って類型的な主張だよ。でも、世の中あまりに無知な人が多いからね。この程度だけでも心の中に引っかかりを作ることができれば、あとは何かの機会に自分でどんどん学んでいってくれることもあるだろうしさ。そういうことだよ。
悪いけど、「ちょっと知ってる人にとっては常識だけれど世間では余りに知られていなくてトンデモが跋扈している話題」に心を痛めたとき、多少でも啓蒙活動したければ増田って凄くいい場所なんだよ。今年に入ってから増田にホッテントリ3つ載せて合計で1500ぐらいブクマつけられれてるよ。ちょっとした社会貢献になってると思うんだけれどね。それが自分のストレス解消も兼ねてるんならまあ趣味としては悪くないんじゃないかね。
「金儲けなんかより善いことをしたい、何か社会貢献をしたい」と思う自分がいる一方、
「善いことなんてどうでもいい、金儲けをして贅沢な暮らしをしたい」と思う自分もいる。
これはあくまでも一つの例であるが、このような自身に内在する一見矛盾した関係にある二つの自分の存在に対して自分は深く悩んでいた。
自分の軸はどこにあるのか?そんなに優柔不断でいいのか?というように。
そこで、悩みを解消すべく、この自己矛盾の正体について考えてみようと思った。
まず初めに考えたのは、
仮に自分を中心とした円形に広がる輪(自分→家族→友達→所属するコミュニティ→所属する組織→…という広がりをする輪)
があったときに、「内側から外側に向けて優先度をつけて物事を考えていく自分」と、
「外側から内側に向かって優先度をつけて物事を考えていく自分」という二つの自分がいるのではないか、
それこそ矛盾する二つの自分の正体ではないか、というものである。
しかし、すぐにそれは違うと思った。
そもそも「外側から内側に向かって優先度をつけて物事を考えていく自分」なんて存在しない。
時と場合によって自分と対象との距離が変化することはあるけれど、
人は、自分を中心に輪の内側から外側に向けてでしか物事を考えることができないからだ。
ただ、そこでふと思ったのは、中心となる自分がただ一つとは限らないということだ。
人は自分を中心に輪の内側から外側に向けて物事を考えるが、中心には様々な欲求を持つ自分がいる。
そして、何か物事を考える際、その時の自分の欲求によって判断基準が左右される。
食欲、睡眠欲、性欲、購買欲、顕示欲、愛したい欲求、愛されたい欲求、悪意、そして善意も欲求の一つであるが、
これら判断基準を左右する「欲求」こそが自己矛盾の正体なのではないか。
つまり「金儲けなんかより善いことをしたいと思う自分」と「善いことなんてどうでもいい、金儲けをしたいと思う自分」
が共存するのは矛盾しているわけでもなんでもなく、
そう思う自分にいたるまでに生じた欲求がその時々によって異なるから、ということである。
例えば、誰かから善意を受けたときに自分の中に同様の善意の欲求が生じ、
それが自身の全体欲の大半を占めた場合、「善いことをしたい」と思う気持ちが強くなる。
逆に誰かから悪意を受けたときに自分の中の善意の欲求が削られ小さくなった場合、
「善いことなんてどうでもいい」と思う気持ちが強くなる、という具合に。
ここではあえて「二つ」としているが、実際には欲求の数だけ異なる自分がいるのだ。
ある欲求が満たされると全体欲に占める割合が小さくなり、
代わりに違う欲求の割合が相対的に大きくなることでその欲求が強くなる。
全体欲に占める様々な欲求の割合の変化によって物事を考える際の判断基準にも変化が生じ、
なるほど、と自分の中で合点がいった。
そしてさらに考えた。
様々な欲求を持つ人ほど多くの自己矛盾を抱えるのかもしれない。
満たされない欲求の数だけ判断基準に変化が生じるからだ。
また、欲深い人ほどその自己矛盾に悩むのかもしれない。
満たされない欲求の分だけ判断基準が変化する頻度が増し、それに伴い、物事を不要に多く考えてしまうからだ。
「自分が様々な欲求を持っていて、且つ、欲深い人間だから」なのではないか。
あれもしたい、これもしたい、でも何も出来ない。こういった焦燥がさらに悩みを加速させている。
でも、それならば悩みを解消するのは簡単だ。
欲求が多様性に富んでいるにせよ、欲深いにせよ、一つ一つの欲求を満たしていけばいいのだ。
そうすれば自己矛盾は小さくなり、物事を不要に多く考えることもなくなり、悩みも減るだろう。
では、どうすれば欲求を満たすことができるか。
残念ながら今の自分では多くの欲求を直接満たすことができず、その前段階である「準備」しかやれることはない。
それが結果的には多くの欲求を満たすことに繋がるからだ。
つまり、少なくとも今現在の自分においては、勉強することこそが、悩み解消への一番の近道なのである。
このようなことを考え、勉強机に向かったのであった。
文部科学省は、国費を財源とする無利子奨学金の貸与を大学生らが受ける際の条件について、成績や世帯収入に加え新たに「社会貢献活動への参加」を追加する方針を固めた。
税金が入った無利子奨学金を受ける際の基準に社会貢献活動が追加されるというニュースだ。ツッコミどころがありすぎて何から始めたらいいか分からない程のダメさ加減だが三点ほど。
まずは、何度も指摘しているが、「奨学金」という言葉遣いだ。無利子奨学金というのはあくまで貸与であって、政府の補助は「無利子」の部分でしかない。はっきり教育ローンと呼ぶべきだ。
次に、この政策はその目的を果たすと思えない。
同省は、公費で学ぶ学生に社会還元の意識を根付かせたいとしている。
どうも希望と現実が混同されているようだ。社会貢献活動を義務付けると社会還元の意識が芽生えるというメカニズムを教えて欲しい。税金を払わせると寄付の心が芽生えるだろうか。
また、目的を達成するかどうか以前にその目的の設定に問題がある。奨学金や教育ローンの政策目的は社会的に望ましい(教育)投資に対して、補助金や流動性を提供することだ。決して「社会還元の意識を根付かせる」ことではない。条件・義務を増やすことはこの本来の目的に反するし、二つの目的があるとそれが達成されているかを測定するのも難しくなる。
ちなみにこのように一つの政策で複数の目的を達成しようという試みは、しばしばやりたいことがあるにも関わらず他人を説得できる策が思いつかないときに行われる。この場合であれば、「社会貢献活動を増やす」という目的があるのに、それを達成する有効な策がないために教育ローンという入れ物を利用している(どっかの外郭団体が無料ボランティアをほしがっているのだろうか?)。
社会貢献活動がそんなに重要なら、兵役のように全国民に義務付けてしまうこともできる(みんなが社会還元意識をもったほうがいいだろう)。それをしないのはそれだと支持を得られないからで、かわりに立場の弱い教育ローン受給者だけに絞ったのだろう。
最期に一文だけ繰り返し引用する。
成績や世帯収入に加え新たに「社会貢献活動への参加」を追加する方針を固めた
貧しい家庭の出身で一定の成績を修めている人にたった今から(!)社会貢献をしろと言っているようにしか読めない。よくもまあそんなことが言えると思う。