はてなキーワード: 真打とは
グランディアの世界の果てを超えるシーンは素晴らしい。それと、スーとの別れも印象的
スー(8)は主人公ジャスティン(14)の幼なじみで子供のクセに「ジャスティンには私がついていないとね」的なことを言って保護者ぶるBJのピノコポジション
スーはジャスティンと一緒に旅に出て、世界の果てを越えた後も旅を続けるが、ムリがたたり寝込む。自分は子供でジャスティンたちの足手まといになるからとパーティー離脱を決意。ジャスティンはならばと先へ進むために取ってきたはずの転送アイテムをスーを故郷へ帰すために使うことに
その別れのシーンでプレイ当時、自分ボロボロ泣いて、今もちょっと調べてまたホロっとした
冒険途中でフィーナ(15)という真打ちメインヒロインが仲間になって、バトルでもスーの影が薄くなるんだけど、スーからするとフィーナみたいな圧倒的才能を隣にするプレッシャーは相当だ
増田が「上手が怖い」という流れでグランディスの話を始めたのでスーとの別れが出るかと期待したけど出なかったので自分で書いた
それでも、スーはジャスティンが居なければ世界の果てを越えてその先を見ることはなかったことも事実
世界の果てのその先への冒険を創作に喩えるなら、冒険者には様々な支援が必要で、金銭的なものはもちろん、作品発表直後のポジティブなフィードバックが一番精神的支えになるという言は多くの創作者から聞く
スーはED後美しく成長し故郷でジャスティン、フィーナ達を待つ「港の女」ポジションに収まっているけど、こうして何者にもなれずにボンクラに年を経た自分でも「港の女」になれるなら、それはとても嬉しいことだと思う
昔ちょっとだけでも一緒に冒険した想い出が、冒険譚を語るその舌を少しだけ滑らかにし、彼らが次の冒険へ進む一歩の僅かな助けになるのなら
★優れたビジネスアイデアをコンテストする「ビジネスアイデア大賞」なんてのはないのかな?
以前自分は「メガキャリアエアラインの、男女お見合いシート」なんてアイデアを思いついたが
http://anond.hatelabo.jp/20130924163013
我ながら結構いい線付いていると思うのだが。
★更に進めて、「政策課題解決大賞」なんてのを、役所が公募してみたら面白い。
「耕作放棄地解消のアイデアを募集します、最優秀賞には1,000万円」
★「政策課題解決大賞」の真打ちは、なんと言っても「出生率改善アイデア大賞」だろう。
最優秀賞の賞金を1億円にしてくれるなら、自分も会社を退職して本気で考え、応募する。
★福島第一の冷却手段を、なりふりかまわず公募してた、というのがあった気がする。
それ位の必死さで、出生率改善アイデアを「公募」してもいいような気もする。
★或いは、「5年間で、もっとも出生率が改善した自治体に、交付金10億プレゼント」として、自治体同士で競わせるとか。
「東京特別区の部」「政令指定都市の部」「20万以上市の部」「20万未満市の部」「町村の部」でコンテスト
★賞金次第では、民間のシンクタンクの類が、必死になって出生率回復アイデアを出してくるだろう。
ドーンと賞金100億に積み増せば、電通博報堂辺りが本気になる。
「実際にパイロットテストしてみて、効果があったアイデア」に大賞賞金100億円を授与
★結局、今までの少子化対策が全て空振りなのは、アイデアを出す・実行する「インセンティブ」が役所・自治体側に皆無だったこと。
現ナマを積み増し、民間シンクタンクのアイデアも借りれば、もっといいアイデアも出てくる。
つまり、「アイデア出しのマネタライズ」を図れば、斬新なアイデアが民間から沸いて来るのでは?
「女性手帳を作ります」的な予算余裕があるなら、もっと真っ当なアイデアを賞金付きで募集した方がいい。
パシフィック・リムを見てきた。
本来なら言うことはない。夏らしい平凡なポップコーン映画だった。
ただ、ネットの一部界隈では、映画監督の姑息なイメージ戦略にアテられたのかなんなのか、過大評価すぎるものが多く見えるので、細々と感想を書き連ねてみる。
映画監督が円谷ファンを自称しているらしいので、円谷のビデオソフトで例えると、パシフィック・リムは、怪獣大図鑑みたいなもの。(ウルトラマンの戦闘シーンのみを編集したプロモーションビデオ)
怪獣が暴れる映像のために他の全ては下敷きか犠牲になってる。ひたすら怪獣、巨大ロボ、衝突、破壊、爆発の繰り返し。
それらのアクションシーンには、見どころが沢山ある。細部までしっかり意味ありげにデザインされたロボットの造型。重量感。一進一退の攻防が次から次へと展開する。
友人達を集めて、談笑しながら見るのなら、かなりいい作品だと思った。
ただ、それ一辺倒なので真剣に見るのには向いていない。映画館など黙って鑑賞せざるを得ない環境だと、ワンパターン過ぎて睡眠誘導になりかねない。
間というものが皆無だ。心を落ち着けて、さあこれから山場だぞ!というシーンなど無く、パチンコ屋にいるような騒々しさが延々と続く。
ウルトラマンとは違って、テーマ性は薄い。ドリフトというシステムで取って付けたようなお題目はあったものの、じーんと心に響くものではなかった。
円谷ファンを自称する監督だが、本作に登場する怪獣には円谷作品のような多様性は一切ない。
全部クローンであるという設定と、欧米的説得力の問題でああなったのかもしれないけれど、どれも土気色に水色の体液でカラーリングが一緒で、形態には差異があるものの、画面の暗さとそれに溶け込む暗い色のせいで大した差を見いだせない。
最終決戦には3体もの怪獣と同時に戦うことになるのだけど、そのときにはもうどれがどれかわからない状態になってしまった。
最後の真打ちとして登場した3体目は、カテゴリー5(今までは4止まりだったのだろう、未知のタイプだ!と司令部が騒いでいた)と呼ばれていて、さぞスゴイ奴が出てくるのだろうと思ったら、気持ち大きいだけに感じる上に、乱戦してるうちに見せ場もなくボロボロになってしまった。
何のために盛り上げたんだ!
本作では上記のように戦闘シーンに特化した結果、オリジナル作品にも関わらず原作のダイジェストを見ているような忙しなさを抱えることになったが、その対価として、大ボリュームの戦闘シーンを2回もこなしている。
ただひたすらカッチョイイロボとでかい怪獣の戦いを表現したいというのなら、間違っていない選択だと思った。
海底に開かれた次元の扉を閉じるために、主人公たちのロボットは海底を歩いて進み、そこを守る怪獣と最後の決戦を繰り広げるのだけど・・・。
深海なので画面が暗く、水中なので動きは鈍い。敵が3体でてくるものの、暗さと没個性が相まってただごちゃごちゃ戦っているだけという印象。
地上での戦いだけで良かったのではないか。前半のほうが凄く感じただけに鈍い上に乱戦でグレードダウンした感のある最終決戦は、視聴者にとっても集中力の限界との戦いだった。
マーケティングの一環なのかなんなのか、監督の日本に対する愛情の現れなのかはわからないけれど、本作には日本人俳優がメインヒロイン役として参加する。
現代のヒロインを演じた菊池さんのほうは、海外の俳優に混じってなお遜色のない演技をしていた。吹き替えだと声が林原めぐみだし、かわいい。
ただ、問題は子供時代の回想シーンで。芦田さんという日本屈指の子役俳優が演じたのだけれど・・・。
最初にフォローとして、泣きながら逃げるだけな上に、実在しないCG相手というハードルの高い演技であったろうことは言っておくとして。
日本のトップクラスの子役と言えど、いざ洋画にでてみると、世界の子役俳優の足元にも及ばないのだなということがわかる。
最後、斜陽を背負うイェーガーを見上げる場面になると、お遊戯感が炸裂する。
”眩しくて顔に手をかざす”という行為と感覚を理解していないのだろう。あのシーンだけ、最近ありがちなCGギトギトのダサい邦画を見ている気分になった。
全体的に見て、僕はこの映画は好きだ。
映像はやっぱりすごいとおもったし、音の使い方も凄く良かった。
主人公機が画面中央に現れるときには決まって「デューン」というジングルみたいな物が入るのだけれど、あれのお陰で暗くごちゃごちゃした画面でも、すぐに主人公機だ!カッケー!という気分を呼び起こしてくれるので凄く乗りやすかった。
ビデオを借りてきて家で見るのなら、下手な名作系の映画よりも満足感を得られる内容だろうと思う。
でも、最近ネットで見られるレビューのたぐいは、流行に流されて一辺倒になっている雰囲気がある。
あまりに勢いがありすぎて、この映画が面白く無いやつはわかってないという上から目線めいたものも見受けられる始末。
本作はそこまでのものじゃない。ただ映像がかっこいいだけの、ポップコーン映画だ。
この映画を見て満足感が得られなかったとしても、当然と思えることは上に書いたように沢山ある。
おそらく、監督は円谷作品のファンということを大々的にアピールしていたことが出火元のひとつであるように思うのだけれど、
それで釣られた人たちは、この映画を見終わって果たしてどう思うだろう。
夜中までラジオつけて勉強してると、テレビじゃ流れない様な面白い音楽がたくさん流れてて
ただただ楽しそうで憧れて、何度か通いましたよ
通ううちに、適当に入ると酒が恐ろしくまずいことや煙草臭い事、服が汚れる事、
早めに始まるパーティーでも、大本命の真打ちは12時を回る頃からしか出ない事、徹夜がそもそもきつい事なんかに気がついてだんだん通わなくなったけど
あーあと、トイレの壁に「覚せい剤や麻薬を見つけたら通報します」って張り紙がしてあったのも自分がいる場所じゃない気がした
神田駅でSuicaをフルチャージし、西口商店街の松屋に入る。
店内で手を洗ったり、二十秒ほどトイレに行ったりしていたら、いつのまにかうとうととカレギュウを注文してしまった。
席について、食券を机に置く。
店員観察にも飽きて、壁の広告を黙読。ひとしきりセール情報を学ぶ。
退屈しのぎに牛丼の価格変遷を思い返すが難しすぎる。店員の雑談で中国語の勉強。
舌にヒリヒリくる感じが実に心地良い。
注文を思い出して、簡単な暗算をする。
ちょっと手持ち無沙汰になって、また壁の広告を黙読。
カレギュウが来た。
吉野家ではこうはいかない。
それだけで株価が高いのではないかとさえ思う。
頼んでもいないのに味噌汁が出る。
カレギュウを書き込んでから、生野菜を食べ、また味噌汁を飲む。
ひとしきり食べてから、思った。
こいつは最高の朝食だ。
ありとあらゆる食材が、ここにある。
カレーが、肉が、生野菜が、そして味噌汁が、もう松屋専用に作り込まれている。
カレギュウを食べてから牛丼を食べると、実に窮屈で無理矢理な印象を受ける。
漬物がなくて、甘くもない。
ほんの数か月前までは牛丼が駄目だなんて考えもしなかった。
だが、カレギュウを一度でも食せば、誰もが僕と同じ感想を抱くだろう。
つまり「こっちが本物」なのだということを。
むしろ牛丼は、カレギュウが登場するための伏線に過ぎなかったのではないか。
たぐい稀なる完成度を誇る実験食。真打はむしろカレギュウで、その前には牛丼はもちろん、全ての牛丼もどきが色褪せて見える。
コーイチはそう言っていた。
ホラーが一流の大衆娯楽として昇華し、世界中の人々のイマジネーションに強い影響を与え、それ以後のホラー漫画は、どこか漂流教室のようだった。
そして、カレギュウは、すべての食事におけるそれだ。
カレギュウ以後、わずか数年で僕の食生活はカレギュウとカレギュウ的なもので埋め尽くされるだろう。
グッバイ・牛丼
カレギュウの具材にはまだ肉が必要だ。
けれどもそういう時代もすぐに終わるだろう。
おそらく大多数の人にとって、カレーで事足りるのだ。
カレギュウ以外のメニューを必要とするのは一部のプロだけになり、そういう食事さえもいずれはカレギュウ的なものにとって変わられるだろう。
松屋のカレーがでたとき、あんなメニューじゃ満足できないという人がいた。
しかし実際には満足出来てしまった。
一方、もうやってしまったのが一流のすき家である。
そしてカレギュウはすべての牛丼屋にそうしたいと思わせるのに十分な魅力を持っている。
新しい時代がここからはじまるのだ。
「入国希望者か?」
「はい」
「どんな噂をきいてきたか知らんが、ニュースサイトの国はすでに飽和状態だ。うまい汁を吸うつもりで来たならば引き返したほうがいいぞ」
「はあ、そうですか」
「……引き返す気はないようだな。ではこの国の滞在期間をきこうか」
「追い出されるまで」
「あ?」
「この国の人に追い出されるまでいたいと思います」
「……変わったやつだな。よかろうニュースサイトの国は来るものを拒まない。ようこそ最新情報の飛び交う世界へ!」
そう言ってガリガリに痩せたみすぼらしい男は芝居がかった姿で両手を広げた。
どう見ても入国管理官とは思えないその哀れな姿に、キチはありのままの疑問をぶつけた。
「あなたは入国管理官かなにかですか?」
「ん? 違うよ。私はネット評論家だ。主にニュースサイト論を取り扱う権威さ。あくまでボランティアとしてニュースサイトの国に訪れる人間に忠告と審査をしてい――」
セリフを言い終える前に、銃声が鳴り響き、自称ネット評論家でニュースサイト論の大家の頭に大きな穴が開いた。
即死である。
「また沸いてやがったかこのアクセス乞食め! 大丈夫かい旅人さん? こいつはニュースサイトを知らない一般人にたくみに擦り寄って権威ぶる物乞いだよ。なにか妙な言いがかりをつけられなかったかい?」
「いえ、べつに」
「まったく今週だけで3人目だぞっ どこから沸いてくるんだこのゴキブリどもは…?」
「えーと、それで入国してもかまいませんか?」
「ああ、もちろんだ。WWWの概念に基き出入り自由だ。好きにやってくれ」
銃を肩にかついだ男はにやりと笑うと、乞食の死体を引きずってどこかに行ってしまった。
「では行きましょうキチ」
「そうだねヘルペス」
旅人はアンドロイド(注:ここではHMXシリーズのメイドロボを指す)におんぶされながら人の多い市街へと入っていった。
「キチ、重いので自分で歩いてくれませんか?」
「見た目が愛らしい女の子のメイドであっても、アンドロイドに人権はないよ」
「思いやりに欠けるマジキチですね」
そんないつものやり取りをする旅人たちに、ニュースサイトの国の住人が声をかけた。
「はい、さっき入国したばかりです。あなたはニュースサイターですか?」
「ああ、そうだよ。ねえ、旅人さん? さっそくで来たばかりで悪いんだけど、何かいい情報はないかい?」
「いい情報……ですか?」
「そうさ、なにか外の世界であった最新のできごとを知らないかい?」
「……えーっと、あなたはニュースサイターなんですよね?」
「うん、そうさ。ちなみにニュースサイト歴2年だからベテランだね」
「ニュースサイターなのに最新の情報を一般人の僕にきくんですか?」
キチがそう問いかけると見る間にニュースサイターの機嫌が悪くなった。
「そういう訳ではないです。ただ僕はニュースサイトの国に来れば最新の有意義な情報が手に入るとばかり思っていましたので」
「はっ! これだから新参はっ もらうことばっかり考えて何も提供しないんだからな!」
「おいおいどうしたんだ、そんな大きな声をだして」
ベテランニュースサイターの男をたしなめたのは、4~5人連れの屈強な男たちでした。
「あっ!? ギガジンさんににゅーす特報さんっ それにKKGとロケットニュースさんとZAKZAKさんと探偵ファイルさんと秒刊サンデーの湯川とえーとそれから…ま、ま、まんげ?さん!」
「だんげです」
屈強な男たちの後ろにいた小男は不機嫌そうに訂正した。
「そう怒るなlazy。それで? その旅人さんとお前は何を揉めてたんだ?」
「lazyじゃなくてごーるです……じゃなかった。だんげです」
「は、はぁ、実はこの新参がベテランの俺を馬鹿にしやがるんです。ニュースサイターの癖に情報に疎いなんていちゃもんを…」
「ははっ、まあ中堅のお前はちょっと情報に疎いかもしれないな」
「あっ! ひ、ひどいっすよにゅーす特報さんと探偵ファイルさん!」
「よし、じゃあこのニュースサイトの国を仕切る俺達が、ひとつ旅人さんに最新の情報を教えてやろうじゃないか」
屈強な男たちは張り切った様子で、それぞれのノートパソコンを開きました。
「えーと……おっ! これなんかすごいぞ! 痛いニュースからの情報だがなんと鳩山総理が――」
「それはテレビで見ました」
キチははっきりと言いました。
「ははは、君は古代の遺物であるテレビなんて見ているのかい? うーん、じゃあこれはどうだ? V俺からの情報だがアニメにありがちなことで――」
「アニメに興味ありません」
キチははっきりと言いました。
「アニメに興味はない!? じゃあ君は今日もやられやくを見ないのか??」
「なんですかそれ」
「うーん、それは人生の半分は損をしているぞ。そんな変わり者の君には――」
「ねえ、キチ?」
「なんだいヘルペス?」
「ニュースサイトの国ではアニメというものを見ることが常識なんですか?」
「さあ」
キチは興味なさそうにこたえました。
「おっ! これはなんかすごいぞ! 見ろよ猫の画像だ!!」
別のニュースサイターが妙に高い声で歓声をあげました。
「興味ありません」
「猫が嫌いなのか!? じゃ、じゃあこれを見ろ!」
屈強な男の一人がノートパソコンの画面をキチに押し付けてきました。
「ネタミシュ……いやネタタマという面白画像サイトだ! 君の興味があるタイトルをクリックしたまえ!」
「すいません、僕は有意義な情報が欲しいのですが」
「有意義? あっ! わかった! そういうことか! 君は実用的なものを求めているんだな?」
屈強な男はにやりと笑うとパソコンを少し操作しました。
「これだな? 君が求めている情報はこれしかありえない」
そう言って見せられた画面には女の子が強姦されている気味の悪い画像が表示されていました。
「キラ速というサイトさ。なんならアドレスを教えてあげてもいい」
「……けっこうです」
「これもダメなのか!? じゃ、じゃあ後はもうハム速……いや、しかしあそこはいい加減ワンパターンにもほどがあるし…。あっ! アルファルファモザイク……は別にいいか」
「おう、引っ込めよ羅列ニュースサイト」
「あっ なにをするー!?」
キチの前で一生懸命パソコンを操作していた男は首根っこを掴まれて吊るし上げられました。
「2ちゃんねるのネタばっか紹介しやがって。そんなもん最新の情報じゃねえ」
「そうさ。お前ら羅列は所詮お遊びニュースサイター。2ちゃんのソースになるような記事を提供する俺達こそが真のニュースサイターなのさ」
「う、うわー!」
羅列系ニュースサイターはそのまま道端に放り投げられてしまいました。
そしてそのまま二度と起き上がってはきませんでした。
どうやら落ち方が悪くて、首の骨を折ったようです。
「さて、新参くん。俺達の情報はすこし刺激が強いが大丈夫かね?」
「心臓が弱いならここで逃げ帰ってもいいんだぜ?」
キチはなんでもいいから早くしてくれ、と答えました。
「くっくっく…いい度胸じゃないか。では俺から。お前はおいしくなかったら代金を返してくれると宣伝されたハンバーガーを知っているか? 俺はあれが本当かどうかを試してだな――」
「それが有意義な情報ですか? あとあなたは人として恥ずかしくないのですか?」
「な、なんだとキサマ!」
「はは、たしかに人として恥ずかしいよな。じゃあ次はまっとうな俺の情報だ。実は中国の女子中学生でな――」
「それのどこが有意義なんですか? あとあなたは人として恥ずかしくないのですか?」
「な、なんだとキサマ!」
「ふふ、まったくだな。ここで真打の登場だ。まずはこの写真を見てくれ」
「……この写真の右下にあなたの所持するサイト名とは違うロゴがありますが無断転載ではありませんよね?」
「な、なんだとキサマ!」
それからもニュースサイター達は次から次へと情報を教えてくれましたが、どれも下品で役に立たないものばかりでした。
中には真っ赤な嘘すら多くありました。
「……もう一度ききますが、あなたたちはニュースサイターなのですよね? 本当に?」
キチは静かに問いかけました。
「そうかこいつは荒らしだったのか!!!! どうりで俺達にいちゃもんばっかりつける訳だ!」
「あー! いるよな最近、こういうキチガイ野郎が! 頭おかしい奴が増えたっていうかさあ!!」
「せっかく俺達がネットを盛り上げてるのにこういうキチガイが沸いてくるとだいなしになるんだよ!!」
「出て行けよ!!! ニュースサイトの国は誰でも出入り自由だけど、荒らしは許さない!!」
いきりたつニュースサイター達は口々にキチを罵ります。
「皆さん、落ち着いてください。僕は荒らしではありません」
「そうか釣りだったのか!!! ど、どおりで低レベルな煽りばかりしてきたわけだ!!」
「生憎だったな釣り野郎! 俺達はその程度の煽りじゃちっともイラつかない!!!」
「はは、お、俺なんて途中から釣りだと分かってたから笑いをこらえるのに必死だったよ!!」
「お、俺も俺も!! お、俺もわかってた!!!」
だんげはぴょんぴょん飛び跳ねながら存在をアピールしました。
「あー、面白かったよ旅人さん。じゃあな。もういいだろ?」
「……分かりました。残念ですがこの国を出ることにします」
キチはヘルペスの尻を叩いて出口に向かうよう促しました。
「おい待てよ!! ちゃんと釣り宣言しろよ!」
「釣りなんてしていませんが」
「ったく、これだから新参は…! 引き際をわきまえない釣りなんて見苦しいよ」
その後もニュースサイター達は延々と何かを言っていましたが、キチはとりあわずに来た道を引き返していきました。
「う……うぅ…頭撃たれたなう…っと。もうすぐ死ぬなう…っと」
ニュースサイトの国の国境付近に、最初に出会った乞食が打ち捨てられていました。
驚いたことに頭を撃ちぬかれているのに、まだ生きています。
「あ、あれ…? き、君はさっきの……?」
「どうも。ニュースサイターたちに追い出されてしまったので他の国に行くことにしました」
「そ、そうなの…? あ、そうだ。じゃあ君、その追い出された経緯をまとめて記事にしてくれない? そしたら僕がコメント付きで記事を紹介してあげるから」
「……いえ、けっこうです」
キチはきっぱりと断ると、ニュースサイトの国を去っていきました。
「ふ、ふふ、良いネタだ。新たに国を訪れた旅人が…一日と経たずに国外追…放…なう…」
乞食は最後の力を振り絞ってツイートすると、今度こそ本当に息絶えました。
「ねえ、キチ?」
「なんだいヘルペス」
「どうしてあの国の人たちはニュースサイターと名乗っているんでしょう?」
「さあ…僕にはわからない。ただひとつ言えることは――」
「言えることは?」
「どんな肩書きを名乗ろうが本人達の自由だよ。本人が恥ずかしくない限りは、ね」
「単にリンクを貼るだけの人でもですか?」
「ああ。単にリンクを貼るだけの人でもだよ」
「くだらない記事や嘘丸出しの話ばかりするはた迷惑な人でもですか?」
「ああ。くだらない記事や嘘丸出しの話ばかりするはた迷惑な人でもだよ」
ヘルペスはあきれ果てた顔でため息をつきました。
「キチガイじみてますね」
「そうかもしれない。だけど僕の名前だってキチさ」
「みんなキチみたいに分かりやすい名前を名乗ればいいと思うのですが」
「そうだね。少し分かりにくい名前や肩書きの人が多いかもね。でもキチガイって本来はそういうものさ」
「だからキチなんですね」
「うん。名前や肩書きに関係なくキチはキチなのさ」
そうごちるとキチは微笑みました。
ヘルペスは背中に寒気を覚えながら、キチを背負い直し、再び歩き出しました。
終わり
最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去のHTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。
例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。
今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。
これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネットの王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。
HTMLは、表・画像・フォーム・音楽・デザイン・フレーム・動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。
もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTMLを包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。
そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。
ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界のインターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。
まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。
80年代末にティム・バナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイルを確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。
ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前のHTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLのインターネットの王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前のHTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。
このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。
『HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在のHTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。
『HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。
iモードが世界のHTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本の技術が世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本はガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人が過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。
しかしiモードは、真に日本のHTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。
iモードは、ドコモのメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れた世界のHTMLファンたちは、iモードのWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。
iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外のモバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要なリレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。
そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。
そんなiモードHTMLのバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当なディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。
正字正仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様が誕生する。
この時期、情報技術の進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様『HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。
『HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。
W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーとHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術のデザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。
この仕様『HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーとHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。
先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋の工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様『ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。
このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットでリニアな構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しのレベル分けが世界のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。
またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。
それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。
『HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様『XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。
この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業的バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3Cに還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。
そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。
その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。
M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。
2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。
しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。
その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトやモジラ・ファンデーション、オペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。
彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。
彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。
XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様『XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。
最後は、第二次ブラウザ戦争の集大成ともいえるこの仕様である。
『HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTMLの歴史というものが全部分かる。
『HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアとアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様に押し出した「オタク的ガジェット」にも満ちている。
全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。
以上、これさえ読めばHTMLを包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。
こうして見ると面白いのは、歴史的に重要な仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数の分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。
それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。
例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張に自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンのHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTMLを流行らす土壌ともなった「フラットでリニアな構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。
ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。
しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTMLを包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。
上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。
高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。
「HTMLはSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。
世界がCSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字正仮名にだ。ノジタンの日記には、HTMLの本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。
ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。
これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。
【元ネタ】
最近アニメーター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の作画(特に90年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。
例えば「金田伊功をどう思う?」と聞くと、「金田伊功って誰ですか?」という答えが返ってくる。「なかむらたかしの作画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の作画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「youtubeで流れていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。
今の若い人の間では、作画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作画ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてタイミングごと理解しようとする人はほとんどいない。
これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。作画は、もう長いこと(20世紀の遅い時期から)マイノリティの王者としてあらゆるオタクの上に君臨してきた。だから、作画を作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。
作画は、絵コンテ・演出・レイアウト・原画・動画・背景・撮影など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、作画を見ずして現代のアニメは語れないと言ってもいいくらいだ。
もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、作画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、作画を包括的・体系的にとらえることによって、現代のアニメそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、ものを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。
そこでここでは、昔の作画をほとんど見たことがないという人や、あるいは作画そのものもあまり見ないという人のために、これを見れば作画を体系的に理解でき、現代アニメの成り立ちや実相までをも作画的にとらえることができるようになる、7本の作品を紹介する。
ここで紹介する作品は、いずれも後の作画界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、作画というジャンルのありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、作画というのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、作画的に理解できるようになる。そしてそれが、アニメの作画シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。
まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、金田伊功前の作画をひとまとめにするところから始める。
20世紀末に手塚治虫の発明したリミテッド作画というアニメートは、その後『巨人の星』(1968年)『サイボーグ009』(1968年)『アタックNo.1』(1969年)などの作品で次第にそのスタイルを確立していき、東京ムービー・東映動画が一大産業として発展させた後、『タイガーマスク』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。
金田前の作画は、これ1本だけ見れば良い。この作画に、金田前の作画の全ての要素(魅力)が詰まっている。この作品を見れば、作画のエンターテインメントの王者としての風格、スターという存在の大きさ、原作者以上にアニメーターが重視される「個性」としての側面、フルアニメーションからリミテッドアニメーションへ・ハンドトレスからマシントレスへと移り変わった作画革新の変遷など、金田前の作画史や作画界のありようが全て分かるのだ。
この作画の魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『タイガーマスク』の魅力を知るには、まずは見てもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも見れば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。
『タイガーマスク』を見て驚かされるのは、現在の作画と比べても全く遜色ないところである。作られてから40年の時が経過しているが、現代人の鑑賞にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえば作画というものは、今から40年前、つまりこの『タイガーマスク』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。
『タイガーマスク』は、作画というジャンルが到達した一つの極みである。それゆえ、作画史というものは、『タイガーマスク』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られた作画で、『タイガーマスク』の影響を免れたものはないからである。
金田伊功が国内の作画史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに大きなものがある。アニオタというのは、「作画文化がアニメに影響を与えた」というと、なぜか話半分で聞いてしまうところがある。「作画のカナダ」という言葉は聞いたことがあっても、「それって作画オタが過大評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。
しかし金田伊功は、真に国内の作画史を塗り替えた人間の一人である。特に、彼の後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。
金田は、国内のメインストリームだった虫プロが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたワンサくんすぐの時期、そんな虫プロに取って代わって、国内で最も輝いていた作画人であった。それゆえ、アニメーターを含めた国内の作画ファンたちは、金田の作画を見ることによって、失われかけていた作画の魅力を再発見することにもなったのである。
金田は、没落した虫プロに変わって作画の命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。戦後の東映動画が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を受け継ぎ、後代へと引き継いだ重要なリレー走者としての役割を、作画史において担ったのである。
そして、そのバトンを受け取ったアニメーターの若き作画人たちが、1980年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、アニメスタジオは鮮やかな復興を遂げる。だから、もし金田がいなければ、作画の様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。
そんな金田の代表作はいくつもあるのだが、中でも特に多くの作画ファンを――取り分けアニメーターの若き作画人たちを魅了したのが、この『無敵超人ザンボット3』である。この作品の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたパースであろう。作画史において、これほど格調高く見事なディテールで構成されたパースは他にない。そのためこのパースは、これ以降無数に手本とされ、真似され、翻案されることとなるのである。
金田伊功の影響を受けたアニメーターの若き作画人たち――言うなれば「金田モドキ」――が頭角を現す直前のアニメーションで、作画史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の作画が誕生する。
この時期、作画技術の進歩によって、作画にもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った映像、全く違った作画体験を生み出すことに成功したのが、この作品『伝説巨神イデオン』を作画した板野一郎である。
『伝説巨神イデオン』は、作画史において最も革新的な作品の一つとなった。この作品に初めて触れた当時のアニオタたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのない映像がくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しい作画体験を、そこで味わうことになったからである。
板野の果たした一番の功績は、ミサイルとカメラワークを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えば彼は、「板野サーカス」という新しい技術の動きと、それで作画された映像が観客に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しい作画体験を生み出すことができたのである。
この作品『伝説巨神イデオン』には、そうしたテクノロジーと作画との融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、作画はここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。
先に述べた「金田モドキ」がアニメーションに復興をもたらすのは、1980年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、北海道生まれのスタジオNo.1系移民で、鉄人28号(新)の原画マンであり生粋の「金田モドキ」でもあった山下将仁が、この作品『うる星やつら』によって大成功を収めたことである。
この作品は、単に演出的に成功しただけではなく、作画的な意味においても、アニメーターの力を広くアニオタに知らしめることとなった。この作画の成功によって、アニオタの人々は、金田系作画の魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて金田系作画が作画のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように見る状況を育んでいくのである。
またこの作品は、金田系作画そのものにも大きな影響を与えた。この作品の成功に刺激を受けた才能ある若きアニメーターたちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名作画を生み出していくからである。
それらが相まって、やがてアニメーションは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『うる星やつら』なのだ。
『うる星やつら』で繁栄の足がかりを築いたアニメーションは、この作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたアニメーターも、金田モドキの一人であり、また『Gu-Guガンモ』を作った井上俊之の友人でもあった、磯光雄であった。
この作品は、史上最もエフェクト的に成功した作品となる。そのためこれ以降、この作画にならってエフェクト的成功を当て込んだ作品が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きなエフェクト的成功を収めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの爆発は、やがてちょっとハリウッドに煙でも見してやれ、さらなる発展をもたらすことにもつながった。
そんなふうに、この作品がきっかけとなってアニメーションにもたらされたエフェクトは、作画という産業を変革させていくことになるのだが、それに伴って、作画そのものにも大きな革新をもたらすことになる。
その変革も、他ならぬ磯の手によってなされた。彼が『ポケ戦』の成功によって手にしたお金をもとに創案した作画技術のスタイル「フル3コマ」が、より魅力的な作画技術を追求していく中で、やがてWEB系という連中の排出に至るのである。するとそれが、これまでの作画を一変させたのだ。
フル3コマは、作画に魅力的かつ効果的な特殊映像を、中割り不要でしかも手軽にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に個性出したがりアニメーターに広まっていった。そのため今では、フル3コマの使われていない自己主張作画を探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『ポケ戦』が作画界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。
70年代以降、繁栄を謳歌したアニメーションは、しかしその栄華の大きさゆえ、90年代に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な作品はなかなか生まれてこなくなった。
しかし、そんな時代が10年続いた90年代の末期になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代の作画人たちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。
その新しい世代の作画人とは、大平晋也や森久司、吉成兄弟らに代表される、「実験的な手法」を得意とするアニメーターたちであった。
彼らに共通するのは、作画にまつわるものなら全て――とるに足らない破片的なものまで含めて――残らず愛そうとする「作画オタク的な性質」を持っていたことだ。
彼らは、それまで見過ごされがちだった作画の些末な要素にスポットを当て、それを前面に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った作品を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として90年代の初めに登場したのが、湯浅政明だ。
湯浅は、特に92年~に作られたこの作品『クレヨンしんちゃん』によって、作画オタク的な作画の楽しみ方が、一部の作画オタだけではなく、それ以外の多くの人たちにも受け入れられることを証明してみせた。この成功が、作画オタク的なアニメーターたちにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けた末吉裕一郎や西見祥示郎といった、次世代のアニメーターたちの誕生にもつながっていったのである。
最後は、アニメーター黄金期の集大成ともいえるこの作品である。
『THE八犬伝』は、作画史においては『タイガーマスク』と同じような意味を持つ。つまり、それまでの作画の要素が全て詰まっているのだ。この作品を見れば、それ以前の作画の歴史というものが全部分かる。
『THE八犬伝』には、作画のあらゆる要素が詰まっている。ここには、『タイガーマスク』のような歴史的な作品としての「総合性」があり、『無敵超人ザンボット3』のような「パースの大胆さ」がある。『伝説巨神イデオン』のような「カメラワークと作画の融合」があり、『うる星やつら』のように「作画の魅力を全アニオタに知らしめ」た。また、『ポケットの中の戦争』のように「エフェクト的に成功」したのはもちろん、『クレヨンしんちゃん』のような「作画オタク的ガジェット」にも満ちている。
全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこの作画は、『タイガーマスク』と全く同じ意味合いを持っているのだ。作画史というものは、『THE八犬伝』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られた作画で、『THE八犬伝』の影響を免れたものはないからである。
以上、これさえ見れば作画を包括的・体系的にとらえることができる7本の作品を、制作された年代順に紹介した。
こうして見ると面白いのは、作画的に重要な作品は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「タイムシートの分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。
それから、ここに挙げた作品は、いずれも「見ることによって他の作画にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。
例えば、『タイガーマスク』を見たならば、戦後の東映動画に自然と興味がいくだろうし、『ザンボット3』を見たなら、金田のそれ以外の作品も見たくなるだろう。板野についてもそれは言えるし、『うる星やつら』を見たなら、この作画を生み出す土壌ともなった「スタジオZ」というアニメスタジオにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『ポケ戦』はエフェクトオタクになるきっかけになるだろうし、『クレヨンしんちゃん』はその他の「作画オタク的なアニメーター」の作品も見たくなるという効果を持っている。
ただし、最後に選んだ『THE八犬伝』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこの作画は、統一度があまりにも低いために、これを見た後に他の作画を見ると、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。
しかしいずれにしろ、これらの作品を見ることによって、作画をさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの作品を見ることによって、作画を包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな妨げとなるはずだ。
上に挙げた作品への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「作画を体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。
ニート時代に読んだこの本によって、「作画とは何か」ということを、ぼくはを知った。
「作画は技術の集積だ」ということが、この本を読むことでよく分かる。何気なく見ていたシーンでも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。
アニオタが金田の何に驚かされたかといえば、それはやっぱり大胆に歪まれたパースにだ。金田のパースには、作画の本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くのスタジオで多くの作画に、翻案されたり模倣されたりしたのだ。
ここでは取りあげられなかったのだが、大塚や宮崎が作画というジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた作品のいくつかは、この本に書かれていた大塚の評価を参考にしたものでは別に無い
この本を読めば、どんな作画が素晴らしく、どんな作画がそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あの大塚の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。
【元ネタ】
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980
※「伝説巨人イデオン」になってた所を「伝説巨神イデオン」に修正
※一部改訂してます
スイーツ(笑)な女の子が増えてきたせいか、私もそうだと決めつけられる。
すてきなお店でごちそうになると、決まって、ここのスイーツは有名なんだと連れてきてくれた男の人に言われてしまう。
上司だったり、取引先の人だったり、彼だったり。
お店を選ぶ理由はきまってスイーツ。
有楽町のお店まで来て、私が食べたいものはスイーツだっていうの?
すてきなディナーを楽しむのなら、やっぱりワインぐらい選んでいるお店がいい。
高い必要はないけれど、ちゃんと選んで身の丈にあった、料理に合うワインを出すお店がいい。
席に座ると、メニューが運ばれて来てどこのワインだって書いてある。
「もし、魚料理にするならこちらがいいですね」
うん、それでいい。
前菜だってちょっと気が利いたものが出てくるところがいい。
クスッと笑ってしまうようなかわいい料理だったり、ぽーっとしてしまうようなおしゃれな料理だったり。前菜はディナーコースの一番初めだから、ちょっと気を引く、なんだろうと好奇心を掻き立ててくれるものが出てくると嬉しい。
「これ、なんですか?」
「キノコの一種なんです」
へぇー。
すこしだけ会話がはずむ、ふしぎな料理が出てくると、なにが出てくるんだろうと、会話がはずんでしまう。
パンが出てくると、メインディッシュがはじまる。
ちょっとかわいいパンを選んで、噛んでみる。
胡桃が入ってる。
伝統的なパンなんです、とウェイターがにこやかに笑う。
そんなにうれしそうな顔をされると、こちらまでうれしくなる。
スープにつけてたべる。
いい匂いがすると、シーフード。
ムール貝だ。
「なんか、こういうのが出てくると地中海って感じだよね」
「けっこうスペインってシーフードなんだよ」
「ワインに合うね」
にこってなる。
「最後はパエリアだよ」
「なに?」
「うーん、シーフードの炒めご飯というの?」
そんな料理がでてくるのか。
胡桃のパンを囓る。
メインディッシュは鮭のソテー。
庶民的だけど、空腹は満たされる。
やはり料理人がいいのかな、クリームのソースがおいしくて、ついパンですくってしまう。
夢中になっていて、はしたないかもと、はっとする。
視線を上げるとにこにことされて照れてしまう。
「ここ、イカスミも有名なんだよ。
イカスミだったら、すくっちゃうな」
そうだよね。
そして、真打ち登場、仔羊のスペアリブ。
もう、おぎょうぎなんて気にせずかぶりつく。
おいしい!
こんなお店に連れてくるんだからよっぽど食いしん坊だと思われているはずだ。
だから、もう食いしん坊でなにが悪いって、骨までしゃぶる。
「ガーリックかな?」
それでおいしいのか。
ワインのおかわりがつがれる。
大きなお皿から小皿へよそってたべる。
もう、いっぱいかなあ。
けっこうたべたよ。
ウェイターが、食後のオーダーを聞く。
デザートは何ですか?
大丈夫? たべれる? だって。
大丈夫。
さいごのデザートは女の子にとっては、別腹。
だって、スイーツ、大好きだもん!
こんな、フルコースのあとのデザートはさいこー!
でも、違うの。
このデザートがいいの。
こんなすてきな食事の最後に出てくる、料理にぴったりあった、すてきなデザートが好きなの。一時間も、二時間もすてきな食事をして、その最後に出てくるデザートが好きなの。
それは、モテなかったんじゃなくて、モテてたのに付き合いが無かっただけじゃないかな。
いわゆる「モテる」連中の中には自分から積極的に行動して、告白して、成功したって奴らもいるのに、告白されたこともあるけれど好きな子じゃなかったから自分はモテないっていうのは何というか、多くを望みすぎなんじゃないかな。その条件でモテるのなんてアイドル+α程度しかいないんじゃないの?
何というか、企業して大金持ちになった大企業の社長を見て「自分なんて貧乏ですから」って言ってる裕福な地方家のニートみたいというか。
あれだよ、あなた自身が書いてるみたいに、不参加だっただけなんだよ。あなたは不参加の真打ちだったんだよ。