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はてなキーワード: 春秋時代とは

2024-10-04

anond:20241004164806

周が衰えて諸侯が争ってたのが春秋時代

諸侯のうち晋って国が魏韓趙に分裂して以降が戦国時代

そのあと諸侯の一つ秦が中華統一

秦の始皇帝が死んだ後各地で反乱がおこって秦は滅び

項羽と劉邦の楚漢戦争が起こって勝った漢が中華統一

漢は途中で簒奪されて新って国になったけど再興(前漢後漢

後漢末期に黄巾の乱が起こって漢が滅んで三国時代になる

2023-06-03

anond:20230603172851

自分戦国言うとるやないけ

春秋時代じゃないこと分かっているだろ?

2023-06-02

anond:20230602135602

でも中国史の中では春秋時代って割と人気あるほうじゃない?

三国時代>>>>>>>>>項羽と劉邦あたり>戦国春秋>>>明清>>>>>>その他諸々

 くらいじゃない?

春秋時代ブームを起こす超大作が生まれるとして、誰を主人公にしたらいいか

ハッピーエンドにしにくかったり、情報不足だったり、どの人物も一長一短?

国家未来まで考えると秦以外は最終的に滅びるし、春秋時代の秦だと穆公以外のイメージが弱いな。

だいたい宮城谷昌光氏が書いている(というか自分情報源なので他が思いつかない?)。

よさそうな宮城谷昌光作品をどこかがメディア展開してブレイクさせてくれたら、もしかしたら春秋時代ブームの夢が見れるかもね。

春秋五覇(と五覇に準じる人物

鄭荘公:情報不足?周からみたら戦場で追討軍を討ち破るほどの逆臣。

桓公:末路が惨め過ぎる。

晋文公:活躍時が高齢感情移入しにくい?

楚荘王:「俺はまだ本気出してないだけ」要素もあり、後継者も有能(短命だが)で良いと思うんだが、時代社会代表する人物とするには極端に言うと「蛮族の王」なので文句が出るのかな?

秦穆公:同時代人(晋文公)が強い。現代価値観では殉死がバッドエンドに感じられてしまう。

宋襄公:宋襄の仁()現代日本の勝てば官軍な世相では受けない。

呉王闔閭:綺麗に終わらない。

呉王夫差:完全にバッドエンド。

越王勾践:范蠡に砂を掛けられる。

家臣

晏嬰:わりと良いのでは?トホホ上司共感も呼べそう。

子産ちょっといかも?

華元:テラワロス

伍子胥主人公作品はけっこう多くて、既にアイスバーン最期悲惨

士会:楚荘王をライバルにうまくやれないか

養由基:バトル中心で行く?

ブコメから

范蠡商人への転身をどう描くか?

祭足(祭仲):鄭荘公の出てくる作品で見たはずだが記憶に残っていなかった。Wikipediaを読むとちょいワル系。死に方は悪くない。

思想家

孫武エピソード膨らませる必要がある。最期不明なので、大抵は伍子胥に食われる。

孔子:浮沈の順番が逆なら良かった?

老子:謎。完全ファンタジー不老不死テレポートあり)にして、春秋時代有名人つまみ食いにしたらいけるかも?

女性

夏姫:悲劇

西施:やっぱり悲劇


あとは詳しい人に任せた

anond:20230602135602

anond:20230602193317

戦国四君はさすがに戦国時代後期やからな。春秋時代が終わってから数百年経ってるのを一緒にするのはちょっと

2022-02-28

anond:20220228115203

楚の荘王(3年間愚かなフリをして周囲を油断させたという中国春秋時代の名君)

斉の威王(9年間愚かなフリをして周囲を油断させたという中国戦国時代の名君)

韓信若い頃は馬鹿にされており仕官しても出世しなかったが漢の大将軍に抜擢されると大活躍した)

陸遜無名のため侮られていたが夷陵の戦い劉備大軍撃破した)

織田信長うつけと言われていたが桶狭間の戦い今川大軍撃破した)

長宗我部元親(姫若子と呼ばれていたが初陣で活躍して鬼若子と呼ばれるようになった)

大石内蔵助平時凡庸昼行燈渾名されていたが赤穂浪士を率いて吉良邸討ち入りを成功させた)

もう思いつかん。

2021-01-04

神話とか故事の謎ムーヴについて

神話とか故事の由来をみてると謎の動きした結果、痛い目みたりしてて、「いや、そんなことしたら そりゃそうなるでしょ……」って事例が多いなと思った。

以下みたいな謎の動きをしてしまったせいで失敗する話があればもっと知りたい。

神話オニャンコポン

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9D%E3%83%B3/]

崩れるに決まってるだろうに。。。

臼を積み上げる建築技術はあるのに、1番下の臼を抜いたら崩れるという物理法則を知らないのはなんなの?アホなの?

天空神であるオニャンコポンは、昔は人間たちに近い位置に居た。しかしあるとき、一人の老女がヤムイモを臼と杵で搗いていた拍子に、杵をオニャンコポンにぶつけてしまった。それ以来、オニャンコポンは遠く離れてしまったという[1][8](天地分離神話)。老女はオニャンコポンに到達しようと、多くの人に臼を集めさせ、高く積み上げさせた。しかしすべて積み上げても、一つ足りなかった。そこで老女は、積んだ臼の一番下の一つを抜いて上に積むように言った。そのようにしたところ、臼の塔は崩れ、多くの人が死んでしまったという

刻舟求剣(こくしゅうきゅうけん)の意味・使い方 - 四字熟語一覧 - goo辞書

見つかるわけないだろうに。。。

落とした瞬間はとても焦っていて舟に傷をつけて判断できると思ってしまったところまでは1億歩譲って理解しよう。だがなぜ向こう岸に着くまでにいったん一息付いてるはずなのに水中に入るの?アホなの?

「舟ふねに刻きざみて剣けんを求もとむ」と読み下す。中国春秋時代、楚その人が舟で川を渡ったとき、剣を水中に落としてしまった。そこで後で探すために剣が落ちたところの船べりに印を刻み、向こう岸に着いてから、その印を刻んだところから水中に入って剣を探したが、見つからなかったという説話から

2017-03-31

暗君東西対抗

単純な失政や暴政よりはエピソード重視。

だいたい次代の奴が自己正当化のために悪く書いただけで、実際はそこまで馬鹿じゃないという話もあるので、話半分に読みましょう。

?-前771姫宮西周の第12代の王・幽王。無口無表情系の美女・褒姒の機嫌をとるために、用もないのに何度も緊急の烽火をあげ、集まってくる諸侯の軍を見ては、褒姒と一緒に笑っていた。ついに反乱が起きた時、幽王はあわてて烽火をあげたが、もはや集まる軍はなかった。これにより西周は滅んで東周が興り、そして春秋時代へと突入していく。
259-307司馬衷西晋の第2代皇帝・恵帝。先帝の御前で家臣が「あいつには玉座がもったいない」と言い放ったほどの暗愚だった。飢饉ときに「米が無いなら肉粥を食べればよいではないか」と言い放ち、かの有名な台詞を1500年くらい先取りした。その無能さ故に、代わって政治の主導権を握ろうとする皇族たちが争い「八王の乱」が起きたが、その無能さ故に殺されることはなく、48歳のときに食あたりで死んだ。
335-357苻生前秦の第2代皇帝・厲王。生まれつき隻眼だったために祖父から忌み嫌われ、たびたび鞭打たれるなど、虐待まがいに育てられた。武勇に優れていたが、残虐で酒を好んだ。宴のときには酒を飲まない者を殺したため、諸官は懸命に泥酔せねばならなかった。また隻眼のコンプレックスから「少」「無」「残」「偏」などの文字を使うだけで誅殺した。従弟たちが起こしたクーデターにより23歳で殺害された。死ぬ間際にも泥酔していたという。
463-477劉昱劉宋の第7代皇帝後廃帝。「天性好殺」と評されたシリアルキラー。従者に凶器を持たせて街を練り歩き、気に入らない者を自ら殺して回った。贈り物が好みでなかったというだけで皇太后を毒殺しようとしたが「喪に服しているあいだは街へ出られませんよ」と諌められて諦めた。一日に誰も殺さないと不機嫌になったという。有力な将軍クーデターにより14歳若さ殺害された。
502-549蕭衍南梁の初代皇帝武帝。当初は名君の誉れ高かったが、次第に仏教に傾倒していき、莫大な寄付金国庫を傾けた。なまじ優秀だったために諫言を聞かず、勝手出家してはそのたびに寺院から連れ戻された。周囲の反対を押し切って、隣国を追われた武将を受け入れたところ、即座に反逆され、凄惨な籠城戦の末に捕縛幽閉された。息子たちの誰も救援に来ない中で、惨めなうちに病死した。
1122-1161完顔亮金の皇帝。「天下の美女を妻に得たい」と嘯き、親族、家臣の妻、母娘、幼女、あらゆる美人後宮に入れ、宮殿のいたるところで乱交した。幼い姪を強姦して殺し、従弟の妻を奪おうとして死に追いやった。南宋に対して大規模な遠征を行ったところ本国で別の皇帝擁立され、それでも遠征を続けようとして部下に殺された。死後、皇帝どころか王とすら見做されず、「海陵庶人」と記録された。
1563-1620朱翊鈞明の第14代皇帝万暦帝。幼い頃から聡明で知られ「朕は5歳で字が読めた」とよく自慢していた。宰相張居正の手腕により、統治の初期は成功を収めたが、その後は外征・内乱が相次ぎ、自身酒色に溺れて堕落した。明で最も在位期間の長い皇帝だが、30年にわたって後宮引きこもり上奏があっても何の返答もしなかったため、国政は機能不全に陥った。ただし徴税だけは熱心だったという。

西

161-192コンモドゥス17ローマ皇帝暗殺未遂や側近の裏切りなどから政治への興味を失い、剣闘にのめりこんでいった。「ヘラクレス化身」を自称して狼の毛皮をまとい、実際に剣闘士としてコロッセウムで戦った。その武勇は素晴らしいものだったが、「皇帝奴隷の真似事を」とローマ市民を嘆かせた。あるとき重臣たちの粛清を図ったが、逆に毒薬を飲まされ、朦朧としたところを襲われて殺された。31歳だった。
203-222ヘリオガバルス23ローマ皇帝ローマ最高神故郷シリアの土着神に挿げ替えてその神官となり、処女を守るべきローマ巫女結婚して神の子を産もうとした。その後は離婚結婚を繰り返し、最後には女装をして男性奴隷の「妻」として振る舞った。さら宮殿の中に売春宿を作り、自ら男妾となって通りがかる男性を誘い込んだ。マゾヒストの気もあったという。近衛兵の反乱により18歳の若さで殺され、死体は切り刻まれて川に捨てられた。
937-964ヨハネ12ローマ教皇カール大帝の子孫という家柄であり、わずか18歳で教皇となった。無謀にも教皇領の拡大に乗り出して大敗を喫し、それを助けた東フランク王国オットー1世ローマ皇帝の冠を与えた。これにより神聖ローマ帝国誕生したが、教皇権威は低下することとなった。不道徳人間で、ラテラノ宮殿売春宿のようにしており、最期人妻と寝ていたところをその夫に見つかって殺されたという。27歳だった。
1012-1056ベネディクトゥス9世ローマ教皇父親の後押しにより20歳にもならないうちに教皇となる。賄賂などはもちろん、殺人もいとわず姦淫にふけり、同性愛も行っていた。従妹と結婚するために教皇位を金で売りとばしたが、すぐに後悔して復位を主張し、混乱を招いた。結果として三度も教皇に就位することになり、最後には新たな教皇により破門されてしまった。四度目の復位を画策していたときに43歳で亡くなったと言われる。
1199–1216ジョンイングランド王。幼い頃から父・ヘンリー2世に可愛がられていたが、父と争っていた兄・リチャードが優勢になると寝返りヘンリー2世失望のあまりに亡くなった。さらにリチャードが亡くなって王に即位すると、フランスフィリップ2世敵対して惨敗フランスにあった広大なイングランド領を全て喪失し、その体たらくイングランド諸侯の不満が爆発したため、やむなくマグナカルタを認めて王権制限を受け入れた。
1835-1909レオポルド2世ベルギー国王アフリカコンゴ私領とし、私財のほとんどを投じて近代化を推進したが、やがて「天然ゴム採取ノルマに達しなければ手首を切り落とす」といった残虐な労働を強いるようになった。さすがの欧州諸国もドン引きして強烈なバッシングを浴びせ、最終的にコンゴ統治ベルギー政府移管された。国民からの信頼は地に堕ち、晩年王妃や娘にまで白い目で見られたという。
1845-1886ルートヴィヒ2世バイエルン王。「狂王」とも「白鳥王」とも呼ばれる。政治への興味は薄く、戦争に負けたばかりで多額の賠償金を抱えていたにもかかわらず、借金までして自身メルヘン趣味に耽溺し、中世風の美麗な城を各地に残した。夜中にソリ遊びを始めるなど、奇行に走る王を家臣たちは危ぶみ、精神病だという理由で退位させた。その翌日、40歳で謎めいた死を遂げた。

2015-04-22

中国十大奸臣

慶父

春秋時代の魯国の公子

兄の荘公の夫人と密通し、その兄が死んだ後に自分差し置いて魯公となった甥を殺した。

代わりに立てた閔公が、慶父の弟である季友を信頼する姿勢を見せると、これも殺してしまう。

自らが魯公とならんとするも、周囲の支持を失い追放され、後に送還されて季友から弾劾され、自害した。

趙高

秦の始皇帝に愛された宦官

始皇帝が亡くなると、丞相の李斯を唆して遺言を書き換え、本来の後継であった扶蘇自害に追い込み、その弟である胡亥即位させる。

功臣を殺し、圧政を敷き、それによって反乱を招くと、李斯胡亥を弑して劉邦に内通しようとしたが、扶蘇の息子と言われる子嬰に殺された。

梁冀

後漢大将軍で、皇帝外戚として権勢を振るった。

傀儡として立てた幼い皇帝に「跋扈将軍」と揶揄され、その聡明さを恐れて毒殺した。

桓帝の代になってようやく梁冀は粛清され、一族も悉く処刑された。

没収された私財は国家租税の半分ほどもあったという。

董卓

三国志演義においても有名な暴君

武力によって専横を極め、悪政暴虐の限りを尽くした。

少帝に退位を迫って献帝を立てた。

董卓討伐の連合軍が起こったが、それを破った。

しか養子呂布に裏切られて殺された。

来俊臣

密告を奨励した唐の則天武后の下、来俊臣は犯罪者を取り調べる役に抜擢された。

凄惨拷問を編み出して、次々に無実の者を死刑台へと追いやった。

ついに来俊臣は、これまで自分がやってきたように密告され、斬罪に処された。

街に晒された死体は恨みに燃える民衆によってバラバラにされたという。

李林甫

唐の玄宗の信頼を受けて十九年も宰相を務めた。

玄宗が気に入った者や、皇太子の周囲にいる者、自分地位を脅かすような人物を次々に陥れて殺した。

死後に庶民に落とされ財産没収された。

温和な顔をして政敵を追い落とす様は「口に蜜あり腹に剣あり」「真綿に針を包むごとし」と評された。

秦檜

南宋において宰相を務め、圧力を増す金との講和を唱えると共に、反対派を弾圧した。

名将・岳飛冤罪を着せて謀殺した。

後世、岳飛が忠臣の象徴とされると、秦檜の名は売国奴代名詞となった。

岳飛廟の前には、秦檜夫婦が縄で繋がれた像が立てられ、訪れる者はそれに唾を吐きかけたという。

厳嵩

明の嘉靖帝は政治を顧みず道教に熱中し、道教祭文に通じていた厳嵩は気に入られて高位に就いた。

そのため「青詞宰相」と渾名された。

賄賂が横行する悪政を二十年に渡って行ったが、やがて勢いを失った。

同じく権勢を振るった息子が処刑されると、家財没収され、庶民に落とされた。

清廉潔白で有名な海瑞の敵役として知られる。

魏忠賢

明の宦官

皇太子乳母愛人となって後宮で影響力を持った。

東林派と反東林派の争いに乗じて権力を握り、大々的に東林派を弾圧した。

全国に間諜を放ち、自分批判するものは全て投獄して処刑した。

周囲には「九千歳」と唱和させ、自らは「尭天舜徳至聖至神」とまで名乗った。

しかし崇禎帝が即位すると罪を糾弾され、絶望して自殺した。

和珅

清の絶頂期を築いた乾隆帝も老いては耄碌し、和珅はその寵臣として長年に渡り政治壟断した。

乾隆帝が亡くなり、嘉慶帝親政を開始すると、すぐさま和珅は死を賜った。

史上最悪の貪官と呼ばれ、当時世界最大の富豪でもあった。

死後に没収された私財は国家歳入の十数年分に達したという。

2014-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20140909154322

七雄に収斂した戦国時代よりは春秋時代のほうがいいんじゃないかな。

あと二王制がそれまでどのように維持されてきたのか想像しづらいのがマイナス

友人よりも兄弟のほうがそれらしい。

2014-09-07

アベノミクス本質貧乏から搾取して金持ち厚遇する事

春秋時代の斉桓公宰相だった管仲至言「衣食足りて礼節を知る」にちなんで

貧乏人を豊かにして教養や栄辱を学んで国を下から豊かにさせていく方法議論され、国家を安定させてきた。

アベノミクスはその逆を行って経済不安を起こしている。

すなわち貧乏から搾取して金持ち厚遇しているのだ。

先人が遺した偉大で理に適った経済手法実践せずに目の前の景気不安だけを取り除こうと躍起になった挙句失敗してしまった。

来月以降には消費税10%だけでなく携帯電話自動車などにも課税を行おうとしている。

過去、重税を行った国家殆ど全てが国家機能を失い新しい王朝が立っている。

安倍政権がやろうとしている事はこれを踏襲する事であり、目の前の経済を取り払う事しかやられない。

例えば内臓の病を皮膚病の薬で治そうというのである

付け焼刃が効くのは最初だけである

安倍政権付け焼刃経済を安定させようとしているのだ。

金持ち厚遇した所で金持ち会社でいう内部留保を行う、つまり貯蓄に励むから市場に金が出回らず結果、経済破綻が生じる事は明白である

賃金上昇が急課題にあるにも拘らず何も成果が出ていない上に付け焼刃経済安定予想から今度は低所得者向けの教育支援助成金を削減して法人税引き下げを

行おうというわけだからアベノミクスますます国民疲弊させていくに違いない。

2009-11-06

政治 社会学

多分こういう話は忌避されるんだろうが

そんなことは考えないようにしよう

お上の意向に従う精神という社会学系の調査であって

先進国の中では日本断トツだという調査結果がある

調査名は忘れたけど、イギリス学者さんの調査

知りたい人はググってください

なぜか?

それは歴史を鑑みれば一目瞭然だと思う

日本は、ヨーロッパより固定化された階級主義が

徹底されている国であるからではなかろうか

士農工商が成立する以前に

その体制の地盤が既にあったから

受け入れられたわけで

ある日突然

「おまえは士で、おまえは農、商で工だ」

となったわけじゃないと思う

もしそうだとしたら何らかの反対行動が

歴史的にあったはず

(私の勉強不足かもしれないがそんなことは存じ上げない)

それは日本に限らずアジア的な考えなのかもしれない

中国だって春秋時代戦国時代ですら家系や地位でもって国を動かすという制度が成り立っていた

漢民族の統治下、唯一の例外の状元を目指して進士になり立身出世を目指すという形式ですらそれ相応の財力がなければ十分な教育を受けれない

そういった環境の中では

人民が最高権力者だという民主主義

その原理を発揮できないと思う

一概に言うのはおこがましいが

選挙率がそれを物語っているのではなかろうか

選挙にもいかず

選挙区議員にも何も言わず

政治論議が闊達なのをみると

ちょっと待てと思いそんなことを考えた

2009-06-21

何千年も前から分かりきってること

 

 春秋時代の斉の国の宰相で、晏子(? - 紀元前500年)という人が居ました。晏子は数十年にわたり斉に仕えたとても有能な宰相でしたので、時の王、斉景公は自分の娘を晏子に嫁がせたいと考えていました。

 そんなある日、斉景公は晏子の家を訪れて宴会を催しましたが、その間ずっと晏子の妻が給仕の采配をしていました。

 これを見た景公は言いました。「ああ、年老いて醜いな。それに比べて私の娘は若くて美しい。どうかね、私の娘を娶らないか?」

 これに対して晏子は答えました。「私の妻にもかつては若くて美しい時期がありました。しかし人は誰でも年をとって醜くなるものです。私の妻は年老いた時のために、若くて美しい時期を私に捧げたのです。それを年老いて醜くなったからと言って、どうして捨てることが出来ましょうか。」

http://anond.hatelabo.jp/20090621154203

2009-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20090506204641

http://gogen-allguide.com/o/oppai.html

1.「ををうまい(おおうまい)」が約まって、「おっぱい」になったとする説。

2.「お腹一杯」の「いっぱい」が転じて、「おっぱい」になったとする説。

3.中国春秋時代学者『王牌(おうぱい)』が転じて、「おっぱい」になったとする説。

4.古代朝鮮語で「吸うもの」を意味する「パイ」から、「おっぱい」になったとする説。

吸うものなんだ・・・

 
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