当時乱立していた国家群はそれぞれ様々な政治体制をとっていた。
その中に二人の王で治めるという二王制の国があったのである。
二人は元から友人でもあった。
彼らは右王・左王と名乗り手を取り合うように、お互いを補完しあってうまく統治していた。
常に信頼しあっていられるわけもない。
何がきっかけだったのかはもはやわからないが、あるときから疑心暗鬼になり、権力争いが顕著になってしまった。
せめて王・副王とでもして上下関係がはっきりしていれば不満はあれどもなんとかなったのかもしれない。
官僚達もどちらの王につけばいいのか図りかね、あっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返すばかりで仕事が進まなかった。
これのことから、翻弄される様子を「右王左王」というようになった。
いつしか漢字が置き換わり今では「右往左往」となっているが、これは上述のような中国の故事に基づくものである。
という与太話を考えたけどどうかな?
時代によってどっちが上かは変わるけど普通右と左には上限関係があるから話が成り立たないな。
七雄に収斂した戦国時代よりは春秋時代のほうがいいんじゃないかな。 あと二王制がそれまでどのように維持されてきたのか想像しづらいのがマイナス。 友人よりも兄弟のほうがそれら...