はてなキーワード: 攻殻とは
いや成立してないよ。
おまえは「誰もが認める名作」というタイトルよりも「攻殻・AKIRA・沙耶の唄」というセレクションのほうを重視して元増田の真意を忖度しているだけ。
耳に残るフレーズは評価されるよ。逆に言うと耳に残らないけど専門家には評価されているクラシック曲とかは「攻殻・AKIRA」扱いだろうね。
「最新テクノロジーのフィクションへの導入」という観点で作品をジャッジすると、SAOの劇場版の方が『ひるね姫』より全然よかったと思うんだよな。『ひるね姫』のタブレットとSNS関連の描写にしろ、車の自動運転にしろ、なんかこー、表層的というか。日経ビジネスのIT特集とか一生懸命読んでる人の精一杯の想像力って感じ。
もともと俺、神山健治のそのへんへの取り組みって、攻殻SACの「笑い男」以降、まったく冴えてないと思ってるのだが。『東のエデン』で描かれたITベンチャーとかネットの描写って、あの段階でかなり古かったわけで。
まあ、SAOの現実とフィクションの重ね合わせがとても魅力的だったのは、俺が東京住みで、どこもかしこも複数回行ったことのある場所だったことによるバイアスもあるのかもしれんけども。
正直役者は素晴らしいと思ったし、スカヨハは素子にぴったりだった。
なんで素子が白人なんだよみたいなこと言ってるやつがいることにはホントびっくり。
たけしが良くないみたいなこと言ってる人も多いけど、別にあれはあれでありだと思う。
荒巻が頭脳派じゃなきゃいけないなんてことはないと思うし。ただ日本語を喋る人がいるなら他のメンツも外国語喋ってていいとは思ったけど。
CGの景色も最高だったね。見た目はぜんぜん違うのに攻殻の精神を感じた。見せ方もすごい綺麗だったし。
記憶の真偽が定かでない中で何が自分を自分たらしめるのか→答え:ゴースト
っていう問いと答えがすごいシンプルなテーマでわかりやすいのは良かった。
だったらラストが本当の過去の記憶がわかってよかったねハッピーエンドじゃあおかしいでしょ。
母親が私を見るときの目が似てるみたいなゴーストを想起させるような話はあったけどそれも結局記憶に基づくものだし。
記憶じゃなくてゴーストだっていうのをもっとやってほしかったな。
あと気に入らなかったのは
・芸者ロボが豹変して人を襲うっていうのが怖いのになぜか武装集団が出てくること
・人の心でネットワークってなにそれってなった
むっちゃよかった
誰だよ金かかってるだけとか言ってたヤツ
攻殻機動隊知らない人が見たらあれかもだが
攻殻っぽいギミックとアクションだけ豪華にみせときゃいいんでしょ、みたいのとは全然違った
シナリオが押井と神山から(アライズはみてないからわからない)いろんな要素とシーン持ってきて初見でもわかりやすいようなオリジナル加えてうまく料理してあるしテンポもよかった
少佐とバトーの関係も見てて気持ちいい(ファックサインとかボートのやりとりとか)
あとバトーの犬とかコンピューターの丸いインターフェースとか細かいところもよくできてたし
ネオサイタマレベルのやりすぎネオン風景とシャフトアニメみたいな謎建物空間の対比も面白かった
###残念だったところ
▪社長。アホなので出てくると画面がアホになる
▪武の滑舌
俺は2が最も好きなんだけど、「1は良いけど2は何かね…」という感想ばかりでいと悲し。複雑な構成が敬遠されてるんだろうけど、少しずつ紐解いていけば、正に士郎正宗の集大成と言える濃密な世界観が展開されてる事に気付くと思うのだけどなあ…
アニメから入った人にとっては公安9課こそが攻殻で、ほぼ素子1人で話が進んでいく2には、「こんなの攻殻じゃない!」って思ってしまうのかもなあ。実際そういう人は紅殻のパンドラにも満足していないようだし。
様々な解釈を受け容れられる間口の広さは、攻殻の1つの特徴でもある訳で、アニメガーとか原作ガーとか言わず全部楽しむのが1番良いのではないでしょうか。
それにしてもアップルシード5巻はまだかのぅ…
日本語に訳された(この場合はカタカナ英語のまま導入だけど)際に、元の意味(女性で主役)ではなく、日本的な概念で意味合いを変えた単語の典型じゃないの。
ホステスも同様。
まだ時折、
女は添え物、男主人公の性的よさを引き立てるアイテム(女性にモテるくらいいい男であるって描写の為)、あるいは男性主人公へのご褒美、みたいな扱い多いから。
アニメラノベなんかだと、男主人公に気のある美少女キャラは何人いてもみんな「ヒロイン」呼称だからね。元の英語の意味とちゃうw
尤も、そのアニメラノベですら、漢気ある「ヒロイン」キャラが活躍する作品は昨今枚挙にいとまがないけどね。攻殻を例にするまでもなく。
洋画はあんま見ないからアレだけど、たとえば「オズの魔法使い」はドロシーはヒロインだけど立派に主役だし、
「ベロニカは死ぬことにした」(映画は観てない、原作読んだだけでスマンが)も、恋愛こそ絡むがヒロインはきちんと女主人公として物語をひっぱってったし。
もう少し少年兵をバカなDQNとして描いてくればよかったんだけど....
まあ脚本家のIQや見識がそのまま作成キャラクターに乗っかるのが創作物だからしかたねーか。
大卒やそれに類する訓練を受けた文筆業のお偉い先生個人がトータルでやるんじゃなくて、キャラクターごとに性別や文系理系はもちろんエリートからたたき上げの高卒、DQNに至るまで、そのキャラクターが吐くセリフを日常的に使ってる奴を捕まえてきて、キャラクターの会話や行動まで担当させるというかロールプレイさせてそれを元に作り上げてくみたいな。
いくら創作物の骨子になる脚本というかお話の流れが、きちんとつじつまが合って伏線もきっちりひろって、エンディングを迎えたときにあらゆる回答が用意されてる完璧なものだとしても、それをつむぐキャラクターのパーソナリティが全員が全員脚本の先生と一致してて、先生のごっこ遊びが透けて見えるんじゃあお話になりませんって。
たとえばゲームのモーションキャプチャという技術がありますが、これはゲーム機の画面表示チップが2DのVDPから3DのGPUに変わったあたりで登場した技術です。
それまで職人とかもてはやされたグラフィッカーの方々が漫画的に描いたイラストを元にアニメーション作っていったのを、プロの格闘家やダンサーを呼んで実際の空間の中の動き~モーション~を取り込んで作るようになった。
これでキャラクターの動きがより滑らかになったり実際の動きに近いものが表現できるようになり、ゲーム版のアイマスや先日まで放送されてたトライブクルクルは、より人の動きの美味しいことを取り込むことができて、過去の似たような作品より一段上の表現が可能になった。
独りでやってたときは個人個人の癖とか色が如実にでてしまって、嘘くさい動きになったりどのキャラも似たり寄ったりになってたところに、一般性が持ち込まれたというかより自然になったというか。
2D時代は個人でやってた作業を複数人で大掛かりな機械を使ってやることになり、設備も人員も作業工程も爆発的に増えてコストが跳ね上がったことですけども。
脚本のほうでも似たような手法は取れるんじゃないかと思ってさ。
多数の人間を募って、考え方や行動のサンプルをとって、それをもとに複数人の人間でブレストかけていったら、主役とヒロインと犯人が会話してるのに、なぜかどっかのブロガーの独り言みたいに聞こえるようなこともなくなるんじゃないかと。
実際、攻殻SACでは毎回の脚本一本一本に対し、激しいブレストをやったという話じゃないですか。
実際のキャラクターのサンプルになるような人を呼んで、その人の人間像を元にしたとかまではやらなかったみたいですけども。
というわけで、そろそろ監督や脚本、キャラクターの内面作成ののクレジットに『チーム○○』とか『○○組』とかいう専門集団の名前がでてきてもいいころじゃないのかなと思ってさ。
ところで、今期のガンダムはとても面白く無条件に肯定してます。
とてもここ10数年の地上波ガンダムシリーズにあっていい作品とは思えないくらい。
どっちかというとファフナーみたいで最高に好みです。
GATEがに対する批判が多数ありますね。ぼくも低レベルな作品だと思います。
ただ、アホアホな作品なんて昔から山ほどあるし、そんなに目くじら立てなくたっていいんじゃないか?と思う。
アホな消費者がいる以上、その層に向けたアホな作品は必要なんだよ。
嫌なら観なきゃいい。アホ向けじゃない作品だけ楽しめばいいじゃないか。
あとさ、「特異な設定」をうまく描けている作品ってあんまりないよね。
完璧にシミュレーションするのは難しいだろうけど、それにしても酷い作品が多過ぎる。
GATEだって設定自体は悪くないんだから、ちゃんと緻密にリアルに描けば尺も稼げるし凄く豊かな作品に出来るはず。
なのに面倒くさいのか想像力が無いのか、ほとんどの起こりうるプロセスをすっ飛ばして、すぐに普通の人間同士の関係みたいになっちゃってる。
その辺を凄く上手く描いた作品で思い付くのはオリジナルの『猿の惑星』です。
テセウスの船問題というのがあると思う。部品を1つずつ取り替えていって、全部取り替えてしまったらそれの同一性はどうなるかという問題だ。人間の細胞も一定の期間でほとんど入れ替わってしまうらしいので一種のテセウスの船問題を抱えていると言える。
しかし、この時取り替えられて用済みになった部品に関する言及があまりないように思う。つまり、取り外した部品「だけ」を集めれば「古い」が「より正しい」同一性が生まれるのではないかということ。
人間でいうと、Aさんが義足、義眼、次々とパーツを取り替えていく。攻殻のようにね。で、脳までコピーして取り替えてしまう。で、完全に機械の体を手にする。またこの時、取り外した生身のパーツをすべて保存してあったとする。生身のパーツを外科手術的に組み立て、元の人間にしてしまったら、機械の塊であるAさんとそもそものパーツの集合であるAさんのどっちがAさんらしいかというと後者なんじゃね?……ってなる。
自己の同一性で言えば、記憶が連続しているアンドロイドのAさんなんだろうけど、物質的には一旦バラバラにされたAさんの方が本物に近い。