はてなキーワード: 幕府とは
スラッシュキル 俺はサムライこの先行く手に待ち受けるものはなんだ
空にサンライズ でもマジ暗い
なら俺がぶったぎろう この先を切り裂き
とめどない自殺者 誰もみないや
助けてやろうや それが武士の心だ
俺は勇敢だ 悪に立ち向かう
金と権力その他諸々
お前ら何してンだ それが実力か
まずは一階 軽く蹴散らす
これで終わりかい?
スラッシュキル 俺はサムライこの先行く手に待ち受けるものはなんだ
話を現代に戻す
差別はまだ消えぬ
レイシストマジ消えろ
国も国だ マジなんなんだ
下への格差は埋まってねえ 俺は助けてえ貧民を
恐怖を断ち切る 悪は全てKILL
今俺はここにいる それが全てを物語る
ダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュ…
いまでも「江戸時代って政治は行き詰まってずっと財政難で一揆とかもあったけど何だかんだで太平だったよね」という路線やろ。
鎖国したおかげで日本独自の町人文化が栄えたけど、でもそのぶん産業革命以降の外国の進歩についていけなかったよねっていう。
要するに近年の「ガラパゴス化」「パラダイス鎖国」と同じ論調。
そんで、太平洋戦争に対して「鎖国したままのほうが良かったんじゃね?」というのは論点やないやろ。
だって幕府は開国したんやし、強硬な鎖国派だった薩長ものちに開国派に転じてるんやからさ。
太郎乙も漢語・英語・蘭語を使えたので、幕府の洋学校教授や外国奉行などを歴任した。
1869年(明治2年)、イギリスのヴィクトリア女王の次男であるエディンバラ公アルフレッドの来日が決まったとき、
各藩から英語が出来る人物が呼ばれて接待係に任じられたが、静岡藩からは太郎乙が選ばれた。
その折、薩摩藩の軍楽隊を指導するために来日していた軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンから、
「歓迎の式典では国歌を流さなければならないが日本の国歌は何か」との問い合わせがあった。
接待係たちは国歌などというものを聞いたことがなかったので、どうすべきか政府上層部に問い合わせたところ、
「その程度のことでいちいち問い合わせてくるな、そういう問題を何とかするためにおまえらを呼んだんだろ」
そのときに太郎乙が「もう古歌のなかから適当に選定すればいいんじゃね」と、
徳川将軍家が毎年の正月に行っていた「おさざれ石の儀式」で歌う、
という古歌を推薦した。
これが採用されて、そこにフェントンが作曲したメロディが付けられた。
つまり乙骨太郎乙は国歌「君が代」の生みの親と言っても過言ではないのである。
ただし諸説あり。
室町時代のお殿様=守護大名は基本的に幕府で、つまり京都で勤務するのが普通なので在宅勤務では無い
国を実際に統治してるのは守護代という守護大名の補佐役みたいな人がやってた
守護代は基本的に守護大名の家とは違う家がやってて、両国の管理は基本的に守護代やその部下の国人とか言われる上級武士の役割だったので守護不在の間に守護代や国人に国が乗っ取られることが多くなる(この辺で応仁の乱が起こる。応仁の乱が不完全燃焼で終わったのは戦ってた大名が自分の国を乗っ取られて戦争どころじゃなくなったから)
その後守護vs守護代、国人などの新興勢力の戦いが各地で起こる(戦国時代の始まり)が大体新興勢力が勝つ。この辺で長尾(上杉謙信)、織田、北条、朝倉、毛利、尼子とかが出てくる
でコイツらは室町の言うこと聞かないので勝手に戦争する(戦国時代中期)
大名達が自国に引きこもって幕府の言うこと聞かなくなるのも困るけど幕府に閉じ込めてもっと言うこと聞かない奴らが出てきても困るから参勤交代とか言う3年幕府、3年自国という制度が作られた