はてなキーワード: ボンボンとは
西新宿にある就職・転職サービス運営の会社で似たような嫌な面接を新卒採用の時に受けた。
いまは会長職に退いてるけど、当時は社長のO氏から不快なことを言われた。
業界3位くらいだけど勢いあって、若手の仕事内容紹介でもハードワークなのを隠さず出していて、
なかなかいいなぁと思って選考受けて、社長との最終面接でモラルのかけらもないことを言われた。
中学から大学まで附属校で進学しているのを見て「ボンボン」とか「おぼっちゃまだな」と揶揄され、
父親の勤務先がマスコミなのを見て、「いいところに勤めてるじゃないか、コネで入れてもらえないのか?」と言い、
自宅の住所を見て、「うち(会社の所在地)の近所じゃないか?いいところに住んでるなぁ、ホントお坊ちゃまだな」と馬鹿にする。
増田みたいな、環境に恵まれまくって教育投資ぶっこまれまくった人間が普通の街医者とか勤務医とかになって特に何か変革を起こすわけでもなく既存のシステムの中で適応して一生を終えていくのってすげー損失だよなって思う。
でも研究の仕事とかしてみて思うのは、新しいものを産み出すのは頭が良いだけじゃできない何か別の要素がある気がするってこと。もちろん頭の良さは必須だし良ければ良いほどいいんだけど、頭がそれほど良くなくても凄いものを産み出す人もいる。
その要素は、アインシュタインが言うように情熱とか妄執みたいなものでもあると思うし(確かにボンボンは生まれた時から全てが満たされているせいか、情熱に欠けるケースは結構多い気がする)、またもう少し別の何かもあると思う。
最近というか、ここ3年夜の遊びを覚えていて、メンへらによく出会うのだけれど。彼等もつらいんだろうなあって思う。
普通の話なんだけど、でも、確実に苦しんではいるんだろうなって。
だって、あんまり想像がつかないんだよね。どういう過程でそうなるんだろうって。
もちろん、俺はボンボンだから正直分からないんだけど、世の中いろんな悩みがあるんだろうって思うんだけど。
ダウン症とか知的障碍者の家庭とかが想像がつかないみたいなイメージ。
でも、夜の世界で遊んでいるとそういう人たちにしばしば会う。
ダウン症の人ってあんまり出会わないんだけど、でもどこかで生活してるんだろうなあと思う。俺らの世界とは余り接点が無いようになってんだろうなーと。
でも夜の世界はそういう感じのアル意味別次元の人と対等に付き合う感じになる。
もちろん金と商売とっていうくくりで縛られてるから嘘の関係ってのはもちろんなんだけど。
話していると、明らかにADHDとか、軽度知的障害、リストカットしまくりのボーダーみたいなのが多い。
苦しんでいるんだよなあ。って思うけど。女だから結構かわいいから大丈夫なのかなあってのも思う。
こういうかわいそう系の娘達も、イケメンとかがちゃんとやり捨てだろうけど囲ってあげてそれはそれで幸せな世界なんだろうなあって思う。
そこに金と嘘で入らせてもらうってのは、なんかゴミアサリみたいなもんなんだろうけどさ。
なるほど自分はゴミアサリする感じになったのかーっていう感慨があるし。そういうのになると、普段出会わないメンへら達と同じ世界に来た気分になる。
でも、動物園みたいなもので、本物の野生動物の世界とは違うんだろうね。
メンへら達の世界ってのはそれはそれで野生なんだろうなあ、想像がつかないほど。
金払ってるのに口説くなんてアホなことはしないけど、なんかそっち系のメンへら話をしてほしいなあって思うけど。
ってか、同じメンへらならギャル系はたいていメンへらだから、明るいギャル系のメンへらとお近づきになりたいなあ。って最近思う。
メンへらってのも大変だな。
自分で答え言ってるよね。中年はCDを買わないから、中年は有線ラジオにリクエストを出さないから、これが答え。
相手を支配し、コントロールしてくるようなモラハラは普通ではないし、優しさとは相手の目の前で、相手の作った料理を捨てる事ではありません。はっきりと指摘してくれることは良いことですが、そこに優しさがなければ意味がありません。
また、会話が全く弾まないというのも問題です。異性ですので付き合い始めは大丈夫でしょうが、人間的に相性があわなければ、このまま関係を続けていくのは非常に大きなストレスを伴ってきます。現に、会った後は気を使いすぎて、いつも抜け殻みたいになっていたではありませんか。相手の上にたちたいがためのアドバイスは愛ではなく、ただただ自尊心をみたすためのオナニーです。嫌悪しましょう。相手は金持ちのボンボンで、ただのレイシストです。自分を過大評価して他者を見下しています。裏を返すと自分に何もないという自信のなさの表れなので、気にしないでおきましょう。
今は「彼よりかっこいい人はいない」と思いこんで執着していますが、そんなことはありません。優しさを信条に、己を磨いていればふっと湧いて出てきます。その時まで、今コンプレックスに思っていることを解消する努力が必要です。
人の目から解放された時の自尊心の強さはいいものです。好きな服を着て、好きな仕事について、好きな事に没頭でき、評価を自分自身の価値観でありのまま受け入れられます。
「相手にふさわしくないから・・」
「相手はこういうことする子、嫌いだから・・」
とか、考えなくてもいいのです。ショートヘアーにもできるし、すっぴんですごしてもいいのです。すばらしいですね。
今、私は「相手を見返したい」という動機から「キレイにならなければ」と思っていますが、そんな義務感ではやる気が湧いてきませんよね。心の奥底から、誰にも影響されていない純粋な欲望「優しくてキレイで澄んだ女性になりたい」という動機にしたがってだと、やる気が湧いてきますよね。
引っ越しだって、就職だって、なりたい自分があるからやる気がでるのです。自分の心に正直に、相手の目から解放されましょう。
いつか読んだ児童書の「スターガール」の主人公、すっごくキュートで輝いていましたよね。パートナーを見つける前に、そういうピュアな自分に立ち返ってみましょう。
ぶぶーw例えば小学校のテストごときで満点も取れないやつだってたくさんいるし、公立なら学年に何人も50点も取れない奴がいるのがふつうですよねーw
そういう人たちって勉強すれば上位に行けるかって言うと、行けないんですよーwなんでだろうねーw
それと同じように、普通に仕事してたり、まじめに勉強に取り組んだからといって無能から有能になるとはかぎりませーんw
お金持ちのボンボンにとってはネットにつながらなければそういう存在が見えないからそういうこと言えちゃうんだろうねーw無能はとっくに間引かれてるからねーw
されていて、笑ってしまった。
[とんかつQ&A「今だから抑えておきたいジャパニーズHIPHOPの歴史【入門編】」](http://blog.goope.jp/?eid=402)
アメリカで盛り上がるHIPHOP音楽の熱量に触れ、日本でHIPHOPをしようと動いた最初期のアーティストには、MAZZ&PMX、BUDDHA BRAND、Krush Posseなどが挙げられるんよ。
ラップ/HIPHOPの最・最初期のチャレンジャーとして名前すら上げてもらえないのは、何か理由があるんだろう。それが知りたいもんだ。
「いとうとか近田は単にファッションとしてとらえていただけ、そこに流れる精神を理解していたわけではない」という評価にしたいのだとしても、名前くらいあがっていてもいいんじゃないの?
日本には日本のラップがある、って言いたいようだが、本場でもがいてきたから本物、みたいな選別基準があるとしたら、自分が批判している為末と同じポジションになってしまう。
先週くらいの『ニッポン戦後サブカルチャー史』でいとうせいこうのラップを見て風間俊介が、「今とまったく同じですね」みたいなことを言ってたけど、
この人たちが最初に手をつけてたんで、
「ふーん」「そうなんだ」で済んでしまうことが、なんか許せない。
ただ、無視される人には無視される理由っていうものがあるんだよな、きっと。
好きでも嫌いでもない、むしろ嫌いな、藤原ヒロシやいとうせいこうのことで、こんなにムキになる自分もどうにかしているが。
【追記】
スネークマンショーについてはすでにトラックバックで指摘受けてます。この系統では小林克也の「うわさのカム・トゥ・ハワイ 」なんかもありましたね。
あと、近田春夫氏の"Hoo! Ei! Ho!"は、今日のダンス規制法解禁が議論されている折、もう一度見直されても良いものかと。それこそリスペクトすべきでは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/Hoo!_Ei!_Ho! (Wikipedia)
【追記2】
いろいろヒントをもらったけど
「その一曲がアートフォームとしてHIPHOPであっても、自身が自身を B-BOY だと思ってるかどうかで分けてるのかなと。いとうせいこうは偉大だけど、多才過ぎて「色々やってるなかの一つ」感は否めなく。」
ただ、飽きたので辞めたと言っている近田春夫もそうだけど、当時はガチでやってた事実が現在に伝わっていないような気がするのは気の毒。
でも、彼らも藤原ヒロシも(さらに桑原茂一やヤン富田も入れとく?)も、多才過ぎて、ご本人たちは特に過去のことなんかこだわっていないんだろうな。
【おまけ】
10年も前に同じようなやりとり(?)があったことを今知った。
http://mimizun.com/log/2ch/hiphop/1073978976/
「ストリートにいた方が代表」とか「金持っている人に対するトゲ」とか、
「藤原ヒロシさんのことは悪く思ってないよ。 あの人だけは俺らの視線にまで降りてきてくれる人だったし。いいとこのボンボンだけどな。」とか、刺激的で面白い。
オレが大学1年の時に知り合った、医学部一年生のA。Aの家は貧乏で、親に迷惑をかけないために大学の学費・生活費全てを奨学金でまかなってた。
口を開けば「医学部は金持ちのボンボンばっかり」「親の金で車買いやがって」「これだから金持ちは」っていう典型的な「金持ちアレルギー」。
彼女からもらったプレゼントを見て「こんな高いものをくれるなんて、アイツの家は金持ちに違いない!」とかいうやつだった(それは彼女が一年バイトしてコツコツ貯めて買った物だったが)。
話を聞くと、どうやらAの親もそう言っていたらしい。Aの親戚皆貧乏で、医者になるというAはほとんど突然変異な存在だった。
オレはふと思った。「貧乏な家で育ったコイツが、医者になって金持ちになったどうなるんだろう?」
興味があったので、自分が4年生大学を卒業して就職してからもちょくちょく連絡をとってAが医者になるのを待っていた。
医者になって2ヶ月目のAに久々に再開した時は笑ってしまった。
大学時代、共に何度も訪れた居酒屋に現れたAは開口一番こう言った。「なんでこんなクソみたいな安居酒屋なの?」
「貧乏人が来るような店とか腹立つよなー。全部潰れりゃいいのに」
「あ、そういや先々週借りたDVD返してなかったわ。まーいいかw」
「俺らも大学生じゃないんだし、量より質で食うもの選ばないとw」
人ってここまで変わるんだなぁと思いながらAの話を聞いていた。
お金持ちになるにつれ少しずつ変わるんじゃない。「お金持ちになった瞬間」、お金持ちに変わるのだ。
話を聞きながらAの見下す「貧乏人」にオレやAの親が入ることについてどう思っているんだろう?と思った。まあ、オレはいつの日か縁を切られるんだろう。
しかし、「お金持ちの金の使い方」に関して偏見を持っているAの親は、「お金持ちの金の使い方」をするようになったAに対してどういう反応をするんだろうか?