はてなキーワード: ジャンボ宝くじとは
同売り場の当せんで、宇部の“億当せん”は6年連続に。その記録のはじまりは、2009年、年末ジャンボの1等・前後賞合わせて3億円が2組当せんした『宇部琴芝チャンスセンター』だった。同売り場は、35年の歴史があるが、2009年までの当せん金の最高額は1000万円。
売り場担当の亀山賢次さんは次のように振り返る。 「やっと億当せんが出たと思ったら、一気に2組ですからね。こんな小さな町で、しかも同じ売り場から億当せんが2組も出たんですから、本当に珍しいことです」
その後も、2010年と2011年の年末ジャンボで1等・前後賞合わせて3億円が出たほか、2012年のドリームジャンボでも1等・前後賞合わせて1億1000万円が当せん。まさかの4年連続で億当せんを出し、“奇跡の売り場”として北海道や沖縄など全国各地から買いに来る人もいたほど。
『宇部琴芝チャンスセンター』のバトンを引き継ぎ、翌年(2013年)、宇部市内の“5年連続億当せん”を実現させたのが、『宇部メルクスチャンスセンター』だ。 売り場の外観をイエローゴールドに改装した直後の、2013年の年末ジャンボで1等・前後賞合わせて7億円が当せんした。
前出の亀山さんは、「普段宝くじに興味のないかたでも、“これだけ宇部で当せんが続いているんだから、私も買わなくちゃ”と興奮気味に売り場を訪れる人も多くいますね」と言う。
https://www.news-postseven.com/archives/20140622_262128.html?DETAIL
といってもただお金を貯めるのではなくて、
マイルールに従ってこつこつと貯めて気づいたらちょっとした贅沢ができるお金が貯まってて幸せ、という感じ。
ちょっとした達成感が味わえるのがいいのかもしれない。
なるべくお札で支払って、お釣りのうちの500円玉を貯金箱へ。ある程度貯まったら銀行口座へ。
最近は小銭の預け入れに手数料がかかるようになってしまったのであまりおすすめできない。
ピン札を受け取ったらお札専用の貯金箱へ。100均で売ってる。
もうすぐはじめての貯金箱が満杯になる。10万は超えてるはず。開けるのが楽しみ。
必ずお釣りがピン札の店があり、うれしいような家計圧迫されて苦しいような複雑な心境になる。
ジャンボ宝くじを毎回買ってるんだけど、買った同額を貯金に回してる。3千円×年5回。
倍額の貯金できてた計算だけどそこは気にしない。夢を買ってる。
残業代はすべて貯金に。しかし働き方改革とやらでほとんど増えなくなった。残業したい。
〇〇したら××円貯金、系は過去に何度か試したがいずれも挫折。
忘れてしまったり面倒くさくなったり向いてないらしい。
増田に便乗するけど
俺の今まで出会った80歳以上は現役率0%でみんな持病抱えるから毎日薬うちこんで走るポンコツか
自分で歩けないし自分のことさえ忘れた寝たきり痴呆症ばっかだぞ
彼らの見せる笑顔は、乾いた笑いと諦めに満ちている
だが彼らは老人の中でも「選ばれた人」だ
今エリートでない君が、老人になってエリートになれる確証はどこにある?
孤独死は君にとって無関係ではなく、君の未来の予測範囲内にある
何が悲しいって、彼らは「長生き=幸せ、正しい」と洗脳されきっているので、
死の準備もできないし、綺麗に逝くことも、自分から選択できない
今、若い君たちは全く実感がないと思うが長生きすれば老いという問題と100%向き合う必要がでてくる
それよりもジャンボ宝くじを当てることに集中してくれ
死を受け入れられない、受け入れる準備ができない洗脳は本人も不幸だし、周りも不幸になる
尊厳死が未だに認められない
現時点で超少子高齢化社会になるのが確定している日本だが未だに尊厳死が取り入れられる気配がない
癌になっても不治の病になっても寝たきりになっても認知症になっても
本人自ら死を選択できない、したいと思わせない世の中になっている
また、それを支持することも許されない社会になっている
これは全て医療関係者が作り出した社会であり日本の超高齢化社会は日本医療が作り出した社会といっても過言ではない
もはや組織的な点から日本医療と日本政府の健全化を求めていくのは難しい
ごく当たり前の希望だ
正しい希望でもある
これを捻じ曲げてきたのが長生きこそが唯一の正解であるという洗脳教育だ
それは死を受け入れさせないようにするためにある
これから我々がしなければいけないのは信仰に頼らずいかにして死の準備をするか
http://anond.hatelabo.jp/20150308205916
やあ!この記事を見る君たち!
恋愛術とかゴミだ!テクニックじゃない!心と心でぶつかっていくんだ!
ネットは性交、じゃなくて成功体験ばっかりだ!じゃあ失敗体験はどうだ?全然ない!
隠ぺいじゃないよ!隠ぺいじゃない!全然ライン際を攻めてない!
おまんこの奥に恋愛スイッチがあるんだ!ハメハメできればそれでいいでしょ?パンがなければクッキー理論!!
だから、オチンポに答えを聞け!やりたい!誰でもいい!デブス、メンヘラ、シンママ!
アプローチ!アプローチ!アプローチ!アプローチ!アプローチ!アプローチンチンビロビロバー!
以上だお
コストパフォーマンスだけを考えると結局のところ娯楽に金を使うだけ無駄だし、おいしい料理とか考えずに小麦粉とサプリメントだけで生きたほうが良い。
さて、俺自身は宝くじの業務に間接的に関わっているので、ここから先は眉に唾つけてから読んでほしいのだけれど、宝くじは本当に買うべきじゃないのかということを擁護していきたい。
そもそも宝くじを何のために買うのか。
これは、宝くじ購入者が言うように『夢を買っている』ので間違いないと思う。もうちょっと具体的に表現すると、『当選発表までのワクワク感を買っている』ということになる。
買ってしまえばあとは当選発表を待つばかり。今年の年末ジャンボだと12月13日に発売し、31日に当選発表するので、だいたい2週間ちょっとワクワク感が持つ。『もしも数億円と言わずとも数百万当たったら』という自分の中だけのワクワク感もあるし、知り合いとの会話のネタにもなる。
ワクワク期間が長すぎるならばロト6やナンバーズを買えば数日で当選発表される。競馬ならば馬券を買ってから馬が走るまで。ぱちんこならば4円の玉が穴に入ってスロットが当たるまでの数十秒間。
言い換えると、基本的にギャンブルというのは「当たるまでのワクワク感を買ってる」ということになる。これが無駄と思うか有意義と思うかは人によって異なると思う。
移動だけ考えるならばジェットコースターは始点と終点が同じなので全く無意味だし、映画なんて2時間も椅子に座らされる。しかし、ジェットコースターの爽快感とか、感動的な映画での号泣とか、そういうのをストレス解消や人生の楽しみにする人は多い。
なので、そもそも娯楽に対してコストパフォーマンス云々を言うのは全く持ってナンセンスだと思っている。
ここからは、個人的に「宝くじ買ったほうがいいんじゃないの?」と思える点。冒頭にも書いたけど、宝くじの業務に間接的に関わってるので、眉に唾つけて読むように。
ポイントは2つ。1つはランダムであること。もう1つは当選発表までの期間が長いということ。
最初のポイントは、『完全にランダムである』という部分。バラと連番という違いはあったとしても、自分で番号を選ぶことができない。これが良い。
というのも、外れた時の原因が『運が悪かったから』になるから。当選率の高い宝くじ売り場に行くとか、黄色い財布に入れておくとか、そういうゲン担ぎはあったとしても、結局は運になる。そもそも宝くじにおいてのゲン担ぎなんて、夏祭りに浴衣着るのと同じぐらいの気分を盛り上げるための手段だし。
競馬やぱちんこといったギャンブルになると、技能やセンスに依存する割合が若干増える。言い換えると、「馬の状態を勉強すれば当たる確率が上がる」とか「釘や設定の見極めをできるようになれば当たる確率が上がる」ということでもある。
こうなると、負けた時は運だけでなく実力も問題となる。自分に実力があればもっと稼げたはずだという思いが強くなってしまう。そうなると射幸心を煽られて、結果的にギャンブル狂になってしまう。
ところが宝くじの場合は運が悪かったからで終わらせることができるので無害。運以外の要素が絡まないからこそ、純粋に運のせいにできるので、自分自身を呪うことなく「残念だったね」で終わらせられる。
もう1つのポイントは当選発表までの時間が長いということ。冒頭でも書いたけど、長ければ長いほどワクワク感を持続させられる。
一度購入したらあとはワクワクを心に秘めながら生きるだけ。映画や遊園地といった娯楽は長くて数時間で終わってしまう。旅行は実施までの期間は長いものの準備が必要となる。宝くじは何も考えずに待つだけで良い。
仕事や子育てや学校が忙しくなったとしても、何も準備する必要が無い。買ってしまえばあとはワクワクし続けるだけで良い。たった数千円で当選まで2週間楽しむことができる。
また、ジャンボ宝くじは年に数回のため、競馬やぱちんこといったギャンブルと比べて、『アツくなってすぐにもっと使いたくなる』ということが無いのも大きい。「くそぅ! 次はもっと当てるように頑張る!!」と思っても、次が来るのは数か月後だから、だいぶ熱が冷めている。
他にも、「収益金の一部が公共事業に使われる」とかあったけど、その辺は人によって好みが分かれるんで割愛。
そんなわけで、たった数千円で当選発表までの2週間以上を心のどこかでワクワクし続けられるのが宝くじ。「そんなの儲からないよ」と冷めた目で見るのも別にいいけど、試しに1セットだけ購入して、こっそりとワクワク感を秘めながら生きるのも悪くないと思う。
母「ずっと昔から『遺産の類いは一切残さないようにしたい』と常日頃から言ってたし」
私「でも、1000万だよ?1000万。10万100万だったら兎も角」
母「(本来なら半分貰える立場だが)遺産放棄の手続きは嫁いだときに済ませてるし別に」
私「某所だったら『父には「お前らには金はやらん」と言われているようでつらいです。私たちの事が嫌いだったのでしょうか?皆様の意見を伺いたいと思います』みたいなパターンになる案件だと思うけど」
母「昔から自分の好きなようにしたいように生きている人だから、最後までお父さんの好きなようにさせてあげればいい」
母「それに『1年前にあの世に旅立った、60余年連れ添ってくれた妻への感謝と供養の気持ちを込めて』なんて言われたら親類縁者一同誰も反対できるわけがない」
私「…」
そういう考えの母が、だったら何故ジャンボ宝くじを毎回購入しているのか、私はその場で尋ねればよかったのか。単に「それはそれ。これはこれ」で済む話だったのかもしれない。
このうち99人は翌日には死刑で、1人は無罪であるという判決が下されました。
しかし、100人とも自分の死ぬ確率が100分の99であることしか知りません。
看守に「No.2~100のうち、少なくとも98人は必ず死刑になっているはずだ、だから、死刑になる98人が誰なのか教えてくれ」と頼みました。
看守は別に構わないだろうと思い、No.2~99だと答えました。
すると、No.1は、「これで自分が死刑になる確率が2分の1になった」と喜びました。
しばらくして、No.1と看守のやりとりを知らないNo.2は看守にこう聞きました。
「No.1とNo.3~100のうち、少なくとも98人は必ず死刑になっているはずだ、だから、死刑になる98人が誰なのか教えてくれ」
すると、No.2は、「これで自分が死刑になる確率が2分の1になった」と喜びました。
しばらくして、No.1と看守のやりとりも、No.2と看守のやりとりも知らないNo.3は看守に(ry
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しばらくして、他の囚人と看守のやりとりを知らないNo.100は看守にこう聞きました。
「No.1~99のうち、少なくとも98人は必ず死刑になっているはずだ、だから、死刑になる98人が誰なのか教えてくれ」
すると、No.100は、「これで自分が死刑になる確率が2分の1になった」と喜びました。
翌日。
「自分は1/2の確率で助かる」と思っていた囚人のうち99人は処刑され、たった1人が無事でした。
ここに
(1/2)の99乗
≒0.0000000000000000000000000015
≒毎年ジャンボ宝くじを1枚だけ買って、1等(0.0000001)を4年間当て続けるという奇跡
が起こったのです。