はてなキーワード: 社畜とは
勉強好きなんだね、とよく言われる。
大卒の人に比べると、大学院と医学部で8年間も長く学生をすることになる。
勉強を好きか嫌いか言われたら、どっちでもない。
部活も入ってなく帰宅部だった冴えない自分が学校で一目置かれるためには勉強しかなかった。
一つ目の大学に入った後は受験の燃え尽き症候群で、一気に勉強が嫌いになった。
社会人になって、医学部に入り直したのは、単純に生きていくためだったように思う。
業界自体は斜陽だったけど、会社自体はいわゆる一流企業だったし、定年まで勤めていけば、生きてける。
社畜なんて煽りたくないけど、それこそ会社に生かされているだけのように思えた。
事実、会社には利益を出さないのに給料をもらっている人ばかりだった。
生きていくためには、スキルがいる。
そう思った。
今、勉強しているのは、勉強が好きとか嫌いとか、国家試験に受かるためとか、そんな次元じゃなく自分が自分らしく生きるために勉強している。
自分にはこれができます、この知識、スキルを誰かのために役立てることができますと、ある意味、自分のアイデンティティーにするための勉強。
結論は
満員電車に乗らざるを得ない社畜増田の金銭的余裕のなさが原因だろ
と思われてしまう内容ですが。
毎日満員電車に乗り、乗り換えの際に感じるのがタイトルにある事。
「周りが一切見えてない・自分本位の行動」
そんな女性にデブ・チビの属性が付くとかなり不愉快な生き物に進化してしまう。
まずデブ。
熱を帯びて汗をかくのも仕方ない。
だがしかし、それを満員電車で他人に密着させるのは本当に勘弁してほしい。
ぴったりと密着させてくる。そこに逃げ場はない。
腕同士が当たって離れる時のねっとりとした感触も気持ち悪いし、
布で直接的な接触がない時でも生暖かい体温がひしひしと伝わってくる。
密着が嫌でなんとか回避しようと体をズラすと
彼女達はスペースが増えたと好意的に解釈し、なぜか此方側にやってきてしまう。
いやいやいや、駅に着いてドアが開いてるならまだしも
運転中の車内でいきなりスペースが空くわけないから。何でこっちに来ちゃうの。
と言うか、体をひねっただけで居る場所一緒だから。場所を奪うな。
次にチビ。
足が短い事によって徒歩の速度が遅いのも仕方ない。当然の事だ。
他の列に比べてお前の列だけ異様に前が空いてる事に気付かないのか
急いでるのかも知れないが無理矢理列に割りこんで
その列を渋滞させる事に何も感じないのか。
1番不愉快なのが割り込む時に体や鞄などで殴られる事。
本人は恐らく当たった事にすら気付いてないんだろうが
そして、そのまま見えなくなってくれれば良いものの
足が遅いが故にいつまで経っても目の前に居る。
となんとも言えない気持ちになる。
もしくは散々割り込んでぶつかって先にいった筈なのに
いつのまにか後ろの方に居る人とか。
あれだけ割りこんでおいて普通に歩いてる人間より遅いって一体何なんだよ。
経産婦は視野の幅がかなり狭まるという研究結果をきいた事はあるが
どう見てもまだ産んでませんよね的な人も
かなり視野は狭くてつらい。本当につらい。
この不愉快こそ自分本位な身勝手な考えで批難されるものである。
結論はあれだ。
今の仕事について十年近くになった。
結婚相手も見つかり、両親顔合わせや結納の予定についても話していた。
よりにもよってそんな時、ふと、
自分がこれから手に入れようとしているものと、やがて迎えるだろう未来予想図を考え、(報われない)と素直に思ってしまった。
血統重視の古い業界のために、志望とは全然異なる学校にそれでも入試倍率を突破して入り、苦労して通って資格を取り、志望とはこれまた全然異なる職場に就職した。
業務内容はほぼ公務員に近い。加えて、特別な資格を持つ特別な人達が頭を下げられてお金を受け取る、究極の殿様商売だ。
休みが極端に少なかったり給与が安かったり昇給幅が小さかったり世襲差別などの様々な不満はあれど、世間一般の社畜やワープアと比べたら畳でゴロ寝するくらい楽な仕事だ。
今も作業するフリしてこれ書いてる。上司は横でミュートにして動画見てたりする。
そもそもが志望と異なる遠隔地の資格課程に通わざるを得ず、わずかな期間で体を壊した。
なけなしの貯金を学費につぎ込んだのなら、そのぶん元を取らなきゃいけないだろうと我慢して学んだ。
さらなる不幸に見舞われたため、同期とは違って就職先について全く志望が容れられなかった。
そのような不幸に見舞われたのであれば、そのぶんの幸せを得なければ立ち行かないだろうと我慢して就職した。
望みは一つもかなわずどんどん不幸になっていくばかりだというなら、すべて望みをかなえてどんどん幸せになっていかなきゃ釣り合いが取れないだろうと耐えて働いた。
人は皆意地悪で、不親切で、好き勝手な事を言い、新人を振り回しては遊び、絶対服従を強い、そのくせ自分のお気に入りの後輩が入社すれば人の後輩指導を妨げ後輩を甘やかした。
そこまでされてもなお、自分には受け取った不幸せをすべて放り捨てて同量の幸福を享受する日が来ると信じていた。
もちろん、そんな日は来なかった。
不当差別の改善には、自助努力以外何の効き目もなく、ニコニコしていた日々とほとんど同じ日数だけまなじりをつり上げて過ごす事で、バカどもはようやく反撃されるという新事実を学んだ。
この業界では得難い無償の善意と親切に付けこんで舐めきった態度を取っていた年下連中もある日を境にすべて直立不動の姿勢を取らせ、そうして取るべき態度を取らせた。
今の自分があるのはあくまでもすべて自分の努力の結果であって、大いに背負わされた不幸の代償なんて気の利いた贈り物は、ただのひとつも受け取れる事などなかった。
結婚して、この仕事を続けて、この土地に住み続けて、子を育ててゆくのだろう。
そう思った時、
(ああ、この先二度と、報われることなど無いのだな)
そう思ってしまった。
ミラー大尉が最前線の中を命がけで除隊させに行ったライアン二等兵に、その道中で死んだカパーゾ二等兵十人分の値打ちがあって欲しいわけじゃない。
真摯に努力する事で自分の仕事の価値を膨らませたり、目立ってアピールして人に功績を認めさせる事で承認欲求を満たしたいわけでもない。
ただただ、これまで経験してきた苦しみや辛さを思い返すにつけ、それらの負の記憶にすら決して釣り合う事などない、現在とそして未来、その二つを合わせた価値の軽さがどこまでも空しいのだ。
同級生が結婚していようが子供を持っていようが家を建てていようがすべてどうでもよくて、ただひたすら自分自身が、自分に対して報われないと感じるばかりだ。
相応の報恩の得られなかった人間は、取りあえず代替物を手に入れ、膨大な喪失感の風穴を塞ぎにかかるのだろう。
あるいは報恩という概念そのものを綺麗に忘れ去り、「報われないのが人生だから」と嘯いて生きるのだろう。
じゃあ自分が一体どうなれば、どうすれば満足なのか、をもう正確に測る事さえできなくなった人間は、自分自身を我儘と戒めて生きるのだろう。
どれも選べそうにない。
(報われないな)と思った少し前に、じゃあ自分が一体どうなれば報われるのかを、もう見つけてしまった。
世間一般ではそれをただの没落という。
変わり者のレッテルを張られて、変わった選択肢を選ぶ奇人として、まず侮られはしないもののずっと敬遠されたまま、生きてゆく事になるのだろう。
そこへ行きつくまでに一体何年無駄にしようと、どれだけの金をドブに捨てようと、もう何も構わない。
そこまですれば、
報われる
のだから。
15:30くらいからフェスに参加して、3.5hくらいで「えいえんのキリギリスボーイ」を獲得してもーた。めっちゃ嬉しい。
フェスに参加するのは初めてだが、皆が望めば固定メンバーのまま進むから、ぼっちな社畜家篭りでも友人プレイのタッグマッチ戦を擬似的に経験できるから良いなぁ。
アリの数が絶対的に少なくてピンからキリまでいたのに対して、こちらはおそらく偶然Sクラスで固められたから(自分だけAだと思う...フレ申請して確認してみよ)、
大人になって良い歳こいて始めたけど、やっぱりゲームって楽しいものだなぁ。
一人より、二人、三人とやる楽しさは、どこか仕事に通じている。
この爽快感は、プロジェクトの打ち上げのビールの旨さと同じなのだろう。
笑いたい。あははははは。
未だに昭和的なモーレツ社員が競争力の源泉だったと信じてる人がいるのね。
日本が経済的な競争力を維持できたのは、円が安かったこととたまたま競争相手のいない時代だったから。
現に、競争相手が出てきてからいくら働いても他の国に勝ててないでしょ。
ただ社畜をやってれば豊かになれた昔はよかったね。
なんじゃそりゃ。
「暗澹たる気持ち」なんつってんだから、社畜文化を肯定的に捉えてんでしょうが。
今の日本で社畜やるのにどんな利点があるのか語れるのかと思ったら、「言葉遊び」「ポジショントーク」つって逃げるだけなのね。