今の仕事について十年近くになった。
結婚相手も見つかり、両親顔合わせや結納の予定についても話していた。
よりにもよってそんな時、ふと、
自分がこれから手に入れようとしているものと、やがて迎えるだろう未来予想図を考え、(報われない)と素直に思ってしまった。
血統重視の古い業界のために、志望とは全然異なる学校にそれでも入試倍率を突破して入り、苦労して通って資格を取り、志望とはこれまた全然異なる職場に就職した。
業務内容はほぼ公務員に近い。加えて、特別な資格を持つ特別な人達が頭を下げられてお金を受け取る、究極の殿様商売だ。
休みが極端に少なかったり給与が安かったり昇給幅が小さかったり世襲差別などの様々な不満はあれど、世間一般の社畜やワープアと比べたら畳でゴロ寝するくらい楽な仕事だ。
今も作業するフリしてこれ書いてる。上司は横でミュートにして動画見てたりする。
そもそもが志望と異なる遠隔地の資格課程に通わざるを得ず、わずかな期間で体を壊した。
なけなしの貯金を学費につぎ込んだのなら、そのぶん元を取らなきゃいけないだろうと我慢して学んだ。
さらなる不幸に見舞われたため、同期とは違って就職先について全く志望が容れられなかった。
そのような不幸に見舞われたのであれば、そのぶんの幸せを得なければ立ち行かないだろうと我慢して就職した。
望みは一つもかなわずどんどん不幸になっていくばかりだというなら、すべて望みをかなえてどんどん幸せになっていかなきゃ釣り合いが取れないだろうと耐えて働いた。
人は皆意地悪で、不親切で、好き勝手な事を言い、新人を振り回しては遊び、絶対服従を強い、そのくせ自分のお気に入りの後輩が入社すれば人の後輩指導を妨げ後輩を甘やかした。
そこまでされてもなお、自分には受け取った不幸せをすべて放り捨てて同量の幸福を享受する日が来ると信じていた。
もちろん、そんな日は来なかった。
不当差別の改善には、自助努力以外何の効き目もなく、ニコニコしていた日々とほとんど同じ日数だけまなじりをつり上げて過ごす事で、バカどもはようやく反撃されるという新事実を学んだ。
この業界では得難い無償の善意と親切に付けこんで舐めきった態度を取っていた年下連中もある日を境にすべて直立不動の姿勢を取らせ、そうして取るべき態度を取らせた。
今の自分があるのはあくまでもすべて自分の努力の結果であって、大いに背負わされた不幸の代償なんて気の利いた贈り物は、ただのひとつも受け取れる事などなかった。
結婚して、この仕事を続けて、この土地に住み続けて、子を育ててゆくのだろう。
そう思った時、
(ああ、この先二度と、報われることなど無いのだな)
そう思ってしまった。
ミラー大尉が最前線の中を命がけで除隊させに行ったライアン二等兵に、その道中で死んだカパーゾ二等兵十人分の値打ちがあって欲しいわけじゃない。
真摯に努力する事で自分の仕事の価値を膨らませたり、目立ってアピールして人に功績を認めさせる事で承認欲求を満たしたいわけでもない。
ただただ、これまで経験してきた苦しみや辛さを思い返すにつけ、それらの負の記憶にすら決して釣り合う事などない、現在とそして未来、その二つを合わせた価値の軽さがどこまでも空しいのだ。
同級生が結婚していようが子供を持っていようが家を建てていようがすべてどうでもよくて、ただひたすら自分自身が、自分に対して報われないと感じるばかりだ。
相応の報恩の得られなかった人間は、取りあえず代替物を手に入れ、膨大な喪失感の風穴を塞ぎにかかるのだろう。
あるいは報恩という概念そのものを綺麗に忘れ去り、「報われないのが人生だから」と嘯いて生きるのだろう。
じゃあ自分が一体どうなれば、どうすれば満足なのか、をもう正確に測る事さえできなくなった人間は、自分自身を我儘と戒めて生きるのだろう。
どれも選べそうにない。
(報われないな)と思った少し前に、じゃあ自分が一体どうなれば報われるのかを、もう見つけてしまった。
世間一般ではそれをただの没落という。
変わり者のレッテルを張られて、変わった選択肢を選ぶ奇人として、まず侮られはしないもののずっと敬遠されたまま、生きてゆく事になるのだろう。
そこへ行きつくまでに一体何年無駄にしようと、どれだけの金をドブに捨てようと、もう何も構わない。
そこまですれば、
報われる
のだから。
よく似た短編小説を昔見た気がするなあ。 その小説をかいつまんで説明すると「どうして周囲のバカばかりが幸せを掴んで自分は不幸にならなければならないのかずっと周囲を呪って生...