はてなキーワード: 正論とは
わざわざ表に出すと別の意味を持ってくるじゃん
「私はこの人を信用しない」というアピール
だって友人と会話する時全ての話に対して「おまえの言い分だけじゃ判断できないな~」って返す?
つまりわざわざ「一方の意見だけ聞いて~」と表明することはそういう意味合いを帯びてくる
いや、分かるよ?Togetterまとめなんかだと事実みんなの知らない人だろうし、鵜呑みにしない姿勢は立派だよ?
でもどうあがいても一方の意見しか出て来ないケースならあなたが一生何も意見できないことが確定している訳で
その事例のコメント欄やブコメにわざわざ「一方の意見だけ聞いて決めつけるのは良くない」と書き込む意味は何なの。
聞いてもいないのに決意表明?頼んでもいないのに他の人へ釘刺し?あるいは中身のない正論でスター稼ぎ?
もっと言うと、例えばあるブコメでは「一方の意見だけで~」と書いておきながら
別のブコメでは発信者の意見を踏まえてガッツリ意見を残すようなムーブをする人が信じられない。
それもはや自分が言及したいかしたくないかじゃん。おためごかしじゃん。
いやいやいやいや、何で自分の好きなものへ投資して開拓して楽しんだら先行利益を享受しているって話になるんだよ
ん?じゃあその理論で行くと電子書籍へ投資して開拓して楽しんだら先行利益を享受していて、VRへ投資して開拓して楽しんだら先行利益を享受しているって話になるの?
オタクが投資して開拓して楽しんでいたものが世間一般に流行れば先行利益を享受しているって主張が通るなら、オタクが投資して開拓したコンテンツのインフラへフリーライドしてんじゃねーよって主張も通るよな?
PIMへもPDAへも投資しなかったヤツによる「オタクはスマホを使いこなしていてズルイ」という主張が正論で、オタクの今までの投資や開拓は悪なんだな
さて真面目系クズはどっちだろうね?
正論で人を叩いて気持ちよくなってる奴らがお人好しには見えないけどな。
ソーシャル・ジャスティス・ウォリアーは海外で嫌われてるらしいけど、日本でもそうなるかもね。俺がなってるし。
コンプラで人を叩きのめす息苦しい社会で、加藤純一は息抜きできる駆け込み寺になってるんだな。
それに対して「スポンサーいる奴は燃える」「"コミュ障"や"脳死"が許されてるし、結局はバレるかどうか」とコメントしてて、結構納得した。
で、何が良いかって「差別は許されません」みたいなことを一々言わない所。
最近はもう、差別はいけないって正論で人を叩く奴らに嫌悪感だよ。
岡村隆史がラジオで「コロナが明けたら可愛い人が風俗嬢やります」と言って炎上し、サッカーのグリーズマンが日本人差別して炎上したけどさ、
燃やした奴は普段からラジオ聞いてないし、サッカーも見てないだろ?
どこからともなくやってきて、絶対に反論されない正義で人を叩いてさ、いい加減そっちにムカついてきたわ。
はいはいはい、あなたが言ってることは正論ですよ。でもお前誰だよ。
普段からゲームに関心ないくせに、ここぞとばかりに正義ヅラして寄ってくんなよ。
よくある話だと思いますが、嫁から小言を言われることが、もうどうしようもなく嫌です。
やれ、買ってきた食品のブランドはこれじゃないだの、洗濯物がキレイに畳まれてないだの、作った食事は味が薄いだの、洗った食器がぬるっとしてるだの。
うん、書いてみるとねわかるよ、俺が至らないってこと。
だけどね、言われるとカチンとくるわけよ。こっちは頑張ってやってるわけなので。
嫁が佐々木希だろうと橋本環奈だろうと言われるのは嫌だ。もう、相手が誰であろうと、やったことに対して何か言われることに免疫がなさすぎる。これ、仕事でもそうなんだよね。今は立場的に上にいるのであんまり言われる機会は減ったけど、若かった頃、何か言われるのすげー嫌だったもん、それが正論だろうと。
そんな徹底的に部屋中綺麗にしろって話じゃない。
俺は週一程度の頻度で自室の入り口からPCデスクまでのラインに掃除機を当ててる。
他の箇所は精々月一程度だ。
自分の生活ラインだけでも綺麗にしておくと気分がよくなるし、掃除の感覚掴めるのが大きいぞ。
範囲が狭いからかかる時間も5~10分、その程度の時間でご機嫌になれるなら安いもんだと思わないか。
ついでにいえば、がっつり掃除する時も常に綺麗な場所があると時間短縮できるしな。
掃除を趣味にしてから少しずつ範囲も広くなって、今は自室前の廊下くらいも掃除するようにしている。
「正論で論破」がゴールで、それで顧客の心が戻る訳ないことが理解できないんだよ
なぜボクは嫌われるのかな?こんなに頭が良くて強いのに?正しいこと言ってるのに??って不思議で仕方ないんだろうね
だからもっともっと強くて正しいところを見せなきゃと思って、また「敵」=顧客を論破しに来て
その「敵」こそ味方にしないとならないのに、許される術も好かれる術も知らないんだよ
もうどうにもならないよ
つーか、オス呼びなんか「ま〜ん」に比べたらずっと甘いけどね。メス呼びも溢れてるけどスルーされてるし
いつでもどこでも「ま〜ん」「女は糞」「日本は女尊男卑!」で溢れてた。しかも「女叩きは正論」とあちこちで言われてた
家庭板まとめサイトも、女が悪い話は勿論女叩き、男が悪い話は「どうせ女が悪い事したんだろ。女は都合の悪いことは書かないからな!」と推測膨らませて女叩き。
元ネタは男が悪い話を、わざわざ男女逆転させたような投稿があった時、そこまでして女叩きたいんだなと思ったよ。
犯罪のニュースも、痴漢があれば冤罪冤罪、レイプがあれば女が悪いとセカンドレイプ、ストーカー殺人があればビッチざまぁと被害者バッシング。
女のあらゆる好み、あらゆる趣味、一挙手一投足を論って女叩き。
オタク界隈だってそう。ニコ動でアニメを見ていれば不意打ちで「ま〜ん、これだから女は」と流れてくる。
女性にはいくらセクハラしてもよくて男性には可愛いと言うのすら害悪腐女子認定されて禁止となる、男様のお気持ちルールが蔓延っていた
こちらが詳しい
https://anond.hatelabo.jp/20190324040152
ガルちゃんや女性専用の板、まとめ記事で女叩きの愚痴を言う場所を作れば、そこに男が乗り込んできて女叩きの巣窟に変えていく
そんなだから女叩きを内面化してしまう若い女の子が多かった。一緒になってま〜んとか言って、自分はそんな女とは違うと頑張って、女が叩かれるのは女が悪いからだ女尊男卑だからだ痴漢くらい我慢すべきだと、自分を納得させようとして。
苦しかったよ、死を考えるくらい。
男嫌いになるまいとしても、一部の男だと考えようとしても、無理だった。だって男達は「これがそこら辺を歩いてる全ての男の本音だ女は反省しろ!」と喚くんだもん
男の立ち入りを厳重に禁じた男嫌い掲示板から、それまで軽蔑していた「フェミ」と出会って、この人達の方が女叩き男より頭良くてしっかりしてるじゃんと思って、仲間入りして、楽になった。同じような人達が沢山いた。だけど、私はまだ苦しかった。当時のフェミニスト達はお行儀良くて、「腐女子達よ!NL呼びは差別だからやめましょー」とかやってて、女叩き男達への対抗なんかしてなかった。私も私で、「私はあの人達とは違うまともなフェミニストです」仕草をしたりしていた
そんな時に出会ったのが、今となっては死語である「ツイレディ」。
「クソオス」「ジャップオス」「お寿司猫ロース」など行儀悪く差別全開で女叩きに対抗していく彼女達に私は惹かれ、仲間入りをした
「ツイレディ」の姿勢は良くも悪くも広がり、フェミニストの門戸を広げたと思う。NLという言葉を捨てなくても、全ての差別に反対しなくても、フェミニストを名乗って良いのだ
今では、沢山の女性達が様々な辛さを、男性批判を吐き出している
痴漢なんて大した事ない!痴漢は99%冤罪!みたいなことをいう人も、性被害者へのバッシングも、ずっと減った(ないわけではない)
女叩きの多さにはまだまだ敵わないが(小山晃弘や織田三郎みたいなのがアルファだし)、女叩きしかなかった頃、不満を吐き出せなかった頃に比べてずっと楽だ
そんな私は、フェミニストに思うところがないわけじゃないがフェミ叩きの多さを見たり女叩きの悪質さを思い出せばフェミ側に立つしかない
言論や表現の自由も「右派のもの」になってしまった。30年前には左派が標榜していたようなものがどんどん右派のものになっていく。
渡邊先生も時々ダメなことを言う。左派は現在でも表現の自由の断固たる味方で全く変わりはない。
性的表現が表現の自由を意味していた(正確にはそのように錯覚させていた)のは、「貞節」の規範がそれなりに強く、そうした表現が露出する場所がごく限られていた30年前までの話。男性側も、そうした性的表現を素直に喜ぶより「けしからん」と言っていた人間が多かった時代。「島耕作」「ゴルゴ」などのマッチョな漫画ですら、セックスについては女性から積極的・主体的にアプローチするという描写になっていた。
現在は「貞節」規範は消滅し、ネット上で性的なコンテンツは膨大に溢れており、性的表現が自由を意味する時代はすでに終わっている。逆に、男性の女性に対する性的な視線が、女性の主体的な発言を表現を抑制するような時代になっている。「たわわ」は男性の性的欲望そのものの漫画で、女性の主体性は表現されていない。表現の自由がこれまで通りだったら、男性マジョリティの表現の自由でしかない。だから、真の表現の自由を実現しようとすれば、公共的な場面における性的な表現には一定の規制が必要になる。これが現在の左派の立場だ。
憲法に拠って「たわわ」を擁護する学者や弁護士も、形式的な表現の自由に居直るばかりで、その限りでは正論も含まれているが、実質的な表現の自由についてはほとんど無関心である。たとえば男性が多数の会議で、その中心にいる男性が下ネタ混じりで爆笑を誘いながら持論を展開している時に、そこに女性が割って入って主張することは事実上困難であり、言論の自由は奪われている。表現の自由戦士たちは、下ネタ混じりの発言も「言論の自由」であり、女性も発言の機会は十分に与えられている、と開き直るのだろうが。