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林修『ご報告』
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/itsuyaruka/entry-12803245048.html
大手新聞社各社をはじめ、さまざまな機関が日夜ファクトチェックを頑張っている。
完全に間違った情報に対しては「デマ」と判断したり、完全に間違いとはいえなくとも社会道徳的に許せない内容を含む情報には「部分的に不正確」と判断したりしている。
ただ、保守派や差別的な集団から発信されたデマ情報はまだしも、反対に差別を批判したい人や社会正義を守りたい集団から発信されたデマについては、ファクトチェックに取り組む新聞社・機関自身の政治的スタンスのこともあって、どうしても及び腰になりがちである。
このような場合、残念ながら被害を受けている人がデマ情報を自力で訂正していくしかないのかもしれない。
正義感に燃えるリベラルなスタンスの人々が多く集まるはてなブックマークではあるけど、もしブックマーカーが誤った情報を根拠に有名人、企業、地方自治体の長などを誹謗中傷してしまったら、たとえ善意に基づく行動だったとしてもブックマーカーが訴えられる日が来るのだろうか。
決して正義を譲れない強いスタンスを保持し日夜意見を書き込むブックマーカーだとしても、法を持ち出されたらつらい場面もあるんだろうな。
ワイ塾講師なんだけど、この業界、ワイも含めて弱者男性が多い。人生色々あって失敗して塾講師に流れ着いた人が多いんよね。ワイもそう。就職失敗、大学中退、大学院は出たが食えない、鬱病で退職、フリーターでフラフラしてたやつなどなど。
そんな業界だが、意外と既婚率は結構高い。しかも女性側が美人だったりすごい年下だったりバリキャリで稼ぎまくる人だったり、言ってみれば上昇婚であるケースが結構ある。ワイの高校の友達と塾講師仲間で比べると、明らかに塾講師仲間のほうが上昇婚している。ワイも妻様は医者だ。東進の林修先生も、今みたいに有名になる前に結婚した妻が医者だ。
それで最近気づいたんだけど、俺たち上昇婚した男って、林先生とかもそうなんだけどさ、妻のおかげでどうにかなった、とかはあんまり言わないのよ。やっぱ恥ずかしいしさ。
東京都民は、都知事選にロクな候補が出ないと嘆いているが、名古屋市長選もそうなんだよ。
いや、都知事選の百鬼夜行と違うのは、そもそも知名度がある候補が出ない。元副市長や元市議しか出ない。だから、河村に票を取られる。
…ということで、名古屋市出身者を中心に「こいつが出たら勝てるんじゃないか」を適当に書いてみた。
ま、ぶっちゃけ、今、市長になっても、河村の後始末という貧乏くじ引かされるだけなんだけどさ。
賢い人は出ないよ。
今度から(走り寄ってくる音)も付けるわ
ワイ「イチローは嫌だ」林修「!!!」シュババババ(走り寄ってくる音)
1 :風吹けば名無し@無断転載禁止[]:2016/11/24(木) 06:59:26.90 ID:VWc0p5xe0
やったぜ
ワイ「SFC…」学歴厨「!!!」シュババババ(走り寄ってくる音)
1 : 風吹けば名無し@無断転載[] 投稿日:2016/11/25(金) 07:44:09.76 ID:o8Sdanxca
学歴厨「」シュババババ(走り去って行く音)
ワイ「アベはもうダメだろ」政治豚「!!!」シュババババ(走り寄ってくる音)
1 : 風吹けば名無し@無断転載禁止[] 投稿日:2016/11/18(金) 14:37:22.10 ID:eAgkm3Yc0
ワイ「一塁専念でも打撃は全盛期の力ないし守備も並以下、来年引退かな*2」
やったぜ。
韓非は韓の諸公子である。彼の著作(『韓非子』)「五蠧篇」を読んだ後の始皇帝は「この著者と親交を得られたならば死んでも構わない」と感嘆したが、いざ彼を手に入れた際には李斯の讒言により死なせてしまった。
宋人有耕田者。田中有株。兔走触株、折頸而死。因釈其耒而守株、冀復得兔。兔不可復得、而身為宋国笑。今欲以先王之政、治当世之民、皆守株之類也。
五蠧篇の要点は「世異なれば則ち事異なる」「事異なれば則ち備え変ず」という点にあり、したがって「守株」も先王の政の踏襲を理想とする(儒家的な)思想を戒めるものであり、故に現代語としても「いつまでも古い習慣にこだわること」の意で用いられる。
しかし、守株の故事だけを抜き出すならば、ウサギが切り株で転ぶという再現性のない幸運に遭いその再現を当てにして無為となることの愚かしさを描写したものだ。林修が言うところの「成功体験は人の目を曇らせる」という例である。
緊急事態宣言前の自粛要請によって十分な接触減が達成されていたことの再現を当てにして「緊急事態宣言はやりたくないから努力しろ」等とだけ述べて無為でいるのは、株を守る行動に等しい。
放送していたのは予備校講師の林修先生が高学歴ニートに説教する企画だ。
林先生はおおよそこんな事を言っていた。
やりたい事とやりたくない事、できる事とできない事の2つの軸がある。
やりたい事とできる事が重なる人は幸いだ。
やりたい事を優先するのか、できる事を優先するのか。
高学歴ニートはやりたい事を追い求めている。
やりたい/やりたくないは偶然の産物で、絶対的なものではない。対して、できる/できないは必然だ。
林修先生は高学歴ニートに対して、できる事を軸に人生選択してみてはどうか?と提案する。企画の内容としてはこんなところだ。
今この世の中でこれを実践できている人はどれだけいるのだろうと思った。
皆やりたい事を2、30年間くらい探してる。
昔は親や学校の先生が進学先や就職先まで指示する事も少なくなかった。ある意味第三者が客観的に選んでいる。結婚もそうだ。
いつしか社会は個人の意見を尊重する社会変わっていった。そうすると皆自分のやりたい事にパワーを注ぐ。ネットの普及は拍車をかけた。