はてなキーワード: 口減らしとは
人口が激減する日本で電力需要も落ち込んだら原発建てられなくなるって慌ててるのかもしれんが
様々な発電方式はそれぞれ別のデメリットがあるんで、互いにデメリットをカバーしながら併用するしかない。
国家主導の口減らしで人口激減するんだから、今後20年もすりゃ
最悪の場合の対策なんか必要ない周辺に人っ子一人住んでない原発建設候補地が腐るほど出てくるんで
それまで福一で後片付けの仕方を勉強しながら待ってればいいよ。
いくら日本の科学が衰退中でも、20年もすれば流石に福一でメルトダウンした核燃料も片付け出来るでしょ。
ゾーニングという枷が不満で仕方ないから自分の好きなものを無制限にばら撒くことの盾に「表現の自由」を使ってる事例ばかり目に付いた。
「不特定多数の目に付くところに置くな」という主張に対して「存在するなっていうのは表現の自由の侵害だ!」って喚き散らすバカばっかりだった。
自分に都合のいい武器として「表現の自由」を振り回してた側は、おそらくちゃんと「万人に好かれる表現なんかない」ってわかっては居るんだろう。
ただ、ゾーニングという自主規制の枠内では食っていけないという現実に打ちひしがれていただけなんだろう。
もっとたくさんの人に対して無作為に「これに金出してくれる人いませんか?」って聞いて回るしか方策が無かったんだろう。
意図的かどうかは不明だが、政府が結果として導くことになった口減らしによって消費人口が減っていく日本ではわかりきっていた話ではある。
ピーターラビットシリーズの中でも群を抜いて分かりづらいと(自分の中で)評判の一遍「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」
その理由というのは、動物中心のこのシリーズにしては珍しく何人もの人間ストーリーに関わるレベルで登場すること、
そして彼らの行動原理が(恐らく)当時の社会常識・情勢に沿ったものであり現代の我々からは理解が難しいこと、などにある。
主な疑問点はこんなところだろうか。ググって出てきた答えも書いたけどどこまで正しいのかはわからない。
→単に口減らし。一番デキのいい子1匹だけを残して残りは追い出したらしい
→比較的利口に描かれているピグリンも一番ではなかったという衝撃
→雇ってもらうため、らしい(ベーコンにされるためではなかったのか……!)
→豚を雇う、とは……?
→不明。これがあれば市場に行ける、なければ農場を出てはダメらしい
→自由になれるなら市場行かず、逃げて自由に暮らせばいいのでは(というか、そういうエンディングだったけれど)
→しかも歌っているのも豚という
→歌は別件逮捕の口実のようなもので威圧できればなんでもよかった?
→横柄な警官が多くしょっちゅう弱者を踏みつけにして点数稼ぎをしていた、みたいな描写だろうか?
→「近所の農園で雇ってもらえてよかったね」と書いてる人がいた。そういう話だったのかな?
→不明
→監禁部屋が狭かったから1匹しか入らなかった?(ピグリンを捕まえたのは予定外だったので)
→先に食べる方を重点的に飼育してたのでピグリンは後回しにされてただけ?
→たぶん市で農場の作物とかがいい感じに売れたので上機嫌だった?
→売上で酒をしこたま飲んだせいでろれつが回ってなかった説
→終盤で「迷子の豚、盗まれた豚を見つけた方は、10シリングうんぬん」という会話があるので、盗むこと自体はダメらしい
→いま気づいたけど、市場で買ってもらうとか、移動に許可証が必要とかの話って奴隷制のメタファーだったのかな(的外れだったらごめん)
人間は高度な社会性動物だと言われるし、現代社会は協力が基本だ
しかし協力形態によってどれくらいの人間を追い出すべきかが違う
だから自己責任論と反自己責任論の争いは重要であり高度な文化的進化なのではないだろうか
論とかではなく物理的に棒で叩いて追い出したのだろう
これはリスクがある割にリターンはすくない
農耕化や戦争の影響で無能も頭数として重要な世界になると話は変わる
どんな無能でも、開拓や戦争に突っ込ませれば十分に元は取れるから飼っておくのだ
統治システムの維持は有能なやつがやり、余りにイノベーションのリスクを取らせる
これは成功すればwin-win、失敗すれば社会だけが口減らしで得をする
ギャンブル的ではあるが単純に回すことができる
イノベーションは特に有能なやつらが資源を投入して行う事業であり
システムの維持運営も最低限の有能さがあるやつらが忠実に行う必要がある
戦争も高度化し、統治や維持が基本で、無能は足を引っ張るからいらない
家でおとなしくしていてほしいはずだが
完全に自己責任となったら無能は暴れだしシステムの破壊に向かうだろう
だが完全に自己責任論がなくなったら下層で働く人間はいなくなるから
>> [名](スル)家計の負担を軽くするために、子供を奉公に出したり養子にやったりして、養うべき家族の人数を減らすこと。 <<
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A3%E6%B8%9B%E3%82%89%E3%81%97-484194
将来、社会福祉や医療の分野で社会の「経済的負担」になる人が、罹患して発症して重症化して死ぬんでしょ?
成人病予備郡や、不健康な高齢者、そのうち特に経済力がない、感染予防をする知力がない弱者、直接病気で死ななくても、失業したりするのも低所得者や、日本に過剰に存在する飲食業の人たちで、最終的に社会の「経済的負担」になりそうな人たちばかり。
安楽死も簡単にできない、姥捨て山なんてない、障害者の人権も守らなくてはいけない、どんどん負担が増えていく、「福祉」にかかる将来の負担をどんどん削って、
コロナを放置すれば現代では倫理的にNGなことしないで口減らしできるよね。
どんどんかかってどんどん死ねばいいって、未だに思ってしまう。
かかってしまって後遺症が残った人たちが余計に医療に負担になるとか、実際かかってしまった後のトータルコストがどうなるのかとか、微妙なところだと思うし、
倫理的に人を殺してしまうのは良くないこと、殺人や差別をなくすことが社会的の発展や安定には、必要なことなのはわかるから、みんながこれを大声で言うのは駄目なので、いまのように、命は大切って言い続けていただかないといけないのだけれども…。
そして、多様で豊かな文化のためには、色んな人がいっぱいいるのが重要ってのもわかっているつもりなのだが…。
やっぱり、いま口減らしされるのは良い時期なのではないかと考えちゃう。
こういうの書くと、自分がそうなったときのことの想像力が足りないとか言われるんだけど、結果的に自分が足切りの対象になるかもしれないのは、まあ気にならないよ。だって想像力がないんだもん。
結局、コロナは完全に口減らし、どんどん高リスク群の人たちは、罹患してしまえばいいっておもってしまう。
どれくらいの人が同じこと思ってるんだろう。
コロナ頑張れ。