はてなキーワード: ラッキーとは
3/11の東北・関東震災にて 当方の勤めている企業 以前勤めていた企業 また友人の企業などの対応を聞き こうも対応に差が出るもんだなぁと思った
想定外の状態がおきたときに企業とか経営陣とかの本質が顕著にあらわれるんだねぇと感慨深くなりました
保守のひとはシフト勤務だったりして 休みがないので大変なんです
あと災害と停電と津波の影響でデータセンター(サーバがいっぱいあるとこ)やシステム間連携にどんな不具合が出ているのか
早急に判別しなきゃいけなかったり そんな理由で出勤したひとはたくさんいると思います 某銀行とかね
なんつーか企業のありかたがすぐ出るのが 想定外の事象がおきたときだということがよくわかりました
このエントリは実際おきたこととか伝聞とか妄想とかがないまぜになっているから そんなのネーヨと笑い飛ばしてもいいです
社員に「東北・関東震災のときの御社の対応はどのようなものでしたか?」と聞くこと!
その会社がどんなカンジなのかすぐわかるよーな気がするよ
「ボランティアは邪魔だから来んな」論調が強いので、ボランティア経験のある俺も書いてみる。
ボランティアってものや、災害現場を肌で知っていたら、そんな画一的なおしなべた言い方なんて決してできないと思うんだ。
まあ大半は「いますぐの行動は抑えてくれ」って意見が多いと思うからそれでいいと思う。
でも、そういう意見を斜めに読んで「ボランティアなんて自己満足だ」みたいに批判するのはすごくまずいことだと思うし、もちろん、無鉄砲な、足を引っ張るだけの邪魔ボランティアも困ることだよね。
どちらの意見の人であっても、半年ほどたってから一度災害現場に行ってみて、きちんと働いてみればいろいろ感じるんじゃないかな、って俺は思う。
知らずに語るもんじゃないと思うよ。
もちろん、増田に多い「俺の友達がボランティア行ってたから知ってる」とか、「俺はきちんと勉強してるからわかっている」は全く話にもならないから要注意な。
じゃ、俺の経験について特定を恐れずに書いてみるよ。
俺が行ったのは、2009年の兵庫県佐用町付近で起きた、台風9号による水害でのボランティア。
知ってる人は知ってると思うけど、あの付近には巨大な放射光施設である SPring-8 って研究施設があるんだ。
俺は SPring-8 で働いているわけじゃないけど、研究のためにそこに行ってたのね。
行ったのが、水害発生から一か月くらいあとだったと思う。
で、そのときに近隣住民への心象のために、地域の皆さんのために、SPring-8 のイメージアップも兼ねて、SPring-8 関係者で行ける人はボランティアに行くようにしてください、休み出すから、のような通達があったらしい。
そこで俺の直属の上司が、若者はここでの仕事が終わった後、しばらく帰って来なくていいから一週間くらい滞在してボランティアに励んで来い、と言ってきたのね。
で、いつもボランティアなんて意識したことなかったけど、行ってみることに。
そのときは災害の規模も何も曖昧にしか知らなかったし、正義感のようなものも俺にはなかったし、なんでもやってみたらいい経験かも、って気持ちはあったけど、帰って仕事せんでいいんならラッキーみたいな気持ちもちょっとあった。
で、ボランティアってどういうシステムかまったく知らなかったけど、ボランティアセンター? みたいのがちゃんと立ち上がっていた。
まず、ボランティアを必要とする町会や個人が、町会や代表者を通じてセンターに派遣の依頼を出すみたい。
そこでセンターの人間が「必ず人を寄こせるかはわかりません」と言って依頼を受ける。
で、ボランティアする人は朝9時にセンターに来て、保険や受付やを済ませると、水と塩飴とマスクがもらえた。
その後、係りの人に、自分たちのグループの人数や男女の別を告げる。
するとセンターの人が、「今これこれこういう仕事の依頼が来てるんですけどどうですか?」と聞いてくれるので、おっけーだったら受ける。
そして、必用な資材(水害だったので土砂の撤去が主な作業なので、バケツやスコップ、雑巾、一輪車、軍手など)をセンターから借り受ける。
で、指定された場所に行って、依頼者の指示にしたがって仕事をする。
お昼休憩は必ずとることと、仕事が終わらなくても必ず16時には帰ること、という決まりがあったので、その範囲で働いた。
依頼者もそれを知って依頼していたので、きっちりそれを守ってくれた。
いま批判する人が多い「邪魔なだけのボランティア」の中には、このような範囲を超えて無理しすぎたために結果迷惑をかけてしまう人もいるんだと思う。
それを批判するのは、俺個人としては気がひけてしまうし、やはり批判するよりも無理を止める人をきちんと機能させるべきなんだと思う。
現場付近に行くと、道路が完全に流されていたり、線路が流されていたり、目を疑う光景があった。
道路がないと思ったら、アスファルトのプレートがはるか先にあったり、ガードレールがありえない形になっていたりすることもあった。
8月だったので、もう米の実った田んぼが壊滅しているところも多かった。
だからあれはやはり地震そのものじゃなくて津波のせいなんだなと感じた。
ただ、佐用では、自動販売機が水没するくらいまで水位がきたみたいだが、車は流されなかった。
まあ、「どっちの災害のほうが~」なんて比較は建設的じゃないし、不快に思う方も多いだろうからこれ以上は言わない。
俺のボランティアのときは物資の補給なんかも全然問題はなかったので、水や食料に困ることはなかった。
食料や水やマスクは SPring-8 の人が用意してくれた。
休憩時間に、飲み物か何かを出してくれる方も多くおられた。
水没した本とかもくれた。
佐用のあたりは山奥の山あいなので、山と山の間に支流が流れていて、その周りに集落がある構造になってるんだけど、集落ごとに水の高さが違ったみたい。
ひどいところもあれば、ほぼおさまってるところもあった。
現地にいくまでは報道でしか知り得なかったし、水害から一か月もしていたら続報なんてほとんどなくなっていた。
だから、いまがどういう状況かなんて考えてなかったし、ああまだ大変なとこもあるんだな、程度だった。
でも実際はまだまだ何もできてないという状況の場所もかなりあった。
日本のマスコミは関東偏重主義だから今回の地震報道はいっぱいいっぱいしてるけど、本当はどんなに小さな災害だってずっと影響を及ぼすし、それは報道してる期間が影響するわけじゃない。
関東に影響が出れば全国放送で、地方の災害は一ニュースでしかないって、なんだか複雑な気分になる。
というのも、関東は人口が多いんだから報道が多くて当たり前、というような論以前に、地方の災害への関東の意識の低さもあらわしているような気がするから。
で、やっぱり、まだまだの場所はある、と言っても、一応水はひいてるし、みんな生活場所を確保して、道路なんかは復旧して、みんな各各の家に戻れる人は戻っているって状況だった。
ここまで来るのに一か月かかったってわけだ。
そこまで来るのに大変な作業が必要だったろうし、自衛隊が活躍したのかどうかは知らないけど、公的な組織の活躍はあったろうと思う。
でも、それがあらかた済んだ時、災害によるその非日常が日常に変わったとき、そこからはもう個人としての復旧が必要になる。
だからそこからは、個人の家の復旧作業や、町会の排水溝の復旧なんかが必要になってくる。
だから、主に俺らは個人の宅にたまった泥をかき出したり、掃除をしたり、だめになったタンスを運んだり、水を吸ってあかなくなったタンスをこじ開けたり、ダメになった障子やふすまをはずして運んだり、そういう作業をやった。
個人の畑に流れ着いたゴミを撤去したり、私道というかあぜ道というか、そういうものを復旧させたり、延々と溝蓋をあけて中の泥をかき出して一輪車で運んだりした。
だから俺は思う。
これだけ組織的にボランティアをさばけるシステムが素晴らしいなって思う。
苦しいだろうけど、笑顔で泥だらけの自宅に戻る人たちがすごいなって思う。
俺らみたいな素人の、ただの体が動くだけの人間に、優しい言葉や感謝の言葉をかけてくれる人が、素晴らしいなって思う。
この態勢ができていたから、俺みたいなのでも少しは役に立てたんだと思う。
そしてそれは、まったく報道されなくなってから、ようやく立ち上がったシステムなんだと思う。
だから、そんなシステムが立ち上がる前に素人が現地に行っても、役に立たないのはその通りだと思う。
ガレキの山を前に、死体の山を前に、できることなんて何もない。
今は被災者は、情報も、安心も何もない、不安定な一時的な状態で過ごしている。
それが終わって、これが一時的な非日常ではないと覚悟を決めて、前に進もうと決めたとき、ようやくきめ細やかな支援を必要とする個人が現れる。
そのとき、ボランティアの人がいてくれたら、どれだけ心強いかわからない。
だから俺は思う。
乙武さんが言うような
「阪神大震災で被災した当事者の一言。「助けに来てくれて一番ありがたいと思ったのは、自衛隊の人たち。 一番迷惑で邪魔だったのは、自称ボランティアの人たち。こちらが必要とする事はできず、逆に残り少ない食品や飲料水をコンビニで消費していく始末」 」
でも、それを批判し、止めることが崇高な行為だとは思わない。
今邪魔になる人をひとりでも思いとどまらせて、それはそれでよかったのかもしれない。
それで被災者の一人が救われるのかもしれない。
でも、本当にそういう気持ちで動いた人って、自分が何もできなかったらそれでわかると思うんだ。
そしたらその人は、いつ行くか行かないかも含めて、次回は戦力になる振る舞いができるようになる。
今回役にたたなかったとしても、泣きながらおばあちゃんの手を握るだけで、救われる人もいるかもしれない。
だから、全てが無駄だなんて、胸を張って広めるような意見じゃないと俺は思う。
現地で大切なことを肌で感じてくれる人間を、止めることはあっても非難しちゃいけないと思う。
だって今すぐ行って、迷惑かけたけど泣きながら帰ってきたやつが、まだ復旧していない半年後に、本当にマンパワーが必要な時期に、前回の経験を生かして大活躍してくれるかもしれないじゃない。
いろいろ経験されている乙武さんには、そういう方を非難する資格は確かにあるのかもしれないけど、何も肌で感じたこともなく、自分で何も動かないやつは、決して言ってはならない言葉だと俺は思う。
確かに一定数、行っても何も感じない、行ったら邪魔なだけ、ってやつもいるんだろう。
ただ、そういうやつに乙武さんのことばはたぶん、届かない。
だから俺は、今の行動を止めることより、未来の行動を促す言い方をしようと思う。
自分に何かできることはないか、と思うなら、募金をしてください。
そしてあなたのマンパワーは、半年から一年後に貸してください。
どしてもいま動きたい方は、ハイチ地震や、九州の集中豪雨のほうに行ってみてください。
さあ?
計画が崩れてどうしようもなくなった、って人もいるんじゃないですかね。
増田さんのいうずっと私学だった、っていうのは、エスカレータ式で進学にそんなに苦労することがなかった、って意味ですか?
だとすれば小学校で入ったときは名門校でも、大学在学までの15年ほどの間にブランド価値が暴落してることだってありますしね。
確率的にまずない、って思うかもしれないでしょうけど、まず大丈夫って思ってた想定が崩れてる人って案外多いんじゃないですか?
大手に就職して、こつこつ仕事頑張ってたら安泰だ、って思ってた人が、50前後で会社が経営破綻、またはリストラ、ってこともあるし。
まあ、きちっと計画たてて、それが崩れなかった、ってのは、本人の努力もありますけど、ラッキーだったって面もあるんじゃないですかね?
苦労してる人にも、きっと不運があったんですよ。
横からだけど、つらいことがあった時でも
後進国の人は 餓死で死んだり奴隷になったり地雷の恐怖に怯えていたり
日本に生まれて、結構 自分はラッキーな生活をしている。 世界中を見渡せば自分は裕福な方なんだ・・・
とはいえ、つらいよなぁ・・・とは思うよ。
反面、先進国の人はもっと貰っているよなぁとも思う。
だから、自分も頑張って、それこそ外資への転職も含め英語勉強したり、スキルを上げたりしていこうと思うし
仕事をしながら、後進国の発展のお役に立てるように邪魔をしないように搾取にならないようにというおは気を付けているよ。
せっかくラッキーで日本人という優位なポジションに付いたんだから、それを享受しないのは罪悪でしょ。
反面、ノブレス・オブリージュ じゃないけど、周囲に対して義務を負わないのも違うよね。
だから、元増田に対して言うのは、高い給料を貰っていることではなく、高い給料をもらっていい立場にいるのに、社会に対して還元していないことに対する罪悪感だよね。
http://anond.hatelabo.jp/20100917094022
以前にも似たような内容を書いたのだけど、
またちょっぴり有名な人にフォローされてしまった。
前回の日記より、その有名な方は未だに私をフォローしてくれている。。
私はいつか私の底の浅さにでも気がついてくれるか、
もしくは私のtweetの多さに嫌気がさして
結構すぐリムーブしてくれるかと思っていた。
が、しかし。
ありがたいことに、未だにフォローしてくれてる。。。
実はその方にフォローされるようになってから、
前のようなくだらなすぎる内容はあまり書かなくなった。
大半は取るに足らない内容を多くつぶやいていた。
(自然とそうなってしまった。だって学生時代からのファンだったから。)
tw数を減らしたと言っても、一般的に少ないほうでもないと思う。
ま、今でもいつリムーブされてもおかしくないとは思ってるし、
いつかリムーブされる日が来たら、
twitterの良さは、芸能人も企業も素人も政治家も対等な関係であるということかもなと思う。
それは分かっているのだけど、
嬉しいことのはずなんだけど、
やっぱり気が引けるw
私のような素人のつぶやきなんて見てもおもしろくないですよ?って思っちゃう。
私はtwitterに直接の友達がいないのだけど
私を慕ってずっとフォローしてくれている方も数名いらっしゃる。
つぶやいたりできるのであって、
今回また別に少々有名な方にフォローされてしまった。
私がその方のブログのファンで、
挨拶がてら返信させてもらったのだ。
ラッキーなことに、返信を頂けて、それで終わりかと思ったのに・・。
気がついたら、フォローをしてもらっていた。
念のため確認をしたが、その方もフォロウィーを極力厳選してる人だった・・。
考え方も大人でとっても素敵な人なので、
その方が私をフォローしただなんて目が回りそう。
私なんかと違ってポジティブな人なので、
あまりにもネガティブなこととか言えない気がしてきたw
私の恥部を見られるようで、かなり恥ずかしすぎる。
だからって、「私なんてフォローしてもしょうがないですよ、へへへ・・。」
と言うわけにもいかず。
自分が好きな有名人や芸能人だと、ちょっとそういうわけにも行かず。
ありがたいことだし、悪い話じゃないのだけど、
リムーブされたら、結局なんだかんだそれなりに傷つきそうだしw
多分、今後もつぶやく内容は変わらないだろうけど、
私のろくでもないつぶやきが、少しでもその方々に読まれる可能性があると思うと、
恥ずかしいし、恐縮すぎる。。。
違う意味で、twitterのつぶやく内容が制限されちゃうっていう。
気にしなくても良いと思いつつ、ちょっと動悸が・・w
生活を潤せとでも神様がお導きでもしてくれてるのかな。。。
タイトルはやや釣りで、「成功者からのアドバイスに疑ってかかるべき理由」というのが正確なところだと思う。ここでいう成功者というのは、年齢も性別も成功の規模も問わない。さて、さっそく本題。その理由というのは、ほとんどのケースで自分が成功した要因を正確に認識できていないからだ。実際の所、成功した要因は以下の二つのものが大部分を占める。
そのやり方が今現在も有効である保証は無いし、あるいはそのために必要な能力を自分が備えてる保証も無い。したがって、アドバイスを素直に受け入れたところで成功できるとは限らない。たちの悪いことに、下手に成功体験があるせいで自分のやり方はパーフェクトだと思ってるし、偶然という要因を認めたがらない。こういうのも「勝者のバイアス」っていうのかな。というわけで、アドバイスに対してはまず疑ってかかるべきで、そこから得られるものがあったらラッキーくらいに思えばいい。
ところで、現実問題として何かアドバイスされたときにそれを真っ向から否定すると間違いなく喧嘩になる、というか大人げない。なので、本当の成功の要因を探るために具体的な質問をしまくってみると面白いかもしれない。論理的な矛盾点が出てきたとしても突っ込みはほどほどにね。
人格攻撃始めちゃったよww
それはともかくとして、良い職場だったんじゃないの?その「ゆるい職場」を含んだ労働環境がさ。
んで、それを良い企業だからそういう環境だったに見出さないなら、本当に単に「ラッキーだった♪」って話にしかならんねw
こうした物ってさ、普通は気持ちを入れ替えて教職に近いバイトしたりするもんじゃね?
塾に勤めたりさ。
元増田の主張もそういうことじゃん。
でも、元増田はそういう動きしてないよね。
単に、ラッキーなだけ。
あと、よく逆張りの話も見るよね。
興味が無かった仕事だったけれど、奇妙な縁があり仕事をいただいた。
やってみると思いのほか面白くのめりこんでいった。
縁というものは大事にしたほうが良い。
的な話。
他人の「結果」は良く終わってるんだから、そりゃ良い話さ。
そうだね、そのとおりだ。
んで(本当かどうかは判らないが)運良く拾えたようだ。
ここに書いてある事は、「私はラッキーだったよん♪」でしかないんだけど、そういう書き方して無いよね。
お気楽で良く見る「夢をあきらめないで♪」ってな感じになってる。
ここに書いてあることを「イイハナシ」とか思っちゃうのは、自分に甘すぎるぞ。
この増田は、職も無い状態で「夢」を信じて教師を目指せたのかね?
親に迷惑かけられない、とか書いてあるが、自分の言葉をそのときの自分に当てはめたら、どういう行動をとるんだろう?
たまさか良い職場でいろいろと便宜を図ってくれたようだが、普通はそんなこと無いぜ。
ここから読み取れるのは、「うそでも何でもいいから、良い所へ就職しよう」という逆メッセージになる。
でもこの増田は、逆のことを言っているぜ?
ほんの40年くらい前に戦争に行ったことがある。
親が海外赴任の時に生まれたので、僕は合衆国市民権を持ってた。
当時は大学に入りたてだったけど、市民権を持っていたからアルバイトなどがしやすく、ラッキーくらいに思っていた。
そのあと2か月訓練を受けてすぐにダナンに送られて、戦争を体験した。
と言っても僕にとって人を殺したことも毎日吹き荒れる銃声も、あまり感受性を刺激するものではなかった。
確かに怖かった。生まれて初めての実戦では歯を食いしばりすぎて奥歯が欠けたし、小便を漏らした。
でもそれだけだ。
戦友の死も、自分の薬指と小指が吹っ飛んだ瞬間も、まるで映画の中の出来事だった。
ただ、熱いのと汚いのが嫌だった。
それにうなされることもない。
それかマスコミに影響されてるんじゃないだろうか。
考えても見てくれ、戦争は人類が誕生したころから繰り返し行われてるのに、PTSDになるような兵隊が出てきたのはここ半世紀ほどだ。
僕が指を吹っ飛ばして国に帰ると、地獄が待っていた。
世間だ。
軍隊では各々が役割を持って、助け合って生きていたのに、国に帰ってみたら騙し合い、裏切りあいの連続だった。
彼女が反戦集会に行くというから付いていってみたら、大麻をやりながら戦場に行った奴がどんな悪いことをしてるか話してくれと言われた。
嫌になって途中で抜けだしたら次の日に彼女は長髪無職に男に乗り換えた。集会にいた奴だ。
当時、大学のキャンパスには身体障害者になった大学生が大勢いた。
まるで魔女狩りだ。
偽善者にこびへつらうか、後ろ指さされるかしか、ベテランの生きる道が無かった。
社会に受け皿が無かった。
ケネディに投票して、僕らを戦場に無理やり連れて行ったのは奴らなんだ。
僕は戦争の夢はあまり見ない。
みてもどちらかというと良い夢が多い。
あの頃は仲間が居て、死ぬ危険性はあったけどビール飲んで女を買って、ポーカーやってそれなりに楽しかった。
でも悪夢を見るんだ。
あれで人間が信じられなくなった。
接待で会話に取り残されるという若手にありがちすぎる応対に陥っている。まずい。
その日の飲み会は同僚1人と上司1人と取引先のおっさん2人が出席。ちなみに上司もかなりとっつきにくい人。
とりあえずお酌や料理の盛り付けをしつつ相手の話を盛り上げる方針で乗り切ろうと決めた。
ラッキーなことに取引先のおっさんは二人とも饒舌な方だった。なんだええ感じや、と思っていた。最初は。
しかし案の定というか、「またこのパターンか」と内心ひどくうんざりしてしまう会話だけになってきた。
いわゆる「昔は良かったそれに比べて今は~」という懐古ネタと「すげえ仕事してきたぜ」という自慢を合わせた
聞き役に徹せられるのだから相槌を打っていればいいのだけれど、こうも自己顕示むき出しのトークに付き合い続けるのは辛い。
元々話自体に興味も無く、酔いも手伝って次第にどうでもよくなってくる。
気がつくと同僚が一人で聞き役をやってくれている。おっさんの一人がこっちを疎ましげに見ている。
これではあかんなぁとは思うけれど。どうにもならんね。
税制などは専業主婦には有利かもしれませんね。一方、社会参加に有利な制度が機能していません。OECD加盟国平均と比べても、女性の役員や政治家は少ないです。女性の政治家は、ヒマな活動家か、変な専業主婦代表みたいなのが多い印象がありますが、これについてはは主観の域を出ませんね。
http://unic.or.jp/unic/press_release/1373
それは現状を追認する理由になっていません。ちなみに、事実婚夫婦の子供は何人も知っていますが、私の知る限り悲惨な事例は見受けられませんね。何か統計データ、出ます?
おおw 社会と戦うアタシかっこいーw でも普通に男と出会って普通に社会で働いてる女の大半は結婚してるし子供を産んでるよ。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/kouhou/useful/u38.htm
減っているのは確かですよ。普通に男と出会う人が減ってるのか、普通に社会で働いている人が減っているのかは知りませんが。
あなたは良い伴侶を見つけて素敵な結婚をしたのでしょうね。ラッキーでしたね。
ちなみに私も既婚、男ですけどね(笑) コンカツとやらが何か知らないのでコメントを避けますが、既婚カップルが子供を作りたくなくなる世の中に絶望している立場です。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1550.html
主語が大きい、と言われましたが、大きいなりにデータに基いて話しているつもりです。あなたは主語の小さい人ですね。自分のまわりだけ見てちっぽけな生活を楽しんでください。それがお互いの幸せというものでしょう。
自分のスペックがあまりに低かったので痴漢にあった事はそれ以外ないんだけど
一度だけ、電車が遅延してありえないくらい人が乗ってる時に痴漢にあった。
皆身動きが取れなくて私も全く動けなかったんだけど、たまたまその痴漢の両手が
私の尻にあたったせいでおっ女のケツじゃんラッキーと思ったのかここぞとばかりに尻を持ち上げてきた。
私はこれが一番ショックだった。撫でるんでもなく揉むんでもなく、尻を持ち上げるって。
知らないオッサン(もしかしたらオバサンだったのかもしれないけど)に触られたショックもさることながら
持ち上げられるくらいでかい自分の尻が一番つらかった。
当時の私は思い出したくないくらい太ってた。当然尻もでかかった。
なぜか知らない奴に持ち上げられたのが本当にショックで、その時ようやく痩せる決意をした。
あれから5年くらい経ったけど、そん時より8キロは痩せた。
当時履いてたズボンがウエストがゆるゆるで履けないくらいにはなった。
おもいのほか、しんどい。
ゼミでも進行役とかやっていたから、自分には総合職のほうが向いてると深く考えずに思ってた。
転勤と言っても国内だし、いろんなところに行けるのは楽しそうだしラッキーかなぐらいにおもってた。
会社は女子採用をすすめてたらしく、同期の1割ちょっとが女の子だった。
やっぱりね、転勤ってとんでもなくしんどい。
わかってたことだろう、って自分を責めているけれど。
同い年の彼氏は東京にいて、転勤なし。お互い明るくしてるけど、きつい。
独りぼっちだと感じるほどに、どんどんこの土地が嫌いになっていく。
外に出ると、周りはカップルや友達や家族連れだらけで、余計さみしくなる。
学生時代の友人たちが、ゼミ仲間で飲んだり、サークル仲間で飲んだりしてるのを聞くとめちゃくちゃうらやましい。
あと、転勤ありの総合職で、結婚出産子育てなんて都市伝説だなっておもう。
結婚すれば、旦那の勤め先に近くなるよう配慮してくれる制度はあるけど、
絶対行けるわけではないし、周りを見てもまだまだそんな実情ではないんだろうなと思う。
かといって、彼に仕事を辞めてこっちに来てくれ、なんて言える覚悟も甲斐性も、当然ない。
私の会社の転勤タームでは、あと3年は少なくともこの土地にいることになる。
でも、そこまで続けられないだろうな、と思ってる。
自分には向いてなかったのかな、と思う。
自己分析とやらが、足りなかったのかな。
甘ったれだと自分でも思うけど、ただただしんどい。
上記の記事を読んで言いようのない不愉快さを感じた。
はっきり言って「たまたま上手くいった例」の一つに過ぎない。
たまたま運良く東京に出られて、たまたま上手くコミュニケーションに合流できたラッキーな人ってだけでしょう。
出会いの場も沢山あるだろうし、おそらくそういう人たちのローカルなネットワークもいくつもあるんだろう。
自分に合わないコミュニティであっても、探せばすぐに自分に合うコミュニティが見つかるのだろう。
一方地方はどうなのかと言えば、狭すぎて疲弊したネットワーク、しかもそこからこぼれてしまうと、もう自分の居場所はまったくなくなってしまう。
そして厄介なのがこういうデリケートな情報は田舎では格好のスキャンダルとして逆に蔓延しやすいということだ。
だから東京においで?ふざけるな。
これは私も思っていたこと。
日本がこれだけ発展したのは、日本人の資質に要因があるというよりも、日本の立場がたまたま世界の潮流に合致していたせいなのではないか、と。
アメリカだって、陸続きな上下を比較的マトモな国家に挟まれているから発展できたともいえ、もしもメキシコの国家運営が100年前に完全に破綻していたとたら、防御壁の役割を果たさず、南アメリカから難民が次々に押し寄せて、アメリカ国内が大混乱をしていなかったかも知れない。
発展する国家というのは、何かしらの好条件に恵まれているもの。
ただし、それを利用できるかどうかは、その国家の構成員の決意や努力にかかっているのも確か。
同じように資本主義社会での発展のチャンスをつかんだアフガニスタンやイラクでは、人々にその意思がないために、そのチャンスを生かせず、混乱が続いている。