はてなキーワード: メタファとは
特に成年漫画とかいい作品(いろんな意味で楽しめる作品)多いと思うので、紹介します。
1.かげきしょうじょ 斉木久美子
歌劇団のトップっていう一番を目指すっていう、わかりやすいストーリーなのがまず良い!!
一生懸命だからぶつかり合えるし、一生懸命だから一緒になって喜べるし。
本当に面白いのに、いまいち知名度がなかったりするから、今一番、お勧めしたい漫画!!
とにかく、ただただ、たのしくてどんどん読んじゃう。
笑止っ!には笑った。素直でいいね。
「やっとこっち向いた。」っていうセリフにやられました。
4.Ascene 武富智
絵柄がお洒落。
ちなみにBsceneとCsceneもあります。
たぶんあんまりメジャーじゃないと思うのだけど、めっちゃ続巻(スピンオフとか)が出てるから、根強い人気があるんじゃないかと推測してる。
なんか心理戦とか繰り広げたりしてて、おもしろい。そして最後は王子が必ず勝利して、サッと店から出る様式美が好き。
6.ちおちゃんの通学路 川崎 直孝
単純に一般誌に連れてきただけでなく、誰が読んでも楽しめる作品にしたのは、メディファクは良い仕事したなぁーって思う。
(成年誌出身作家ってどうしても、ただのエロ成分を弱めた感じの作品になりがちだと思うのです。。。)
読んでて、大人の仲間入りできた感じがする様な、ちょっと背伸びした感じになれる。
8.うきわ 野村宗弘
不安な気持ちとか、なにかにつかまっていないとダメになりそうな気持ちとか、そんな気持ちを
言葉とかセリフとして表現するんでなく、うきわっていうメタファを使った表現にしたのが、すごく腑に落ちて、心が揺れ動かされた。
単純にうわきとうきわっていう駄洒落なんだけども。。。いや、シンプルだからこそスッと腑に落ちたのかも。
靴がその人の人生を変えるっていう、ちょっとファンタジーみたいな世界も、本当にそういう実話があったような気持ちになる。
ひとつひとつのエピソードが丁寧に描かれてて、ストーリーにちょっと無理あるだろー、とか思わせない。すごい。
いやぁ。なんていうか脚の描き方がすごい綺麗だなぁって思います。
そして、こういう作品にドキッてしまう感じが、私生活のこじらせっぷりを露呈した感じになる(笑)
名作!!
女のひとが読んでもおもしろいと思うのでは?と勝手に思ってる。
いや、さすがにそれはないか。。。
Hを楽しんでるのが、とにかく良い!!
絶倫っぷりと、謎の使命感に笑ったw
それにしても、出す作品、出す作品どれもおもしろいのが、凄い!
どの作品も楽しめる!!
「こんなのくらっちまったら、やられる」みたいな格闘漫画みたいなセリフが好き。
isbn:489465621
楽しそうでなにより!
8.NON VIRGIN 織田non
Xerosで巻頭カラーになってたの(slave-fantasy)を初めてみたとき本当に、感動した。
絵がめちゃくちゃカッコいい!!
すごい好みの作品。
めっちゃやってたのだけど、
10.びゅーびゅーびっち 五月 五日
https://www.toranoana.jp/mailorder/article/20/0011/15/05/200011150513.html
これは、ちょっと読む人を選ぶと思う。
僕は好きです。
追記:id:showgotch(技術教師)さんご本人から、元増田記事を書かれたのは別人であるというご連絡を頂きました。当初、誤った推定でこの記事を書いていたために、showgotchさんに不要なご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。
なお、元増田記事が投稿された日、showgotchさんはお誕生会を開かれていたそうです。そして、せっかくのお誕生会から帰ってこられたときに、自分が元増田記事を書いたと思われたことを「不愉快」に感じられたそうです。それを含めて、元増田記事の投稿者だと勘違いしたことをお詫びします。そして、お誕生日おめでとうございます。
以上:追記おわり
コウモリ(Rlee1984)です。ご質問を頂いたので、お返事いたします。
①技術教師のid:showgotchさんが、こういうブログを書かれる。
→ http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20140228/1393606968
②コウモリ(Rlee1984)について書かれている部分があるので、そのブログにコメントする。
③コメント欄で幾つか話す。
④id:showgotchさんの記事とコメントを見た誰か(不明)が増田に、無リンクでの投稿をされる。
→ http://anond.hatelabo.jp/20140302105919
A、該当記事のリンクは上記の通りです。念のため、以下にも再掲します。
B、元増田記事での引用から抜けている部分を以下に引用します。
C、元増田記事に対して、返答が必要と思しき箇所のみ簡潔にご返答いたします。
①引用元のブログ記事と自分のアカウントを隠蔽し、リンクも貼らず、任意のコメント欄だけを抜いた形での増田投稿による文脈操作は、良くないと感じます。
②繰り返しになりますが、僕は個人攻撃やマウント合戦には興味がありません。ブログ記事でご返答すべきものがあるとは思えないこと・増田でご意見を頂いたことから、この場を借りてお返事さしあげる次第です。
http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20140228/1393606968
『ちきりん氏の科学教育論もそろそろ幕引きで』 id:showgotchさんのブログ記事
showgotchさんが、記事内で僕(コウモリ・id:Rlee1984)について触れた部分を引用します。
なんか高卒ニートがそんなトラウマからか、調べて頑張ってる様子だったのだけれど限界が見えているので細くしておこう。それよりニートに屑とか言っちゃダメだよ増田。
Id:Rlee1984の主張は、経済を勉強した学生によくありがちな「ハイ論破」のつもりで結局平面上を右往左往してる議論にしかかなってない。
トレードオフの話を取り出してくれたのは自分で落とし穴掘ったようなもので、結局つめこみvsゆとりの構造から脱却できてないわけでしょ?ぜんぜん脱構築もアウフヘーベンもしてないじゃん。系統学習か経験学習か、と言われれば両方横断するのが一番なのである。僕の好きなメタファの一つに「デールの円錐」と言うものがある。~略~
分けて返答するのが困難なため、元増田記事とshowgotchさんの記事を同一意見とみて返答しています。
指導要領では、「系統vs経験を乗り越えて」、「ゆとりか詰め込みかを乗り越えて」、というお題目がセットになるものです。
それを引きの視点で見て分類した話をしています。(僕の記事の注釈で分かるかと思いますが、言葉の範囲を拡大して分類整理に使っています)
たしかに企業による利益誘導は問題ですが、『学者や教師以外は外野』と言ってしまうのは極端です。
教育は社会の基幹であり、この社会に暮らす万人が広く意見を述べる権利があると思います。
対応発言:元増田の『より学問や科学知に近いスキームを得られるようにした方がいい』
対応発言:元記事の『学校で行われている教育は100年の改善を積み重ねて来た等しく必要な教育』
対応発言:元増田の『100年の積み重ねがある教育を~中略~必要とはいえなくても不必要とは言えない。』
対応発言:元記事の『その二つは同一平面じゃない。円錐の一番上としたなのですよ。』
これを受けて、平面ではない具体的な制度論としての「提案」を求めておりました。『幕引き』とタイトルで仰られていたからです。そのため、次の発言は意味が分かりません。
また話を広げようとされているので、収束が面倒なのですが;
ICT教育への期待(教育効果の可視化)と、弊害への心配(教育目標の矮小化)については、ツイッター上の発言部分をご参照ください。
→http://twilog.org/1984lee このツイログから検索すれば、見つかるかと思います。
ここで多元的評価(羅生門アプローチ)についても話しています。
僕の記事では、「学習指導要領の変遷くらい眺めてから記事を書かれてはどうですか」と申し上げました。系統vs経験は、ざっと眺めれば素人でもすぐに見つけられる用語です。そして伝えやすさのため、他のベクトルを含む用語を一旦わきに置いて絞り込んだ説明をしています。徒に自分の知っている専門用語をばら撒くのはマウント目的と判断されやすいからです。相互の記事における、固有名と専門用語の数を計算してみれば分かるかと思います。僕はコメニウス、デューイ、ブルーナーの名前すら出していません。また、ICT教育の語も用いておりません。
そのように評価される教育関連の方もいらっしゃるのだ、と受け止めさせて頂きます。
また何かありましたら、よろしくお願いいたします。
ただ今後は、「相互の理解を深める」「生産性ある見識を広める」こと以外を目的としているように思える場合には、返答しないことがあります。ご了承ください。
iOS7に変えてみたんだけどなにこの使いにくさ。イラッとする。ストレスたまる。
全体的に「何の意味があるんだ?」って突っ込みたくなるUIが多すぎる。
ましてや初めてスマホを触るような人達にとってiOS7は受け入れられてるのか?
docomo解禁でスマホデビューしてるような人達がiOS7をどう捉えてるのか気になる。
何でこんな事を増田で書き始めたのかと言えば以下の記事を読んだから。
よくわからない。
現実世界のメタファーが無くなると、それで一体何がどうなるわけ?
フラットデザインのお手本って紹介されてるサイトに行くと、どこをクリックしたらいいのかわからん。
「俺は先に進みたいからどこかしらをクリックする必要がある。どこや?どこをクリックしたらええんや?」って探さないといけない。
インターネット歴10年以上の人間がそんな状態に陥るようなデザインって、間違いなく破綻してるよ。
ユーザーはクリックするべきところを無意識に理解できるデザインこそが素晴らしいデザインなんじゃないの?
なんでこっちが気を使って頑張ってクリックする場所を探さないといけないの。
現実世界のメタファーは人類の利益を毀損してんのか?無くさないといけないのか?
メタファーが消滅すると、具体的に何がどう嬉しいんだよ?
禅とかミニマリズムとかここ10年Appleがやってきたことは素晴らしいと思ってる。
Googleとかにも共通する話だけど「全てはユーザーの利便性のため、そのために必要無いものは極力省く」っていうスタンス。
web業界だけじゃなくて全ての世界に当てはまる至言ですよこれは。
30年経っても色あせない。
逆じゃん。使い辛くなってるじゃん明らかに。
今の主流デザインは洗練されすぎてもうデザイナーがやることが当分無いから、無理矢理仕事を作ってるだけにしか見えないんだけど。
さっさと滅びろよフラットデザインなんて。
そんなところを破壊する前に電子書籍の紙っぽいページのメタファを何とかしてよ。
あれは間違いなく悪だから。
iOS 7でとうとうAppleもフラットデザインに舵を切った。
今までのAppleのデザインはメモ帳やカレンダーといった現実世界に既にあるものをソフトウェア上で表現するものだった。
このスキューモーフィックと言われるデザインは、ユーザが画面を見た瞬間に、現実世界の事前知識から「そのソフトウェアが何であるか」をすぐに理解できるメリットがあった。
iPhoneによってあらゆる人にコンピュータが広まる過程において、ソフトウェアの概念をスムーズに理解させるには、このような現実世界のメタファを利用することが有効な方法だった。
ただ、この方法では、メタファにこだわればこだわるほど、「ページをめくる」「ゴミ箱に丸めて捨てる」というような現実世界で対応する動作が無いと機能を追加しづらくなるデメリットがあった。
そして、iPhone発売から6年経ち、スマートフォンを活用して生活するのが当たり前になりつつある状況になった今、Appleは新しいデザインコンセプトへとシフトした。
新しいデザインをAndroidやWindows Phoneと同様の「フラットデザイン」と呼ぶべきか否か議論はあるかもしれないが、便宜上ここではフラットデザインと呼ぶ。
フラットデザインの一番本質的な違いは質感や影のあるなしではなく、ソフトウェアをソフトウェアそのものとしてデザインしているところにある。
ソフトウェアは現実世界にある道具と同様の機能を果たす面もあるが、それだけには収まらない様々な機能を提供可能な新しい「モノ」である。
Appleは今まで「カレンダーを画面上で再現したもの」という存在だったソフトウェアを、「日付を知るという機能を物理的制約のない画面上で最適な形で表現したモノ」へと変化させたのである。
これは既存のメタファに一切頼らないという意味で、直感的な理解が難しくなる危険性をはらんだ変更である。
中にはこの変更についていけない人も出てくるだろうが、それでもソフトウェア本来の能力を引き出すためにはどこかで現実世界のメタファから卒業する必要があったのである。
Appleは人類全体の中の十分な割合の人が、ソフトウェアというモノをメタファに頼らずとも理解できる段階まで来たと判断して、今回の変更に踏み切ったのだろう。
anond:20080318031119を書いた増田です。
ふと思ったことを何気なくつぶやいたつもりだったんですが、たくさんトラックバックやはてブコメントをいただいていてびっくりしました。
まず最初に、お詫びしたいことがあります。
私は「女性なら誰でもアダルト表現を見て傷つくものである。そうでない女性は繊細さが足りない」などというつもりで最初の一文を書いた訳ではありません。
むしろ自分は少し神経質な方だと思っていますし、気にならないのならその方が暮らしやすいと思います。
表現の仕方でそう受け取られた方がいらっしゃったようなので、そう受け取って不快になられた方にはお詫びします。
コメントを拝見すると、大まかに「見たくないのなら見なければいいのでは」というご意見と、「ナイーブ過ぎるのでは。そういうものに溢れているこの世の中でそんなことを言っていたら生きていけない。慣れるしかない」というご意見の2通りがあるように思いました。
前者については、残念ながら難しいのが現状です。
メールチェックをすれば1日に数十通、アダルトSPAMメールが届いています。
自分のサイトに設置している掲示板には1-2週間に1度の割合でアダルトサイトへの誘導コメントが書き込まれます。
はてブからブログを読みに行けば、いろんなところでアダルトSPAMトラックバックを目にします。
これらはネットの話ですが、例えば郵便受けにも裏ビデオのカタログやデリヘルのチラシが時々入っています。
現状は、こういう情報は、望まなくても、目に入ってきてしまう状態なのです。
「男性だってBLコンテンツを見たら同じように傷つく」とコメントされていた方は、BLコンテンツのSPAMメールやSPAMコメントやSPAMトラックバックやチラシが同じように溢れている状況を想像していただけると、少しはご理解していただけるでしょうか。
実情としては、後者のご意見のように「慣れるしかない」状態なのが現実です。
「傷つく」という表現が、少しきつかったのかもしれないと思います。
ただ、それは「傷つく」というよりは「不快感」なのではないかというコメントをいただいていますが、「不快感」という怒りに近い感情よりは、心の一部が磨耗するような感覚です。SPAMメールをタイトルで確認して消していく時、掲示板のSPAMコメントを消して、そこに含まれているアダルト表現を以後書き込み禁止ワードとして登録していく時、郵便受けに入っているチラシをなるべく見ないようにしてゴミ箱に入れる時、ちょっとずつではありますが、確実に気力が消耗していくのです。
児童ポルノ規制に関する議論を読んでいて気になったのが、「被写体が実在しないもの(2次元)は誰も傷つけることがない」という意見でした。
私はそうではないのです。2次元/3次元問わず、そういったものを、心の準備ができていない時に不意に提示されると、ぐったりします。
疲れて帰宅した日には、そういう文面のタイトルを見る気力がなくてメールチェックすらできない時があります。
かつて「週刊わたしのおにいちゃん」が話題になっていた頃は、様々なブログで、性的なメタファが込められているあのフィギュア画像が紹介されていたりアマゾンアフィリエイト画像として自動掲載されていたりしたため、疲れてブラウズをやめたこともしばしばでした。
コメントを拝見する限り、やはり私はかなりナイーブな方なのだと思います。
けれど、知り合いには、やはりアダルト表現の不意打ちは苦手、という女性は少なくないです。
ネット上で私の目に入ったところでは、そういう意見があまり見かけられず、そういう表現で傷つくような人は本当にいるのか?と懐疑的な意見も見かけられたので、自分はそうだということと、なるべく想像してもらえるようにその理由を書いてみたのが前回のエントリーでした。
「だから規制するべきだ」とは思っていません。表現の規制というのは非常に大きな危険性を孕む問題だと思っています。
けれどその昔、公衆電話ボックスにあふれていたピンクチラシがある時期を境に一掃されたのはやっぱりほっとしたのです。
2次元/3次元を問わず、そういうアダルト表現は望まなければ目に入らない状況になってくれればいいのにな、と思うのは事実です。
ただ、思ったより今の事態を気にしていない人が多いのだな、ということはコメントから実感しました。
だからこその現状なのかもしれませんね。
そんな、小学生に言うようなこと言われても。。。慣用じゃないのか、こういう使い方。。。
でもそう言われて気付いたけど、これは軽くメタファーになってるのか。「3時にベッドに入るという目標」を「人の家」に、「何度も守れないこと」を「不義理をしてしまっていること」に擬制している。「次の機会に行きづらくなったこと」は「現時点(次の機会)では、3時にベッドに入るという目標を掲げにくいこと」にあたるのかね。
とか説明するのも、野暮というか、そこまで普通考えなくても何となく分かるよねというか。慣用ってことでいいんじゃ?
けどまあそもそも、「敷居が高い」自体がメタファライズされた表現だから、メタメタファになってるってことか。あーそういえば新入社員のとき、書くときにひねりは2つ加えたらいけない、1つだけにしろって上司に教わったなあ。メタメタファになってたから、分かりにくかったってことかね。ひねりってほどでもないと思って使ったんだけど。って自己完結。
この小説、今まで読んだ小説の中で最高に自分のためになった小説だと思う。「心の実在を証明せよ」と問いかけてくる精霊に、二人の女性が挑んでいく話。
いろいろと自信がなくって人のこと疑ってばかりでそんな自分に自己嫌悪して、そんな自分にこの小説のヒロイン二人は道を示してくれた。
疑いながら信じる道こそが本当に信じることなのだということ。自分の言葉はきっと誰かに伝わるということ。言葉を受け取ることは愛を受け取ることなんだということ。
小心者の私に、そんな道があるのだという希望を持たせてくれた。
この話に含まれているメタファはとても複雑で、未だに全部把握しきれていない。話だってとても重たい。ヒロイン二人が背負ったものは本当に重たくて、それなのに彼女らは救われていいのかとか思ったりもする。
けれども、この話が好き。大好き。
・上部構造は下部構造の上に乗っかってるよ
・だから大事なのは下部構造だよ
・上部構造の複雑さなんて下部構造の問題の反映だから大事じゃないよ
……ってな感じ。
結局はひとつの目的のため、つまり慰めなんだよ
って発言は「結局のところ全部慰めなんだから、作品の多様性なんか本質的じゃないんだよ」と言っている風に読めるわけ。
別にクリエイターを神聖視する気はないけどさ、「多様」な「手法」を生み出すためにワナビ含めて作り手はみんな必死こいて切磋琢磨してんのに、「結局慰めなんだよ」とか言っちゃうのはねー。感心しないよねー。てか、全ての作品を「慰め」としか分析できないのだとしたら、分析している人が問題なんじゃないかしら、とか思うんだけど。そういうことって疑わないのかしら(世界がつまらないのは自分がつまらない奴だからだメソッド)。
・オタク向けの作品には、人生のメタファが散りばめられている。
・それら人生のメタファは、オタクの人生を肯定する方向に歪められている。
・オタクは、オタク向け作品を消費することで、上手く生きられない自分を肯定できる。
自分なりに読解してみた。「メタファ」ってなかなか上手いこと言い換えられないもんだね。俺はそれほどオタク研究本の類を読んでないから、間違ってるところもあると思う。訂正してくれ。ただ、これで正しいなら、まあどこかで聞いたことがあるな、という話。
疑問点
・「大多数のオタクはルサンチマンを抱えてる」とあるが、では「少数のルサンチマンを抱えてないオタク」はなぜオタクをやっているのか?
・生へのメタファを歪めているのは作者だと思われるが、その作者は意図して生へのメタファを歪めているのか?
・作者がオタクである場合、作者はどうして生へのメタファを歪めるのか?
・作者が意図していないとしたら、読み手は歪められた生へのメタファ云々をどうやって読み取ったのか?
・読み手が無理に読み取っているだけならば、なぜその他のコンテンツに目を向けないのか?
・この論が成立するには、オタクが自身と作品の主人公を同一視していることが前提となるはずだが、オタクがそうしているという根拠はあるのか?
うーん。解説ありがとう。でもやっぱりわからない。
という文章はわかるよ。だけど、
アニメ、漫画、ラノベ、ギャルゲ、エロゲ等のオタク趣味に共通するものがある。
これらは全て、「コミュニケーション」、「相互理解」、「幸福」、「道徳」、「哲学」、「愛」、「人生」、「セックス」等の、「生の構成を多分に支えているもの」のメタファであるという事だ。
例えば、漫画の中で、キャラ同士が話をするのは、現実に人同士が話をすること、つまりコミュニケーションのメタファだ。
歪められた生へのメタファは、オタクの生へのルサンチマンを肯定する。
だが、密かにオタク達に語りかける内容はだいたい一緒だ。
「現実は君の事を否定するけど、君は本当のところ、全然間違ってなんかいないんだよ」
実際には、現実は人を否定したり肯定したりしないし、人そのものに正しいも間違ってるも無いんだけど。
と
が繋がらない。
原文を整理すると
「オタク趣味」は「生へのメタファ」なんだけど「好き勝手に歪められて」いて(誰に?)、「だが」(なぜここで逆接?順接じゃないの?)「密かにオタク達に語りかける内容はだいたい一緒」の「ルサンチマンの慰め」である
ってことなんだと思うんだけど、違う?
もしこれで要約があっているなら、括弧の中に書いた疑問点を補足して欲しい。
「ブロガーは何故ブログを持ちつづけるか?」という事を考えているうちに、「結局ブロガーは生へのルサンチマンを歪められた生へのメタファ考察で誤魔化してるだけじゃね?」という結論に辿りついた。
以下考えてた内容。
人間的魅力、運動能力、コミュニケーション、セックス… 色々思い浮かぶはずだ。
ルサンチマンを抱えているってことは、ものすごく、ものすごく苦しい。
[これはひどい][ブログ作法][揉め事][差別][非モテ]等のブクマタグに共通するものがある。
これらは全て、「コミュニケーション」、「相互理解」、「幸福」、「道徳」、「哲学」、「愛」、「人生」、「セックス」等の、「生の構成を多分に支えているもの」のメタファであるという事だ。
例えば、ブログで、ブロガー同士が話をするのは、現実に人同士が話をすること、つまりコミュニケーションのメタファだ。
だが、密かにブロガー達に語りかける内容はだいたい一緒だ。
「現実は君の事を否定するけど、君はブロゴスフィアの中では、全然間違ってなんかいないんだよ」
実際には、現実は人を否定したり肯定したりしないし、人そのものに正しいも間違ってるも無いんだけど。
ルサンチマンを打破するよりも、ブログ更新で慰める方が手っ取り早い。
なぜなら、ルサンチマンの打破は、とんでもない努力が必要で、とんでもなく難しいから。
しかもそれは感受性が高ければ高いほど。
ブログ更新は、時たま出版物としての形を持ち、ブロガーの自尊心を高める。
これにより、余計にルサンチマンを打破するのは難しくなる。
ブロガーは、ルサンチマンを打破せずに誤魔化しながら生きていく。
ブロガーとブログ更新はブロガーが生きていくために不可分なものとなり、
ブロガーのルサンチマンは打破されず、誤魔化されたまま、ブロガーはこれからも生きていくだろう。