はてなキーワード: ポプテピピックとは
色んな仮説が作れる。
たとえば「視聴者を完全に振り落としても許されるかどうかの違い」なんてどうだろうか?
ヘボットは一応はニチアサにやっている子供向けアニメであるためターゲットは子供だ。
そのため子供を完全に振り落とすことは許されない。
大人が耐えきれないほどのカオスも子供は受け止めるし、逆にちょっとした事で拒否反応も示す。
その基準はもはや大人になってしまった人間には理解不能となる。
迷走し続けた結果手堅くウケるパロディに逃げ込み、逃げの一手としてのパロディを作り続けることに終止する。
その場合その内容は一度視聴者に受けたようなネタの使い回しとなり、カオスがコンセプトであった作品の方向性からはズレていく。
ポプテピピックはまだ4話目ながらも攻めの一手から産まれるカオスを生み出すことが出来ている。
視聴者に受けたネタを使いまわすのではなく、視聴者がまだ見たことのないネタを出すことが出来ている。
これはヘボットとの大きな違いだろう。
みたいな感じで、適当に文章を並べるだけの「AIやサルに書かせても同じ結果が作れそう」な考察はいくらでも出来る。
でもクリティカルな一手は出てこない。
無数のそれっぽい仮説が邪魔をしてかえって真実が見えてこない。
どこで差がついたのだろうか。
ポプテピピックの「フィーリン」を切っ掛けにチートバグ動画というジャンルを見始めた。
人気のあるチートバグ動画ばかり見てるからいわゆる奇跡の一枚に近い代物ばかりザッピングした可能性はある。
だけどそれらが奇跡的な作品だったとしてもチートバグ動画の中に奇跡的に面白い作品が産まれるというのは紛れもない事実だろう。
なぜならこれは紛れもない違法アップロードのたぐいだし、その上やってる事はゲームを改造して滅茶苦茶にしその壊れっぷりを笑い者にしているという敬意のかけらもない代物だ。
「もとのゲームが素晴らしくて皆もその内容を知っているからこそ、そのギャップを笑っているのだから、ある意味ではもとのゲームに対する愛情の強さを示すような行為だ」という言い訳を通すことは可能だが、あくまで言い訳止まりだろう。
実際、チートバグ動画の大御所とも言える人物が自分のアップロードしたチートバグ動画を一斉に削除した事例がある。
著作権的にアウトな動画の一斉削除に関しては前にも増田で話題になったことがある。
あの際に出てきた「お前がオモシロイと思った動画は個人用に落として個人用に保存しておけ」は1つの真実であろう。
それが法律的にどうなのか、勇気を振り絞って消した人物や、法的な要請により削除した運営サイドの意志を踏みにじってはいないかと言ったことを抜きにすればであるが。
とはいえ自分が言いたいのは、そんな小難しい話じゃなくて、世の中にはまだまだ知らない面白おかしくてとんでもなくてそして気づかずに通り過ぎてしまえば失われてしまうものが沢山有るんだって事だ。
祭りに参加しているという共通感覚。そんなすごい所にリアルタイムで見ているという優越感。話題性に乗っかって楽しむ使いやすい語録。
消費物としての深夜アニメのブームそのものですよ。だからけもフレを例にするのは間違いでない。
ただし「ポプテピピックはパロディと声優ネタばかりでつまらない」と自虐(?)しているシーンがあるように、同列で語るのは過去にブームになった深夜アニメに失礼だが。
10年前に流行ったアニメは今見ても面白い。それは予備知識や外部要因無しで1つの作品として成立しているから。
ポプテピピックは違う。今見ないと面白くない。だから配信サイトから追いかけたり、再放送や円盤で見ても面白くないと感じるのは正常。そこには熱が無いから。例えば24時間テレビを録画で見てもつまらないでしょう?
ニコニコ大百科の神クソアニメによれば代表例としてMUSASHI-GUN道-が挙げられている。最近なら異世界はスマートフォンとともに。、DYNAMIC CHORDが記憶に新しい。古いのだとチャージマン研!、カブトボーグ、初代トランスフォーマー等。
これらは単体で見たらつまらない駄作だが、動画サイトでツッコミを入れたりどこがおかしいのかを考察することで一気に面白くなる。だから糞アニメ≠クソアニメなのである。
そして今までのクソアニメと言えば制作側が真面目に作ったものを視聴者が勝手に認定するものだったが、ポプテピピックは最初から公式で「これはクソアニメです」と宣言している。
視聴者はクソアニメとして見ることを前提としている。ニコニコの本編があっという間に100万再生されたり、元ネタ解説記事がバズったり、twitterでコラ画像や語録が頻繁に使われるのも公式の想定内。言い方は悪いが手のひらで見事に踊らされている。
こんなアニメは過去に例を見ない。だから話題になる。話題になるから見る。しかしこれまでのクソアニメといえば一部愛好家が見るものだったので何が面白いのかわからないと感じるのも理解できる。逆にこんな楽しみ方があったのかとクソアニメに目覚める人もいるでしょう。
クソアニメの新境地ですよ。話題作りという点で見れば百点満点です。ポプテのせいで埋もれてしまった同クール、同時間帯にやっているアニメは本当かわいそう。
(過去に例を見ないと言ったが聖剣使いの禁呪詠唱やカブトボーグは最初から狙って作っているクソアニメでした)
今1話を見たなら次の最新話はコメント付きの動画サイトやtwitter、2chで実況しながら見てください。そのためのMX、BS11、ネット同時配信です。1人で見て楽しむ作品ではありません。
今更そこを気にする?パロディの元ネタになってるゲームや漫画だって、30代40代のオタクでないと分からないラインナップのオンパレードでは?そのくらいの年齢でもオタク活動を続けている作者だからこそ原作には最近のネタも混ざっているけども、作品観のベースは一昔前のネット住人的なノリであることを考えると、特に気にするようなシーンではないと思うのだが。むしろ、若い子の多くはネタの大半が分からくともフィーリングで楽しんでいるようだし、そのくらいの受容性を見習った方がいいのでは?
増田のように、作品中に2ちゃん風やニコ動風の描写が出てくると、決まって「冷めるわー」的な反応をする人が大量にネットに湧くことを我々はもう何度となく見てきた。人はちょっと聞きかじった事があるくらいのネタなら素直に害意なく、なんなら知っている気分にすらなって楽しむことができるのに、「俺はこれをよく知っている」みたいなものに対しては、へんな自意識が働いて、「あーハイハイ、陳腐なこった」みたいな思考に陥ってしまう。これははっきり言って下品だし幼稚な思考だが、みんながやっているようにみえるのでなかなか思考を改めようと思う人は少ないようだ。けれど、その「みんな」というのはほとんどが生意気盛りの子どもたちの発言の集合である率が高い、ということを考慮せねばならない。ネットの向こうの顔の見えない人間が、どれだけリアルに幼く、育ちの悪い人なのか、ということに想像力を常に働かせていないと、自分自身が精神的に幼くなり、育ちの悪い人間と同様の思考回路が脳に焼き付き、人格的に落ちぶれてしまう。それくらいにネガティブな感性の伝染力は強い。そのことに無自覚で無邪気すぎるネットユーザーがあまりにも多いと私は思う。
また、アニメオタクに多いのだが、勝手に高すぎる期待をして、それとは違う表現を制作側がすると、クソだクソだと貶す人がネットでは目立つ。もともと他人に対して多くを求めすぎるというのは日本人の悪習だと思っているが、この現象に関しては、「自分の思った通りに作ってくれないと嫌だ嫌だ」と駄々をこねる子どもとなにも変わらない。そこにクリエイティブに対するリスペクトは何もなく、自分の作品でもないのに、他人がその人の価値観の表現の一端として作っている作品に、自分の価値観でもって勝手に校正を入れようとする感性は、ただただ醜悪だ。「鑑賞」という行為に対する基本的なリテラシーが欠如しているばかりでなく、人間としてあまりにも盲目で、多様な価値観を受け入れられる器を造成するだけの視野や想像力が未熟であることを感じさせる。そういう人が客層として少なからず存在するアニメ漫画業界において、ポプテピピックが自ら「クソ」を自称していることの意味を、よく考えるべきだと思う。
神谷は「獠ちゃんもっこり~♡」「ヨーコちゅわ~~ん♡」「くらいよせまいよこわいよーっ!」「屁のつっぱりはいらんですよ!」とかけっこうギャグキャラ(ギャグ台詞)やってて
クソアニメハンターの一人として、最近のポプテピピックブームについて言っておきたいことがある。
まず、ポプテピピックはクソアニメではない。クソアニメとは、決して意図的に作り出されるものではないからだ。
人工的に成分を合成したウンコをウンコと呼べるだろうか? 呼べはしない。ウンコとは、それが生じる過程によって定義されるものだからだ。
ポプテピピックは『クソアニメ』であることを目標として、見事にそれを描いたように見える。だが、クソアニメとは目標としたところを全く描けなかったアニメのことだ。描こうとした目標を達成しているのなら、それは普通のアニメだ。
クソアニメハンターにとって、クソアニメを鑑賞することは自然を愛でることに近い。稚拙さと混乱が生み出した偶然の美を堪能することこそが、クソアニメ鑑賞の醍醐味だ。
普通のアニメは人の手によって作られるが、クソアニメは偶然と不作為の産物であり、言ってみれば神の手によって生み出される。
つまり、クソアニメを意図的に作り出したと主張することは、冒涜である。それは神を騙る暴挙にほかならないからだ。
ポプテピピックはこう言っているように見える。「これはクソアニメです。だからいくらでもバカにしていいですよ」と。
だが、彼らはその「自虐」の対象が、自分たちだけに留まらないことに気付いているだろうか? これはクソアニメと、その製作者に対する侮辱である。
クソアニメの製作者たちは保護されなければならない。彼らは神に捧げられる生け贄 神の声を聞く巫女であり、彼ら無くしてクソアニメは成立しないからだ。
ポプテピピックはクソアニメを侮辱した。クソアニメの製作者たちを侮辱した。これは神聖なクソアニメに対する冒涜である。
ポプテピピックはクソアニメを騙った。ウンコでないものが、ウンコではないにも関わらずウンコを騙った。これは神に対する冒涜である。
ポプテピピックで新曲を歌うたびに「アイマスではやれてないのに」とか「アイマスPの念願だったタケバネが」というツイートであふれるが
そもそもアイマス内でタケとバネがデュエットを歌う必然性がない。
お前の念願を皆の念願のように言うのはやめロッテ。
結局はギャグとしてまとめていても風刺やパロディ、寓話的要素を詰め込む作りになっている。映像表現的にも多彩だ。それをみるに、この作品はクリエーターたちの創造力が発露される場となっているように感じる。そういう作品は観ていて気持ちがいいし、よい作品だと思う。