はてなキーワード: ねぎらいとは
趣味でよくWindowsのパソコン修理、といっても簡単なレベルだが自作パソコンをかじってるので、素人よりかは毛が生えた程度にやっている。
仕事もパソコンではないがメンテナンス業務だから素人なりにパソコンのほうは趣味だが故障傾向や、ハードウェアの簡単な判断基準などや、あとまだなんとか生きてるハードディスクのデータ復旧などもする。
ただこっちも趣味のかたわらではあるが、得た知識と、技術、時間、それはある程度天秤にかかってることを相手にわかってもらいたいが所詮は「趣味なんでしょ?w」となる。
最初の一人は自分の仕事の時間がどうしても合わず、ただ相手も困ってそうだったので仕方なくSkypeだけは使えるから誘導してリモート操作でチェック。夜の21時から。
結果、事前に聞いてた内容で最悪ハードウェアの交換をしなきゃならんのかな?とか思っていたんだが、リモートですべてことたりた。
修理後、一通り話して。
「ありがと、じゃまたね」
スカイプ終了。
後日この人のスマホもgoogleのアカウントのログインができないって症状(結構めんどくさい症状だったから悪あがきしても結局は初期化)で治したりしたんだけど。
もう一人のパソコンはHDDのセクタ不良でWindowsが立ち上がらないからスタート。
HDD取り出して外付け化してCDIでSMARTの状況みたりしてダメだからデータ復旧ソフトで生きてるうちに復旧開始。
その間に新しい手持ち中古のSSD換装。Windowsの再インストール、ドライバの再インストール。
あとその他ハードウェアの不良個所チェック。(メモリのスロット側が死んでるのを発見)
結果はSSDの代金のみ。
こーいうとき、人にものを頼むことがいかに大変かとわかってる方々は時間にもよるが個人の趣味の範囲だったとしてもだよ、5000円か1万円を包んでくださる。
そんな風にいただけたら俺もこれを次のパーツとか買って勉強したりもする。
ただ、時間や技術、特にパソコンは放置するにもできない時間が多く、ただ画面を見てるだけみたいに見える時間が多くてどうしても効率化が難しい。
だから、そんな忙しいなら受けなければいいじゃないかといえばそうなんだが、人間関係的に受けとかないとなぁという実情。
せめて、お金とは言わないと、言いたいけど。
余裕がないならないなりに、あるならお金でもうれしいけど美味しいごはんに連れてってくださいよ。もっとほかのこと話しましょうよ。
仕事中に、妻からとてつもなく暗い、ネガティブな内容のメールが送られてきます。
たとえば、
(結婚式の内容について前日に話し合って合意が取れてた)内容だけど、やっぱり納得がいかない。どうして私だけが合わせないといけないの?とか、
妊娠していなかったらどうしよう。もう生きていけない。とか、
つわりがもう無理、私だけ辛いのが許せない、とか
育児が辛すぎる、もう無理、できない(がん泣きする子供の動画を添えて)とか
仕事復帰を巡って、十二分に話し合った内容について、申込期限の直前に、
やっぱり決められない!どうしよう!どうしようできないどうしよう!!とか、
昨日の夫(私)の態度がどう嫌で、もう呆れています、返信は結構です、とか、
ケンカや話し合いで決着済みのことを蒸し返される&その時には言えなかった本当の気持ちが送られてくる、とか
その時々の暗い、悲観的な、見ててどよんとしてくるような内容のメールが1~2週間に1回くらいで来ます。
私も放っておけばいいのでしょうが、あまりに追い詰まっているような暗さのメールなので、つい「大丈夫かー!」とか、「おつかれさま(涙)」とか言ってやり過ごしたり、
感情が高ぶっているときは、私が何を返しても、質問しても、自分の言いたいことだけをガンガンに送ってきます。
ネガティブなものを一方的に排出されて、サンドバッグになったような気持ちになります。
しかし、仕事中で、メールという方法なので時間も手間もかかるし、気持ちも疲れますし、仕事中の相手にこれ送るかね?と思い、少なからず妻への怒りも感じてしまいます。
直接愚痴ってくれるのなら、いくらでも聞くし、ねぎらいだってします。
メールでだって、そこまでどん底にネガティブじゃなければ、やり過ごせるつもりです。
何度か、正直に、かなりキツいんだということ、私自身がメールで愚痴ったり相談する習慣がなく慣れていないから、
なにか思うことがあったら、顔を合わせて言ってほしい、ということを伝えたことがあります。
その時は、妻は「ほかに愚痴れる人がいない」と反発しつつも、
確かにメールでネガティブなことを言われる辛さもわかってくれたようでした。その時は。
ずっとなだめてきましたし、現実状況が辛くないように、妻の希望が一番通るように優先して物事を決定したりしてきたつもりです。
でも、いつまでたっても、どん底に暗い嘆きは終わりませんし、それがある以上、私自身が安心できないのです。
最近では、家にいても、明るくしても、家事育児をしても、私がいくらどう努めても、
きっと、あっという間に、あのネガティブなメールが来るのだろうし、家庭の雰囲気はダメになっていくんだと思うと、
心底、疲れてしまいました。
妻からは、暗い顔されてるのがイライラする。と言われてしまいますし、悪循環です。
(妻は、自分はそんなに悪くないと思っているような感じなので、婉曲的に、そうだと言われている気がします)
でも、正直、ふつうこんなメールがこんな頻度で送られてくるとも思えません。
離婚という方法ではなく、うまく付き合っていきたいと思うのですが、
今後もメールが続くとして、どう考えて納得したらいいでしょう。
逃げ恥最終回だけしか見てないのですが、家事の分担でもめてましたね。それ見て思いました。やっぱり家事は分担するものじゃないんだなと。
我が家(夫正社員、妻扶養内パート、子供なし二人暮らし)は家事を「分担」していないです。「基本的にいつもやる人」は決まっているけれど、絶対、ではないです。
分担を決めていないため、掃除も洗濯も料理もゴミ捨ても、基本は自分がやったほうがいいこと、という扱いです。もちろん、やるのは面倒だし、できたら相手がやってくれると嬉しい……。そんな感じ。
だから我が家は、家事をした側はしなかった側に、「〇〇終わったよ」と一言告げることが多いです。それに対して、しなかった側は「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えます。自分の代わりに家事してくれた! やったあ! と思うのです。
また、複数の家事をしなければいけないタイミングなどは、例えば「自分が米とぎやるからあなた風呂掃除よろしく」なんて言葉がよく交わされます。言い出した側は風呂掃除をしたくないので、米とぎを引き受ける代わりに風呂掃除を相手に押し付けています。どうせやらなきゃいけないなら、やりたい方をやろう、と考えています。言われた側は、本来ならやるべきだった二つの家事が一つに減ったので、相手に感謝の気持ちを抱きます。押し付けでもなんでもいいのです。減ったので万々歳です。そして、二人で各々の家事に取り掛かります。
もちろん、お互いにやりたくない家事が一致するときもありますが、その時は素直にじゃんけんします。どちらかが犠牲になるのはやむを得ないと理解しています。そして、当たり前ですが、やってもらった側はやった側に最大限の感謝を伝えてます。
「自分と相手を認める気持ち」が一番大切なのだと思っています。家事をした=当たり前、じゃなくて、家事をした=家事を自分の代わりにしてくれた!自分の時間を割いてしてくれた!、と、相手の労働を認めてあげる気持ちです。認めてあげれば、自然にねぎらいと感謝の気持ちが声に出ます。
家事をした側も、ねぎらいと感謝を伝えられれば、自分は家事をしたんだ!お前の代わりにしたんだ!と自分を肯定的に認めてあげることができます。
IT業界あるあるとおもうんだけど、なんでディレクターってエンジニアに相談せずに勝手にクライアントと話し決めてくるの??
そのくせ共有もまともしないしスケジューリングもへたくそだし、現場の状況確認全然しないし、
挙句の果てに
「あれ?いってなかったっけ?これ違うよ」
とか土壇場で言い出しちゃうやつ。
もうさー、自分で作ってよー。
そのくせ、ヒーコラエンジニアが血反吐はきながら整えてリリースしたら一番でかい顔でリリース報告してんだぜ?
メンバーへのねぎらいも何もない、おわったらハイつぎーと言わんばかりにそっぽ向く。
そしてリリースしたサイトがまとめサイトとかどっかの賞とかとった日にゃさらにドヤ顔で・・・
あいつらなんでも感性で語るからどうのこうの変にこだわり出して文句いうけど、それくみ上げるの俺たちだかんな??
で、組み上がってそれがデザインとかの賞とったらまたドヤ顔・・・もうええわこの流れ。
あとデザインに対してシステム側から見た指摘(システムに組み込むときにこのデザインだとムリがあるとかあるのよ)すると
あとディレクター以上にシステムわかってない状態で客にあれこれ話しやすいよね、デザイナー。
下手に自己分析とかし始めると
と無気力になって、貴重な10代を蔑ろにしてしまう可能性もあるよ。
まあ自分のことだけどね。
ルックスは、良くて三浦春馬(14歳の母とか出てて影のあった時代、全然顔は似てないよ)で、
大抵は実写版ちびまる子の藤木だとか言われるような陰気な感じ。
教科書なんて絶対開かなかったし、同級生に会うのが怖くて外出は極力避けた。
親から再三「不登校になると社会からドロップアウトする」と言われたからか通学はやめなかった。
進研ゼミを暇つぶしに解くだけで平均点+10点ぐらいは最低でも取れるというレベル。
学年順位で言えば240人中30位以内。増田と比べるとちょい下くらいかな?
本気出せばもうちょっといけるはずでそれが強みになると思ってた。
だから2年生の2学期からはテスト対策だけはそれなりにするようになった。
それ以上あれば文句なしに頭が良いと言えるはずで、当時の俺にとって絶対的な指標だった。
提出物を全くといっていいほど出さなかった俺の評価はズタボロだ。
三者面談を重ねる中で偏差値60以上の学校はまず無理だという現実を突きつけられた。
自分の決めたあの偏差値のラインは、俺が頭が良いという長所を有するための最低条件だったのだ。
それをクリア出来ない以上、唯一の長所を手に入れることは叶わない。
その時はそうとしか思えなかった。
なんの取り柄もないゴミである為、誰からもまともに相手にされずぞんざいに扱われるのが相応な人間なのだ。
そんな人間が努力したところで何もなさないことぐらいは俺でもわかる。
そんな風に考えていた。
俺は自分がなんの取り柄もないゴミであることが確定してしまったと思い込んだのだ。
勉強もろくにせずに挑んだ受験でちょうど偏差値60の高校に合格した。俺は嬉しいはずもなく、周囲のねぎらいは嫌味にすら感じられた。
高校受験で自分を開花させることができなかった俺は、自分に降りかかる不快な体験は全て自分のせいなのだとし、終始無気力で情緒不安定な鬱屈した高校生活を過ごした。
高校は地元町からそう離れていないので同じ中学からの進学者は二桁以上になる。
彼らが中学時代の俺について有る事無い事広めてくれたことおかげで、中学時代に塾や部活動に関わることが少なく他校生との交流がなかった俺は瞬く間に孤立した。
幸い部活や学外で友人はできたが、終始教室内では嘲りの対象で、「こいつがいるとその場が陰気臭くなる」「こいつさえいなければいいクラスなのに」と後ろ指をさされながら十代後半の3年間を過ごした。
ゴミだなんだと卑屈になった俺はやはり勉強に身が入らず、先生の助力のおかげで留年もなく、なんとか大学への進学を決めて卒業した。
今思えば入学時にそこまで卑屈にならなければいけない所以などなかった。馬鹿にされるところはあったにせよ、こんな俺にも魅力となるところもあったろう。
そんな自分を愛する心を、おぼつかない中学生の思慮で排斥してしまったのだ。
俺が中学生に何か言えるとすれば、下手に自分を分析なんかするなと言いたい。
自分が思っている以上に社会には様々な価値観や世界があって、君たちが見て来たものだけで自分を規定してしまうのは勿体無いと。
君たちの間でまかり通っていることが必ずしも正しいわけでないとも言いたい。
分析ということは他人にわかるよう簡潔にまとめあげるということだ。
自分のことは自分しかわからないし肯定もできないのにそんなことしていいのか?
分析なんかしなくていい、ただ自分の気持ちを自分で否定することがないよう努めればいい。
中学生ができることは、今じゃなくでもいいから、自分の気持ちに素直に行動できるように、卑屈にならないように、前に向かって進んでいくだけなんだ。
そして大人は10代の初々しい感性を傷つけないよう、挫けそうなときに優しく彼らの気持ちを受け止めてあげなければいけないのではないだろうか。