なお35歳を超えて来ると、カップル通り越して結婚してないのは人間性に問題があると見られる模様
一見カップル文化のフランスやイタリアじゃそんなもんないんだって
どっちがマシなんだろう
左翼側のSJWに飽き足らず、右翼系のSJW、宗教保守が力をつけてきた。
https://togetter.com/li/1441081
それこそ当時の児童ポルノ問題だと左派系ラディカルフェミニスト団体もだけど、キリスト系フェミニスト団体や統一系団体、それこそ当時の創価の婦人会や保守系団体が推し進めていたからこそ、与党が規制を押し進めると言う悪夢の様な事態になった訳だし、漫画等の創作物規制に関してはキリスト系、特にプロテスタントが熱心だった経緯があるから、何ら驚く事でもないけどね。
これは何も今始まった事ではなく、当時から行われてきた事であり、ただSNSが一般レベルまで浸透化したから、可視化されたに過ぎないと言う話だろうね。
それに当時から表現規制に関しては右も左もカルトも関係なく、奴等は手を組んで行ってくるやら地獄への道は善意で舗装されているとか言う様な事も普通に言われていた訳だしねぇ…。
そもそも日本だとそれこそキリスト系左派フェミニスト団体と言う悪魔合体したとしか思えない様な連中が存在して、そいつらが今でも規制を喚き散らしかしているのだし。
部屋着だから、とにかく暖かくて安いやつとしまむらに行った。900円でキティちゃんコラボの裏起毛スウェットパンツが売っていた。クロミちゃんとキティちゃんのを買った。あったかい。
一昔前にドンキで見かけたような派手さやいかにも感は減り、かなりシンプルになっている。無地のものよりなんか楽しいね。こりゃあいいぞ。
私は本が好きだ。
外に出るのが嫌いで、一人で家でゴロゴロする休日が何よりも好きな人間だから、読書は一番の趣味といえる。
本を読んでいると、たまにこれは私のことを書いたんじゃないかって思える時がある。でもそれはきっと、私が経験した出来事が世の中にたくさんあるうちの一つだったってだけなんだろう。
そんなありふれた話をどうしても誰かに聞いて欲しくて、よくある話だなつまらんわって吐き捨てて欲しくて日記を書く。
育ってきた環境のせいなのか、私は人を好きになることが苦手だ。もっときちんと説明すると、恋愛感情を持つことが苦手。人間的に好きになっても、例えば異性として、肉体的な接触を伴いたい相手として好意を抱くことが少ない。
だから、20年以上生きてきて、好きになった相手は片手の数で収まるほどだし、これは私の価値観の中ではとても少ない人数といえる。
その数少ない人々には共通点があって、それは初めて会ったとき私の中で「この人のことを好きになるし、好かれる」という確信を抱くところだ。かなり主観的で自意識過剰で、根拠のない共通点かもしれない。要するに私は、一目惚れから始まるタイプなんだろう。だから、友達から恋人へ関係性が変わることはほとんどなく、周囲の環境が変わらないと(自分を取り巻く人が変わらないと)新しい恋愛に出会うことが出来ないタイプともいえる。
そんな私はこの四月に会社に勤めることになった。男女比は半々くらいだけど、かなり年上の方が多い会社。そんな場所で好きな人が出来るとは思わなかったし、そもそもずっと働きたいから社内恋愛はしないようにしようと思っていた。(なんとなくめんどくさくなる印象があったから)
でも、入社して最初に挨拶中、コンタクトをつけてくるのを忘れてぽやぽやした視界の中で、他部署の男性を目にし、きっとこの人を好きになると思ってしまった。いやいやこんなボンヤリとした視界で判断できないやろと自分を律して、仕事に慣れることに集中していた四月五月。
彼は私の同期の直属の指導員だった。
部署は違うけれど、同期に指導する声はよく聞こえてきて、しかもその声がよく通る私好みの声で。あの日のボンヤリとした視界を補うように、聴覚から好きになってしまった。
とはいえ仕事上で関わりもないし、そんなに積極的にどうにかしたい気持ちもなかったので、社内に推しができてラッキーくらいの軽い気持ちで日々仕事をしていた。
それが崩れたのが10月の話。
私が何気なしに指導員の先輩に提案した飲み会が、思った以上に大掛かりなものになり、そこに彼が参加することになったのだ。初めて彼と会話らしい会話をした私は、この人ほんとに好きだなと気持ちを深めてしまったし、きっと自分は彼のタイプだろうなと手応えを感じていた。実際に彼もそのことを認めていた。
なんとなく、話し流れと社交辞令で、ワインを飲みにいきましょうと約束をした。
きっと、社会人の方々なら安易に想像できるのだろうけれど、部署が違えば仕事も違い、忙しい時期もリズムも違う。
あえて多部署の後輩を誘うこともないだろうとそんな約束はお酒とともに飲み干してしまったし、期待もしていなかった。だから11月の頭、彼とたまたま帰りのエレベーターで一緒になったときに、日程決めてないなって話しかけられて動揺した。安易に好きになった。もうそもそも好きなのに。
結局その日も具体的な日時は決めなかったのだけど、彼が飲みの場での約束を守るタイプの人間だとわかっただけで嬉しかった。
そして、今月、また彼と同じエレベーターに乗る機会があった。
きっと今日飲みに誘われるなと思ってエレベーターに乗り込んだ私は、実際に最寄駅に着くころ彼とどのお店に行くか話し合っていた。
私より勤続年数が長い彼は、良いお店のストックをたくさん持っていて、ワインの美味しいお店という私の希望を叶える素敵な立ち飲み屋さんに連れて行ってくれた。
そこがめちゃめちゃ美味しくて、彼と話すのもとっても楽しくて、お互いに趣味や価値観が合うことも確認できて幸せな時間だった。
そこで終わらせておけば良かったのに、どうしてだか2人して一緒に帰り、2人して一緒のベッドで寝ている。
彼には恋人がいて、私は多部署の後輩でしかなくて、友達ほどの信頼関係もないのにセフレになんてなれるはずもなく、一番中途半端な関係になってしまった。
こんなのほんっとうによくある話で、私は今まで同じような状況に陥った友人たちを散々説教してきたのに、これからどうしたら良いかわからない。正直超困惑してるしもうお酒飲まないと誓う。
どうしていいか分からない中で、確実に分かることもあって、私は彼を嫌いにはなれないし、そんな中で私は働き続けなければいけない。
めちゃめちゃ沼やんってなる。
それも底がないタイプの沼。
人生ハードモードだなって自業自得ながら絶望するけど、私の大好きな島本理生さんの本がもっと実態感を伴って理解できるようになるかもしれないと思うと少し嬉しい。
ハマるなハマるなと言われて引きとめられていた沼に底なし沼ってどんなんなんだろうと興味本位で近付いて案の定沈んじゃう人生も経験しないと島本理生は一方通行でしか読めない。これは私の希望的観測だけど。
島本理生に憧れた女がどうなるのか、また誰か聞いて欲しい。
他に何があるのだろう?
ぐらいしか思いつかないが、こういう食べ物の好みで相性をある程度測れる気がするのでもっと候補が欲しい。
もちろん醤油でもソースでもなくケチャップ派とか、一言でライスと言っても日本の米なのかタイ米なのかとか二択を迫ることには問題があるだろうけど
うちの娘は4歳。
2人とも発達障害だと聞いた。
でもショックだった。
夫の兄もその妻もいい人。
子どもたちとはあまり会う機会もなかったけれど、会えば可愛がってきた。
我が子に障害があると知った親がショックを受けるという話はよく聞くけれど、親戚の子どもに障害があると知った場合にも、それなりにショックを受けるのだと初めて知った。
どんな風にショックなのか、うまく言い表すことは難しい。
娘に年の近いいとこがいることをありがたいと思ってきた。
うちの子と仲良くしてほしい、
そんな勝手な期待を親戚の子供に抱いて、それが叶わない(かもしれない)故のショックなのかもしれない。
じゃあ増田は同僚が話すこと興味を持ったことを全部理解してあげてるのかね
世界は広いし個人のリソースは限られてるんだからそんなの無理でしょ
同僚がエクセルの代わりに自分の知らない別の世界に興味を持ちリソースを割いてるとは想像せずに
子持ちはもっと怒ればいいのに
将来あなたの子どもは何も残さないそいつらの面倒を見なくちゃならないんだよ
同時に事実婚など多様なあり方を幅広く認めていくべき
大学生は子供から見たら未来への希望にあふれていてしかも一人で暮らしている理想的な大人にみえる
一方で40にもなったら完全に人生に行き詰ってほとんどのやつがうだつがあがらないまま自分の死を見据えている
おっさんってだけで無価値だとみられる考えもわからないでもない
リコーダーは流石にひどい
俺、恋愛対象は女なんだけど美術的なところでいうと女性のソレより男性のソレのほうが綺麗と思ってたタイプの人。
女性が好きだけどソレを見るのは苦手だった。。。
なので、男の実物を見るためにハプバーにゆく。見るためだけに行ってみた。
するとまあ逞しいものがあるんだけど、たまたま女の子がレズプレイしたいって言ってレズプレイ(私脱がないタチ)+男(ネコに突っ込む人)でしたら
「あれ?女の子のヤツってめっちゃえっちでえっちでえっちで可愛くない…?今まで自分は何を思ってきたの?」
みたいなかんじになった。一気に美的感覚が変化した。最終的には男そこになんでいるの?みたいな状態になった。本来それは場所的にダメなやつですが!
中学入学時、親が近所の卒業生にもらってきた他人のお下がりのアルトリコーダーを使わされていた。
全くサイズの合っていないぶかぶかのジャケット、引きずるように長いスカートを腰のところで折り返して三年を過ごした。
私服は親がもらってきた近所の既婚女性が若い頃に着ていた洋服。
お小遣いは月に1000円。同級生には「それでなに買うの?」と馬鹿にされた。
当時は、うちは貧乏だから仕方ない、我慢しなくちゃいけない、と思っていた。
親にもなにも言えなかった。
実際は、うちは年収2000万越えの比較的裕福な家庭。(大人になって源泉徴収を見て気がついた)
決して、買えなかったわけではないと思う。
母は節約好き、というよりもケチで。電気や水道など大した意味もないのに執拗に消して回るタイプ。
わたしの平穏な学校生活よりも自己満足のための節約が大事だったか?
時々思い出して、「リコーダー」「他人のお下がり」とかで、検索してしまう。
兄弟間のお下がりで悩んでる人はいても、さすがに他人の唾液のついたリコーダーを我が子に使わせようとしている親は見かけない。
そんなにあり得ないことなのかと、今更傷つく。
そう思っても、大人になって反芻した時に傷ついたり、怒りがこみ上げることもある。