はてなキーワード: 馬主とは
馬主は馬を大事にして乗馬として扱うようなところに転売してるだけなので、金持ちの馬主が殺しているわけじゃないぞ
ところが、買ったところが最終的に肉にしちゃうだけ
次の所有者の問題なのよね
肥育業者(食べる前に太らせる業者)の率直なインタビューもある。
https://www.loveuma.jp/post/lm_009
中にはこんな言葉もある。
年間7,000頭も生まれてくる馬を、全頭救えるはずはないです。そこをとやかく議論すること自体がナンセンスですし、素人なんです。
引退馬支援をする人は良い人で、馬を肉にする人は悪い人という考えはそもそもナンセンスです。競馬や乗馬、繁殖等で需要がなくなった馬を生かしたいと想う人は、活動を一生懸命やればいいことです。でも、それにも限界があるということに気づいてほしいです
これが問題の本質で、生まれた数と、生かしておける数に差がありすぎるので、全頭生かすことが不可能という現実がある。
実際の数字でいうと、年間7000頭生まれ、その中で繁殖の需要があるのは種牡馬30頭、牝馬1000頭くらい。
もちろん1、2年で需要を失う馬も含めて、だけど。
乗馬になれる馬だって多くはなくて、それも仮に1000頭としても、まだ5000頭余る。
どうやったって年間5000頭は余るんだよ。
引退後に需要があった馬だって数年で需要を失えば同じ末路になる。
ざっと計算しても、現役馬1万2千、未デビューの当歳1歳馬合わせて1万4千、繁殖牝馬1万、種牡馬300の、計4万頭が意味を持って存在している馬。
国内総飼育頭数が4万から5万頭くらいなので、肥育中の馬、乗馬の馬を考えればだいたい合う。
結局、馬を救うにはその総飼育頭数無駄に増やす必要があるということになる。
年間生まれる7000頭のうち、年間100頭ずつ救うなら、10年飼うとして計1000頭養えなければならない。
年間1000頭救うなら、10年飼うなら計1万頭養えなきゃならない。
じゃあその経費、予算どうするの?ってなるわけだ。
一番現実的な策は、馬を販売する時に、ある程度の年齢まで面倒を見れるだけの資金を前金で貰うことでしょう。
餌代と牧場代だけなら月10万でいいだろうから、年120万みればいい。
3歳引退から10歳までとして7年間、840万を前金でもらっておけばいい。
何千万円の馬を買って走らせる人たちだから、そのくらい気にならないだろう、いや、気になる人は買っちゃいけないってことだ。
と思うと、実際にそうなることはない。
仮にそうなったとしても、食肉用の馬の需要がなくなるわけではないから、別途生産されることにもなるのだろうと思う。
食う用の馬は別に作り、競馬用の馬は無意味に負債化して長生きさせる。
なんか変な社会だなって感じはする。
そもそも論なんだけど。
そうまでして馬を生かす意味ある?
走らず賞金を稼がず、知名度もないから飼養しててもお客を呼べるわけでもグッズ販売できるわけでもない馬を、無意味に長生きさせる意味はある?
牛だって鶏だって食べるために殺しているのだし、馬だって殺せばちゃんと食べられるわけだから、命を無駄にしているわけではない。
福祉と言って無駄に10年過ごさせて、結局食えなくなるのって、意味はあるんだろうか。
犬猫みたいなペットなら、飼い主が愛情かけて、毎日一緒に過ごすから、それはなんか長生きさせる意味ってあるよねって思うよ。
でも馬って、家で飼えないじゃん?
結局、長生きさせるって言っても、飼い主はお金出すだけで、たまにしか会いに来ないし、飼い主にとっては負債にしかなっていない。
牧場で実際に飼う人はお仕事だから、それなりに愛情はかけていると思うけど、やっぱり仕事の対象で、多く扱う内の1頭でしかない。
愛されず、利用もされず、ただ生かされるって、どうなんだろう。
経済サイクルに早めに放り込むほうが自然なのでは?という気もしないではない。
でもずっと走りたくないのに走らされただけの馬生は可哀そうだから、ご褒美の時間を数年与えてあげるのは、必要なことかもしれない。
そのくらいはしてあげたい気持ちもある。
10年生かすか、3年生かすか、すぐ食べるかは本当は人間のエゴでしかないのはわかっているわけだけど。
「すべての馬を生かしておくことが幸せなのか」
ほんとう、そう思うわ。
結局のところ引退馬支援って、「競馬ファンが惜しいと思うほどの馬を、数年生き長らえさせる」が限界で、つまりは競馬ファンの博物館がわりのサービスでしかないんだよな。
これらって本質的には表現の自由の話じゃなくて各団体ごとのポリシーや政治の話なんよな。どれも法律的には問題ないことなので。
本当にそれ。
曖昧な線引きを具体的にしろと迫り、チキンレースをやり続けた結果が埼玉の公営プール。
Pixivだって当初「生成AIの学習データに実在少女の性被害が含まれるかも知れないから、実写のようなリアルな少女のエロはダメ」ってしてたけど、生成AIの中身なんて結果からどうやって分かるんだ、って批判がずっとされてきたら、いつの間にか「実写のようなリアルは全部ダメ」になってた。
ウマ娘はガイドラインを敷いていて、馬主・ファンが不快になる・イメージを損なう表現はダメ、としてたけど、でもイメージ損なう?よく分からん、とガイドライン上を反復横跳びをし続けた結果、ユーザー間で揉め事が絶えず、馬主の反発も買って、最終的にガイドラインは厳しく改定された。
最近では、焼き肉食べ放題は本当に食べ放題か、どこまで食べていいか問題も炎上してたよね。
セーフ・アウトのラインって明文化しないほうが上手くいくんよ。線引きの具体化は足の引っ張り合いになる。「上手くやれ」それだけでいい。
本気で守らせるには一度馬主に投げ込んだほうがいいんだろうな
『ウマ娘』公式が改めて「不適切な二次創作」に注意喚起―競走馬やそのファン、馬主ら関係者が不快になる表現はNG(インサイド) - Yahoo!ニュース
生成AIが出てきてからXでAI絵師のウマ娘めっちゃ増えたんだよ
絵描きはみんな公式のガイドライン守って表現に気をつかうけどAI絵師はそういう機微がわからないのかバズ目当てだからどうでもいいのか普通にライン越えしてくる
だから嫌われるんだよ
ウマ運営はさ、せめてググったり各種絵描きサイトなりのランキングにいるようなやつをきっちり仕留めてから声明出してくんないかな
本気でR指定やライン踏みに行くアホを駆逐するなら、ちゃんと対応してるところを見せてくれ
いくら通報したって消されないなら、そのうち馬主に凸が飛んでコンテンツ爆散するけど本当にいいんかいな
記事への反応 -
ゴロはBANしたってまたやるから、見えないところにもぐられる前に身元抑えとかないと、実質野放しになって収拾つかなくなるんだがな...
今、エロ娘を描いてる連中って反社なんでしょ。 弁護士立てて法的にやろうとしたら、弁護士が行方不明になるやつじゃん? 運営だってナンデモできるわけじゃないんだよ
逆に何でそんなウマシコを目の敵にしてるん?
フェミニストがなんか言ってるみたいですが、競馬界がフェミニスト如きで簡単に折れるようなやわさなら
ストライキなんて起きないですし馬券購入者が二重課税で税金を無駄に払わされるという問題はとっくに解決してますよ
女性ファンや関係者の怒りを買えば立場を悪くするのはフェミニストの方なのです
その前に誰も眼中にないでしょうからフェミニスト自体に気づかないかもしれませんが
「活動家がこんな事言ってますよ、競馬関係者やファンは怒った方がいいですよ」と
公式に不快なスクショを送りつける←競馬界やウマ娘関係者やファンも皆忙しいから巻き込むのはやめてほしい
皆馬の為に神経を注ぎたいのでお前らの為に使ってあげる感情なんてない
業界は皆命懸けだ
公式からNGを出されてるような表現のある二次創作をフェミニストに送りつける←嫌がらせなのかなんなのか⋯
公式や馬主から訴えられたいんだろうか、コンテンツを潰したいんでしょうか、「無能味方」って知ってます?
実馬を汚すような事をしているわけだから
自分が軽はずみに発信した事は社会に大きな損害を与えるかもしれませんよ
あと率直に気持ち悪い
競馬もウマ娘も知らない人達同士で競馬やウマ娘を道具にして馬鹿にしあってる様って滑稽
競馬界の多くがあなた達が騒いでいる事を知らないと思うし知らないままでいてほしい
フェミニストへの茶化しなのか憎悪なのか暇なのか知らないが視野が狭いし人の大切なものを巻き込むのはやめてください
競馬は競馬でウマ娘はウマ娘で色んな課題を抱えてて活動家やアンチフェミの相手をしてる場合じゃない
これからもオーナーから許可が出れば名馬達がウマ娘として実装されると思います
自分達が当たり前に遊んでいるものは色んな人達の理解があって協力してくれてるおかげだというのを改めて忘れたくない
競馬の主要なレースには、GⅠ、GⅡ、GⅢのようにグレードが付加される競走(グレード競走)のほかに、リステッド競走というものがある。
グレード競走に次ぐ重要な競走を国際的に、リステッド競走と呼んでいるのだ。
そして、グレードを「G」で略するように、リステッドは「L」と略されて表記される。
一方で、競馬には「○○ステークス」と呼ばれる競走が多い。
ステークスとは本来、馬主が掛金(ステーク)を出し合ってそれを分配するようなレース形態だったようだ。
今やそんなレース形態は無いのに、名前だけが残っている不思議な呼び名だ。
そして、ステークスは「S」と略記される。ステークスと付くレースは数が多く、略記しても意味は通じるのだ。
たまに、この二つが融合することがある。
これを略記するならば、「○○S(L)」となる。
1/26の15時頃、ウマ娘界隈に衝撃が走った
過去にウマ娘化されていない馬主の所有馬がモデルかつアニメ1期主人公のスペシャルウィーク産駒の超大物がなぜこんな何もないタイミングで…?
等々の戸惑いが起こる中、シーザリオの馬主であるキャロットクラブ(キャロットファーム)が最新の会報をWebで先行無料公開していることがわかった
https://carrotclub.net/office/news_dis_text.asp?No=4739
新ウマ娘のシーザリオも紹介されているので、これに伴う公表だったのであろう
私も読んでみたが非常に好意的かつヒットの理由を紐解く丁寧な記事やコラムに感動を覚えた
ウマ娘ファンはもちろん、ウマ娘に詳しくない人も是非読んで欲しい
同世代の牡馬にディープインパクトがいる史上初の日米オークス制覇
武豊によるいじわる(婉曲表現)をものともせずに差し切った日オークスも、圧倒的強さで現地実況を絶叫させた米オークスともに強烈だった
産駒からGI馬が3頭(いずれも種牡馬入り)、牝系からも重賞馬が生まれている
GI産駒の1頭エピファネイア(父シンボリクリスエス)は今や社台スタリオンステーションの看板種牡馬で
その産駒からGI3勝のエフフォーリアとウマ娘にも登場した無敗の牝馬3冠馬デアリングタクトが出た
そんな偉大な馬をモデルとしたキャラクターがウマ娘に加わることは、いち競馬ファン・ウマ娘ファンとして嬉しい限りである
なおウマ娘としてのキャラクターだが、競走馬・繁殖双方での優秀さが全面に出たものとなっており、同室の親友が誰なのか既に予想合戦が始まっている(同厩舎同馬主同世代のディアデラノビアが第一候補だろうか)
髪型にスペシャルウィークの特徴が出ているのもニクい。両キャラクターの絡みが今から楽しみで仕方ない
馬券でも調教タイムと血統と馬場状態分析しまくれば高確率で勝てるけど、収支関係なくどこまでいってもギャンブルはギャンブルじゃん
投資もこれだけ話題になってるのに、インデックスがどうとか、儲かるだの儲からないのだの怖いだの危険だの、そんな話しかないよね
ばっかじゃないのーーーーー
それ投資じゃないじゃん
いや、もちろん値動きそのものへの投機も、もちろん投資っていうよ
それは当然、その通りなんだけどさ
でも、投資が決定的にギャンブルと違う点って、やはり企業の資本金の出資者になるということ、つまり企業の所有者の一部になることだよね
そしてその企業の成長や事業の成功を応援して、うまく叶えば出資したお礼で見返りがくる
もちろん失敗すればお金は減るけどさ
それが本当の投資だよね
推し企業や推しプロジェクトを推して、応援が実ればお金がもらえる、それが本来の投資
この考えだと、投資が仮に失敗して株価が下がっても、企業の活動の支援はできているから、無意味にお金が消えただけではないと言えるわけ
投資は決してお金を儲かるところに投じたらお金が増えたり減ったりすることじゃないからね
あ、もちろんめちゃくちゃ金余ってる人は、お金の話だけでいいんだよ
有り余るお金の持ち方を最適化するにはインデックス投資とかも必要だと思うよ
数十万や数百万ずつしか動かせないでしょ
そんな一般人にとっては、投資=企業の応援であり、それって立派な社会活動なんだよね
増田はそういうふうに、「眞鍋かをりと松本大のいちばんやさしい株のはなし」でちゃんと勉強したよ
一口馬主やって、わいも馬主やー!言うてるのと同じじゃない、それ
もっと言えばPOGでサンデーの有力馬指名して、俺の馬やー言うてるだけやんか
王道は自分の見極めた企業の個別株を、例え最低単元でも100株買う
それこそが、例え地方馬でも共同馬主でも、きちんと馬主になるってのと同じだよね
だからさ
投資って儲けじゃないのよ
いやウソ、儲けなんだけどさ
本当に応援したいくらい魅力があって成長性があって、成長すると自分も嬉しいなって思う企業にこそ、個人が投資する価値があるって話
個人投資家は自分が普段利用する企業をお客として評価できるのが強み
その強みをいかして、時間をお金に変えていく推し活が、個人投資家にとっての投資
そういう、「投資とは何たるかの基礎の基礎」をすっ飛ばして、「どこに張るのが儲かるの?正解なの?」って話しかしないのはまじでダメ
お前らみんな馬券師と一緒じゃい
粗品と一緒やで
つうわけで、まず自分がよく使うスーパー、ECサイト、よく使う電車、よく買っている趣味の品のメーカー、よく買う食品メーカー、地元の有力企業、そういうところの業績やビジョン、事業計画を調べて、あーこれうまくそのまま発展したら自分の生活も潤いそう、って企業を探すんだ
そして一次的に株価が半額になっても気にしない、短期の値動きに一喜一憂しても意味がない
売るのは、ライフスタイルの変化で利用しなくなった時とか、店の雰囲気や製品の劣化とかで推せなくなった時だ
投資なんてそんなんでいいんだよ
GⅠ七勝という偉大なサラブレッド・キタサンブラックを題材に、一体何をやりたかったんだこのアニメは?
俺には「ウマ娘今人気だから続編作ってね。主人公はキタサンブラックで。」って言われて仕方なしに作った、くらいにしか思えなかった。
1期はサイレンススズカという伝説を再び現代に蘇らせてやろうという野心を感じた。
2期もトウカイテイオーの奇跡の有馬記念は衝撃だったし、メジロマックイーンとの激闘を友情というフィクションも絡めて見事に表現したと思う。
3期は何?
サトノダイヤモンドとのライバル関係が一番やりたかったのか?それにしては、「サトノダイヤモンドの方が覚悟が決まってたから勝った」なんて安直な理由付けであっさり負けさせるのはひどく淡白だった。
ジャパンカップでようやく勝てたシュヴァルグランが裏主人公という構成にもできただろうが、それまで何度も出てきたのにただ出てただけで、ようやくキタサンブラックへの執着が描かれたのが12話では…12話でそれやるなら、それまでの11話で伏線張っておこうとか思わなかったわけ?
馬主が有名人だからこそのお祭り好きとか人助けとかのキャラ設定、なんで商店街の人たちなんて狭い範囲に限っちゃったかな。最終話で老若男女が皆応援していた、あれが本来のなりたかった自分だろうが、それならやっぱり商店街以外の人とロクに関わってないのが雑すぎる。
他にも、ドゥラメンテという強い相手に勝てない、自分は才能がないというコンプレックス。GⅠに出場できてるだけでも相当な才能だろう。全く納得できなかった。
全体的に、立ちふさがる壁として「女子高生の等身大の悩み」みたいなものが多かったと思うけど、それなら女子高生の部活のアニメでやってくれ。ウマ娘たちは、日本中の人たちが熱狂する舞台に立つ特別な存在だろう。
一番気になったのは、中盤辺りで八百屋が仕入れてたバナナのダンボールのデカさ。確実に人間では持ち上げられない、ウマ娘の腕力頼みの巨大ダンボール。お前、自分の仕事キタサンに押し付けてんじゃねーよ。手伝ってもらうとかいうレベルを逸脱してんだよ。
「デカすぎる箱っていうギャグだろ何ムキになってんだw」「重箱の隅をつつきすぎw」と思うか?俺は背景とか細かい演出は、目立ちにくくてもそれを描く以上は、世界観に説得力を持たせる役目を負ってると思う。何も無いなら描かなきゃいい。あれを見て、監督も誰も何も言わなかったんだなと思った時点で一気に白けて、その後は視聴のモチベーションが「この文句日記を書くためだけに一応最後まで観る」だけになった。
ソシャゲの方は今はもうやってないけど、プレイしてた当時はストーリーが素晴らしいと思ってた。アニメと遜色なく動いて喋って、誰を主人公にするかなんて制約もなくそれぞれのウマ娘の輝かしい戦績、頑張り、苦悩や葛藤がいきいきと描かれてたように思う。
わざわざアニメを作る意味って何だと考えさせられる作品だったな。こんなもんよりゲーム画面そのまま放送したほうがよっぽど良かったんじゃないか。
乳牛農家も牛乳消費者も、牛に感謝して慈愛をもって牛を扱おうとする
もちろんそうでない人もいるだろうが、社会的・模範的にはこのような態度で生産・消費するのが肯定される
動物たちが直面するリアルがハードであればあるほど、人間は目の届く可能な範囲では良いものにしようとしたり、想像できる限りで美化して尊重しようとする
それが人類というわがままな存在に付き合わせる動物たちへの慈愛の示し方なんだ
一般的な馬主もファンも事業者もほとんどがそのような人間的品性を持っているので、エゴであることは理解しつつも動物への愛を示さずにいられない
それすらも開き直ってシニシズムに傾倒してしまうのは、一時的になら誰にでもあるかもしれないが、常時そのような考えであるならば、心の発達が一般とはかけ離れている人間と言わざるを得ないだろう
俺はケモの趣味がないので美少女化したウマのゲームはやっていないが、そういう現実の何かにスポットをあてたコンテンツ郡自体は、基本的に良いものだと思っている
オタクは結局のところ一般人にすぎず、アレやコレやを美少女・美男子化したりするのは悪く見ると性欲ドリブンのように見えるかもしれないが、ほとんどの場合、ハードルを下げるための照れ隠しのようなものだ
コンテンツ化されているからオタクの顔をして入ってこれるだけで、もともと興味がないとオタクとはいえ、あっちこっちに手を出すことはしんどいのだ
それくらい今はあらゆるものがコンテンツ化されているから、社会への関心と、溢れる慈愛の注ぐ先を、二次元コンテンツという下卑た形で展開してもらえれば、その崇高さがバレずにキモオタと同列かのように小馬鹿にされつつも、関わっていける
ジャパンカップはイクイノックスの史上最強論争を終結させるような見事な走りと、2着に負けはしたが力をしっかり見せつけてくれたリバティアイランドの活躍で華やかに終わった。
その裏で、3勝クラスのウインエアフォルク、地方競馬所属のチェスナットコート、クリノメガミエースの参戦があった。
チェスナットコートは中央で4勝しオープン入りしてからの地方転籍、クリノメガミエースも中央で新馬勝ちをしてからの地方転籍なので、中央実績からの所属クラスだけで語るならチェスナットコートは文句なし、ウインエアフォルクは1つ格上挑戦、クリノメガミエースは3階級格上挑戦ということになる。
(競走馬は「未勝利、1勝クラス、2勝クラス、3勝クラス、オープン」の順に昇級し計4勝すれば最上位のクラス所属となる)
しかし、格上挑戦だろうと当然、地方馬2頭も中央への出走資格を持っており、ジャパンカップへの出走希望馬の数や獲得賞金額など加味して、出走優先順位が上位18頭に入ったから全馬出走できたわけだ。
ルールに従っての堂々の出走だったわけだ。
結果はウインエアフォルクが15着、トラストケンシンを挟んでブービーがチェスナットコート、最下位18着はクリノメガミエースとなった。
ただ今回、ウインエアフォルクはともかく、チェスナットコートとクリノメガミエースの挑戦を批判的にツイートした人がXに現れ、炎上し批判される事件が起きた。
さらにそのアカウントに、クリノメガミエースの生産牧場の方が「このように批判されてもお互いに良いことはないんじゃないかと。もしクリノメガミエースが迷惑かけたのならすみません」と忠告と謝罪をした。
競馬に限らずだが、あらゆる場面において、勝てないと解りながらも夢を見て、より上を目指して挑戦することは尊い。
そこを否定してはならない。
そしてあらゆる競技に絶対はなく、例えば前の方で多重落馬事故が起き、後ろにいて巻き込まれなかった馬が勝つようなこともなくはない。
オリンピックのスノーボードレース、スピードスケートなどでもたまに見る光景だ。
なので、どれほど実力が足りなくとも、どれほど勝つ可能性が低くとも、そこに挑戦する価値はあるのだろう。
日本だって欧米から学び挑戦し続けたからこその今の発展だし、日本人のメジャー挑戦のさきがけとなった野茂英雄や、メジャーで通用しないと言われながら日本人野手初の大リーガーの1人となった新庄剛志がいたからこそ、今の大谷翔平の活躍があるとも言える。
馬だって同じで、ジャパンカップはそもそも日本馬が勝てない大会だったのが、いまや外国馬が勝てないので誰も来てくれなくなったほど、日本の競馬の進歩は目覚ましい。
今は中央と力の差がある地方競馬も、ミューチャリーのように中央馬を倒す馬だらけになる日だってくるかもしれない。
馬からするとレースの格は関係なく、騎手の指示に従って一所懸命走るだけだ。
馬は慣れないコースを走って故障することもあるし、一度の惨敗でその後のやる気を失うこともある。
その結果、それ以降のレースで走れなくなり、すぐに引退、馬肉になることもある。
馬のその先を思うなら、馬が一番活躍できるキャリアを用意してやることも、馬にとっては大切なことだろう。
しかし、オーナーがその馬をちゃんと愛していて、挑戦で結果が出なくとも、その後走れなくなったとしても、その後大事に面倒を見る覚悟があるならもちろんその挑戦にマイナスの面は少しもないだろう。
今回挑戦した馬たちのオーナーがどのような姿勢かは知らないが、馬に夢を託し、大きなレースに出した以上は、馬を大切にする方達だと思いたい。
地方馬のジャパンカップ参戦だけではなく、日本馬の凱旋門賞挑戦も似たようなものだ。
タイトルホルダーやドウデュースが凱旋門賞に挑み、結果的に惨敗し、帰国後もパフォーマンスを落としたとしたわけだが、彼らはそんな結果に関係なく、将来立派な種牡馬になることは確定している。
だがそんな馬は、ほんの一握りだ。
ひとつ言えるのは、「尊い挑戦をする人」と「可哀そうな馬」は両立され得るということだ。
タイトルホルダーのオーナーも、後になって「馬には可哀そうなことをした」と言っている。
あの時の増田は出馬表を見て驚き、「俺たちのあの子が中央で、win5対象の特別戦に出るんや!うおー!楽しみ!」というかつてない楽しみに震えた。
そしていつも見る地方で行われる中央地方交流戦重賞では、出稼ぎにきた中央馬たちが上位を独占して帰っていくのも見慣れた光景だ。
何が起きても覆らないほど、中央馬と地方馬に力の差があるのは肌身にしみて理解している。
もちろん勝つことはないだろう。
ひとつでも上の着を目指してくれたら、あわよくば1桁着順も?最下位は避けてくれるのは可能でしょ!なんて思っていた。
パトロールを見れば、必死に追って、流したブービーに迫る程度だった。
勝たないのはわかってたけど、思っていた以上で、少しがっくりきた。
いや、それでもよく頑張った、と思ったし、馬も騎手も立派だったし、彼女が俺たちを中央に連れてきてくれたのは誇らしかった。
でもホームの地方競馬場に帰ると、その初戦で見たことないような惨敗。
目を疑った。
え?俺たちの強い彼女は?どこにいった?
田舎のエリートが全国模試でさんざんで、自信を無くしたかのような走り。
うわっ、あの子傷ついてたんだ…
そこからだんだん、俺たちは彼女にとても申し訳ないことをしてしまったんじゃないかと思うようになった。
もちろん馬主や調教師の判断だし、ただのファンには何の権限もない。
でも、あの日無邪気に舞い上がっていた自分は、彼女にとってどういう存在だったんだろう、とは思うようになった。
「馬には可哀そうだった」この言葉は、実感があればあるほど、簡単じゃなく、重い言葉になると思う。
別にこの挑戦に正しいも間違っているもない。
挑戦を辞めたら人は終わりなのも事実だ。
だが馬はその挑戦も、その価値も知ることはなく、可哀そうなことをしたら可哀そうになるのも事実だ。
ただ、挑戦は可哀そうなだけでなく、ディープボンドみたいに惨敗してもいい経験として強く成長する馬もいる。
今回のウインエアフォルクと藤田菜七子騎手は、いい経験になって成長してくれる、と期待されていた。
個人的には、俺たちの吉村騎手がジャパンカップ走ってくれたのは嬉しかったし、いい経験になったろうし、いま競馬学校生の吉村Jr.にもその経験が受け継がれていくと思うと、クリノメガミエースの参戦にも大きな価値が詰まっていたとは思う。
人が馬に楽しませてもらい、その職業の人たちは馬にご飯を食べさせてもらっているのだから、誰だって馬に可哀そうなことをして欲しくはないし、したくはないだろう。
しかし実際の競走馬はあくまで経済動物で、乳を搾る牛や、肉をいただく鶏と本質的には変わらず、ある程度の可哀そうなことを強いるのも必然ではある。
だからこそ線引きは難しい。