はてなキーワード: 阿久悠とは
https://www.youtube.com/watch?v=OHOaEAZ_T8w
去年のはなしなんだけど急に思い出したの書く。
まず歌詞ね。この、なにか言ってるようでなにも言ってない歌詞。
そういうば昔、キロロの曲を聞いて「中学生が書いたような歌詞だなあ」と思ったら
本当に中学生のときにつくった曲という話を聞いて「合ってたんかい!」てなったことあったけど
「走り出す」とか「燃えるおもい」とか前向きなワードを散りばめただけの
若者に媚びた歌、慰められて浮かぶ魂、安上がりでそいつは結構だ
みたいなこと歌ってるんだけどまさにソレ。逆に中学生にはお似合いなのかもしれん。
あと歌詞の乗せ方もひどいんだよなあ。
メロディに無理やり乗せてるから初聴では本当に何も伝わってこない。
阿久悠とかそのへんの時代の歌はイントネーションも考慮してたって話、有名だよね。
昔はよかったなんて言うつもりはないし、現代曲のトレンドかもしれないけど
もうちょいうまくやれるやろって話。Bling-Bang-Bang-Bornの歌詞とか入ってくるし。
ようはやりようなんだよ。でもこの曲はただただすっぺらい前向きな言葉が断片的に聞こえてくるだけ。
みたいなことこどもに言ったら嫁さんに「そういうこと言わないで」と怒られたけどw
こどもも「あたしもそう思った」って言ってたよ。違う曲に投票したけどこれになっちゃったらしい。
国を上げての大イベントだったつくば科学万博のマスコット、コスモ星丸には「HOSHIMARUアッ!」というテーマソングがある。その中で星丸が"星丸語"として合成音声で話すフレーズがあるんだけど、子供の頃からこれが卑猥だなーとずっと思い続けてきた。
一応歌詞カードには"ポラン ホシマル ペラン ムニュムニュ ムウラムウラ チャイチャイ ペラン"と書かれているのだけれど、ここの部分が何度聴いても私には"エマン ホシマル エマン ムニュムニュ グンマグンマ ヒョエヒョエ オマン エマン"としか聞こえない。(はっきり言って歌詞カードと発音が全く違う。是非聴いてみてほしい。)
ムニュムニュて。ムウラムウラて。挙げ句オマンて。偶然の一言ならともかく、複数の卑猥に聞こえる言葉が連続してるわけで、これはもう明らかに確信犯(誤用)としてやってるとしか思えない。ちなみに作詞は阿久悠氏。国家的イベントの象徴であり、子供に親しまれるかわいらしいデザインのキャラクターにさり気なくオマンと言わせたのはすごいと思う。
ちなみに曲の中には"パフパフ"という星丸語も出てくる。この曲が世に出たのは1984年。有名な「おいでぼうや。ぱふぱふしてほしいなら50ゴールドよ。」のセリフが登場した初代ドラクエの登場は1986年。もしかすると堀井雄二氏もこの卑猥な曲を聴いて、"ぱふぱふ"をエロい言葉として使ったのではないかと思ったりもしている。
日本の音楽、特に歌詞について考えるときって、演歌・歌謡曲時代の「先生」の存在を考慮しないといけないと思う。
んで、その先生方があの膨大な数のラブソングのような恋愛を人生において経験してきたか?っていうと、そんな事は絶対ないと思うんだよね。
阿久悠とか、上野発の夜行列車に乗ってみたりピアノが弾けないかと思ったらポルシェが走り抜けたり、挙句の果てに王貞治と対戦して宇宙人に恋しちゃうんだから、そりゃ勝手にしやがれとも言いたくなる。
ようするに実際に経験したかどうかは重要ではなく、想像力や今まで見聞きしてきた物を歌詞として再構築した結果なんだと思うんだけど、
今の作詞者にはそれらが欠けているという事になるのかもしれん。
けどこれを逆に考えると、今のシンガーソングライターは「借り物」の言葉ではなく、自分の経験やそれによって生まれる強い思いからのみ作詞をしているとも言える。
どんな形でもいいから、フレディの声が聴きたいんだよ。ボヘミアン・ラプソディでガチ泣きしたよ。
嫌だ、冒涜だ、って言ってる人達は何が嫌なんだろうなって思って、思いつく限りの理由をあげてみた。
同じように亡くなってる方の合成音声って、知ってる限り、植木等さんと三波春夫さんとhideさん、後は淀川長治さんがいたはず。
多分今回のパターンと近いのは三波さんかな。
hideさんの「子 ギャル」の時も騒がれたような気がするけど、生前の声との合わせ技だったからまだ良かったの?
三波さんのは娘さんがGOサイン出した上、合成音声は3DCGも含めて無料配布だったはずだよ?
もしかしたら、ここなのかな?
hideさん以外のふたりは、植木ロイドとかハルオロイド・ミナミとか、機械ですよ、別物ですよ感を出してる。
淀川さんはポリゴンみたいなCGで「蘇る」って煽りだったから、hideさんはそのまま「hideさんの新曲です!」ってリリースしたからか、今回みたいに騒がれてたね。
三波さんは音声データが無料配布されてるから、新曲を出す人は出すし、カバー曲を歌わせる人は歌わせるよね。それも嫌なの?
…まあ、新曲が出るなら、生きてる本人に歌って貰いたかったのは分かる。
ちゃんと三十年の歳を重ねた本人だったら、どう歌ったんだろうね。
亡くなった人に「私も歳をとりました」って歌わせるセンスは、個人的には凄いと思うし、本人に歌って欲しかったなあって気持ちにさせるのはさすがだと思う。
本人亡くなってるからなあ。
息子さんがGOと言ったら仕方ないのでは。
声を仕事にしている人は、これからは遺言書に「声を合成しないで」と書かないと駄目なのかもしれない。
物真似の人はいいのかな?
ふざけた、もしくは似てない物真似をした時と、今回のパターンと、拒否反応は同じになるのかな?
本人と変わらないような歌わせ方したら、今以上の拒否反応が起きると思うんだけどな。不気味の谷現象だっけ?
初音ミクが出た時に、そのまま歌わせたら不自然だ、上手く歌わせたら気持ち悪い、って嫌悪感バリバリの反応が凄かったの覚えてるよ。
ここなのかな?
淀川さんでよく叩かれてたのはここだった気がする。
本人が亡くなった後の映画を褒めさせた、とかで。
本人が言わないことを言わせるのは嫌悪感が出るのかも。
声だけの出演だったら許された?
三波さんと淀川さんはロボです感を前面に出してたよね。
ひばりさんに良く似た物真似の人を連れてきていたら、話はまた変わったんだろうか。
ここかな?
声を切り刻んで合成して、勝手に歌わせて喋らせた。
着るはずのない服を着せて、体を人形のように動かした。
ここまでしか思いつかなかった。
以上。
この設定があったの知らなかった。
これが悪いんじゃないの?
「生きている元気なひばりさんを、そのまま連れてくる」レベルになってたのでは。
その不可能なレベルをどこまで再現したのか、って見て、「機械」「偽物」だと感じてショックだったのかもしれない。
でも歌声担当さんとCG担当さんは、だいぶ頑張ったと思うんだ…不自然にならないようにって。
この発想、全くなかった。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつか。
小椋佳さんとか。
阿久悠さんの遺品の中から、ひばりさん用の歌詞が出てきた!とかだったら。
(阿久さんってひばりさんの歌詞書いたことなかったんですね…)
そもそもボーカロイド技術が嫌い、とか、 CGが嫌い、とか、そういう人も居たりするのかな…
やっぱりこれなのかな。
森進一さんの「おふくろさん騒動」を見て、そう思っただけなんだけど。
作詞家の川内康範さんが怒った理由は「台詞を無許可で足したから」だった。
…歌の中の語り部分を、歌詞だと思う人の方が少ないんだろうか。
現段階では以上。
最近はあまり見かけないが昔は多作の作家が何人かいた。その中でも有名なのがピカソだ。ピカソは生涯に15万点の作品を残したという。それだけの数だと類似する作品もあるだろうし駄作も大量に作成しただろう。それでも世間から高く評価されるのは優れた作品が何点か存在するからである。つまり駄作を大量に作成してもその中に優れた作品があれば世間から認めてもらえるのである。これは物作りをしている人にとって朗報ではないだろうか。1つの成功で過去の失敗がなかったことになるのである。これほど勇気づけられる事実はないと思う。
ピカソほどではないが日本にも多作の作家はいた。特に音楽関係の作家がそうだ。阿久悠、松本隆、康珍化、筒美京平、馬飼野康二、小林亜星などの作家だ。彼らは数千曲の作詞や作曲をしたそうだがピカソと同じように類似品や大量の駄作を作成したはずである。それでも世間から天才ともてはやされている。
私はあれこれ考え行動しないタイプだが彼らを見習い多作をしてみようと思う。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというが数をこなせばそのうち上手くなると思う。
小松 美羽(こまつ みわ、1984年(昭和59年)11月29日)は、日本の版画家。アーティストとして風土に所属している。
長野県埴科郡坂城町出身。2004年(平成16年)に女子美術大学短期大学部を卒業した。
2009年(平成21年)に「美しすぎる銅版画家」としてメディアに取り上げられて注目を集めた。
小松美羽オフィシャルブログ「千年先のMIWACODE」Powered by Ameba
http://ameblo.jp/komakoma-blog/
画歴
●日本版画協会入選(東京都美術館) ●女子美優秀作品賞2度受賞(ガレリアニケ・大学校内) ●大学版画展(町田市立国際版画美術館) ●ROSES展(スパイラルガーデン) ●銅夢展(すどう美術館) ●絵と花のコラボ展覧会(神戸異人館・ライン館) ●阿久悠トリビュートアルバム「Bad Friends」(ポニーキャニオン)ジャケットと挿絵を担当 ●流通専門誌 「 Value creator 」表紙を担当(年間) ●阿久悠トリビュートアルバム「歌鬼3」ジャケット・挿絵担当 ●TSUTAYAオリジナル絵本・絵担当 ●ギャラリータグボート(絵画・版画取り扱)
週刊プレイボーイ 掲載12月15日 週刊SPA! インタビュー掲載
12月15日 CS275池袋ウェストフードパーク「MEGA美の泉」OA(26:30~)
12月16日 阿久悠氏トリビュートアルバム「Bad Friends」発売
12月16日 夕刊フジ 阿久悠氏トリビュートアルバム「Bad Friends」発売紹介記事掲載(小松がジャケットと挿絵を担当)
12月16日 CS275池袋ウェストフードパーク「MEGA美の泉」OA(18:30~)
3月29日 日本テレビ「DON!」美人スペシャリスト特集コーナーにてVTR&生出演
4月22日 au携帯ニュース情報サイト「ニュースEX」にて「美しすぎる文科系女子」特集に登場(1週間連続)
4月24日 J-WAVE「kiss and hug」内「WHAT'S YOUR JOB?」コーナーにてゲスト出演
5月30日 スポニチアネックスにて阿久悠トリビュート「歌鬼3」紹介記事掲載
7月14日 阿久悠トリビュート「歌鬼3」発売 ジャケット・挿絵担当
7月 女子美術大学オープンキャンパス・卒業生紹介タペストリー
8月 ソニー・エリクソンau公式サイト インタビュー記事掲載
9月6日 読売テレビ ズームインSUPER(関西ローカル部分)出演
9月14日 日本テレビ「oha4!NEWS LIVE」仕事人名鑑プロファイルコーナー出演
12月18日~26日 TOKYO CHARACTERS COLLECTION 2010 バイナルメーションbyディズニーストア ミッキー作品展示(青山スパイラルガーデン)
「”みんなして、高嶺で咲かせてあげよう”という気持ちにさせる花である」
渡辺美優紀こそ、テン年代に咲く高嶺の花ではないかと私は考える。
去る2014年9月17日、「AKB48グループ・じゃんけん大会2014 ~拳で勝ち取れ! 1/300ソロデビュー争奪戦~」は行われた。
奇しくも2日後はみるきーの誕生日でもあった。彼女にとってのとても大きなサプライズプレゼント。
優勝特典として、ソロシングルデビューおよびソロコンサート開催権利、
NHK BSプレミアム「AKB48 SHOW!」枠での「MILKY SHOW!」放送権利を獲得した。
そして本日、12月24日・クリスマスイブに彼女は「やさしくするよりキスをして」をリリースする。
松田聖子の「夏の扉」のようなジャケットもさることながら、ミュージックビデオが秀逸である。
人気漫画『タッチ』に登場する喫茶店「南風」を模した「喫茶 みゆき」にて働く少女、美優紀(こちらも浅倉南同様実家であると思われる)。
想いを寄せる相手は達也を模した幼馴染の少年。あの”勉強部屋”を意識した二つ並びの学習机が置かれた部屋にて日常を送っているようだ。
明星学園野球部に似せた、黒地に赤字のWのキャップがたびたび登場する。湘南の海で彼の自主練習に付き合う様子も見られる。
また、その海で気の置けない仲間達と遊んでいるシーンも描かれている。
その後、高校を卒業した彼女らは、各々の道へ進む。美優紀は実家の手伝いを、”彼”は達也のように帝東大学を目指す浪人生、としておこう。
美優紀は年相応の女の子らしくアイドルを夢見ていた。ダメで元々、「第48回国民的アイドル ソロデビューオーディション」へ応募する。
オーディション会場にて物怖じせず語り、歌う彼女。NMB48のオーディション番号、エントリーNo.71であるあたりにクスッとくる。
後日、見事デビュー決定との印が押されたハガキを嬉しそうに見つめる美優紀。だが直後、切なげに右隣の”彼”の学習机を一瞥する。
閉店後の喫茶みゆき。帰ろうとする”彼”に美優紀は打ち明ける。
「わたしね、アイドルになるの」
「おん」
一瞬の間のあと、「明日おくってね」
夕暮れの湘南。フェンダーミラーのセダンの横で彼の腕を掴み、「はやくキスして」と言わんばかりに目をそっと閉じる。
シーンは一変し、ブラウン管に国民的アイドルとしてソロデビューを果たした”渡辺美優紀”の姿が。
喫茶みゆきに集まりブラウン管を食い入るように見つめる旧友らは、すっかり彼女の親衛隊になり湧き立っていた。
突然の別れに怒っていたと思われる彼は新聞を読み更けて興味がなさげ。しかし、テレビには見覚えのある野球部の帽子が。
当然私信に気づいた友人たちは、”彼”に急いで呼びかける。「美優紀はアイドルになってしまった。もう俺のことなんて覚えてもいないだろう」と思いこんでいた彼は、
美優紀が何も変わっていないことを思い知らされ、喜びを爆発させ飛び跳ねる。
高校生の頃のイチャイチャする様子が描かれたのち、また夕方の湘南へ。
涙を一筋落とし、彼女は言う。
「やさしくするよりキスをして」。
ブログと映画の違いぐらい違うと思いますね、今のJ-POPの詞と歌謡曲の詞とはね。「誰かが喜んでくれるといいな」「誰かが興奮してくれるといいな」「誰かが美しくなってくれるといいな」というような願いを込めながら、一つの世界を作り上げていくっていうのが歌謡曲であって、そうじゃなくて、「俺はこんな気持ちで悩んでるから俺の気持ちを分かれよ」っていうのがブログですから、ええ、これの違いだろうと多分思います。
と語っていたとのことだが(ソースはWikipedia)、この定義を適用するなら、放課後ティータイムのアルバムは全て「歌謡曲」ということになりはしないか。
もちろん、歌詞の錬度や高度さ、楽曲構成の良し悪し、歌唱の上手いヘタや好き嫌いはそれぞれあるが、
「誰かが喜んでくれるといいな」「誰かが興奮してくれるといいな」「誰かが美しくなってくれるといいな」というような願いを込めながら、一つの世界を作り上げていく
特に、放課後ティータイムIIは、架空の女子高生バンドの活躍と活動の映像と音楽によって、「誰かが喜んでくれるといいな」という願いを込めながら、
「けいおん!!」の世界の風景を作り出していく、紛れもない「歌謡曲」だ。
特にU&Iは、作中世界でみれば、唯が憂に当てたド直球のラブソングなJ-POPだが、
一つ外の世界からみると、唯と憂の姉妹愛を和やかに見守る視聴者や読者を幸せな気持ちにさせてくれる曲という位置づけになっている。
放課後ティータイムIIのラストナンバーを録音するとき、この曲を演奏するメンバー全てが、
他の全てのメンバーにあてて「ありったけのありがとう」を歌にこめて録音していたに違いない、
そんな彼女らの姿がサウンドから伝わってくる、そういうナンバーだと思う。
そしてその曲を聴き、時には歌う僕たち私たちも、「誰か」に向かって「ありったけのありがとう」を歌にこめて歌うことができる歌。
それって紛れもなく「歌謡曲」の作られ方じゃないか。歌謡曲の世界じゃないか。
まあキーの問題やサウンドの違いとかはさておくとしてもだ。