はてなキーワード: 節度とは
http://itunes.apple.com/jp/app/xochi/id451940189?mt=8
YouTube上に違法アップロードがあるのを前提に作られたアプリとか色々あるけど、その作者はその点何も気にならないのかな。
「音楽はYouTubeで楽しんでます」みたいなことを平気で言えるような人達が、「このXochiってアプリ神だわーiPhoneでも音楽タダで聴き放題だわー」みたいなことをTwitterでツイートしたのをその開発者がリツイートしまくってたりしてて、見ていて「節度ねぇなぁ」と思う。
最近の音楽業界もねー自分が歳くってきたからかおもしろいものが減ってきていると思ったりもするけどねー、CDが売れるかどうかが死活問題な人達もいるわけで、そういう人たちの生活蝕んでるって意識とかないのかな。そういえば「君のラジオ」にも随分前に同じような事感じたなぁ。
まぁ悪いのは違法アップロードをしている連中なわけなんだけど。それを広めることに加担することへの意識というかなんというか。
かたやTwitterやってるミュージシャンがYouTube上の違法アップロード音源動画やMVを平気でツイートしてたりもするし。自分のもの、他者のもの含めて。そういうものへの考え方も色々だし単純でもないねぇ。
違法アップロードしてる連中全員いなくなれば良いし、代わりにミュージシャンオフィシャルチャンネルでMVフル視聴とかライブ映像一部視聴みたいなコンテンツがもっと増えて、そういうものを楽しむためのポータブルデバイスアプリなんかが出てきたら素敵なんだろうけどなぁ、と夢想する。
http://jkondo.hatenablog.com/entry/2011/11/19/114109
おしゃべりする相手はともだちだけじゃありません。それだけではあまりに退屈です。
ともだちだけが社会ではありません。人は、自分の興味があること、自分が専門としていることを通じて、もっと社会とつながりたいと思っています。ともだち以外の人とつながりの生まれる場所に行きたいと感じています。
個人的には全くもって同意。
で、これ、80年代は、これを全くひっくり返したことが言われてた。「もっとともだちを大事にしたり、友達を作らないとダメよ」「友達がすべてだよ」みたいなね。
生まれてこの方、この「ともだち第一」メッセージには心底うんざりさせられ続けてきたので、こういうメッセージはとても嬉しい。
「ともだち幻想=友達がいないやつは人間として問題がある」や「ともだちについての強迫観念」が生まれてきたのは70年代の末ころだったらしいです。
なんでもそうだけれど、誕生した当初はそれなりに合理的な理由があるもんです。 だいたいそれをおかしな方向にねじ曲げちゃうのがコマースメッセージなわけですが。
最初はあまりにもこの時代の日本社会が仕事一辺倒で、仕事以外で人間の価値をみとめられないこと、男社会への傾倒が急激すぎて、それへの反発が強くなったという話からスタートしてます。
(日本の男優位社会は伝統でも何でもなく、敗戦後に作られたものであるって話も大事ね)
人間関係も全部仕事がらみ、家族ぐるみの付き合いといっても結局仕事に縛られる。女の人や子供はさぞストレスだったろうと思う。
この当時は、必要があったとはいえ、仕事頑張りすぎて脳がおかしくなった男性が調子乗りすぎて、ソレ以外の人間を犠牲にしてヒャッハーしてた時代だったということやね。
(団塊世代の人とかが、「俺たちは毎晩徹夜する勢いでがんばってたのにいまどきの若いものは」とか言ってるのを聞くと、
ああ、日本人ははやく複式簿記を必修科目にスべきだ、と思う。こういうバランス無視の考えだからバブルが起きたんだよ、責任取れとはいわんがちょっとは反省しろボケが。
ああ、彼ら的には悪いのは全部日銀で政府でアメリカの陰謀なんですよね。 本当に信じられないくらいにナイーブな方々だと思う。反省したくてもできない脳のつくりなのね)
そんで、仕事における負け組や、仕事オンリーの人間関係に虚しさを感じる人達が、仕事以外のものをもとめたときにそれがともだちの存在だった、という流れ。
そういえば、この年代も、若者の連続殺人犯とかが立て続けに発生して問題になってたな。
当時から、社会的な問題があると、若者がカナリアよろしくまず発狂し、ソレを見て年寄りは「最近の若者は」って言うのは変わらんかった、と。
で、そこはなんでも極端な日本人、なんでも二元論で考える日本人。
日本人は、なにか新しいことを始めるときに、前のものを否定しなければ気が済まない上書き志向の持ち主です。
「仕事だいいち」に見切りをつけると、どっと「ともだち至上主義」に流れ出した。女の子は「恋愛なんちゃら」かな。
で、こんどは「仕事がデキない奴はクズ」「学歴低い奴は賢い奴の奴隷」みたいなカーストに復讐するかのように
「友達がいない奴は人間のクズ」「いくら偉くなってもあいつ友達いないんだろうな」って言えばなんとなくスカッとする傾向が生まれましたとさ。
とはいっても、おじさんたちは頭が硬いからそう簡単に変わったりはしません。つまり「勉強や仕事第一」主義も残ります。
夫に全面的に依存して思考停止している母親も基本的には夫の方針に従って子供を調教します。なので、勉強第一主義は根強く残ります。
「勉強・仕事だいいち派」と「ともだち100にんできるかな」が勢力闘いをするようになります。
まぁホント日本人くらいですよ、仕事とプライベートを対立関係に置いて、どっちか片方しか取っちゃいけないと考えてるのは。
仕事と私とどっちが大事なの?って慣用句自体、日本人の性格をこの上なく正確に表現してるよね。
不完全なものでも絶対の軸において、ソレにすがってないとアイデンティティを確立できないのは、やっぱり無神教国家だからなのかねぇ。とか知ったかぶってみる。
そうやって、自分だけが幸福になりたいばっかりに、それに適応しない人たちを踏みにじることを何とも思わないことがとっても生き物っぽくていいですよね。
こうやって仕事vsプライベートで対立しあって、お互いがお互いの素晴らしさを主張しようとハードルを上げ続けた結果、
もはや両立不能なレベルまでどちらも要求レベルが高くなって、両立できないからどっちか選ぶ羽目になってまたケンカする。アホかと。
両立するためには、超人的な体力を持つか、仕事時間を自分でコントロールすることが許されるくらい偉くなるか、
あるいはちきりん女史のように、全力で仕事頑張ったあと、途中で退職する以外に方法はないんだろうなぁ。いずれにしろ無理ゲー。
自分で無理ゲー作って、クリアできないとか言って文句言うのって楽しいのかなぁ。
ここで終わればまだ笑い話で済むんだけれど、さらに続き。
当然として「勉強・仕事が出来ない」「友達もいない」人はベン図の外側に追いやられて、「かのものは人にあらず」と迫害の対称になります。
まぁ簡単に言うといじめですね。いじめって人間を測る評価基準があれば必ず発生しますが、まぁ日本のいじめは馬鹿馬鹿しいのが多いですね、クソッタレです。
でまぁ、いじめられたやつがどうなるかについて全く考えてない、フォローしないのも問題ですね。で、そのつけは当然数倍になって返ってくるんですけどね。
社会から切り離されたまま長時間放置されて、社会性を失った人が大勢います。
人間以下の扱いを受け続けると、本当に人間であることを辞める人がたくさんいます。
匿名で振る舞い続けていると、人間であることの節度を失う私のような人間もたくさんいます。
で、そういう奴らはどうするでしょう。
隣人部作ってはぐれ者どうしで連帯する?そんなのフィクションです。サバイブSNSってのがありましたけど多分うまく言ってないんじゃないかと思います。
(はがないはアニメしか見てないけど、あれはともだち教へのアンチテーゼだよね。「きみらがいってるともだちとかはどうでもいいし少ないですがそれが何か?」ってことやろ?)
社会性の訓練とか人間扱いとか、匿名から引き剥がして一個の人格として扱うとか、
そういうレベルから世話焼いてくれるとこがない限り、いちど脱落したものはよっぽどのことがない限り復帰できません。
結局人はひとりひとり自分でなんとかして助かるしかないでしょうね。
ほとんどの人間は、それぞれが「人間以下のなにか」として、ずっと劣等感抱えながら生きていくだけです。
あるいは「人間以下の何科ですがなにか?」と開き直って、twitterやら増田なんかで有名人にからんだりなんなりと社会に迷惑をかけながら生きていくしかない。
人間であるための条件として「友だちがいること」「勉強ができること」ってのがかっちりと決まっているかぎりはもう人間に戻ることはない。
というような感じなんですが、そういうともだち地獄に対して、
「ともだちともだちともだちってそればっかかかお前らは、そんな人生つまんねーだろ」ってのが当たり前に言われだすとまた話が変わってくる。
「ともだち地獄」のいく末は「22世紀少年」であり「原理主義者たちの祭典」ってのがようやくわかってきたみたいで、さすがにみんなうんざりしてきてるみたいです。
勉強もともだちも大事ですが、それを必要条件のように考えると、ほんとにしんどいだけなので、そろそろやめようぜ、って話になってくると嬉しいです。
生きるのは、ただでさえしんどいことだと思うので、そこにわざわざ重荷を載せないでもいいやんか。
別に俺はドMだからハードモードでやりたいんだって人はそうしたらいいけれど、ちょっと荷物下ろして道端で休んでる人を鞭打つ必要もないでしょう。
「死のロングウォーク」(スティーブン・キングの超絶傑作)はフィクションとしては死ぬほど面白いけど、現実では一番やっちゃだめなフィクションだってのに、なんで好んであのゲームをやりたがるのか、私にはよくわからんです。
阿呆な頭で平等主義を誤解したままお題目みたいに唱えるから、能力ある人に引っ張られて自分たちもがんばらなきゃいけないハメになるんですよ。
阿呆なら阿呆でいいやん。 南無阿弥陀仏言ってたら幸せになれる頭の持ち主が、TPPのこととか考えなくていいよ。
あんまり他人のことを気にし過ぎないで、ともだちがどうとか言わないで、自分が好きな事やってりゃいいと思います。
生きるほうを、選ぼう。
いわゆる「女叩き」に合うのも覚悟の上で、どうにもまとまらないもやもやを増田に吐き出したいと思う。
最近Facebookで中学・高校時代の友人たちとの旧交がみるみるうちに復活しつつある。
田舎なので同級生のほとんどは大学進学と同時に都会に出て行き、そのままそこで暮らしている。
残っている友人たちは、地方公務員になったとか、あるいは親の仕事を継いだとか、そういう人たちだ。
わたしは少し前にうつ病を患い、真っ当な社会生活を営めるようになるまでに相当の時間を要した。
今も万全ではなく、回復過程にいる。
最近ようやく、休みの日に外を出歩いて気分転換できるだけの気力と体力を取り戻したところだ。
それに伴い、地元に残っている旧い友達、あるいは社会人になってから新しくできた友達と、週末に食事をしたりしている。
その延長線上で、男からセックスを求められることの多さに、本当に辟易している。
真正面から攻められたこともあるし、「あわよくば」的に滑稽なまでに必死な姿を見せつけられて悲しくなったこともある。
食事をおごられてるわけでもなく、好色をアピールしているわけでもなく、ただ、他愛のない話をしているだけのはずだ。
わたしのことが好きなのか、という意味の探りを入れると、彼らはすっと身を引く。
つまり、わたしは彼らにとって「セックスできるかもしれない女」のひとりでしかなかったということで、その事実に大変に傷つく。
男女の友情とか固く信じているわけではないが、もう少し、「セックスするかさもなくば他人」みたいな両極に振れずにすむような、余裕のある付き合いはできないものなのか、と思う。
先日、弟の結婚式で上京した。
せっかくの機会なので東京在住の友人たちとも久々に会ったのだが、彼らはそのような下品ながっつき方はしておらず、それでいて楽しく和やかな時間を過ごすことができた。
これが普通だろうに、地元組は、どうしてこれができないのだろうか、と思う。
旧い友人を、風俗の代わりにしかできないような、そんな人生楽しいか?
と、人生観すら否定したくなる。
そのくらい、わたしはわたしにセックスを求めたがる男友達を嫌悪している。
学生時代に性に奔放だったとかそういうわけでもない。
友達は男女ともにたくさんいたが、彼氏がいる時期は少なかった。
誰か教えてほしい。
彼らは、なんでこんなに下品な大人になってしまったの?
もう、レズになりそう。
冗談抜きで。
住んでる場所によって根本的な人間性がさほど違うとは思ってない。
言われている通り、表現の仕方が違うだけのことだと思う。
でもその違いってわりと大事だ。
奥底で思ってるぶんには別にいいんだよ。そういうもんだと思うからさ。
というわけで、男がせっくすせっくす!な生き物なのはもちろん知ってるさ。
ただ大人になったらもうちょっと節度を持って行動しましょうね、って話なんだけど、自分の友人に意外とそれができない人が多いって事実に落胆してる。
同じ頻度で会う男友達がことごとくこんなんばっかりで、あれれ~?この人たち前からこんなんだったっけ???と当惑しておるわけです。
神に誓おう。仏でもいい。
そのために、何のバイアスもかけない言葉だけを伝えるようにした。
「君は悪くない。でもこうしてみたらもっとよくなると思う」
「僕も同じ事を考えたことがある。でもうまくいかなかった」
「僕と同じ失敗をして欲しくない」
「一度は失敗しないと分からないけれど、できれば終わらせて欲しくない」
僕に出来なかったことを成し遂げてほしい。そして幸せになってほしい。
そんな想いだけがあった。
彼女は僕のことも愛してくれた。
ふたり同時に好きになるって、本当は許されないのかな。
僕はそんな引っ掛かりもあったけれど、それでも、僕は彼女がめいっぱい自分のことも愛してくれることが、ほんとうに嬉しかった。
ちゃんと、節度はあったのかな。
普通に見たら、どう考えても許されなかったけれど。
それでも、自分たちの間には、ちゃんとラインが引かれていた。
それでよかった。僕がそれ以上を望んでいることも、彼女には正直に伝えたけれど。
でも、ふたりが納得して決めたことでないと、意味をなさない。
島田紳介の引退騒動では、多くの芸能人・著名人・果ては政治家がコメントを発している。
まだ暫くはざわついた雰囲気をテレビやインターネットから感じるのだろう。
そんな中、上地雄輔のブログ記事とそれに対するコメントについて
http://ameblo.jp/kamijiyusuke/entry-10996865827.html
実際私もこの記事を読んだ、コメントも一部ではあるが読んだ。
確かに文章は30代男性『社会人』の書く文章ではないかもしれない。
だが私はこの文章に『人としての真っ当且つ正常な感情』を感じた。
文章としての良悪ではなく、彼が書き表したかった30代のくせにバカ素直過ぎる悔しさを
指をさして笑う事は格好悪くないのだろうか。
そもそも本来『陰口』とはそれ自体が忌むべきものであり
本人の目耳に届かぬよう『陰』で囁く物であったはずである。
パスワードで管理されていようが、どこかに"ほつれ"が生じれば途端に世界へと漏れ出す。
『陰口』を叩くには余りにも見えすぎるのである。
30代以上の大人は、パソコン・インターネットが普及した時点で既に10代後半以上であるので、
基本的にはネットでの立居振舞は弁えていると思われるが(一部に存在するであろう酷い例外は除く)
インターネットでの繋がりの中で平然と他人の悪口を連ねる。
○○が嫌い
○○消えればいいのに
それらは『○○』という単語を検索すれば見つける事が容易である。
探さなければいい。
見た方が悪い。
本当にそうだろうか?
そもそも『陰口』は端から見れば醜い、【悪】だったはずではないか。
陰口を叩く側も、それが分かっていたからこそこそと話していたのではないか。
そんな当たり前だったはずの節度を、子供たちはいつから学べなくなったのか。
まさにその頃いじめていた人間、いじめられていた人間、ただ見ていた人間が
今親となっているのであろう。
それも『インターネット』という目に見えないとてつもなく大きな世界の中で。
例えば他人の悪口をネット上で放っているのが自分自身でも同じである。
それは恐ろしい事ではないのか?
いつ自分が、自分の家族が、上地の立場に立たされるか分からない世界で
声高に騒ぎ立てている事に恐怖のかけらも感じていない。
島田紳介の引退から上地雄輔のブログの文章、そして周囲の反応に関しては、
夏が終わる前に一度真剣に考えてみてはどうだろう。
ただ笑って「あれ酷いよね」と終わらせる身近な誰かを放っておいてはいけない。
顔と顔を合わせ、お互いの醜い顔を確認する事で「悪い事」と感じることが必要なのである。
「ネット上で批判を繰り広げる人をネット上で批判」、もはや自分の尻尾を自分で噛むようなループ構造。
対面でやらなきゃ意味が生まれにくい、って誰かが言ってたから、増田はネットで批判している人達を訪ねて回るべきだと思う。
> 最近のネット上の文章って批判と見え見えのポジショントークばっかり
まぁ、増田がどんな「ネット」を重点的にご覧になっているのかがよく分かる一文だ。
自覚された上で書いているかどうかは知らないが、このようにうすっぺらいエントリ一つで「ネット」上のたくさんの人が「そうか、俺の行いは間違っていた。もうネット上で批判はしないぞう!」とカイシンするなどという事はありえない。
ということで、このエントリは全くコストに見合っていないし、だからといってストレス解消にもならない。
そもそも対面での議論とネット上での議論を同じ土俵に載せて比べている事自体がナンセンス。
この次元の低さは、増田の考える「議論」「批判」がせいぜい節度も理論もない罵り合いでしかない事を想像させる。
早くに父が亡くなったけど母親や他の親族がまともな人で経済的にも愛情的にも問題なく立派に育ったお嬢さんでも緩和不可なんだろうか。
だから
そういう個別の例外を言い募るなら
「バツイチだけど夫が病気で急死しただけ、最後まで夫婦仲は睦まじく健気に看病し死を見取った情深い女性」とか
「趣味はギャンブルで自己破産経験もあるけど基本的に節度を守って博打をうつ女性、破産の原因はたった一度のFX操作ミス」とか
「風俗・水商売・AV・援助交際・不倫・浮気・中絶経験ありだけど全て貧しさゆえの気の迷い、今は反省している女性」とか
いくらでも設定は作れるし、
広く世の中を見渡せばそういう人はきっとどこかに実在するけど
法律の問題について言及するなら、法律の知識があったほうが良い。
法律の知識がなくとも「膠着状態に陥るのはそれなりの理由がある」と考えるのがあたりまえだ。
「自分の考えている都合のいい展開がどおりに物事が進んでいないなら自分の知らない何かがある」と考えるのが大事だ。
現状見るに、例えば下記のような事情が推測される。
1:ソラノート側は、そらのが想定以上にアタマが悪く全く学習しないため
そのためなんとかこのままの形でソラノートを続けたい。(しばらくしたらポイ捨ての予定)
2:そらノート側は、自分たちが訴えられる側として法廷に立つなら高い確率で勝てる。
負けたとしても法的に敗北しただけで自主的に責任を認めたという形にはならない。
「営業停止」などが求められているのであれば話は別だが、損害賠償請求なのであれば訴訟を受ける事自体のデメリットは小さい。
しかし露骨に挑発をして争いの場を裁判に誘導し、法的なテクニックで勝っても社会的に死ぬ。
3:また和解となると、幾らかの歩み寄りは求められる。
特に、そらのに自分がやったことを理解させ、謝罪させる必要があるが、
それができるくらいそらのが頭がよかったなら最初から問題になってない。
そらのがボトルネックとなっており、再開可能な形で和解をすることは難しい。
4:つまり、そらノート側は守り的には有利だが、攻めや和解といった手が使えない。
よって実情はともかく外観としては
「相手が和解を放棄したので私たちはあくまでも仕方なく裁判に応じた」という形に持ち込みたい。
故に相手が焦れるまでひたすら待ちの姿勢をとっている。
5:フランチェス子さん側はフランチェスコさん側で、守りでは有利だが、攻めに関しては絶対のアドバンテージはない。
ネットにおける正義(笑)と法的な有利は全く別ものである。 訴訟を起こしても確実に勝てるとは限らない。
訴訟が長引き、相応の訴訟費用を負担した挙句認められなかった場合、最悪両者の訴訟費用を負担するハメになる。非常にリスクが高い。
訴訟費用の負担がなくても、慣れない訴訟の手続きで非常に消耗させられることは確実。
おそらく代理人あるいは相談している弁護士からそのような忠告を受けているはず。
故に最大の目的である謝罪(そらノートに非があったということを認める旨)を引き出すことさえ出来ればその他は交渉可能。
消耗具合から考えても、何がなんでも金が取りたいなどというイメージは大きな間違いで、
むしろ可能であれば早期に決着をつけて落ち着きたいと考えているだろう。
この点から考えてもフランチェスコさんが望外に高い和解金申し入れをしているとは推測できない。
6:まとめると
今現状は両者にとって硬直状態。ここから先は体力勝負であり、私が観る限り圧倒的にソラノート側有利であると思う。
「勝ち戦なのに何をgdgdしてるんだ。さっさと裁判してしまえ」と言ってる奴は心底馬鹿だと思う。
勝訴時に幾許かのリターンを得ることを条件でもいいから、訴訟費用をを負担してやれ。
勝利確信してるんだから、負けたら当然その分も負担するという契約で。
そのほうが、訳知り顔でアドバイスをするよりはそのほうがずっと役に立つ。
これはフランチェス子さんに共感のコメントをおくっている側も同じ。
野次馬たちよりはましだが、特段なんの助けにもなってないと思われる。
繰り返すが、これは確認された事実ではない。あくまで現状から推測したことだ。
正確なところは切込隊長あたりが理解してるだろう。そのうち解説が出てくると期待している。
だが、こういう可能性を考えれば「裁判すれば解決するのにgdgdしやがって馬鹿なの?」とかいう煽りを入れるのは
本当に正しいのかどうか、と疑うことくらいは出来るだろう。無責任に発言は出来ないはず。
「早く裁判すればいいのに」ってコメントしてる人を見ていると、本気でそれが正しいと思ってるようで怖い。
やじうまは無知である。やじうまに事の正否は判断できない。そのくらい自己卑下してちょうどいい。やじうまはもっと謙虚であるべき。
不謹慎ってなんだろう?
以下は不謹慎だと思う。
「もっと人が死んでればよかった」とか言っちゃう人。
本気、真剣に人助けに取り組んでいるのに、「無駄な努力」と切り捨て、あざ笑う。
これらは本当に不謹慎だし、人としていろいろ欠けている可哀想な人でなしの思想、発言だろう。
確かに、これらに準じたり、該当する行動・発現等は「不謹慎だ!慎め!」と言っても問題ない。
いや、私が率先して言う。
大まかな疑を問うてみたい。
「笑う」事。
はて、これは不謹慎だろうか?
冒頭で言及した、ブラックユーモアで公で笑う事、これは不謹慎だと思う。
ならば、これはどうだ:
人間は理解出来ないものに対しての本能的な反応が笑いだそうだ。
現実だと受け入れたくない、夢じゃないか、理解出来ない、などの感情が先行してしまうなら尚更だ。
そんな輩に「フキンシンダー」と責めるのは如何なものか?
これはどうだろうか:
全く無関係な冗談で笑う事。
被災者の方も、「同情するな、そこまで落ちぶれていない」と仰られたそうだ。
いいのではないだろうか?
祭りやイベントなどの行事もやって、経済を浮上させたり悲壮感を拭えるのなら正しい行動にさえ見えてくる。
被災地差し置いて、送れる物資や電力などを無駄遣いするのは如何かと思うが、
他にも、
問題が有るように到底思えない。(私が浅はかだからこの到底と言う表現も少々意味消失気味だが)
だが、
これは不謹慎だ。そして許すまじ行為でもあると思う。
この、「笑い」に関して浅はかだが、私なりにとある線、ボーダーラインが見得て来たと勘違いさせていただく。
不謹慎、とは苦しんでいる方々を糧に幸福感を得ることだと、私は定義させていただく。
「無駄な努力」と切り捨て、嘲笑う事→糧に優越感を得、幸福感を得てる。
ここまで言及しておいてだが、「幸福感」と言う言葉は少々概念を形容するには相応しくない言葉かも知れない。
「幸福感」「高揚感」「幸悦感」、しかもそれを若干禍々しく歪曲したような感情だ。
そしてポイントは、「糧」だ。「犠牲(イケニエ)」やもしれぬ。
転んだものを踏みつけ、自分の為に踏み台にしている行為。
これすなわち、私が思う「不謹慎」の正体だ。
(世の中、白黒デジタルなら理系はもうちょっと良い待遇を受けているだろう。
話が逸れるが、理系文系と別けるもあまつさえデジタル化であり、私は反対だ。)
例えば:
災害発生、直座に公で笑い、騒ぐこと。
これは不謹慎と言ってもいいと思う。
友人、家族、愛する方々の安否が不明なかたが周りにいるかも知れないからだ。
が、不安な方の気持ちを踏み台にしていると、個人的に思う。少なくとも私はいい気分にならない。
友人同士での誕生祝い。
これまた微妙だと思うが、誕生日は年一度だ、友人と祝いたいであろう。
これは、祝う友人たちによりけりだ。個人的に、だれも傷つかないのなら節度を持って身内のみで祝いの席を持っても良いのではないだろうか?
その時まで延期するのもありだろう。
やっと本題に触れさせて貰う、が。
節度を保っているのに、「フキンシンダー」と言うのは如何なものか。
「この前友人と飲んだ~」と言ったら「不謹慎!!!」と発言したりだ。
「『落ち着いたら飲もう』って言うけど、何をして落ち着いたと言えるのか」と悩んだ人を見た。
話せばいい。友人なら聞けるし、お互いフキンシンダーと言わないだろう。
言っても、なぜそう思うかを明確に説明できるはずだ。
そして、それでお互いへの理解を深めれるはずだ。
弁解、理解すればこその友情であり、できないならそもそも一緒に飲まないほうがよいと思う。
では、一体何が問題なのだ。
聞く耳持たず、事情知らず、判ろうとせず、人を指し、「フキンシンダー!」と叫び、まるで自分が、
「進言行動で英雄に造り変えられていると勘違いしている人間」ではないのだろうか。
それこそ、何も考えずに発言しているか、
「被害者を思ってあげて、怒りを代弁する俺カッケー」と言う自己陶酔的な理由で発言しているかだと思う。
前者は仕方あるまい。ある意味。
後者であれば、それこそ、
「苦しんできる方々を『糧』にし、自分のナルシスト願望に餌を与え幸福感を得ている」のではないだろうか?
逆に、「不謹慎だ!」と言っても、相手の話を聞き、理解をしたりするのはいいことだ。
自己陶酔でもないし、おそらく被害者を本当に想ってからこそと思える。
「自粛します」と言って閉店しているお店や、自粛してお酒に参加しない友人も問題ない。
空っぽな正義感で「不謹慎だ!」と叫べば、指された人も、被害者も傷つけているということを考慮して私は行動していこうと想う。
余談:
これは戯言です。
私自身、聖人君子ではないので、誠に不謹慎な発言をしたこともあるし、これからもするだろう。
私自身、度々この「フキンシンダー」と叫ぶ側であったり、将来的にあるかも知れない。
またパクリ騒動があったみたいだ。ニコ動でランキングに上がってたボカロ曲が削除されてた。
その動画に、たくさんのコメントが寄せられてた。トレスを糾弾していたり騒動を見に来ただけの野次馬らしきコメントが書き込まれていた。
ゆのみPの時もラノベで大々的なパクリがバレた時も、炎上したサイトには似たようなコメントが飛び交っていた。カトゥーンの曲もPixivなんかでもおんなじだった。
似せているから責められる。意図的であるとしか思えないから追い詰められる。
過ちは正されるべきなんだろう。創作物とオリジナリティを冒涜するような行為は少なくなるに越したことはないのだと思う。
でも、はっきり言ってとんでもなく怖い。加熱し暴走しかけた正義とか糾弾とか、目を背けたくなるくらいに醜く見えてしまう。
たしかに良くないことだとは思うけれど、それを是正するための機能として炎上がフィードバックされるというのなら、その機能は行き過ぎてる。
炎上の元となる発信者が良くないのは分かるけれど、だからと言って際限なしに直接的に攻勢に出られてしまうというのは無法的にも程がある気がする。
追求してはならないなんて言いたいわけじゃない。悪いことにはそれなりの処罰がくだされるべきであるという考えには賛成する。
でも、その悪いことと処罰との間に格差が生じすぎていると思う。一言で言えばやり過ぎな気がする。
一連の出来事はそれほどまでに向こう見ずな正義が集中しなければならない事柄なんだろうかと疑問とともに可哀想にさえなってしまう、
もちろん、発覚した悪いことと処罰との適合性に関して判断の基準は人それぞれなんだと思う。僕が行き過ぎだと思うことさえ、誰かにとっては手ぬるいと感じることだってある。
だからこそ、一定の基準を設けるべきなんだ。節度を持ってネットを利用するべきなんだ。
価値基準が混沌としているネット社会に節度なんて不適合な概念なのかもしれないけれど、暴走する正義だけはどこかで抑えなきゃならない。
一つ一つのコメントにはなんら力がなかったとしても、数は暴力となり得るのだ、自己防衛だけはなく誰かがクッションになる必要がある。
……
とか何とか書いてみたけど、現状無理だよなあ。自由であることがネットの特性であり、匿名の利点であるんだから。
ただ、発言する自由は保証されるべきだと思うけれど、発言を押し付ける自由は制限されるべきなんじゃないかな。
でも結局自分が心地良く利用したいだけなんだよなこれって。誰かの心地良さを犠牲にしてまで得るべきものでもない気がしてきたし。
どんなことでもそうだな。現状に何か気になる改良点を見出すのに、それを変えることによる利害の判断がはっきりしなくて現状維持に落ち着いてしまう。
全部そうだ。考えることが苦手なんだろうな。思考放棄。そもそも考えてもないし。感じたことを列挙していって、それで行き詰ってハイおしまいなんだもんな。
駄目だこりゃ。
衝突事件として立件できる部分だけの編集版であり、それ以前の、領海を侵犯して漁業を行っていた漁業法違反の部分、及び不法操業を行っていた船舶に対して拿捕の為に捜査員の突入を行った際に発生した事件を記録した部分については未公開となっている。
中国漁船の乗組員一同は公務執行妨害容疑で身柄を拘束されたのであり、単なる器物破損容疑ではない。
漁業法違反で摘発する為に、操業の事実を確認する為に捜査員が乗り込んだ場面や、その後に何が起きたのかという所を公開しなければ、事件の本質は隠匿されたままとなる。
中国の為に隠匿するのであれば、それは売国行為に他ならない。事実を事実として公開し、その上で中国との付き合い方を考えなければならない。
"国民一人ひとりが自分の問題としてとらえ、国民全体で考える主体的で能動的な外交を展開"するには、隠し事があってはならない。
改変や編集の痕跡が無い事を証明するには、無編集の長尺版で公開するべきである。
完全公開は、短期的には日中関係を損なうが、長期的には、相互理解を深める事になるであろう。
2000年間に渡って日中間に国境が存在し続けている理由を学んで居ない者や、理解していない者に、正しく理解させなければならない。
中国や朝鮮半島やロシアとは、隣国として、節度と距離のある付き合いを続ける以外に無いという現実に早く気付かせる事が、相互の不幸を避ける唯一の手段なのである。
ここ最近のニコニコのイケメン風歌い手への過度な傾倒はどうなんだろう?
ボカロPが魂を込めて作った曲を、カラオケ感覚で曲の解釈もロクにしないで自分の好き勝手に歌って、腐女子にキャーキャー言われてライブなんかもしちゃって、ガッポリ金稼ぎしてやんの
「オレが歌ったから曲の人気が出たんだろう?」とか言っちゃってる歌い手!、表向きにはありがと~なんてボカロPも切り返すけどさ、ホンネを言えば、お前の人気アップや金儲けの道具としてオレの曲を使うんじゃねーよって思っているんだよ
運営も腐女子人気にすがりたい気持ちもわかるけどさ、イケメン風歌い手ばっかりフィーチャーし過ぎだろ・・・ニコニコ大会議は歌ってみたのイベントじゃなくて、ニコニコ動画のイベントだろ!
ボカロや東方やアイマスや実況やMADやMMDやニコニコ技術部、兄貴も含めて、もっとすげー動画あるだろ!・・・歌ってたカテゴリ以外にもスポットライトを当てないと、マジで他のジャンルのうp主が逃げるぞ
でさ、こっちはマジメに音楽をやって、それを発表したいだけなんだから、ニコニコではいいけど、ボーマスやM3ではあんまし俺らのシマを荒らさないで欲しいワケ
ボーマスに歌ってたみたも少し違和感あるのに、M3にまで進出してくんなよ!ボーイズ
お前らに会うのだけが目的で、他のCDには全く興味のないジャニヲタ同然の腐女子で会場が一杯になっちゃって、ホントに音楽を求めてやってきた俺らの仲間が窮屈な思いをするのは、何かこっちも申し訳なくてサ
っつーわけで、節度を持って共存共栄してきましょうや!お前らだって雰囲気先行でぶっちゃけリアルにはイケメンじゃないんだしさwwww
あー、すっきりすっきり
野球少年にとってプロ野球選手というのは神なのである。野球界には、たとえば「守護神」という言葉がある。「代打の神様」という言葉も。古くは、「神様、仏様、稲尾様」というのもあった。
今日は日本シリーズの第1戦だった。ふとつけたテレビのスポーツニュースで、ひどく悲しい場面を見た。
番組で、ロッテの成瀬のメールを紹介していた。インタビュー収録ではなくメールの紹介という時点で本当にプロ野球まわりは不景気なのだなぁと感じたのだけれど、あろうことか、成瀬のメールの最後にこんな文章があった。
「(番組の司会だったくりぃむしちゅーの)上田さん、ホームランを打たれない方法を教えてください」
最悪だと思った。日本シリーズの第1戦に出てくるピッチャーということは、日本最強を争うチームのエースということだ。そのエースが、芸人風情に「ホームランを打たれない方法」を伝授してもらおうというのである。
私は大人だから、それが番組を盛り上げるためのひとつのギミックであることは理解できる(それにしても面白くもなんともないが)。だが、野球少年たちはどうだろう。あれを見て、明日もキャッチボールの練習をしようと思うだろうか。子どもはそのまま受け取るよ。「上田は成瀬より野球がうまいのか、へんなの」と、そう受け取るよ。
この国のスポーツマスコミは、いつからプロ野球選手を尊敬しなくなったのだろう。スポーツの感動というやつを、そのまま伝えることをやめてしまったのだろう。試合やイベントににぎやかしでタレントを呼ぶのはいい。だが、冗談でも言っていいことと悪いことがあるはずだ。
成瀬は、全国の野球少年の夢を背負ったエースとして、この依頼を断らなければならなかった。テレビスタッフの依頼に対して、激怒しなければならなかった。プロ野球選手として飯を食っている限り、その場所には、真剣に練習をして、真剣に試合に臨んで、勝ち続けなければたどり着けないのだということを、明確に示すべきだと思う。
上田は、「とんでもない、冗談じゃない、あなたに教えることなどあるわけがない」と、真剣に否定しなければならなかったと思う。狼狽さえしなければならなかったと思う。スポーツマスコミとして飯を食っている限り、プロ野球選手の価値を貶めるような言動や態度は、意識的に排除していかなければならないと思う。スポーツが死ねばスポーツマスコミも死ぬ。それは上田自身の食い扶持を減らすことでもあるのだから。
テレビのスポーツマスコミはもうダメになる寸前だ。今日、はっきりとそう思った。現場がスポーツに尊敬を持っていないのだから、それを伝えられた視聴者がスポーツを尊敬できるわけがない。何もかも、バラエティに侵食されて、成瀬がどれだけすごい訓練と技術を持っているのか、誰も理解できなくなってしまっている。
だけど思うんだ。もしスポーツマスコミに復興があるとすれば、そのヒントはきっと、テレビバラエティの中にあるんじゃないかと。
ここ10年、バラエティ番組は字幕テロップに頼ってきた。「めちゃイケ」も「エンタ」も「ロンハー」も、面白いところを全部字幕で流す。視聴者にわかりやすさを提供し、より広い層にアピールする努力を重ねてきた。昨今のお笑いブームを牽引したのは、まちがいなくこの字幕テロップという工夫だったはずだ。
バラエティにはバラエティの、スポーツにはスポーツの面白さがある。だったらスポーツだって、その面白さをそのままわかりやすく伝える努力をすればいい。成瀬と上田の軽薄なカラミなんかより、もっと面白いことが野球の試合のなかで起こっていることは、現場だってわかってるはずだ。
各局のバラエティ班は、バラエティの面白さを伝えるために血の汗をかいて字幕テロップという武器を手に入れた。それにより、バラエティは隆盛した。現在のテレビのスポーツマスコミは、そのバラエティ班の努力によって知名度を得たタレントや芸人におんぶにだっこで、本来、自分たちが伝えなければいけないスポーツの魅力を表現する努力を怠っている。
かつて、日本シリーズやプロボクシング、プロレスは国民的関心事だった。それは、スポーツにしかない感動がそのまま伝えられていたからだ。スポーツマスコミが、「こいつらはすげえんだ」と言い続けていたからだ。今だって、オリンピックやワールドカップになれば、スポーツマスコミは節度と敬意を取り戻すことができる。確かに野球の人気は下がっているだろう。だけど、せめてスポーツマスコミの現場だけでも、「プロ野球の日本シリーズは神々の戦いなのだ」という主張を怠ってはいけない。建前でもいいから、それを怠ってほしくない。野球少年から、夢を奪ってほしくない。それは、夢を与える仕事や、夢を伝える仕事に就いた者たちの責務だと思う。
今日の現場スタッフは、想像してみてほしい。ワールドカップのあの試合の直後に駒野がくりぃむしちゅー上田に「PKを外さない方法を教えてください」と言ったら、どんなことが起こったか。
笑いたくて野球を見ている者はいない。野球にはみんな、別の感動を求めているはずだ。もう一度、自分たちの仕事が何を扱っているのか、見つめなおしてほしい。
なんでネットの情報って全然規制されないんだ?表現の自由ってそんなに偉いの?
俺はそろそろ本格的に嫌になってきたよ。
法律ガン無視して著作権法違反個人情報垂れ流し法律ガン無視のネットサービスを作りまくる低脳新興企業と、それをちやほやするGIGAZINEはじめ有名サイト。
違法行為を推奨してるようにしか見えない。
おまけに、そういうことへの批判をちょっとでもどこかに記せば、
彼らは「すべてユーザの使い方の問題」という理論に帰結させる。
P2Pは悪くない、Googleは悪くない、違法情報紹介サイトは悪くない、みんなモラルを守って使ってね☆
そういう事をいいながら、「コピーガードを解除して保存する方法」を平気で紹介する。
使う側のユーザも、自分が悪いことをできなくなるのが嫌だから、構築されたシステムを責めない。
そういう問題が議論されることがあってもあくまで使い方のせいにして、システムや法律が変えられるのを防ぎ、自分の「悪いことをする権利」を守る。
ネットサービスの利用規約で形だけのOKを押せば、あとは何でもありのお粗末な世界。
ネットは異常だと思う。かれこれ10年以上ネット触ってきた俺がいうのも何だけどさw
違法コピー礼賛はどう考えても異常だし、モラルと情報の質の低さにもそろそろ嫌気がさした。
テレビならちょっといろいろ言っただけで普通に謝罪問題に発展するし、倫理を逸脱したものは作られない。
アングラ本にはTVのような規制はほとんどないが、見たくなければ書棚に近づかなければいいし、そもそも本屋の目立つところには置かれない。
現実世界の仲間内での悪口の言い合いも、その場限りで消え後から全世界から参照可能になったりしない。
しかしネットは違う。
普通に検索しただけで、興味のない人に対してもいちいち嫌な世界への導入部をこれでもかと提示する。
TVと違ってネットユーザは自分で情報を検索してると言われそうだが、検索しただけでいちいち検索クエリに変な単語が出てきたり
違法サイトがTOPに出てきたりするんだから、どこまで能動的かは分からない。
TVを見るときの能動性と同視できるくらいに、ネット検索の敷居は低くなっている。
TVとアングラ本からはみ出した分がネットに来て、そんでアクセス数稼いでたら意味ないじゃん。
テレビの規制が風紀の維持にあるのなら、そろそろネットでも同じ事をやらないと本末転倒。
ネットはTVでないというだけで規制されず、嘘デタラメ違法情報罵詈雑言が飛び交っても許される。
ネットはアングラ本と違って、見たくない人にまでスラム街への窓口を提示する。
そして悪口と違って後々まで残り、さらに第三者から半永久的に検索可能になる。
そしてさらに、ネットの持つこういう性質がちやほやされる。先進的と言われる。それにアクセスしている人たちは、
リアルで節度を守って生活している「健常者」を小馬鹿にし、自分のそのライフスタイルを吹聴する。
現実社会でそういう奴がいてもどことなく鼻つまみ者になるけれど、ネットではそうではない。
今までだって気にはなっていたけど、ここ数年の動きを見てるうちに
この風潮にそろそろ嫌気がさしてきた。
小学生だってアダルトサイト見放題。中高生は違法コピーし放題。
無理もない。それを助長するシステムが出来上がっていて、
おまけにシステムに反することを少しでも言おうものなら「うるさい奴」「流行遅れ」「年寄りくさい」という目で見られるのだから。
しかし、ネット上でこんなこと言うのってやっぱり違和感あるんだろうなw
まあでも俺は弱いんで、ネットはしばらく止めます。
手始めにということで、光を止めてモバイルの従量回線に切り替えたw
他にもこういうこと思ってる奴っているんだろうか。
トラバつけといてくれたらまたいつか見ます。
恋愛もだけど、友情にもペースや節度があっていい。でもそれは、相手に言わないと伝わらないよ。
「普通」と思っていることは、皆ちがうから。
あなたに歩み拠ることのできる相手であっても、発しないと合わせられないよ。
議連もあるし国民会議とかもあるんだから代表窓口はあるのでは?
デフレ容認派利上げ推進派の窓口がないことに一切触れないのが語るに落ちると言うか。
ああそう。じゃあ、たとえば「反歴史修正主義派」の「代表窓口」ってどこにあるのかな?民主党?金子がいるんだからちがうんだろうね。社民党?共産党?まさか。いったいどこにあるのかな????
そして、Apemanとかhokusyuこそがまさに「反歴史修正主義派」が「ある程度の節度」を守っていない格好の実例じゃないか。
あなたの言っていることはどう見てもファシズムです。本当にありがとうございました。
完全なコントロールなんて書いてないでしょ。そんなのできませんよ。でもある程度の節度を守ったり、代表窓口を設けたりはできる。それすらできないのがコントロール不能ってこと。
まったくもって。ヲタクは犯罪予備軍て言ってるやつと同レベルだと思う。
ナンパって言葉を狭い意味で捉えすぎなんだよ。すべての男女が出会ったときには初対面なんだから、
そこから一生懸命話しかけてお互いの共通点探りだしてちょっとずつ距離を縮めてくって作業自体はいっしょ。
それが彼らの頭の中では学校とか職場みたいな特定のコミュニティ内ならセーフで、街中だとアウトになってしまう。
でもその違いって実はものすごく曖昧で、じゃあ新幹線とか、ツアーとか、病院の待合室とかならどうなの?って話になる。
それは公共性がうんぬんって言うやつもいるけど、個人的には節度が保たれていればどこであっても関係ないと思うんだ。
しつこく付きまとったり相手が迷惑って思うようなことするからダメなわけで。それは職場内でもいっしょでしょ。
でも初対面の異性としゃべる経験が少ないやつは、相手が「話かけないでほしい」オーラを放っていても察知できない。
どんな切り口だったら心を開いてくれるかもわからない。そういう意味でナンパはためになる。
そういうスキルがあれば店員さんと親しくなれたり、ほんのちょっとした出会いでも広げることができる。
別にどっかの説教好きのマッチョみたいにナンパを奨励してるわけじゃないんだ。あくまでやりたいやつがやればいい。
ただ頭ごなしにナンパを否定してるのを見ると頭悪いなって思ってしまう。
http://www.princehotels.co.jp/iceshow/faq/
川o゜_ゝ゜ エフゲニー・プルシェンコたん Part194
894 名前: 830 [sage] 投稿日: 2010/07/22(木) 00:13:32 ID:kBbjxnRdO
PIW初参加なので、初日にはまず外の偉い人?に質問しました。
ルールを守らないとプルとふれあい出来ない可能性もあります。
Q:出待ちOK?
A:可能。しかし、スタッフが定めたエリアから出てはならない。
Q:ふれあいでは何をするのか?
サインや2ショットは他のファンの迷惑になり、選手が疲れる(休憩時間も減る)為、
遠慮してもらっている。
Q:選手が握手を嫌がったり、ファンはパニックにはならないか?
危険な場合、中断・中止、もしくは危険エリアを回避する可能性もある。
まとめおかしかったらすみません(^^;
待ち時間にだらだら聞いてしまったので、
一部注意事項を忘れてるかもしれないです。
最終公演の南東はあわや将棋倒しが起きる所でしたし、
プルの時はフェンス決壊しそうに見えました。すごく斜めになってたんです。
もし倒れたら、プルの下半身はフェンスとファンの下敷きですよ!
ファンよりプルが大怪我します!
ファンを迎えてくれているショーなので、
私達もお互い注意し合い楽しみましょうね。
川o゜_ゝ゜ エフゲニー・プルシェンコたん Part194
901 名前: 830 [sage] 投稿日: 2010/07/22(木) 00:21:49 ID:kBbjxnRdO
スケジュールやプログラム関係の質問は曖昧な回答が多かったので、
誤った情報が広がるのを防ぐ為、控えます。
Q:出待ちOK?
A:OK。でもルール守って。僕は嫌じゃない。愛してる←w?
Q:ハグOK?
忙しい(急ぐから、かもしれません)から全員には出来ないよ、
ごめんね。
Q:日本どう?
A:ファンも選手もスタッフも優しい。楽しい。でも暑い。痩せる。
(出待ちで)
Q:サインOK?
A:OK。嫌いじゃないよ
Q:サイン疲れる?
A:疲れるほどやらない(笑)
※疲れない、かもしれません。
※あとラッキー?とか言ってたような気がしましたが、
全員にはサインしないので、サインされたらラッキーという意味…?
Q:プレゼントいっぱいですね
A:興味深い物たくさんあった。大きい服が多い。太ってる?
※最後早口で聞き取れませんでした。太く見える?太った時のだね?
川o゜_ゝ゜ エフゲニー・プルシェンコたん Part195
638 名前: 氷上の名無しさん@実況厳禁 [sage] 投稿日: 2010/07/23(金) 11:04:15 ID:STH9ZlDq0
あれ、こっちにも書き込まれてるか
PIW事務局に電話で問い合わせしました
ふれあいの間も一切です
→元レス
820 名前: 氷上の名無しさん@実況厳禁 [sage] 投稿日: 2010/07/23(金) 10:49:40 ID:STH9ZlDq0
PIW事務局に電話で問い合わせしました
・ハグ、握手等は選手の裁量(拒否されたら大人しく引き下がりましょう)
・出待ちは可能だが、スタッフの指示に従わず混乱が起きた場合は解散
http://www.cric.or.jp/qa/sodan/sodan1_qa.html
http://www.abc-boys.com/05/020Syozoken.htm
PIWでは、ふれあいタイムにおける写真撮影は禁じられていないが、それをネットにあげることは非常にグレーゾーンかと思われる。
プルシェンコ選手の場合は写真を公式にあげてほしいと本人が言っている以上、ネットにあげることは許容範囲であろうが、周辺に写っている他のファンの顔が鮮明に写った写真をネットにあげることはプライバシー保護の観点から違法行為として訴えられかねない。(親告罪なので可能性としての表記)
上記のいくつかのマナーを守らなかった為に起きてしまった問題について詳しく知りたい方は下記参照