はてなキーワード: 暗黙のルールとは
忙しくもない仕事を忙しく見せることで日々を乗り切っているみなさん、こんにちは。 大半の職場には「たとえ暇であっても忙しそうにしてないといけない」という暗黙のルールがあるので大変ですよね。
そうなったのには、暇な部署に配属された、仕事が簡単すぎる、などの様々な理由があると思います。ただ、いずれにせよ目的は同じなので情報交換をしましょう。
王道中の王道。トイレにこもって、iPhoneでTwitterでも見てすごす。 当然、iPhoneのバッテリーの消費がはげしくなるので MobileBooster(http://www.amazon.co.jp/dp/B00421BB8S)などを常備するとよい。
王道、その2。PCでインターネットサーフィンでもしながらすごしましょう。
フィルタリングされている可能性が高いので、SSLを有効にする、自宅にサーバを建ててVPNで接続する、などの対策は最低限とりましょう。
特に喫煙所は堂々と休憩することが許されていることが多いので、タバコを吸える方は是非とも活用しましょう。
タバコを吸えない方はドリンクコーナーを使うことになりますが、やはり喫煙所には劣ります。
客先への移動、事業所間の移動などで業務時間中に外出すること人は、なるべくその移動に時間をかけましょう。
わざと各駅停車に乗る、喫茶店に寄ってコーヒーを飲む、マンガを買って移動しながら読む、などの技が使えます。
考えることは、勉強会の準備や趣味プログラムの設計、晩ご飯の献立などなんでも大丈夫です。どうせ頭の中を監視することはできません。
画面はExcelやVisualStudioなど文字量が多くて、すぐに内容把握ができないものがおすすめです。
見えていても突っ込まないのが、ファンのあるべき姿だって言ってるんだよ。
そして、「王さまは裸だよm9(^Д^)プギャー」「ヨセフとマリアは陰でヤっちゃってたんだよm9(^Д^)プギャー」って言ってるKYは排除するのが、ファンコミュニティ&プロデューサーの役目だよ。
ミッキーのたとえであれだけど、映像ならともかくぬいぐるみのあれを、生きている何かだと錯覚する奴の方が頭おかしいだろ。誰から見てもぬいぐるみ、だけど園内では「ミッキーさん」という扱いができるからこそ、みんな楽しめてるんだろうが。その暗黙のルールが分からずに
「アイドルだってうんこするし恋愛もするよ?」とかのたまう奴こそが、アイドルビジネスというパッケージ商品の中での一番の害悪じゃねーか。
そこらが見えてないはずねーだろ。お互い無視してるだけなんだよ。
道行く人は舌打ちをして無言と早足で通り過ぎていく。
仕事というよりもむしろ人間関係にモヤモヤし、仕事にも手がつかない。
ストレスを発散しようといっても、いつも愚痴っているのも格好悪いし、
そもそもそそんなに友達がいるわけでもない。
街をさまよっても何があるわけでもなし、疲労感と倦怠感を感じ、
それを発散させようと物欲や食欲、性欲にに走る。
精神を病むのも無理はない。
何を求めていたとかを見失うと、やる気をなくすのは時間の問題である。
なんで人間、何で人間があんなに刺々しくなれるのか、本当にわからん。
クズにクズのような目で見られる自分もまたクズであり、そんなクズな自分に自己嫌悪する。
ああいやだいやだ。とてもいやだ。乗っていけない自分が本当にいやだ。
2年前はこんなんじゃなかったはずなのに。なんでこうなってしまったのか、
夢見る自分に気づいてしまった凡人がいるだけだからなのか。
あああ、これからどうして生きていけばいいんだ。
何を守るにも気持ちがこもらないとだめだし、社会的に非常識な自分が
これから漫然と生きていても大していいことがあるとはあまり思えない。
コンプレックスやプライドにしばられ、恥ずかしさやさげすみを恐れて生きるのはいやだ。
何がしたいんだと大声で叫ぶような度胸すらないような小さくまとまってしまった
卑しい自分をなじってやりたい。でも痛いのはいやだし、安全なのがいいと思ってしまう。
平穏か、平穏がそんなにいいのか。何が楽しい?自分の欲求を満たせるからなのか?
まだ恵まれていると思いたいのか?自分より苦しんでいる人間を見てメシウマな気持ちになりたいのか。
ああ、あさましい。人間の卑しさ、いや、自分の卑しさを捨て去ろうとしてももうヘドロのように
思考からこびりついてはなれず、人生半ばにしていかに生きるべきか迷う。たぎりたい。
愛想笑いはもういい、感情をぶつけたい。なんで俺は笑っているのかすら自分でもわからないし、
作られたルールなるものにあいまいにしたがっているもうそんなものはいいんだ、暗黙のルールはいい、
俺は非常識でいいからもう俺を一人にしてくれ、ほっておいてくれ、でもひとりはいやだ、人と話したい、
気持ちを分かち合いたい、希望を見つけたいと悩む。悩むことこそ若さであるならば、そんなものはいらないし、
都会のこの空気もいらない。人間多すぎるんだよ。どこがどうゆがんでいるのか、もうわからない。
自分が正常なのか?他人が異常なのか。
時間をかけて作業する→レベルが上がる→より強力なアイテムが使える→。。。
という単純な「よりよくする」ルーチンを楽しむ以上に
コミュニケーションができる所にあるとおもう。
「コミュニケーション」。
これはよくいわれるけれど、具体的になんだよ「コミュニケーション」ってと思ってた。
これについて、さっきふと思いついたことを書いてみようと思う。
(但しリアル友達とやっている人限定)
リアルな友達と直接会っている時は特に感じないが
少し会わない時間があり、特段メールで連絡する用事があるわけでもなく、
「何もない」=「嫌われているのではないか」
という思考に陥りやすくなる。
特に、自分以外の誰かとは会ったりしているのを知っているとなおさらだ。
今はブログ等が一般化しているのでこの「自分以外と会っている」と言う情報は
これまで以上に手に入りやすいので悲観度合いは高まりやすい。
かといってメールする必然性がなく、会うわけではない状況で、サンシャイン牧場ですよ。
そして施してもらうと相手にもお礼に施すと言うのが暗黙のルールでもあり、
友達からこの施しを受けることにより
「何もない」=「嫌われているのではないか」
という図式は前回会った時点にリセットされる。
つまり
「何かあった」=「嫌われていない」
に戻る。
そして安心が得られる。
この「(ゲームシステム上の)必須性」と「好意の施し(=相手へのコミット)」のバランスが
絶妙なことがこのゲームのはやる理由なのだと思う。
来た人にやれFAQを読めだの過去ログを漁れだの言うのはWEB上のコミュニティでは当たり前のことなのかもしれないけれど、確実に新しい人が入ってくるのを阻害してる。確かに気の合った人同士でディープな話題をするのは楽しい。やめられない。隠語や専門用語が通じるととてもうれしい。場や感覚、知識を共有しているという一体感がある。
住み分けという名のヒキコモリ。住み分けという名の隔絶。そこに入ってくる「新規」という名の異分子。今まで築き挙げた共有をぶち壊し始める。空気が読めない。KYだぜKY。
知らずに暗黙のルールを破った人物を叩きはじめる。叩かれた人はわけもわからず右往左往。
ああここは何て怖いインターネットですね。
もうすぐ36歳になるプログラマです。
これまでに、何社か転職してきました。
ところが、いま勤務しているところで、今まで遭遇したこともない慣習?みたいなのに遭遇して、困惑しています。
やたら話するのが大好きで、会議室やら仕事終わってから、どうでもいい話で長時間続いているのです。
そして、それはお昼休みも同じで、お昼休みは一緒に外食というのが暗黙のルールになってますが、それもストレスになっちゃってるので、週1は理由つけて一人で食事するようにしています。
私自身そういう「どうでもいい会話」というのが苦手どころか相当なストレスに感じてしまっています。
なんというか、自分の感じることの出来ないレイヤで物事が進んでいる感じがするんです。
いままで勤めてきたところでは、そういう場面や慣習に遭遇したことがないし、いまの会社で初めて遭遇したので、非常に困惑しています。
こういうのってどこの会社でも当たり前のように行われているものなのでしょうか?
いままでの人生で初めての経験なので、そういうものなのか、わからないのです。
元々、会話とか苦手で、仕事で生きる上でなんとか最低限のコミュニケーション能力は身につけたつもりでした。
そういうわけで、相手とコミュニケーションするのにものすごく神経を使うのです。
これに、先も見えず、長時間だらだら続けられることを求められるのはとてもつらいです。
そして、それが出来ることを強く求められているので、胃が痛いです・・・。
マジレスするけど、女性がそういうことをされないと思って就活していたら、バカの極みだよな。
そういう表に出たものはともかく、表沙汰にならないことなんて沢山あるのに。
就職する女性は雇われだってことを忘れてるよね。「体売ってでも取って来い」っていうのが暗黙のルールだってこと、しらないのかな。
笑顔で接していればなんとかなるのは学校に通ってる間だけ。社会にでればいつ穢れてもおかしくなんてないのさ。
だからこそ、男の処女厨とか見ていると真っ先に社会を知らない学生男子やニートなんだなと思ってしまう。
あ、断ってもクビにはしないし、現状どおりだけど、圧力はハンパないよ。既に同僚は買収されてると思った方がいい。
適当に垂れて見る。あくまで適当なんで各地方で異なるカモナー。
つーか、かなり微妙な表現満載なので信じるかどうかはあなた次第。適当に垂れた内容を鵜呑みにしてパンダカラーリングの車に追いかけられたり、おいでおいでされたりしても俺シラネ。
大原則・・・だけど、若葉マーク以外の人で稀にマイペースで走行してる香具師がいるが、道路にはそれぞれ制限速度とは別に「流れ」と言う物が存在して、暗黙のルール的にはその流れの速度を優先します。
片道2車線道路なら遅い車は抜かれるだけで済みますが、地方の道路になると片道1車線当たり前、そんなトコで制限速度通りに走ると大渋滞の元になるので流れに乗って走行して下さい。
40km/hの時は50km/h、50km/hの時は60km/hで走行して下さい。残念な事に制限速度通りに走ると渋滞の元です。中には「速度通り走らずけしからん!」とか思われる人もいるかと思いますが、大原則として道路の流れを乱さない事の方が大切です。
但し、時間帯や場所によっては制限速度+20km/hや70km/h走行が必要とされる場所があるかも知れません・・・が、流石に20km/h超過になるとパンダカラーリングの車においでおいでされる可能性がありますのでご注意下さい。
ゼブラゾーンは『基本的には』走行禁止です。しかし、右折車線が右折車で埋まってしまっている場合はゼブラゾーン内に侵入し、停車する事もあります。で、無ければ本線(直線車線)に支障が出て渋滞になってしまいます。
大原則として、流れを妨げない・・・と言うのがあります。最近、テレビCMで「ふんわりアクセル」とか言ってますが、背後に自動車が居る状況ではふんわりアクセルなんて辞めて下さい(だからと言ってフロアに付くまでアクセル踏み込めって訳じゃありません)
ふんわりアクセルは流れを妨げる以外何も利点はありません。あんた1台が地球にやさしくても後続車がどうかは別問題です。自分のエゴだけで地球にやさしいとか馬鹿げた事言うのは本当に辞めて頂きたい。
教習所でも言われてる超基本的な事です・・・が、急に指示出すとか、曲がる直前で指示出すのは道路の流れを妨げる一因になります。
早め早めに指示を出せば、後続車はあなたの車を避けて通行するか、あるいは停車してあなたが曲がるのを待つか判断し易くなります。直前に指示を出されると、避けて(安全に横を)通れるかどうかの判断が出来ずに停車する事に(=道路の流れを止める事に)なります。後続車の為にも指示は早め早めにお願いします。
流れを止めるな!って事です。その為にはどうすべきかはとりあえず上記内容を参考にして頂ければと思います。
「運転手のエゴ・傲慢この上ない!けしからん!!!11」と脊髄反射的な批判もあるかも知れません。しかし、道路は基本的にみんなで利用するモノです。自己主張をする場ではありません。
もっとも、嘘か誠か怪しい匿名のチラシの裏に書かれた内容に従うかどうかは全て閲覧しているあなた次第。
但し、「ケシカランケシカラン」とただこの記事をバッシングするだけの人は、街中で法定速度を1km/hでも超過しているドライバーの方々に喰ってかかって更生させてやって下さい。あなたがその行動を起こす事によって曲がり通ってる暗黙のルールが消えるかも知れませんよ。
うちの団地の民度が非常に低い。公営住宅だから我慢しているが、愚痴る。
自転車置き場の話。
一番自転車を取り出しやすいところはなぜかバイク・原付置き場になっている。その暗黙のルールが確立される前に、私がそこに自転車を置くと、雨の日でも野ざらしの場所に移動されていた。
そこがバイク・原付置き場になっているとは誰も知らされていない。公営住宅だから管轄の役所に問い合わせてもみたが、そのような区分は設けられていない。
バイクを所有する気違い(誇張ではなく、本当の意味で気違いだ。生活保護で暮らしている)が勝手にそこをバイク置き場と決め、勝手に自転車を撤去したのだ。
次会ったら一言言ってやろうと思ったが機会がなく一年が過ぎた。団地の組合の人たちにももちろん不公平は伝えたが、気違いのおじさんが怖くて何も言えない。
それはまあ仕方がないだろう。私だって頭のおかしい人とは関わりたくない。
というか組合の人も少しおかしい。
突然「私の自転車置く場所、雨がかかるからあなたの場所と変わってよ」と言ってきたり、インターネット回線のマンション契約を「よくわからないから」といった理由で却下されたり。
私は若輩で、近所付き合いというのをよく知らないから、これくらいのトラブルはごく普通のことかもしれない。けれどどうしても一部住民の頭の悪さを感じて苛々する。
組合の人たちは悪い人ではない、と思う。自分達の決めたルールや言動でほかの人が不満を感じるといったことに思い当たらないのだろう。
自転車置き場の場所を決めるために、自転車の台数を聞き取ることには思い当っても、そのアンケートをどう生かせばよいのか分からなかったのだろう。
組合の人が取り出しやすいようなめちゃくちゃな置き場の配置にしても、不平が起こると分からなかったか、もしくはそうしなければ損だと感じたのだろう。
そもそも、自転車置き場の場所を決めなければいけなかったのはなぜか? 団地外の住民が通勤に便利だからと勝手に自転車を置くのを防ぐためだ。
そんな土地に住んでいる人でも、公営住宅の敷地内を近道のために横切ったり、自転車置き場を勝手に使ったり、ゴミを散らかしたりしていく人がいる。
公営だからいいという意識なのだろうか?私には理解できない。
この団地には生活保護の人が何人も住んでいる。その人たちは特に、威張る。なぜか威張る。
頭のおかしいおじさんは、近所の小学校の登校時刻になると大威張りで街頭に立ち、汚らしい服で子供たちを出迎える。だけでなく、ハイタッチを強要する。
無論、保護者から苦情が殺到したらしいが今のところ彼が教師気取りの日課を控えるといったことはないので、何の注意もされていないのだろう。
ここまで愚痴愚痴言っておいてなんだけれど、住民なんざピンキリだ。けれど確実に傾向ってのはあると思う。公営住宅には公営住宅の傾向、民度の低さが。
なぜか? 当然、家賃が安いからです。
上のようなことをつらつら考えていて、ふと部落差別のことに思い当たった。
団地はその一区画だけが安いけれど、部落周辺は丸々地価が安い。
小学生の頃は部落差別なんて理解できなかった。教育で初めて部落の存在を知った。(あの教育がなければ部落差別なんて生まれないんじゃないのと思う)
なんだかひどいことがあったんだな、いけないことだな、という理解のもとすくすく育ち、中学生の頃だ。家族が部落差別的な発言をした。
私はもちろんそれは差別だ、いけないことだと反論し、彼女らの言い分には納得しなかったのだけれど、今なら理解できる。
同意できたところをかいつまんで言うと、こうだ。
特権を享受しなければ損だと考える人間性。補償されて当然だと感じるその精神を差別する。
その特権の一部には、異常に安い土地代や家賃、その他金銭的な補助が含まれる。
家賃が安い地区は民度が低い。治安が悪い。そしてどこか、卑しい。
生活保護を受けている人は恥ずかしくないのだろうか。貰わなければ損という考え方。
皆が皆そうではないと分かっているけれど、貰えてラッキー、労働厨ざまぁ、なんてのは釣りでも腹が立つ。人間性が卑しい。私が知る生活保護の八割までが尊大で卑屈で横柄だ。
生活保護受けたい、仕事辞めたいという冗談も、あまりいい気分にはならない。
生活保護を楽でずるいと感じるのは仕方がないけれど、そこで受給者を心底羨ましいと思うか、軽蔑するか。
羨ましいと思う人は、生活保護で暮らしている人が身近にいないんだろうね。
羨ましい環境だ。生活保護で「のうのうと」(これ重要)暮らしている人間は軽蔑するまいと思っても、無理です。大嫌い。
(ちなみに、部落差別に関する家族の意見で同意できなかったものもある。
ネットを外部から総括する人間は、なんでネットユーザーを一枚岩の性悪説で一刀両断したがるのだろう。
ネット-非ネットの関係に限らず、自分の所属しない文化に直面すると、どうしても悪い面・不快な面のみがクローズアップされるらしい。
ちょっと前まで2chやってる人間は、全員ネット右翼で、自分以外の集団は叩き潰そうとする匿名の無責任なクズたちの集まりだ、という(特に年輩の)意見が多かった。いまでもそう思ってる人も多いと思う。
私は案外、ネット匿名性善説の立場であり、どこかでなにか盛り上がっていれば、必ずそのアンチが出現する。意外とバランスがとれているものだ。ひろゆきが辞める辺りまでの2chの運営は、ほぼ放し飼い状態であったのに、10年近く秩序は保たれ、暗黙のルール・規範が生まれ、使用者ひとりひとりが自分なりの倫理観を持って書き込み等を行っている。
これは凄いことではないか?ホッブズの「万人の万人に対する闘争→リヴァイアサン」という図式通りには行かなかった。もともと「日本的価値観」を有する者同士がユーザーだから極度の無秩序にならないのは当然なのだが、それに加えて「(日本)ネット上の暗黙の価値観」が時とともに醸成されてきたことは、ディープなネットユーザーほど感じることだと思う。
当たり前のことだが、自分の感じていることは他の多くの人もそう感じている。自分にとって不快な現象は、不快な対象において、その全面を覆っている気がするが、それは多分錯覚だ。国保?朝青龍?ネット上には擁護者が無数にいるし、そもそもそんな問題に興味のない人間も無数にいる。反対者の存在だけに目が行って「自分以外の人間はみんなクズだ」と思うのは、傲慢や偏見というより、単なる無知なのかもしれない。
しょっちゅう「ソープへ行け」と言われているのを見てきました。
ソープランドを勧める人いわく、行けば悪い憑き物が落ちる。人格が改善すると。
自分と似たところのある人がいつもそう言われているのを見るうちに
試す価値があるのかもしれないと決心し、昨日行ってみました。
まず自己紹介しますが、
彼女いない歴=年齢。好きな子がいたこともなく失恋したこともなし。
彼女作ろうという努力をしたこともなし。特に理由はありません。
なんとなく女の子に引け目を感じるというか苦手なところはあり
知り合いに「あんたはきっと女性不信」と言われたことが刺さっています。
リアル姉も居るので性的対象と思わなければ全くキョドりません。
酒を飲んで性的な話題になると童貞を隠して合わせるのにいつも辛い思いがありました。
女同僚に「エロ本も持ってなさそう」と言われたことがあって
童貞なのはばれているのかもしれません。
どこを直したいという明確な意識はないものの、何か改善したい、という漠然とした気持ちはありました。
予約したのは高くも安くもない価格帯のお店で、
有給を取って午前中から行きました。何故か普段の出勤と同じスーツで。
非モテの人はピンと来るかもしれませんが、私服のセンスに自信がないからです。
時間だけでなく女の子も全部事前に予約で決めるのがソープランドの流儀と言うことなので
お店のサイトとネットの掲示板の情報から24歳という女の子を予約しました。
童貞ならベテランがいいしこの人はオススメだよ、というネットの常連のアドバイスに従いました。
24歳で何故ベテランなんだろうと思ったら、この世界で24歳は実年齢30前後という暗黙のルールがあるそうです。
意外に礼儀正しいボーイさんに待合室に案内されました。
ソファーのある待合室には壁に女の子の顔写真がモザイク無しでズラッと張ってあり、
見ていたら「女性を売り物にしている」というフレーズと田島陽子先生の顔が突然浮かびました。
女の子の準備が出来たということでボーイさんに促され
1人でカーテンをくぐって薄暗い所にいくと、予約した女の子がニコニコして手を振っていました。
そこで驚いたのですが、予約するときに見た写真とは全然印象が違ったものの、
日常生活で女の子を見る時に感じたことがないぐらい物凄く可愛く見えました。
はっきり言って行為前のところのほうが驚きのポイントが多かったので実際の行為の所は省略します。
行為自体の物質的な快感はオナニーと変わらないような感じでした。
行為中に発見した感動
・女の子が手を繋いでくれる
・女の子が自分とセックスをするために目の前で服と下着を脱いでくれる
・目の前の女の子に欲情して、それを隠さなくても許される
・性器を褒められると馬鹿みたいに嬉しい
(おじさん向けのエロみたいなのでよくそういう概念が出てきて「馬鹿じゃないか」と思っていたのに
お世辞でも大きいとか言われて嬉しかった。というか相手に対して勃起しているのを見られるだけで嬉しかった。
理解不能だった露出狂の気持ちも、犯罪は許せないとして、動機は理解できてしまった…。)
ということで帰ってきまして、
しかし自分の中で何が変わったか考えると、うーん…。
相手をしてくれた女の子にはとても感謝してるし感動すらしましたし、
何か錯覚が働いているのは自覚しながらも、人生で会った中で一番可愛い女の子のように今も感じています
ただ、お金ではなくそういう関係になれる相手を作ろう、作れる、という自信はとても涌きません。
ソープの同じ女の子に週1で通う程度には金銭的余裕もありますが、
それも何か違う気がしています。
以上、これは気付きや人格改造の試みとして成功なんでしょうか失敗なんでしょうか?
採点をお願いします。
精神はどうでもいいのかと思う。
薄々気付いているんだけど、気付かない振りをするんだよ。
成立させるための暗黙のルールみたいなもの。
バイトでも落ちまくるってのはやっぱ何かしらクリティカルな問題があるんだろうなあ。
俺も新卒のときの就職活動は苦労したが、その原因は「社会のルール」を理解してなかったことだった。
空気が読めてなかったと言ってもいい。物事の価値基準に関する漠然とした、だけど確実に存在する暗黙のルールだな。
もしそれが原因だったとしても、「こうするべき」と明確に言えるものじゃないのが難しいんだが…。
俺自身は今でも空気は読めてなくて、でも「普通の社会人」を脳内エミュレーションできるようになったので何とかなってる。
なんかしらのとっかかりがつかめればわかると思うんだけどね。
どういうコピペだか知らないけど。「東京に来て、夢敗れて、地元に帰った」ってストーリー、聞くたびに疑問なのだ。
東京じゃないと叶わない夢って何なんだ?「東京の会社に就職する」とか「東京の劇団に入る」とか、とにかく「東京の○○」っぽいけど、「東京の」は必要なの?「○○」だけじゃだめなの?なんで?
どうなった状態をもって「夢破れた」と判断したんだ?「夢が叶うまで頑張ってれば、夢は叶うよw」なんてトートロジーかますつもりは無いけど、少しでも科学的な、せめてきちんとした統計学的な手法でもって「これ以上はもうダメだ」と判断したんであって欲しい -- どうやるのかは知らないけどね。うけけ。そうでなければ、ただ単に飽きただけじゃね?「夢破れた」なんて格好つけずに「飽きちゃったw」と書いて欲しい。
で、なんで地元に帰っちゃった? 失意のズンドコだから頭冷やすんだとか、地元でゆっくりして体勢たてなおすんだとか、いや地元でも意外にいろいろやれるんじゃねーかと悟ったとかなら話はわかるけど、そうじゃ無いっぽいもんなあ。地方には、21世紀だっつのに、「都落ち」ってのをやらなければならないっつー暗黙のルールがあるとか?
ていうか俺は理解してなかった。
社会には馬鹿がいっぱいいて、馬鹿は自分の少ない経験や根拠の無い思い込みというバイアスを通じてしか物事を評価できない。つまり、相手がどんな馬鹿(あるいは稀にいる馬鹿じゃない人)なのかを見極めて、その馬鹿のバイアスを通したときに「良い人材」と見えるような振る舞いをしなければならない。
「カラスは黒い」と言っても、馬鹿フィルターを通すと「カラスは白い」と変換されて解釈されることは往々にしてある。
再帰的だが、馬鹿ほど安易にルールに従う。ルールから外れるリスクを取りたがらないからだ。そこでは「良い人材を採用するのが目的ではないか?」と言った議論は意味が無い。馬鹿(な人や組織)は、人材評価を誤るリスクよりも無意味なルールから外れるリスクの方を重視する。
ルールは人それぞれであって、大抵はありがちな企業文化に収斂するが、たまに独自の(変な)ルールを持っている会社や人もいる。
暗黙のルールと、それに適応的に構成された馬鹿バイアスは、業界や職種ごとにある程度の傾向がある。金融業界と製造業では明らかにバイアスが異なる。馬鹿は馬鹿ゆえに(そして学生を見下しているがゆえに)「他の視点があるかも」とは絶対に考えないので、よくよく観察すること。
逆に言えば、「ルール」が自分の自然な感性に合っている業界や職種や会社に行った方が良いと言えるが、それが無い場合や志望職種の「ルール」と自分の感性が異なっている場合は合わせ込みが必要。
こんなの当たり前に理解してたとしたら申し訳ないが、俺は社会人になってから始めて理解したもんで、参考になればと思って書いてみた。
こうやって「馬鹿」を連呼すると過剰反応してdisりに来るはてなーは多いけど、彼らはどこかしら思い当たるふしがあるから噛みつくわけだ。
まぁどっちを信じるかは自由だが。
就職活動の勝ち組は「暗黙のルール」を事前に察知できる空気読み能力の持ち主か、あるいは自然な感性がたまたまルールに合っていたかのどちらかだ。
成績優秀でこれまで頭の良い人に囲まれて暮らしてきた学生ほどこの部分でハマりやすいのではないかと俺は思う。
個人的な経験談で申し訳ないのだけれど、男女問わず「相手のしてほしいことを察知してやってあげる」行為を繰り返していると、人はそれに甘えてあたかも相手を使役していいかのような勘違いをしている風に振る舞うようになる。
初めは相手の好意から出ていることなのはお互い承知しているはずなのだけれど、途中から行動と結果の前提にある感情の意味が抜け落ちてしまって、相手が自分の為に行動するのが当たり前になってしまうんだね。
その一部の男性が身の回りのことや、物事の決定にあたかも女性より自分の方が優先権があるかのように振る舞うのは、ジェンダーの問題だろう。
しかし女性でも、男性に上座を譲られるのとか多少多めに出してもらうのが当たり前だったりとか暗黙のルールになっちゃってることはあるでしょ?女性の場合は家事よりこういったことにその「命令系行動」が現れるのではないかと思う。
で、男性のこれを防ごうと思ったら「お茶〜」と言ってきた時に「お茶がどうしたの?」と聞いて確認してやらねばならない。
親しき仲の礼儀は一体いつ、何をきっかけに吹っ飛ぶのか?
「お茶〜」って言った時に黙ってお茶をいれたら本格的に吹っ飛ぶよ。
自分が飲みたい時も、黙って相手の分を煎れるのではなくて、「お茶をいれるけど、いる?」と一言聞いて確認する。命令や甘えではなく「お願い」でないと動かないことを知らしめる必要があるのだ。
まるで子供の躾みたいだけれど、実際のところ似たようなものだ。何で人がこんなことに慣れちゃうかというと、身近な人からそうされて育ってたりするからだ。あなたのように親に言いつけられる、ということではなくて、黙ってても保護者がなんとかしてくれる、という意味で。
小学生の頃、遠足の日に「お弁当を作ってくださいお願いします」という台詞を使う子供よりは「明日遠足だからお弁当ね」という伝え方をする子供の方が多かったのではないかと思う。良し悪しは別としてね。
そこで家族の誰かに嗜められたら治るかもしれないし、見過ごされたらそれでいいんだ、と学習する。
理解出来ないなら全然する必要はない。ただ、ある程度まっとうな人間なら、礼儀を忘れるな、ということを言動で伝えていけば大部分は修正されるということは覚えておいてもいいと思う。腹を立てたまんまで悲しむことはないのだ。「それはどーよ」と伝えたら普通は我が身を見返すからね。
ちなみに私の家人は私が他人であることを忘れることはないが、それは家人が対人恐怖症気味だからだったりする。調子の悪い時は完全に私も近づけない。まあ、良し悪しだよね。
昔バイトで工場で働いていた時、ちょうど一部機械化された時で、現場の人が使いにくい使いにくいって文句を言ってた。現場の人ってのは、システムが変われば必ず文句を言うものではあるけども、それには理由がある。
まず一つ目は人間はシステムに順応しやすい。だから多少機械化された部分が不便でしょうがなくても、少しすれば人間が対応して問題なく動けるようになる。それは人間のよいところなんだけれども、逆に順応しやすいがために新しいものに変わった時に今まで順応して最適化していた作業を新しいシステムに順応しなおさなければならなくなる。これが案外めんどくさい。しかも大幅に変わっていればまだいいんだけど、ちょっとだけ変わりました、とかだとその微調整がいくら人間でも難しい。むしろ微調整は機械の方が得意だ。パラメータをぴぴっと変えるだけだから。人間には慣れるまでの時間がそれなりにかかる。これは結構コストなのだ。
二つ目は、現場の人の暗黙知というやつ。この作業をやっているときはこの作業をつづけてやるからある程度人の間に空間が必要だとか、工場内のこういう人の流れの時が最も効率がいいとか、はっきりとした言葉や文章にはなっていないけど現場の人たちには暗黙のルールがあって、それを持って最適化されている。でもシステム屋さんがいくら彼らの話を聞いてもその暗黙知というのは言語化されていないからシステムには組み込まれない。彼らがこうしてほしいといったことをシステムに組み込んでもだめなんだよね。これがあったらいいというのはあくまでもあったらいいであって今のところなくても問題が起きてない部分なのだ。最も重要なのは「特に不満が出ていないけれどもなくなると困る部分はどこか」ってのを理解すること。これは現場の人は言ってくれないけど(というか認識しているわけではない)、これがなくなるとものすごい勢いで不満が噴出する。今までできていたことができないってのはすごいストレスなんだよね。で、暗黙のルールが破壊されると一気に生産性が落ちる。現場の人が順応するまではかなりの時間がかかるし、もし順応しても以前の生産性には戻らないってこともある。
逆にいえば現場主義の人とか暗黙知とかってそれを言語化し、データ化するだけでもすごい価値のあることなんだろうなと思ったりする。現場はおろそかにしてはいけない。というか人間をおろそかにしてはいけない。その処理能力も適応能力もいまのところシステムには実現できないんだから。
ネトウヨは皆ゲハに行くといいと思うよ!
いやまあ「ネトウヨ」も結局はロールプレイで割り振られた役割の一つだと思うよ。
だからアンチも信者も、お互いを罵り遭う事を暗黙のルールとしてじゃれてるだけのように思う。心の底から「スクウェア(自民党/民主党/創価学会/etc)はゲーム界(日本)の害虫だ!」とは思ってないし、実際にそれらが害虫なのかどうかにさほど興味も無く、そんな連中をのさばらせておく事自体は別にどうでもいいと思ってるんじゃないかなあ。
だから今回の選挙で「ネトウヨ憤死www」とかはしゃいでるようなのも、テレビの時代劇番組をお茶の間から指さして「何ちょんまげとか付けてんの江戸時代かよマジ受けるwww」「ちょwww刀で人を斬り殺したwww通報したwww」と騒ぐような場違いさを感じる。