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はてなキーワード: 模範的とは

2023-02-07

anond:20230207151827

ツイフェミの「フィクションの影響が無いわけない」主張、全部これで反撃するやつだから増田も覚えててくれよな。

 

もともと、メディア効果論の結論がそうだ。

メディアの影響は、周囲の影響次第なんで、内容は実質的関係ない。暴力的な親の子暴力的になるし、模範的な親の子模範的になる。

メディアの影響力が存在したとしても親の影響がデカすぎて結果に左右されない。結果に出てこない、つまり観測ができず、それが「科学的に言ってフィクションの影響が無い」ということだ。

ツイフェミ的に漫画に影響力がないわけないという主張を認めた上での結論なのだもとから

2023-01-11

anond:20230111115249

俺は自分教育担当している新人には、次のように言う。

「とりあえず手を出して見て、躓いたり、分からない事が出てきたら、何をして何に困ってるのか聞いてくれ」と。俺はIT系技術者なので、教える対象新人プログラマだ。何でも聞いてほしいとは言うけど、幾つかの行動は釘を刺している

技術的な不明点は自分で調べて試す前に聞くな

バグが出た時に自分で調べる前に聞くな

ツールの使い方など、調べるまでもない問題は抱えるな

利用可能ライブラリ存在とか、知ってればいいだけのものはまず聞け

質問ってのは、それ自体が貴重な教育機会だと思っている。

質問をすることで新人さんに学んでほしい事は、先輩の思考方法トレースする事だ。

自分で調べて考えてトライしてみたことが上手くいかずに質問した時、先輩がそれを即座に解決する様子を見て、答えを導き出すまでの思考方法トレースをしてほしい。あたか数学問題を解く際に模範的な回答が、どんな考え方で作られているかを学んで、その考え方やアプローチテクニックを学ぶように、質問によって学習方法という経験値を上げて欲しい。

そんな事を要約すると、分からない事があれば何でも聞いてくれていい、と言う風になる。俺にとってはだが。

2022-12-14

anond:20221214074418

模範的増田

これこそが増田の総意だ、苦しむ人間トドメを刺すことが楽しみになる

2022-12-01

日本仮釈放なしの終身刑がない理由

仕事柄この手の話にちょくちょくなるけど

やっと輪郭が見えてきた

日本でそれをやるとシンプル刑務所内の治安が悪くなるんだよ

刑務所は当然囚人管理しなきやいけないわけで、その為にも囚人模範囚であって欲しいわけだ

一生刑務所から出られないなら、囚人模範囚でいようと思うインセンティブが無くなる

刑務所は、無期懲役囚人にも仮釈放の道を残しておくことで、模範的振る舞うよう仕向けてるんだよ

から日本では終身刑はあり得ないし、終身刑があり得ないから、死刑導入も難しくなる

そういうこっちゃな

2022-10-20

anond:20221020011014

賛同できないな

じゃあもし彼女平穏理解ある彼くんによってもたらされたものでなく、地域ケアマネによる生活支援だったとして同じようにムカつかれ叩かれてたと思う?

あなたが言う問題点である、どうやってケアマネにたどり着きどう支えられたかという「面白い所」を書かなかったとして、つまらなく独りよがり作品にはなっただろうが「ムカつかれ」はしなかったと私は考える

この増田で書かれていることは作品がつまらない理由・楽しめない理由であり、ムカつかれる理由にはなっていない

結局、理解ある彼くんを得て子供を設けるという「模範的幸せを得ている」という要素を抜きにムカつかれを説明することはできないと思う

2022-10-17

年上の妻と結婚した歴史上の偉人

ツタンカーメン

 7歳上のアンケセナーメン結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメン後継者アイとの結婚を嫌がった。

ムハンマド

 25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャ結婚天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房ハディージャである

円融天皇

 12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれ立后後6年で媓子は崩御した

堀河天皇

 中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。

藤原道長

 2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。

一条天皇

 皇后は3歳上の定子教養人であった二人の仲は良好であった。

後一条天皇

 9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。

チンギスハン

 1歳上の妻ボルテ結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である

・成化帝

 明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが。嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。

マキシミリアン1世

 神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュ結婚ブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。

アフォンソ

 ポルトガル皇子。5歳上のイザベル結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故夭折した。イザベル再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世結婚することとなった

アンリ2世

 フランスヴァロワ朝国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシス冷遇した。厳密には妻ではない。

・フェルディナン2世

 秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富薬学知識を持ち、貧民の救済に努めた。

直江兼続

 3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったこから彼女への愛の深さが窺える。

グレゴリーポチョムキン

 ロシア軍人10歳上のエカチョリー2世事実上の夫

上杉鷹山

 側室お豊の方は10歳上で賢妻として知られる。

ジョージ4世

 イギリスハノーバー朝国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民彼女に同情した。

・ハンス・アンデルセン

 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン父親12歳上のアンネ・マリーと結婚した。

ナポレオン

 6歳上の美女ジョゼフィーヌ結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレター晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌ皇后称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。

ディズレーリ

 イギリス首相12歳年上のメアリー結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係模範的と称えた。

ダーウィン

 1歳上のいとこエマウェッジウッド結婚エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。

ロバートグールド・ショー

 南北戦争英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生独身を貫いた。

勝海舟

 2歳上の民子結婚民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに産めるなと言い残した。

明治天皇

 3歳上の昭憲皇太后結婚したが、世継ぎは産まれなかった

レーニン

 1歳上のナデジダと結婚した。彼女レーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的介護した。

ヤスパース

 ドイツ出身哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女ユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、助かった。

トールキン

 3歳上のエディスと結婚彼女とのデートから着想を得て、ベレンルーシエン恋物語が創られた。

スカルノ

 11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。

ダリ

 10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズマネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリ創作を辞めてしまった。

田中角栄

 8歳上のはなと結婚。はなは表に出ず、陰で夫を支え続けた。

マイケルアリス

 イギリスチベット学者。妻は1歳上のアウンサンスーチー。妻の民主化運動ロビー活動支援したが、自宅軟禁により引き離され、二人が再会することは叶わなかった。

他にもこんな人居るよっていうのが居たら教えてください。夫婦仲が険悪なのは除外しま

2022-10-11

anond:20221011135016

たとえばpixivで全頭マスク(もっと一般化してbdsmでもいいけど)って検索するとよくもわるくもくせのある絵柄がばんばん出て来るけどああいうのも出力してってる?

ニッチ性癖ほど模範的なきれいかわいい的な絵やそれに近づこうとしてる成長中の絵師じゃなくてそもそ深淵絵師含めそもそも今の絵柄の潮流から全く向いてる方向が異なってるとしか思えないような絵柄が独特な絵師が参入してることが多い

2022-08-20

山上ジレンマが俺にはよくわかる

殺したいほど憎い人物がいる

自分には失うものがなく犯罪を躊躇する理由はない

だが殺せない

そいつ死ぬと得をする人物複数いて、そいつらもそこそこ憎いからだ

全員を一斉に殺すのは不可能だろう

結局、法に従う模範的小市民でいるしかない

憎悪による紐帯こそがこの日本社会を維持している

2022-08-17

自己肯定感が高すぎる

かに憧れるみたいな事が一切なくて自分は生まれ変わっても自分がいいとさえ思う

別に上級国民ではないし両親が特にすごいわけでもないが健康体で食べ物好き嫌いもないし男だしこれ以上何を望めばいいんだ?って思う

最近になって身近なもの幸せを感じ取る能力が着いてきたのか毎日幸福感で満たされている

まれから四半世紀経ったけどここまで自己肯定感高いの初めてかもしれん

たぶん他人が思う幸せ押し付けられても自分けが感じる幸せを優先してきたからだと思う

自分にとっての幸せを細かく選び取れれば幸せだよね

模範的生き方自分幸せと必ずしも一致するとは限らないし

anond:20220817184538

なんでどんどん知らないのバラすのww

フーコーの生権力って概念が新しかったのは、まさに、一見自主的なようでも権力側の好きに人間を動かしているって指摘だったのねwww

 

てか増田で授業やらすなw

模範的な生徒かよお前はww

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-13

anond:20220813214536

俺の会社人間はどいつもこいつも適齢期にサクっと結婚して1年後にサクっと子供が生まれ模範的人生をやってるなあ。うちは子供いないけど。

日本の伝統大企業はだいたいこんなもんだと思う。二極化というか、どういうコミュニティかによって傾向がキッパリ分かれてる気がするわ。

2022-07-13

両親が統一教会を退会した話

統一教会のことについて、いろんな人が投稿しているので、これまで誰にも話したことがなかったけれど書いてみようと思う。ここ数日他のところにも似た様な事を書いているので、見かけた人は重複申し訳ない。

両親は合同結婚式で結ばれ結婚した。父は関東、母は関西に住んでいて教会の紹介で知り合い文通を経て結婚式に至った。

親共1950年代まれで、大学の頃に学内勧誘され入会している。父親はのちに世界日報記者になり、母親教会職員になり国内外教会転々と周って指導にあたるなど、ゴリゴリ活動教会内では模範的立場だった。

ところが、両親は90年代に退会している。両親が入会した頃の統一教会には家庭を大事にし、隣人に優しくする教えに共感した「世界の安寧を祈ってる人」が多かった。子供自分が言うのも何だが、両親はとても道徳的で良い人なのである。よっぽど宗教を毛嫌いしている私や社会に出てから出会った大人たちの方が俗物である

90年代ごろに教会内では、教祖の沢山いる子供たちの跡目争いや運営方針の転換があり、空気感が変わってきたらしい。そして、その頃から献金などのノルマがキツくなり「自身不安宗教で埋める人」が増えたそう。ニュースによると容疑者母親はこの頃入会した人だそう。

そう言った空気感違和感を感じて、退会した両親のような信者はこの頃多かった。

両親から話をずっと聞いてきて、宗教(カルト)に入っている人をどうしても嫌いになる事ができない。自分記憶の中にある、教会出会った人たちは皆いい人だったから。

人や立場によって良い人悪い人は変わるものなので、きっと誰かからしたら、両親も教会にいた人たちも誰かに(勧誘等で)迷惑をかけてきたのかもしれない。しかし、私はあの時にいた人たちが今幸せ暮らしているのを信じたい。

最後に、嫌な子供だと自分でも思うが、生まれた時から神様を信じれなかった。人が人に対して祈ることに抵抗があった。信仰拒否したのを受け入れてくれた両親には感謝している。

しかし、あの頃に出会った友人達(子供達)は皆家族に褒められようとお祈りしていたし、家族というチームから孤立する可能性もあるのに、信仰拒否することははたしてできるだろうか。

事件を起こして良いわけではもちろんないが、容疑者家族のことで思い悩み辛い日々を過ごしてきたのだと思うと、かわいそうだと思ってしまった。

2022-07-06

人をソシャゲキャラ扱いするな

近所に「青30秒・赤3分」みたいな信号機があります

その信号が青に変わったのを30m手前ぐらいで目視したため、猛ダッシュで渡ろうとしたら後ろの中学生男子が『ウマ娘』の歌(『うまぴょい伝説』って曲らしい)を歌ってきてはやし立ててきてマジでイラときました。

模範的人間ではないですが、人をソシャゲキャラ扱いしないでほしいです。

ついでにウマ娘ですがちょっと触りましたが操作と内容が難しすぎてすぐ投げ出しました。

 

というか中学生萌えソシャゲやっているとか終わりだよこの国

2022-07-02

正しくあらねばならないことへの強迫観念

会社家族の中ではだらしない、うっかりしている人間だが、社会一般的にみればまぁ真面目な人間の部類に入ると思う。

地方の四大卒新卒就職した一応全国に支店がある大企業でもう十年以上働いている。独身恋人なし結婚予定ももちろんなし。

二十代なかば頃に結婚相談所で知り合った人と結婚前提に付き合っていたが、どうしても一線を越えられず、そのことについて相手と腹を割って話すこともできず、悩むのに疲れて破局。未だに清い体。

自分人間を好きになる才能がらしい。典型的オタクなので二次元キャラは好きになれるが、どうにも恋愛を我が事として受け取れない。

結婚願望があるわけじゃないが、これまでずーーーっと正しくあるよう生きてきたから、どうしてもいい年で独身自分

やるべき時にタスクをこなせなかった人間という否定的な目で見てしまう。

今は結婚絶対的価値観じゃないのにな。きっと自分に自信がないんだと思う。

これまで大体のことを模範的というレベルではないけどきちんとやってきたから、それをできないことに対する負い目。もはや呪いのようなもの。今の自分は正しくないという恐怖。

この呪いから逃れる方法を知りたい。

2022-07-01

anond:20220630173930

えっ? それが模範的国民であり、右でも左でもない普通の人なんでしょ???

2022-06-16

anond:20220616101618

増田民というフィルターを通すと、

「4割もデートしたことないとかヤバくね?」

ってニュース内容も、

「6割もデートしたことあるとかけしからん!」

になるんだよな

模範的増田

2022-06-14

皆婚時代おこぼれに預かっただけのブクマカが「4割がデート経験なしだなんて最近の若者けしからん」とか言ってんのキモすぎる(笑)

まれるのが20年遅けりゃお前らなんて模範的チー牛として生涯独身童貞確定だったんだが(笑)

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