はてなキーワード: 東京人とは
ツッコめよ!
身近な大阪人への怒りはひとまず置いて、大阪お笑い最強説をくさす。
大阪の笑いと言えば、吉本新喜劇、だ。異論はあると思うがやはり新喜劇だ。だって一般の大阪人も日常的に新喜劇みたいなことをやっているから。でもそれがどん引きするほどつまらない。
大阪人は笑いが日常に組み込まれているため、大阪お笑い最強説を信じているようだが、松本人志や明石家さんま(奈良)のような本当に面白い人の率は東京と同じくらいかそれ以下だろう。なぜならお笑いの格差が大きいから。
芸人>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>一般人のお笑い
東京ではこれがない。なぜなら一般人はお笑いは自分たちとは違う世界のことであると認識しているから。だからクラスで1人か2人いたような面白い奴、みたいな芸人を嫌う。
大阪人が感じていないお笑い格差を東京人は敏感に感じ取っている。だから勝負しない。大阪人の場合、下手したらその辺の一般のボケ大好きなおっさんおばちゃんが、あの芸人より自分の方がおもろい、と勘違いしているふしがある。だから上から目線でお笑いを評しがちだ。
びっくりしたのは、親戚でも知り合いでもない若手芸人に対し、あの子らはもう少しがんばらな売れないよ、みたいな評を平気でする。
と心のなかで叫ぶ。
『大阪は緑が少なくて、住みにくい『ハズ』』とお節介な意見をよく書いている。
果たして、当の大阪人自体が、『緑を増やしてほしい』と思っているのかどうか、正直疑問だと思う。
都市開発の教科書では『1人辺り緑化面積を増やすべき』だが、果たしてそれは住民ニーズなのか?
『緑を5割増しにして、でも上場企業本社数が半減』という選択肢Aと、
『緑は半減するが、上場企業本社数が倍になる』という選択肢Bなら、
選択肢Bを選ぶ人の方が多い気がする。
東京の『知識人』が、勝手にAの価値観を大阪に押し付けてきて困る
★そもそも、
『まとまった広い公園がある方が、狭い公園が複数あるより優れている』という価値観も、妥当な価値観なのかどうか疑問。
ニューヨーク的なセントラルパーク公園も、『広すぎると、公園内部での犯罪リスクが高まる』という問題を抱えているらしい。
むしろ、都市政策の教科書には反するが、『ミニ公園』『ポケットパーク』を街中無数に配置した方が、個人的にはベターと思う。
★モクミツエリアであれば、まとまった公園の確保は『災害時の防火帯を作る』ということで意味があるが、
それ以外のエリアであれば、公園が『集合している』のと『散在』しているので、差はないと思う
『高齢者が歩いていけない距離に、デッカイ都市公園がある』のにはなんの意味がなく、
『高齢者が歩いて行ける距離に、ちっちゃな公園が無数にある』方が、はるかに重要じゃないか?
★東京の『デッカイ都市公園』って、 戦前の紀元2600年紀念事業の名残の公園が多い。
その意味合いは、緑被率を高めるというより、『国威発揚』と『万一の際に、空港転用できる』という理由であり、現代のニーズとはそぐわない。
現実的なニーズとしては『空襲時の延焼防止帯』であり、それは現代でも多少意味はある。
でも、戦前の時点と今と比較しても、城東方面の防火建築率はそうとう上がっており、『大規模な公園』にしなきゃならない必要性は薄い
★『大阪にも、東京並みのデッカイ都市公園を作るべきだ!そんなこともわからない大阪人はバカだ!』と上から目線な東京の知識人は、
最近「地元好き」と言うのが流行って来てるのに対し、マイルドヤンキーとか言って必死で貶めようとしているのも
むしろ東京叩きが流行りものとして存在する2chの方が特殊(彼らは単にマスメディアに反発しているだけかもしれんが)。
以前マイルドヤンキー論が流行るのは東京ブランドの失墜の裏返しではないか、的な事を書いてた増田がいたなあと思って検索したら出て来た。
http://anond.hatelabo.jp/20140513095138
元増田のブコメで「東京が叩かれるのが悔しい」的な事を言ってる人がいるけど、
これも一昔前なら有り得なかった感覚だよね。
昔は地方の方が圧倒的に下である、と言うのが東京人にとっても地方人にとっても当たり前の共通認識だったから
多少東京をdisってもかっぺが何かいってらーpgrで終了だった。
それを本気で気にする人が出て来たというのは、それだけ地方の地位が上がった(と言うか東京の地位が下がった)からなんだろうな。
「男性差別」に構図が近いかも。
私は関西人だが、「進撃の巨人(関西弁版)」が想像以上に詰まらない。
そして、たぶん、編集者の(おそらく関東の)方は、こういう意見を読んでも、「要所要所にキツい大阪弁ジョークを交えて、関東人向けにしてるから、それは仕方ない、というか狙い通り。ぶっちゃけ関西人向けに作ってませんしww」と思ってるんだろう。別にそれは分かる。けど、残念ながら、違う。
下の引用元の増田は、関西人で、かなり苦しい思いをして「いいトコ探し」をしてくれたようで、それにはおおむね納得する。よいシーンもある。つまり、このコンテンツは、やり方次第では十分「関西人の笑いも誘えた」もののはず。にもかかわらず、現状は、おそらくほとんどの関西人が数ページ以上読み進められないようなひどさに満ちたコンテンツになっている。それはひとえに、もちいられている関西弁が微に入り細を穿って間違いに充ちているからだ。ネイティブなら一行毎に違和感しか覚えないようなひどいコンテンツだからだ。
ちなみに、こういうことは今に始まったことではない。というより、東京発の関西弁含みコンテンツでまともな関西弁が用いられている作品は、映画・ドラマ等を通じて何一つ無いと言っても過言ではない。
その原因は、近年益々ひどくなる東京人のエスノセントリズムのせいなのか、それとも単なる知的レベルの低下なのか、コンテンツ生産力の低下なのか、いずれにせよ、東京人がいつまでも東京人にしか楽しめないコンテンツを作っている現状を恥ずかしく思ってほしいと思い、あえてツッコむことにした。無粋は許せ。
というわけで、以下、「進撃の巨人(関西弁版)」の、関西ネイティブによる修正案を提示する。ちなみに、こうやったら東京人には面白くねえんだよ、という意見は却下する。東京人だって、嘘標準語で東京人や東京弁がバカにされてるジョークを見聞きしたら、いい気分がしないだろう。
「その日関西人は思いだした」
↑関西人は自分を「関西人」と言わない。○「その日ボクらは思いだした」
※なお、「ボク」の発音は「_↑(四声(中国語)で言うと2声)」
「ヤツらにキャン言わされとった恐怖を…」
↑元増田も書いてたとおり「ヤツら」とか言わないし、「キャン言わされる」もチンピラ関西弁なので、普通は使わない。また、「恐怖」といった熟語は口語では避けられやすい。○「あいつらにびびらされてたその恐さを…」
※「これでも関西弁的には意味不明に近い。本来は「あいつらの怖さ(ヤバさ)を…」で十分。
「鳥籠ん中に閉じ込められとった屈辱を…」
↑鳥籠のあとの「の」は音韻変化しない。a、e、i+「の」はang、eng、ingとなりやすいが、(例)「頭の中→あたま(ン)中」、u、o+「の」はung、ongとはなりにくいようだ。例外として、あとに母音が来る際は、その母音を含めて置き換えるケースがある。(例)「よその家(うち)」→「よそ(ン)ち」。また、「中に閉じ込める」といったもってまわった言い回しは関西弁では避けられると思う。○「鳥籠に押し込められとった屈辱を…」
「やったるで」
↑これは微妙ながら誤訳と思う。やったるでは「I shall do it.」だが、このシーンは「We」じゃないとおかしいのでは?
○「やんぞ」
「目標は一体や」
↑惜しい。が、こんな緊迫したシーンで、語尾に「や」をつけるのは過剰。格助詞「は」も過剰。
○「目標、一体!」
「必ず仕留めるで!!」
こういう言い回しはしない。失敗には突っ込むのが関西文化なので、「必ず○○せよ」でなく、一般には「絶対○○という失敗はするなよ」という言い回しが多用される。(その方が「○○すんなゆーたやんけ!」と後で突っ込みやすいため。)○「逃がしなや!!」
※(例)「仕留めるぞ→失敗→どうして仕留められないんだ!(半ギレ)(→…=救いがない)」「逃がしなや!→失敗→何逃がしてんねん(→す、すんまへん=救いがある)」ということです。ね?
「……」
↑関西人はこんな美味しいシーンで絶っっっっっっ対に無言にはなりません。
○「…っぅわ!」または「ちょっ、zqあwxせdcrfvtbgy」
「目標との距離400!!」
「目標との」っていりますかね。いらん気がしますね。いりませんね。省きますね。
↑ギャグで言ってるならアリですが、ギャグでやってたら殴られます。「めっちゃ」というのは、あまりシリアスなシーンで使う言葉ではないですね。まあ関西人にシリアスなシーンというのがあれば、ですが。というわけで、○「こっち来ます!」「来てます」の方が緊迫感あるかな?
…というわけで、便乗ネタのミニ関西弁講座でした。いかがでしたか?