はてなキーワード: 文化資本とは
全然ブサイク、ブスな子供が自分たちの時代よりも減っているということだ。
圧倒的に減っている印象がある。
つまり、これは、社会的に、「ブサイクと、ブスの遺伝子が淘汰されている」ということだ。
どうしてこんな事になってしまったのだろうか?
ある程度美男美女でないと子孫を残せないという社会的な淘汰が圧倒的に進んでしまったのだと思う。
これは進化論的な結果だろうか?
種の多様性という観点からすると、かなりヤバいと思っているし、何より「ナチの優生政策をいつの間にか社会が受け入れてしまった」
という敗北の証でもあると思ってる。
昔はそもそも、そういうブサイク、ブスであっても、お見合いおばさんがそれなりに相手の満足できるように相手を探して引き合わせて結婚まで話を持っていったのだが、そういう救済策もない。
そもそも社会全体が、「結婚して家庭を持ち子孫を残す」という人間としての当然の営為にたいして、あまりにも高いハードルを掛けすぎている。
これは外見だけではない。給料も、時間も、親としての義務についてもである。
という婚活女性の言葉があるが、アレは常識がないと思いつつ、しかし、「東京で結婚してあるていどの文化資本をキープできるボーダーラインの生活を送るとなると、それぐらいはほしいよな」ということも理解できるのだ。
少なくとも、偏差値が60以上の人間でないと真っ当な親としては認められない社会であると思う。
自由恋愛も大いに結構だが、同時に、ブサイクとブスに貧乏人が子孫を残せないという社会になってしまったことには非常に危険性を感じている。
これは、リベラル的な価値観も、結局のところつきつめれば優生政策になってしまったのだと思ってる。
こういうことを言うと、「女をあてがえってことか」と言われるが、そうではない。
ルッキズムから弾かれた男女や貧乏人がが、家族を持って子孫を残すという機会が、社会的に異様にハードルが高くなっていたという話をしているのである。
他のインターネットの場でも俺らや普通の増田みたいに普通の文化資本を持ってて、普通に進学校いって、普通に大学行って就職した層や、親に理解があってSSTと投薬治療でさっさと小さいうちに治しちゃったみたいな普通の家の増田がさ
「〇〇大行っておけば」とか「投薬治療で発達なんか治るのになんで病院行かないの?」とか神の目線から正解を知ってる状態での返答するから、底辺やゴミのような存在の増田たちが憎しみを募らせるんだと思うんだよな
まずそう言うゴミみたいな底辺ってその情報までアクセスするっていう工程や知識が無視されてるから実情と程遠くなる、親だって似たようなガイジであることがほとんど
事実上知識もない貧困層がどうやって国立とか事実上学費タダになる申請方法とか防衛大に行っておくって選択肢が思い浮かぶんだよ、すごく医学が進歩して発達だって投薬でほぼ完治できるなんて情報に触れられるんだよ?
それこそ日がな一日はてなに張り付いてる低脳先生予備軍みたいな社会不適合者の増田たちが喚く「教師が教えろ、周りが教えろ」って発想は、コジキ根性丸出しじゃなくてそれ以外に方法がないから叫んでるんだよ、彼ら彼女らって
ドクターKみたいになんでも教えてくれるスーパードクターなんてそうそういるわけないわけで
ネット毎日見てるのはなんのためだ?とか彼らにとってはそりゃ侮辱や見下しにしか聞こえないんだよな結局
ネットの発達で独学でも一流になれるとか夢見たいな寝言ほざいた結果が絶望的な教育格差によって会話が成立しないほどの地力の差が離れていくなんて
若いのに慧眼だな。素晴らしい。
聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。
聖書に限らず、読み継がれてる古典ってのは必ず文学的かつ普遍的だよね。
『罪と罰』は(犯人の頭の中で無理矢理自己正当化された取るに足らない理由があるにせよ)大義・理由なき無差別殺人の話だし、
『変身』は精神疾患と思われるものが原因で引きこもりになった当事者とそいつに振り回された周囲の人間たちの葛藤と末路、
『車輪の下』はtwitterやはてなでも一時期盛んに議論されてた文化資本・実家の太さ格差や階層移動の難しさの話。
これらは聖書に比べれば経過した年数は遥かに少ないにせよ、百年以上経過した現在でも同種の問題が我々の前に横たわってる。
それにプラスで物語そのものや使われてる技法も単純に面白くて、『罪と罰』には刑事コロンボや古畑任三郎の元ネタ的な変人が出てくるし、
『変身』は不条理・シュール系のコメディとしても存分に楽しめる、『車輪の下』はBL系の嚆矢みたいな描写が前触れなくさらりと出てくる。
やっぱ百年以上読み継がれてる作品は凄いなぁ、って唸っちゃうね。食わず嫌いせずに現代日本人も古典読もうぜ!って常々思ってる。
スマホやタブレットで青空文庫やKindle Unlimited使えば、いつでもどこでも無料or無料に近い低価格帯で無尽蔵に読めるからな。
文脈的にストレートに金があるかどうかの話に近い方に変わってるのに文化資本の本義に異常にこだわられてもなあ
「文化資本」をどう捉えてるのかよくわからん。この話の流れに関しては、創作とかに有利な文化的環境、とかだと思ってた。
親ガチャの話で親が近くの国公立しか許さないって話あったけど、あれも「ある程度文化資本がある恵まれた層」ってことになるんやろか
まあそりゃある程度あるのではあるとは思うけど……
だからそある程度?には文化資本があるから偏差値の高めの国公立には入れないわけではないけど
医者はちょっと違うかもしれんが、薬剤師はわりと家庭環境とかが理由で「手に職つける」を優先せざるを得なかったあまり恵まれてない人とか居るからなあ
まあ今の時代だとそういう層ですらある程度の文化資本はあるとかの話かもしれんけど、最上流階級とは比べ物にならんと思う。たぶん。