はてなキーワード: 文化資本とは
親が高卒なので、知識を授けてくれる人が学校の先生しかいなかった。
塾に行くことは悪いことだと思っていた。
本屋に行って自分で参考書や問題集を買うことも良くないことだと思っていた。
旧帝大志望だったが、結局、田舎にある国立大学しか受からなかった。
いや、塾だけじゃなかった。
中高生の時から自分で本屋に行って、研究者の書いた新書を読んだり、高校生のうちから、大学で使うような本や教科書を読んでいた人だって、珍しくなかった。
学校の外で、先生以外から教わることは、悪いことや間違っていることばかりと思っていた。
学校の敷地の外の世界は、悪い大人と悪い言葉であふれていると思い込んでいた。
本屋に知的なものがあると知らなかったし、自分で本を読んで勉強するなんて発想がなかった。
高校時代のクラスメイトに再会して、私がマンガやラノベばかりを買っていた学校近くの本屋で、彼はブルーバックスやニュートンを買って、宇宙に興味を持ったので、それを学べる学科に進学したと言った。
彼の親は大卒。
そんなに暮らしは窮屈じゃないよ。別に社交性がないと成り立たない職業でもないから周りに合わす必要はないし。
パートナーもきちんと選べばいいだけ。
悪い例ばかり挙げてるけど、全部がそうなわけじゃないって。
強いて言えば、「子どもにもいい環境を与えたい」と思うから、学費が一番デカイかな。
(いわゆる文化資本ってヤツなんだろうね)
お前らお好み焼き屋に行ったことなくてはじめて連れていったら「自分で焼くなんて難しい」と店員さんに焼いてもらったら「恥ずかしい」と言っていたうちのカーチャンになんて言うんだよ?あ?
田舎からはるか遠き「食文化のセンス」 | Books&Apps
Cunliffe サイゼリヤを「居心地のいい店」というのはちょっと分かんないですね。個人的には騒がしすぎるし椅子もあまりよくない。
これは何なのだ?
ブックマークはしょせん個人のしおり兼メモ帳だから、何が書いてあってもいいのだけれど、誰でも見ることのできるコメントでもあるので、ここに疑問を書き残しておきたい。
元記事を読めば分かることだが、シロクマ先生はこの記事でサイゼリヤを「居心地のいい店」などとは一言も言っていない。
途中で、同じ一文の中に
サイゼリヤはアリかナシかで骨肉の争いをする人々をよそに、話題の周縁には「高すぎず気取ってなくて居心地のいいそこそこセンスのある美味しいお店」がベストであると指摘し、
と、「サイゼリヤ」「居心地のいい店」の両方とも入っている文はあるが、これはサイゼリヤ論争の周縁部で「(サイゼリヤではない)高すぎず気取ってなくて居心地のいい(ry店があるよね」と誰かが言っていたというだけの話だ。
また、
X市では、喫茶店というジャンルで最もセンスが良いのは、問答無用でスターバックスなのだ!
中華ならバーミヤン、イタリアンならサイゼリヤといったところだろうか。
X市に生まれ育った若者が「高すぎず気取ってなくて居心地のいいそこそこセンスのある美味しいお店」をサーチ&メモリーしようとすると、おそらくそうした大手のチェーン店が記憶されてしまう。
という一文もあるが、これは、シロクマ先生の言論に乗っかると、
「文化資本が少ないX市という人口7万人の地方都市に生まれた若者たちは、ベトベトしたスパゲティを出す自称イタリア料理店との比較で、サイゼリヤを『高すぎず気取ってなくて居心地のいい(ry』として記憶してしまう」
という話であり、シロクマ先生自体が「高すぎず(ry」と考えているという話ではない(むしろ逆)。
つまり、
Cunliffe サイゼリヤを「居心地のいい店」というのはちょっと分かんないですね。個人的には騒がしすぎるし椅子もあまりよくない。
のコメントは、X市という人口7万人の地方都市に生まれた若者たちに対して、
「君たちが『居心地のいい店』という(思う)のはちょっと分かんないですね。個人的には騒がしすぎるし椅子もあまりよくない」
と、思い切りマウントを取っていることになるのだけれど、なぜ唐突にX市の若者に対してそんなマウンティングをしたくなったのか全く理解できない。
横だけど、周りで「幸せな家庭」をやってる人たちは沢山いるけど全員そもそも(金持ちかつ)文化的に豊かな家の生まれで、人生の前提条件が全く違って何の参考にもならないんだよな。
うちは文化資本とか皆無だったし兄弟に知的障害者はいるし家族で同じレベルで会話とかしたことない感じなのでついでに俺自身も発達障害傾向あって普通の人が成長の過程でやってるようなことを全然やってないので、愛情溢れる立派な両親の話を聞かされて自分もそういう家庭を作りたくてみたいな話されても何も言いようがない。
元増田の家庭もそうなんじゃないのかな? もっと上かも。(たぶん東大レベルくらいの話だろうし)
にもかかわらず大学進学のことにしか目が行ってない点が文化資本の点でどうよ、みたいな話かと。
あと、蛇足だけど、中高の部活って金のかからないのも多いよ。野球みたいに道具代の高いスポーツばかりじゃないからね。その上ウチなんか弱小で予算も無いから対外試合も少なかったし遠征とか無縁だったしw 楽器だってピアノやバイオリンみたいな金のかかる楽器ばかりじゃないし、交換留学だって往復旅費も学校の授業料も向こうでの食費も全部タダのプログラムを選べば金はあまりかからない。でも、そういうのがあるという情報にそもそも接していないと応募もできない。そのへんが文化資本なのかもしれない。
・・・ これだよね。実は学校の教師が世間知らずで視野が狭かったりするからタチが悪い。
で、家庭の文化資本という話になるわけか。家庭というか、親族や周囲のコミュニティも含めてかな。
振り返って見ると俺自身はそのへんに恵まれていたからこんな風に悩まずに済んだのかもな。中学受験と高校受験じゃ第一志望の私立に落ちて公立に行ったけど、全然くさらずに学校生活を楽しんで、部活やって楽器習って交換留学で一年海外に行って塾にも行かずに呑気に大学受験に臨んだもんなw 勉強より体験や趣味の方が優先でw
なお、東大や京大あたりに入ると、周囲は全員が受験の勝利者なので、勉強以外の文化資本の有無で差がついてコンプレックを持ったりすることも結構あるようなので、そのへんも念頭に置いとこうね。マジで文化資本が豊かな家庭の子が多いから。