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はてなキーワード: 単著とは

2017-09-24

他人の言説のみで事実が出来上がっちゃうこと

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170924113525

murasakizaru とぴしゅさんの本、ネットより数段つまらなかったんだよな。本って編集者とか出版社とか宣伝戦略とか利害絡みまくるから自由度下がるんだろうな。単著を到達点にしない戦略を新たに立てる必要があるんだろう

このブコメにたいしての

hungchang そうか、とぴしゅさんの本、ネットより数段つまらないのか。残念だな。

このブコメなんだろうけど

こうやって他人評価をすぐ決定事項みたいに取り入れるのなんなんだろう

実際に数段つまらいかもしれんが、まあそれは読んでから決めようや

2017-09-23

単著

お前、本屋行ってみろよ

ゴミみたいな本ばっか売ってるぞ

昔は単著を出すってことは偉いことだったのかもしれないけど、今はもうそういう時代じゃない

2017-09-22

anond:20170922114559

憤慨ブコメってどれのこと?

2017-09-21

朗報】xevra 先生、すでに単著出版していた

以下ソース

学生時代から社会に出て活動していれば就職する意味価値もない事が良く分かる。要は社会人本音ディスカッションを繰り返す事が学生時代には大切なのだ。俺の単著にもちゃんと記載してある。秘密だけど

http://b.hatena.ne.jp/entry/345152017/comment/xevra

anond:20170921105707

単著って間違いなく専門書じゃなくて怪しげな自己啓発系の本でしょ?

自己啓発系の本なんてどれも似たり寄ったりの内容だから見分けなんてつかなさそうだけど

xevraって何者なの?

瞑想野菜運動睡眠言いまくってて、常軌を逸してない?

さら社畜ディスって起業万歳であるところから、おそらく経営者なのだろうけど、会社経営の合間にはてブ説教やっているのか

酔狂なことをやるもの

何の会社で、どういう経歴で経営者になったのか、とても気になる

単著とか出ないものかね

xevra流、4つの成功習慣みたいな

ちょっと欲しいか

2017-09-01

母親セックスする漫画ばかり集めて

一体どこに向かっているだろう

そんなことばかり考えながら

また今日DMM.COMアクセスする

結局のところ僕が欲しいもの

AmazonにもDMMにも売っていない

どうしてこんな自分なのかと問い質す

ああ

せめて

雨山電信単著だけでも

この手にしたい

2017-08-29

https://anond.hatelabo.jp/20170829150710

まず、フェミニズムに関する単著を持っている。

そして、そいつらのツイッターを覗きにいくと、ネット話題に合わせてアクロバティックな藁人形論法で男を叩いてますね。

検索すればそういうツイフェミを数人は見つけることができます

2017-08-05

ガチャ芸人

ガチャ芸人ミステリ作家のことを内心バカにしてたんだけど

作品を出さなくなって10年以上経って音沙汰のない人や、亡くなった人のことを思うと

ガチャ芸であっても、その人の文章を読めることの尊さを……

感じないんで、ツイッターは悪い文明フィクション単著を出してる人間ツイッター見ないことにしたわ

2017-06-02

立命館論文炎上問題、結局、文系の人はどうなって欲しいの?

人工知能研究者だけど。

立命館論文炎上問題論文配慮が足りなくて問題があったことはわかった。で、文系の人は、人工知能学にどうなってほしいのでしょう?

1.人工知能学会の予稿論文学会員しか読めないようにする

2.ただでさえ忙しい教員時間を奪って、配慮の仕方を教員に講習する

3.件の教員処分をくだし、彼らのキャリアにくらい影を落とす

4.人工知能研究者がこの手の研究をする時は、文系研究者と一緒にやるように義務付ける

ぶっちゃけて言えば、人工知能研究者の中では、文系先生と共同研究しようとしても、技術だけ提供させられた上、文系領域単著のところが多いから、論文文系研究者が一人で書いてこちら側の業績は増えず、全然得るものがなかったという話をかなり聞く。その辺、最初に色々取り決めてうまいことやってる先生ももちろんいるが、ある意味文系研究者との付き合い方自体ノウハウ化している。

そういう意味で、今回の件を利用で何かルールができると、文系研究者に有利なルールになって、文系研究者にタダで使われる事になるのでは…と、内心、不信感を持ってる人工知能研究者は割といる気がします。

追記:

騒いでるのは文系だけではない、理系も騒いでる、というのはとっくに知ってますよ。文系けが騒いでるなんてどこにも書いてないじゃない。

相手方許可取ってから…という話もあるが、今回の件は、出処の記載さえしっかりしていれば、引用であるという意見が大半。出処の記載に不備があるという意見もあって、そこはまずいと思うけれども。

相手許可必須にするのは一案だと思いますけど、それじゃ、許可必須な作者が使うような性的フレーズについては、自動的フィルタリングする技術が作れなくなりますよね。

2017-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20170527231430

「こだわる」って書いた元増田ですが、自分も、実は、隣の研究室数学系だったりする学科卒業者なので、数学単著が多いことは知ってます

論文を書いた人だけが著者になるべき」という主張はよく聞くのですが、我々のような共著メインの分野でも、「第一著者が論文の大部分を書いている」という暗黙の了解があるので、単に表し方の違いであると思ってます

なので、本当に本文の大部分を指導教員自らが書いている場合第一著者が教員になったりしますよ。例えば、学生卒業して就職してしまった後に、教員論文化した場合、などに、たまにあります

また、本当に二人で書いた時は、論文最初のページの第一著者と第二著者の名前の後に脚注を入れて、第一著者と第二著者がequally contributedだ、と書いたりしますよ。

指導教員が書いていないのに共著に名前を連ねるのはギフトオーサーシップだとかい批判はよく受けたりするのですが、第一著者が大部分を書いている事は皆知っているので、著者の表示方法の違いだと思われていることが多いです。

逆に、こちらの分野から単著メインの分野を見ると、「指導教員責任を取らずに学生押し付けている」とか間違った理解を持っている方もいらっしゃいますねー。

分野によって違っていて、日本だけでどうこうできる問題ではないので、単に表示方法の違いだと見るのが良いのではないかな、と思います

2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170527205335

通りすがりですが、理系でも、数学に分野が近くなると単著はごく普通にありますよ〜

おっしゃる通り、「自分で書いたものから自分しか挙げてないだけ」

なので、文系の人が単著に「こだわる」っていうのは、おれにはピンと来ないですよ

http://anond.hatelabo.jp/20170527185728

わわわ、ますます丁寧な応答ありがとうございますわたしも「理系」と一括りにしてよく知らないままに済ませていたんだなぁ、と思うとお恥ずかしいです。門外漢に詳しく教えてくださって本当に感謝です。

なるほど、それはもう完全に文化の違いですね。文系でも経済学とかはかなり国際化進んでるっぽいのでどうなのかわかりませんが、いわゆる人文系では

で業績になるところがほとんどだと思うので、国内学会の使い方がその2つに二極化しているのは面白いです(もちろん人文系でも、外国で報告したり出版したりした内容を国内で報告、とかもありますけど、主流は上のルートなんじゃないかなぁと)。ちなみに論文はたいていWordです。

単著・共著の扱いは分野毎に違ってて、異分野の人の話を聞くのは勉強になります文系単著にこだわる、という認識は興味深かったです。自分で書いたものから自分しか挙げてないだけのつもりだったのですが(※)、なるほど共著が当たり前の分野から見ると「こだわり」に見えるのか……という(悪いってんじゃなくてそう見えるのが新鮮という話です)。

(※)読めない外国語を読むのを手伝ってくれたとか、必要資料を貸してくれたとか、事前に読んで鋭い指摘をたくさんくれたとか、そういう場合は謝辞の欄に書きます

指導者学生のケツを持つ意味実質的執筆担当してはいないけど共著に名を連ねる、というのは、もしも人文系でやったらギフトオーサーシップすれすれだと思います理系の慣習を批判しているわけではありません)。その辺の機微研究者同士ならわかっていたとしても、今回の炎上ではわかっていなかった人が多く「准教授」が主語で語られてしまったのはモヤモヤする思いがありました。

モヤモヤ、というのは、実際にはこの准教授がメインの執筆者じゃないんだろうなぁ、あんまり准教授が書いたものみたいにして叩かれるのは気の毒だなぁ、というのと、でもこれ理系の共著という慣習がなかったらM1が1人で袋叩きだったわけで、それよりはまだ准教授が叩かれる方がマシなのかなぁ(これでテニュアじゃなかったら本当にお気の毒としか言いようがないですが)、文系単著でやる原則ってそう考えると怖いなぁ……ということです。ひどい研究をした院生がいた場合立場の弱い院生ばかりが叩かれるのと自分で書いたわけでもない教員も叩かれるの、どっちがいい制度か、と言われると悩ましいですが、そういう視点単著/共著を考えたことがなかったので。

http://anond.hatelabo.jp/20170527174157

「どうなんでしょう」と聞かれているので答える。長さについての感覚が知りたいなら、人工知能系はトップ国際会議査読付き論文PDFで転がっているので、ホンモノ見て下さい。

https://aaai.org/ocs/index.php/AAAI/AAAI17/paper/view/14746

基本的に、A4のダブルカラム8ページがfull paperと呼ばれて、査読付き国際会議論文の標準の長さかな。図や数式の量によるので、論文の長さはページ数の上限で規定される。概要査読への返答はワード制限あるけど。英語8,000 wordsだと、多分A4ダブルカラム10ページぐらいあるが、それだと一番長クラス査読付き国際会議論文一本分ぐらいかな。数式ではなく、新しい概念を導入するような話だと、やはり、それぐらいの枚数は必要になる。数式は、長い時はだいたいAppendixに回せるので、本文に数式の土の部分を表示するのかそのものが、著者の選択

査読付き国際会議論文は、査読付き英文論文誌に出せる。査読付き論文誌はだいぶ長く書けるので、英語8,000 wordsぐらいの論文普通にあると思う。

英語じゃないと業績にならない、は言い過ぎた。実は、査読付き国際会議に出した論文は、国内学会査読付き論文誌に投稿できる仕組みになっている。前者は予稿集・後者論文誌なので、枠が違うので二重投稿ではないという理屈になっている。国内査読付き論文誌は業績になる。国際論文誌に比べると見劣りするけど。

ただ、内容的に、日本語オンリー日本社会事情に特化した内容で、国際的評価されにくい内容があるというのは、こちらも分かっている。そういう場合は、国内論文誌に直接出してしまうこともある。しかし、こういう場合でも、英語化しないと基本的国際的には全く論文がなかったことにされるので、レベルの低い査読付き国際会議でいいから、どこかで英語で発表しておく必要がある、と個人的には思っている。

まとめると、基本、国内査読なし会議査読付き国際会議査読付き論文誌という流れで投稿する。後の2つが査読付き。国内査読なしと国際査読付きで同じ内容を投稿しても二重投稿にはならない。

国内会議予稿論文役割は、萌芽的な研究興味の交換と、国際的査読に通った論文日本語化して宣伝・紹介なんですよ。発表を聞いていると、発表によっては、「この内容はxx国際会議に通りました」とか言ってたりする。あと、論文を書くのにWordを使う人が非常に少ない。基本、LaTeXで書かれる。

文系単著にこだわるのは知っているが、情報系の多くでも、第一著者がほぼ全部書くのが通例。今回の論文でも、著者リストから第一著者が学生で、第二著者以降が論文添削指導した人…と普通は見る。まぁ、学生グループ指導者論文書くこともあるので、最初の何人かが学生、なんていうのも普通にあるし、優秀な研究者複数人で協力して二人とも著者…という形態普通にある。その辺は、色々な形態が混じっているが、ここは、単に表示の問題だと思っている。逆に、うちの分野で学生単著で書いていると「この学生指導者と何かトラブルでもあったのだろうか…」と心配してしまう。論文の著者名は、指導者が「うちの学生を私がちゃんと指導しましたよ」というのを示す役割を担っている。

著者の並べ方についても、分野によって色々違って、数学系だと共著の場合は必ずアルファベット順に並べる風習がある。だから数学から人工知能業界に入ってきている人は、自分論文として出し、"with 誰々"という形で共著表示する。この慣習は、人工知能分野でも基礎分野じゃないと知らない人が多い。

http://anond.hatelabo.jp/20170525145352

長すぎたようなのでこっちで増田に応答。

http://anond.hatelabo.jp/20170527122912

人工知能学会全国大会論文査読なしだ。これは、人工知能学会けが問題なのではなく、情報系の大部分の国内学会査読なしである

ただ、その理由が「本会議ボコボコにして論文で落とせばいい」としているのが、こちらからみると不思議だ。査読付き論文も同じ国内学会に出すことを前提に書かれているかのようだ。

この分野における研究者の業績評価に用いられるのは国内学会ではない。

AAAI,IJCAIなどのトップカンファレンスと言われる、重要査読付き国際会議にどれぐらい通したか研究者の業績が決まる。

まり英語に直さないと、そもそも、業績になどならない。ダメ論文は、国際的評価されないだろう…と思っているから、あまり関心がないのだ。

この辺の常識は分野によって違うので私もわかってなかったです。教えてくれてありがとうございます

文系だと和文でも立派な業績になるので、その辺の感覚の違いというのはあるかもですね(もちろん、英文やその他の外国語で書いた方が評価されるのはその通りなんですが)。

ただ人文系論文って、文章だけを並べて数十ページとか普通に行くやつも多いです。歴史系だと、ちゃんとした和文学術雑誌文字数上限は30,000字ちょいくらいで、20,000字未満だと「あそこ短いから書きにくいよね」とか言われる世界なんです。英文だと8,000 wordsくらいかな? この辺、理系情報系の人たちとは「論文の長さ」に関する感覚がけっこう違うと思うんですがどうなんでしょう(あと、基本的単著)。

英語じゃないといけないっていう縛りもなくて、たとえばフランス研究ならフランス語で書いた方が評価されるだろうし韓国研究なら韓国語で書いても立派な業績になりますよ、って感じです。最近は若手研究者の国際化が進んで、英語博士論文書く人も増えてますが、ドイツ語博士論文書きましたって人も増えてきてるんですね。そういう意味で、そちらの分野とは国際化の感覚は違うのかな、と。

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