はてなキーワード: 勇者とは
カフェに誘ったら最初は断られたけど、せっかくだからってお願いしたらOKしてくれた。
付き合ってたのは15年も前だけど、まだ彼女のこと好きで。
もしかしたらワンチャンあるかもって思ってたんだけど、カフェに彼女の旦那だという男が合流。
3人でお茶するっていう妙な構図になった。
俺は昔の思い出話したりしたかったけど、旦那の登場によってそれは出来なかったから2人の馴れ初めとか旦那がどんな仕事してるかとか聞きまくった。
どこか俺が旦那に勝てるとこないかと思って色々聞いたけど、勝算ゼロ。
そもそも見た目の時点で完全に負けてた。あっちは勇者。こっちはゴブリン。
もう何聞いても面白くないから帰ろうと思ってたら、飼い犬の話になった。
旦那が独身時代から飼ってる犬がいて、その犬と暮らしてると言う。やっと俺のターンが来たと思った。
彼女は極度の犬嫌い。さぞ辛い生活だろうと思ってとにかく彼女を慰めて、旦那を批判しまくった。
彼女が犬嫌いなの知ってて一緒に暮らすことを強要してるのは最低だ。彼女が大事なら犬をよそにやれってアドバイスした。
俺と結婚してたら嫌いな犬となんて過ごさせないのにって言ったら、彼女が怒り出して俺のこと罵倒し始めた。
ビックリして固まってたら、旦那が彼女を宥めて「先に車戻ってて」と車のキーを渡した。
彼女がカフェを出ていってなぜか俺と旦那が2人きりになって、どうしたもんかと考えてたら、
「彼女は今すごく犬好きですよ。彼女の発案で2匹目を迎えたくらいです」と言われた。
旦那がずっと飼ってる犬は老犬で認知症もあり介護が必要な状態だが、彼女が献身的に世話してるらしい。
子犬とのふれあいで、認知症でボーッとしてることが多かった老犬は少しずつ元気になってると。彼女のおかげだと旦那は言ってた。
彼女もとても犬達を大事にしてるからあなたの「よそにやればいい」という言葉に怒ったんですよと言われた。
失言だった申し訳ないと謝ったら、あなた失言しかしてませんよと旦那が言う。
・とにかく俺のこと下げようと必死なのが話しててわかった。
・その仕事だと年収それほど無いでしょ?とか。初対面の相手に言うことじゃない。
・妻から「元彼にしつこく誘われてるんだけどどうしよう」って連絡来て、とりあえずすぐそっち行くから一旦誘いに乗れって俺が言った。
・ワンチャンあるとでも思ってた?
以上のことを言い返されてぐうの音も出なかった。図星すぎて恥ずかしくなった。
今後見かけたとしても二度と声掛けないでくださいねって。借り作りたくないんで妻と俺の分は会計していきますって言って、旦那は席を立って行った。
ただただ惨めだった。15年前彼女に別れ話された時も一人置いてかれて惨めだったな。
俺がゴブリンじゃなくて勇者だったらフラれることなく結婚までいけたのかな。
「葬送のフリーレン」という、エルフや勇者が出てくる異世界を舞台にした作品中に「ハンバーグ」という名前の料理が出てきたことで、人々の意見が割れている。
実は先ほど、原作の漫画の該当シーンがSNSで流れてきて、初めて現物を目にした。
人の顔くらいの大きさのひとかたまりの物体が、皿いっぱいに載せられた料理だ。
自分がそれを見て思ったことは「これはもうミートローフでは?」ということだった。
どうしてわざわざ「ハンバーグ」と呼ぶことにしたのだろう。
この「でっかいハンバーグ」は誕生日に出てくる特別な料理ということになっている。
だったらますます「ミートローフ」の方がいいのではなかろうか。
日本ではミートローフは、クリスマスに作られることが多い、ハレの日的な料理なのだから。
だが「葬列のフリーレン」ファンの諸兄姉の皆様におかれては、口をそろえて反論するだろう。
家庭の味・ハンバーグ! ウチらが良く知ってる料理・ハンバーグ! ガストやサイゼリアで食べられる料理・ハンバーグ!
なんでエルフや勇者がいて魔法が存在してる異世界に、現代日本の価値観ぶっこもうとするのだろう。
それってこのエルフや勇者やドワーフやらはただのガワで、中味は全部日本人ということではないのか。
違和感がないのだろうか。
勇者先生。一話読み切りらしいけど、絵も下手だし新人の漫画だろうし。あとででいいかーと思って読むの後回しにし続けてたんだけど、見た。
ドチャクソ期待上がった状態で読んでしまってて、こんな読み方されたら作者もさぞかわいそうになって思いながら読んだ。
マジで途中までは、絵の下手さからくる表現が微妙な感じで、これ本当に面白くなるんだろうか?って思いながら読んでて、最後のシーンで気がついたら泣いてたわ。
漫画ってこんなことできるのね。
内容自体はかなり普通で世界観に特別な仕掛けがあるとか、人間関係やキャラクターに新しさがあるとか何もないのにこの破壊力は。圧倒的な才能を感じた。
淡白すぎるキャラの感情描写とかも読んでる最中は色々あらに見えてて、もっとこうしたほうがいいんじゃないの〜?みたいな素人感想が出てたものですが、読み終わってみるとそれら全部がエンディングに向けて計算された表現なのかも?と思えてちょっとゾッとした。
FC版4→超名作
リメイク版4→超駄作 シンシアを初めに生き返らせろ クロノトリガーの魔王を見習え 仲間にするもブチ殺すも自由
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13178431928
リメイク版のドラクエ4でピサロが勝手に勇者達の仲間になったあとにあなたはピサロをどんなふうに扱ったのかを教えてください。
ちなみに僕は常にピサロのHPとMPを0にさせておき、経験値を与えず、種や木の実も食べさせないし、12個の馬の糞を持たせてあげています。
6章のエビルプリーストと戦闘するには生きているピサロを馬車の外に出しておかなければならないので仕方なくピサロを生き返らせてすぐにHP1、MP0にさせてさらに毒に侵した状態で隊列は打撃を受けやすい一番前にさせています。
ピサロ一人で山奥の村に入り、ピサロが発生させたであろう毒の沼地をずっと踏ませ続けました。
6章のエビルプリーストとの戦闘では作戦は常に全員『めいれいさせろ』でピサロは死ぬまで馬の糞を使い続けてもらい、仲間を助けるような呪文や道具をピサロに向かっては使用させず、スクルトや賢者の石など仲間全体に効果が掛かる物はピサロが死亡している時に使用します。
「人は一人では生きていけないんだよ」とか御涙頂戴通俗漫画で決まり文句みたいに使われる言葉を吐く人物をフリーレンと対話させることを想像してみ?途端にその人物のハリボテ感と安っぽさが見えてくるだろう?
「人は一人では生きていけない」というのは確かにクリシェかもしれないけど、クリシェにされるだけのことはあるというか、一面の真実を突いている言葉だと思う。
あと、その言葉って勇者ヒンメルか僧侶ハイターがいかにも言いそうではないか。
フリーレンは最初は「何言ってんだこいつ」と思うものの、かつての仲間たちの死後、ヒンメルに会いに天国を目指す旅の道中でさまざまな経験を積むなかで、「あのときの言葉って、もしかしてこういう意味だったのか」と気付く……という展開を、自分は想像した。
さっき録画視聴したけど、ひっどいなコレ。
完全に「置きにいってる」話で、バンナムはミリシタをIPとして育てる気はないんだなーと思った。
10時台にやる内容じゃないし、レースの内容は雑だし危ないし、優勝は半分こと言いながら歌ったのは2ndだけ。
謎の着ぐるみ推しとか唐突な勇者パースとか、この内容に挿入されても寒すぎる。
そもそもデビュー前のアイドルをいきなり水着で運動会させるとか、普通に考えて一生エロ枠、精々イロモノ枠決定だろ。
「アイマスのアニメなんて、こんなもんでいいだろ」という、ユーザーと視聴者を小馬鹿にした感が透けて見える。
あと実況の事務員の声が変に上擦ってて、ABパートずっと聞き続けるには不快。安済知佳の無駄遣い。
この作品アイカツ!スタッフが絡んでるらしいけど、アイカツ潰れた逆恨みでミリシタも巻き込もうとしてるのかよ、と勘ぐりたくなる。
景公は牛山に遊覧して、北方にその国城を臨み見て、涙を流して「どうしようもない、この広大な国を棄てて死んでしまうのを」と言った。 艾孔と梁丘拠はこれに従って泣いた。晏子はひとりかたわらで笑っていた。
公は涙をぬぐって晏子を見て「寡人の今日の遊は悲しい。孔と拠は寡人に従って涙を流したのに、子がひとり笑うのはどうしてか」と言った。
晏子は答えて「賢者を登用して久しくこれを守らせるとすれば、 すなわち太公や桓公が久しくこれを守りましょう。 勇者を登用して久しくこれを守らせるとすれば、すなわち霊公、荘公が久しくこれを守りましょう。 歴代の君がこれを守ろうとすれば、いったいわが君はどの地位でそれをなされますか。
代わる代わる君位は継承されて、君に至ったのです。それなのに、自分ひとりが永久に国を保有しようとなさるのは、後世にとって無慈悲であります。
景公は外出して公阜で遊覧し、北面して斉国を臨み見て「ああ、古より死がなかったならいいのになあ」と言った。
晏子は「昔、上帝は人の死を善いこととしました。なぜなら仁者はそれを休息と受け取り、不仁者は屈服と受け取ります。もし古より死がなければ、 太公、丁公が斉を保有して、桓公、 襄公、文公、武公が宰相となるでしょう。
君は笠をかぶり、賤者の服を着て、くわとすきで田の中で農事に従事されるでしょう。死を悲しむひまがありましょうか」と言った。
YOASOBIの新曲MVで伝説ポケモンをバイクにした二人の主人公が平凡な日常みたいな顔してツーリングしているのを見て目眩がした。
あれがものすごく異常な光景だってことをもう誰も認識してないんだな。
ポケモンシリーズにおけるプレイヤーの立ち位置は最終的にはその世界におけるチャンピオンであり、頂点そのものだ。
しかも伝説のポケモンもコンプリートしてるし、各地で犯罪組織を潰したりもしてる。
ポケモン金銀におけるレッドのような伝説的な存在そのものなんだ。
プレイヤーはあの世界においてDQの勇者の如く冒険をするわけだが、そんな人間があの世界に何人もいるはずはない。
一人に一つの世界が与えられているから出来る振る舞いであり、それはもう特別な存在なんだ。
フリーレンの世界における勇者ヒンメルが10人も100人もあの世界に存在できるわけがないのと同じだ。(魔王が100人いて幹部魔族が1000人いるならそれも可能かも知れないけどそんな世界はもう滅んでいるだろう)
だからポケモンプレイヤーが「もしもあの世界に自分が住んでいたら」と空想する時、自分を主人公にそのまま重ねたりしない。
もっと矮小な存在、ジムを攻略していてもせいぜい5つぐらいに留めた中堅レベルのトレーナーを想定するものだ。
伝説のポケモンに跨って世界を駆け抜ける本物の未来のチャンピオンなんかじゃない。
俺はそう思っていたんだが、どうも最近はそうじゃなくなってきてるようだ。
違和感が凄い。