はてなキーワード: トリビアとは
ニュースでは新型コロナウィルスと呼ばれている中国武漢で見つかったウィルスに対して日本、アメリカ、中国などの公的機関が発表するときに使っている名称。検索ノイズを避けるためにはこの名称を使うと便利かも。
2019年に見つかったNovel CoronaVirusの略らしい。
小説やアルフレッド・ノーベルと同じ綴りのNovelだが新型という意味。そう言われれば小説のノベルは新規なという意味なんだよというトリビアを昔聞いたような気がする。
2020/02/14 追記
正式名称はSARS-CoV-2 (Severe acute respiratory syndrome coronavirus 2) となった。
三秒どころか1カットだけやんけ。「SW EP3にはジャー・ジャー・ビンクスが出てくる」くらい意味のないトリビアやぞ
ふとTwitterのトレンドを見たら、誰か声優が引退するらしく、それに合わせて声優交代が発生するキャラクターがいるらしい。
その作品の事はあまり詳しく知らないので深く語れないが、自分はふとFGOのマシュ・キリエライトの事を思い出した。
少し古参面する。比較的初期の出来事なので知らない人も多いかもしれないが、マシュの声優は当初は現在の高橋李依ではなく、種田梨沙だった。
ヒロイン・マシュのCV:種田というのは、FGOという作品におけるメイン声優と言って差し支えなかった。
主人公のCVが決まったのは割と後だし、シリーズの顔であるセイバーもFGOでは出しゃばってこない。
そんなメイン声優が交代する事になったのは、彼女の活動休止が原因だった。
当初は勿論ある程度批判があった。ゲームで使うだけなら既存のボイスで足りる。何も交代しなくてもいいじゃないかと。
その時のファンには知るよしもないが、この後FGOは何度もアニメ化する事になる。アニメ化以外にもマシュの追加ボイスが必要だったシーンはいくつもあった。
ファンには公表されていなかったが、水面下ではもちろんそれらの動きが決定していたのだろう。どうしても新しいボイスは必須だったのだ。
自分もちゃんと似た雰囲気の、交代の違和感の少ない声優さんを探してきたなとは思ったが、別人である以上はどう足掻いても完全一致とはいかない。
最初にアニメ化した時は「ああ、これ種田マシュで見たかったな」と思ってしまったのを覚えている。
……でも素晴らしい事に、新声優・高橋李依の努力は凄まじかった。
最初は何も知らない新人という状態だったのが、気付けばFGOのガチ勢になり、ファンの好感度は爆上げ。
気付けば交代声優という事を忘れさせるほどFGOに馴染みきり、完全に地位を獲得していた。
またFGOが爆発的に流行するのもこの後の話で、種田マシュを知らないプレイヤーもかなり増えた。マシュと言えばCV高橋なのだ。前声優がいたというのももはやトリビアぐらいの立ち位置になった。
加えて度重なるアニメ化や新ボイスを経て、すっかりマシュの声優として定着する。
この頃にはすっかり自分もマシュの声優として認識し、マシュといえば高橋マシュになっていた。
特別前声優のファンという訳でもなかったが、それにしたってあれだけ思い入れがあったのに見事な掌の返りようである。そうさせたのが純粋にすごい。彼女自身の凄さもあるが、周囲のプロデュースだって凄いものだ。
マシュといえばあの声しか、もう思い浮かべられないのだ。
どんな声だったかなと思って、youtubeで動画を探して久しぶりに聞いてみた。
マシュってこんな声だっけ、と思った。
ほんと単純な頭してんな俺は……
地球が太陽のまわりをまわっていることをしって、日常生活でなにか役にたつことがあるのだろうか。
きっとない。単なるトリビアだ。
「そんなことはないよ、日常生活にだって役にたつことが、こんなにたくさんあるよ」と、かおをまっかにして反論するひともおおいだろう。
でも、そうやっていちいちつっかかってくるところが、地動説にこだわるひとのきもちわるいところだ。
地動説が日常生活の役にたたない、専門家以外にとってはただ知識をひけらかすための道具でしかないのは、自明のことだ。
だから、すくなくとも義務教育では、地球からみた、みかけの天体のうごきを説明するだけで十分だ。
みんなががんばって地動説を勉強しても、役だてられるのは一部のひとだけなんだから、その一部のひとにまかせるのが一番だ。
こういう日常生活にちっとも役にたたないムダ知識を学校でみんなにおしえるひまがあったら、契約書のよみかたとか、プログラミングとか、もっと実用的なことをおしえるべきだ。
https://anond.hatelabo.jp/20191012161120
の続き
本誌連載一話目からずっとアンケ出して単行本買って毎週感想や考察を楽しんでいたのにアニメ化してから本誌感想を検索するとアニメ新規原作未読勢の原作既読者への「死ね」とか「殺す」とか「クソ」とか罵詈雑言がすごくて気が滅入る ネタバレ踏んだまでは百歩譲るとしていや原作を買えやと許す気にもなれんが付随するのが死ね殺すだよ そこで読者への殺意が湧いちゃうんだ、原作の購入意欲じゃなくて…すごいな、僕にはとてもできない
「ネタバレ配慮しない人が多すぎ民度が低くて引く」「鬼滅で検索したら/二次創作漁ったらネタバレくらった」
被害者のような言動をしてるが単行本も本誌のバックナンバーも電子で買える今の時代に原作未読のまま原作読者のせいでネタバレ踏んだ!って騒ぐの、よくよく考えると分からない、謎だ、これってトリビアになりませんか?
消費者からすれば訳が分からないよな、なんできちんとお金を払って楽しんでいる側が責められなきゃならないんだ…? 理不尽な殺意地雷です
後半どんどん雑になっていくのはネタバレルートが自業自得むしろなんで被害を受けたと訴えようと思った?レベルに救いようがなくなっていくからです
地方だから入荷遅い? 電子あるだろ インターネット見てネタバレ配慮しろとぎゃーぎゃー喚いてるのに電子版にアクセスできないわけもないだろうし…分からない…
何のサービスでも検索したらその情報が出てくるのは当たり前だろ お前は分からないこと知りたいこと気になったことを検索したらそれについて詳しい情報が出てきたことがないのか
二次創作って基本原作を知ってる人間がやってるからそこに原作のネタバレがあるのは当たり前だろ 二次創作の二次って何の二次だと思う? 原作の二次なんだよな 一次情報である原作のネタバレが含まれているのは自明の理だと思いませんかあなた?
自業自得で勝手に苦しむのはいいが一人で孤独に苦しんでくれ あなたのせいでネタバレ踏みました!って逆恨み呪詛をばら撒くな 本誌ネタ感想考察二次創作のせいでネタバレ踏んだ死ねとか言ってるお前のことだぞ
そういう輩を見るたびにこいつは原作に金を落とす気のないキッズと判別できるのはいいがアニメ化を機にこんな精神低年齢者に目をつけられてしまった原作が不憫でならないんだよな 原作未読勢のせいで肝心の原作ファンが当初のように楽しめなくなってしまって本末転倒なんだよな 最初こんな言動取るのは中学生か高校生だろまあ仕方ないかと思ってしまったけど中学生高校生ごめんな、普通に18歳以上とか成人済みの発言だったわ、世も末 ネタバレを死のように恐れるならそもそもインターネットをやるな いやその前に原作を買え 宗教上の理由でできないのか? 購入厨に先越されると悔しくて泣けてくるのか?
最初は配慮してたけど4月から半年経っても原作漫画の一巻も買わない人間、ネタバレのせいで漫画見る気萎えた!とか言うけどこれどのみちなんだかんだ言い訳して公式に金を落とすタイプの人間じゃねえんだわ、もっと早く気づけばよかった
インターネットのせいでネタバレ踏みました配慮してください人間、原作を買ってないんだよな
原作を買う気のない人間のせいで原作買ってる人間が遠慮を強いられるのおかしな話なので無課金厨は配慮しろ
アニメ派に人権はあるけど自衛もしないできない無課金厨に人権はないよ
更に言うならきちんと購入して原作を支えているファンを加害者扱いしてキッズ呼ばわりする側の方が読者の人権を侵害しているよ
本誌も追わず単行本も読まずそのくせ自分からネタバレに繋がる検索をして死ねだの殺すだの不平を言って読者の足しか引っ張れないような奴は目を瞑ってどっか隅っこに挟まって口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きててほしい
https://anond.hatelabo.jp/20191012162403
というか円盤グッズ買ってくれるかもしれないしと配慮してきたよ
でも「お金ないから原作買えない、アニメのみで楽しみたい」って言ってる人間を見ていくらネタバレ配慮したところで原作漫画の一巻も買えない人間が漫画全巻より高い円盤を買ってくれるわけがないから無意味だと目が覚めた
巷に溢れているアスペルガー対策の本には、経営側、職場側からアスペルガー症候群に歩み寄る内容が非常に多い。
それは方向性としては正しい。私も上司や先輩という理解者を得たからこそ、ここまでやってこれた。
しかし、こうした姿勢は、経営側に対し、アスペルガーの人間をなるべく職場に入れず、排除しようとするインセンティブを与えてしまう。
過剰なる保護の訴えは、常にそれを排除する結果となるのである。なぜならば、採用コスト、教育コストが高くつくからだ。これを我々アスペルガーは忘れるべきではない。
我等アスペルガーは、常に人を苛立たせる存在であることを忘れるべきではない。我々が存在することで、周りは常に我々の無神経な言動に対する我慢というコストを支払い続けている。我々は呼吸する度に、無神経という毒をばらまく呪われた存在だ。
故に、我々は常に己が属す組織に対して貢献をしているか。貢献できることは何かないか?と自らに問うべきなのだ。
では我々が貢献できることは何か?その力の根源となるものこそ、己の好奇心とそれに付随する知識である。
仕事への知識の適応。これは奴に聞け。そのポジションをいかに獲得するかで生き難さは大分軽減される。
しかし、ただ一つ、心しておかなくてはならないのは、我々がどんなに貢献をしているつもりでも、我々の評価は常にマイナスのバイアスがかかっているということだ。決して健常者と同様に評価されることはないし、それを期待しない方が絶望せずに済む。故に貢献を鼻に掛けるなど自殺行為以外の何物でもない。
しかし、我々は貢献をし続けなくてはならない。往々にして我々は、己の得意分野以外何一つ満足にこなせないことが多い。
己がばらまく毒素と己が積み上げた貢献でようやくイーブンなのだ。しかし、往々にしてその貢献は自己満足に終わる醜悪なものであることが多い。
理由は簡単だ。何をもって貢献とするか常に理解している人間はもはやアスペルガーではないからである。
故に我々は無神経という毒素の他に、自己満足というヘドロもだしていないかと常に自問しなければならない。
我々は何をもって貢献とするか常に自問自答しながら、低評価という鉱山を毒の息を吐きながら掘っていくしかないのだその先に宝を見つけるまで、掘り進むのをやめるわけにはいかないのだ。