巷に溢れているアスペルガー対策の本には、経営側、職場側からアスペルガー症候群に歩み寄る内容が非常に多い。
それは方向性としては正しい。私も上司や先輩という理解者を得たからこそ、ここまでやってこれた。
しかし、こうした姿勢は、経営側に対し、アスペルガーの人間をなるべく職場に入れず、排除しようとするインセンティブを与えてしまう。
過剰なる保護の訴えは、常にそれを排除する結果となるのである。なぜならば、採用コスト、教育コストが高くつくからだ。これを我々アスペルガーは忘れるべきではない。
我等アスペルガーは、常に人を苛立たせる存在であることを忘れるべきではない。我々が存在することで、周りは常に我々の無神経な言動に対する我慢というコストを支払い続けている。我々は呼吸する度に、無神経という毒をばらまく呪われた存在だ。
故に、我々は常に己が属す組織に対して貢献をしているか。貢献できることは何かないか?と自らに問うべきなのだ。
では我々が貢献できることは何か?その力の根源となるものこそ、己の好奇心とそれに付随する知識である。
仕事への知識の適応。これは奴に聞け。そのポジションをいかに獲得するかで生き難さは大分軽減される。
しかし、ただ一つ、心しておかなくてはならないのは、我々がどんなに貢献をしているつもりでも、我々の評価は常にマイナスのバイアスがかかっているということだ。決して健常者と同様に評価されることはないし、それを期待しない方が絶望せずに済む。故に貢献を鼻に掛けるなど自殺行為以外の何物でもない。
しかし、我々は貢献をし続けなくてはならない。往々にして我々は、己の得意分野以外何一つ満足にこなせないことが多い。
己がばらまく毒素と己が積み上げた貢献でようやくイーブンなのだ。しかし、往々にしてその貢献は自己満足に終わる醜悪なものであることが多い。
理由は簡単だ。何をもって貢献とするか常に理解している人間はもはやアスペルガーではないからである。
故に我々は無神経という毒素の他に、自己満足というヘドロもだしていないかと常に自問しなければならない。
我々は何をもって貢献とするか常に自問自答しながら、低評価という鉱山を毒の息を吐きながら掘っていくしかないのだその先に宝を見つけるまで、掘り進むのをやめるわけにはいかないのだ。