はてなキーワード: チェスとは
将棋もチェスも麻雀もリバーシもカタンも、盤上が無から始まるゲームなんかほとんどないから。
五目並べはどこから始めても戦況にたいして影響ないゲームだしな。
囲碁が圧倒的におもんないのは盤上に何もないところから始めないといけなくて
どこに置いたらどうなるかの展望がまったく見えないところだから。
これもう1000回くらい言ってるけど。
まぁ初手真ん中に置けばいいとして、じゃあそれに対してどこに置けばどうなるの?
どうにもなんなくない?
会社に入ったら入社式の後に「じゃあ好きに仕事して」って言われてほったらかされたらブチ切れるでしょ。
もろちん、5年後の自分の姿を想定してそれまでにやる必要のある仕事を逆算して、
じゃあとりあえずこの仕事してみるか!って思える人もいるだろうけどさ。
99%の人間はそして僕は途方に暮れる、でしょ。
だからほとんどのテーブルゲームは初手の選択肢をぐっと狭めた状態で始まる。
将棋ですら最初のほう何動かしていいかわからんからおもんないっていう人めっちゃいるのに、
幾何学でいってなんでパスカルの定理は完全無欠と言われるかと言うとまだ分からない。1つには2000年前から研究があるという割にはろくな書物は存在しておらず
大量の研究があると言いながら、ほとんどの定理が知られていない。 方べきの定理とパスカルの定理は何が違うのか、それすら教えてもらっていない人が多いのではないか。
完全無欠な定理があれば、ゆくゆくはなんでもできる。 だから完全無欠なものは教科書でなるべく集めた方がいい。それがあれば行き詰まることはない。
とはいいながら、何をもって完全無欠であるかというと、まだ分かっていない。 超対称性の原理というのは、ただの対称性ではなくて結構、Higherな対称性でよく分かっていないので
チェスの問題に出てきた操作は超対称性ではなくてまったく間違っていて、おぺちさんという天才がいてそれはただの簡潔なテクニックで、超対称性はお前が考えるよりもっと、レベルの高い
対称性で、そういうものではないと言われ、なんでも、そういったものは界隈で完全無欠と指定され、可能性があるから、魅力があるのに決まっている。
手の混んだことをやる人はどんどん減っていく
ゲームもクリアに時間がかかりすぎるようなのは誰もやらなくなるし、小説も手の混んだ文学手法を使ってるようなのは誰も読まない
例えばチェスについて考えると、「チェスの地元グループに参加して、そこから練習して、大会に出て、レートを上げて」というタイプのめんどくさい道を通る人はいなくなり、
オンラインでテキトーにゲストとして参加して気晴らしにやる人が増える
あるいは数学を趣味にする場合も「コホモロジーとはなにか」みたいなめんどうくさい理論を理解しようとする人は減り、組み合わせ論のアルゴリズム問題のように、前提知識がそれほどなくても取り組める題材を選ぶ人が増える
まーね、変なのはどこにでもいる。
ただ田舎ほど寛容ではないのと、出しゃばらないのが多いって印象。
よく言えば紳士的(フロント企業的な)、悪く言えば水面下で地方民から貪る、って感じ。
だから、もし上京してくる人間がいるのなら、東京に少なくとも3代以上住んでるドラ息子と仲良くなっておけ。
そう、それくらい短い期間でも東京モンを名乗ることができるくらい
だから、新しいもの、新参者には田舎以上に敏感なのが都会っ子。
より多くのパターンと、多くの個体と出会うからこそ危ないやつの構造化ができてる。
ま、経験則かつ複合的な記号の集合だから言語化は難しいんだけどね。
だからこそ、センサーとして東京のアホボンをカナリア代わりに使おうな。
一つ注意点は、ボンも同じようにお前のことを値踏みしてるってこと。
お前が受けた教育以上に、良い教育と躾を受けている可能性があるのだから
演技やロボットのアクション描写とは当時の水準でも相当高かったよね
もちろん全部がしっかり組まれている必要はないし、ご都合主義がダメとも思わない
けど、全体的に低品質というか薄味感が否めない
というより、あえていうとキャラの個性を立たせるためのストーリーであり、BGMによる演出を優先していたって感じがする
ギアスの暴走とかゼロレクイエムとか、みんなこれ面白いと思っていたんだろうか?
終盤で軍艦をつかってチェスをしているって描写はマジでナンセンスすぎるよなーって思っていたし
当時リアタイしていたけど、夢中になってストーリーを追いたいって感情は全然わかなかった
常山勝弘(つねやまかつひろ、Tsuneyama Katsuhiro、1989年8月7日生まれ、血液型はA型。)とは、JRの株主などを務める新潟県出身の華族(從二位)の弟であり、チェス愛好家として、現在日本チェス連盟の会員である。
… 関東軍の孫 …
徳川の時代に、魚沼地方において大庄屋をやっていた士分の門家である両家(苗字を帯刀することが許された格式がある両家。現在の姓は、常山家と南雲家。)の中に生まれ、満州事変(1931年-1934年)において、関東軍(第9師団騎兵9連隊)を務めていた常山新作の孫であり、常山氏(氏族)に属する。幼い頃は新潟県の公立学校で育ち、東京の私立高校(通信制NHK学園高等学校)を中退した後、旧大検を取得し、2024年4月には、伊豆半島にJALcardで、旅行に行っている。本人は国鉄の娘である母親洋子の母南雲タキの家系から続くカトリック信仰であり、日本のキリスト教会のプロテスタント派の神学生を成人の頃に、少しだけ務めたことがあり、誕生日のお祝いに洗礼の宣伝を作らせてもらったことがあると言う。
常山新作は、昭和天皇陛下の直属部隊に属しており、関東軍に務めていたので龍光大綬章を受賞しているが、これは桐花章と同位である。
父親の常山満は、神奈川近代文学館に自著の詩集を所蔵されている。
… 人物 …
幼少期から、かっちゃん(Kattyan)の名前で、親しまれている。
… 脚注 …
… 外部リンク …
https://miitus.jp/t/JCF/login/box/?logout&p=b2tma0NyUStMVjJMTzlwS2crdXNFQk5PYThFcVhqeWNaUVlSZkRDd2xZTm9leEZMOUd6dWdlc0FPczduWFNxTWNOaFVRMzMvK1l3SjRRUFFzU3A0V2c9PQ==| MiiT+/日本チェス連盟
新しい趣味としてオンラインゲームをやってみたが、少しやってみて「あれ、これ時間の無駄遣いじゃない?」と思ってしまった。
アルビオンオンラインという、FF14を劣化させたようなゲーム。
そういえば、FF14を辞めたときも時間が無駄に感じるという理由で辞めたのを思い出した。
映画鑑賞や読書とかであれば、まだ何某かを学んでいる感じはするが、ゲームは爽快感のある時間の使い方じゃない。
古典的なゲーム(テキサスホールデムポーカーやチェス)であればまだ楽しめる感じがあるかもしれない。
ゲームといえば、ヤングシェルドンではシェルドンがバアバとゲームに熱中して学業をサボり、ビックバンセオリーではペニーがゲーム中毒になって廃人と化すのを思い出した。