はてなキーワード: 福沢諭吉とは
学問のすすめ 二編 端書
文字は学問をするための道具にて、譬えば家を建つるに槌・鋸の入用なるがごとし。槌・鋸は普請に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者はこれを大工と言うべからず。まさしくこのわけにて、文字を読むことのみを知りて物事の道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず。いわゆる「論語よみの論語しらず」とはすなわちこれなり。わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし。経書・史類の奥義には達したれども商売の法を心得て正しく取引きをなすこと能わざる者は、これを帳合いの学問に拙き人と言うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金を費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎とき人なり。これらの人物はただこれを文字の問屋と言うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。
宗教の教義に沿った食生活や厳格なヴィーガンにしてもそうですけど
それをするにはお金が要るわけです。それらほどではないけど不買も同じ
お金が極端にない人には無理ってだけなのでは?
■サントリーってやばい会社だな。45歳希望退職を募るではなく『45歳定年制』かぁ
https://anond.hatelabo.jp/20210910162301
■福沢諭吉が1万円札で無くなって心底良かったと思う
https://anond.hatelabo.jp/20210911095702 ← 某大学の出身者はマジでやばい・・・
あと買わないってのは社会や会社に対する意思表示なのでそれを攻撃と捉える人は
福沢諭吉までが強すぎだろ。
そもそも話にならねーわ。
ゆーて「教育こそ最も効率の良い投資」ってコンセプトが見え隠れするのが福沢諭吉の強さだよね。
ストレートに「渋沢栄一めっちゃ金持ちじゃね?」みたいなノリで選んじゃったのは想像力の貧困さを感じる。
これがありならそのうち竹中平蔵やカルロス・ゴーンでさえ成りかねないわ。
悪手だね。
強い弱いってより。
鳳凰→模様のみ→岩倉具視→伊藤博文→新渡戸稲造→樋口一葉→津田梅子 NEW
概念→岩倉使節団の長→初代内閣総理大臣→国際連盟初代事務次官→たけくらべ→女性教育者
樋口一葉でとち狂った流れをなんとか正しい流れに戻せた感がある。
女性枠を作ろうというコンセプトから最初に選んだのが樋口一葉だった辺り、平成の連中の女舐め文化を感じてしまう。
マジでなんで女性枠作ろうですぐに津田梅子を選べなかったのか。
少なくともここは1勝だろう。
二宮金次郎→財政トップ→言文一致の父→伝染病研究者→伝染病研究者
言い方を変えようか
歩きスマホマン→身内贔屓→有名な人→理系枠→理系枠(選抜基準は前回のコピペ)
ひっでーな。
コンセプトとかないんか?
せめて財政トップを入れる枠として代々受け継いで渋沢栄一はここに持ってくるとかさあ……
つーか「文系の偉人多すぎて理系キレそうやなwwwww」で適当に野口英世入れて「じゃあ今回も同じような感じでwwww」で北里柴三郎って……。
マジないわー。
樋口一葉のときもやけど、バランス感覚ある感見せようとした結果実は微塵も興味内のバレバレになりすぎだろ。
ほんまない。
さいてー。
1勝2敗。
でも最後の北里柴三郎で鼻くそほじりながら選んでるのがバレバレになったね。
ふつーにゴミ。
組織の代表・職業人として世の中へ意見や思想を発表・共有する、ビジネスで使うのであればバックグラウンドの開示は必要ですが
プライベートな活動と称しながら聞いてもいない所属・職業を積極公開してる人たちっていますよね?
一般的な社会人は組織に不利益を与えぬため、TwitterのようなSNSで私事の発信で所属組織や職業の開示はしません
茂木先生が事件に関係ないバックグラウンドを公開するのは何故?と思ってらっしゃるように
少なからぬ人たちが、大学教授や一部の国政関係者などの不必要なバックグラウンドの開示に疑問を感じています
本来Twitterはバックボーンを必要としない気分を共有をするツールです
わざわざ職業・所属名乗らずとも気分はつぶやけますよね?なぜわざわざ公開するのですか?それを見て何を思って欲しいのですか?
そしてそれをありがたがってフォローする人たち(おそらく先生の本読んじゃいない)に対しても同じ疑問を感じています
ここまで書けばフツーは言わんとしていることは伝わると思いますが、
世の中には嫌味の通じない人たちがいるので一応最後まで書いておきますね
事件などの被害者の方を報じるときに、いちいち職業を伝えるのもなぞの奇習。その方の人生と、その職業は関係ないと思う。新聞に限らず、日本のメディアは実質を考えずに思考停止の形式主義が目立つ。どうせかわらないと諦めているから書くことも減ったが、鬼束ちひろさんの件で久しぶりに思い出した。
午前7:25 · 2021年11月29日·Twitter Web App
https://twitter.com/kenichiromogi/status/1465084445623414789?s=21
いいえ。"権威主義的パーソナリティ"の誤りです。マスメディアに限定した話ではなく、茂木健一郎先生ご自身・そのフォロワー含めて、です
鬼束ちひろ氏は救急車を蹴飛ばした件に関しては被害者ではなく加害者です
▼関連増田:
- 茂木健一郎先生はDaiGo氏と仲良しなばかりか古市憲寿氏とも仲良し。茂木先生の脳科学に対する姿勢や職業倫理はひかめえめに言ってもかなり疑わしい(anond:20210825091159)
- 福沢諭吉が1万円札で無くなって心底良かったと思う (anond:20210911095702)
古典的なリベラル(いわゆる自由主義者)は決して左翼ではなく、今の基準ではどちらかと言えば右。(最近ではリバタリアンという名前でパワーアップして復活している)
イメージとしては、自由民権運動の闘士とか戦前の自由党とか吉田茂とかのあたりかな。もちろん社会主義や共産主義とは相性が悪い。
そもそも王党派に対抗した都市部商工業者(ブルジョワジー)が主体なので、資本主義の本家本元。(福沢諭吉とか渋沢栄一とかのあたり) だから、反封建主義、市場重視、自由貿易、規制撤廃、減税歓迎、小さな政府、などが信条。
ネトウヨはネオリベ(ネオリベラリズム)の傾向が強いので、古典的リベラルとは割と共通点がある。
現代的なリベラル(モダン・リベラル)は、基本的には人権保護や再配分のために政府が強力に介入することをよしとする。(俺に言わせればそれはリベラル=自由主義とは呼べないと思う)
こちらは社民と相性が良く、リベラル左派とか左派リベラルとか呼ばれる。アメリカだと民主党が近い。日本だと社民党や立民党だが、自民党も社民的な傾向(再配分重視とか)が結構あるので、どこをもってリベラルと呼ぶかはハッキリしない。(共産党はいくらなんでも教条主義的過ぎて無理かと)
伝統的に日本でリベラルというと古典的リベラル(特に反権威主義)を指すことが多かったので、アメリカで現代的リベラル(左派)のことをリベラルと呼ぶようになって言葉の用法に混乱が広がっている。(勉強しなくちゃね)