はてなキーワード: ヒトラーとは
私はネットの戯作で、個人がキャラクター化され単純化されネタ化されるのははっきり言って嫌いだ。特にスターリンやヒトラーなど、充分かつ慎重に議論・研究が進められるべき人物に対して
冗談を真に受ける人はいかんと思うけど、冗談が嫌いとか冗談そのものが悪いとかいう話と混ぜてしまってはダメなんじゃないかねえ。
ネットでは、歴史の面白い部分やネタにできる部分が戯作化(ここでは、戯れに作品がつくられること、を指すことにしてほしい)されることが大変多くなっている。
たとえば、「ニコニコ動画」の「赤いニコニコ動画」タグなどが代表例だ。
他にも、二度の世界大戦中を中心に、イデオロギーや政局・人物たちを面白おかしく紹介したり、歌ったり、何かのパロディとして用いたり、そういうことがブラウジングすると日夜行なわれていることがわかる。他の時代の歴史も大変多く戯作化されている。
このままでいいのだろうか。
歴史に詳しい、既に知識を持っている人にとって、その戯作が到達点でいいのだろうか?これに満足しないでその分野の最新鋭の知見を雑誌や書物から得るべきではないのだろうか。歴史に知識があり、興味を持っているのならば、戯作にとどまるだけではもったいないのではないだろうか。日夜生産される戯作により、他の歴史に関する著作や作品に目が及びにくくなる可能性を指摘したい。
また歴史(や歴史認識)をこれからどんどん学んでいきたいと思う人たちにとっては、誤解を恐れずに言えば、戯作は足かせになるのではないか。すなわち、戯作に現れる単純なコミカライズ、キャラクター化は、歴史認識の多様な可能性を摩減させてしまう。「あ、これはこういうキャラなんだ」とそこで思考を停止させかねない。無論これらの戯作は、歴史の面白さを伝え、興味を惹起させることにかなりの役割をはたしていよう。ネットで気軽に歴史人物に触れられるのは、歴史の醍醐味への入り口として非常に適した環境にあると思う。でも、現在その入口が広く広く広くなってしまい、奥に行かなくても「なんか人がたくさんがやがやしているし、まあここでいいか」になってしまうのではないか。
私はネットの戯作で、個人がキャラクター化され単純化されネタ化されるのははっきり言って嫌いだ。特にスターリンやヒトラーなど、充分かつ慎重に議論・研究が進められるべき人物に対して、安直なキャラクター化が図られるのは見るに堪えられない。そもそも、人間が一人の人物に対して評価を下すことは可能なのだろうかと思う。またイデオロギーに対してもだいたい同じで、現今のネット環境では社会主義や新左翼の各地での活動が、かなり単純化されて戯作化されている。これを見るだけで、真にこうした人物やイデオロギーやそれらが生きた時代に迫ることができるだろうか。歴史認識のあり方としてどうなのだろうか。戯作を楽しむだけでいいのだろうか。
正しい歴史認識なんてぜったい構築できやしそんなものは幻想なのだろうけど、だからと言ってネットの戯作だけを栄養とするのももったいない、もっと色々なアプローチがあるのではないか、という話でした。
http://anond.hatelabo.jp/20130604172134
非国民」「売国奴」もすっかり「市民権」を得た言葉になってしもうたな
まず、目にしても俺自身、それほど驚かなくなった
どこの日本に同調圧力があるほど「非国民」「売国奴」なんて言葉が流行ってるんだよ?
日常生活で人の口からそんなフレーズが出るのを聞いたこと一度もないわ。
見てきたようにほざくけど、お前一体何歳なんだよ?
それらの時代全部生きてきた上で平成25年の状況がそれに似てるって言うわけか?
お前みたいな奴が毎回毎回
ちょっと気に入らない政党が政権取れば「2.26」「開戦前夜」
そういうフレーズを気軽に喚くけども、
お前のような奴の陣営の発言力はどんどん軽くなる。
言葉の威力や自分達の信用度を取り崩して使っちゃってるってことぐらいは認識したほうがいいぞ。
お前だってテレビ欄にどんな惹句が載ってても真面目に取り合わないだろ。
それと同じ。
もうお前みたいな脳軟化サヨクなんてニコニコ動画のおつむ軽い小学生すら馬鹿にするようになってる。
真面目に相手してくれない世間を憎んだり見下したりし続けるんだよなお前みたいなタイプは。
一生他人と向き合わない人生だ。
ずーっと喚いてるのに。
中国や北朝鮮の軍拡を止めること、これに尽きる。そもそも、日本の改憲論や、自衛隊増強の背骨は、「中国や北朝鮮の軍事的伸長に対向するため」というのを理由にしてるわけで、当然だけどね。
でも、護憲派は日本の改憲派を批判するだけで、中国や北朝鮮の軍拡に反対する姿勢を見せない。
もちろん、護憲派は、時に中国や北朝鮮への批判を展開するけど、少なくとも、日本の改憲派に対するものほど、強烈で過激ではない。
少なくとも、自分は「護憲派が作製した、安倍首相とヒトラーの合成写真」は見たことがあるけど、「護憲派が作製した、北朝鮮や中国の政治家をパロった写真」は見たことがない。
これで「憲法を守ろう」と言っても、改憲か護憲か決めかねている層は、「護憲派は、本気で平和を考えてるのだろうか? その割には、中国の領海侵犯などへの批判は聞こえてこないが」と疑問を抱くばかりで、共感を得るのは難しいだろう。
「脳内の韓国人のイメージだけで差別してるから、実際の韓国人に出会って、
韓国人の中に良い人もいて悪い人もいるということを知るべき」というような意見が多いけど、
良い人もいて悪い人もいることを知った上で差別するのがレイシストだろう。
ヒトラーはユダヤ人に日常的に接して、良いユダヤ人も悪いユダヤ人もいることを知った上でホロコーストした。
セルビア人はムスリムに日常的に接して、良いムスリムも悪いムスリムもいることを知った上で民族浄化した。
在特会が「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」と言ったのは、朝鮮人の中に良い人もいるということを認識してるからだ。
ここまで極端じゃなく、前原みたいに在日韓国人と家族ぐるみの付き合いをしていても、「在日を日本人化する教育をすべき」という意見に同意する人もいる。
よく「中国は親分、北朝鮮は子分」、「最後には北朝鮮は中国の言うことを聞く」という言説が横行している。
「似たような全体主義体制だから、互いに仲がいい」と思われているのか、
「朝鮮戦争で共に戦った仲間、血で固めた友好関係」と思われているのか。
しかし、全体主義国家同士、独裁国家同士だからと言って、必ずしも仲が良い、という保証はない。
現状は単に、「互いの存在を認めて、利用するのが得策」と判断しているから、利己的理由で結びついているにすぎない。
本音では、中国は北朝鮮を心底から信用していないし、逆に北朝鮮も中国を心底から信用なんかしていないだろう。
中国が「韓国などの親米民主国家と国境と接するのは、共産党独裁体制に悪影響があるので、
独裁国家を間に挟んでおけば、緩衝地帯になって、一党独裁が維持できる」という打算をしていて、
その打算を北朝鮮が見抜いていて、援助を要求する、という間柄でしかない。
仮に「北朝鮮の現体制を維持するデメリットが、民主国家と国境を接するデメリットを上回る」と
北朝鮮側も、中国に見捨てられる最悪のシナリオは想定しているから、
見捨てられないように、様々な工作を講じているのだろう。
「見せかけの友好関係、根っこは相互不信」というのは、あたかも
「ヒトラーとスターリンが、一時的に不可侵条約で友好関係を演じた」ようなものである。
ドイツ・ソ連も、不可侵条約締結しておきながら、腹の中では全然相手のことなんか信用してなくて、
「朝鮮戦争で共に戦った間柄」というウェットな感情論が、果たして両国軍人に通用するのか?
朝鮮戦争に実際に従軍していた世代って、恐らく1935年産まれ以前だから、
つまり今だと78歳以上になる。
大半が既に死亡しており、少なくとも除隊していて、今の軍関係者への影響力は少ない。
北朝鮮軍関係者であれば、例えば40歳の軍人は、どのような世代だったのか?
仮に20歳で入隊したとして、入隊時は1993年。
かつてはソ連から多量の軍事援助があったが、それも1991年で打ち切り。
恐らく1991年当時の北朝鮮軍内部は、突然のソ連援助打ち切りで、パニックになっただろう。
「自らの手で、国土を防衛しなきゃいけない、友邦頼みはマズイ、友邦なんてスグに裏切られる」
という「自主防衛」の思想が、この時代に醸成されたと思う。
そういう時代に、彼らは入隊している。
なので、「自主防衛しなきゃならない、「友邦」なんか頼りにならない」という強烈な危機感が、
この辺の「北朝鮮内世代論」を踏まえた議論というのを、自分は見たことない。
「中国やソ連と親密な時代」を経験した軍人と、「自主防衛しなきゃいけない」時代しか体験してない軍人とでは、
ソ連に裏切られ、朝鮮戦争の記憶もない若手軍人は、中国依存の軍事戦略なんて、危なっかしいと考えるだろう。
が、同時に北京も照準にしているハズだ。
北朝鮮が国家生存のために必要とする国家は、アメリカ以上に中国なのである。
『暗殺教室』単行本読んだんだけど。はっきり言って笑ったし物語の構成が上手いと舌を巻いたんだけど、でも読み終わってから何かが気持ち悪い。
何かがっていうか普通に制度設計が腐っていることの悪を個人の悪意に由来するものとしてすり替えていることが気持ち悪い。
いやそこに帰結すんのかよ、って思った。制度悪がいち独裁者の悪意に還っていくとか、良い人ヒトラー現代に再来☆みたいな小説が出てるこのご時世にちょっとありえなくない?みたいな。
少年マンガってそういうの多いよね。「悪とは悪意(害意)である」みたいな悪。悪い奴は大体(意地)悪いこと考えてる。
志々雄様とかDIO様とかフリーザ様ならまだいいのよ。制度とかじゃなくて哲学・価値観として虫は踏むタイプってのは胸くそ悪いとしても欺瞞は無い。
でも『暗殺教室』の学長(だか理事長だか)はないわー。月を七欠けできる超生物が教壇に立つ以上にないわー。
後者は超法規的措置として実現する可能性が微レ存と脳内補完できるけどあんな学校が普通に運営されてるとか保護者と教育委員会は何やってんのってなってしまう。鬼女まとめとか見てると余計に。
あ、こういうこと書くと「文句があるなら読むなよ」とか言ってくる奴いるけど、そっくりそのままお返ししますね。文句があるならこんな増田読まないで下さい。
そういう歴史的必然性みたいなのもよく聞く話なんだが、実際にはやはり反省の意味はある。
たとえば、第一次世界大戦後の戦後処理。知っているとは思うが、第一次世界大戦後、敗戦国のドイツに対して、フランスを中心とする戦勝国は莫大な賠償金を課した。世界恐慌などの不幸もあったが、賠償金の支払いはドイツの戦後復興を極めて困難にした。当時でも、ケインズなんかはドイツの経済復興を支援すべきだと論じていたが、復讐に燃えるフランスを中心とした国々はドイツを徹底的に痛めつけることを望んだ。その結果がヒトラーの台頭だ。対ヒトラーとしては、イギリスの宥和政策の失敗なんかが挙げられるが、実際には第二次世界大戦の根っこはそうした戦後処理のまずさにあった。そうした反省の結果、第二次世界大戦後には敗戦国に対して実行不可能な賠償を課すという方針は避けられるとともに、金融不安が生じさせる政治的危機を回避するために国際機関が設置された。
こういう側面を見ると、歴史を反省する意味はあると思わない?日本にしても、昭和16年夏に「日米戦わば必敗」という結論が見えていたにもかかわらず、戦争に突入してしまった。それ以外でも、日本の膨張的な外交政策に対する批判は当時から存在していた。「アジア解放」を訴える日本がなぜ中国と戦争しているのか、どうしても理解できなかったという回顧も聞く。日本人の多くが中国人や朝鮮人に対して差別的な意識を持っていることへの嘆きもあった。にもかかわらず、そうした批判の表明を困難にしてしまう空気が生み出された原因は考える必要がある。
もちろん、当時において個人のレベルで歴史の流れを変えることは不可能だったろうが、後に生まれた者の特権として反省はある。その意味でも、歴史は「過去と現在の対話」なんだろう(E.H.カー)。そうしたアドバンテージを活かすこともなく「仕方がなかった」で済ますというのは一種の思考停止だと思う。過去から学ぶことを否定する態度のうえにある改憲論はやはり怖い。
ネット左翼が「ネトウヨがメールで突撃したけどそれは逆効果だった」と喜んでるコメントが乱舞している。
でも、あれを見ていて思うのは「安倍晋三をヒトラーに模した加工写真をネットにアップしたり、行進する自衛隊員に批判の横断幕や、罵声の言葉を吐くのと、どう違うのだろうか?」ということ。今までネット左翼は、ああいう極端な批判はむしろ逆効果だとうことを分からないほど頭が可哀想な連中だとばかり思っていたが、少なくとも他人の行動に対しては客観的になれる脳みそはあったらしい。
あとは「彼らの普段の行動が、ネトウヨと全く同じということに気付くのがいつになるだろうか」というのが気になるね。リベラルを自認する俺としては、ネット左翼自身の頭で気づいてほしいものだが。
左翼は「国防軍保持を主張する者」や「憲法九条改正を主張する者」をネトウヨ認定する。そして「ネトウヨは信用出来ない」「都合の良い嘘を平気でする」と喚き散らす。しかし、それが慰安婦や南京事件を否定してるという事に気づいてないらしい。
なぜなら、そのような人間をネトウヨ認定すると、次の法則が成り立つからだ。
・国防軍保持や憲法九条改正派がネトウヨなら、憲法九条に類する法を持っておらず、国防軍を堂々と持っている韓国や中国は、ネトウヨに支配されたネトウヨ国家と定義づけられる。
・左翼の言葉を信じれば、ネトウヨなど信用出来ないはず。すなわち、ネトウヨに支配された韓国や中国は信用に値しないのである。
・故に、彼らが常々主張している慰安婦や南京事件も信用に値しない。
このような論法が成り立つのである。強引だって? 少なくとも、安倍や石破をヒトラー扱いするような左翼よりは、まだマシと思うけどね。ま、どちらがより論理的かどうかは、中道派が判断してくれるだろう。
しかも、曲りなりにも政治家やメディアがそれをやるからな(相手をヒトラー呼ばわり)。一方で、右派系の政治家やメディアが、相手をスターリンとかポル・ポトとか毛沢東と批判するかというと、あまり聞かんしな。掲げてる政策の正しさはともかく、傍から見て、どっちが上品に見えるかというと、自ずから分かるってもんだな。
まあ橋下の思想の危険度を考えればたとえること自体は間違ってないと思うけど、
ヒトラーと肩を並べるほどの虐殺をおこなったポルポトや、ヒトラーを優に超える虐殺をおこなったスターリンや毛沢東にたとえる人はあまりいないね。
そもそもヒトラーへの忌避度に比較すると他の3者はあまり責められることがない気がする。(←日本の話、海外でどうかは知らない)