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はてなキーワード: 規範とは

2024-05-28

anond:20240528105144

弱男はそういうアピールするべきではないという規範を持ってるよ

そもそも奢りたいのは男ってことを忘れてる男さん

デート男性が奢るべき? 割り勘にするべき? 1200人にアンケート調査

https://woman.mynavi.jp/article/190924-11/

>一目瞭然。未既婚や年代関係なく、男性は「おごりたい」と思っているし、女性は「割り勘」でいい」と思っている人が多数ということになります

>こうしてみると、「男がおごるべき」規範に縛られているのはむしろ男たちのほうです。

男は「女性には奢るべき」と考えていて自発的に奢っているだけなのに、それを基に女性感謝を求めたり礼儀強要する男、上の記事を100回読み直してくれ。

女性は奢ってくれなんて1mmも思っていませんし、奢れと命令もしてません。男が勝手に奢ってるだけです。もう一度言いますね。

男が勝手に奢ってるだけです。

自身勝手にやったことについて相手から対応を引き出そうとするのは一般には暴力モラハラに相当しますので、男さんたちはご承知おきください。

2024-05-25

なぜ日本FPS流行らなかったか

なぜ日本FPS流行らなかったかといえば、制作されるのがチーム対戦ゲームばかりだったかである

チーム対戦ゲームは「労働」に過ぎないと、以前述べた。

チームで勝つためのセオリー規範確立は、参加者を隷属させ、そこには「労働」が現出した。

普段から臆面もなく雑に働く欧州人にとっては「労働」がレジャーたりえるのであって、

日本人はさような「労働」に無賃休日出勤するほど殊勝ではなかっただけである

かつて唯一の希望があったとすれば、ArenaFPS1on1路線の重大さに気づいていればよかったのである

しかに「デュエル」という個人対戦モードはあった。

しかし、数ある対戦モードの一つ、余興の一つという扱いを辞めるべきで、

覚悟と決意をもって、FPSにおける個人対戦ゲームの道のりを進むべきだった。

個人参加なら「デスマッチ」でも「バトルロイヤル」でも良いというわけではない。

数ある群像の中の一人では、観戦コンテンツとして弱いのである

無論、「チームデスマッチ」だの「キャプチャーフラッグ」だの「サドンデス」だの「ドミネーション」だの「エスコート」だの、

いくら対戦ルールをこねくり回してみたところで、ダメである

それがチーム対戦ゲームの時点で、運命は決まっていた。

デュエル」にしても、遮蔽物ごしの駆け引きという消極的なシーンが多々見られる点はいただけない。

観客にしてもプレイヤーにしても、壁や景色監視し続けるために、わざわざ休日を割いているわけではない。

格闘ゲームのように、対戦プレイヤー位置は常に表示しても構わなかったのだ。

FPSにおいては、位置情報秘匿も駆け引きの内と、信じて疑わなかったところが限界だった。

防御を軸にした格闘の駆け引きと、回避を軸にした銃器駆け引き、題材の根本差異が生み出す限界であった。

マップ上に点在する武器リソースを拾い集めるというArenaFPSのコンセプトは、それに付随するものだ。

そうでもしなければ、有利なポジションで銃を構え続けるだけなのだから

怠惰FPSプレイヤーたちを動かすために、ゲームデザイナーはエサをバラまいて釣らなければならなかった。

だが、その涙ぐましい工夫でさえ、リソース差をつけて、まだ何も拾っていない丸腰に等しい相手蹂躙し続けるという、

観戦に堪えないシーンを産み出し、それがテクニックや力量の証であるという開き直りに至る始末であったが、

もちろん内輪の人間以外に通るわけもなく、順調に衰退コンテンツたる現状に至っているわけである

それでもかつて「デュエル」による競技の試みはあった。

だが、日本世間一般では格闘ゲームesportsプロゲーマー第一号とされているとおり、その試みは歴史の闇に潰えたと見るのが客観的妥当であろう。

その観戦のつまらなさと敷居の高さは内輪志向を加速させ、限界集落と揶揄される衰退コンテンツとなった。

私としては、個人対戦FPSが、プロスポーツのように、生計を立てる手段の一つとして勃興していてほしかった。

野球ダルビッシュ選手は「自分価値がある人間じゃない、1番最初野球ルールを作ってくれた人がいて、そこに自分達が生まれてきて、その才能がたまたまあっただけ」という。

FPS以外になんの取り柄もない私が生計を立てるには、FPSを通じて身を立てるのが自他共に最も幸福だろう。

しかし、そうはならなかった。

私は価値がなく、運もない人間だった。

数少ない上位プレイヤーたちは、内輪の馴れ合いとゲーミングデバイス実演販売業で満足してしまった。

からFPSにきた若者たちも、チーム対戦ゲーム限界気づき、今ではゲーム配信者として、揃いも揃って格ゲーを嗜む有様である

すでに全員、取るモン取って逃げ切り体勢、焼畑農業である

芽は、私が来る前に、とうに枯れていたのである

チーム対戦ゲーム労働である

規範が生まれた時点で、それは労働色を帯びる。

チーム対戦ゲーム攻略・基本が、ひとたび確立されれば、人はそれに従うべきとなる。

規範誕生である

チーム対戦ゲームスラングには「義務〇〇」や「〇〇奴隷」といった表現がある。

〇〇をしないと不利になる、〇〇を使わないとチームに迷惑がかかる、など、消極的に〇〇に取り組む様を皮肉ったものだ。

まさに、労働である

当のゲーマーたちも気づいているのである

普段から臆面もなく雑に働いている欧州人にとっては、チーム対戦ゲームで熱心に規範に従う経験が新鮮で興味深い体験に映るのかもしれないが、

幼少より学校教育を通じて一人前の労働力になるべく躾を受けてきた人間にとって、チーム対戦ゲームは単なる労働しかない。

休日にわざわざ自分から望んで取り組むようなものではないのだ。

LoLCS・Valorant・Apex・Overwatch、これら世界esportsいつまでも日本メジャーになりえないのは、チーム対戦ゲーム労働からである

望みがあるとすれば、野球サッカーのように、労働は有志またはプロに任せ、プレイせずともなんとなく眺めているだけで時間をつぶせるコンテンツであればよい。

しかし、列挙したゲームたちは、その画面の意味合いを知るためにも勉強必要であり、到底ダメである

話を戻すと、社会規範に馴染めず、自由希求し、個人世界に没頭する、といったゲーマー像にとって、チーム対戦ゲームなどそもそも相容れるはずがない。

ゲームという言葉に惑わされて、ミスマッチを起こし、人生を棒に振ることはない。

スト6が流行るのは当然であるし、むしろ、なぜ今まで個人対戦ゲーム格ゲーが見向きもされなかったのかが不思議であるが、

前述したとおり、画面の意味合いを知るためにお勉強必要な有様ではダメであり、その点、スト6は鑑賞に堪えうる設計になっているということだろう。

2024-05-24

感情なくして目的を設定するなんて事はありえないし、方法論の議論ならともかくとして定言的発言に「お気持ち」が伴わないなんて事があり得る訳もないだろうけど、それをやたらと嫌う人ってのは何なのか。

人間共同体に埋め込まれ、その中での他者奉仕のみによって価値を見出すべきであり、そこに疑問を挟む余地などない。

あるいは神かそれに類する存在から賜った義務に沿った行動だけが常に正当な目的であり、これを疑うものは許されない。

いずれにしても個人的自己完結的な快楽など全て紛い物の下劣価値であって、断じて認めねえという「思想が強い」人なのか。

単に事実規範区別がついてないだけなのか。

もっとシンプル性格が悪いのか。その両方なのか。

2024-05-20

anond:20150718002636

自意識過剰なうえにジェンダロールとやらに縛られててうざい

女ならこう みたいな規範に指図されるの本当に嫌だから、お前みたいなやつって害悪

2024-05-19

未だに出産を盾に女性活躍ガーってやってるの笑えるよね

昔より出生率下がって育児しない人間も増えてテクノロジー進歩で楽になり

婚姻自体下がって仕事コミットできる人数が間違いなくに増えてるのに

いつになったら男性を引っ張れるリーダー誕生するわけ?

世界では女性自身が活躍を示すから社会で認められてより男女平等が進むのに

日本の女がサボって社会を引っ張る規範を示せないからこうなってるんじゃん。

鶏と卵でどこにも鶏がいないのが日本じゃん。

虎と翼くらい頑張るパワーも見せないで日本女性能力あるんです!とか言われてもはいはい嘘乙って思われて当然じゃん。

高橋名人の教えは役に立たない

プロゲーマー元祖と言われる高橋名人

さまざまな教訓をゲーマーに示しているが、その教えは現代では通用しなくなってきている。

ゲームは1日1時間」では成功できない

最も有名な高橋名人言葉は「ゲームは1日1時間」だが、eスポーツゲーム実況が全盛のいま、もはや時代遅れとなっている。

専業のプロゲーマーフルタイムゲームをするのが仕事だ。

1日8時間練習が当然のように求められるし、アマチュアの時から常軌を逸した長時間ゲーム自発的にやってきたかプロになれる。

ゲーム実況を生業にする配信者(ストリーマー・VTuber)も同じだ。

ゲーム実況の主戦場であるTwitchでは、2時間以上の長時間配信必須と言っていい。

ずっと配信していないと目に入らず認知度が上がらない。

人気配信者を見てるとわかるが、夜7時からイベントで5時間ゲームした後、二次会で翌朝の7時までゲームするような鉄人だらけだ。

プロゲーマーしろ配信者にしろ成功するには長時間ゲームプレイに耐えられる「ゲーム体力」が大事

ゲームプレー生業にする職業は爆発的に増えたし、それを目指す若者も増えている。

令和は「ゲームは1日10時間」の時代というわけだ。

ゲーマー言葉遣いを綺麗にしてもリターンがない

ゲーマー規範となるように言葉遣いはクリーンにせよと高橋名人は言った。

ゲーマーの間で自然に使われている「人権」や「戦犯」などのスラング、そういう強い言葉の使い方に気をつけろ、と。

その提言に対しネットでは「プロゲーマー高橋名人を見習ってほしい」と称賛されていた。

だが、品行方正にしてもリターン(利益)がない。

結局ゲーム実況で求められるのはオーバーリアクション、仲間内で通じるスラング、強いセンシティブ言葉からだ。

視聴者配信者に求めるのは感情の爆発、豊かな喜怒哀楽で、それらを表現するのに言葉過激化する。

誇張した表現は刺激の強い調味料のようなもので、若い世代が多い配信世界では調味料バドバの実況が好まれる。

「品行方正で言葉遣いが綺麗なゲーム配信」というのは、いわばヘルシーなジャンクフードのようなもの

外野はそれが理想だとほめそやすが、現場の客はそれを口にしない。

補足すると、べつに差別発言面白がられてるわけじゃない。

言葉遣いをクリーンにすることは、差別発言による炎上を防ぐという意味で、マイナスを出さなメリットはある。

だが人気配信者になるには、品行方正であってもダメだということ。

anond:20240519024024

こういう無意味規範に従うような人間が、友だち作りもサークルもマチアプも婚活もやらずに何の努力もせず見事に弱者男性になり、「俺は悪くない!社会が間違ってるんだ!」とか言い出すのだなあ

上川外相発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、

ちゃんと指摘しておかないと日本はどんどんおかしくなる。

生みの苦しみという比喩として昔から成立している表現を、まさしくそのような用法発言しているにもかかわらず、マスコミは一体なんなんだ。

候補当選によって新たな知事誕生させたいとの思いがあったとみられるが、出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘が出る可能性がある。

一連の報道で、とても気になったのは「XXへのへの配慮に欠けるとの指摘が出る可能性」という表現

こうして、「出産を願ってもできない人」というグループ示唆することで、それらが何かしら傷つきやすメンタルを持っているという、配慮を要する人々としてイメージを固定してゆくのがとても気になる。これは発言曲解よりも根が深い。(補記:なかなか伝わりにくいかもしれないが、以下で提起している問題は、<ある表現いか配慮に欠けるか欠けないか>ではなく、<ある表現配慮に欠ける>というふわっとした規範的な圧力が、社会的包摂性とか社会経済的脆弱性分析を置き去りにして、主に政治的に利用されることの問題点だ)

実際には、出産を願ってもできない人々というのは多様だ。みんないろんな事情があるんだよ。

単に適齢期を過ぎているだけとか、仕事と両立したいなどの理由で機会を逸している、とか、あるいはそもそもパートナー出会えないなど、

要するに、ないものねだりをしている場合だってある。経済的問題で躓いているひともいるはずだ。

じゃあ、逆に「出産を願ってもできない人」というカテゴリーにはそういう社会経済的弱者は入りませんよ、というのかね?

体や心の障害に起因して、ある意味病理的な意味で、出産ができない人を指すのだと定義したりしてしまう?

そうすると、今度はむしろ、健常ならできるはずのことができない人々は悔しいと思っているに違いない、かわいそうだから、産むとかそんな言葉に触れさせないよう配慮必要っていう、潜在意識ますます透けてくる。

でも心身の問題出産できないというのを、自分はいかんとしもしがたい宿命的なものして捉えた場合

それって社会経済的理由出産できない場合と実際のところ、地続きだと思える。

例えば、親の介護など家庭の事情で適齢期を逃した人がいたとするよね。それってその人にとっては、自分意思で選んだわけではなく、自分にはどうにもできなかった、そういう運命だったという意味では、病理的に出産できないという宿命とさほど変わらないようにも思うんだよね。

出産を願ってもできない人」

産みの苦しみとかい表現を嫌がるような、そういう配慮を要するグループがあたか存在するかのように、それを空気のように記事するマスコミのほうが怖い。

そういうの、すごく傲慢上から目線だと思わないのかね。

障害者や病人ができなそうなことを比喩的にでも表現するのは彼らを傷つける行為だとする空気をまん延させることは、「そういうカテゴリーの人たちを可哀そうだと思うべきだ」とする社会規範空気として押し付けてくることだ。

そこでは、知らず知らずに、どこまでが可哀そうなグループで、どこまでが身から出たさびとみなすグループなのかの選別が空気として形成される。

実際には、よくよく考えると、どこからどこまでが配慮を要する、などと到底割り切れるものではない。誰かを傷つけるかもしれない、と配慮することはそのイメージから漏れた人を知らず知らずに排除することでもある。その意味で、病理的な意味出産ができない人に限定して、「出産を願ってもできない人」というイメージを作り上げるなら、それは差別的ですらある。その場の雰囲気で、発言文脈をよく考えずに配慮を求めることで、逆に、特定グループを過度に保護し、そのグループ弱者として固定化する結果を招きかねない。

抽選結果で「落選」はやめます 都立中高説明会、表現めぐる指摘受け:朝日新聞デジタル

これなんかも、「受験生」の感受性因子(susceptibility)を過剰に捉えていて、おかしなことになっている。


出産を願ってもできない人」なんていうふわっとしたイメージは、そもそもそんなに必要かね?



とりわけ政治家発言については、言論多様性重要だ。

言論空間を浄化して、きれいな発言だけをすればいいというものではない。

浄化できるというのも幻想しかなく、「女性なら生むべきだ」という固定観念を打破し社会的包摂性に配慮したつもりでいて、内実は単にステロタイプな別の固定観念形成され、それが政治利用されることもある、ということも頭に入れておく必要があるだろう。

政治家発言に過度な配慮が求められると、知らず知らずに本来意図文脈が歪められる恐れがある。

特に選挙に絡んだ発言については、妙な世論誘導に使われかねない。

自由表現が妨げられることで、社会全体の健全議論が損なわれることになる、ということの不利益ちゃんマスメディア理解しておくべきだ。

2024-05-16

anond:20240516081105

バカあなたです

いいですか、ナチズムファシズムは正しいんです

本来世界中規範になるべきものだったのです

ところが、人権だの虐殺反対だの抜かすバカどもが出張った結果がこれなんですよ

anond:20240515130736

そうか。サイゼリア増田よ、あんたはこういう、「サイゼデート学生だけで大人になったら気合を入れてロマンチックな」みたいな恋愛テンプレコード否定するんだな。

そんな血の通わない規範より、目の前の相手真剣になれと。

2人で過ごす時間を全力で大切にして、自分を試させて相手を試すことさえも、躊躇するなと、それが主張か。

2024-05-15

anond:20240515163752

自分に男らしさを課す人は、彼女にも女らしさを要求すると思う。

恋人を見下さず自分と同格の人間とみなすなら、なおのこと。

その意味で男らしい人は敬遠される。

性別規範に加担した負い目を誰も背負いたくないし。

anond:20240515013434

いや恋愛規範への反抗なら政治よりか、まさにKuTooのような活動が近いか

2024-05-14

anond:20240514140151

あなたは正しいと思う、特にこの部分に同意する。

妊娠の恐怖を背負うのは女だし性欲の解消も男にもたらされるメリットだしこっちは男のために化粧も服も金をかけないといけないのに男はそれほど金をかけずに済むしそれでいて平均賃金は女のほうが低いし甲斐性なしの男が増えてご飯を奢るのすら渋る有り様だし今の世の中男女で恋愛する価値なんてないと思う

普通恋愛は女が損するばかりで何にもメリットがない、と、よく言い切ってくれた。

多分、本当に腐っているのは「普通恋愛」とかいジェンダー規範同調圧力で維持してきた社会なんだと思う。

腐女子活動は、そんな理不尽な生き苦しさへのレジスタンス活動なんだ。

それはフェミニズム問題意識のもの

2024-05-13

リベラル正義

リベラルは全てにおいて優先される

リベラル道徳なので、リベラル人権倫理侵害しているように見えても道徳規範たるリベラルがやればなにもおかしくはない

というよりも人権倫理なんて不要リベラルこそが正しいのだからそんな甘っちょろいモノは廃止され無視されるべき

全てはリベラルの名のもとに

2024-05-12

疲れやすさ、憂うつになりやすさの理由

自分生活ルールを決めたりそれに従うことが楽しいと感じるが、継続が極端に出来ない・やりたいことなりたいものコロコロ変わるという性質のせいでその規範崩壊やすく、さら完璧主義という性質が重なることで現実理想乖離によってストレスが重なり精神身体面に異常が生じやす

さらに、自分で作ったルールに縛られやすく融通が効かなくなるのでそのルールでは解決できない問題に遭遇した際に莫大な脳のリソース必要になる

2024-05-11

ホモソーシャル」って何で流行らないの??

男女対立弱者男性淫夢流行ってる理由、お兄ちゃんおしまい!の性転換の動機とか全部男性的な規範が要因じゃん ホモソーシャルこそネット流行語大賞を獲得するぐらい流行るべき

2024-05-09

暗黙の短歌テーゼ

最近短歌に関する増田記事とそれへの反応で気がついたのは、多くの人は歌人が共有する短歌に関する暗黙の考え方を知らないということだ。

短歌詠みの間には短歌に関する決まりごとや規範が暗黙のうちに共有されており、それを念頭に置いて歌を詠んだり、鑑賞したりする。私はこれを「短歌テーゼ」と勝手に呼んでいる。

あらかじめ言っておくと、このテーゼは必ず守らなくてはならないルールではない。むしろ現代短歌どうやってテーゼに沿わずして魅力のある短歌を生み出すか試行錯誤している節がある。

だが、どんな流派であっても優れた歌人はこのテーゼ意識し、従うか対抗するかのスタンスを明確にして歌を詠んでいる。そして、そのスタンスがある程度共通している歌人同士が同じ結社の中で作歌や鑑賞をすることで歌風確立させて行くのである

であるから、反例となる名歌はいくらでも挙げられるであろうが、反例があることはテーゼ存在しないことを意味しない。

以下、私はこれが短歌テーゼだと思うものを挙げてみる。これらは私が歌会での経験短歌関連の書物を通じて知ったことをベースにした持論であり、歌壇において認められた学説などではないということは断っておく。これらが短歌テーゼ網羅したものとも考えていない。もしこれも短歌テーゼなのではないかと思うものがあれば、教えてほしい。

また、この記事を書くにあたって各テーゼに従っている歌と、対抗する歌(=アンチ・テーゼ)を例示しようとしたが的確な歌を全部に配置できないので諦めた。こうした歌の事例もぜひ提案してもらえると嬉しい。(この記事果たしてまれるのか?という疑念はあるのだが……)

ちなみにこれから挙げるテーゼに対して確信犯的にすべて逸脱しているのが穂村弘である穂村弘歌人の中でも一般的知名度が高く、フォロワーも多いのだが、実のところ短歌テーゼ的には極めて特異な位置付けにある存在だ。ただし、それは戦後短歌運動の流れを意識的に継承した、れっきとした文学的試みである

1. 短歌は、<うた>である

短歌本来は歌であり、5・7・5・7・7の韻律を守り、音読したときに美しい調べとなるよう詠むことを求める。句割りや句またがりを多用したり、日本語として音読が困難な言葉を入れてはならない。

2. 短歌は、現実描写するべきである

歌会などで短歌の詠み合いなどをすると、時々「この歌は"作ってる"ね」と評されることがある。短歌描写リアリティが無かったり、やけにドラマティックであるなど、現実には起こったことでない内容である判断された時にこう言われる。このテーゼにおいては、どれだけ平凡ではあっても日常に実際に起こったことの方がドラマティックな虚構よりも価値があるのである

3. 短歌は、作るものでなく生まれものである

"作る"という先ほどの言葉の中には、作為的言葉を操り、上手く作ろうとする気持ちを戒めるニュアンスも含まれている。日々優れた短歌を鑑賞し、心のうちに誦じて日常を過ごす中で、するっと生まれてくるものを精製するのが本来短歌なのである。こうした体験なしに、ただ物珍しい言葉をいたずらに組み合わせて面白がられる歌を作ろうとする姿勢は望ましくない。

4. 短歌は、身体性を伴うべし

短歌日常生活に即した芸術である。その生活感覚は、身体から得られるものであって、生活に根ざしていない社会政治的話題や、テレビで見たことなど身体を伴わない経験を取り上げるのは望ましくない。

5. 短歌は、風景と実感の呼応関係である

短歌は、風景描写と心情の表現がセットとなるように構成すべきである風景はただの現実ではなく、それに対峙する詠み手の心情を象徴するものとして描写されなければならない。

6. 短歌には、情念を込めるべきである

ただものごとを説明するだけの短歌はただごとうたであり、本来短歌ではない。短歌には詠み手情念表現されなければならない。

7. 短歌は、日本の伝統文化である

短歌日本語を支える伝統文化である王朝時代以来の和歌歴史を学び、古典の優れた歌に触れながら、そのような伝統に連なることを意識して歌を詠むべきである和歌過去の名歌を鑑賞し、日本文化象徴するような風流事物を題材として歌を詠め。




追記:

ちなみに私自身は1・4・5・6に賛同し、2・3はややや否定的であり、7は積極的否定するスタンスである。7とどう決別するかは、戦後短歌の大きな課題でもあったという認識である

anond:20240509213325

そんな殺人犯のくせにはてなーがーとかいって規範をたれている、というのが笑えるところ

2024-05-08

anond:20240508102039

それは雁屋哲タバコ嫌いやっただけやで

酒飲みやから酒に関する描写は甘々やろ

美味しんぼにおける常識規範は全てが雁屋哲個人的好みで描かれてるやで

anond:20240508024549

AIの台頭に関する批判的な言説や懸念は、多くの場合技術進歩がもたらす影響についての重要議論を提起しています。確かにデジタルコンテンツ創造におけるガイドライン無視や、不適切コンテンツの生成は問題となり得ます特に未成年者を描いたコンテンツに関しては、法的および倫理的基準を遵守することが重要です。

SNSオンラインコミュニティにおけるコンテンツ流通は、しばしばそのプラットフォーム規範文化に影響されますが、それには責任ある行動が求められます発言力のある人々が品行方であることは、コミュニティにとって良い影響を与える可能性があります

AIデジタル技術進歩に伴い、これらの問題に対する意識を高め、適切なガイドラインを設け、守ることが、健全デジタル環境を維持するために不可欠です。また、技術利用者として、私たちはそれを使う際に倫理的判断を行う責任があります

2024-05-07

anond:20240506163009

宗教を良い悪いの問題で語れると思ってる時点でお前らみんなバカで黙った方が良い。

ちゃん歴史社会を学んでれば、宗教は「社会規範を作る」ことそのもの意味があるとわかる。

規範となる様式を「良い」とか「悪い」と評価する以前に、そもそも規範を作って守らせること」自体宗教がなければ難しいという想像力がない奴は常識がない。

 

歴史を学べばわかる話だが、宗教がなければそもそも0から国は作れない。国家から宗教色が薄れるのは国自体が長い年月を経て既成事実化した結果だ。

宗教が「戒律」を持つというのはそういうこと。規範を作ってコミュニティを均一化すること自体宗教機能なんだ。

それくらいわかれ。

2024-05-06

延滞した本を返却口から返すやつとは仲良くなれない(二十代)

まだ図書館開いてるのにシレッと返却口に入れて、注意されないまま逃げようとするその精神。人として幻滅する。

延滞したら必ず受付まで持って行き直接渡す。司書の人にはイヤな顔の一つもされるがしょうがない、自分のやったことなんだから自分のやったことに対する責任(と言うのも大げさだけど)くらい取れるようになっとくべきでは?

当人は上手くやりおおせたぐらいに思ってるのだろう。用意されたシステム合理的に用いて、自らの要求を満たし、誰にも迷惑をかけていない。どこに咎められる余地があるのか?

システムが許せば全ては許されると思ったが最後、人は堕ちるところまで堕ちる。そこにあるのはあくま選択肢に過ぎない。それらから何を掴むか、それに色濃く人間性が表れる。正解はない。しか不正解はある(と思う)。

「人としての規範」みたいなものがあまり語られなくなったのは残念だ。誰もが「利己」と「手段しか謳っていない気がする。だからそんなことをするのに疑問も持たなくなるのではないか?人が人を見るときAIでも動物でもなく「人」を見るとき、やはりその精神性は外せない問題になってくると思う。

さなことだが、でもやっぱり「人」にとっては大きな問題だと思う。ふと目にした知人の行動を思いながら。

2024-05-05

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ciao.shogakukan.co.jp/comics/title/00577/episode/22025

wuzuki やぶうち先生から好きだしこれも面白いけど、女体化と同時にロングヘアになるのはジェンダー規範として違和感漫画記号としてわかりやすいのは理解できるけど。少女漫画女子同士の胸揉みシーンあるのもなぁ。

自分価値観アプデしてますアピールはいはいえらいえらい

そうやって他人をどんどん特定価値観に縛り付けていってくださいね

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