はてなキーワード: 後追い自殺とは
9月10日~9月16日まで自殺予防週間だそう。
http://www.sankei.com/column/news/170910/clm1709100002-n1.html
個人の意見はある程度無視され、医者の意見の方が正しいということを押し付けてくる
医者の言うことを聞かないと、何もできないと投げやりにする
自分で治してくださいと嫌味のように言われる
一人にさく時間がないのが現状だと思う。
薬の服用をせずに、考え方をどのように持っていけばよいかアドバイスを受けたいと言っていたにもかかわらず、そのアドバイスが具体的ではない。
相手の状況をいち早く察知する能力がなければ、患者がきちんと助けを求めなければ動かない。
薬を出すのが当たり前になっていると傾聴の力が養われない。そして、医者の口からはっきりとここは話をしに来る場所ではありませんとはっきりと伝えられた。
トラウマで苦しみます。(何も感じないような薬を処方しましょう)
根本的な、問題解決にはなっていないのが今の医療現場の現実だと思う。
自殺は「孤立の病」だとされているようだけど、薬を服用しないと治療はできません、入院はできませんと言われると、孤立を選ぶことになる。
今は孤立しているように感じる。
誰もかもが責任をとりたくないように、医療行為ではないことはできないという。
ただ話を聞いてくれるだけでも、気持ちが楽になることもある。
また励みになったりもする。
個人に合わせて、本当にできないのだろうか?
人の命がそれで左右されるかもしれないのに、投げやりにして孤立させることはどうなのだろうか?
訪問看護も、医者と訪問看護同士で決められ、あらかじめ患者には連絡はなかった。
対人恐怖があると言っていたにもかかわらず、話し相手になる「友達を作ってください」と言われたのは驚く。
医者の投げやり発言で、道路に飛び込もうとふらふらとトボトボと歩いていた。
数メートル前でふと空を見上げると、光が出てきた。
そして、この日記を書いている途中に家族が亡くなった知らせを聞くこととなる。
後追い自殺が頭をよぎる。
なぜか、この世に取り残された感がとても強い。
自殺は社会問題だ、一人を見守る人がどれだけいるかで、その人が助かることもあると思う。
医者だけが治すだけではないのに、そうではない人が話を聞いたりアドバイスをしたりすることは医療行為ではないということで、
何か起きたときに、責任問題が生じる可能性があるので安易にそれができない現状があるということだろう。
そうであっても、その人を孤立させないことが第一に考えるべきだ。
自殺が孤立の病といっているにもかかわらず、助けを求められないくらい本人が落ち込んでいるときは寄り添う人がいるだけでも、助かる命はあると思う。
助けたつもりでいるのではないか?治療しているつもりでいるのではないか?
患者の気持ちに寄り添えない余裕がない人が医療現場に多すぎるように感じるのは、私だけ?
患者の数が多すぎる、そして医者が少なすぎる現状が、そうさせているのかな。
一人のバックアップは、たくさんあった方がいい。
助けを、求めよう
声を、あげよう
聞いてもらえなくても、声をあげよう
助けてもらえなくても、助けを求めよう
助けを求めることを、恥ずかしいことだと思わないで
病気であっても、なんでもなくても
みんな同じ人間なんだ
助けを求めること、逃げることは、情けないことではない
命を守るためだ
なんてことないという日が必ず来る
悪い時はずっと続かない
人生には波がある
波がない人生はない
それを忘れないで
お前らの正義感というオナニーによってあのヘイト作家はぐんぐん力をつけていったわけだよ
ちょっと前の猿の赤ちゃんの名前がイギリス王妃の名前と同じシャーロットだとかで炎上したときにも思ったけど
正義ポルノでしかないから具体的な解決なんてできてないなと思う
いやまぁシャーロットちゃんの場合は、イギリス王室の冷静な対応と結果的に動物園への客の増加で、めでたしめでたしだったがね
正義ポルノの奴らの何が問題かって、今回の場合で言うなら難民に対しては興味がない連中ってことだよ
難民に興味がないけど、難民(弱者)つかった正義ポルノには興味がある
難民救済活動の一つもせずにツイッターやはてなでポスター作家をたたくだけの連中が
安倍政権に関する多くの問題もそうだけど叩くことでマウント取れて気持ち良くなってるだけだから
気にしなきゃ問題ないわけだよね
まぁそれでお前ら正義ポルノイナゴ連中はまた叩けるんだからwin-winでいいのかもしれないけどな
後追い自殺が増えるから自殺報道を控えるべきみたいなのと同様に
いい加減この手の正義ポルノイナゴをどうするかも考えるべきだなと思う
ポスター自体を宣伝したのも、本を出版させたのも、あの店に売ってますって宣伝してるのも
そんなたかがな問題を大きく膨らませてビジネスができるくらいまで成長させたのはお前らなんだよ
そのくせ難民には興味ないんだよな
金のひとつでも寄付したのか?難民問題への関心が高いみたいですけどちょっとは寄付したんですか?
ワイドショー見てるみたいだよ
わざわざ首突っ込んで問題大きくして
売国売国いいながら南京虐殺やオリンピックの問題を拡散させたりした右翼がむしろ売国じゃないのか的なものと同様に
まぁ右翼の正義ポルノは国だからまだいいけど、今回の正義ポルノの場合は一番の被害者はあの子供だからな
かわいそうだかわいそうだいいながら傷に塩擦り付ける
言動と行動が一致してないんだよね
BBCもけしからん報道で拡散しててBBCってくそだなって思ったけど
まぁBBCだけじゃなくNHKも朝日なんかもも正義ポルノが得意なところだよなとは思うから今更だろうけど、文化人界隈そしてはてなついったー連中は本当にこの手の潔癖正義が多い
潔癖なやつらのためのビジネスとしてBBCやNHK朝日なんかがあるんだろうな
シミを消そう消そうって
それでにじんでシミがむしろ大きくなる
いい加減学習したら?
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ブコメに返信
hobbling
イジメはいじめられる奴が悪い、反撃したらイジメが酷くなるから黙っていじめられてろ。ということですね
いじめを解決できる能力がない者がしゃしゃって結果いじめを助長させてるって話ですけど?
実際あれで何か解決したの?問題が拡大するだけでしたよね。公共の機関なりWEBサービス会社が対応すればいいことを私刑でしゃしゃるから拡大するんだよ
つかさ君の言い分右翼のそれw
イラク戦争を正義だなんだいって参加して虐殺したのと何が違うのかね。
けっか虐殺したんだから謝罪しなさいよって話じゃん。正義だなんだの気の持ちようって重要なんですかねぇ
(アメリカの戦争参加は結果どうなったかは詳しくないけどね。実際一時的に平和になったとも聞くけど、まぁどっちにしろアメリカですら問題でるんだから、アメリカみたいな能力もない奴がしゃしゃるなよって話)
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ブクマがたまったからさらに返信と言いたいがあきれるくらいに幼稚だね
起こったことに対してどうするの?なにもできてないよねということに対するレスがまるでされてない
しかたがなかったでかたずけようという、あきれるくらいに無責任なクズたちだよなお前らって
自分たちに甘すぎなんだよ
あとな、見逃すと大きくなるじゃねーよ
お前らが大きくしたんだけど?って話
その現実とどう向き合ってるんですか?って話
相手のほうが悪いんだから俺らは悪くないという米国型無能丸出しの言い訳ばっか
原爆投下も正しいってことになるだろうね
ベトナム戦争もただしいよね
イラク戦争もただしいよね
結局自分たちのポルノみつけて気持ち良くなってるだけってことが否定できてないしな
あるいみ反論できてない時点で図星だったんだろうな
始めに、この文章は「元少年A」や『絶歌』に対する世間の大多数と反応と「真逆の主張」であることを先に示しておく。
馬鹿じゃねえの。
この中川淳一郎っていう奴の『絶歌』の書評( http://biz-journal.jp/2015/06/post_10431.html )を読んで、正直こう思った。
ハッキリ言うけど、お前に元少年Aや太田出版を外道だなんて糾弾する資格なんてないだろ。正義ぶって身勝手な書評を書く前に、我が身を反省してみたらどうなんだ。
おそらく、中川淳一郎はこう思ってるんだろうな。
「元少年A」は叩かれて当然の「極悪人」で、それを一刀両断している中川淳一郎は「正義の告発者」だからな。
世間の感情と同調している中川淳一郎はきっと、どれだけ「元少年A」を扱き下ろしても大丈夫だと、そう思っているんだろう。
フザけんな。
非難してやる。ネット上の他の全員がお前の書評を褒めちぎっても、俺だけは非難してやる。
元少年Aを「外道」だと罵るお前の方がよっぽど「外道」だと、この場で主張してやる。
俺が最も中川淳一郎の書評で怒りが沸いた部分は、元少年Aが「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問いに対して答えた箇所に、コイツが吐いた感想だ。
一応、元少年Aの言葉を引用しておく。前述の問いに対して、元少年Aはこう答えた。
(引用)
『「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」』(註:原文では「あなた自身が」の部分に傍点あり)
で、これについて、中川淳一郎はこんな風に言っている。
(引用)
あぁ、何もわかっていない……。どうしてこうも自分本位なのか。「あなた自身が苦しむから殺人はいけない」と言い、まるで自分が悲劇の主人公かのように「重い十字架」というエセ文学的表現を使う。人を殺してはいけない理由は、これである。
「誰もが他人の人権を蹂躙することはできないから」 「殺された人に近しい人が悲しむから」
酒鬼薔薇は被害者とその遺族よりも、自分自身(加害者)の側の論理でいまだに語っている。そしてこれがやっと見つけた唯一の答えとは、非常識かつ幼稚もはなはだしい。
ハッキリ言って、頭にきた。
何も分かってないのはお前の方だろう?
人の「本気の思い」をこんな風に平然と踏みにじる、お前の方がよっぽど外道だ。
確かに、元少年Aの答えは自分本位だよ。凶悪な殺人を犯したくせに、いまだに自意識の中でしかその理由を語れてない非常識で幼稚な答えかもしれない。
だけどな、ここにあるのは『本気の思い』だよ。事件の後の全人生を通じて、元少年Aが自分の頭で考えて言葉にした「人殺しをしてはいけない」ことへの『本気の思い』だ。
どれだけ自分本位で幼稚でも、本人があの事件を起こした後に見つけてきた『自分の答え』だ。
それを、お前は踏みにじった。
「あぁ、何も分かってない・・・・・・。」なんて、さも悲哀ぶった言い方で、お前は元少年Aの言葉から耳を塞いで、「自分の意見」で踏みにじったんだ。
「人殺しをしてはいけない」ことに、お前の考えや正義があるのは分かったよ。客観的に見れば、お前の考えの方に正当性があるんだろう。
でも、だからって踏みにじって良いわけじゃないだろ?
他人が自分の全人生をかけてたどり着いた『本気の答え』を、そんな風に無価値だと切り捨てて良い理由にはならないだろ? お前にとっては「何も分かってない」ような幼稚な意見でも、それが元少年Aにとっては「やっと見つけた正しさ」なんだぞ。
まあ、元少年Aの「答え」なんて、他人から見たらボロ布くらいの意味しかないのは分かってるよ。
ネット上の大多数、「元少年Aや『絶歌』に対する怒りを燃やす人々」はそれでもいいよ。
だけど、中川淳一郎。お前は違う。
お前は、婚約者を亡くしているんだろう?
正直、俺には信じられない。婚約者を鬱病の末の自殺で亡くしているにもかかわらず、あんな身勝手な書評を書くだなんて。
一応、読んでない人のために書く。
中川淳一郎の書評には、その昔、当時の婚約者が自殺で亡くなった件について書かれている。
そして、その際に本人が参考にしたのが『完全自殺マニュアル』・・・・・・『絶歌』の担当編集である落合美砂が、93年に世に送り出したベストセラーとのことだ。
これだけ書くと、まるで中川淳一郎が「『完全自殺マニュアル』のせいで婚約者が自殺した!」って主張してるみたいに誤解しそうだけど、そこまでは思っていないらしい。
ただ、その本が自殺した婚約者の本棚の中にあって、そこに書かれた「最も推奨されている方法」で自殺したという、それだけらしい。
中川淳一郎は言っている。「彼女が死んだのは鬱病のせいである。それは間違いない」と。
これは完全に憶測になるけれど、鬱病みたいな「心の病気」の最たる原因は「孤独」だ。
自分の抱えている問題を誰にも打ち明けられない、誰とも共有できない、そういう風に「一人でどうにかしなきゃ」という状況に追い込まれたときにこそ、「鬱病」みたいな精神病に人は陥る。
もちろん、実際にその婚約者が「孤独」だったかどうかは憶測の域を出ないけれども、誰にも相談できなかったことは間違いないだろう。
そうでなきゃ、『完全自殺マニュアル』なんて買うわけはないからな。
当たり前だけど、この本は自殺の「方法」を書いているだけであって、自殺を「推奨」しているわけではない。中川淳一郎も引用していたけれど、太田出版の紹介文ではこうなっている。
(引用)
「世紀末を生きる僕たちが最後に頼れるのは、生命保険会社でも、破綻している年金制度でもない。その気になればいつでも死ねるという安心感だ! 自殺の方法を克明に記し、さまざまな議論を呼んだ、聖書より役に立つ、言葉による自殺装置。」
この文章で注目すべき点は、二つ。
一つ目は、「世紀末を生きる僕たちが最後に頼れるのは」という部分。この箇所から、この本は「生きる僕ら」が「頼れる」ものを示したものであることが窺える。
二つ目は、「その気になればいつでも死ねるという安心感」という部分。この箇所から、あくまでこの本は「安心感」を提供するためのものであることが窺える。
以上の点から、この『完全自殺マニュアル』はあくまで「生きるための本」であることが分かる。具体的には「自殺という『逃げ道』を示したから、後は安心して生きればいい」という本だということだ。
イメージが掴みにくい人は、『完全自殺マニュアル』を「精神科医」に喩えてみてほしい。「『いつでも安心して、私を訪ねてきて下さい』そう患者に言ったら、二度と患者は訪ねてこなかった」一度くらいこういう話を聞いたことはあるだろう。要するに、「いつでも訪ねられる」という「安心感」が重要なのであって、実際にその選択肢を取るかはさほど重要ではというないのだ。その「安心感」を提供されただけで、患者の心の問題は半分くらい解決しているらしい。
おそらく、『完全自殺マニュアル』も、そういう「安心感」を提供することが目的の書籍なのだろう。事実、前書きや後書きの部分には「いざとなれば自殺してしまってもいいと思えば、苦しい日常も気楽に生きていける」旨が書かれているようだ(https://ja.wikipedia.org/wiki/完全自殺マニュアル)。
というわけで、この『完全自殺マニュアル』はそういう、精神科医的な「安心感」を提供する本だ。
そんなものが本棚にあったということは、そんな「安心感」に頼らなくてはならないほど、その婚約者は精神的に追い詰められていたのだろう。
普通ならば、『完全自殺マニュアル』は買って読まれた時点でその役割を全うする。
「いつでも死ねるという安心感」さえ提供してしまえば、いつでも精神科医に相談できる患者のように、「生きる日常」に帰って行けるからだ。
『完全自殺マニュアル』に書かれている方法を実行して、本当にこの世から「逃げ」てしまったからだ。
その婚約者がいつ亡くなったかは分からないが、おそらく『完全自殺マニュアル』を読んですぐというわけじゃないだろう。
一度読んで、一度「日常」に帰って、そこで何かしらアクションがあったのだと思う。
そして、そこで「上手く行かなかった」からこそ、まるで精神科医に再び相談しに行く患者のように、その婚約者は『完全自殺マニュアル』に頼ってしまったはずだ。
そして『完全自殺マニュアル』に頼ったことからも明らかなように、その婚約者も「誰にも相談できない」状況に陥っていたはずだ。
それが行き着くところまで行き着いて、自殺だ。
何が言いたいかっていうと、その婚約者の死因は「周囲の無理解」だということだ。
中川淳一郎本人が語っている、「(自殺の)予兆に気づけなかった」という話が象徴的だろう。「婚約者」という最も近しい立場の人間ですら、本人の抱えている「問題」に気がつけなかった。
婚約者の男が居てもこの世を去らなくちゃいけないほど、自殺したその女性は「分かられていなかった」のだろう。
以上のことから、俺が言いたいのはこうだ。
「他人の言葉に耳を塞ぐ」ってのは、こんな風に人を鬱病になるまで追い込んで自殺させることもあるってことだ。
それを中川淳一郎は、「予兆」に気がつけず婚約者を自殺させてしまったお前は、知ってるはずじゃないのか?
にもかかわらず、中川淳一郎はよくも平然とあんな風に「人の思い」を踏みにじれるものだ。
自分の婚約者を殺したかも知れない「人の話に耳を貸さない」ことを、あんな風に実行できるものだ。
元少年Aの「問いへの答え」へ呟いた感想もそうだし、『完全自殺マニュアル』の「大義名分」を語ったこともそうだ。
確かこんな風に勝手に決めつけてたな。
(引用)
「自殺する自由はある」 「苦しい時の選択肢として、自殺もあっていいのでは」 「命の大切さを伝えたい」
こういった大義名分は『完全自殺マニュアル』発刊にあたってはあったのだろう。
きちんと紹介文を読めば、この発言が的外れであることが第三者にも明らかだろう。
『完全自殺マニュアル』は、「生きるための安心感」を提供する本なんだよ。本当は自殺のためじゃない。
婚約者が亡くなった後、「本当に後追い自殺をするつもりになり、彼女が愛読した『完全自殺マニュアル』を再度読んだ」ときに目にした前書きと後書きに、ちゃんと書いてあったはずだろうが。
そういう態度にこそ自分の婚約者が殺されたかも知れないことに、どうして気がつかない?
元少年Aは外道だと、いまだに悲劇の主人公ぶる幼稚な男だと、中川淳一郎はそう言った。
だけど、ハッキリ言うぞ。
元少年Aの「なぜ人殺しはいけないか」っていう問いへの答えを、お前は「自分本位」だとか「非常識」だとか「幼稚」だとか非難するけどな、お前の書評だって全く同じだ。
『完全自殺マニュアル』や落合美砂への「自分本位」の勝手な決めつけ、記念パーティでの「非常識」で「幼稚」な不謹慎発言。これらは元少年Aの態度と何が違う?
「酒鬼薔薇は被害者とその遺族よりも、自分自身(加害者)の側の論理でいまだに語っている。」ってお前は非難するけどな、だったら自分はどうなんだ?
自分が婚約者の自殺の予兆に気がつけなかったのを棚に上げて、『完全自殺マニュアル』や落合美砂という「外的要因に」文句をつけるしかないお前の態度はどうなんだ?
「『完全自殺マニュアル』を参考に恋人に自殺された、可哀想な自分」を気取っているお前は、「いまだに『罪の十字架』に苦しんでいる、可哀想な自分」を演出している元少年Aと何が違う?
「悲劇の主人公ぶっている」のはむしろ、今のお前の方じゃないのか。
他人の言葉に一切耳を貸さない、身勝手な「自分本位さ」にまみれているお前の書評は、いまだに被害者遺族の心情に寄り添うことのできない元少年Aの「自分本位さ」と良い勝負だ。
ハッキリ言っておく。
中川淳一郎。そして、元少年Aや『絶歌』を叩きまくっているネット上の大多数の諸君。
お前らがやろうとしていることは、れっきとした人殺しだ。
『絶歌』という本人の言葉を封殺して、元少年Aの人格を否定して悦に浸るその行為は、間違いなく「一人の人間」を社会から抹殺しようとしている殺人行為だ。
かつて、どこかの誰かの婚約者を自殺に追いやった「他者への無理解」を、今度はお前たちがやってるんだ。
かつて、どこかの十四歳が、か弱い十一歳の少年を殺したようなことを、今度はお前たちがやってるんだ。
元少年Aのことをお前らは「殺人犯」だって言って罵るけどな、今ではお前らの方がよっぽど「元少年A」に見えるよ。
正直な話、『絶歌』なんていう「ポエム」を出版「しなくちゃいけない」くらい元少年Aを追い詰めたのは、俺たち社会の方だと思う。
本当にこの書籍の出版を憎んでるなら、こんなものを出さなくて大丈夫なくらい元少年Aを社会の方が受け入れてやれ。
これが、俺の精一杯だ。
ぱっと見なんだけどスカトロとか自意識で規制基準を設定したり抑制できたりするもので不可欠でないものと、
法律などでまぬがれぬ抑制からストレスに苛まれるものとわけてるようにみえた。
自分でなんともできない外的要因などによる抑圧にさらされるストレスの原因となるものは疾患とみなすような雰囲気かな。
その疾患によって発露する問題や障害の具体的な損失は、キレる癇による第三者などへの問題行動とかストレスによる身体異常とかになって
それを予防するためなどの対策を考えてみるべきとかそういう感じ?
そこで不思議におもったんだけど、自分でどうしようもない外的要因って法律とか世間体とかだけじゃないもあるよね?
たとえば親友だとおもってたに裏切られたとか、姑にカレーを捨てられたとか、好きなアイドルの後追い自殺とか、小さなブラックホールができるかもってニュースに絶望するとかみたいな。
法律とか生きていく上で生死に関わる判断に大きく関わる抑制って、個人での大小が大きくない?
◯◯できたら死んでもいい、◯◯でなければ殺す、みたいなのってどこで発生するかわかんないよね。
ある程度予知できる範囲を危険として分けるのもいいけどさ、結婚生活何十年目かで同性愛だったことを告白して離婚するとかって例もないわけじゃないじゃない?
スカトロ好きで三度の飯ほど大好きな人がいたとして、その人の嗜好に沿う発言をしたつもりがTPOで逆鱗に触れ事件を起こしたとしたら、何からどこを問題性として司法や関係者、環境への対策に取り上げるべきかわからないよね。
そのまったく逆で、一般人だとおもっていた人間が嗜好に傾倒し、その結果それに関係する行為から事件をおこしたとしたら、嗜好は感染性の精神疾患であるとかいう見解も示してくる人がでてくるかもしれない。
すると存在するだけで悪みたいな見方をする人もでてくるかもしないし、嗜好は同意のある人間だけが集まる空間で消費されるべきものとかが理想とされるかもしれない。
ファンの女の子とデートしちゃったら未成年だったロリコンだロリコンは病気だ治療しなきゃ、じゃあ治療の結果はどう発露するんだろうかといえばそんなものはない、一生保護観察イコール一生ロリコン治療中、とかありえるかも。
みたいな感じで、個人のリミットを広い義にあてはめると、今度は広義が個人に分けて定義されなきゃいけなくなるようなパラドクスを含んでいるようなきがするんだけど。
別段、こいつは悪いとおもった事に石をなげつけろ!とか提案してみたり、こういう部類はこう分けることができると判断してみたりするのはいいとおもうんだ。
そう思考することで仮想の庭にあるべきものと、破綻・矛盾しているところ、組み立てているうちに完成するものもあるよね。
まとめて「人の限界って趣味とかの程度でもブチ切れて反社会的行動にでる場合も可能性ゼロじゃないよね。これは病気に含まない?」なんだけどどうかな?
可逆的な話じゃなくて、あくまで性的でかつ社会的に救済の余地がせまい事に関してのみだったら、むしろその趣味がその人の人生の何割を占めているのか、またはその嗜好で犠牲になる社会的要因は規模として各個人の嗜好を抑圧したり社会への直接関与に何らかの干渉をもつべきって話なら別にいいんだ。
実際ロリータはどんな価値が今現在にあるかは問題外として、ロリコンになってしまったおっさんの命よりは確実に重くて年収何千万のおっさんでもロリコンだったら社会的に価値がないしみんなから病気だとか死ねって言われる、は健全な社会学的な知識人の見解だったとしたらそれはそうなんだろう。
それはそういう話題についてのみ深く考察したくなったって時のものもあるだろうし。
時間があったら一度考えてみてほしい。
ひとのことバカ扱いした人、答えてください。
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そうですよ。
自分が学んだ範囲では、連鎖自殺というものは憧れのアイドルや影響力の大きな人が死んだ場合、後追い自殺が増えると。
もちろん、私人であっても、センセーショナルな報道のされかた、事件であれば真似をする人も増えると思います。
過去に自殺したアイドルのあとを追って死んじゃったファンがいたという話も何かで読みました。
連鎖時差防止というのが報道規制の根底にあるならば、公人と私人は違う、公人はセンセーショナルに報道されてもいいという考え方はおかしいです。
藤圭子さんは昔は有名だったかもしれませんが今は過去の人です。でも、宇多田ヒカルさんの母親という意味では有名人です。
あと追いすね人が出るかどうかはまた話が別ですが。
とにかく、連鎖自殺の防止という観点からすれば、公人の自殺こそ慎重に報道すべきです。
センセーショナルに報道してもかまわないという考え方はおかしいです。
以上です。
何か間違っていることがあれば、ご指摘ください。
そうですよ。
自分が学んだ範囲では、連鎖自殺というものは憧れのアイドルや影響力の大きな人が死んだ場合、後追い自殺が増えると。
もちろん、私人であっても、センセーショナルな報道のされかた、事件であれば真似をする人も増えると思います。
過去に自殺したアイドルのあとを追って死んじゃったファンがいたという話も何かで読みました。
連鎖時差防止というのが報道規制の根底にあるならば、公人と私人は違う、公人はセンセーショナルに報道されてもいいという考え方はおかしいです。
藤圭子さんは昔は有名だったかもしれませんが今は過去の人です。でも、宇多田ヒカルさんの母親という意味では有名人です。
あと追いすね人が出るかどうかはまた話が別ですが。
とにかく、連鎖自殺の防止という観点からすれば、公人の自殺こそ慎重に報道すべきです。
センセーショナルに報道してもかまわないという考え方はおかしいです。
以上です。
何か間違っていることがあれば、ご指摘ください。
WHOの勧告を改めて読みかえしてみる。
http://whqlibdoc.who.int/hq/2000/WHO_MNH_MBD_00.2_jpn.pdf
すべきこと
・ 健康に関する事実を提供する際の責任者は、注意深く行動する
・ セルフ・エスチームの向上 (積極的な自己評価は精神的苦悩から成少年を保護し、生活上の困難とストレスに対処することができる)
・ 学校でのいじめと校内暴力の防止 (不寛容から解放された安全な環境の構築)
すべきではないこと
・ 断罪しない
ということなんだけど、今の桜宮高校の事件の報道はどうなんだろうね。大津のいじめ、今回の体罰と、どちらも問題が大きく取り上げられるきっかけになったのが「自殺」で、逆に言えば自殺がないかぎり注目してもらえないというのは悲しいことだ。
報道が「いじめ自殺」「体罰自殺」と名付けることで、自殺の理由が単純化されるわけだけど、この単純化が問題なのはそれが後追い自殺を生む可能性があるということだよね。
子供だった頃、自分はひどいいじめを受けていて、当時「いじめ自殺」のかなりセンセーショナルな報道が行われていた。やっぱりふと思ってしまったよ。あれ、自分も自殺していいんじゃない?自殺したら学校も親も気付いてくれて、いじめてる奴らも反省するんじゃない?復讐できるんじゃない?ってさ。実際当時、「いじめ自殺」が連鎖したらしい。
べんきょう【勉強】
(する)学問・技術を学ぶこと。勉学。(将来役立つ)経験。{俗語}商品を安く売ること。
将来役に立つ経験を「勉強」って言うんだから、「勉強」は将来役に立つんだよ。
勉強ができないのは、やり方を知らないからだ! -- 理解するための勉強法 --
勉強法のサイトを紹介しておくよ。なまじ、勉強が出来ると思い込んでいたから、元増田はつまづいたんだと思う。授業がゴミなら、オール優確定じゃん。たいくつな授業の間、内職でもすれば良かったのに。なんで、自分を壊すほうに行っちゃうかなあ。
元増田って、バカだね。
自分はバカだってことを認めて、改めて、勉強に取り組むべし。今度は単に学歴をつけるためじゃなくて、生き延びるための知恵の勉強をしなよ。
知ってる? 親ってのは通常、子どもより先に死ぬんだ。一人になったら、どう生き延びるつもり? 後追い自殺するからいいのかな?
http://anond.hatelabo.jp/20100123172306
はっきり言って、元増田が娘さんの状態を悪化させてるんだ。
元増田は、しょっちゅう、娘さんの食行動を気にしているだろ? 食べなければ「食べろ」食べすぎれば「食べるな」。毎日なんのかんのと娘さんに文句言ってるだろ? 言いたいんだ。元増田は。娘さんが自分から離れていくのが寂しくて寂しくて寂しくてしょうがないんだよ。そんなときに、娘さんの精神状態がおかしくなった。このまま、おかしいままでいてくれたら、ずっと娘さんは自分の手許にいる。娘さん本人はすげー迷惑だ。ペットじゃねえんだから、一生親に養ってもらうわけにはいかない。自分で食い扶持を稼げるようにならない限り、親が死んだら後追い自殺するしかないかんな。
元増田が死ねば、娘さんの一生も終わりだ。元増田は、そういう悲劇に一直線に進んでる。なぜか? 寂しいからだ。本気で娘さんに立ち直ってほしいのなら、まず、勉強することだ。
私には「自律訓練法」と「交流分析」が有効だった。まあ、こんな情報流したところで「うさんくさい」とか言って、真面目に取り組んだりしないんだろうがな。だって、元増田は一生娘さんに摂食障害でいて欲しいんだから。
松岡農水大臣の自殺は、ナントカ還元水関連等の表面的な問題ではなく、より根深いものに起因している気がする。というのも、自殺したのはちょうど大臣と関わりの深い緑資源機構の談合疑惑で特捜が動き出したころであったし、大臣が自殺した翌日には緑資源機構の前会長も自殺したからだ。松岡農水大臣の遺書、つまり死に際する最後の言葉が、「私の不明、不徳のいたすところ」である以上、何かしらの罪悪を抱えている可能性が高い。緑資源機構に関して、予想以上に大規模な不正があるのではないか。
しかし、私がここで関心を持つのは罪悪そのものではない。罪悪のために、大の大人、それも2人もの大人が死を選択するということだ。世の中は「経営者が自分の私利私欲のためだけに不正をする」ような、単純な構造ではないと思う。場合によっては(あくまでも場合によっては)不正に関わらなければいけないときもあるのかもしれない。だがその場合には、罪悪とともに生きる覚悟がなければいけないのではないか。
いったん罪悪を引き受けるのならば、それが表に出たときにでも毅然と生きていけるか、予めそこまで考えて行動しなければならない。松岡農林大臣は、罪悪に対してあまりに無自覚であったし無責任であったのではないか。だからナントカ還元水のようなしょうもない問題がいっぱい出てきたのだろう。だから現職大臣の身分で自殺するというふざけた選択をするのだろう。この大臣の間違った保身に比べたら、収賄で逮捕されて地位を失い、生き恥を晒しながらも精力的に活動している鈴木宗男の方がよっぽどかっこよく見える。こんなおっさんを聖人にしてはいけない。
とはいえ、自殺に至る心理なんていうものは、一種の精神疾患なのだろう。ZARDの後追い自殺とか(笑)。ご冥福をお祈りします。