はてなキーワード: 遺書とは
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自由への長い道―ネルソン・マンデラ自伝〈上〉 - ネルソン マンデラ;
生きる技法 - 安冨 歩
ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 - シルヴィア ナサー
意志力革命 目的達成への行動プログラム (Harvard business school press) - ハイケ・ブルック
高橋和巳作品集〈第4〉邪宗門,私の文学を語る(インタヴュアー:秋山駿) (1970年) - 高橋 和巳;
リーダーシップの旅 見えないものを見る (光文社新書) - 野田 智義
世に棲む日日〈1〉 (文春文庫) - 司馬 遼太郎
ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252)) - 石光 真人
日本を大切にする仕事――身のまわりから社会を変える10人の生きざま、働きざま - 山岡 淳一郎;
世界を動かした21の演説――あなたにとって「正しいこと」とは何か - クリス アボット
こうして僕は世界を変えるために一歩を踏み出した - 鬼丸昌也
所有せざる人々 (ハヤカワ文庫SF) - アーシュラ・K・ル・グィン
人間の測りまちがい〈上〉―差別の科学史 (河出文庫) - スティーヴン・J. グールド
一〇〇年前の女の子 - 船曳 由美;
快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか - デイヴィッド・J・リンデン
製造業の現場バイヤーが教える だったら、世界一の購買部をつくってみろ! - 坂口 孝則
経済論戦は甦る - 竹森 俊平
キャプテン・アメリカはなぜ死んだか (文春文庫)
「死人に口なし」をいいことに後から根も葉もないことを言われないよう
自分がなぜ死ぬのか、その理由とこれまでの苦しみを箇条書きでまとめていく
自分のせいなら自分が何をやらかしてしまったのか包み隠さず書く
誰かに酷いことをされたなら(別の誰かに濡れ衣を着せてしまわないように)
どこからも誰からもぐうの音の出ないくらい因果関係をはっきりさせて
「これが理由です、他のことは一切関係ありません」と書く
とにかく後腐れのないようこれでもかと丁寧に書く
仲良くしてくれた友達にはお礼を言う 育ててくれた親には懺悔をする
すると、ひとつひとつの出来事をひどく冷静な頭でふり返ることになって
それまで悩んでいたことの解決策が 突然ふと見えてきたりする
時には「何かこれ、死ぬほどのことじゃなくね?」と思うこともある
ある種の背徳感を覚えていつの間にか気分がハイになることもある
この遺書が公開されて、あいつが社会的にひとごろしのレッテルを貼られて
学校や会社を追われてひそひそ言われながらやつれて生きていくところを想像して
ビリビリに破いて捨てるのもいい
それでおしまい
もし、書いても書いても立ち直れなかったら、
その時はそのまま、その遺書が使える。
親戚に不幸があって、約一年ぶりに帰省したんだけどさ、田舎の葬式マジすごい。
なにがって、とにかくデカい。
だいたい、220~250人くらい来てるの。
そういや、昔うちで葬式やったときもこれでもかってくらい人が来たが、そのときは驚きはしなかった。
椅子の数でだいたい人の数がわかるし、故郷を離れてから出席したほかの葬式もセレモニーホールだったんで、それらと比べることが出来るしで。
平日だってのに。
始まる前に腹ごしらえして「気合入れていくぞー!エイエイオー!」じゃないけど、そんな感じのノリでみな戦闘モード。
なんなんだろうな、この壮大なムダは。
最近、「坊主はボリすぎ」って意見がネットで散見されるけど、個人的にはそうは思わない。
むしろ、都会の葬式と同じ料金だったら割りに合わないと思う。
人が多けりゃ焼香の時間も長いし、部屋が大きければ声も上げないといけない。
今回なんか納棺前に「和尚さんどうぞどうぞ」通夜が始まる前に「どうぞどうぞ」終わったあとに「どうぞどうぞ」、葬儀前にry,葬儀後にry
といろんな人にひっぱられ、飲まされ、とまあそんな感じだし。
なにより、200人以上いる前で説法だし。
まあ、それよりお金の問題じゃない。
どうせ故人が生前貯めた金だ。
どう使おうが構わないと思う。
なにが無駄って、平日だってのに、みんなそんなに暇なの?ってとこだ。
「野菜もってけーれ、スーパーだとお金だして買わないとだけど、もってけばタダだべ。コメ用意してやるから、またけーってこい」
おいババァ、葬式の後の会話がそれかよ。
タダってあんた、ガソリン代いくら使ってきてると思ってんだ。
ちなみに、この地域では町内会の草刈りのため息子(といってももうすっかり中年だが)が有給とって東京からやってくる、などということがザラである。
町長、ちっぽけな一人の町人の葬式に出たりしてないで仕事しろよ。平日だろ?
まったくもう、イライラする。
無神論者なんで、故人を偲ぶとかそういうのはどうでもいいけど、どうなんだろうなぁ、このドタバタ感。
でも逆に、忙しいくらいのほうが遺族は悲しみに沈まなくていいのかななんて思ったりする。
それでもなお、やだ。
お願いだから自分の親には、葬式はしないでくれという遺書でも残して欲しい。
250人っていったら、一人と2分ずつ挨拶したって500分だろ?
死ねるわ。
元メンヘラ女子より返信です。まあ、その例に上がってる界隈の人間で気づく人もいると思うがスルーよろしく。
どれくらいメンヘラだったかというと、小学校四年くらいから社会人一年目まで、薬が切れた記憶がない。中学校もあまり行かなかったし、高校も欠席が年間50日を越えてたし、遅刻は三倍くらいしてるはず。出席日数が足りずに担任から呼び出されること数知れず、それ以上に呼び出しを無視って帰ったこと数知れず。
薬を出してもらう病院とカウンセリングに定期的に行き、行けない日でメンタルヘルスに異常がでると自殺防止センターや市民センターの女性相談室、こころの相談室に電話。自殺防止センターの、私がしゃべった言葉をただオウム返しにするだけのぶっきらっぽうでやる気のない主婦の対応でも、一秒一瞬に危機がせまっているように感じるメンヘラにとって、ありがたいものなのです。
去年は人生史に残るくらいピークのときで、家中の紐やベルトを片っ端から首吊りに試し、強度と締まり具合を調べていた。お気に入りはコバルトブルーのLANケーブルか、デニム素材のかぼちゃパンツについてた紐。感触がよく、よく締まった。家の人と顔を合わせると自分の頭のなかを相手に読み取られてしまうという妄想により、ご飯を食べるときなるべく一人で食べようとしたり、どうしても食べないといけないときは犬のように下を向いてすするように食べていた。それもだいぶよいときで、大体家人が帰ってくる16時くらいになると段々「今日も日が落ちる」という恐怖、家人、特に母親が帰ってくる前に死ななければならないと思い込んでいたので、帰ってくるなり裸足で表通りや裏庭を駆けずり回り、一晩ジャリの敷き詰められた庭の隅に隠れたり、落雷で割れた木の幹に抱きついて寝たりとかしていた。何度か捜索願云々という話も聞いた気がする。まあ、今考えると頭おかしいとしかいいようがないんだけど、何かを感づいた家人によりありとあらゆる紐やベルトを隠され、お気に入りのデニム紐がないので、「私の紐どこ?」と聞き、「なにに使うの?」と聞かれて答えようがないので押し黙る、みたいなことを繰り返していた。
あとは人の話を一時的に頭に入れたり、文章を作るということが苦手になった。なんというか、ものすごく頭の奥のほうが痛くなる。ただし、文字を起したりだとかの単純作業はすごく好きで、あの頃は脱出ゲームばかりしていた気がする。クリックだけで頭を使っている気になったから。脳トレとか数独、知育ゲームにやたらこる。若年性痴呆症だという思い込みから、認知症チェックを一日に何度も繰り返し、認知症でないと判定がでるまで何度もやり直していた。
きわまってくると支離滅裂な文章、「ごめんなさい」と繰り返すだけの遺書めいたものを緑のふといペンで殴り書きし、破った後机の引き出しに入れるという習慣がついた。気がついたらわけの分からない紙で引き出しがギッシリ詰まっており、数日後すこしまともになったときに見るとホラーだった。幻聴も結構聞こえる。AとBが頭の中で対立していて、常に言い合いをしている。そこへCが出てきて、穏やかな口調で優しく諭すように打開案を提示するのだけど、Cの言うことを聞いていると、首をくくって窓から飛び降りないといけなくなったりするのでまあ大変ですよね。
あとは小説などで空気の読めない使えない人間を揶揄するような文章を読むと自分のことだと思い込んで怖くなり、一切の活字を読めなくなったりする。本を読むのが好きなので活字から離れなければならないのはかなりきつかったのだけど、それよりも意味のよくない単語を眼にすることのほうが怖かった。そういうときに脱出ゲームは大変便利で、絵しかないので攻められたりしないという安堵感があった。
ちなみに私にはずっと恋人がいたが、ずっと薬を飲んでいる自分を嫌われるんじゃないかと思って、相手が寝静まった後、息を殺して、錠剤を出すときもそうっと音を立てないようにして飲んでたし、こんな自分は捨てられるかもしれないと不安だった。幸い見た目と初対面の人になら有る程度しゃべれるという性質によって表面上は取り繕いながら交友関係を浅く結ぶことはできたのだけど、濃い付き合いというのは恋人以外に全くできなかった。親族が多いので、遊び相手は叔母や従妹で充分だったし。
私たちは童貞と処女で5年ほど付き合ったんだけど、その間浮気もしたことないし、彼氏以外の男の人と二人であったことは一度しかないし、メールするだけでも罪悪感があった。そもそも彼氏以外の人が眼に入らなかった。彼氏も私以外の女とご飯も行ったことがない。どこへ行くにも一緒で、私たちにとって、世界には二人と二人の親族しか存在しなかった。家にいれば私はお荷物の責められるだけの存在なので、私の生きていく場所はこの人と共にある、そこでしか生きる場所はないのだと思っていた。本気で。ファンタジーでもなんでもない、現実だった。
純粋といってしまえば響きがいいけど、こういうある種盲目的な愛っていうのは長続きせず、いつかは破綻するのだと思う。実際わたしは捨てられることを恐れながらも、段々症状が回復するにつれて、彼氏のことを退屈に思い始めた。彼氏は、私が回復していくのが嬉しいけれど離れていってしまうようで寂しい、と言った。ついに彼氏といるより女友達と会っているほうがずっと楽しいと気づいたとき、なぜ私は彼がいなくてはいけないと思い込んでいたのだろう、もっと早く気づけばよかったと後悔したほどだ。
全ての女性にはメンヘラ要素があって、それを引き出すのが上手い人、かわせる人、封じ込める人、様々だと思う。個人的にはメンヘラ女子より気違いの女を捜したほうが振り回される手ごたえもあるし自分まで病まないから健康的だと思うけど。探し方は様々あると思うけど、都会のほうが両者ともに生息している確率が高いのでは。メンヘラでも受け入れてくれる懐深い異性がいるというのは大変にありがたい話で、自身がメンヘラであることに苦しんでいる人の救いになるでしょうね。
まあ刃物もちだして暴れたり、首を締められたり(これはメンヘラじゃなくてもプレイでよくありますね)、高速運転途中の車からドアを開けて蹴りだされたりするかもしれないけどそこは自己責任で。頑張って世のメンヘラを幸せにしてください。
でもいつか近い将来衝動的に死にます。最近は2週間おきぐらいにかならず死にたくなります。
今すごくブラックな会社に勤めてるわけでもなければ、普通の家庭で育っていたと思っているので
死にたいと思う気持ちが不思議に思う人がいるかもしれないですけど、やっぱり死にたいものは死にたいです。
今まで生きてきて何がダメだったのかよく考えるんだけど、実はあんまり考えていないように感じています。
だって、馬鹿だから考えても話がまとまらないし、結局そう感じても何も勉強せず生きたから。
最終的な自殺の理由とかは、自分が馬鹿な事に耐えられなかったからだったと思います。
・会社の人へ
でも、多分ほんとは私がいていい場所じゃなかったんだと思います。
・数少ないリアルの付き合いがあった友人へ
最近はあんまり会ったりしなかったね。私が積極的じゃなくて面白い人間でもなかったもんね。
・ネットの友人へ
Twitterとかfacebookとかで下らないおしゃべりをしてくれてありがとう。
多分私が死んだことに気がつかないでしょうね。
・家族へ
みんなは元気でね。
でも今死ぬのは毎晩毎晩終電まで仕事に付き合ってくれてる先輩に申し訳ない
完全な善意からではなく、単に私の仕事が期限までに終わらないと先輩が責められるからだとは知っている
私の要領を得ない質問に「何でそんなことも出来ないんだ」と言われるたび、
申し訳なさと情けなさで泣きたくなり、そして死にたくなる
一年半働いて、自分の向上心の無さ、集中力のなさがよく分かった
辞めたところで次の仕事を見つける気にはならないし、たとえ見つかったところで頑張ろうという気にもならない
2年前に一ヶ月休職した先輩が未だに腫れ物扱いで遠巻きにされていたり、半年の休職後に復職した先輩が「どの面下げて戻ってきたんだ」「復職できる図太さがあるのに鬱病だなんて仮病もいいところだ」なんていわれている現状を見ると、鬱病だろうが何だろうが、休職→復職は難しいんだと思う
両親は悲しむだろうか。
それとも、親元に帰るつもりもなければ仕送りをする程の稼ぎもなく、結婚も出産も人生の計画に無い娘に価値は無いから良いだろうか。
職場には迷惑がかかるだろうか。
セクハラだパワハラだ恒常的長時間労働だ、と方向違いの問題になったら上司に迷惑がかかるだろうか。
それとも個人的の精神的な問題として済ませてもらえるのだろうか。
上司も先輩も同僚も、誰かに責められるようなことにならなければいいが、「誰も悪くない」なんて遺書があるのは白々しいだろうか。
思えば、数年前に遺書を書いて、死ぬつもりだった。
でも、やり残したことに気付いて、1回死んだことにして、まだ生きている。
他の人からみたら、紆余曲折というより、人生終了メシウマな人生で、
あざ笑われたり、哀れみの目を向けられることも多いが、メシウマしたい人間はそうすればいいと。
というより、人間の真の優しさに気付いたというべきか。人の不幸に接したときに、人間は本性をあらわにする。
リトマス紙のように、醜い本性の人間が分かるため、そういった人とはなるべき距離をおいている。
むろん、休日は一人だし、リアルにもネットにも相談できる友人などいない。
仕事で電話を掛けることはあるが、プライベートでは、数年、電話もメールもない。
恋人の類いは、生まれてこのかたできず、ぼろぞうきんのように観衆の中で振られ笑い者にされていらい、人を好きになれない。
いつ、クビになるかも分からないし、壊れるかもしれないが、自分の最期は見届けたい。
言語能力を失わぬよう、アニメを見るが、最近は幸せすぎる登場人物と自分を比較して無性に胸の痛みを感じる。
とまあ、自虐的な自己紹介をした増田が最近、どうやら人を好きになってしまったことに気付いた。
近所に行きつけのパン屋さんがあって、休日、増田は朝食のパンを買いにゆく。
もう、5年ほどになるだろうか。
店の人が年をとったので、バイトでやとったのか、家族経営のようなので孫娘さんかもしれない。
その女の子は、最初は気に留めていなかったが、丁寧な接客でよく働く子だなと感心していた。
年の頃は、高校生くらいだろうか。
接客がマニュアル通りではなく、とても心がこもっていて、気だての良い子だった。
増田は、毎週、パンを買いにいくが、特にその子のことは意識していなかった。
気にもしていなかったが、次の週もその子がいなくて寂しいと感じた。
そして、次の週に会ったときには、ほっとしている自分に気付いた。
増田が変なそぶりをみせれば、その子にも店にも迷惑になるだろうから、客としてただパンを注文するだけだ。
↓
「あいつうぜーわ」
↓
「みんなで一斉に無視しようぜ(笑)」
↓
標的、最初は「なに無視してんだよ~」と笑ってたが、徐々に無表情になる
↓
昼休みに爆発、「なんだお前らふざけんだよ!」「こんな事して楽しいのかよ!ああ!?」
↓
誰かがぽつり「だっておめーうぜーし」
↓
沈黙、「は?」「耳遠いの?馬鹿」、喧嘩勃発、かと思いきや標的をうざいと思ってた奴等が加わって一方的なリンチに
↓
「調子こいてんな!」「てめー前からうざかったんだよ!」「死ね!」「きめーんだよ!」
↓
教師登場、関係者が相談室などに集められる、全員で示し合わせて標的がいかにうざかったかを教師に話す
↓
一方的にボコったことは咎められたが、標的は教師にも目をつけらていた問題児だったのでちょっぴり配慮
↓
↓
一ヵ月後、標的が自殺未遂を起こしたという噂が伝わり、ぜんいん爆笑
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更に三ヵ月後、標的がとうとう自殺
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標的の存在を思い出し、一同笑う、「んなやつもいたなぁ」「ようやく死んだか」「ざまぁみろ」「調子こいてっからだよ」
↓
ニヤニヤ笑いながら線香をあげにいく
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しばらくして標的の遺書を発見、クラスメイトの名前が書かれていた
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クラスメイトが一斉に青ざめる
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「いや俺・・・そんなに殴ってねぇし」「言い出したのはてめーだろうが!」擦り付けあいの開始
↓
↓
クラスメイト同士の諍いが何度も起こる、ある男子が椅子でぶん殴られて病院送りになる
↓
幸いにも俺の名前は書かれてなかったが、怖くなったので学校に行くのが嫌になる
↓
家族にもバレて会議が発生、「本当なの?」母親に問われて白を切っていると父親に殴られる、喧嘩になる、家族との関係悪化
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学校と標的の家族の争いが加熱、クラスの雰囲気が最悪になる、登校拒否が相次ぐ
↓
虐めを見過ごしていたとして担任教師に攻撃が集中、担任が学校に来なくなる
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ついに最初に「あいつ無視しようぜ」と言い出した奴に攻撃が加えられる
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クラスメイトの溜まりに溜まった鬱憤の標的にされたのであっという間に病院沙汰になる
↓
なぜか俺も標的になる、箒の一撃を避けようとして指の骨が折れる
↓
俺も段々と死にたくなり、陰々鬱々としてるとグッドなタイミングで父親の転勤話が持ち上がる
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嬉々として飛びつき、転校する事にする
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クラスメイトから「てめー逃げんじゃねーよ」と言われるが、無視する
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当事者の一人だったので色々と面倒な事になりそうだったが、指を折られていたので被害者の顔をして逃走
↓
クラスメイト達との連絡を一切たち、新しい土地で過去を忘れて生活を送る
↓
↓
懐かしかったので話す、「あの後どうなった?」
↓
「あいつの家族が慰謝料みたいなん少し貰って、あとはみんなどっかに進学してったわ」
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「地元じゃタブーみたいになってるし、あの学校じゃ口に出すだけでも怒られるらしいわ」
↓
一応決着みたいなのはついたんだなぁと思っていると、「・・・お前はどう思ってる?」と聞かれる
↓
「どうって?」「いや・・・俺、今でもたまに夢に見たりするし、嫌な記憶だなぁって」
↓
「後悔してるわ。あんな事しなきゃよかった」
↓
俺は考えて、言う
↓
「多少の罪悪感はあるけど、あれは元はといえば標的が悪かったんだし、もうずっと昔の事だから、今更どうとも思わない」
↓
相手は少し黙ったあと、「そういうもんかな」と言う
↓
別れ際、「別のやつともたまに話したりするんだけど、やっぱり皆、あの事を後悔してたりするんだよな」
↓
俺は苛ついたので言う、「だったら最初からあんな事しなきゃよかったじゃねーか」
↓
↓
今さら、10年も前のことを思い出したくもないけど、最近よく思い出すようになる
確かに、これは気分が良くないな
僕が欝になって早3年。
それまで割とまっとうな人生だったし、
チヤホヤもされてた。同期に比べて収入も、身分も良かったし、女の子にも(多分)モテたし。
そんな僕がある事件をきっかけにスッテンコロリンと人生の階段を転げ落ちている。アレだよ、階段が一気に滑り台になるコントみたいな感じ。
きっとこれもTLっぽく流れていってしまうんだろうなぁと思うとちょっと切ないけど、
これもひとつのボトルメールみたいになって、誰かに届くかも?という前向きな気持で書いてみます。
欝を含めた「こころの病気」って、罹った人以外は絶対に理解出来ないっていうのが僕の持論です。
例えば、先進国で毎日1ドル以下の生活をしている人を、一般的な日本人が想像できないのと一緒で。
マリー・アントワネットのような? ちょっと厨二的発想かもね。すんません。
んで、まぁ何が言いたいかっていうと、
誰も理解出来ないこの「病」を理解してもらうには、多分「死」しか無いと思うんですね。
つまり「死ねば」理解してもらえる、っていう、一種の希望が僕にはあって。
そりゃぁもう嬉しいに決まってるじゃないですか、人がどういう形にせよ、知ってもらえるんですよ!
一応!そんな苦しい気持ちを聞いてもらいたい!構って、構って!で2つの病院行きました。
ひとつは、初めに僕を「欝」と診断した医者。2年後にさじ投げましたね。
もうひとつはそれなりに良かったけど、高い。ネットでも結構有名なところです。
でも、もうやめました。治んないもん。
そうそう、昔、「いのちの電話」に3時間ぶっ続けでかけまくったけど、全部話し中で結局1度も繋がらなかったこともあったなー
あれ、絶対良くないよ。余計絶望するっちゅうに。
今の僕の希望は、
「可哀想」でも「辛かったんだね」でもなんでもいいです。
ただ、心残りなのが、やはり家族。
僕には子供がいないので、両親がどのような反応を示すかはあまり理解できないけど
大好きな映画、ナンニ・モレッティの「息子の部屋」みたいな感じで、しばらくは絶望するけど、それからなんとか生きていく、みたいな感じになりそうだな。
あれ?意外と大丈夫じゃね?
あ、これ遺書じゃないです。まだ死にませんから通報とかやめてね(はーと)
ただ、結構ガチでヤバイんで、まだ精神的に余裕がある今のうちに、ちょっとだけ吐露させていただきました。
じゃーな!
159 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/05/19(木) 19:17:47.14 ID:UWc0xwf90 チンポムの「芸術活動一覧」 ちなみに、すべてパトロンに金をだしてもらうをコンセプトにしているため、メンバーは働いたことがない 本物の生きたドブ鼠を渋谷で捕まえて殺してピカチュウ(朝早くの通勤時間帯にやっていたため、メンバー一人が派出所につかまる) http://chirock.laff.jp/photos/uncategorized/2008/11/07/0075.jpg 夢の国、ディズニーランドとディズニーシーで子供の見てる前で裸になってチンポみせつけて記念撮影 http://www.flickr.com/photos/webdice/2658156928/ 渋谷でカラス死体をつるしたり、鳴き声をスピーカーで大音量で流してカラスを大量に集める。周囲はカラスの糞で真っ黒に http://www.flickr.com/photos/webdice/2657328497/ 作品名「アイムボカン」カンボジアの地雷地帯にいき、現地で800円でガイドを雇って地雷の上に何十万もするブランド品を置いて爆破させる 爆破したブランド品は金持ち相手にオークション。下は800円で命をかけさせた現地ガイドと、セレブなエリさん。ちなみに、この際に保険を使った詐欺の疑いあり。 http://www.flickr.com/photos/webdice/2658155702/ 「ピカッ」広島の空に飛行機雲でピカとかかせる http://www.k4.dion.ne.jp/~wakaba55/LOVELOG_IMG/pika.jpg 「ともだち」富士の樹海に放置してある自殺者の遺品や遺書を面白オカシク展示! http://www.flickr.com/photos/webdice/2658155172/ 「エリゲロ」エリというメンバー唯一の女にゲロを吐かせる。これだけで200万くらい儲かったらしい http://www.flickr.com/photos/webdice/2658154606/ このキッタネエのが彼らの個展。日本のアートは10年遅れている!が合言葉 http://www.flickr.com/photos/webdice/2662681407/ http://www.flickr.com/photos/webdice/2658246740/
188 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/05/19(木) 23:35:48.53 ID:wnEEPJJr0 過去スレにまとめがあったよ http://www.unkar.org/read/mamono.2ch.net/newsplus/1224844127 ・生きたネズミを捕まえてぶっ殺して加工、本物のピカチュウができたと大喜び! ・意気揚々と今度は鶴を剥製にして本物の千羽鶴を作ると豪語するも、保護鳥の鶴が捕まらずショボーン ・富士の樹海に自殺現場に行き、遺書も散乱する近くの木の穴から顔を出して「樹の精」と称して記念撮影。 自殺者が首つりに使った木や紐や遺品を持ち帰り、展示のネタに(木に紐がかった状態)して大喜び! ・故ダイアナ妃の地雷撲滅活動を見て、自分もわざわざカンボジアへ行って 私物のブランド品を爆破、これで私もセレブよと、大喜び! ・カラスの死骸にカラスが集まると聞いて、死骸持参で公道を走り回り、 わざわざ東京の都心のど真ん中(渋谷109)にカラスを集めて、本当に集まったと大喜び! さらにこれに味をしめ、岡本太郎の墓などピンポイントでカラスを呼び寄せ大はしゃぎ! ・ディズニーシーで、全裸or半裸になってディズニーキャラのまねをしてテンションageageで記念撮影。 係員に怒られても、かまわず展示のネタに。 ・ピンクのゲロを笑いながら吐き続け、これがギャルの生き様よと、カッコいいと大喜び! ・9.11事件を伝えるTVをみて、崩壊するビルの被害者の断末魔の叫びがたいそう気に入り 事あるごとに、「Oh My God! 」とマネし、これがマイブームよと大喜び! ・「オレオレ金振り込むから口座番号教えて」と老人をおちょくる電話をかけまくり、当然相手にされないが 60人目でやっと口座番号を教えてもらって大喜び!通話を勝手に録音して流しながら領収書を展示のネタに! ・WebTVの生放送中にいきなりケツをだして、女子高生に向かって放尿開始。 逃げ惑う女子高生を見て大喜び! ・New、広島の上空に原爆を意味する文字を書き広島市民を威嚇、「テロの予告か?」「また原爆が落ちるの?」 と、恐怖におののく問い合わせTELが、本人は「若い人に関心をもってもらうため」と31才がケロリ!! (謝罪を促され、後に謝罪するも、行為自体については「後悔はない」と開き直り)
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光榮之家(何韻詩)、北歐是我們的死亡終站(my little airport)、隆重登場(容祖兒)、電力組曲 C:電化の暮らし(ゲルニカ)、妮歌(何韻詩)、
Komm, Susser Tod/甘き死よ、来たれ(Arianne )、ホープ(testpattern)、給十年後的我(薛凱琪)、安靜了(S.H.E)、女朋友(歐陽靖 陳奐仁)、
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立つ鳥跡を濁さず(トップをねらえ2!!)、時の河を越えて(トップをねらえ!)、親知らず(チャットモンチー)、媽媽我考試考100分(selfkill)、搜神記(容祖兒)、
想想(何欣穗)、リフトの下で逢いましょう(南野陽子)、ギルガメッシュ(ヤプーズ)、Roller Coaster Rock(selfkill)、a love song(EGO-WRAPPIN')、
愛將(梅艷芳)、手のなるほうへ(チャットモンチー)、petsounds(the beach boys)、香格里拉(魏如萱)。
去年の頭からほぼ毎日更新されていて、読んだ漫画、観た映画やDVDの感想、twitterのログ、買い物日記、そして日常のあれこれがずっと綴られていた。
DVDの感想やtwitterのログは量が多すぎて読み切れなかったが、日常のあれこれは一応全部目を通した。
彼女は仕事を休職し、精神科とジムに通い、自分の理想と現実のギャップに苦しんでいた。
俺は一昨年の春に彼女と別れ、しばらくして彼女との連絡を全て絶った。携帯の番号もメアドも消去した。
俺自身も心療内科に通い、無気力な生活を10ヶ月あまり過ごした。彼女は俺と別れてしばらくしてから休職したらしい。
俺は時間をかけていろんな事を忘れることに費やした。自分が彼女を傷つけたことも、彼女に傷つけられたことも。そうしないと生きていけなかった。
ブログを書くこともやめ、別アカウントでハイクやtwitterをやっていた。彼女がハンドルを変え、どこかでブログをやっていることは知っていたが、見に行くことはしなかった。
彼女のブログには俺に対する批判めいたことはほとんど書かれていなかった。少しくらいはあったが、彼女にしてみても書いて嫌な気分になりたくなかったのかもしれない。あるいは関わりになりたくなかったのかも。俺はその間、彼女に関して一言も書くことはなかった。正直、後ろめたい部分もあった。彼女を決定的に傷つけてしまった、という想いがどこかにあった。
俺の親友は彼女のことをとても嫌っていた。「あいつがアンタを壊したんだ」とも言った。それは一つの事実かも知れない。でもそれは俺も同じだ。そして俺は別れたあともしばらく彼女を愛していた。やり直せるものならやり直したかった。でも俺にはその力はなかった。自分一人を支えきれない人間が、他人を背負い込めるはずもない。だから俺は彼女を切り捨てた。出来うる限り彼女から逃げた。
一度関係を修復するチャンスがあった。しかし俺自身のミスでそのチャンスは損なわれた。向こうがそれを望んでいたかは分からない。むしろ迷惑な話だったかもしれない。
そうして俺の生活から思い出や未練が無くなっていった頃、遠くの方から「彼女が死んだ」という話が聞こえてきた。
それからそのブログを頭から読んだ。苦悩と苛立ちと、何かの諦念を纏った日常がそこには書かれていた。
時々あげられている自分撮りの写真を見て驚いた。「うつ太り」という言葉があるが、俺と付き合っていた頃のスマートさは完全に損なわれていた。ストイックで規則正しい生活を送っていた頃の彼女の面影はそこにはなかった。
それが俺のせいだなんておこがましくてとても言えない。でも俺はそんなになるまで病んでいた彼女を知らなかった。知ろうともしなかった。彼女の家族や友人たちは、おそらく俺のことを快く思っていないだろう。俺はネット上の名前を変え、何事もなかったかのようにお気楽な暮らしを続けていた。時々心療内科に通ってはいたが、おおむねその日暮らしの自分勝手な暮らしに終始していた。「病んでいる」の程度で物事を測ることは出来ないのかもしれない。でも俺は死なずにここまで来た。怒られるのを承知で言うと、彼女を切り捨て、名前を変えた事によってむしろ楽しく生きてこられた。
そうして彼女はこの世から失われた。大好きだったハリーポッターの完結も観ずに。
俺に何かが出来たとは思えない。多分向こうも関わっては欲しくなかっただろう。病人同士が顔を突き合わせても憎み合いか共倒れになるだけだ。
それでもどうしようもない無力感から逃れることが出来ない。泣くことすら出来ない。死ぬ事も出来なくなった。
これからどうしたいかははっきりしていない。ただ同じ過ちはしたくない。何かあったときに誰かを支えられるだけの力が欲しい。今の俺はあまりに無力だ。カネもコネも権力もない。心の包容力さえない。今からでは遅すぎるのかもしれない。いや、遅すぎる。しかし俺は強くなりたい。こんな想いはもうたくさんだ。
いつか俺に守りたいと思う相手ができたとき、少なくとも今よりましになっていたい。詐欺師みたいに口先だけで誤魔化していくのはやめにしたい。そのために今日も死なずに生きていく。彼女は戻っては来ない。俺はまだ向こうには行かない。あがき続ける。過去は変えられない。未来は分からない。今を一生懸命やるだけだ。
個人情報を明らかにしたくないという理由で自分のブログには書けないので、ここに書かせてもらう。
現役京大生だが、今回の入試不正問題で感じたことを書く場がほしかった。
自分が思ったことを書きつづるだけなので、論理とか矛盾とかあまり気にせずに書く。
だからもし読んでくれる人がいれば、あまり重く受け止めず読んでほしい。
2度ほど誤報もしたマスコミは馬鹿だと思ってるが、逮捕は正統だと思っている。
でもそれは、自分も京大入試を経験したってのが大きいのかもしれない。
4大学の中では同志社も受験したが、俺が書きたい話にはあまり関係ないので今回は触れない。
受験当時の俺は、とにかく京大に行きたい、京大以外の大学には行きたくないと思ってた。
今になって振り返ると、そこまで京大にこだわる必要なんてないだろって自分でも思うけど、当時は京大しか目に入ってなかった。
その理由は話すと長くなるから、要点だけ書くけど、
俺は高校生の頃、高校がすごく不自由な場所だと感じていて、とにかく息苦しいし生きにくいと日々思っていたので、
おそらく「自由の学風」で「放任主義」、おまけに「変人が多い」と噂の京大に入りさえすれば、自由が手に入ると信じきっていたんだと思う。
(これは今になって思うのであって、当時はまだそこまで自分を客観視できていなかったけども。)
現役で落ちたときは悔しい思いをしたし、受かってた滑り止めには行かず、浪人することに決めた。
浪人のときは、aicezukiもそうだったようだけど、センターで点がとれず、D判定だったときは、追い詰められた気持ちになった。
俺は模試でもD判定のことが多くて、二次試験で挽回できる見込みも低かったし、受かる自信はほとんどなかった。
それでも上述のように、京大へのこだわりは異常だった。
滑り止めも受かってたけど、京大に行けないなら死ぬと決めた。
センター試験後に決めたというと語弊があるかもしれない。
心の中で、可能性としてずっと考えていたものを、確信に変えたという方が正しいだろう。
(余談だが、だから俺は、aicezukiが自殺の方法を質問していた日時がセンター2日目終了後だと知って、ものすごく納得したし共感した。)
二次試験までは、勉強の間、ノートの余白に「死にたい」と書きまくっていた。
二次試験が終わった後、合格発表までは、後期試験の勉強の傍ら、遺書の下書きや自殺方法を真剣に考えていた。
そして迎えた合格発表の日。俺は受かっていた。
その瞬間のことは今でも鮮明に思い出せる。
自分の番号を見た瞬間、涙がグワッと溢れてきた。
そして、「あ、俺、生きてていいんだ」と思うと、涙が止まらなかった。
俺は信仰心とか全然ないんだけど、そのときだけは神様から「死ぬな、生きろ」って言われたような気がした。
それまで死ぬことしか考えてなかったのに、いきなり「生きる」という道が目の前にバーッと、それこそ白い強烈な光みたいに開けてきた。
なんだかこれ書いてる今も涙出てきた。あのときほど強く「生きよう」と思ったことはない。
今だからこんな風に言えるけど、俺は京大入試に文字通り命をかけていた。
俺の例は極端かもしれないけど、京大に限らずどこの大学でも、入試を受ける一人ひとりに、いろんな思いがあると思う。
そしてその思いは、極論かもしれないけども、実際に入試を体験しないとわからない部分もあるはずだ。
「追い詰められていた」っていうのは、カンニングの理由にはならない。
追い詰められてる人間なんていくらでもいるし、俺やaicezuki以上に追い詰められていた受験生もたくさんいるはず。
京大入試の特異な点は、試験を受けるほぼ全員が第一志望だという点だと思う。
在学生や受験生の人には申し訳ないし、今から書くことに悪意は全くないんだが、
早稲田や同志社ですら、東大・京大などの国立大志望者からすれば、滑り止めとしか見ていない場合も多い。
けれども京大は違う。ひやかしでもない限り、全員が並々ならぬ決意と共に受けに来る。
「京大じゃなかったらマスコミがここまで騒いでない」「京大は大騒ぎしすぎ」という意見もよく見るけども、この点を考えれば、京大だから大騒ぎになっているのは当然のことだと思う。
俺は、入試は人生に大きく影響し、人生を変えるものだと思っている。
けれどもそれは、「良い大学に入れば良い就職ができる云々」という意味ではない。
大学なんてものは、「どこに入るか」よりも、「入ってから何をするか」の方が重要だと思う。
特に、京大なんかだと、「京大に入ること」が目的になってしまい、
いざ入った後に何をしていいかわからなくなり、無気力になってしまったり、受験からの解放感が強すぎて、授業にも行かず毎日家でダラダラと過ごしてしまったり、という状況に入学早々陥る人も珍しくない。
就職活動でも、聞かれるのは「大学『で』何をしたか」ということだ。入るまでの努力の日々なんか聞かれやしない。
じゃあ俺が「入試は人生に大きく影響する」と思うのはなぜかといえば、
それは、「勉強の末、第一志望に合格した達成感」や「頑張ったのに第一志望には入学できなかった挫折感」を感じるという経験は、非常に大きなものだし、人間の生き方や考え方にも影響を与えるものだと思うから。
挫折感を味わった人は、その後奮起して、負けず嫌いな努力家になるかもしれない。また反対に、虚無的になり、努力を放棄する道を選ぶかもしれない。
入試での体験をどう受け止めるにせよ、その体験があることで、その人の人生は間違いなく深みを増すはずだ。
しかし、達成感も挫折感も、カンニングをし、他力に頼って入試を切り抜けた者には味わえないだろう。
もちろん合否という結果は出るのだから、ある程度の達成感や挫折感は得られるはずだ。
しかし、完全なる達成感、完全なる挫折感は、自力で入試にぶつかっていった者にしか感じることはできないと思う。
繰り返しになるが、俺は一個人としてはaicezukiの逮捕は妥当だと思ってる。感情論だと自分でもわかってはいるが。
このことについて、「カンニングを偽計業務妨害にするのはおかしい」という意見の人も多い。
実際に2chやTwitterでも、そのような議論が数多く見られる。
でも俺が気になることが、ひとつある。
それは、そのような議論をしてる人たちの中には、罪状について「業務妨害」「業務妨害」と、「偽計」の部分を略している人が非常に多いということだ。
俺は、このことに強い違和感を感じている。
「カンニングされたのは大学の監視体制が悪かったからだ、だから自業自得であり、業務妨害にはならない」という意見の人も多いのだけれども、
みんな「偽計」の部分の重大さを忘れているように感じる。
今回の件で真に重大なのは、「業務妨害」の部分よりも、「偽計」したという事実だと思うのだが。
「偽計」の省略され具合から見ても、みんなその点を忘れてるんじゃないだろうか。
でも、カンニングは罪に問われてもおかしくない行為だと信じているし、
もしカンニングを罪に問える適切な法律が現時点で存在しないのならば、早急に作るべきだと考えている。
2年前の今頃、仕事が終わって携帯を開くと父親からの読みづらいメール。
「Sがインターネットに遺書を書いていると警察から連絡が来た。なにかわからんか?」とのこと。
ついに来たかと思った。
母一人、子一人の訳あり。彼が20歳の時に彼の母(俺の叔母)は亡くなった。
従兄は本州の大学に行き、俺も道内の大学進学となり疎遠に成っていったが、
鬱だと言うことも。
俺も大学を4年で卒業することが出来ず、1年間本州へ逃げ出していた時期があり、
その時に従兄の家に顔を出した。
手土産を渡すとチェーンロックがかかったドアから顔を覗かせ「ありがとう」と言った。
小さい頃からいつも一緒に遊んでた従兄があんな風になるなんて思ってもいなかったし、
同年代の親戚なんて、俺と妹と従兄しか居なかったから兄弟みたいに育ってきた。
彼が大学を辞め、地元に戻ってきた頃は、彼も調子が良かったようで、度々会っていた。
すごく楽しかった。
俺の誕生日プレゼントだっていって、PC組んでくれたり、申し合わせたわけでもなく
彼はHIPHOPが好きで、俺はReggaeが好きになっていて音楽の話しもいっぱいした。
それから数年、また疎遠に成っていった。送ったメールも返ってこなくなった。
その間の彼の生活は全くわからない。
どこかに「便りの無いのはよい便り」なんて思っていた節もあった。
見つかるまでの1週間、どこか他人事のような気がしながら、過ごしていた。
置きっぱなしのPCからmixiにログインしてたせいで、最後のブログ記事の米欄に
ググったらその名前がたくさん出てきた。
今こうやって書いていて、支離滅裂な文章だなと思う。
きっとまだ受け入れ切れてないんだな。
死んだら終わりだ。
俺も同じように生きる意味を探してた時もある。
わかんなくもないけどさ。
ほっときゃその内誰でも死ぬんだ。
だから急ぐ必要なんて無かったろって思う。
彼の考えは無視して書く。
俺が寂しいんだよ。
親が障害を持つ子供の権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。
生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。
「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。
さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。
が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。
「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地や旅行に行きたかったのに」
「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。
どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。
で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。
一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」
「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」
「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。
養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」
「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」
結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」
「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。
【サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたかも現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである。
既に
http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html
といった記事で述べられているように、このコピペが真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ(飯田 進)』というものがある。
上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。
にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。
ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文からの引用を交えてネット上に残しておきたい。
なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分からの抜粋になることを付記しておく。
この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。
目次
わが内なる罪
父母の会創設
国際的な連帯を求めて
噴出する矛盾と内部対立
集団訴訟をめぐって
親の止まり木を目指して
裁判有利の展開のかげに
疑惑の根源
裁判の終結
和解の落とし穴
父母の会の解散
息子伸一の死
実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。
『青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないかと想像するが、どうだろうか。
「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進氏であるかのように錯覚できるのは否定しない。
しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。
まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)
たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド系薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)
「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。
知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)
彼は結婚前もその後も、しばしばタイ、インド、ネパール、チベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行とはいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)
いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)
さらに終章では
伸一は母子感染でC型肝肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎のウイルスが混入していたのである。(312頁)
もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)
事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)
『青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。
飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペの元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。
障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別だネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペを「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為は誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別”である。
最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。
「サリドマイドの裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えないであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]
「つまりサリドマイド裁判は薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)
※に関する追記
サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学を卒業する時期もある程度類推が可能である。コピペの記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。
30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペの記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるかに就職に有利であった時代に「普通学級で大学にいかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。
コピペに「危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者が大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある
去年の11月くらいにに某所で書いたものなのだけど、人の目に当たる事が殆ど無かった。
さっき風呂入ってぼんやりしてたら何となくこれの事を思い出したのでここに投げ込んでみる。
文体がやや気持ち悪いのはその時の精神状態と投下した場所でのキャラこんなだから。
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なんだかんだでもう10年は病んでて最近調子良くなってきたから社会復帰できるかな、と思いきや転落してまたニートもどきな日々を過ごしています。
数年前に某富士の麓に研究所がある自動車会社に派遣で行くことがありました。長期という話だったので御殿場の駅前の新築アパート借りてさぁ心機一転がんばるぞー、と働き始めました。
ところがこれがまた劣悪な職場な訳で…。
なんとか方式とかいう効率的な職場方針の大本だけあっていろいろと効率的です。工場じゃなくて研究所だから少しはマシかな、と思っていたらそうでもなかった。
なんていうか怖い。
期日がタイトなのはデフォルトとして、結果も求められる。失敗は許されない。
実験するんですよ。私は派遣の丁稚だからプロパー(自動車会社の正社員)さんにアゴで使われて実験のセッティングをして実験をしました。赴任一週間目だったと思います。
や、プロパーさんに「これくらいできるよね?」みたいな感じで早口でメモ取る余裕もなくあれこれ一方的に言われて「じゃ、忙しいから後は任せた」みたいな感じでさっさとどっか行っちゃうのです。
どうしろと?
実験と言ってもここでの実験は所謂物理学的な実験で私がバックグラウンドに持っている化学の実験の知識なんかクソほどに役に立ちません。
でもやらないと、ということで役に立たないメモと記憶を頼りに実験したら見事失敗。
部長(昭和の悪しき風習を未だに引きずってる感じのするオヤジ)と面談になってプロパーさんは胃に穴が開いてそうな顔をして
で、その部長さん、プロパーさんだけじゃなく私にも面談だと呼び出してきました。
実験を失敗させた「戦犯」だしガミガミ言われるのかな…と思いきやこう言ったのですよ。
「オマエ○○にいたんだろ?使えない奴だな。そんなだから半年でクビになるんだよ」
○○というのは栃木と埼玉に研究所を持つ自動車会社です。栃木の方に半年勤めていました。これも派遣なんですけど。
しかしそれは面倒くさい事に巻き込まれてそれに対して正論言ったらさらに面倒くさいことになってそれにカチンときたので更に言ったらパワハラまがいのこと喰らって、それが元でメンヘラが悪化してノックダウン、派遣元判断で強制退去と言う経緯があります。
面倒くさいことがなかったら多分長く続けることができたと思います。職場環境は今まで勤めた中でもずば抜けて良かったですし、今でももし機会があればまたそこで働きたいと思うほどです。
話を戻しましょう。
部長はその○○に何か執着があるのかそれ以降ことあるごとにそれを引き合いに出すようになりました。一番酷かったのは私の歓迎会という席で無理矢理酒飲まされそうになって断ったら「だから○○辞めさせられたんだよ!」と曰った事でしょうか。
それが切っ掛けという訳じゃないのですがそれから仕事場に行くたびにMP(メンタルポイント)が削られていくのがわかりました。実験は相変わらず上手く行かないし、新卒の小五月蠅いガキっぽいのがゴミを見るような目で無茶なことやらせたりでMPはどんどん減っていきます。
そして…某月某日、MPが尽きました。
朝起きても動けない。恐怖と不安で押しつぶされて身動きができない。今でも仕事決まって行こうとするとこの恐怖と不安の発作が出ます。それの始まりでした。
三日間全く動けず。
何して何食べてどうやって生きてたかは正直覚えてないです。寝て起きると汗びっしょりでクタクタで、それでもインターネットはやっていたらしいです。どんだけ好きなんだよインターネット。
三日目の夜携帯電話が鳴る。相手は派遣元の研究所担当の営業さん。
「完全にお怒りで…」
「明日何が何でも出社でき・・・」
「そうでなければ解雇wldajkfdhafasfa」
覚えているのは薬入れにあった向精神薬,睡眠薬全てを出して、冷蔵庫からスクリュードライバーの缶をだしてビーカーに注いで薬を全部飲んで布団敷いてメモに走り書き的な遺書書いて寝ていた。
…らしい。
発見されたときの状況がそうだったらしいのでそうだったのかもしれない。
電話の途中で思考がシャットダウンされた後の記憶は本当に無く、次に気がついたときには病院らしき場所でやたらでかい注射が打たれる瞬間だった。それを見た数秒後また意識が暗転。
次に気がついたときは当時所有してた車の助手席に座っていて、父が車を運転していた。何十年ぶりのマニュアル車でしかも外車なのに…申し訳ないと思ってまた意識が暗転。
次に気がついたのは実家の目の前。父が「降りろ」と言うので車から降りようとしたら足に全く力が入らず顔面からダイレクトに着地。まぶたが切れて血がどくどく出るわ眼鏡に傷がつくわ背伸びして買ったオサレ服屋のシャツに血がつくわで散々だった。
それから記憶がはっきりするのに一週間以上かかった気がします。
記憶がはっきりしないときに派遣元のコンプライアンス部長とかいう人が来たらしく、お金沢山あげるからもう金輪際関係はありませんさようならみたいな念書を書かされたようです。
実際体験して思ったことは「死は自動的」であるということ。行うときは本当に無意識に自動的に執り行われます。
死ぬ死ぬ喚いているうちは死にません。だって死ぬって宣言する時点でリミッターが働いているから。私も死ぬ死ぬ詐欺よくやるから解るけど、実際喚いている時は本当に苦しい。辛い。誰かに(辛さ、苦しみを)わかって欲しい。そうやってレスポンス貰ってようやく自分の中に空いた穴が満たされるのです。
少し前にUstreamで自殺実況して本当に死んじゃったって事件あるけどあれも本当に自分の苦しみをわかって欲しかったんでしょうね。でも場所とオーディエンスが悪かった。
煽られ罵られ貶された末に彼がとった行動は「本当に」死ぬことだった。
多分怒りからきた衝動だと思う。そりゃ怒るよ。こっちは真剣に苦しいのに「早く死ね」とかナチュラルに匿名掲示板のノリで煽っちゃ。
基本的にメンヘラの人は怒りを自分自信に向ける。自罰的な人が多いって言うのだろうか。この場合だと
「死ねなかった」→煽られる→「くそ!死ねなかった俺が悪いんだくそ!くそ!くそ!」→衝動的に「行動」に移す→運悪く「成功」
怒りで死んじゃったら救われないよ…。
匿名掲示板という特殊環境と群集心理というのもあったのかもしれないけれど、あの場にいたオーディエンスは本当に悪質だと思う。正直、IP調べて書き込んだ奴らを自殺示唆で立件してもよかったんじゃないかとすら思っています。
自殺願望者にとって死は救いです。ギャグでも何でもなくて本気で死ぬことによって苦しみから解放されると思っています。
でも基本的に人間っていうのは自死に対してはリミッターが働いてしまう。だから苦しみから解放されず辛くて苦しい時を過ごさざるを得ない。で、その苦しみや辛さを知って欲しいからある人はリスカ写真あげるかもしれないし、死ぬ死ぬ詐欺する人もいるかもしれない。
2009-01-08 高1男子 電車 大分県中津市合馬のJR日豊本線の踏切内
2009-01-19 中1男子 飛降 福岡市西区小戸3の10階建てマンション
2009-01-21 午後00時50分ごろ 高3女子 電車 三重県津市久居新町の近鉄名古屋線の踏切
2009-01-23 午後09時 ごろ 中1女子 飛降 札幌聖心女子学院4階
2009-01-27 午前05時40分ごろ 女子(17) 電車 香川県丸亀市のJR予讃線讃岐塩屋駅
2009-01-30 午前05時30分ごろ 女子(16) 飛降 山口県防府市車塚町の路上
2009-02-01 午前02時 ごろ 高2男子 首吊 埼玉県鴻巣市赤見台の公園
2009-02-16 午後05時 ごろ 小4女子 首吊 川崎市川崎区 自宅
2009-02-18 午前10時40分ごろ 高1女子 電車 大阪府堺市堺区広陵中町の南海高野線三国ケ丘駅
2009-02-19 午後03時45分ごろ 男子(19) 硫化 熊本市本山のマンション1室
2009-02-25 午前08時45分ごろ 高1女子 電車 新潟市東区岡山のJR白新線大形駅
2009-02-26 午後03時10分ごろ 高1男子 電車 埼玉県春日部市一ノ割の東武伊勢崎線一ノ割駅
2009-03-03 正午ごろ 高1男子 首吊 三重県伊勢市 自宅
2009-03-09 午後01時55分ごろ 中2女子 電車 札幌市豊平区の市営地下鉄南北線南平岸-澄川間
2009-03-22 高2女子 電車 福岡県久留米市三潴町生岩の西鉄天神大牟田線の踏切 遺書あり
2009-04-05 高3男子 飛降 兵庫県川西市小花の15階建てマンション
2009-04-07 高1男子 飛降 岐阜市蕪城町の7階建てビル 入学式当日
2009-04-10 高2女子 電車 埼玉県加須市土手の東武伊勢崎線加須-南羽生の踏切
2009-04-13 高1男子 電車 埼玉県川越市砂の東武東上線新河岸駅で、線路上に立っていた
2009-04-15 高1女子 飛降 兵庫県三木市大塚2丁目の県営団地
2009-04-17 高2女子 飛降 兵庫県姫路市の私立高校(賢明女学院高)
2009-04-23 高1男子 首吊 神戸・灘区の公園トイレ
2009-05-04 大3男子 硫水 札幌の豊平公園の公衆トイレ
2009-05-14 高2男子 電車 静岡県新居町中之郷のJR東海道線 遺書あり
2009-05-16 中2女子 飛降 滋賀県守山市水保町の14階建てマンション 遺書あり
2009-05-29 高2男子 飛降 川越市内の私立高校(城北埼玉高校)
2009-06-10 高3男子 電車 近鉄南大阪線河内天美-矢田間の踏切 遮断機をくぐって線路内に立ち入る