はてなキーワード: ヤンキーとは
まあ事実だよね。ここだけ読んだらある程度同意してたんだけど、
精神病持ちのヒキニートの本人がこのツイートを投下した経緯を読んだらまったく同意できなくなった。
ニートだから雇わない、精神病持ちだから雇わないんじゃなくて他の応募者よりも総合点で劣ったから雇われないっていうのを、ニートを正当化しようとする人種って認めようとしないよね。
能力であれ環境であれその人の学歴であれ、ニートに限らずどんな人間も優劣つけて総合評価された上で雇われるわけ。
他の求職者より総合点が劣った場合は雇われない。ではニートに限らず、数多いる求職者はどうやったら企業に雇われるのか。
他の人より、より多くメリットを多く感じさせるための何かを身に付ければいいわけだ。
好き好んでニートなわけじゃないとか言うなら、その期間をカバーできる何かをしていればいい。
精神病だからというなら、精神病である事を加味しても雇う価値がある自分になればいい。
そういうこともせずにマイナス要因とするな、他の求職者と横一列に扱えというのは図々しいとしか言えない。
そもそもニートというのがマイナス要因として扱われるのはニートじゃない求職者がいるからだ。
精神病持ちというのがマイナス要因として扱われるのは精神病持ちじゃない求職者がいるからだ。
ニートに限らず、精神病に限らず、ヤンキーだって成績不良だって遠方住みだってどんな病気持ちだって貧乏だって容姿だって障碍だって、全てマイナス要因にされるんだ。
理由を付けて何もしない事を選ぶのは甘えているだけだ。
「君たちは何のために学問をするのか 何のためにこの松下村塾に来ているのか?
日本のため人々のためといいますが、具体的にはどういう人々ですか?
的を見ずに矢を放っても的には当たりません 目的のない学問はすべてが無駄になります
何のために学問をするのか、それは学問をしたくてもできない人のためにするのです!
人々のためとはそういうことです 諸君が松下村塾に来るのは 松下村塾にも来れない人々のために来ているのです
それがわかれば一分一秒もおろそかにはできないはずです みんな私の代わりに力のかぎり戦ってください」
吉田松陰の講義は平地にありながら最新の情報に溢れており、藩校である明倫館をしのいでいたとされる。
(松陰と京都で知り合った勤皇思想家梅田雲浜=安政の大獄第一の逮捕者もこの頃松下村塾を訪れ各藩の政治状況を伝えたりしている)
とはいえ罪人の開いた私塾であるから白い目で見られ、上士の子である高杉晋作や久坂義助などは親の目を盗んで通ってくることになる。
(その他の生徒は貧農の子伊藤俊助、足軽の子品川弥二郎、中間の子山県小助など。)
松陰は一方的に教えるのみではなく、様々なテーマを与えて生徒に調べさせ、
順番に教えあい、その時は松陰も生徒となって学ぶ。これは野山獄時代と同じ。
学問といっても磁極を論じたりしているのであるから、しょっちゅう凄まじい議論となり、
先生も生徒も一緒になって朝まで大激論を戦わせたりするのであった。
したがって、松下村塾には遅刻も早退もない。各自の都合で来れる時間に来て、時にはその場で働きながら学ぶといった様子であった。
働きながら学び、学びながら働く。松下村塾は常に熱気にあふれていた。
物置を改造した松下村塾はあまりにせまく、毎日入りきれない生徒が庭にあふれていた。
(桂小五郎はこの時江戸にいて、吉田松陰とは往復書簡による師弟関係)
#薩摩 精忠組#
斉彬復帰後も、改革が第一優先であり
お家争いを防ぐため、「高崎崩れ」の犠牲者救済は、政治的バランスを考慮して後回しにされ、
結局流罪にされた者は2年以上放置されることになる。
この当時は、お家の安定が個々人の身分より優先されるのは、むしろ武士であれば当たり前、という時代だった。
斉彬は参勤交代から帰国し、洋式の事業も見通しがつき、斉興・久光派も落ち着きを取り戻してから
ようやく高崎崩れの流罪者が赦免され流罪からかえってくることに。
斉彬に直訴状を書いた。
書いているうちに、まず百姓の上に胡坐をかき、私服を肥やす役人どもへの怒りにうつり
さらに元凶たるお由羅派をなぜ処罰しないのか、という批判に及び、
勢いはどんどんエスカレートしてついには蛮学に湯水のごとく金を使う斉彬への彈劾となった。
(基本的にこの当時の武士というのは全員無知である。何も知らされていないから当たり前だが。
特に薩摩武士は武芸や忠誠がやかましく、下級武士である西郷は狭い学問でも実力は下の下であった。
だから、目についた農村の貧しさについて、その歴史も理解できず、目の前のことがすべてになってしまう。
西郷はこのあとも、斉彬の意図を全く理解できず、そのくせ忠義と称して暴走を繰り返している
しかしこれでも農村の痛みに気づいただけまだましな方というから、どれだけ当時の武士が
ものを知らされず、また忠義と称して暴走しやすい困った気質の持ち主であったかよくわかる。
江戸時代に行われていた偏った儒学や忠孝の教えでは、基本的にこういう愚か者を作ることしかできない)
→しかし、島津斉彬は彼を用いた。そのくらい「手駒としては仕える」人物だった
「考えは180度違っているが、それは今後の教育でなんとでも変えられる
おいそれと変わらぬのが、そちが持って生まれた無私無欲の心 そこを見込んだ。今日からわしの片腕となってもらいたい」
水戸斉昭さえ制御しようとしていた斉彬は、自分が死んだ時や、動きを制御しきれなかった時の危険については一切考えていなかっただろう。
→私はこの頃の西郷のような直情径行ガ忠義という概念とセットに成った、視野が狭くすぐに他人に攻撃的になる人間が嫌いだ。
西郷に関しては当時のことだから納得はできるわけで、現代でもたまにこういう奴がいるのを見ると吐き気がする。
「これといった目的もなく、落ちているものを探すのでもなくただなんとなく歩いているのですか?
我が国でも風流人はそういうことをしますが、それは楽隠居の道楽です。
あるいは無法者、ゴロツキ、怠け者のたぐいです。
江戸で何もせずに歩いているだけの人間など、挙動不審とみなされしょっぴかれても文句は言えませんな」
「日本の役人は世界最悪と言える 犬が何も考えられないのと同じ」
とまぁこれはいいけど、やれ風呂はだめだの山菜は食えないだの、ヤンキーはほんとにwww
「この1年は何だったんだ…国際社会の常識を知らぬ無知な国が相手だ。
彼らには経緯を持った対話を重ねて教えていくしかない。そう思い私は之までずっと耐えてきた。
しかし彼らは頑として心を開かなかった それがどうだ たった一艘の軍艦を見た途端
向こうは大砲に動揺した 私も相手が怯えるように話した
ハリスよりペリーが正しいのなら、言葉はなんのためにあるのだーーーー!」
#攘夷志士の怖い習慣#
・ 登場人物がやたら多い。
1ページか、二ページそこらで、登場人物がやたら出てくる。本人の中ではしっかりとキャラクターが浮かんでいるのであるが、いざ書きだすとなかなか先に進まない。他人に読ませても「キャラクターの区別がつかない」とか言われる。他人をお話の中にすんなり引き入れるには、多くても主要キャラクターは三人か四人がベストでしょ。
・読み始めて、しばらくしても何についての話なのかよくわからない。
いきなり長編に取り掛かろうとする小説家志望にありがちなパターンである。ずーっと読んでいってもなんだかよく分からない主人公の日常が書かれてあるだけで、いつまでたっても事件が起きないのだ。セントラルクエスチョン(主人公は○○できるのか?)を提示するのが遅すぎる。遅くても10ページまでには何の話なのか提示しないと、読む方はあきてしまう可能性があるのだ。
・登場人物が画一的すぎる
女子高生が出てきたら女子高生の口調、オタクはオタクの口調や行動、ヤンキーはヤンキー、校長が出てきたら校長、婆が出てきたら婆、どれもこれも画一的で、その個人特有の人物造形ができていないのだ。女子高生だったらこんなことはしないだろうとか、ヤンキーはこんなこと言わないだろうかとか考えず、こいつ自身はどう動くかを考えるべき。
主人公が不安だと思ったときに、そのまま言葉で私は不安だと表現するのは簡単。
そうじゃなく描写で表すほうがいい。不安なら、「私の進む先に暗く淀んだ雲が漂っていた」これだけでいい。
・敵の底が浅い
これは、ダメな映画、小説、漫画すべてに言えるが、敵または悪役の底が浅すぎる。みんな似たり寄ったり、同じような口調や行動でありきたりこの上ない。書き手が主人公ばっかりに気持ちが入っていて、陰と陽の配分がなされていないのだ(不思議と悪役の存在感が薄い小説は、主人公も同じく薄いことが多い)
悪役を描くときは、どうせなら主人公より悪役の方に肩入れしてしまうくらい入念に丹精込めて造型しないと、濃密な戦いは生まれないぞ。主人公以上に、なにか独特の倫理観や、哲学を持ってないと魅力は出てこない。<リンク:共犯者 (新潮クライムファイル)>共犯者の関根元を見習ってくれ。
・退屈な生活をおくる主人公のもとに、都合良く謎の美少女が現れる。
導入で、ここまでうんざりさせられる展開は他にない。冒頭に退屈した主人公の日常が延々と描かれ、突如としてその生活に舞い降りた謎の美少女。これがラブストーリーとかになったりしたらもう最悪…。導入としてはすごくわかりやすくて、お話も運びやすいのはわかるがもう一つ何かひとひねりちょうだい!
自分の中に溜まった抽象的な[何か」を表現しました、と言う小説はたいがい、つまらない。こういう小説は冒頭にかならず自意識を垂れ流したような文章が長々と続き、ちょっと書いている本人が陶酔している。こういうのを描くのは、玄人向けというか、並外れた文章表現と客観性がないとなかなかうまくいかないのよ。最近芥川賞とった「きことわ」ぐらいのレベルなら別だけど。
なんかさらーっとしてて、自然とかそういう情景描写ばっかりの小説ってあるよね。たぶん自分の中では美しい情景が思い描けてると思うんだよ。でも他人ってそんなにあなたが感動したことに共感はしてくれないんだよ。よくありがちなのが自然と人間の死を対比させているパターンね。
・文章もテーマも立派なんだけど、全体的に大したことが起こらない、地味。
こういう小説が一番多い。文章もプロ並み、テーマも素晴らしい、でも地味なんだよってやつ。こういう人はとことん地味な話を書くべか、または自分が普段全く読まないような超エンタメ小説や劇薬小説などを買いあさって読んで、一度頭をフルチェンジしてみるのが一番ベストである。
・文章もテーマも立派だし、起こっていることもまぁまぁなんだけど、モチーフがありきたりで既視感がある。
そこらへんに転がってるような話だけじゃ駄目なんだよな。
海外の古い短編なんか読むと、こんなんでいいの!?って思うくらいシンプルなのもあるけど。それは昔の時代だから通用しただけのことであって、今の時代は「ひねり」をどんどん入れて、読者の意表をつかないと、すぐにあきられてしまう。じゃあ二転三転すればいいのかっていうとそういうわけでもないんだけど、読者を驚かせてやろうってぐらいのサービス精神がほしい。
特に近頃、空気が冷え込んで来てからは、二人に一人くらいはマスクを着けていると言って良いだろう。
「冬だね!マスクしてもいいよね?」
と言わんばかりにだ。
マスクの一般的な使い方として知られているのは、咳などで風邪を他人に移さないことと、外部からの菌等を防ぐための2つだと思う。
風邪を患うといっても2人に1人という高い割合になることはさすがに無さそうので、予防の為の着用というのが説得力がある方だと私は思うが、
果たしてそれがどれほど効果が期待できるのかは懐疑的である。つまり、予防の為に着けてると言うには着用してる人の数が多過ぎ、又効果の程も怪しいのである。
特に電車内でマスクを着ける人は多いと思うが、ではつり革に触ったあとで必ず石鹸で手を洗う人はどれ程いるのだろうか。
ニコニコ動画やyoutubeで個人作品を見ている人は分かると思うが、アップしている人達の半数はマスクを着用している。
もちろん、ネットに顔を晒すことと日常生活におけるそれは全く異なることだけれども、動画上でマスクを着けるのも不思議なことに日本人だけなのである。
日本人には明らかに、自分の顔をさらけ出すこと対して抵抗を覚えるという、国民的ともいえる性質があると思う。
例えば今も存在しているのか分からないが、日本のヤンキーの象徴の一つはマスクである。
私は、これは彼ら自身を強く見せる為に着けているのではないかと思っている。
表情を読まれることは、自分の弱みを悟られることに等しいからだ。
で、結局のところ一般人がマスクを着ける理由もヤンキーのそれと大差無いのではないかと思う。
日本人は感情表現に乏しく自己主張が弱いと外国人に揶揄されことがある。
個を前面に出してゆくのは日本人の苦手とするところで、常に周りに同化していたいと感じ没個性を望む。
まさしくこれが日本人らしさで、これを適えるのにうってつけなのがマスクなのである、と私は考える。
といってもこれらは全部私一人が考えたことなのでこんなふうにネットで意見すると色々有意な反論も貰えると思うので、
皆さんの意見をお聞かせ願いたい。
あれ、見ても思ったけど、現実とネットの境目がわかってないんじゃないかな
ああいう人、あそこまでじゃなくても、見た事ある
なんとも言えないと思うのは、ヤンキー、不良のどうしようもなさじゃないんだけど、どこか本当にどうしようもない部分があるというか (表面的には似てないんだけどなんか同じ物を感じる)
役に立ちたくないという気持ちが人一倍いや人100倍くらい強い人という印象を受ける人もいた
過去のまとめ
いつも周りから軽く見られて、周りからいじられる事が多い子だった。
でも、失礼な事を言われても決してやり返したりせず、周りに思いやりのある対応をする子だった。
そういう人間に会ったことがある。
うっぜーーーんだよね、そのタイプさあ。
負けず嫌いを20年30年とやってきてるわけだから、
負けず嫌いなりに角が取れてるって言うか、余裕も出来てるわけよ。
(まあそうじゃないサイコパスみたいなのも一部に居るけどね)
大人になった頃には自分の負けず嫌い度に応じた場所に行ってるわけよ。
つまり周囲も同類の負けず嫌いだらけのコミュニティや企業にね。
これが迷惑極まりない。
とりあえず周囲の人間に当り散らすんだよね。
自分の現状のポジションや交友に対して破壊的なアクションが増える。
ほんとにやるなら自分を破壊しなきゃいけないのに、そこは自分が可愛いから物や人に当たる。
悪口や陰口やランク付けみたいな発言がすげー増える。
常に「馬鹿にされてるんじゃないか」って発想が支配的になって、臆病になる。
そのぶんまで攻撃的になる。
はっきり言って自意識上の障害、
メンヘラに分類されるべき奴らなんだよねあれ。
俺は成れの果てって言うか、結論みたいなおばさんを数名見たんだよ。
物凄く周囲に迷惑で、
物凄く本人も辛そうだった。
後からつけた仮面は20年経っても全然顔になじんでない感じだった。
一時も心休まってるときがないように見えた。
酒飲んだときの酒乱ぶりも半端なかった。(普段必死に見え見えのゴマすりしてた相手にも無礼をしてしまう)
大人になってから自分のそれまでを全部否定してやり直そうとする人。
おそらくメンヘラの一種だから、口で止めても止まらないだろうけど。
迷惑なだけじゃなく、それは上手くいかないんだよ。
成人に突如、問題を抱えた中学生みたいな危うい人格に戻られても
周囲の同僚はそんなの受け止め切れないんだよ。付き合うにはハードルが高すぎる。
だからあっという間に周囲と内面が隔絶して、不満と不安でメンヘラになり始める。
不幸になる。下手すればその先何十年も。
17歳差の年の差カップルの誕生は、世の中のアラフォーの男性たちに勇気を与えた。
結婚して一年経ちながら、二人仲良くテレビで笑顔を振りまいている。
だが、私はこの二人、来年までに離婚するだろうと予想している。
島田紳助(現・長谷川公彦)が先日引退したが、そのとたん週刊誌は競うように、彼の悪事について記事を書いている。
実名で事実を語る関係者がほとんどいないので、どこまで真実なのか分からない。
しかし、暴力団と親密な交際を裏付ける手紙や写真は存在しないと大見得を切った引退会見の翌日に、紳助のメールが公開され、
同席写真が公開されては、彼の身の潔白を信じる人間ももういないだろう。
紳助は、見初めた美人タレントを共演者として呼び、口説くことでも有名だった。
ヘキサゴンファミリーで共演したタレントのうち、数人は紳助の愛人だとも言われている。
紳助ファミリーに入って実利を得ながら、紳助の毒牙から逃れるために、紳助に恋愛相談を持ちかけて彼を身内に取り込む、
という作戦に出た者もいたという。
優樹菜は元ヤンキーなので、紳助のような暴力的な人間がどのような人間で、彼の愛人になればどのような末路を迎えるのか、
痛いほどわかっていたに違いない。
「ヤバイヤバイヤバイ」
彼女の心の声が、今ごろ聞こえてくる。
紳助と同じ吉本興業で、紳助とは14歳しか離れていない(優樹菜とフジモンよりも近い)。
芸歴も下積みも長いので、紳助のような先輩にもある程度抵抗ができるし、取り入るのもうまい。
抱かれるとして、紳助とフジモンを比べれば、まだしもフジモンの方がマシだ。
こうして、優樹菜は魔の手から逃げるように、フジモンの下へと走ったのであろう。
ところが、ここへ来て紳助の引退だ。
優樹菜にとってみれば、自分を引き立ててくれていた巨大な権力者がいなくなってしまったことになる。
そこでふと、横を見れば、なんでこんな男と一緒にいなくてはならないのと思える、やつれた40男が並んでいるわけだ。
彼女は幻滅しているだろう。
紳助がいない今、彼女を引きあげてくれる者も、彼女にとって恐れる者もいない。
頼りならず、恐るるに足りない吉本に、今更寄り添う必要もあるまい。
変わり身も早く、力を失った者は容赦なく蹴落とす。
私には見えるのだ。
フジモンを蔑み、やがて、もっとイケメンで同じ年くらいのモデル風のタレントと、浮気する将来の優樹菜の姿が。
その先に、二人の涙の離婚会見が、見える。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110908/222523/
両者はオタクとヤンキーくらい(根本こそ共通しているけれども)実態は全く別のモノだと思う。
中二病というのは、元はといえば
日常生活に支障をきたすレベルでアイデンティティに深刻なダメージを持っているものが
空想レベルでもいいから、とその傷を癒すためにやむを得ず取り入れた空想じゃなかったのか。
文章中に示されていた「懐の中の剣」がちょうどふさわしい例だと思う。
基本的に実行に移されることはない無害なものだ。ほうっておいても問題はない。
興味があったら相手にしてやる、程度でいい。
そういう意味で某ラノベの「砂糖菓子の弾丸」という表現はとても的確だったと思う。
毒電波からロボットまで色々あるけど、非力な人間の空想に過ぎない。
オッサンたちが「中二病」というのは明らかに問題がある。
確実に有害である。ほぼ確実に行動に移され、よろしくない結果をもたらすからだ。
そこには中二病のように空想でとどまらないプラスアルファの何かがある。
生暖かい目で見守っていたら、本人だけでなくこちらまで迷惑を被る。
ましてそんな「オヤジ×中二病」が集団をなして何かをなすときたらこれはもう並の宗教より危険だ。
宗教だって基本的にはトップがお金儲けする以外は信者は妄想たくましいだけのおとなしい人間だが、
「オヤジ×中二病」集団は、おとなしくしていることは考えられない。
85歳のヤンキーが最大手メディアのトップというこの国はいろんな意味で愉快すぎる。
20XX年には核の炎に包まれてヒャッハー化することを期待。
あれだけ広大な関東平野があるのに、明治時代まで皇居が置かれなかったのは何故なのか。
自然災害リスクが高いから関東は都を設置するには適さないということを先人は経験的に学んでいたのではないか。
とはいえ、関西は古くからのしがらみと既得権益が多すぎてゼロベースからの経済発展を実現するのは難しい。
とりあえずちょうどいいタイミングで東京が米軍の空襲によって焼け野原になったので、終戦後に関東平野周辺の山林や農地を開墾して平地を作り、
広告代理店を使ってテレビやメディアを通して東京マンセーと垂れ流して日本全国から田舎者をかき集めて、
老人は巣鴨に住め、バンドマンは下北沢に住め、奇抜な服装した奴は原宿に集まれ、金持ちは千代田区とか港区に住め、柄の悪いヤンキーは足立区とかに住め、など
レイヤーごとに人間を配置するように仕向けたら、特定の街に特定の人種が住むわかりやすい街が出来上がる。
そうなると、特定の層を対象にしたマーケティングがやりやすい。流行というものも作りやすいだろう。
ここまで全て計画されていたようにしか思えない。
彼は中卒で以降8年間土方をやってきた。
3年ぶりの電話で、「渋谷にいるから出てきてくれないか」という。
私は大学進学で東京にでてきていて現在はニート、既卒で就活中である。
彼が言う。
「土方を8年間やってきた、気が付いたら23歳になった
私「まあそうだな。東京出てくんの?ってか何したいの?」
突拍子もない、身も蓋もない。そう一蹴する類の話である。
だが、私はがんばってみればいいと思った。
土方の仕事は休みは少ないものの、月に30万以上稼げたりしていたらしい。
彼は人気者である。小学生のころから背が高く、運動も勉強もできた。
中学にあがったくらいから不良みたいになってタバコを吸ったり、
学校をさぼって遊ぶようになった。
それでも、先生たちは彼を目にかけていたし、友人からの信頼を厚かった。
高校には進学せず、土方をやりながら夜の街で遊んでいた。
やっぱりちやほやされてきたんだと思う。
「今はこんな感じだけど、俺はきっとビッグになるぜ」と8年間。
今日もふらっと東京に来れば、部屋探しができると思っていたようだ。
仕事は先週辞めたといった。
8年間続けてきた仕事を辞めるというのは、考えなしのように思えるが
彼なりの覚悟があってのことだと思う。
アルバイトはしたことがない。
どうすれば芸能人になれるかなんてもちろんわかっていない。
ぶっちゃけ、可能性なんてないかもしんないけど2,3年頑張ってみればいいじゃん」
彼「…」
地元の友人たちには、東京に行きたいという意思は伝えていたようだが、
芸能界に入りたいとは伝えていないようだ。かっこ悪いから言わないでくれと言われた。
ものの2時間程度話しただけだ、アルバイトの時給や家賃の相場の話をしただけ。
彼自身何がしたいとかわかっていないようだ。小学生のころ、中学生のころ、
地元でちやほやされいたことを引きづっているだけだ。
「成功って何だろうな」
私はいった。
「好きなことやるってことだろ」
彼は何とも言えない顔をした。
私は彼の力になりたいと思っている。
自分が何をやりたいのかなんて考えたこともない。
インターネットさえもままならない。
そんな彼が「成功」するには、どんなアドバイスが必要でしょうか。
教えてください。
書き手の方に迷惑かかるといけないから(たぶん何らか意図があって開業してないと思うので)リンクは貼らないよ。
「どや、俺の引退記者会見。100点満点やったろ。解説したるわ。
まずは相手に恩義があったということの強調や。
恩義のある人だから無下にはできんかった。人として当たり前のことやないか。
俺、「人として」「心」「感謝」各2回言ったわ、前半で。これ視聴者の気持ちをつかむ豆知識な。
ヤクザとつきおうとるのが悪い言われることは知ってんねん。だからバレんよう気ィつけてやってきたんやから。
ほんまにどっから漏れたんかな。ま、俺の足引っ張りたい奴はぎょうさんおるから、それは今はおいとこ。
でな、最初に「正直に話します」言うたからって、「内心はバレたらやヤバいと思ってました」とか素直に言うてみ、「ヤバいと思ってやっとったんか!」て大バッシングに決まっとる。
自分で悪いと思てることはせん紳助、義理人情に厚くて芸能界の「ルール」に疎い不器用な紳助、や。どや。
ここで視聴者の半分はもう俺に同情的やろ。な?
次に、すぐ引退を決意したいうのが大事なとこや。
こうゆうことは長引かしたらいかん、スパッといかな格好悪いで。グ
ズグズすればするほどボロが‥‥噂が噂呼んで週刊誌があることないこと書き立てるんよ。それがほんま鬱陶しいねん。
こんなことで何度も頭下げて神妙な顔して芸能界で生かしといてもらうのは、てっぺん取った俺のプライドにかかわるねん。
噂が出た、紳助またやらかしたか謹慎かなと一部で思われてるうちに、さくっと潔く引退やて。どや、男らしいやろ。
つまりこうゆうことや。F1の超人気レーサーがやね、スピード違反で捕まったとするわ。世間の顰蹙は買うかもしれんけど、法的には罰金程度で済むわな。それを本人「もう免許証返還します」ゆうたようなもんや。
世間も振り上げた拳の降ろしどころがないわ。みんな大慌てやで。スポンサーもな。
お前らこんなつまらんことで、不世出のスター潰したんやで?でっかい魚逃したんやで?損したのはこっちやないで、お前らやで?ええんか?てなもんや。
まあレギュラー少ななってから辞めるよりはましかもしれんとは思ったな。落ち目でこうなってみ、惨めやでー。
俺は金があるからええけどな。
自分がここで辞めな後輩達にしめしがつかん、若い人に過ちを犯させないために自分が手本を示す、ちゅうこっちゃ。
どや。先輩の鑑やろ。
不祥事があっても何だかんだ有耶無耶にする政治家と比べてみい、紳助偉いやっちゃいうことになるやんか。な?
吉本のイメージを落とさんために人身御供になってくれはった紳助さんゆうことで、吉本の若手らも俺に一生頭が上がらんわ。
で、こんなに紳助を追い込んだんはやっぱり週刊誌かと視聴者が思い始めたところで、チクッと批判するんよ。
どんな嘘八百書かれても我慢してきました言うてな。
でも明日から一般人なので嘘書かれたら告訴します、言うとけば、紳助もずいぶん悔しい思いしたんだろなぁとますます同情票集まるわ。
嘘ばっか書くえげつないマスコミのせいで、引退を決意せざるを得なくなった大物芸人島田紳助。
悪いのは週刊誌や。こっちは被害者や。ワイドショー見てみ。もうなんとなくそういう扱いになっとるわ。
あ、批判し過ぎはあかんで。チラッと言うだけ。でも俺「告訴」2回言うたでな。大事なことなので2回言いました。そんだけで効果絶大や。
後半も、自分で自分に一番重い罰を与えるという、俺の道徳観念の強さを強調したやろ。
今までいろいろトラブル書かれてきたけど、これで帳消しやな。これで週刊誌が俺を叩いたら悪者は完全に週刊誌や。
周囲のみんなに引退を引き止められたが曲げんかったゆう話もええやろ。
ここは泣くとこや。さあさあ貰い泣きしてええで。
ダウンタウンの松本、上岡龍太郎、上地雄輔、孫正義、武田鉄矢、さんま。あと嫁と娘な。
つまりヤンキー上がりの俺がやな、先輩スターや仲間や家族の支えとファンの励ましがあって、やっとここまで上り詰めたんやと。まあ俺の才能やけどな。
そういう、レギュラー6つも持ってる天才大物芸人がつまらんことで足掬われて人気の頂点で引退という、ほんまにほんまに残念な話やねんこれは。
そんで「世の中の役に立ちたい」でシメな。
やっぱしええ人なんやなぁ紳助は、と。
最後は「切腹のかいしゃくをしてくださってありがとうございました」。
サムライやなぁ紳助は、と。これで飯ドンブリ10杯はいけるやろ。どや」
参考URL
Ifは、「世にも奇妙な物語」の流れで、たまに見たり見なかったりする程度だったんだが、この回は見てなかった。どうやらとても評判が高い内容らしいということだけを聞いていて、しかし、気になる一方で、あまりこの話について調べようとすると、オチがわかってしまうので、積極的には触れないようにしてたら、17年。岩井俊二の公式サイトで公開されたと知ったので見てみた。
中身は、俺が想像していたのとは全然違ってた。以下、俺が想像してた話。
全然、予想と違うじゃねーか。なんだこの甘酸っぱいの。北川昌弘が、べた褒めしていた時点で、どういう中身か気づくべきだった。
それに、14歳の奥菜恵に12歳の小学生役は無理がありすぎるだろ。せめて、13歳で中1くらいにしておこうぜ。学校でも私服なのもあって、子供とお姉さんって感じでなんかなぁ。あと、花火はどこからみても、丸く見えることを"既に知ってしまっていた"のが、残念だった原因かもしれない。
人生を半分くらい投げたらロックンロールな気分は消えて、酩酊したいような気分で、でも別に学校行きたいなんて思うわけもなくて、ああ最後までなんかちょっと違う感じだったよなとか思いながら、最初から最後まで医学生ぽくないって言われたこと思い出しながら、なんとなく憂鬱な気分で、でも留年してくそ暇な時間を過ごしているときにおれは別に暇だとか退屈だとか感じていなくて確かいつもこんな感じだったよなって思う。わけわからない気分。勉強するつもりで買った本は全然頭に入らなくて、いやレトリックの本はなんとなくあたまのなかで形にはなったんだけど特に文章としてまとめられるような感じじゃなくて、なんにもわからなくなっちまった。憂鬱な気分を抑えるために外に出て歩いて、いつも思い出すのは運動好きな体育教師が心を病んで辞職したこと。結局運動は健康になるし憂鬱な気分を吹き飛ばすけれども、一時しのぎのものにすぎなくて、最低な今日。時々凄くはかどる日があるけど今日はぜんぜんそんな日じゃなくって、何がどうなのか僕はわからなくて人生の何にも向いていないような気がする。こうやってひきこもってへんてこな文章を書いて永遠に無視され続けるんだって、もちろん保坂和志が書いたように小説がそういう感情を負の側面に持っていくということは確実にあって、覗き込む心が覗き返してきてそのせいで頭が痛くなり心が暗くなり心配事があふれだす。自己啓発本読んで片付けようとした部屋は相変わらず汚いままで、明日になったら全部捨てようとかそんなことを思う。捨てよう捨てようと考えてずっと捨てられないのは僕の部屋がいろいろな余計なもので溢れているせいで、殆どのものは捨ててしまえるのになって思う。だけどおれはぜんぜんすててこなかった。そういう事なんだと思う。永遠に読むことのないであろうドイツ語のプリントやルーズリーフやビニール袋を捨てることが出来なくて、いい加減に捨ててしまわなければと思う。僕はものに囲まれすぎた。こいつらが思考をごちゃごちゃにする、なんてことはなくて、いや、ないのかどうかはわからないが、相互作用でどっちがどっちというわけではないのだろう。いずれにせよおれはとても物を片付けるのが苦手だから物は少ないほうがいい。有名なコピペの鉄道模型を捨てられて、殆ど全てを捨ててしまった夫のように、スーツケース一枚だけの荷物にしてしまえばいいのだ。父は僕にボランティアにいくのはどうだろうと思った。たしかにそれは納得出来ることだったが、ボランティアはボランティアを求めているのであって、おれの更生を求めているわけではない。できればシェアハウスでどうにかこうにか生きたい。思い出した、昔のこと。長距離走でおれは結構得意だったから前の方走っていて、後ろのヤンキーがぜーはーいいながらスピードをあげてきて、苦しそうな顔をしながら走って粘ってくるのがすっごいつらくなって、おれは走るのが辛くなった、別にペースをあげたからとかそういう話じゃなくて、なんだか泣きたくなってしまったのだ。それでおれはちょっとだけペースを落として、彼の声が聞こえないところまで下がったら、おれはこのまま頑張り抜こうとかいう気持ちが無くなってしまった。別に同情しようというのではない。ただそれがおれにとってはつらかったのだ。同じことが今も起こっている。年上の再受験生がひいこら言って、生活かかっていて、そんな中でおれはなんだか嫌になってしまって、そういう競争を強いるしくみが・・・。もちろんこれは軟弱なのかも知れない、真っ先に潰されるのかも知れない。そして長距離走のときみたいに、おれはどんどん転げ落ちていくのかも知れない。
自転車のダイナモを節電して、警察官に注意されてキレたヤンキーさんがいらっしゃったなんておはなしもあるそうですが、世の中のトレンドは節電です。
戦前風にいうと灯火管制。
毎日の決められた値よりも多くなりそうになったら翌日から計画停電。みんなの携帯やスマートフォンにゲームの結果が表示されているみたいで、時代も進んだものです。
この計画停電。東京23区を除くそうではありませんか。都民とさいたま県民とか23区民とそれ以外民とかで変な気持ちが生まれて、いざこざが起きそうですね。
でも、直視しなくてはいけない現実は、福島の原子炉の中にカメラを入れて様子が見れるのが5年後、燃料棒のような何かの塊を取り出せるのはその10年後だそうです。そのゴミをどうするのか。どこへ持っていくのか。それが無害になるには何年かかるのか。という一番つらい命題に向き合ったとき、節電的分断作戦に付き合っている場合じゃないと思うわけです。
どうしたらいいのか。答えを出してくれる人はいないのか。
http://d.hatena.ne.jp/kawango/20110623
多くの人が書いているように「有罪派」において対処すべきは有罪判決であり、
ここに反論せずに、ぶっちゃけどうでもいいメカAGとか消毒さんに食って掛かるというのはいかがなものか。
「有罪派」というものと戦うにしてはあまりにも腰砕けな態度ではなかろうか。
これは例えるならヤンキーの兄ちゃんからガンつけられて、そこから目をそらして遠くの犬を叩いてるようなものだ。
「賢い」かもしれないけど私はこれを論理的だとは思わなかった。
そもそも1記事目の「合理性」の言葉の使い方から思ってたが、この人同じ記事の中でも論理的とか合理的って言葉の意味がコロコロ変わる。
論理を主張するなら最低でも言葉の定義をしっかり確定させて、少なくとも同じ記事の中では一貫させていただきたい。
他の問題でも大体そうなんだよね。
○○規制反対派とか○○差別論者みたいなのと戦うときに戦いやすいやつと戦ったり、
相手の落ち度を待ってそれを叩くだけで本筋からは目を逸らしてる奴を見るとすごくうんざりする。
今回の記事はまさにその類型であり、割と本気で萎えた。