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2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (1/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)

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この夏、私は初めての日本への旅行を企てた。

村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。

ところがその目論見は外れることになる。

私は村上の作品の影響下にあるまま、東京に降り立った。

期待していたのは、バルセロナパリベルリンのような街だった。

そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ劇場文学シットコムフィルム・ノワールオペラロックといった、

西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタン世界都市を私は期待していた。

誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。

実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。



そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。

東京での初めての朝、私は村上の事務所に向かっていた。

アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、

私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。

最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、

どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。

私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。

そして蜂の巣状のガラスピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき

ついにユキという村上アシスタントに見つけてもらうことができた。



このようにして私は東京の地下の洗礼を受けたのである

まりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。

実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。

そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。



村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなた最初記憶はなにかと尋ねる。

やっと村上に会えたとき、私は彼の最初記憶について尋ねた。

それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。

彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。

流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル

そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。

「明確に覚えている」と彼は言う。

「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」

村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。

その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶自分の中にある、と感じた。

ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。

村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分記憶を写し込んでいたのだ。



村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中

週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。

それは非現実的なまでの災害の余波を受けた夏だった。

4ヶ月前に北日本を襲った津波で2万人が命を落とし、

いくつもの街が破壊され、原子力発電所メルトダウンした。

その結果、電力、公衆衛生メディア政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。

日本を代表する小説家である村上に会いに来たのは、

大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。

この本はアジアで数百万部を売り上げ、

まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。

62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学最高峰としての地位を確かなものにしている。

疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界大使となった。



そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。



村上は常に自分日本アウトサイダーだと考えている。

彼は不思議社会環境最中に生まれた。

アメリカによる戦後占領を受けた1949年京都日本の前首都である

「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。

「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。

「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。

彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、

それはそのまま彼の最初人生経験の基本構造でもある。



村上は成長するまでのほとんどを神戸郊外で過ごした。

そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である

彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説ジャズに没頭して十代を過ごした。

そうして反逆のクールさを自分ものにし、

二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブ東京で開いた。

掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、

彼は約10年間をその仕事に費やした。



作家としての村上キャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。

どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生根底から変えてしまう。

29歳の村上地元野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴヒルトンというアメリカ人助っ人バッター二塁打を打つのを見ていた。

平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上天啓に打たれた。

自分小説が書けると気づいたのである

そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。

そして彼は書いた。

試合が終わった後、書店に行きペンと紙を買って、

数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。

それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。

アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。

わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。

名犬ラッシー』、『ミッキーマウスクラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲フランス映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディランマーヴィン・ゲイエルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストックサム・ペキンパーピーターポール&マリー。

以上はごく一部に過ぎない。

そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本芸術引用がまったくない。

村上作品のこうした傾向は日本批評家をしばしば苛立たせている。



村上は『風の歌を聞け』を権威ある新人賞に応募し、受賞した。

そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。



時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。

30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。

すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。

彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。

そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。

彼は自分の事務所を監禁場所だとみなしている。

「ただし自発的な、幸せ監禁だけれど」



「集中は僕の人生もっと幸せものだ」という。

「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」



そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。

30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンルSFファンタジーリアリズムハードボイルド)と様々な文化日本アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。

どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。

時とともに村上小説は長くシリアスになる傾向が強くなった。

シットコム引用もその傾向に調和している。

そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。



低く深い声で村上たくみ英語を操る。

彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。

なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。

はいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。

特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。

安全言葉いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。

英語即興の遊びをしているように感じられたのである

私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。

その事務所は半ば冗談ながら村上製作所と名付けられている。

数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。

村上は青いハーフパンツと半袖のボタン付きシャツで現れた。

彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロンけが好きだという)。

靴は履いていない。

彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップブラックコーヒーを飲んだ。

その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からお気に入り小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。



話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。

村上純粋にびくっとしたようだった。

その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。



「大きいな」と村上は言った。

電話帳みたいだ」

1 - 2 - 3

2011-12-05

ハックルという人物は、いつまでも理解出来ない存在で在り続けてほしい

http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20111205001/index_2.html

なんというかね。僕は,理解できないものであり続けるのってとても大事だなっていつも思うんですよ。

そして,そのためにはね。自分自身が理解しちゃダメなんです(笑)だって自分で分からないものは他人が分かりようがないでしょ。

めちゃくちゃなのが良いってことでは決してないんだけどね。でも,「理論」と「感性」の違いというか,「理論」と「感性」の関係ってどういうものが良いのだろうかというのは,昔からの僕の中のテーマ

たぶん,人間が理解できるかできないかギリギリのところで,かつ微妙に説明がつかないところにこそ,ヒット作品って生まれる

簡単に理解できるものなっちゃうと,ライバルが多くなりすぎちゃうし,先に行き過ぎちゃうと,今度は理解できる人がいない。

偶然や運も含めて「才能」と呼ばないといけないんだと思いますよ。才能ってかなり運で左右される部分もあるし。

もしドラだけでハックルさんを理解したつもりになってはいけない。

もしどらは、単に「理解しがたいキャラ」を演じてるハックルさんが、地を出しただけ

我々には想像もつかない存在であるハックルさんが、理解できる部分だけを抽出して示してくれたものなのだよ。



http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/11738

謙虚」だとか「偏見を持たない」という表現を選ぶのは、「かろうじてウソでなない範囲で、道徳的に正しく尊敬できる人間を目指しているように見える」という理由からであって、必ずしも「身も蓋もなくリアルに役に立つ」からではないのです

実際に役に立つ自己啓発ノウハウを、できるだけ妥当な評価をするとすれば、たぶん、そういう人たちを「卑怯な手段で成功した」と思いこみたい人から邪悪に見え、「自分成功者になりたい」と思いこみたい人から道徳的で崇高に見えるけど、実際は、そのどちらとも簡単には言えないような、簡単な言葉では表現不可能な技術ノウハウの体系のように思えます

ハックルさんの書いてることはそういうことなんだよ(棒






http://anond.hatelabo.jp/20111115162629

書いた人間だけれど

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111117/1321497082

捕捉されてた。はっきり言ってキモいありがとうございます

これは「ハックル」でエゴサーチしているっぽいところが笑いどころ。

ちなみに私はずっと増田で書いているが、書いたことがハックルさんに取り上げられたのは3回ある。常に他の誰かを攻撃する時だった。なんだかねー。




いや、違うか。彼は待ってたわけだ。

fujiponさんの記事を見て、直接文句をいうのではなくて、あえて誰かがその記事に茶々入れるのを待っていた。

そして、機が来たと思って一気にそれを放出したのだ。

その他の自分に対する言及のストックを見ても、こちらの可能性のほうが高い。

彼のPC内にある「こいつだはは絶対に許さないよ」リストとか見たらすごいことになってそうだ。





そんな訳で、彼は機が整うまで待てるタイプなのかもしれない。

いや、タイミングのウマさよりも、エネルギーを貯められるということのほうが重要かもしれない。

彼のわけわからんエネルギーをわけわからん形で貯めて、他の人の考えもつかないヘンテコリン物質を創りだすその性質は、ダークマター(未元物質)さんを彷彿とさせる。

間違いなく小説家よりはアウトサイダーアートとかに向いてると思います

エースの系譜は、ひたすら10年間自分の指導する生徒を使いつぶしながら、自分だけは可愛いマネジャーに手を出してリア充を満喫する監督の話だけれども

あの作品に投影された作者の心境を思うに、どんだけのどす黒い感情が彼の中にあるのか。彼を表現するのに小説という枠は狭すぎるぜ。

彼自身は小説には無限の可能性があるみたいなことを書いてたけど、

乙武さんは、「自由」という言葉を驚くほど軽い調子で口にするが、問題なのは、そもそも乙武さんの「自由」に対する考え方がとても貧弱なところだ。真の自由は「自由に発言させ、自由に考え」る中からは生まれない。発言を規制し、考え方の枠組みを押しつけるところから生まれるのである

多分彼が小説の枠の狭さとか自分執筆能力矮小さに気づいたら、小説をぶっ壊すくらいのことはしてくれると思う。

少なくとも日本小説の枠の狭さに耐え切れずに「小説の読み方の教科書」みたいな本を書いちゃったくらいであるわけだしね。




そんな彼の最新作はこれ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111130/1322621523

僕はページを開いたタブをそっと閉じた。ハックルさんの本気は人類には早すぎる。

小説は正直もういいんで、彼が次にどんな未元物質を生み出すのか今から楽しみでしょうがないです



・・・さて、こう書いた私は彼に何を投影しとるんかな?

2011-08-06

村上隆はモノを見る目がない

カオスラウンジなんて大した美術教育も受けてないしオタ度も薄々だし単なるオタとアート勘違いした徒花的存在(あるいはアウトサイダーアート)にすぎないという事にはみなさんそろそろお気づきだろうが、なんでここまで無駄に色々できちゃったかってやっぱり村上隆が一旦認めちゃったことが最大の問題だと思うんだよな。

別に大した価値基準もない現代アート業界のなかで、別に公募展とかでも受賞歴のない奴らにとって村上隆の評価ってのはそれこそ成り上がりのための特急券みたいなもんだったんだろうなと(故に駄サイクルと言われたりもしてるんだろう)。

ただ村上隆って、実のところ創作(と言うと反発する人もいるだろうが)の力はかなりのものを持っているが、人のもんを判断する審美眼みたいなものは決定的に欠けているんじゃないか最近それに気づいた。

村上隆の作品とそこに対する理論構築に関しては個人的にかなり評価しているが、自作以外に対する批評感想それから村上隆取り巻きその他もろもろは正直言って完全無視で構わないんじゃないかなーと思っている。

海洋堂行った時にあまりフィギュアを見る目がないか専務におもいっきりバカにされてたり、ちょっとアレな作品を持ち上げがちだったり、たぶん見る目の無さってのは昔っから今まで一貫して変わってないんだろうな。

まあ名選手が名監督になるってわけでもないのはあたりまえのことだし。

村上のおじさんにはワークス体勢でバンバン作品を作っていって欲しいが、無駄下部組織作ったりして自分の方向性以外の方面に手を出そうとしてる最近の活動は正直言ってやめた方がいいかなと思います

2011-05-25

フラクタル」にはこのあたりを期待してたんだが

見てないのに批判すんなと言われたのでフラクタル見た。

1話の設定だけ見たらディスコミュニケーションというか偽りの現実を取り戻すみたいなゼーガペインみたいなのを、ループ使わず、仮想空間も使わず

テクノロジと認識の問題として取り上げるのかと思ってた。というか登場するキャラ全員厨二くさく、特に主人公はテクノロジ社会適応できずアナログで手触りあるものに憧れるヒキオタ。こりゃどうみてもこっちの方向だろ、と正直オラワクワクしてた。

そういう意味で1話見たときはメッチャ面白いと思ったんだが、3話あたりからわけわからなくなって最後までわけわからんかった。

どう見てもキャラも設定もジブリと全く正反対にあるのに(漫画版ナウシカだけは少しつながりあるけど)、どうしてこれでジブリができると思ったのか全く理解出来ない。



コミュニケーション不全症候群 P59 おたくについて

コリン・ウィルソンは「アウトサイダー」の中で、アウトサイダーの意義について書いたが、そのなかで例としてあげられているアウトサイダーたちが、

すべてD・H・ロレンスとか、ニーチェとか、十九世紀的な「精神巨人」時代の人間か、あるいは疎外の始まった頃の疎外への反抗者であったというのは、

すでにそういうかたちの疎外の消化の仕方が、現代には意味を持たないものになっていることを示している。

自己疎外が自己を拡大するための契機として意味を持ち得たのは、個人の存在というものにまだ何らかの意味があった時代においてだけである

現代においては、すでに個人のものが存在しなくなりかけているのだ。

個人が存在するのならば、阻害されても疎外された個人として生きられるだろう。しかし、現代にあっては、疎外されたまま生きて行くことは不可能である


コミュニケーション不全症候群 p277 最後の人

かつてコリン・ウィルソンが「アウトサイダー」をあらわしたとき、まだ社会にはアウトサイダーの生きる場所がそれなりにあった。

いかアウトサイダーであろうともその事自体が意味を持ちうるくらいにさえ社会には余地があったしパラダイムはまだ決定的ではなかったのだ。

犯罪者であること自体にコリン・ウィルソンひとつ事故表現としての意味合いを見出すほどに社会のそのものが発展の可能性をまだ持っていた。

だがいま犯罪者精神病者もまた社会のアウトサイドでアウトサイダーとして自己表現する余地はない。膨張していく東京がしだいに周辺の村を合併

埋立地をベイアエリアとし、そしてどこから東京でどこから地方であるのか次第に分からなくなってきつつある現状そのままに、

「インサイド」と「アウトサイド」という対立は存在しなくなり、そのかわりに

かつてアウトサイダーとして生きられた「落ちこぼれた」人間たちがインサイドの知られざる怪物として都市の中を徘徊し始める。


コミュニケーション不全症候群 p307 コミュニケーション不全症候群のための処方箋

なんらかの公認されない私的な共同幻想(個幻想はない。共有されない個幻想は単なる狂気で終わってしまう)に拠ることで

社会全体に対してのあアンチの役割を務める人間は、実際に自分がそのアウトサイダーグループに参加したり、そういう役割を務めることは出来ないけれども、

一見一応は<まとも>に社会適応している範囲内に居ながらその内側に何らかの欠落を抱いているタイプの個人たちの小規模な共同幻想の作り手となる。

こうしたいわば私的な共同幻想を共有することによって、それらのグループの「見かけの正常さ」は保たれ、守られる。

同時にまた社会もその内包するアウトサイダー存在を消化吸収する事のできる最も賢い方法を手に入れるのだ。


んで、結局のところこのアニメは何がやりたかったんだろう。

物語として、何を描きたかったんだ。

もちろん「それらしきもの」はわかるけど「それ」だけだったとは思いたくないし。

まさか最終話のアレがやりたかったわけじゃないんだよね。

2011-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20110313152351

それらは「アウトサイダー」「異形」「ヒーロー」「外れ者」であって

彼等は全員まっとうな社会の中にはいいし大概どっかへ去るか刑死する。

まして一般市民文化や生活として彼等の真似をしようとしないし出来ない。



よくわからんけど、アメリカ下層階級にとってギャングスタは、

アウトサイダー」「異形」「ヒーロー」「外れ者」などではなく、

まっとうな社会の中にいて一般市民が真似をしようとするような存在なのか?

http://anond.hatelabo.jp/20110313151620

そういう意味なら、ヤンキー武勇伝任侠映画暴力肯定と違いがよく分からない。

から日本にはねずみ小僧石川五右衛門のような例もあるし。

ヤンキー武勇伝」だけはここで言われてることに近い。

ヤンキーという低学歴低所得教養人達の下部には

暴力や略奪を褒め称えるようなグループと言うのはあると思う。

規模や頻度はヤンキーの知り合いがいないのでしらんけど。

彼等がそういう生き方文化コンテンツとして発信してるのかどうかは不明。ヤングオートとかか?




仁侠映画ねずみ小僧石川五右衛門全然見当違い。

それらは「アウトサイダー」「異形」「ヒーロー」「外れ者」であって

彼等は全員まっとうな社会の中にはいいし大概どっかへ去るか刑死する。

まして一般市民文化や生活として彼等の真似をしようとしないし出来ない。

2011-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20110107214632

ちょうど村上春樹インタビューを読んでいたので、引用してみたいと思う。

満員電車に乗って会社に行き激しく働くというのは喜ばしいことだ、とは彼らも思っていません。でも、そうしなければならないとは思っています。僕はそういった勤勉な日本人たちを愛しています。けれども同時に、もし彼らが戦争に行ったら、例えば中国に行ったら、たくさんの中国人を殺すでしょう。彼らはすごくすごく組織化されているかです。みんな勤勉なんですよ。

「彼らは危険だと?」

危険です。誰かが人を殺せと命令したら、彼らは殺すでしょう。僕はすごく彼らを愛してるんです。でも同時に恐い。それは……うん、ちょっとわかりません。まだわかりませんね。

「僕が役所や会社に勤めるのを拒んだとき、両親はすごくがっかりしました。急に僕が社会アウトサイダーになってしまたかです。そして当時アウトサイダーになるのはとても危険な、あやういことでした。そのころ日本経済はすごく強くて、システムの中にいさえすれば安全だったんです。誰もが、自分たちは一生安泰だと考えていました」。彼は笑う。「そしてもちろん、そんなことなかったと、いまでは誰もが知っています。

BMWや新しいコンピュータを手に入れれば幸せになれるし孤独でもなくなる、と今の日本人たちは教えられてきました。それは事実じゃありません。でも、このことについては真剣に語られないでました。だからみんな偽善と悲観に陥ってしまったんです。この新たな社会はあまりに大きく巨大に見えるので、どこから攻撃したらいいかもわからない、と言うのが問題なんです。けれども事態は動いていますけどね。

学校を出てそのままフリーターになる若者がたくさんいます。そのことにはいい面も悪い面もあるでしょうが、僕はいい面を見ています。それはまさに、自由になるチャンスなのです


都甲 幸治『偽アメリカ文学誕生』っていう本に書いてあるから興味があったら読んでみてね。

2010-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20100913014227

今見たら該当記事けしてやがった。

何がアウトサイダーストリートファイターじゃ、ビビリが!

ム所くらい屁なんだろ!

暴行罪で入って来いよボケが!


訂正

記事は消して無かった。

しかし都合の悪いコメントは消すようだ。

あと後日牛丼屋に謝罪に行って仁義を通したとか言っているが、

仁義を通すなら、牛丼を投げつけたゲイカップルに謝ることだろ。

「どこに居るのか判らない奴に謝れるか」とか言うならクズ確定。

死ぬ気で探し出して謝って、そこまでやって初めて仁義って言葉を口にできんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20100913014227

コイツって、無抵抗で反撃してこなさそうな相手に喧嘩売るクズじゃん。

アウトサイダーとかカッコつけるならヤクザとか右翼相手に喧嘩して命かけてこそだろ。

ブラックエンペラー二代目元総長オヤジという七光りでカリスマぶって、

親の金で1800万円のジャガー買って、映画撮ってみたり、歌手ごっこしてみたり。

ただのボンボンのドラ息子だ。

しかもブログは都合の悪いコメントは即効で消すみたいだしな。

2010-07-13

書評】3年で辞めた若者はどこへ行ったのか?(城繁幸

―― 3年で辞めた若者はどこへ行ったのか?

国民生活白書によれば、95年以降、

大卒新入社員の3年以内の離職率は35%前後に達する。

この割合はバブル期前後に比べ、約10%も高い。

本書は、そうして会社を辞めていった若者たちの人生を追う。

彼・彼女らの人生は、多様性に富んだドラマでちりばめられており、

読み応えがある。

もちろん、新卒社員離職率の上昇という社会全体での大きな変化は

単なる若者気質といった理由だけでは片付けられず、

日本経済の基礎的な状況が「昭和」の時代とは異なることが

原因と考えるべきだろう。

もはや日本は、これまでのような年功序列を基本とした雇用制度

国全体で支える事はできなくなったのだ。

大きな理由は二つある。

一つは、人口構造の変化である。

年功序列制度は、従業員の年齢構成がピラミッド型に

なっていることを前提に維持可能なものであった。

つまり、この仕組みはねずみ講の規模が大きいものと考えることができる。

労働市場における人口構造の変化は、移民流出入がない限り

かなり安定的に予測することができるため、

もはやこのねずみ講を本気で信じる人はいなくなったということだ。

二つ目は、経済構造の硬直化である。

冷戦で極めて安定した政治・経済体制下にあった日本

官僚主導で非常に安定した流動性の低い年功序列終身雇用労働市場を作り上げ、

従業員のインセンティブを高めることによって、

製造業生産性上昇という面では極めて優れた経済体制を作り上げた。

しかしポスト冷戦の失われた20年を通して分かったことは、

国民がそうした安定した環境の下で企業歯車として頑張る

ということが、最早、たいした富を産まなくなったということだ。

変化と不確実性を受け入れ、新しいことに取り組むことこそが、

長期的に大きな富を産む。

そんな社会では、むしろ年功序列は積極的に破壊しなければならない。

著者は、弊害の多い年功序列という歪んだ利益配分システムを一刻も早く捨て、

労働法を改正して流動化を進めよと主張する。そして、新しい社会では、出世のような

共通の価値観ではなく、各人が多様化することによる豊かさを求めるべきだと説く。

一見奇異に見える会社を辞めた若者達のいくつものストーリーは、

そうした多様性の具体例である。


――― 「こちら側」と「あちら側」の温度差

城氏の主張は説得力があるし強く共感できる。

私も、低成長下で多くの人が豊かになるための唯一の道は価値観の多様化である

と思うし、それが究極的には社会のためにもなるのだと信じている。

一方で、本書を手にとった人の多くが私と同程度の共感を感じることができるか、

といえば、私は少し悲観的にならざるを得ない。

有名な大学を出た圧倒的に多くの人は、依然として厚く保護された伝統企業

正社員として勤務している。例え社内では「割を食う世代」であったとしても、

非正規の労働者として安定しない身分で働く人との既得権益格差は極めて大きい。

そういう人たちも「究極的には」年功序列の崩壊や人材流動化が進むと考えている

だろうが、それはあくまでも「段階的に」進むもので、自分達の既得権益について

「多少の妥協」を強いられることはあっても、生活を脅かすほどではない、

と捉えているだろう。これは、中高年に限らず20代の若者でもそうだ。

そして実際、その認識はある程度正しい。

本書のような読み物やネット上で行われる言論では、

既得権益を壊して新しいものを創造しよう、という勢力のプレゼンスが非常に大きい。

しかし、リアル社会経済的影響力を持つ既得権益層との認識乖離

感覚レベルでは依然としてかなり大きいだろう。

本書に共感できる人には、なぜ社会の変化がこんなにも緩慢なのかを考えて欲しいし、

本書に共感できない人には、既得権益層とアウトサイダーの温度差を知って欲しい。

そんなわけで、本書はあらゆる年代階層の人に読んで欲しい一冊である。

http://wofwof.blog60.fc2.com/blog-entry-380.html

2010-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20100705134733

そういう弱い精神構造の奴しかいないから「アウトサイダーアート」って言われて見下されて馬鹿にされてるんじゃないの?

ヘンリーダーガーなんてそのままアレな人じゃん。文句があるなら正統な路線でやってればいいよ。アウトサイダーの人もそこらへん分かってると思うし。

アウトサイダーアートにすくう

下手な絵を得意げに描く行為。

それは実際よりも障害者っぽい行為。

でも、得意げである。

それが増えてきている。

自称童貞オタクロリコンといった

00年代の人々は自虐というよりは

自分を下に見せて一緒に騒ぐことで

何かを共有したいのだろう。

絵をヘタに見せて

自分を下に見せて

自分の為になっているとでも

思っているんだろうか?

恐ろしく、弱い精神構造に寒気がする。

2010-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20100619152107

題材が人の逆鱗を踏む可能性のあるブツだからな。

彼らのごく少ないTweetからの類推だが、根本敬の言うアウトサイダー的なものに惹かれ、自分達が新たなアウトサイダー価値観を作り出そうとしていたように思うが、それに完全に失敗したという印象を受ける。本人たち自体も「今は叩かれる」とは言っていたようだが。

例えばだが、既存映像コラージュでもいいのでニートとかを「こんな天然ニート保護されるべきだ」とやっていたらお笑いで済んだ可能性が高い。ただ、これだと彼らの言う「新しい価値観創造」にはならんのだけどね。

2010-05-14

さっきmixiで偶然見たコミュが怖かった。感謝言葉を繰り返すことで運気が上昇すると言う著作家のファンコミュらしく、トピックの書き込みが「ありがとう」感謝します」でびっしり埋まってて、ちょっとアウトサイダーアートみたいだった。

2009-11-14

[blog][music]学校で教えてくれない、芸術を評価するための6つの視点

http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20091025/1256479650



はてブクマしてほっといたがコメントを後から読んでみた感想増田に書きますよ。

あ、先に断っとくとブログ主じゃないですよ。

主さんの考え方とはおそらく明らかに違うことをざっと書きますので。



さて、センス至上主義の人たちってのはことごとく残念な方が多いですね。

僕も頭は悪いけど、どんなことでも自前で考えることを辞めてはいませんから、

この人たちと比べりゃ少しはマシかなと思っています。



なぜマシかな?と思っているかを書きましょう。



芸術に限らず物事を見るっていう行為には、必ず束縛されるものがあります。

物事を見るヤツの脳みそです。

脳みそ(全身の神経、肉体を含んでもいいです)にはそいつが生きてきたあらゆる経験が蓄積されています。

全部喋るワケにはいかないので、芸術鑑賞に限りますが、

鑑賞するにも当然経験というものが大きなファクターを占めることになります。



生来のセンス、なんてものはここでは殆ど意味を成しません。

というか、芸術における生来のセンスなんてものは人間には備わっていません。

しいて言えば、生まれた環境、育った社会で目にし耳にしてきた事、この蓄積が異なるくらいでしょうか。



ですが、肉体の素質の差というのは、確実にあります。

有名な話ですがピカソは10歳ごろには既にものすごく達者な写実絵を描かれていたそうです。

そんなに幼いころにすばらしい絵を書けたという事はものすごいセンスの持ち主ということじゃないか!と言われるかもしれませんが

残念ながら全くの早とちりから来る誤りです。

写実絵というものは、インプットアウトプットの精度の問題であり、センス云々は全く関係しない分野なのです。

つまるところ、肉体性能…筋力とかじゃないですよ。この場合は目の力、空間把握能力、そして手の器用さです。

これが達者だったからピカソは幼くしてすばらしい絵がかけたんですね。



あ、こういうとまた文句を言うヤツが出ますね。

写実絵というのもセンスは必要ですよ。

構図のとり方、ライティング、描くものの配置など、考えなければならないことはたくさんあります。

ま、これはセンス至上主義者、才能至上主義者信仰するような

生まれ持ってのセンスなどではなく(そもそもそんなものは存在しないといいましたね)、蓄積されたセンスですがね。



ピカソの絵はルールを破っているということを理解できてはじめて意味がある。守破離と言うヤツですね。

ルールが無いヤツは最初から型破りなんて出来ないんです。ルールが先にあってこそ、型破りを実行することが出来る。

美においてルールとは、観察と経験の蓄積と人間の肉体感覚によってのみ規定されるものなのです。

かつては文化圏文明圏ごとに感覚が分かれていましたが、ネットによってある程度統一化されてきているなぁと感じます(脱線)。

精巧な写実絵を幼くして書くことが出来たピカソは、それまでの画法と異なる彼独自の画法で表現を行っていく道を行った。

何故かと言えば、それが彼が伝えたいことを彼が伝えたい人に一番伝わる方法だとピカソが結論したからでしょう。

優秀な表現者というものは、ここでは芸術家のみの例を挙げていますが、文筆家にしろ、技術者にしろ、あるいは一個人でも同じですが、

自分が伝えたいことが自分が伝えたい相手に、どうすれば伝わるのかを常に考えているはずなのです。



純粋芸術なら、当然、芸術家本人が持つ問題意識(単純に環境破壊とかそういうものでなく、

赤ちゃんをどうやって可愛く描くか」のようなライフワーク的なものも考えられますね)からなるテーマがあり、

それに対する回答が作品となるでしょう。受け手は問題意識を理解してほしい鑑賞者であり、作者自身でもあります。

商用芸術では昨今では仔細なマーケティングが行われていることは周知の通りです。

それがたとえアウトサイダーアートだとしても、自覚的に商売としてやるのであれば

自分が何をしているのか、自分はそれをどうしたいのか、どう売り込みたいのか、考えているはずです。



それが理解されるかどうかは別として、自分が伝えたいことを自分で明確に出来ない芸術家は大成するはずがありません。

伝わるアテの無いものを創ることは幼い子供や、本当の趣味人に与えられた特権と言えるでしょう。

「そんなこと一切考えて物を作ったことなんて無いけど芸術で暮らしていけているよ!」という方は

きっとダウンタウン松本氏における浜田氏の様な素晴らしい相方と出会えたのですね。おめでとうございます。



さて、問題は伝わる方です。



自分の見たことの無いものを鑑賞するとき、人はどうするでしょうか?

生来のセンスがあれば、ちゃんとした評価が下せるのでしょうか?

それとも、間違っていてもセンスで感じたことが正しいのだと言い切れるのでしょうか?



順を追って考えれば、殆どがまずそのものをちゃんと見ようとするはずで、

目にした瞬間エレクトリックサンダーが全身に走るような至福の体験を得るなどということはありえないはずです。

人間なんてもんの見た瞬間に出る感情は、自分がそれまでに見てきたものから割り出すように出来ているんです。

人は完全にわからないものと触れる時、評価を下すには多少の時間を要するのです。

生来のセンスなるものがあるなら、そんな時間は必要ないでしょう。何も考えずその場でパッと決めてしまえばいいのです。ゲド戦記はクソ、とか。

ま、ゴッホみたいに死ぬまで放置されてから評価される画家もいますから、そんなヤツはセンス0の大馬鹿者であると断じてしまえるわけですが。



ちょっと古いですが、アイフォーンをはじめてみたとき、

「ああ、ついに完全タッチパネル携帯が発売されるのだな。人類革新だ」って思った人は先に記事を読んでる人だけで、

そうでない人は「キーパッドないの?」「液晶DEKEEEEEEEEE」「なにこの□」のように、

見た目からはこれまでの携帯とは形が違うから、どういうものなのかを判断しようとしたと思います。

芸術だって同じです。見たことが無いような作品、バックグラウンドがわからない作品を理解することは出来ないのです。



ゲルニカを最初に見た時、僕はこの絵が壁画として作成されていることがわかりませんでした。

あと感じたことは、「ちょ先生教科書に微グロ入ってるんですけどこれ」くらいのもんです。

だってなんか変な生き物が人を食んでいるんですから。

戦争の絵って言われても戦争まんがははだしのゲンしか知らない僕からしても大いに差があり(だって人間しか出て無いですからゲンは)、

戦争関係なくね?マジキチ」としか考えられなかったことを思い出します。



今ではこの絵がどういう背景で、どういう意図を持ってかかれたものかわかります。

だから、あの大きな絵に描かれた一つ一つの人物、動物にどんな意図があるのか、

それがピカソという偉大な画家の考えと一致するかはわかりませんが、僕なりに思いをはせることは出来ます。

即断即決で評価を下す必要なんて無いのです。時間がたてばわかることだってあります。それが蓄積されたセンスの成長なのです。

一つの作品を前に、作者とその時代、昔の自分、今の自分、そして作品そのものと触れ合う体験が出来るのが芸術鑑賞なのです。

同じような体験として、聴かなくなった音楽を久々に聴いたときの感覚があるでしょうね。



卑近な例で示したとおり、自分自身というものは変らないように思えて、

仕事学校人間関係を経ることで常に変化しているものなのです。

センスなんて言葉確信的に使ってはいけない理由はこの一点なのです。

使っても問題ないのは人を褒めるときくらいでしょう。それ以外の場面では、使わない方がいい。



人間のセンスはある程度のブレ幅までは抑えられるが、完全に固定できない。

それなのに、センスなどという曖昧模糊なもののみを後ろ盾にし、

他に根拠の無い好き嫌いを強弁するなどという子供じみたマネは

魔術的盲目さすら感じる薄ら寒い行為と断じるほか無いのです。



それとも、共感できれば、自分が根拠なく、しかし好きだ、正しいとは感じることが出来ればそれでいいのでしょうか?

僕はそうは思わない。



勿論経験によるセンスは人それぞれなんで、好き嫌いはあります。

見たものをそのまま感じ取ってそれがよい体験となる芸術作品もたくさんあります。

ですが、感情にそのまま訴えかける芸術というものは、やもすれば危険物にすらなりうる可能性を捨ててかかってはいけないのです。



人類歴史は、いかに肉体欲求をコントロールしてきたかの歴史でもあるわけです。

人間のしくみが生命機械であるとわかっている以上、感情もまた肉体欲求の一つです。つまり、制御出来うるのです。

オカルトなんかじゃありません。

あなたがメディアを通してあなた自身とかかわりの無い人間に対してどれほど多くの感情をもっているかを想像してみれば、わかるはずです。

MMRに書いてあったサブリミナルみたいなヨタなんてメじゃない恐ろしさです。



で、メディア芸術の違いは、僕からみれば非常に曖昧です。

出自や成り立ちは芸術大学なんて出てませんから知りませんし、教養も無いからわかりませんが、

聴覚(場合によっては他の感覚)を通して物事を伝え、感情を伝えるという共通点があります。

もしあなたがメディアになにかしらの違和感を感じ、それが問題であると考えるのであれば、

芸術に触れた違和感を感じたら時にも問題意識を持たないといけません。

あなたの友達がそう訴えてきたら、ちゃんと話を聞いてあげないといけません。

(ま、友達の感じたことも受け入れられないのであれば芸術鑑賞そのものの否定をしていることと同じと言えなくも無いですが)



そんな窮屈な思いはしたくないと言うなら、好き嫌いすら語らないことです。

それならセンスが似たもの同士で集まればいいじゃないかと思われるかもしれません。

それが良くないとは思いませんが、しかしその集団に居続け他の意見を聞かないことは、

徐々に感覚麻痺させ自分たち以外の感覚への無理解をはぐくみ、閉塞へ向かって突っ走ってるだけであり、

スイーツ(笑)」やらなにやら言って喜ぶ人間に成り下がるだけのよろしくない行為と言えましょう。

現に今の社会は閉塞したコミュニティの複号体になってしまっており、

その要因の一つが芸術メディアの受け取り方だとすれば、

表現という形でコミュニケーションを図る物自体の存在意義が変化していることの表れなんでしょうか。

(テレビみねー、ゲームとか興味ねぇ、美術館とかブルジョアか!などいろんな派閥がいるでしょうな)

その変化が感覚や感情のような曖昧でふわふわしていると思われているものに密着しているなら、危惧すべきことだと思います。



なんかとっちらかっちゃいましたが、つまるところ、

センス至上主義者は考え直せ、頭を使え、鑑賞してる時の楽しみ方に文句をつける気は無いから。

と、言いたいわけです。



僕としては、こんなクソ長くクソ面白くもなく他人人を完全に否定するようなシャドーボクシング的文章を最後まで読んでくれたあなたが

自分の考えもオンリーワン世界に一つだから思想修正主義絶対反対とか言いながら

芸術作品に対して自分の考えのみを誇示し続け、異論をことごとく無視し自分と同じセンスの持ち主だけで結託して外に出ない、

あるいは自分と異なるセンスは認めず叩き潰すことに快感を覚えるようなサイコパスでないことを祈るばかりです。



だって、芸術の感じ方なんて、人それぞれでしょう?

2009-05-02

ヤンキー生き方

増田34歳。元ヤンキーです。

はてな住民の格好のサンプル対象として生きてきてまいりました。

さてどこから話そうか。

スペック

地方都市で暮らす34歳鉄筋工。16で働き20で結婚

未だに子供が居ないのはサンプルとして役不足か。

10代の時の月給手取り40万は嬉しかったが現在はその半分。

意外と体力よりも経験がものを言う仕事なので基本給は上がるがやはり体力が続かなくなっている以上将来のことは不安

新車でアルファードを買うのが夢。

思春期

発育だけはよかったのか、勉強スポーツは何をしてもたいした苦労もせずにいつも一位。

努力とか工夫とかが馬鹿らしくなるが、どれだけ手抜きしても周りがついてきてないので常にお山の大将状態。

モテた。

ただひたすらモテた。

ただし、何故か極度に人間嫌いなので群れるのが嫌いで孤立しまくっていた。

オタク」という言葉が生まれたのもこの頃。

ガンプラとかキン消しとかビックリマンとかミニ四駆とか、そういうのに全く興味もなかったのでただひたすら一人でマンガ書いたりして遊んでた。

青年

頭が良いこと、けんかが強いこと、度胸がすわってること、絵がうまいこと、モテること、がうけたのか、なぜか勝手地元ヤンキーてっぺんに。

仕事帰りの地元の駅で俺の名前の旗を持った見知らぬヤンキーたちが毎晩整列して挨拶するのが嫌で仕方なかった。

自分仕事が終わってひとりTRPGに興じるのが唯一の楽しみ

あと休日ジャンプヤンマガ買い込んでガストドリンクバーで読みふけるのが娯楽だった。

オタクと接触を試みるも、アニメとかよくわからんので結局孤立

数少ないヤンキー仲間も当時はバブル絶頂期だったため、自分の数少ない楽しみであるクラブ遊びさえもまだ理解されていなかったので孤立

クラブ六本木かどっかの高級なママさんがでてくるやつ?」

って答えが返ってくればまだ優秀な方で、本気でクラブミュージックに浸りたいと思ったら米軍基地まで足を伸ばさなければいけない、そんな時代だった

(そしてたびたび米兵とトラブルになった)。

舐められたら終わりじゃけん

群れないでアウトサイダー的な生き方をするためには、どうしても他人に対して「威嚇」するような風体をしている必要はあった。

皆さんも日常中高生の「ヤンキー」に出会ってその格好の滑稽さに吹き出しそうになることも多いと思うが、

10代の頃の僕は社会的に何も出来なかったのでどうしても「社会を圧倒する何か」を手っ取り早く風体で手に入れる必要があった。

僕は極度に人間嫌いなので群れることはなかったが、そのロジックは理解できる。

社会的に無力な人間たちが、群れて、コミュニティを形成して、「社会を脅かす」要するに周りをビビらせる為のコスチュームが必要だと言うことを。

どうせ彼らは社会に対して歩み寄りはしないのだから、いくら社会が「マナーがどうのこうの」と言っても無駄だ。

彼らは彼らなりの社会を形成するコミュニティーを編み出しており、その中では「舐められたら終わり」である以上、社会が眉をひそめる行為こそが美徳なのだ。

ぜんぶ社会が悪いんよ

て、ここまで書いて酔いが回ってきたので挫折。

ああ、結局何がしたいんだろうな。俺。

ヤンキーロジックヤンキーの立場で解明したかったのは確かだけど、結局群れてるヤンキーの気持ちは俺にもわかんねーし。

非モテ派遣、その他いろいろな社会的弱者情報を提供できる可能性があるのがネットなのだとしたら、ヤンキーの行動原理ヤンキーの立場としてロジカルに説明できる場があっても(そしてそれが賛否両論分かれたとしても)面白いんでないかな?と思ったのだけど、僕はここで力尽きました。

結局オッサンの酒の上での話の「俺は昔ヤンキーやった」的自慢話から脱却できなかったのが残念至極。

2009-03-09

AAキャラの変遷から2chの変遷を考える

なんとなく、代表的なAAの変遷によって、2ch自体の変遷を説明出来るんじゃね?と思ったんで以下だらだらと。

 

●初期(開設~ネオ麦茶事件あたり)

モナー

   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  ( ´∀`)< オマエモナ

  (    )  \_____

  | | |

  (__)_)

 

丸耳の初期バージョンもあるけど、知名度でいえばこっちかな。

2chの象徴ともいえるAAキャラ

オマエモナーという台詞は、お門違いな上から目線自分を棚に上げて語られる論説に対する、相対化の役割を果たしていた。

なんとなく、まだネットマイナーだった時代(80年代のパソコン通信あたりから?)にあった、ポストモダン(笑)価値観が背景に感じられるキャラクターである。

 

●中期(ネオ麦茶のま猫事件あたり)

ギコ猫

   ____∧∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ~' ____(,,゚Д゚)< 逝ってよし!

   UU    U U   \________

 

結構モナーとの共生期間が長いキャラクターだけど、途中からコイツの方が人気出てた記憶がある。

「逝ってよし!」という台詞オマエモナーと同じく、権威的な言論に対するカウンターだけど、こっちはよりチャイディッシュというか、「逝ってよし!」と言ったヤツ自身が「オマエモナー」と返されかねない危うさを孕んでいる。

ポストモダン(笑)的に語れば、ネット社会に対するアウトサイダーの溜まり場だった2chが、2chという一つの大きな物語としての存在確立し、ネット世界に対する批判もその大きな物語に沿って行われるようになった……ってところだろうか。

(ところでポストモダンってこういうことでいいの?よくしらない)

 

モララー

 

  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ( ・∀・)< マターリしようよ♪

 (    )  \_______

 | | |

 (__)_)

 

モナーギコ猫と違い、あんまり主張がないキャラクター

純粋に「面白い猫のキャラ」としてAAを使いたいという需要から、このイマイチ特徴のないキャラが人気になったんだと思う。

このことからも、2chが一つのブランド化したことが伺えるかもしれない。

 

現在のま猫事件~)

やる夫、やらない夫

 

                /   \

              /   ヽ_ .\    パシャッ!

              ( ●)( ●)  |     ____

              (__人__)      |     /      \

              l` ⌒´    |  / ─    ─  \

             . {         |/  (●)  ( ●)   \   ・・・

               {       / |      (__人__)      |

          ,-、   ヽ     ノ、\    ` ⌒´     ,/_

         / ノ/ ̄/ ` ー ─ '/><  ` ー─ ' ┌、 ヽ  ヽ,

        /  L_         ̄  /           _l__( { r-、 .ト

           _,,二)     /            〔― ‐} Ll  | l) )

           >_,フ      /               }二 コ\   Li‐'

 

そして、現在2chを代表するキャラといえばこれ。

かつてモナーギコ猫は、猫のキャラクターという非社会的存在自分の主張を仮託することで実社会では言いにくいことを無責任に言ってのける、一種のスーパーヒーローとして重用されていた。

だがそれに対し、やる夫・やらない夫は(容貌・性格共に)より人間に近い、等身大キャラクターだ。

その個性は、ニートであったりオタクであったり非コミュであったり童貞であったり、より(俺のような)2chの平均的(象徴的?)ユーザー像に近いものとなっている。

これらの特徴はAAの発祥がVIPであることにも起因しているだろうが、それよりも「2ch普遍化」という理由の方が大きいんじゃないだろうかと思う。

つまり、2chあまりにも有名・巨大になった結果、おなじみの「浸透と拡散」が発生して2chは一枚岩ではなくなり、つかの間存在していた「2chという大きな物語」は消え去り、現在はゆるやかに基底部分で繋がった状態(スキズマトリックス?)になっているんじゃないか、という推測。

この状態においては、もはやモナーギコ猫のようなスーパーヒーローに身をやつすという行為はあまりにもロマンチックすぎるのだ。

 

●今後

当たり前だがw、どのようなAA流行かなんて全く予想出来るはずがない。

AA流行は、デザインキャラクター性が秀逸なら良いというわけではなく、様々な偶然が重なって巻き起こるものだから。

ただ、もはやギコ猫モナーといったようなスーパーヒーローの時代は終わり、今後はやる夫のような等身大AAキャラの時代が続く……ということだけは断言してもいいんじゃないかと思う。

 

#個人的に、やる夫流行は本当に衝撃的だった。

#それまでのAAキャラは、(上でも書いたように)合理的に「心に棚を作る」ための一種のスーパーヒーローだったが、やる夫はイチビリな、ただのダメ人間として登場した。

#かつてねらー共同幻想として存在したモナーギコ猫が暮らす架空の「2chワールド」は、残念ながらやる夫・やらない夫が繰り広げるドラマの中には存在しない(ように俺は感じる)。

#それが寂しくも思えるけど、ただよりやる夫シリーズなんかは、より深く実社会コミットしていく面白さもある。2chAAキャラはまだまだ終わらない。

2009-02-12

その場合婚活女を劣とするのは

http://anond.hatelabo.jp/20090212155204

恋愛価値世界観でしょ。

逃げ出さずに恋愛してたのになんだか困ったことになっている。

信心してたのに神様からご利益が無かった信者と同じ。

本人にそうは言わなくても教団存続にとって困った存在だよ。

不良債権だと思ってるから草食系(笑)なんていう不信心なアウトサイダーに回そうとする。

もちろん素晴らしい物のように言いながら回そうとするけど、

いやお前達にとってそれ処分に困った余りもんだろ?と見抜かれてる。

喪男は何故ネットで女を叩くのか

あれは実は女について語りたいのではなく

自分喪男への認識に対する異議申し立てである。

一般通念のモテない男像はこうだ

1・めげない果敢な挑戦者

2・恋愛セックスへのモチベーションが非常に強い

3・女性に憧れやロマンを抱いている

4・女性に声をかけてもらえると有頂天

コミカルで無様で性善説的なコンセプトのキャラデザインだ。)


現実喪男像はこうだ

1・怯える棄権

2・成功体験も見込みも乏しい分野から退場、逃走中

3・女性嫌悪女性恐怖が潜在意識下にうずまいている

4・思春期の楽しくない思い出の象徴なので苦手意識でキョドる

(上のヤツより好感を持たれにくいであろう人物像だ。

 何より、女性から見ても社会から見てもコレクトでない。)



このようにして日陰を通って社会人になった喪男

ついにデート文化や支配的マーケティングとの接続が切れたハリジャンとして生きてゆく。

不可蝕民も長くやってれば悪くない 自由人気取りのそれなりの自負も芽生えてくる。

思春期に嫌な想いと劣等感のみ押し付けてきた恋愛価値主義に折り合わないままのスタイルを形成したぞ!


―そんな時、喪男達が嫌悪し恐怖するマーケティング恋愛価値主義から手紙が届く

 出席したくない故郷同窓会の通知のように。

「そんな生き方お辛いでしょう、今からでも頭を下げれば我々のヒエラルキの下積みぐらいにしてあげますよ」

「一生彼女結婚相手もいなくていいんですか。ほら、電車男とか草食系とかブームですよ。素直になれば恵んであげますよ」

含み笑いを浮かべ、大喜びで乗ってくることを確信した、上から差し伸べられた手。

こいつら金使わず小金溜め込んでるみたいだから、楽しいことを教えればたっぷり絞れるぞ!



普段は爬虫類のような喪男達もここばかりは声を荒げないといけない

「いらねーよ!」と。「とっくにお前らと縁切りしてるだろう!」と。

「なんだよスイーツ(笑)って馬鹿馬鹿しい!」と。

結婚しそびれた婚活(笑)女を紹介すれば大喜びで下取りすると思ってんじゃねえ!」と。


成り行き、女をいじめ馬鹿にして喜んでるみたいに見られることが多いがそうではなく、

依然として女は嫌悪と恐怖の世界の使者であることは変わらず、

その背後の支配的価値観の含み笑いに全力で異議を申し立てているだけなのだ

(なので、背後が見えない女、アウトサイダー変人女や喪女、には寛容で穏やかな反応をすることが多い)


みなさんもネットの女叩きを見たら、

外敵に圧迫を受けてトサカを広げて毒液を吐いてる、普段は日陰でうごめいてる変なトカゲ

認識するのが間違いが少ないと思う

ジュラシックパークに出てくる珍妙なアレ

2008-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20081111204812

女が「あの人いい人だよね」とか言うときって、実は人の良し悪しを意識して言っているんじゃなくて、

「あの人《私たちと違って》いい人だよね」という意味合いが大きい気がする。

「いい人」に対する「わるい私たち」(恋愛対象の男含む)が言外に想定されていて、

その立場から相手を見ているのだ。


だから、「あの人いい人だよね」はつまり「あの人私たちと違うよね」であり、

ぶっちゃけ「あいつ異質だよね」で、

要するに、「いい人」と言われることは、

「お前はアウトサイダーだ!」と言われているのだと思ったほうがいい。


自然本能として、自分たちと違う異質な人間に対しては残酷になれるし、

敬遠したり冷笑したりもするし、

バカにしたり無邪気な動物みたいに扱ったりもするだろうし、

なんていうか感情移入できなくてとても客観的になってしまうよね。

こういうことは白人以外の外国人に対する一般人の態度を思い浮かべてみれば良く分かるだろう。


もちろん外国人であることは悪いことではないし、

同様にして「いい人」であることも悪いことではない。

ただ、周囲とは違う異邦人アウトサイダーなのであった……。


「いい人」たちは、そんな異物を抱えてどう生きていけば良いのだろうか。

2008-10-27

なぜ時代遅れ自己責任教関西流行るのか

[原因]

1.関西階級固定化された社会であること

 関西独特の権威主義的気質と関西社会流動性の無さがこの傾向に拍車をかけている。

 だいたい関西本社のある多くの企業経営者議員職などは日本の他の地域と同様に世襲で決まる。

 大企業から中小企業まで関係なく。中小企業だと株主名前を見れば経営者と同じ名字人間が多数いたりすることもある。

 このような世襲貴族階級(のような人々)が座った後に以下の人々による椅子取りゲームが始まる。

 

まず学歴で区切られる。

 京都大学大阪大学神戸大学に入れなければ人生終了と言っていい。

 行政企業のおいしいポストのうち世襲貴族以外の椅子はこれら3大学の出身者でほとんど埋まる。

 関西のその他の国公立大学関関同立は彼らの兵隊を育成するために配置されていると言っていい。

 (京大阪大の残飯に神大がありついて、その食べカス大阪市大や大阪府大・関関同立以下が食べているイメージ。)

 京阪神大出身者以外から京阪神大出身者と同様の待遇を得られる者も稀に現れるがあくまでも例外に過ぎない。

 個人の実力よりも出自と肩書きが大事である。

 首都圏ほど競争が激しくないが故に、首都圏のように実力のあるアウトサイダー下剋上に成功する場面はほとんどない。

 下剋上が可能なのは世襲貴族京阪神3大学出身者が拒否した環境においてのみである。

2.実力のある人間利益社会還元しない

 これは日本のお隣の韓国に似ている。飛びぬけて優秀な人間企業関西社会貢献することは考えない。

 力をつけた人間企業はさっさと東京に移動するなど自らの利益を最大化することのみに専念する。 

 それは公務員世界においても変わらず、教育や福祉の予算が増えることはないが汚職天下り税金不透明な支出は絶えない。

[見捨てられた弱者による逆襲としての自己責任教]

 恵まれた地位や待遇世襲貴族学歴を備えた人による寡占状態にあるためいくら頑張ろうが報われず、

 有能な人間に助けを求めても有能な人々は自分のために行動して弱者のほうを向くことはない。

 このような流れがある。負け続けて心が折れそうになっている弱者に接近して幻想を見せ、利益を得てきたのが創価学会だった。

 関西学会員の数は全国的に見ても多い。しかしそれはしょせん幻想であり宗教団体を肥えさせただけの現実逃避に過ぎなかった。

 そこに橋下徹が現れた。本当かどうかわからないが大阪府民のために働くと言っている。

 どうやら大して仕事をしてないのに高給をもらっている公務員給料を下げてくれるようだ。

 子供にちゃんと勉強を教えず自分たちに都合のいい事ばかり言っている日教組教員をこらしめてくれるようだ。

 無能なのに学歴や出自だけで恵まれた待遇を得ている人々からパイを奪って弱者にもパイを分けてくれるようだ。

 

 小泉元首相で似たような目にあって懲りているため半信半疑だが、

 学歴や出自だけで偉そうにしている人々の代表みたいな民主党の候補には投票したくない。

 橋下に投票してみよう。こうして大阪府民は橋下徹大阪府知事にした。

 反故にした公約も多いが弱者の顔を見ようとせず自分の事ばかり考えている既得権益層からパイを奪うことはしている。

 自己責任だとか新自由主義だとかはどうでもいい。ただ肩書きや出自がいいだけの無能なボンクラたちが苦しむ顔を見たいのだ。

 

 現在大阪府知事支持率は高く、京都など他の都道府県の人々からも橋下氏を評価する声がある。

 それは見捨てられてきた弱者たちが、いくら頑張っても自分たちが幸せになれない

 関西の保守的な社会ガラガラポンしたかったのを曲りなりにも橋下知事が実行しているからなのではないか。

 

2008-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20081009124744

元増田です。いっぱいレスはてブついててびっくりです。

あと、えーと、釣りじゃないです。

愚痴りたい訳じゃないし、情報の出し惜しみをしても仕方がないので

身元バレ寸前まで書いています。

手厳しい意見が多くてちょい凹むけど、匿名ならではのストレート意見だよね。

ありがとうございます。


いつまでも気持ちを伝えないまま、本気をさらけ出せないままだったら、

たぶん誰も元増田に踏み込んでいけない。

すごいストレートに「好き」「○○さんのこと、いいと思う!」って言っているよ。

相手に告白してもらいたいとかそういうまわりくどいこともしないし。

でも、相手の反応がにぶい時ってどこまで頑張るべきなのかわからない。

以前好きだった人は振られた後も1年間近くアプローチを続けたんだけど

それ以上自分の気持ちを押しつけても仕方ないからあきらめたよ。


まあ、普通に考えたら、あなたに割ける時間はありませんってことでしょ。

わたしもそう思う! だから「忙しい」って言葉は使わないよう心がけている。

でも、「俺は多忙」「仕事が大変」アピールしたがる男性てすごい多いよね。


まあ、「サバサバ系」が行き過ぎて「性関係にもサバサバ系」に見えてるか(遊び気分の男が寄って来る)、「僕を引っ張って精神的にも金銭的にも支えてくれる姉御系」(駄目男が即結婚を申し込んできそう)に見えてるか、という妄想なら出来るが。

まさにこの状態なんだと思う。

具体的に何をどうしたら改善できるんだろ?


セックスする雰囲気になる前に(ベッドへいくだいぶ前に)、ふつうは付き合ってるかどうか確認しないか?

ベッドに行く段になって確認するんじゃなくて、

二人きりで飲んでいて終電間際に部屋に誘われた時とか

旅行に誘われた時とか、もっとダイレクトホテルに誘われた時とかに

「ねえ、わたしたち、つきあっているの?」って念のために聞くよ。

普段なんにもない時にいきなりそんなこと確認するのも変だし・・・。


100歩下がって男を立てるくらいの気持ちにならないと、興味本位で付き合うことはあってもパートナーにしたいとまでは思えないだろうなぁ。

男性をたてるのは実践しているよ。

基本的に会話とか聞き手に回っているし、知識をひけらかさないようにしているし、

ささいなことでもきちんと喜んで感謝するようにしているし

なるべく控えめな態度を取るようにしている。

意見を求められたらちゃんと答えるけれど、自分が自分がって主張はしない。

前夫がすごい亭主関白だったこともあるし

多分そのあたりは一般的な日本人女性よりも感覚が古風だと思う。



お次ははてブ


あわわ、異性の友達がいるとか男女関係があるって「非モテ」じゃないのね。

でも、結婚してたり恋人がいたりするのに非モテを自称している人多いよね?

よくわからーん(笑)

あとうざいうざい連呼されても具体的に何がうざいのか教えてくれないと

直していけないよ・・・でも、わたしが一般的にうざがられる感じってのは理解した。


ビミョウにスペック高めに見えるのが非モテの理由のひとつだとはわかっているんです・・・。

でも、エリート街道一直線とかキャリア志向とか全然そんなんじゃないよ。

あとアンチ普通でもない。興味のおもむくままに生きていたらこうなった感じ。


高校時代になけなしのバイト代をかき集めて貧乏旅行したアメリカが気に入って、

合法で滞在するにはどうしたらいいんだろうって考えたら学生になるしかなくて、

日本大学行きながらバイトしてお金貯めてアメリカ短大に入って卒業して、

当時師事していた教授の推薦でその分野の研究が有名な4年制大学に編入して、

研究楽しい論文おもろい!発表ばっちこい!学生だけど結婚もするぜ!ってノリで

いい年齢までずるずる学生して。

前夫の転勤で日本に帰ることになった時に研究室の紹介で日本研究機関を紹介されて

ほかに就職活動もしないままそこに所属して、気がつけば研究機関が解散してフリーって感じです。

生計は立っているけれど、常にアウトサイダーという意識が強くて

きちんと企業にお勤めの人ってまじめだし堅実だしすごいと心の底から思っている。


結婚していた間に子供を作らなかった理由は単純。

結婚生活前半はわたしが学生だったから。

結婚生活後半は前夫が失業していてわたしが働かなきゃいけなかったから。


一人で完結している感じというか、相手にとって自分が必要とされてない感じがするからではなかろうか。

仲がいい男友達に言われた。「お前は自給自足率高すぎ」って。

じゃあ、どうすればいいんだろう。

一緒にいて欲しい、あなたの存在が必要っていう思いすら通じ合わないのに。

よく男友達が「彼女が手がかかってめんどくさい」って愚痴っているのを聞いて

こういうことはしちゃいけないんだ、って思っていたんだけど、

結局相手を振り回すぐらいの勢いで振る舞った方がかわいいってこと?

2008-07-29

大学生ファッションを脱出するための10アイテム

参考:http://anond.hatelabo.jp/20080728045912

丸井ブランドで10000円前後アイテムを買いあさる日々に飽きたら

ちなみに想定年齢は20-25くらいで、何かポパイとかメンノンとか、もしくはマルイ新宿伊勢丹ビームスストリートライン)な服を買ったりしていた人。「全身をスタンダードアイテムのみでまとめるべき」というわけじゃなくて、全身からとりあえず大学生臭さを消す、つまり、中身の人間が20代前半くらいまでな場合に、スタンダードじゃない(例えば)アウターとかを含めた全身をバランス良く仕上げるために便利なアイテム(&よほどオシャレならそれでもどうにかできるんだろうけど99%の人間にとって完璧地雷アイテム

もうちと具体的に書くと

高校くらいからマルイとかで買い物したりしていた大学生

大学院生

スーツ着なくて良い業種の社会人

休日カジュアルに神経を回せるスーツサラリーマン

くらい

●1:スタンダードに着れる無地Tシャツ

ちょっとピンクを見せる、とかそういうこと

上の記事ではアメアパになってるけど、や、これは俺の趣味かもしれないがアメアパは発色が大学生以下っぽくないか?よく知らんけど日差しの強いLAならあの発色、みたいな話だと思う。少なくとも東京日差しには合わない気がするんだなぁ……

数千円以下でインナーとして便利な(例えば「今年買ったお気に入りのカットソー」とかの差し色として使えるという意味Tシャツを見つければオールシーズン着まくれる

個人的にはヘインズのビーフィー(一枚入りパック1200円)のレディース(アメリカンなので別にインナーなら全然着れる)を勧めてみる。色によっては発色が良くないがピンクは良いよ。あと正直ユニクロは縫製が悪いか横方向に捻れるように伸びるイメージがある(昔に植え付けられたトラウマなだけかも)のであまり買わないんだけど、ユニクロプレミアムコットン(1500円)も良いんじゃないですかね

●2:上質なカットソー

誰がなんと言おうと無地。そして丸首/Vネックで一定以上に上質なもの。Uネックは、実際問題として大学生、もしくは原宿あたりにいそうな感じの人感を出さずに着るのが難しい。一枚持っていても良いだろうけど、あくまでスタンダードではない

スタンダード」というのは、結局のところ体型依存なので「万人にお勧め」というものはない

自分の体型に合い、かつ3000円に見えない「自分用定番」を見つけることに時間を注ぐべきだし、こういう部分でセンスが良い人間は本当にセンスが良いと思う

……そう言いつつ個人的にはユナイテッドアローズビジネスライン(なのか?これを買うためのみにUAを使っているのであまりライン構成を知らない)の長袖8400円のヤツなのであまり偉そうなことは言えないんだけど……。あとフェイクレイヤードとか変なデザインは本当にマルイなので完璧に不要。今持ってる人はヤフオクでもフリマでも弟に押しつけるでも何でも良いから早く手放してください

●3:上質なシャツ

つってもシャツは下着(シャツの下に下着を入れるのは本当にやめて欲しい)なので出せる値段に上限があるはず。1万円前後カットキレイで一定程度に上質、ということを考えていくと、下町などのセミオーダーシャツは候補になるはず。というか他に候補がなかなかないような。一個でよいので高いシャツ(個人的にはバレンシアガが一番シックリくるので一枚だけ持っている)を買っておくと「同じようなカッティングで」と説明しやすいのでオススメ。セミオーダーは、「これと同じ」と言えないと一度や二度は失敗するのがデフォなので、それを考えれば「最初の一枚」に3万出しても実はあまり差がない(ただ3万で買ったシャツが「最初の一枚」にならないと本当に金がもったいないので徹底的に試着しまくるべき)

あと今思い出したけど新宿伊勢丹が秋くらいから1万強でセミオーダーを始める、とか聞いた記憶がある。新宿で作れればアクセス的に便利な人が多いと思うので、いや品質とかどうなのか今は分からないが、始まったら伊勢丹覗いてみると良いかも

●4:定番的に使えるスニーカー

プーマヨーロッパラインとかデザイナーズとか、一瞬かっこよさそうなのはNG

基本的に選択肢はナイキ/アディダス/ニューバランスくらいしかないとは思う

この中で自分のスタイルにあうもの、例えばアメトラがベースなら必然的にニューバラになるだろう。そういうものを選ぶ。全身において、普通大学生が見てもブランドバレするアイテムはここだけにすべき。決して「高い」感を出さないアイテムなのでブランド丸わかりでも良いし、逆に丸わかりであることが「スタイル」となる(ナイキでなくアディダスを履いている、そんな俺は……という)。あと今思い出したけど、バンド・オブ・アウトサイダースだっけか、トラッドにヴァンズ合わせてるスナップは(アメリカ人だけど)ハマってた。ヴァンズも履けていればカッコいい(ただ正直よく知らない)

コンバースは、別に悪くないけど、「コンバースが合う」って結構難しいよ。ギターキッズとか何だかよく分からない洋楽を語れる人間とかがそこらへんに溢れている以上、彼らよりコンバースを履ける自信がないなら避けた方が……。女の子が特になんだけど、高校生くらいの頃って、コンバースを中身の人間の特性として問答無用に可愛く履けるじゃん。男も何だかんだ言いつつそれなりに。でもその履き方は20代じゃもうできないし、「マジに履く」ということを考えると、コンバースは実は結構難しいよ、という話。君の彼女はそれでも「可愛い」と言ってくれるかもしれないが、それは良くも悪くも色眼鏡です。そう見てくれる彼女感謝しつつナイキでも履いて下さい

そしてここで書いていない、特にパトリックオニツカタイガーは、履ける人いるけど決して多くないので「取り扱い注意」。もちろん履けていれば何の問題もない

あといずれにしても「○○限定色」とかショップ別注とかの変な色は避けて下さい。「それが99%の人間にハマらないから定番色になっていない」のです(だから復刻とかはこの限りではない)

●5:上質な革靴

一番金をかけるべき場所。滅多に買う物ではないので4万以上は出すべき

先が尖っててちょっと浮いてる、何か新宿伊勢丹で売ってそうなヤツは本当に絶対にNG

なるべくクラシカル普通の革靴。革は見る人が見れば値段は即分かるのでムダなデザインは一切不要。一足買えばリペアしつつ5年以上は履けるし、スーツにもジーンズにも合うのでムダはない。個人的には銀座のヨシノヤの一番スタンダードなヤツを勧めてみる(ただ6万くらいするので、何か臨時収入でもあった時に)

スニーカーとも共通だけど、靴を買いに行く場合、良く着ている服で出かけて試着をすると思う。そして靴を履いて鏡の前に立ったとき、靴が全身の中で、(良い意味であったとしても)目立っているとしたら、それは「一瞬カッコ良さそうに見える」というだけで、「自分はその靴を履けていない」ということです

その靴が、中身の人間を含めた全体に溶け込んでおり、かつ全体をサポートしている、例えば革靴なら「全体に落ち着き(?)を与えている」みたいな、そういう状態であれば履けていますし、買うべきです。だから●4で書き忘れたけど、平均的に言って華奢で虚弱日本人の中で、ハイカットスニーカーを履ける人間は少ない。革靴にデザインが不要というのは、例えばウイングチップではなくストレートチップを買うべきという意味でもあって、理由は同じ。20代で、例えばウイングチップとかを溶け込ませることができる人間は少ないはず

●6:定番的に使えるジーンズ/スラックス

体型依存なので「これ買っておけば良い」なんてものはない

リーバイス501?)が本命だろうけど体系とご相談を。虚弱体型一歩手前な人ならGAPスリムジーンズスキニーよりちょっと太い)とかも候補になるんじゃないかなぁ

おそらくだけど

脱オタの人からするとキツすぎ

マルイブランドの人からするとユルすぎ

くらいがちょうど良い。スキニーは、金余ってたら買えば良いけど基本的に不要だし、中途半端にデカいパンツは、それがどんなにラクだろうと不要

そして体系にハマるパンツなんて、たぶん10本試着して一つ見つかるか否か。基本方針として金より時間をかけるつもりで納得がいくものを探してください。リーバイスと言ってみたが、個人的にリーバイスは腰とウエストバランス(とかも見る)が合わないので長らく履いたことがないのでよく知らない。ごめん

●7:●6に合うアウターに合うルーズパンツ

チノとかで良いけど、「自分が定番としているパンツ、に合うサイジングのアウター、に対するオルタナティブなサイジングのパンツ

これはブランドなどを定番化させる必要はない(そんなに買わないし履かない)はずなので見かけたらラッキー、で

ここでスキニーを入れても良いんだけど、汎用性を考えればスキニーより先にルーズシルエットだと思う。というかオールシーズン通してスキニーオルタナティブになる、というのは、そもそも●6のサイジングを間違っているから(スタンダードルーズよりはスキニーに近い)。スタンダードルーズの次に、まぁお金があればスキニーを買っても悪くはないんじゃなかろうか

●8:ポーター以外のバッグ

ポーターをカッコよく持てるのは相当な大人(何かデザイン関係仕事をしてる感を全身で出せるなど)だけだということに気付くべき。持っている人間の99%は大学生フレッシュサラリーマンにしか見えない。ポーター自体は悪くないので、むしろあれは高校生の頃に一度買って、30代以降くらいのどこか(30代ではないので知りません)で再び持つべきもの。20代はポーターを持つにあたって最も危険な年齢

あとメッセンジャーか。あれって持ち方は大体二種類だと思うんだけど

・本来の持ち方。チャリ文化。20代でもイケるとは思う。ただそれは全身のスタイルの中でしか成立しない。少なくともママチャリしか乗ったことない人間の、そのクセにポパイとかで仕入れた知識で選んだブランドメッセンジャー地雷になっているケースが多い

プラダがたまに、NYファッションが割とよくやる都会の戦士像(?)からの流れ。そもそもあれを20代で成立させられる人間が少ない。どうせ20代なぞ若造

なので「99%」とは言わないけどかなり難しい

バッグは非常に難しい選択になってしまうが、スタイル次第ではグレゴリーマウンテン系、古着屋の片隅に転がっているようなビンテージ臭の漂う、しかしあまり高くないレザーバッグ、お祖母ちゃんから貰ったお下がりヴィトン(自分で買った感がない限りにおいて)あたりがギリギリで許される。しかしバッグはあくまで荷物入れであって「ファッションの主役」とかでは決してないことを認識すべき。他の全身合計より高いバッグを持っていても頭悪そうにしか見えないし、JAS.M.B(表記違うかも、UKチックなイセタンとかエディフィスとかでよく売ってるブランド)とかバレンシアガとか、ああいう方向でのデザインコンシャスは本当に辞めるべき。いや、全身100万とかをイヤミでなく着こなせる人なら、バレンシアガくらい普通に持てるんだろうけど。「物入れ」と考えた場合、10万や20万のバッグを普通に「物入れ」として持てるようになるはずの40代くらいになれば選択に悩むこともなくなるんだろうけど知らない

●9:バックルのウザくないベル

なんか座ったら痛そうなデカいバックルのベルトは本当にマルイなのでやめて欲しい。それこそディオールのイーグルベルト5万(もっとだっけ)とかは正気と思えない。例えば同じディオールなら、数年前の極細ベルト(極小くるみバックルのやつ)は(スタイルが合うなら)買う価値あったような気がする。ただいずれにしてもブランド名を主張するベルトは全NGディオールの極細はファヲタしか知らんかなと思うのでアリかなぁと)。そんな場所でブランド自慢をするな

これもやっぱり革なので値段をあまり惜しむと辛い。2万円程度以上出すか、もしくは数千円のオモチャで(ただオモチャベルトは難しいんだけど……)

●10:上質なニット

ニットは「金が余ったときに買うもの」度が高い。別に無ければ無いで古着ネルシャツとかスウェットとか着ておけば良いんだし

正直1万以下のニットでマトモなものを見た記憶がない。1000円のTシャツ普通に着れるけど1000円のニットは本当にどうやってもムリです。その分シンプルな物、例えば黒無地タートルとかであれば、よほど毎日着ない限りは全然長く着れるので、お金があるときに買えば良いんじゃないかなと。だからデザイナーズはあんまオススメしないし、買うにしてもスタンダードライン。ただ胸に妙なものがあるニット典型的にはギャルソンプレイ)は本当に恥ずかしいのでやめて下さい。あれを着ていて唯一許されるのは、女の子下半身とかをマジにギャルソンファーストラインで固めて(つまりギャルソン信者という意味でもある)上にギャグっぽくプレイを着ているケースです。まじまじと見たことがないので知らないが、もしあの変な物をハサミとかで外せるのであれば、持ってる人はすぐ外して下さい。外せないなら諦めてヤフオク

一個名前出すならジョンスメなのかなぁ……。別に人それぞれなので、お金持ちならマルジェラで買ってタグ切ったりしても良いとは思うけど

繰り返すが、別に無ければ無いで全然構わない

※正直「10」にするために最後のニットを付け足したので説明不足なので補足

ここで言ってる20代は、学生終わったら即大人とかって意味ではない。どうせ20代なんざ、学生だろうと社会人だろうと社会の中では若造だし、まだ30代ファッションはどうせ似合わない。それに30代で着れるものは30代で着れば良いじゃん。20代が「ポールスミス(女ウケブランド1位だった記憶があるので書いたけど別に何でも良い)の今期ブルゾン買っちった」と言うのは、何も否定されるべきものではないと思う(それでもその「買っちった」でブランド丸出しベルトとかバッグとか買うのは辞めて下さい)。ただ、せっかく買ったそれを大学生ファッションでしか着れないという、それはもう卒業しようよ、と

ニットなんだけど、

ニットは基本的に新品同様でないと着れない

・体になじむ程度に着古したニット価値がある

俺は、いずれある程度着古すことを前提にしている。もちろん最初は新品で、少しすると新品同様で、そしていずれ着古される。大学生ファッションの共通欠陥の一つは、安っぽい素材で中身の人間マッチしていない新品服による全身コーディネートなので、体に馴染んできたニットは、中身と他の服の熟成度の足りなさをカバーするアイテムとして長い期間にわたって利用できる。ただ、ニットの質という差は着古すと新品時(であっても1000円は本当にどうやっても無理)よりさらに顕著になるので、正直1万以下で着古せるニットを、俺は見た記憶がない。だから丸井ブランドで買うよりは、30代くらいの知り合いとかが買って数年着て、その後メタボったので着なくなった、元は結構高いニットとかを貰ってくるべき(そして本当に無いなら無いで別に構わない)

ただ、体に馴染んできた後での活用って、あくまで20代のカジュアル用途限定なのかもしれないので、30代以降では、ニットをシャツより高い消耗品として買うしかなくなるかもしれない(けど基本的に知らないし30代の人に聞いて下さい)

2008-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20080619215737

リングスの公式のトップに苫米地の本のバナーが張ってある

アウトサイダーにも苫米地来てたよ

2ちゃんの実況によると、苫米地は前田と一緒にロールスロイスで会場に乗り付けたらしい

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