はてなキーワード: 相関関係とは
そうかー。
優しい女性の友達が冷たい子だったのを見かけた事があって
根は優しいのかなって思ってたけど、あんまり相関関係はないんだね。
まあ、本人も「私以外の女友達は冷たいところがある」って言ってたけど
本当なんだろうな。
~~観測された事実から有意義な結論が得られる可能性について~~
しばらくすると、仕事が「出来る人」と「出来ない人」がいる事に気づくようになった。
私の主な仕事はコンピュータプログラムを作成することであったから、
それはプログラムが作れる人と作れない人がいるということでもあった。
これは、私にとっては比較的重大な問題である。
なぜなら、プログラムが出来ない人の割合が多ければ多いほど、仕事が増えるからである。
プログラムを作れない人を作れる人へと変換することで、自分の仕事を減らそうと考えるようになったのは自然なことであった。
まず、頭の良し悪しはあまり関係ないように思えた。
もちろん世の中には、頭の良さが重要である仕事もあるが、彼らが日々格闘しているのはそのようなものでは決してない。
そして「出来る人」が頭のいい人でもなかった。
残念なのは、頭の良し悪しの判断は私の極めて主観的な判断であることである。
頭の良し悪しを客観的に測定する手段がないため、それも致し方ない。
従って、プログラマと学歴に関する何らかの関係についての知見は得られていない。
学歴と同様に女性プログラマとほとんど接点がないため、こちらも未知数である。
ほぼ20代後半~30代半ばであり、年齢とプログラミング能力との相関関係も未知数である。
半年~15年程度の経験年数の対象者を観測した。
残念なことに、経験年数と能力に関する関係については、いかなる関係も見出せなかった。
しばらく観測を続けたが、その違いが何から来るのか全く不明であった。
そこでそれぞれの人にインタビューを実行することにした。
「出来る人」に「あなたは何故、○○○○○が出来るのか」と質問してみよう。
大抵は、考え込んでしまう。
約80%の人は「判らない」と答える。
残りの20%弱の人は、長考した上で「たぶん○○○○○じゃないかな~」などと答える。
しかし、この回答には共通点を見出せなかった。その人が「出来る」という以外には・・・
極めて僅かな人が笑顔で、「昔宇宙人に誘拐されてチップを・・・」などと答える。
通常このパターンはそれ以上ツッコんでも何ら参考に値する知見は得られない。
「なぜ○○○○○が出来ないのか?」
「わかりません」という回答が約50%。(※1)
「○○○○○だからです」という回答が約50%。
これはありがたい!
その人に何らかの解を与えれば、「出来る」ようにになるわけだ!
では早速その原因を取り除いてみよう!
原因を取り除いた結果、その人ができるようになる確立は0%であった。
よーし、もう一度インタビューを結構だ!(ここで、※1へとジャンプする。)
100%の確立で、「わかりません」という回答にたどり着くか、インタビュアーが興味を失って実験が中止されるかのいずれかであった。
観測の結果、以下のように推論可能である。
・「出来る人」には「出来る」理由がないか、不必要である。
・「出来ない人」は、何故出来ないのか不明であるか、あるいは理由はいくらでもある。
・「出来ない人」の理由を解決しても新たな出来ない理由が発生するか、何故出来ないのか分からない状態になり安定する
※ただし、「出来ない」理由を解決する試行回数を無限にすれば、いつか「出来るようになる」可能性については、否定できない。
振り込め詐欺の被害者には高齢者が多いから、高齢者に注意を呼びかける。
これはおかしいのか?
高齢者に注意を呼びかけるなんて、高齢者の振込の自由を制限する差別だとか、被害者に鞭打つ行為だとか、そういう反論は理屈としてはありうるのかね。あまり説得力があるとは思えない。
犯人・加害者は貧乏人だから、貧乏人は犯罪予備軍で、なにかしでかす前に檻に入れろなどという話も。
もちろん社会的制度的な対策は必要だし、金融機関の窓口での確認などの手当は行われている。
しかしそういう対策は一般的包括的になりがちでしかも機動性に欠ける部分が生じざるを得ない。
自分も個人としてじいさんばあさんから金を騙しとろうとは思わないし、そういう輩がいたら通報するなりやめろよというだろう。社会的制度的対策も必要。それに加えてやっぱり個々人が被害を避けようとする意識も必要だよね、ってだけの話じゃないのか。
個々人が防犯意識をもって具体的対策を考えることと、社会的制度的な対策を拡充することは両立することだろう。
おせっかいなババアが見当違いの自衛策を提案してきたら、それに対する反論は「その自衛策は見当違いですよ」というだけでいい。
また、振り込め詐欺多発の背後には、経済が停滞し若者が貧しく将来の希望が見えないといった、社会構造の問題があることも事実ではあるだろう。(景気と凶悪犯罪の発生件数には相関関係がある。日本が好景気に沸き立っていたバブルの頃の犯罪件数は驚くほど少ない)
しかし、これを犯罪に対する自衛の問題と直接に結びつけて語るのは飛躍がある。切り分けて考えるべき問題だろう。
一連のミニスカ論争は、双方合意出来る部分はいっぱいあるのに、切り分けて論じるべきことを一緒くたに論じて、戦争のための戦争をしてる感じ。
ちょっとは自分で調べてくれよ。
フィンランドはちゃんと人口増えてるよ。ほれ つhttp://ecodb.net/country/FI/imf_persons.html
フランスは移民があるから、単純に人口増加見ても仕方ないから、これもhttp://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2558071/3684437
男女平等な国が出生率下がるってのは、資本主義社会になったことを共に原因とする、相関関係でしかないよ。
資本主義はあらゆる人が労働力になれる方が儲かるから、男女平等化が進むし、学校教育をきちんと施さないと労働者にはなれないから、教育コストもかかる。ただそれだけのことさ。
男だけど半分同意。
セックスの数と人間的魅力に相関関係はあるが、質が数を上回ることもあるんだ。
付き合った人数は1名でも足掛け10年の大恋愛とか。
高齢童貞がとんでもなくコミュニケーション能力を欠いてて結婚相手としてありえないのはガチだけど。
http://d.hatena.ne.jp/RPM/20090917/doryoku
最近見た素晴らしい「努力」の定義 - インターネットください
このエントリーを見て,どうもモヤモヤした感じになったので。というのは、現在その言葉を使っている人の意図に全く無い意味を「定義」しているので「提案」にしかなっていないことと、論理的な矛盾点が気になったからである。
http://d.hatena.ne.jp/RPM/20090120/1232391076
「努力をしないクズを吊せ!努力が足りない無能は死ね!」 - インターネットください
同じ方のエントリで、問題点の列挙に関してはとても納得ができ、凄いなと思ったのだが、前提がおかしいのではないか。すなわち、
まず前提として「努力してない」「努力が足りない」と言われたり評価されたりするのは、「失敗」したときのみであることに注目した方がいい。
これは違うのではないか。
この前提及び冒頭エントリの定義への反例は、「『あいつ、大した努力もしていないのにいい目見やがって…』という批判」とか、「『あの人,あんなに努力しているのに何で結果が出ないんだろ…』という同情」とか。従って、冒頭定義にはわたしは相当の違和感を持った。加えて、ブコメにも散見されたが、この定義は「みんなの考えているような努力なんか存在しないんだよ」といった内容、もっと踏み込んでいえば「努力するってのは空虚なものだ」という内容を暗に含んでいるように感じる。
さて、というわけで表題に戻ろう。私は、努力の定義は表題のとおりなのではないかと思っている。
自分の努力の評価は、「投入した心理コストの量」として評価している。
他人の努力の評価は、「投入したと考えられる心理コストの推定値」として評価している。
そもそも心理コストとは何か、ということなのだが、これは気力と言い換えても問題がない。人間、何をするのにも気力が要る。ただし、その必要量は人によって(さらにはコンディションによって)異なる。例えば、芸術系の学生がスケッチを1枚描くのに必要な気力と、私が同じことをするのに必要な気力は大きく異なるだろう。ある行為を行うのに必要な心理コストの多寡は個人差がある。
ということで、努力の評価の不思議も説明できるのではないか。スケッチの例を続けると、絵を描くのが楽しくてしょうがない学生がものすっげえ量のスケッチを描いて大成したとすると、本人はそれに対する投入心理コストは大したことがないので努力したつもりはないが、私から見るとものすごい心理コストの投入結果に感じるので努力したんだろう、と感じるだろう。逆に自分のいやなことをやるときは投入(物理)コストの単位量当たりの必要心理コストが大きいので努力に結果が付いてきにくいと感じる。
「努力が足りない」という他人への評価は少し複雑だ。このケースでは、「評価者はその行為に必要な心理コストが小さいと感じている」乃至は「評価者は心理コストの推定を行っておらず、それを0としている」ということが考えられる。とにかく他人を貶めたいような人は、ある仕事を行うのに気力が必要だという事実を無視して、物理限界のコストの投入を求める。心理コストが0になれば、物理限界のみがコスト投入量の限界を決めるからだ。場合によってはそれすら考慮の対象外になることがある(人間としての限界でなく、それ以上の力で動けという暴論。ex.根性論)。
気をつけて貰いたいのは,あくまで気力は実際の(物理量としての)投入コストとは異なる、という点だ。成功なりなんなりという結果は、実際の投入コストに影響されるものである。従って、努力の量と結果の相関関係は投入コスト量と結果のそれより弱くなる。なので、「努力したorしてない」と「成功したorしてない」という言葉の組み合わせは4通りすべてありうる。
以上、長々と書いてきたのをまとめると、
ということだ。自分がやると非常につらいことを他人がやっていることは評価するべきだし、必要だけどやりたくない、辛いことにチャレンジすることは尊いことだ。
ただし、付け加えると、
でもある。そして、
ということだ。
あまりまとまっていない乱文だが、ここまで読んでくれたことに感謝する。
【追記】(注:あんまり真面目な議論じゃないので本気で受け取らないでくださいね,笑)
くわしく数式的に定義する。
努力量[心理量]をE, 実際の投入コスト量[物理量]をC, あるコストを投入するのに必要な心理コスト[心理量/物理量]をxとおこう。
この時、Eは次のように定義される。
E = ∑_m ( C_m * x_m )
ただし、mは様々な投入コストの形態を指す。例えば、絵を描くという課題に対する投入コストは「対象物探し」「材料調達」「作成」のための時間、肉体的労力,精神的労力,金銭などがある.ここではこの12項目のみが投入コストだとすると、mは1~12の値をとり、それぞれについて和をとる。積ではないので、ある課題に投入するための努力を小さくするためには、すべての項目についてxおよびCを小さくする必要がある。しかし,ここで
成果 ∝ C
であることにも留意が必要であり、成果の値を一定に保ちつつEを小さくするにはxの低減が有効になると思われる。
対外的にも内面的にも絶望しているって言うか、たぶんみんなそうなんだろうけれど、折り合いの付け方が分からないというか、もうお前ってだめだめねって感じで、なら変えてみたらいいじゃないと叱咤激励を貰うかもしれないけれど、もう面倒で面倒で、たぶん傍から見ているととてもイライラするし、何かしろって、動けって思われるのだろうけれど、実際動いてみれば何かが変わることも分かるのだけれどもうダメで、ダメと言ってしまうことが不毛で、馬鹿で、なにをしたらいいのか、分からないというよりも分かりたくないというか、頭を動かしたくないというか、腰が痛くて、とても腰が痛くて背筋を伸ばしてみて、ああ、そういえばもう月曜日で平日になったんだなあって思ったりして、来週からは連休が始まるのだと思うと月日が経つのは早いなあと思って、お前はなにをしているんだと罵倒されても反論することはできなくて、そもそもするつもりもないのだけれど、考えてみれば昔の文章ってこんな風にだらだら続いていたのだろうかと思って、句読点はいつ発明されたんだろうとか、方言の変遷について面白いなと思ったりしながらも、なんていうかこのまま折り合いをつけて生活してもたぶん生きにくいんだろうなって、みんな生きにくいのにすげえなあって思って、生きていることは簡単だけど、生きるのは難しいなあなどとくだらないことを弄しながらも、もうなんにも思い浮かぶことがなくなってきて、ならそれはそれでもいいような気がしてきたのでこの辺でもう終わりにしてしまおうと思うわけなのです。
頭おかしい。
チラ裏をどうして公開しようというのだろう。馬鹿なのか。共感してもらいたいのか。そんなことしても救われないのに。
私は何をしているのだろう。無意味なことばかりを選んでいて、意味あることから遠ざかっているような気がする。
でも、意味の有無ってどっから来ているのだろうか。事象よりも先に、意味は存在しているのだろうか。
現実から足が離れていくような気がする。独りよがりな思考は、偏り腐っていくように見えているらしい。
腰が痛い。腰が痛い。頭が悪い。
誰の意見にも耳だけは貸す、主体性のない馬鹿はどうするのだろう。どうするべきなんだろう。
とにかくアイスが食べたいような食べたくないような気がする。
水を飲もう。
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▽
遠山の金さんといえば庶民感覚で犯罪者を裁いた”名裁判官”として歴史に残る。通俗大衆小説のモデルにもなり、何回かテレビドラマにもなった。
お白砂には花吹雪舞う刺青の松方弘樹扮する金さんが颯爽と登場して悪を懲らしめ、弱き庶民から拍手喝采をあびる。
江戸時代までは検非違使の伝統が息づいていた所為か警察、検察、司法が同じ行政機関で行われた。警察が逮捕し、検察が起訴し、裁判所が法に従って結審するという近代の概念はなかった。火つけ強盗改めの長谷川平蔵も然り。
大岡越前守も温情主義裁判で庶民に人気がある。考えてみれば南町と北町奉行所の同心だけであらゆる民事裁判をまかなっていたのである。
江戸時代を世界同時代的に俯瞰すると日本はたいそう治安が良かった。日本人が裁判沙汰を好まなかった証左にもなる。
水戸黄門様は印籠をかざして即席裁判。これは超法規行為であり、そもそも黄門様は司法の独立って概念を知っていたのかな。
そういうわけだから日本人は争い事が嫌い、裁判は避ける。なにごとも裁判で決着をつけ、交通事故でも弁護士をよぶ米国とは法律の風土が違う。
だが世の中が変わり「国際化」というアメリカ化が進んだ。外国人の犯罪ばかりか、外国企業との軋轢、特許係争が頻発し、あげくは米国からの強い要求が突きつけられる。日本に弁護士が少ない、と。
この結果、二つの政策が実現した。まずは大学に雨後の竹の子のごとく誕生した法科大学院。
そして日本に馴染むかどうか不明な新制度、すなわち裁判員である。しかもこの裁判員が臨む裁判と言えば殺人、傷害致死、放火、身代金誘拐などの重大犯罪であり、死刑か量刑か無罪かを決める「大岡越前」の小型ヴァージョンとなる。実際に最初の判決が八月初旬に実現し「業界予想よりすこし思い」量刑が下った。世間の常識が裁判官の常識を変えた例になった。
ともかく裁判員制度の発足は米国からの圧力が遠因、これに財界の要求が一致し、日弁連が便乗した。奇妙な、面妖な裁判員制度が日本にうまれた。
左右の境界線がないまま賛否両論が渦巻き、「ともかく始めてみなければ分からない」ということになったわけだ。
議論は曖昧なまま、米国へのジェスチャーのごとくに審議が進み、国民が誰も知らないうちに米国流の「陪審員」制度の誕生となったことは述べたが、米国には黒人奴隷制やリンチによる縛り首があった。日本とは異なり犯罪者も多く、弁護士は百万人以上、なかには悪徳弁護士、アンビュランス・チェイサー(救急車を追いかけて患者から事故の弁護士を成功報酬でいかがかと注文をとる)もいれば、マッチ・ポンプもいる。セクハラをでっち上げて日本企業から大枚をせしめた手合いもいる。
だから伝統重視の保守派がいきり立って反対の論陣を張る。教養の低い、裁判官に比べると法律知識のない素人にそんな重大犯罪を判定させて良いのか、それこそ左翼の思う壺ではないのか、と。
第一に無知蒙昧なる庶民が重大犯罪を裁けるのか。冷徹な判断が出来ず情実に走り、死刑を避ける傾向が顕著になるのではないのか。
第二に陪審員は買収されやすく誤審、冤罪が多く死刑執行後に真犯人がでるケースが米国では頻発している。だから「逃亡者」というテレビは大ヒットした。反面で、陪審員を黒人ばかりにして、妻殺しの「無罪」を勝ち取ったO・J・シンプソン事件のような法廷テクニックの悪用がおこる。
第三にこれは基本的に人民裁判であり、ソクラテスの「法は法なり」と言って毒杯をあおいで死ぬようなケース、あるいはマリー・アントアネットのように左翼お得意の人民裁判が復活する恐れはないのか。
▲上告審には適用されず、なんのために必要なのかは不明
細かな問題点はほかにも多々ある。
一、選挙管理委員会のリストを元に無作為に選ばれる「裁判員候補者」は面接で拒否されることもあるシステムとはいえ、拒めば罰金とか、法廷の密室での協議内容は一切喋ってはいけないが、違反した場合、数十万円の罰金とか馴染めない特徴あり。
四、多数決で裁定することが本当に妥当なのか等々、問題点が沸騰する。
ところが新制度では凶悪犯罪の一審でしか適用にならず、高裁から最高裁へと上告するに従い、裁判員はおかれない。どのみち現在の裁判で一審で終わる裁判は稀だから、それならいったい何のためにこういう「改革」が必要かも論議された。
裁判員制度導入に賛成する保守の論客も意外に目立つ。代表選手はコラムニストの高山正之氏だ。
高山氏は産経新聞ロスアンジェルス特派員時代に多くの裁判を傍聴し、陪審員制度に精通し日米の裁判に関連する著作も多い。
法律の解釈しか知らない裁判官、世間知らずの無知な裁判官より大衆の叡智、つまり民度が裁いたほうが適正な判決が出やすく、主知主義、インテリの暴走、左翼優勢といういまの偏向状況を覆せる嚆矢になるかも知れないという。世間智の欠如甚だしきインテリの裁きより大衆のほうが賢いという日本人への信頼がそう言わせるのだろう。これぞまさしく遠山の金さんの時代への回帰ではないか。
ただし米国の陪審員制度といい、今度の日本の裁判員制度といい、これらは民主主義の発展とは相関関係にはない。司法の民主化などというお題目は寝言の部類であり、推進側だったはずの日弁連ですら一部は反対に回っているそうな。
通巻第2702号
一部リテラシーが高い人が騒いでるだけだと感じてる。
某地方のそこそこの偏差値の大学だが正確な数は知らないけど学内の端末室では覗けば常に数人はmixiを開いてるひとがいるし
自分の入ってるサークルでも半数を超える。(未加入なのは主に1,2年流行った当時から居る上級生はほぼ全員がIDもってる)
ちなみにtwitterもそこそこの普及率(twitterとmixiは強い相関関係がある)、使い方はサークルのクラスタプラス各人の趣味クラスタって感じ。
ちなみに普及の理由は会話の非同期性が優れてるから。以前はIRC、メッセへの常駐が主な手段だったのだけど
それよりも(返信に即時性が求められない場合)より気軽な会話が出来るってのが理由でした。
「輸出激減なのに景気回復だって?この冗談の本質は巨大なポンジ・スキームだ」
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バーナード・マドフの「虚名」を覚えておられるだろうか? マドフは元ナスダック会長。その社会的名声を利用し、「あなただけの耳寄りな情報だが、とても条件の良い投資話がある…」と金持ち、セレブに近づき巨額の詐欺を行った。証券詐欺、郵便詐欺、マネーロンダリング…被害者は1341名、被害総額は132億ドル。被害者のなかには名うてのファンドも日本の投資家も含まれる。マドフは懲役150年の量刑で服役している。満期には彼は220歳となる。
マドフの金融詐欺の基本は「ネズミ講」。これを「ポンジ・スキーム」と言う。
世界大不況の最中、堂々の四兆元(邦貨換算57兆円)を投じて景気回復策を展開し、新車販売世界一、外貨準備世界一。GDPもドイツを抜いて世界第三位。年内に日本を抜き去るのは確実と言われる。
強気、強気の一手だが、世界のエコノミストはこれを「パンダの押しの一手」と揶揄し、中国自身は「グリーンスパン流の押し」と自己評価している。
中国は国家目標として『保八』を掲げ、さきにもGDP成長率を7・9%とし、目標の8%成長にあと一歩という印象を世界に与えようと必死だ。
この成長率が非常に疑わしい数字であることは、日本以外のエコノミストには常識なのでいちいち論じない。中国が牽引しているのだと喧伝される、世界の景気回復の兆候と本物の経済回復の問題は何の関係もない。
中国政府のバラマキ57兆円の財源は70%が地方政府負担。銀行に命じて根拠が希薄な、そもそも返済計画が疑わしい事業につぎつぎと貸し出しを実行させた。
既存の道路や鉄道に平行しての同じルートの複線工事も多い。民間企業に対する貸し出しは行われず、それは地下銀行・ヤミ金融の担当となっている。
遠からず現在建設中のビルは倒壊し、橋梁は流れ、高速道路は陥没するだろう。いずれもひどい手抜き工事だからだ。
http://labaq.com/archives/51252588.html
http://labaq.com/archives/51202852.html
さて、問題は帳簿の誤魔化しである。銀行経営を粉飾するには保有資産の簿価が高ければ良い。不動産価格が上昇し、株式が高騰すると、詐欺的粉飾は成立する。
粉飾がばれると当然銀行は失速する。バブル経済は風船が割れるように、ポンとはじけることになる。
英紙「ディリー・テレグラフ」はこれを2009年8月11日付で書いている。「世界経済は中国の『奇跡』の回復に依存して良いのか?」として始まる疑問符は、中国経済が成長しているという判断は、現在のデータからは成立しづらい、第一にバルチック指数が七月以降も25%下落しているという矛盾を突く。バルチック指数とは海運の運賃と貨物量との相関関係を表し、港湾の貨物が激減している証拠である。
中国経済の主柱である輸出が40%も落ち込んでいるのだ。GDPの4割をその輸出に依存していて、どうしてGDP成長というありえないことが可能なのか?
そして人民銀行が新しく貸し出しを20%増加したところ、上海株式指数は年初来80%の上昇を示している。この熱狂的な狂騰ぶりは07年バブルと全くの相似形だ。
ポンジ・スキームを巨大化したものがいまの中国経済の実態である、という分析で同紙は結んでいる。
誰の目にもそれは明らかではあるが、問題は何時そのバブルがはじけるかということだ。
・その人材を適所にあてはめる。
・人々の士気を保つ。
・チームの結束を強め、維持する。
・変更は、あらゆるプロジェクトの成功のために(ほかの大抵の物事についても)必要不可欠である。
・人は安全だとわからないと変更を受け入れない。安全が保証されていないと、リスクを避けようとする。
・リスクを避けることは、それに伴う利益をも逃すことになるため、致命的である。
・人は、面と向かって脅されたときはもちろん、自分に対して不当に権力が行使されるかもしれないと思ったときにも、安全ではないと感じるようになる。
・どれほど強い脅しをかけても、最初に割り当てた時間が足りなければ、やはり仕事は完成しない。
・さらに悪いことに、目標を達成できなければ、脅迫の内容を本当に実行しなければならない場合もある。
つまり……
心で指揮をとる。
組織に魂を吹き込む。
くだらないものを嗅ぎ分ける鼻を持つ。
・戦闘が始まるときには、管理者のほんとうの仕事はもう終わっている。
・採用には、管理に必要な身体の器官、心臓、魂、鼻、腹をすべて使う(しかし、腹が大部分だ)。
・一人でやろうとするな。二つの腹には、一つの腹の2倍以上の力がある。
・新しく採用した人材には、1回は実証済みの能力レベルのプロジェクトを任せ、ほんとうに目標を拡大するのは次回とする。
・意見を求めよ。最も採用したいと思った人物は、ほかの優れた人材を知っている可能性が高い。
・話すより聞け。
・短期的に生産性を高める方法などない。生産性は、長期的な投資によって向上する。
・短期的な効果を約束するものは、いんちきである可能性が高い。
・やる気のある態度を常に引き出そうとしない人物をリスク管理人に任命せよ。
・悪い話が上層部に伝わりやすい経路(匿名性など)を作っておくこと。
・無駄を減らす。
・成功を最大化するより、失敗を抑えることによって、全体的な成績を高めることができる。
・チームの結束については必要のない賭けはしない。既存のチームを探して利用する。
・結束の遅い、または結束しないチームのために後継者が困らないよう、優れたチームは維持する(本人たちにその意思があれば)。
・新しい仕事を引き受ける意欲のある結束の固いチームは、プロジェクトの成果の一つと見なす。
・プロジェクトの初期にむだにする一日も、末期にむだにする一日も等しく打撃になる。
・一日をむだにする方法はいくらでもある……しかし、一日を取り戻す方法は一つもない。
・仲間との対話の中で、プロセスの進行に関する考えを伝えたり修正したりするためにモデルを使う。
・実際の結果と照らし合わせてモデルを調整する。
・病んだ政治はどこにでも、最も健全な組織にも出現する可能性がある。
・病んだ政治の決定的な特徴は、個人の権力と影響力の目標が、組織の自然な目標より優先されることである。これは、病んだ目標が組織の目標と相反する場合でも起こりうる。
・病んだ政治の副作用の一つは、少人数のプロジェクトを抱えることが危険になることである。
・単位を気にするな。客観的な尺度ができるまでの間は、主観的な単位を使えばよい。
・手に入るすべての基本要素(ソフトウェアの数量化可能な特徴)をもとに合成尺度を作成する。
・考古学的データを収集し、これまでに完了しているプロジェクトから生産性の傾向を算出する。
・合成尺度の公式をいじり、その値と、考古学データベースのプロジェクトの労力の相関関係が最良になるポイントを見つける。
・過去のデータベースをもとにトレンド・ラインを引き、予想される労力を、合成尺度の値の関数として示す。
・つぎに、予想を立てるべき新規プロジェクトのそれぞれについて、合成尺度の値を計算し、それを使ってトレンド・ラインから予想される労力を割り出す。
・生産性トレンドのノイズのレベルは、予測を立てるときの誤差の目安にする。
・優れたプロセスと、プロセスを絶えず改良することは、立派な目標である。それらはまだ、ごく自然な目標でもある。優れた技術労働者は、指示があろうとなかろうと、それらに焦点を当てる。
・形式的なプロセス改良プログラムには時間と金がかかる。一つのプロセス改良プログラムのために、プロジェクトが交替することもありうる。生産性の向上が実現したとしても、そのプログラムを受け入れたプロジェクトでプロセス改良の為に費やされた時間を相殺できる可能性は低い。
・プロセスは、注意深く選んだ一つの手順改良によって、その変更に投資した時間と金に報いるだけの利益を期待できることがある。
・プロジェクトの期間中に二つ以上の手順改良に順応することは、現実には期待できない。複数の技能改良プログラム(たとえば、全般的なCMM等級の引き上げ)は、プログラムを実施しなかった場合に比べ、プロジェクトの完成を遅らせる可能性が非常に高い。
・標準的なプロセスの危険な点は、人々が賢明な省略を行う機会を失わせることである。特に、人員過剰のプロジェクトの場合、標準的なプロセスによって全員に行き渡るだけの仕事(役に立とうが立つまいが)が発生するなら、標準的なプロセスが厳密に守られてしまう。
・デバッグの時間を大幅に減らさなければ、プロジェクトの成績を通常より大幅に高める方法はない。
・優れたプロジェクトは、デバッグに費やす時間の割合がはるかに低い。
・優れたプロジェクトは、設計に費やす時間の割合がはるかに高い。
・相手を好きになり、気遣わなければ、人に違うことをさせることはできない。相手を変えるには、相手の考えていることとその理由を理解し、尊重しなければならない。
・一時的なプレッシャーや残業は、人々の商店を定め、その仕事が重要であるという認識を高めるには有効な方法かもしれないが、プレッシャーをかけすぎると、かならず失敗する。
・管理者がプレッシャーを使うことが多いのは、ほかになにをすればいいのかわからないから、または、ほかの方法の難しさにひるんでいるからである。
・おそるべき推測:プレッシャーや残業を使うほんとうの理由は、プロジェクトが失敗したときにごまかすためかもしれない。
・管理者の怒りと侮辱は伝染する。上の管理者が怒鳴ると、下の管理者も同じような行動をとる(虐待された子供が自分の子供を虐待するようになるのと同じ)
・管理者が部下を侮辱すると、それが刺激となって部下は自分の仕事にされに力を注ぐと思われている。これが、「飴とムチ」式管理で最もよく使われる「ムチ」である。しかし、侮辱によってだれかの業績がよくなるという証拠はあるのか。
・管理者が部下を刺激するために侮辱を使うことは、部下ではなく管理者の能力不足のしるしである。
・仕様書があいまいなのは、システムの利害関係者の間で対立が解決されていないしるしである。
・入出力の完全なリストのない仕様書は、見込みなしである。使用を明確にする最初の一歩にもならない。
・仕様書がお粗末だとはだれも言わない。自分のほうが悪いのだと思い込みがちである。
・開発に複数の当事者が関わっている限り、利害の対立は避けられない。
・対立は尊重すべきである。対立はプロらしくない行動のしるしではない。
・全員の勝利条件を尊重することをあらかじめ宣言しておく。あらゆるレベルで勝利条件を引き出すようにする。
・勝利条件が相容れないか、または部分的に相容れない場合でも、関係者が対立解決の為に仲裁に移行するように、あらかじめ準備しておく。
・触媒のような人格というものがある。そのような人は、チームがまとまって結束し、なおかつ健全性と生産性を維持できるようにすることでプロジェクトに貢献する。触媒がほかになにもしなかったとしても(通常はほかにもいろんなことをするが)、触媒の役割は重要で貴重である。
・仲裁は、触媒の役割の特殊なケースである。仲裁はわずかな投資で学習できる。
・「あなたたちの仲裁をさせてもらえますか」というささやかな儀式の開始が、対立解決の本質的な第一歩になることがある。
・致命的なのは知らないことではない……知っているつもりで、実は知らない何かだ。
・初期に人数が多すぎると、プロジェクトは重要な設計作業を省略せざるをえない(全員に仕事を与えるため)。設計が完成する前に大勢に仕事を割り当てると、人や作業グループの間のインタフェースを最小化できない。
・このため、相互依存性が高まり、会議が増え、やり直しが増え、フラストレーションがたまる。
・理想の人数配分は、プロジェクト期間の大部分を少人数のコア・チームで行い、プロジェクトの終盤(プロジェクト期間の最後の6分の1ぐらい)に人数を大幅に増やすというものである。
・おそるべき推察:無茶なスケジュールを達成するように決められたプロジェクトは、妥当なスケジュールで開始されたプロジェクトに比べ、完成までに時間がかかると思われる。
・会議は、重要ではない人物が出席しなくても心配のないように、小さくする必要がある。欠席者が安心するための最も簡単な方法は、議事予定表を発行し、それに厳密に従うことである。
・プロジェクトには儀式が必要である。儀式は、小規模な会議や無欠点運動など、プロジェクトの目標と理想に目を向けるために使う。
・注意:怒りは恐怖である。部下に対して罵倒などの怒りの行動をとる管理者は、ほとんどの場合、怖いからそうしているのである。
・考察:怒りが恐怖であることをすべての人が理解すれば、怒りは、怒っている人が怖がっていることを明確に示すシグナルとなるだろう。起こっている人は、恐怖を表に出したくない。つまり、怒りが恐怖の表れだとみなにわかってしまったら、怒りを吐き出すこともできなくなる(これは怒っている人の問題は解決できないが、ほかの人の悩みは軽減できるだろう)。
・病んだ政治を下から治療することはできない。むだな努力で時間を浪費したり、自分の立場を危険にさらす必要はない。
・問題が自然に解決するか、行動するチャンスが来るのを待つしかない場合もある。
・倹約精神とは、失敗した企業の中で、その失敗の責任者が作った公式である。
・それは、組織の自然な目標である繁栄と福祉の精神とは正反対である。
・「倹約精神」という言葉を聞いたら、その本当の意味である「失敗と恐怖」に置き換えるといい。
こんばんは。
>>天野月子とか久しく聞いてません。博士と孔雀が聞きたくなりました。
1つ目、見つけた。
PC何とかしましょう。自分で治してもいいけど、面倒なら、修理に出すなり、ダメそうならいっそ、買い換えちゃえばいいよ。
そのうち新曲とかも出るかもしれません。じりじりしながら待ちましょう。
・・・とりあえず、箱庭までには暗くなくてよかった。
>>身近な人様にはあまり聞かせられない感じのごちゃ混ぜ感です。
そんなもんです。嗜好って。
2つ目、見つけた。
ただし頻繁に食べ過ぎると、飽きて悲しいことになる可能性があるので注意。
これも新商品の発売をうずうずしつつ待ちましょう。
これで足りないなら、自分で作ってみてもいいかも。cookpadとかのレシピサイト参考に。
ただ、物を作るのって結構、精神的なエネルギーがいるので、大変。
可能なら、家族恋人に作ってもらったら楽じゃないかな。その月の仕送りとかプレゼントを奮発すれば、まあ問題ないでしょ。
>>最近性欲ないんですよね。
あー、性欲って、いく・いかないないだけじゃないと思うけど。
べたべたするだけで気持ちいいよ。・・・それすらやりたくない場合は、まあ別のにしましょう。
>>なんか、自分の遺伝子が入ると障害を持って生まれてきそうなきがして…。
それはないです。親戚縁者に遺伝病その他がいる場合はあり得るけど。
あ、女性側が年を取っていると率は上がるそうです。初産はお早めに。
周りが大変なのはその通りですね。
不運と不幸を一緒くたにはしたくないですが、残念ながら一定の相関関係はあるんでしょうね。
人生、天からどれだけ「与えてもらった」か、ではないと思うんですけどね。
あばばばっっっb。
書いたこともないのに、ふやふやしてる人だと思って説教したのにーorzアナガアッタラハイリタイ
テレパシー能力がないから仕方ない、ということにします。異論は認めない。
というか、自分の読み直すと全体的に恥ずかしい。
うん、大丈夫。大丈夫だ。匿名だから、実生活に影響はない。うん。全然大丈夫。orzウアアアアアアアアア
気を取り直して。小説書くなら、題材となる経験知識が必要なのでは?
食べ物を描写するなら、食べる経験が必要。おいしい物ならなお良し。
これは旅行に行くしかない。・・・無理ならまあ、
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-487.html
とかで満足しましょう。インターネットは偉大です。
・・・まあ、相変わらず創作活動はエネルギーが必要ですが。消費活動は楽だ・・・。ごろ寝しながら出来るから。
>>いっそ転職したらなおるのだろうか。鬱って。
新しい話題が出ましたね。
とりあえず、自分のしたいことをするには、たいがい時間と体力(と精神力)とお金が必要になります。
私生活の時間と体力(と精神力)が捻出できない仕事なら、あなたには重すぎます。
転職しましょう・・・と言いたいですが。が。
スキル無しに転職するとお金は単調減少するらしいです。ここは考慮する必要が。
さらに、労働条件が悪くなる可能性もあります。転職は計画的に。というか、日本終わってる。
・・・それにしてもSEか・・・。ITってやっぱブラックだったのか。まったりしたとこはないもんなのかね。
ところで、疲れている原因がはっきりしてないけど。
人間関係なら、神経すり減るのはどこでも似たようなものかも。
業界によって激しさは全然違うけど、どこも1人で仕事をしてるわけじゃないから。
1人である程度動けるだけのスキルをもった後なら、多少の先輩に嫌われても大丈夫だけど。(上司はアウト)
労働時間なら、先輩とかでさっさと帰ってる人とか、いない?
周りが残ってる中で帰ると、会社での評価は良くないと思うけど、何とかなってると思う。
簡単にクビにはできないから。(だから雇用もしにくい。駄スパイラル。)
>>明日もがんばらなきゃ。
もういい・・・! もう・・・ 休めっ・・・! 休めっ・・・!(AA略 というのが良いらしいんだけど。
残念なことにがんばらなくて大丈夫な環境じゃないっぽいので。禁句らしいけど言っとくよ。
今週もがんばって。
おやすみなさい。
では、また。
うーん?
エロゲ・オタク産業の雇用・市場について強調するのは良いけれども、
オタク産業に従事してきた人間への所得補償・再雇用の支援が適時行われるのならば、
規制が行われていいってこと?多分そうは考えてないとは思うけど、どうなの。
規制によって生活の糧を奪われるならば、
そのことについてきちんと補償を要求していくことは大事だと思うけど、
そういう語り口から今回の規制問題を語るのは、
主要な問題の所在を隠してしまうことにならないかしら。
今のところはまだ所得の問題は副次的なものに留まると思う。
あと、今回の規制ってレイプ犯罪への直接的な対策として行われたわけではないと思うから、
(http://fragments.g.hatena.ne.jp/yuuboku/20090508/1241760087)
(http://d.hatena.ne.jp/rna/20090509/p1)
という話はまた別の話になるんじゃないの。
ところで、科学的に調べろ、という声を聞くたびに思うのだけど、
調査の結果、やはりエロゲーが否定的な影響を及ぼすと認定されたら、
規制もやむなしと認めるわけなのかな?それもどうかと思うけど。
(ここのところ、個人的には規制反対派は楽観的すぎる気がする。
都合の悪い結果は絶対に出ないと思ってるんだろうけど)
問題はそういうところにあるもんなのかなー。
大学教員なんだけど、学生に関して同じように感じている。自分の身の回りだけからの印象で、日本全国の大学どこでもそうなのかどうかは知らないのだが、とにかく俺の受け持ったクラスからの印象だと、女の子の方が真面目にとりくむので成績が平均的にいい。これはあくまで真面目さと平均についての事で、頭の良さとはまた別だし、男女共に頭のいい子・悪い子がいるのだが、真面目な子が多いのは女子、という印象がある。で、学部レベルでは真面目にこつこつやっとけば成績は良くなるから、全体として女子の方が成績がいい感じになる。まあこれだけならなんて事もない事だろう。女の子の方が真面目、というのは昔から印象としてはあった気がするし。ただ現代のように男女間での社会的差別が取り払われ、そしてだれでも知っているように学歴と収入の間には相関関係がある場合、これが結構大きな社会的インパクトをもつことになるのかもしれない。
数年前のニューヨークタイムズの記事だけど、ニューヨークやシカゴといったアメリカの大都市では働いている成人男性と成人女性では、女性の方が平均収入が高いのだそうだ。実はいまだにアメリカでも男女間の雇用差別・賃金格差があって、同学歴の男女を比べた場合、男性の方が平均的に収入が高いのだが、上に書いたのと同じようにアメリカでも女性の方が平均的に真面目で平均的に成績がいいものだから、平均的に女性の方が学歴が高くなってきているのだそうだ。アメリカの大学では女子学生の比率が男子学生を上回っているそうだし。だから、同学歴でみて格差があっても、学歴の高さでそれがカバーできて、働いている女性は働いている男性より平均的に高学歴なので高収入になるという。この現象は高学歴・高収入女性の恋愛・結婚を難しくしているという記事だった。
日本での現状は知らないが、個人的な印象からだと、将来的には日本でも女性とくらべた男性の低学歴・低収入が問題となるのじゃないかと思っている。