はてなキーワード: 人口爆発とは
しかしユダヤ人を追放するのは、争いを引き起こし国を疲弊させる事になるので策としてはだめだった。
ではどうするべきだったか、といえば、
ドイツ人以外の外人に、ドイツ人の3倍の相続税をかけ、その収入を全てドイツ人の子供の養育費へと注ぎ込む様にし、人口爆発を起こさせればよかった
ユダヤ人には一人っ子政策を進ませ、二人めからは重税を課すようにすれば
一人の有能が百人子を産んだ方が無能は完全に淘汰する事ができるし、そっちの方が自然の摂理に適ってるんだよな
例えば二人ずつ子供を産むカップルが2組居て、片方のカップルは無能、もう片方は有能だとする。
他から同等のつがいを見つけ、二世代経過すると、20人の共同体、10人の無能と10人の有能が出来上がる。無能の戦闘力を1、有能は2にすると、戦闘力は30。
無能を断種した場合、10人の有能の共同体になり戦闘力は20だ。しかし断種する場合争いが起きるので、有能の半数が死に戦闘力は10になる。結果的に共同体としては無能のみと同等だ
でも現実は違う。無能は自信が無くなり、セロトニンが減り、性ホルモンが分泌されず、禁欲的で行動力が減る。資本に差が出る。
結果的に、23人の共同体、6人の無能と17人の有能が存在し、戦闘力は40になる。
そもそも自然淘汰でなくとも、数的な淘汰を生み出す仕組みは人間に備わっており、それが鬱とかいう精神疾患だ。
現代社会の病理であるが、高度に成長した技術・情報社会における高過ぎるハードルが原因。だがこれは今まで人間が他の共同体と合流してきた時に起きてきた事だ。
「1人につき1人以上という比率で子供を産まないと人口が減る」と誤解する人は割りとよくいるので、ここまで長引くことはなく、すぐに通じると思ってた……。
せっかくだから主観的にどうしてこうなったかを振り返ってみる。
元増田「人間が減って行く事って止められないんじゃないかと思った」
↓
「少子化は部分的なことであり世界的にはむしろ人口爆発が問題視されている」
「この仮定がなりたったとして言うほど人口は維持できないか?」
「ひょっとして1人につき1人以上という比率で子供を産まないと人口が減ると誤解しているよくあるやつでは?」
という感じだった。
世界には喜びより苦しみの方が多い。数千人の幸福と喜びは、一人の人間の苦痛を補う事はできない。そして全体的に考えると生命は生まれない方がより良いだろう。
ベネター
Julio Cabrera は出産は人間を危険で痛みに満ちた場所に送り込む行為だと述べている。生まれた瞬間から死に至るプロセスが開始される。Cabreraは出産において我々は生まれてくる子供の同意を得ておらず、子供は痛みと死を避けるために生まれてくる事を望んでいないかも知れないと主張している
アケルマ
カリム・アケルマは、人生の中で起きうる最良のことは最悪なこと―激痛、怪我、病気、死による苦しみ―を相殺せず、出生を控えるべきであると主張している。
ザッフェ
我々は満足させる事ができない欲望と精神的な要求を持っている。人類がまだ存続しているのはこの現実の前に思考停止しているからに他ならない。 Zapffeによると人間はこの自己欺瞞をやめ、その帰結として出産を止めることによって存続を終わらせる必要がある
てめえが名前を挙げた学者の中に出産を肯定してるやつはいないんだが?
Hari Singh Gourは彼の本The Spirit of Buddhismの中で、とりわけ四諦とパーリ律の始まりを考慮し、以下のようにブッダの教えを解釈している。
ブッダ曰く、人生が苦しみである事は忘れられがちである。人が子供を作る。従ってそれが老いと死の原因である。彼らが苦しみの原因がその行いにあると気付いたならば、彼らは子供を作るのを止めるだろう。そうして老いと死のプロセスを止めるべし。
四諦そのものは反出生主義とは関係ない上に、この解釈すら、出生否定してる。
キリスト教 マルキオン派
wikiのマルキオンに反出生主義とあるだけで、実態に関するちゃんとした情報がわからなかった、あるんなら出してくれや
これを反出生主義と結びつけて考えるような記述はどこにも見当たらなかった、が、
そもそも、禁欲って、基本性交とかそこらへんに関するものであって、出生は関係ないだろ
マニ教的な善悪二元論を説く。人間の魂は、悪しき肉体に拘束されている、この世の物質的なものは全て悪魔(サタナ、ギリシア語でサタンの意)の手で作られたものである、救いのためには全ての物質的なものを否定せねばならない。
おめでとう、これが唯一の反証だよ、つってもこれも、死ぬ間際に(生殖含む)禁欲すれば、天国行けるっていう
生まれてくる子供の苦しみとかも関係ない、俺からしたら反出生主義って言っていいのかかなり怪しい代物だけどな
出産を控えるべきなのか?
出産を完全にやめるべきなのか?
みたいなこと言ってるやつは居ねえんだよ
つか、おまえ書き方からして、内容が少々違うってだけで、多様な解釈があるって捉えてんだろ。
まあ、カタリ派の例だけ持ってきて、ほら!条件付きで子供産める反出生主義者もいるじゃん!って言ってもいいけどな、まあ、そう言うなら、俺の負けでいいよ、俺はカタリ派が反出生主義だとは思わんし
もうカタリ派滅んでるけどな
日本人の出生は1.4を超えて、アメリカを除く白人女性と同水準となっている。
アジア間でも出生率に差が見られるが同様のことが欧州でも見られ、しかも、その値は同じレンジに収まっている。
異なる家族形態であっても同じことが起きていることから、全然的外れ。
多産多死→多産少子→少産少子への移行期間が短いっていうことに尽きる
人口ボーナスを食い尽くして成長 っていうのはさもありなんだが、その現象はアジアも欧州も変わらない。
しかし、欧州、アジアの後ろにはもっと早いペースで移行する国が控えてる。アフリカ諸国だ。
そこら辺の問題は人口爆発として認識されていて、出産計画とか言って実質、人口抑制させるべくコンドームをビルゲイツが配ってる。
いや、確かにそうだけどもそういうことではなくて、アフリカだけでなく全世界に影響を及ぼすようなこと(環境破壊が代表例)がアフリカで行なわれない限りは、疫病が蔓延して飢餓に陥る人が増えようが内戦が起きて多くの人が死のうが、はたまた人口爆発が起きようが、当人からの要請がない限り根本的に「独自の文明で起こっていることなんだな」という認識で良いのではないかと
まあアフリカに限った話ではなく、いわゆる発展途上国とされている国や地域すべてに関してだけども。
的確に表すとすれば、(仮にあるとするならば)別の惑星での文明や、動物が築いた文明に対する視点のような感じ。まあ最近ではその両者にも介入しようとする動きが出始めているのだがこれも良くないよなぁ…