はてなキーワード: カルビとは
先日焼肉に行ったんだ。
恋人と焼肉はよく行くが、友達カップルとはいつも居酒屋だったので焼肉屋は初だった。
お店は小さい小汚い感じで、肉の質とこだわりの部位が売りのお気に入りの店だ。
店に入り、何度か来たことあった私が基本的に注文した。他3人にはあらかた注文した後、ほかに頼むものある?という形で注文。このタイプよくある。
タン、ハラミ、ミスジ、赤身、それとなますとオイキムチ。あとは4人分のビール。
焼肉にビールは最高さ、レモンサワーも最高さ、最近私はホッピーなんかも愛せちゃうわけだが、とりあえずのビール。これはマナーなのかもしれない。
マナーといえば焼肉はタンからというらしいが、私にはよくわからない。1枚目からカルビでもいいじゃないか。
ただ、友達カップルという枷があるためマナーは守ろう、タンから焼こうと人数分乗せた。
育ちがあまりいい方ではないので、タンを乗せるに留まらず、ハラミも乗せてしまった。
そろそろ焼けてきたので私はとって食べる。
非常に質がいい。肉汁が溢れ、笑みが溢れ、消えるのはビールだけだ。
あぁなんて幸せなんだ、私はこのために生きているとさえ思った。
言葉を失った。
どうやら焼肉食べるときはこれ食べていい?って確認するもののようだ。
どの肉を食べるかは網の上に乗ったその時から各軍で戦略を練り、食べるのだ。
それを必ず宣戦布告して食べろというのだ。
恋人氏のようによく焼き保守派がいるのであれば、私も人の子だ配慮する。
だが、私が綿密に狙いを定めたものに対してはそこは自由だ、私の戦場だ。
焼肉最後まで私は納得がいかず、戦半ばで強制撤退を受けたようなもんだ。
後日気づいた、これは奴による焼肉意欲を削ぐためのいわば奇襲、心理戦なのだったと。
焼肉は戦場なんかではない、G行為、マスターベーションの1つで孤高であるべきなのだと考えを改めさせられた。
諸君!わたしはハラミが好きだ!ハラミを愛してる!ハラミのために焼肉行くと言ってもいいくらいだ!
そこには孤高が求められようともハラミを食らう、孕みではないG行為をするのだ。
あぁ焼肉行きたい。
今夜は1人焼肉にしよう。
http://anond.hatelabo.jp/20160302001734
私と男友達二人連れの三人で行った。
ヨコ椅子が二つ差し向かいになっている六名がけくらいのテーブルに案内されて、片方に私一人、もう片方に男友達二人が座った。
で、みんなで楽しく焼き肉をしばらく食べてたの。
そしたら、急に突然いきなり、それまで笑顔をふりまいていた男友達の片方が憑かれたようにスッと真顔になって
「きみ、一人で焼き肉なんてどうしたの?」
と尋ねてきた。
「え、一人?」と私は思わず聞き返した。
冗談かと思って彼を見つめ返したけど、どうも様子が尋常じゃない。
カルビのつけあわせに出されたサンジュみたいに青ざめた彼の眼に耐えられなくて、思わず視線をそらして左を向いた。
彼はしばらくぼう、と突っ立っていたけど、唐突に、
「帰ろう……」と囁き、なかば引きずるようにして退店していった。
私は一人焼肉屋に残されて、結局三人分の料金を払うはめになった。
ボンキュッボンのセッシ盆
ボンキュッボンのセッシ盆
赤子泣いても蓋とるな
ボンキュッボンのセッシ盆
焼き肉焼いても家焼くな
あれは私がまだ幼かった頃、お母さんは夕焼けで父さんは胸焼けだった。
わかってくれるだろうか?皆さんにもお分かりいただけただろうか?
焼き肉屋さんでお代わりをいただこうとしたら中盛りか大盛りか聞かれたことがあった。
中盛りも食べきれなさそうだった私は小盛りを食べようとした。
蝙蝠は雑食性で何でも食べるらしいがフルーツしか食べない種もいるらしい。贅沢な奴め。
カルビ、ロースと食べ進めていたところ、不意に父のポケベルが鳴った。
座敷には私と母と姉だけだった。
そこに先ほど頼んだ蝙蝠の姿焼が届いた。
「お父さんが帰ってくるまで待っていようね」という母の言葉に私は不承不承頷いた。
しかしその日を境に父が帰ってくることはなかった。
毎年この時期になると思いだす幼いころの記憶だ。
ボンキュッボンのセッシ盆
とにかく肉が食いたい。腹が減ると必ず肉を食べたくなる。牛でも豚でも鳥でも良いが、生や茹でたものでは駄目だ。焼いた肉がとにかく食べたい。大量の焼いた肉を、にんにくおろしとコチュジャンを派手にぶち込んだ濃い目の焼肉のタレにたっぷりつけて食いたい。鉄板から取り上げたばかりの肉をタレに突っ込んでジュウウと鎮火の音を響かせ、そして雪山に刻む足跡のごとく濃いタレをダラダラと白米にこぼしながら肉を茶碗の上に鎮座させ、脂ぎった肉きれでその白峰の頂上を包み込み、ご飯を丸め込んで一気に頬張りたい。肉表面を覆うタレの冷たさと肉内部の熱さ、そして焼肉の脂っこさと粒の立った白米の滑らかさ、よく火の通された肉の固さとほどよい炊き加減の米の柔らかさ。それら幾つもの相反する感覚が一瞬の内に口の中に広がるさまをただ一言で形容するなら“美味”としか言いようがない。一人で焼肉屋に赴き、人数を尋ねる店員に無言で人差し指を立てる。四人前の肉を注文し、四人用の鉄板を一人で独占し、四人前の肉を一気に焼き上げる。オセロのように肉を返して、火の通りのよい肉から順に頬張る。美味に呆けている猶予もあればこそ、鉄板上では次の肉が脂身をじゅうじゅう焦がしながら食べられる順番を待っている。回転が追い付かず、肉を焦がしたり、慌てて救出したり、タレの容器に肉が溢れ返ったり、二枚いっぺんに頬張ったり、タレで冷却されておらず口の中を火傷したり。そんなアタフタする様もまた、焼肉の美味の一部ですらある。あっという間に四人前を平らげたら、またすぐに漬け込みカルビを四人前注文する。新たな肉が届くまでの合間を、口内の小休止にあてる。お冷やを一気に呷ってしつこく残る後味を洗い流し、冷奴をつまんで口の中のやけどを冷やす。わずかに垂らした醤油が豆腐のまろやかな味わいに一点の自己主張を加え、大量の焼肉の咀嚼がもたらした多幸感にボヤける頭をすっきりと引き締める。わかめスープで口直しをしつつ、歯応えのよいゴマとわかめをゴリゴリ噛み締める。待つという程の間もおかずに、新たな四人前の肉がごはんや冷奴やわかめスープのおかわりと共に卓上を埋めてゆく。皿を鉄板の直上でひっくり返し、威勢のいい音と共に鉄板中央で派手に煙を上げ始める肉の塊を解体し、剥がし、鉄板上に伸ばして寝かせて、周囲へと広げてゆく。口の中にはすでに新たな焼肉への味わいが期待となり、早くも多量の唾液が分泌されてゆく。ピッチャーから継ぎ足した新たなお冷やで唾液を飲み下して、再び、早くも白煙を上げ始める肉を次々とひっくり返してゆく。
いつも肉ばかり食べていても、どれだけ肉を食べたとしても、それでも常に考えている。
思う存分、肉が食いたい。
「アベノミクスで嬉しいのは一部の人間だけ」っていうコメントが付くんだけど、
そういう人たちってなんで「自分も投資しよう」ってならないのか。
1.投資に回せるカネがない
二年前から毎月千円ずつ日経平均に投資しておけば、それはいま4万円近くなってるはずだ。
4万円もあれば、焼き肉と寿司食べてもお釣りが来る、けっこう幸せだろう?
投資する金がなかったんじゃない、金はあっても投資しなかっただけ、投資できるはずの金を浪費してきただけだ。
2.株とかよくわからない
勉強するとか詳しい人の話聞くとか、一度だけでもやってみるとか、そういうことはしないのか?
あなたが妬んでいる「一部の人」はそういう努力をしてきた人たちだ。
3.株なんてギャンブルだ
そう考えるなら、株で勝った人はたまたま勝っただけなんだから、妬まなくてもいいはずだ。
投資対象は日経平均だけではない、投資できるチャンスは一回だけではない、
投資できる期間は決まってるわけではない。
「今日買ったら明日下がるのが怖い」思考から、少し離れてみてはどうだろうか。
5.安倍政権が嫌い
結局そういうことだろ。
ところで、こんな話は、投資に限らない。
どうしたらいいか必死に学んで考えて工夫して、そして体を動かすしかない。
政治の体制がどうなろうと、経済の状態がどう転ぼうと、社会がどういう状況になろうと、
頭と体を動かすことをやめた奴に未来はない。
どこまでも他人を悪く言いながら、絶対に良くはならない自分の境遇を嘆いていればいい。
日経平均が20,000円を超えて浮かれる世間様を指くわえて見てなさい。
酒はともかく珈琲と紅茶なんて今時ノンカフェインのも売ってるし(美味いものでないと嫌だってなら知らんが)
女になりたいって、それ必ず美女やら美少女になれると思って言ってるんだろうけどな!
世の中普通やブスな女もいっぱいいるわけでな!
夜中に下着が汚れて冷水で手洗いすることになったり
大事なプレゼンあるっつーのにナチュラル貧血状態で具合は悪いわ
布団に血が垂れるし
トイレに血も垂れるし
ほんとやってらんねーわ!
しかも子どもできたらつわり、つわり終わったら妊娠中毒で入院、
やっと産む時期が来て産んでようやく退院したと思ったら今度は不眠不休で育児!
長いと3年だぞ!!
おっぱいやってる間は好きなものまともに食えないってえる知っているか!
「えっ乳児かかえてそれ食べちゃうの…マジで?」って白眼視される環境と戦わねばならぬ!
そして再開される生理!
まともに眠れないのに増える洗濯物、布団の汚れ、不安定な精神、
これでも男は女に生まれたいというのか!
松屋はすき屋と比べて薄味だと思っていたから、何か味を足すのは悪くなかった。
○醤油
悪くはない。味は濃くなるが、塩っぱすぎて肉とはあまり合わないと感じた。
○ポン酢
微妙。酢っぱいさは大根おろしとかと合わされば肉と合うんだろうけど、それ単体だとあまりにも肉と合わない。
普通。牛丼のタレと似てるからか違和感なく食べれた。でもぶっちゃけ別にかけなくてもいい。
悪くはない。甘くてパイナップル?な感じだけど味の方向性が全然違うから特盛で飽きてきたから美味しく感じた。特に肉と絡めて食べるならこれだな。コメとは合わない。量を食べるときはいいかも。
○胡麻ドレッシング
かなりうまい。野菜にかけるものかと思ったけど、コメと合う。甘ったるさがバーベキューソースよりも濃くて、ここまでくると普通に牛丼の汁がかかったコメを食える感じになった。オススメ。
18歳の俺は底抜けに貧しかった。高校を出て、働き出して、同じような仲間二人とアパートをシェアして暮らしていた。
友人たちも似たようなもので、「親の再婚相手に連れ子が三人いて家を追い出された」とか「親と同居して働くと生活保護が止まる」とかなんというか、貧民丸出しド底辺、どうしようもない状況だった。
だから、クリスマスになるといつも思い出す。あれはもう7年も前のクリスマスだ。こういう話にありがちなとおり、俺たちの金は底をついていた。挙句に俺は失業中だった。さらにいえば、三人ともここ暫くまともな職にありついていなかった。
雪国の地方都市に住んでいた経験がある人間ならわかると思うけれど、こういう町にはフリーターが生きていくだけの余地が少ない。時給は600円前半だし、こう景気が悪くては日雇いのドカチンも限られる。唯一マトモな収入が得られる可能性はパチンコ屋の店員だけれど、町に4軒しかないパチンコ屋のアルバイトはいつも奪い合いだ。
思えば、あの頃はいつも腹が減っていた。コンビニのアルバイトにありついていたときだけが例外だった。大量の廃棄がいつも腹を満たしてくれていたあの時期は、本当に幸せだった。
三人合わせて210円。家賃はもう既に一ヶ月滞納していたし、灯油は1ccもなかった。寒くて寒くて仕方がなかった。俺たちの住んでいたアパートの向かいには焼肉屋があって、クリスマスの夜には肥えたクソガキが旨そうにカルビだのロースだのをつついていた。なのに、俺たちは210円でなんとか腹を満たして、仕事を探しに行かなければならなかった。
どうするか、と我々は話し合った。210円で三人、出来ればひとり600カロリーは摂りたい。どうすればいいか。我々は、セイコーマートで小麦粉を買った。それを水で延ばしてフライパンで焼いた。塩をつけて齧った。食えたものじゃなかった。一人が空になったウスターソースのボトルを見つけてきて、我々はそれに水を注いで搾り出した。うまかった。少なくとも、食えるものだった。町はクリスマスで、俺たちは焼肉屋を襲おうかと真剣に考えていた。でも、腹が一杯になればそんな気力も失せて、とにかく明日は朝から仕事を探す、出来れば三人のうち一人は廃棄の出るコンビニを見つけよう、と決めた。
あれから七年が経って、色々あって。
我々はそれぞれ、大学に通ったり就職したりして今はそれなりに暮らしている。社員寮でストーブを贅沢につけるクリスマスの夜に、なんとなくそんなことを思い出した。今となっては、俺はガス代をケチらないし、寒ければストーブをつける。蛇口をひねればお湯が出る。幸せなんだろうな、と思う。とにかく、なんか色々あったけど、俺は幸せだと思う。
そりゃあ、合わない仕事はしんどいし、上司に怒鳴られる度にうんざりもするけれど。少なくとも、蛇口をひねればお湯が出るし、スイッチを押せば部屋中温まる。幸せだ、と思わなきゃいけない。だから俺はもっとがんばらなきゃならない、鬱になってる暇なんかない。俺は幸せなんだから、仕事に行かなきゃいけない。頑張らなきゃいけない。
仲間に会いたい。また、焼いた小麦粉を水っぽいソースにつけて食いたい。もちろん、あの頃は決して幸せじゃなかったけれど。でも、少なくとも孤独じゃなかった。