2022-04-26

たわわ問題の言いぶん完全に理解した

たわわ広告の件、問題あり側の言いぶんを完全に理解した

なお理解はしても言いぶんが通るとは言っていない。

まず第一にこれは差別問題として考えるべきなのだと思う。

ここももちろん異論があるだろうと思うけど

少なくとも問題あり側としては前提条件としてそう考えているのではないだろうか。

ここで、差別問題として考える参考に別のケースを示したい。

アイヌ民族について、講談家かなんかが謎かけを披露して大問題になったケースだ。

アイヌ民族とかけて、四足歩行動物がそこにいたことに気付いた言い方を絡めてしまった。

テレビ局社長までもが平謝りする大問題

ネット逆張り芸人にも発言擁護する意見が見られないほどの非難一色。

完全にクロ、ド直球の差別発言認定されたといっていい。

でもこれ、四足歩行動物がそこにいたことに気付いた言い方そのものは、もちろん放送禁止でも何でもない。

ただただ、


この2点がともなって、満場一致差別発言だったということになる。

ここで大事なのは、単体では問題にならない表現文脈次第では擁護不能差別表現になり得るという点だ。

若干強引に要約すると、


ということになるが、これをたわわの件に当てはめてみよう。


とやや強引に問題点を補強せざるをえないのだが、

単体では問題にならない表現文脈次第では擁護不能差別表現になり得ることを踏まえると、

問題視しない方がおかしいという意見理解できると思えないでもない。

たわわどころか宇崎ちゃんも含めて、この手の案件のすべての根底にある、

女性側の"被差別意識"のようなものの基盤が見えてくるような気がしないだろうか。

特に女性差別に敏感な女性としてみれば、

という点で相似形にあたるのではないだろうか。

それにしても無理筋だと思っていることはくれぐれも誤解しないでもらいたい。

だが、差別問題として捉えていればこそ引けないという点はわからなくもない。

広告ダメとか媒体ダメとか理念ダメとか主張は様々あったが、

特定の条件下で不適切とされるケースがあることもあることは確かで、

広告や、媒体や、理念不適切だという意見個別撃破したところですべての言いぶんを否定できるものでもない。

さて、ここまで問題あり側の考えを想像して書いてきたけど、

問題なし側というか、問題にされても困るよ側としても同様のことが言える。

上の理屈苦し紛れ場所定義を追加しているわけだが、

宇崎ちゃんしろたわわにしろ漫画の内容にまで踏み込む人が少ないことの説明が付かない。

さすがにド直球の表現規制にあたることがわかっているのか、

大部分はオタク文化の中でやってる分には問題視しないという暗黙の了解を持っているようだけど、

コミュニティの中でなら問題にならないことを

コミュニティの外に持ち出してくるなというのはまさに差別によくある言いようだ。

オタクの側からしてみれば、

オタクこそが現在進行形で(しばしば認識すらされずに)差別されているという意識が少なからずあるので

やはり引くわけにはいかないのだ。

ともかく、相手側にも一定の理があるという理解必要だと思うんだ。

意見が合わないことは致し方ないにしても、お互いの理解が一分でも進むように議論を進めていければいいなと思っている。

いろいろつっこみどころもあると思うけど、面倒になったのでここまで。

ちゃん筋道立てて結論まで書くの難しいな。

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