はてなキーワード: 悪夢とは
時々、変な夢を見る。なんというかそこで繰り広げられている光景は明らかに奇妙で、意味不明で、合理性を欠いているのだが、
自分自身を含め誰もそんなことは気にしない。たまに、「何かおかしい」ということに気付いて、これは夢だと思い、
ほっぺをつねる。これで目が覚めることもあれば、そうやって目が覚めるという夢をまだ見ていることもある。
そして、どういうわけか目が覚めるとそれまで見ていた夢がいったい何だったのかさっぱり思い出せない。
しかし、昨日見た変な夢は何故か結構覚えていたので、ちょっと書いてみる。
私は世界を救う旅に出ていた。何でかわからないが、とにかくそういう使命を負っていた。そして何故かただひたすら走っている。
私は一人ではなく、数人の仲間がいた。だから恐れるものは何もない。ただひたすら前に進むだけだ。
途中で巨大なカブトムシみたいなのが出てくるが無視して突き進む。
街の中だろうと城の中だろうとかまわず、みんなで走る。みんな疲れないんだろうかとかは思わない。
その内、走ってるのが自分たちだけでなく、どこかの村の人やどこかの騎士団みたいな格好をした集団もみんな走っている。
進む方向はみんな一緒だ。なんだかよくわからないが、みんな力を貸してくれているようだ。
そして遂に旅の終着点にたどり着いた。普段は陽気で明るいメンバー達の顔が真剣になる。
当たり前だ。これから世界の命運をかけた戦いが始まるのだ。誰だって真剣になる。
しかし、そこで何かが変なことに気付く。何故かみんな行儀良く一列に並んでいるのだ。まるで上官を前にした軍人みたいに。
なんだかよくわからないが、自分もそれにならう。チームワークを乱してはいけない。
そして舞台の隅から足音が聞こえてくる。最後の敵の登場だ。
ここに来るまで今まで一回も戦闘なんてやっていないが、そんなことは誰も気にしない。
一人の男が出てきた。身長は170cmぐらいでタキシード姿でマイクを右手に持っている。
・・・・・・・・・・あれ?
男が口を開く。
みなさん、お待たせしました。それではごゆっくりお楽しみ下さい。
は?
けいおん リニューアル
・・・・・・・・・・目が覚めた。
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今日 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 世界を救う旅に出て目的地に着いたと思ったらけいおんのコンサート会場だった
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった…
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -—一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 初夢とか正夢とか白昼夢とか悪夢とか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと恐ろしい、夢の不可解さを味わったぜ…
ああ、わかってるよ。多分疲れているんだと思う。明日までにやらなきゃいけない仕事もさっき終わったし、今日はもう寝るよ。おやすみ。
国際共同体なもので日本が中核的な役割を果たそうなんて構想には反対だ。
それこそ大東亜共栄圏の悪夢再びで、まだ懲りてないのか、日本はそういうの向いてないから島国で自足しとけ、と思う。特に左派的でもリベラル的でもない、それこそ戦前の延長の発想なんじゃないの、と。だから俺は民主党や小沢を支持しない。
民主党を支持するかどうかと外国人参政権を認めるべきか否かという個々の政策の評価は別問題で、そこは別に反対しないだけ。
まあ、その手の国際共同体にも算定できる意義はあるんだろうし、時流に乗った考えでもあるんだろうさ。まず経済的意義がある。EUももともとはそういうところから始めたんだし。
金額の多寡、公表してるか、職務権限あるか、って事より便器を測ったのかどうかのほうが重要なのでは?まあ野党だから見返りしにくい分、小沢のほうが潔白を晴らしやすいと思うけど、汚職とかは関係者の自白中心でやるから悪夢の証明になっちゃうんだよな結局。現職総理すらチェックアウトさせたことのある特捜にとったら野党党首の政治生命をザ・エンドにするのは赤子の手を食べるようなもんだよな。検察リークに骨髄反射して小沢や二階のネィティブキャンペーンやっちゃうマスコミもどうなのよと思うが。二階をゴーストシープにして公平さを装おうとしてるのミエミエでうんざりするが。
学生のころからつい最近まで、僕は生きるというのは基本的につらいことだと思っていた。ところが、そのつらさの大部分が簡単に消えてしまったのでこんなこともあるんだという意味で伝えてみたい。長いので興味があったら読んでください。
中学生のころから、いつも体のだるさを感じていた。お腹も弱く、何かあると下痢してばかり。当然元気なんかあるわけなく、高校生のころもあんまり前向きな人間ではなかった。でも頑張ればなんとかなると思える若さもあり、インスタントコーヒーに砂糖をぶちまけて勉強をしたら大学には合格した。大学では典型的な怠惰な学生で、起きるのはデフォルトで午後、授業には半分も出ていないと思う。無気力で今にして思うと鬱状態だった。
何とか卒業してIT系に就職したが、そこでの仕事の仕方も追いたてられてやっているような感じで、いつも綱渡りをしているような気分で全く余裕はなかった。それでも20代のうちはなんとかなったし、結構業績もあげたので30前半も20代の貯金でなんとかやっていけていた。けれど30半ばになって全く新しい仕事をやらなくてはならなくなり、そこでクラッシュして休職した。復職してからは自分の頭や体の調子を冷静に見るようになって、ヘビースモーカーだったのを禁煙したり、ランニングを始めたり、食べ物に気をつけたりしたところ、少しずつだけど調子は上向きになっていったけど、根本的に何かおかしいと思っていた。以下ここまでで出ていた症状。
(追記)
仕事は、失敗するのが怖くて異常にワークロードをかけてやる。だからうまくいくときはいいけど、失敗すると目も当てられない。うまくいってもうまくいかなくても疲弊してしまう。うまくいった仕事は、人の手助けとか責任がなくて気軽にやったものがほとんど。
こういう状態だから、とても悩んでいろんなメンヘルの本や啓発系の本を読んだけど解決にはならなかった(違う意味で色んな示唆は受けたけど、特に瞑想とか)。ある時アメリカ人の書いた本を読んだところこんなことが書いてあった。
炭水化物を減らす
炭水化物は"全粒"がキーワードです。白いパンや白いご飯、白いパスタなどの精製された炭水化物は血糖値を急激に変化させ、気分をコロコロ変えてしまいます。
「脳にいいことだけをやりなさい」マーシー・シャイモフ、三笠書房
アメリカの啓発系の本は説教くさくなくプラクティカルなので好き(追記:個人的にこの本全体を評価するわけではありません。最後のほうにはカルトっぽい記述もありましたし。要は部分的にでも役立てばなんでもいいということです。)なんだけど、早速玄米やライ麦パンを試してみたところ、頭がすっきりした感じがした。のでさらに調べてみたところ「低血糖症」のキーワードにたどりついた。特にこの本には驚いた。
「低血糖症と精神疾患治療の手引き」マリヤ・クリニック院長 柏崎良子、イーグレープ
この本によると、低血糖症患者(反応性低血糖症の場合))は食後の血糖値が急激に上昇するために、インスリンが出過ぎてしまい3-4時間後に血糖値が異常に低くなってしまうとのこと。血糖値が低くなりすぎたりすると、血糖値を上げるためにアドレナリンやノルアドレナリンが分泌され、
分泌されたアドレナリンやノルアドレナリンが情動を司る脳の分野(大脳辺縁系)を刺激し、感情的興奮(怒り、憎しみ、敵意、焦燥感、恐怖感、落ち込み、悪夢、不眠、自殺観念)を引き起こすため、脳全体の機能のバランスが悪くなり、感情をコントロールできずに「キレる」症状を起こす原因の一つともなります。
攻撃的行動、うつ的衝動、性格の異常化、感情の抑制ができない、判断の統合ができない、引きこもり、自律神経失調症、完璧主義になる、健康の認識基準が低い、自責の念が強い、過度に目的志向型になる、幻聴幻覚の症状、不眠と悪夢、「キレて」止まらない症状、ストレスへの対応、感情表現の欠如
また、コルチゾールも分泌されるが、血糖値を上げるためだけに使われてしまい、アレルギーや炎症が出るとのこと。これも症状ぴったり。
極め付けはこの文章。
青少年期から低血糖症の患者は、低血糖の異常状態に慣れていて、それを通常の状態であると誤認していることもあります。低血糖症がもたらす他の症状のために来院し、検査の結果、低血糖症であることがわかり、治療して後、体質も性格も変わり、自分の健康状態、正常な状態を知って驚くことも多くあります。
これだけ言われたら試すしかないと思い、これで駄目だったら田舎にでも引っ込んで低位安定の人生を送ろうと決心して食生活を試行錯誤の末こんな風に変えてみた。
朝食:ライ麦パン、生野菜、卵、カフェイン抜きコーヒー、果物少し、ジュースなし
間食1:コンビニのミックスナッツを150kcalくらい
昼食:肉か魚でご飯は2口くらい、玄米が選べたら茶碗半分くらい
間食2:ゆで卵
間食3:プロテインとナッツの残り
間食4:寝る前にナッツとプロテイン
(追記:最適な食べ方は人によって違います。低GIで少量頻食にするのがポイントですが、ミネラルバランスを気にして、内臓疾患がないか検査は必要でしょう。)
ポイントは、お腹半分でまでしか食べないことと、空腹のタイミングを作らないことと、ソースも含め砂糖とブドウ糖果糖液を徹底的に避けること。食べるものは基本的にマクロビオティクスに肉と卵を足したものだと思えばいい。最初はSoyJoyも食べていた(症状が重くなければ十分効果があると思う)。酒は翌日に残っていたのが残らなくなったのであんまりセーブしていない(追記:飲む種類は蒸留酒と赤ワインがメインになりました。ビールを飲むととたんにおかしくなるので)。むしろ野菜と肉と魚で飲むと眠くならないし飲むのが楽しくなってきた(甘いつまみは厳禁だけど)。ちなみに、頭が働かない時にブドウ糖や甘いものを、と宣伝されているけど、あれは砂糖業界の陰謀だとしか思えない。その一瞬はいいけど、すぐに悪循環に入ってむしろ悪化する。たんぱく質だって脂肪だって時間はかかるけどブドウ糖に分解される(追記:厳密に言うと糖新生ですね)ので最終的な効果は一緒で、いきなり吸収されないぶん血糖値を上げず安全だったりする。だから泰葉みたいに砂糖を食べてはいけなくて、ふらふらする前にたんぱく質か低GI食品を食べるのが正解。
効果は笑っちゃうくらいすぐ(2-3日で)出た。まず仕事の集中力が圧倒的に戻ってきて、いい資料は作れるし、ミーティングで効果的な発言はできるし、客に嫌味を言われてもこたえない(冷静に指摘としてとらえる)ようになった。寝る前に食べるせいだろうけど、朝は気持ちよく目覚めるし、いらいらすることがないから性格も丸くなった。なによりうれしいのは、以前だったら調子のいい時に思いついたアイデア(プライベート、仕事を問わず)が、昼食をとるとリセットされて全然進展しなかったのが、継続して発展させられること。結構ややこしい問題に関する説明資料を1ヵ月かけてつくって客のお偉方に説明したりなんてことが簡単ではないにしても充実してできるようになって、もしもう少し若い時に同じことができたら、高給取りのコンサルになれたのになと思ったりした。今や仕事の企画を考えるのが楽しくて仕方がない。
ランニングも調子よく、以前だったらハーフマラソンに出るたびに怪我をしていたのが、今回はフルマラソンを走っても3日後には練習が再開できるくらい。胃腸については、お腹を壊すことはほぼなくなり、肉を大量に食べても難なく消化できるようになった。
おまけに、インスリンダイエットとプロテインダイエットを同時にやっているようなものだからいい感じにやせてきた。(追記:もともとやせていましたが、体型は良くありませんでした)
一応病院にも行って、保険適用外の5時間糖負荷検査というのを受けた。検査の最中から慣れ親しんだ嫌な身体的心理的症状が出て、結果は見事に反応性低血糖症(200以上に上がった血糖値が4時間後に50近くまで落ちた)だった。念のためこれも保険適用外のサプリ(結構高い)も買ったけど、なくても食事だけで十分効果があるのはわかっているのでいつでもやめられる。低血糖症を治療することでうつ病だけでなく、統合失調症も良くなるらしいとのこと。統合失調症になったことはないのでよくわからないけど。ただ、不定愁訴系はかなり治るような気がするし、いらいらしてキレやすい犯罪者やDQNは、自分もそうだったから治療可能だと思う。
何をやったらいいかわからなくて無為に時間を過ごして、無力感と自責感にさいなまれながらだらだら遅くまでいた以前とは大違い。一日集中できるということがいかに素晴らしいか痛感する。マネージャーだったころに人系のぐだぐだでとても疲れたことがあったけど、そういう仕事も懐深くできるような気がする(あくまで気がするだけだけど)。
プライベートでもランニングがこれまで以上に楽しくなったほか、もともと好きだった音楽や映画も心の底から楽しめる感覚が本当に久しぶりに戻ってきた。今はドアーズを聞きなおして曲の良さにほれぼれしているところ。味覚も鋭くなって、豆や野菜の自然なおいしさがよくわかる。自然のおいしさを理解して生かしている料理を食べると嬉しい。二度とチェーンの居酒屋なんか行けないけど。妻や友人と過ごす時間も増え、こんな簡単に幸せになっていいんだろうかと思う。経済的な不安はまだまだあるけど、幸せっていうのは結局自分の状態のことなんだなと実感した。
ともかく空腹感や満腹感で良くも悪くも気分や体調が変わってしまう人は試したほうがいいかも。症状が治まった目で見るとそういう人がとても多いように見える。アメリカでは保険適用で、4,000万人くらい潜在患者がいるとのこと。日本で普通の治療になったら、長期のうつ病や進行した結果としての糖尿病やメタボが過去のものになるかもしれないと思う。
(凄い久々の追記)
基本的に同じ食生活を続けていい調子ですが、最近もしかしてセリアック病なんじゃないかと考えだしました。セリアック病による自己免疫不全でお腹の具合が悪く、小腸から栄養が吸収できないということなのかもしれません。糖尿病の併発も多いようで、結局は低血糖症で言われているのと同じ現象が発生し、治療法もほぼ同じとのことです。将来的にここらへんが統一的に説明がつくようになるのかもしれません。
(またまた追記)
セリアック病のテストではネガティブでした。ただセリアック病を疑うのと前後して、ハーフマラソン後に誤って飲んだオレンジジュース(炭水化物30g)で体が発狂(痙攣と胃腸障害)したので炭水化物不耐性なのだろうなと思います。炭水化物不耐性→現象としての低血糖症という感じです。
素人の予想など当たるべくもないことは分かっているのですが、こうして予想しておくと1年の終わりに答え合わせをする楽しみが待っているので予想するのです。
優勝は浦和。根拠は特に無く、強いて言えば2007年の鹿島のようなことが起こるんじゃないかなという程度。オリヴェイラ1年目で鹿島が優勝するなんて思った人は殆どいなかっただろうけど優勝しちゃいましたからね。もともと普通にやりさえすれば優勝する戦力はあるだけに、監督が代わればガラッと変わりそう。ACLが無いのもプラス要素。
G大阪は今年も積極補強。戦力的にはやっぱりナンバー1かなという気はします。しかしあれだけ派手に補強しておきながら加地の控えを獲らないってのはイマイチ理解できない。何か理由があるのかしら。
鹿島は毎年の事ながら出入りの少ないオフ。中後の穴は大して問題無いと思う。しかし戦力的な上積みはそれほど無いので、ACLとの掛け持ちはやっぱり負担になりそう。注目の大迫は10試合くらい出場できれば上出来かなと。
清水は中盤から前はリーグ屈指の陣容だと思う。でもDFの層の薄さが気がかり。センターバックは1枚獲っておいた方が良かった気がする。若い選手が多いので波に乗れれば面白そうですが、去年と同じ展開になるような予感もひしひしと。だが一番の不安要素はパルさん。
川崎は関塚さんの復帰が微妙。もう一段ステップアップしないとタイトルは取れないと思うんですが、そこで関塚回帰ってのは正解なのかどうか。まあ谷口を上手く使いこなせるのは関塚さんだけなのかもしれない。
横浜Mは中盤から後ろは超豪華。計算できるストライカーさえ獲っていれば優勝争いできるはずなんですが、レンタルバックのハーフナーとルーキーの渡辺に期待し過ぎるのも酷かと。逆に言えばこの辺がブレイクしたらもっと上に来そうですね。あとコーキチはワケ分からな過ぎて面白いのでもっと色々しゃべって欲しい。
大分は主力の流出も無く、補強も最低限。去年ほどの旋風は起こさないと思いますが、安定した成績は残しそう。長期離脱の深谷の穴は藤田と坪内でおそらく問題なし。前の方では今年はやってくれるはずの家長とユース出身2年目の清武に期待。そして前俊に夢を託したいが今年も裏切られるんだろう…。
名古屋はレギュラークラスだけならかなり強いと思いますが、選手層が心許ない感じ。ACLもあるしシーズン通して戦うのは辛そう。巻とか津田あたりのブレイクに期待か。ダヴィはめんこい。それとマギヌンがいない時にどうするかは今年も課題。でもダヴィはめんこい。大事なことなので(ry
FC東京はそこはかとなく地雷臭を感じる。攻撃重視の戦術→守備に綻びが出てなかなか勝てない→そのうち点まで取れなくなるという定番の悪夢スパイラルにハマるとやばそう。逆に言えば、序盤戦を上手く乗り切れば昨年の名古屋以上の旋風もあり得る。かなりギャンブル性の高いチーム。
広島はもっとギャンブル性の高いチーム。J2降格の原因となった守備崩壊は昨年のJ2最少失点というデータを見る限り解消されたのか…というところですが、実際のところ攻め込まれること自体が少ないことと槙野の個人的成長でカバーしただけという感も。どちらもJ1で1シーズン通用するかどうかは未知数です。それでも何だかんだ中位には潜り込みそう。多分寿人が何とかする。
京都は地味にえげつない補強をしてるんですが、肝心のカトQさんの手腕が未だに良く分かりません。あの人は名将なの?迷将なの?まあどっちにしても多分ディエゴが何とかする。
柏は「上手くいっていた監督が代わると低迷」というお約束のパターンに嵌りそう。アルセウの怪我もかなり痛手だと思います。やはりアレックスを手放すべきではなかったのでは…。それでも多分フランサが何とかする。
神戸も同じジンクスに嵌りそうですね。しかもこちらはブラジル人監督なだけに余計に怖いです。レアンドロはともかく大久保の穴は容易に埋まらないと思うので結構厳しいんじゃないかと思います。
山形は圧倒的な降格候補のようですが、意外と残留するんじゃないかと思っています。結構面白い補強をしてますし、小林監督は曲者です。ブラジル人選手が期待通り働いてくれれば、2006年の甲府くらいにはやるんじゃないかと思います。
千葉はストライカーを補強すべきだったと思います。今年も攻撃面で苦労しそう。そろそろ巻がぶっ倒れるぞ。今年も心臓に悪い一年になりそうだ。
新潟は今年結構危ない気がするのですが、大島と三門の獲得は大きいと思います。この2人がフィットしてくれれば残留は何とかなるんじゃないかと思いますが、フィットしなかったら…ええと…。あとは鈴木順一ことブルーノ・カスタニェイラに密かに期待。その前に田中アトムたんか。
大宮は監督自身にそこはかとなく地雷臭がします。それ以上にレアンドロ様(神、いわゆるゴッド)の放出が失策かと。大宮の残留力の源は間違いなくレアンドロ様(神、いわゆるゴッド)。レアンドロ様(神、いわゆるゴッド)なら何とかしてくれたのに。
磐田は、正直に言ってあまりポジティブな要素が思い浮かばないです…。思い切って改革すべきだと思うんですが新監督はヤンツーさん。それでいいんでしょうか…。
開幕が待ちきれない。
普段通り仕事をしていると、相方から急に「なんでそうなの」といらついて声をかけられる。
どうやら仕事の手際が悪いことに関して相当いらついた末の発言のようだ。
「あなたがその気ならこっちにも考えがある」と言われてしまう。かなり怒らせてしまったようだ。
だがどこがどう悪いのか分からない。全部といえば全部かもしれないし、ある一点かもしれないし、
早く正確かつ丁寧に視野を広くやろうとはいつも考えているが、やはり抜けがあるのは否めない。
しかしながら自分の何が不満に思わせてしまったのか、分からないのだ。相当怒っているようなので
聞くのも憚られる。おそらく帰ってくる返答はこうだ「そんなことも分からないの?」「自分で考えれば?」と。
あとは自己嫌悪の嵐だ。とにかく死んでしまえと思う。。
という…夢を見たんだ。気分が悪くて起きてしまった。
ただの夢ならいいのだが、内容が非常に現実的だと思えるが故に、
誰かの意識を受信してしまったんじゃないかと、電波的な考えも浮かぶ。
自分の到らないところというのは気づけないものだが、
急に「理解れよ」と言われるとなると、やはり戸惑ってしまうだろう。
春の日射しが穏やかな日は、祖父がにこにこ笑っている顔が目にちらついて、私は少し辛くなる。祖父はアルツハイマー型痴呆症になり、特別養護老人ホームにいる。もう二年くらいになると思う。祖父が施設でにこにこと笑うようになってから、父も母も笑えるようになった。私も弟妹も笑えるようになった。
それまでの日々は、家族にとって、特に父と母にとって、地獄のような日々だった。
祖父は、元々厳しくて頑固なところのある人だった。成人する前に両親を亡くし、大人に混じって農家を切り盛りしていたから、気が強くなってしまったのだろう。祖母と結婚して、父の姉と、父が生まれた。その後、警備員と農家を兼業するようになった。祖父も祖母も厳しい人で、昔の農家気質だったから、母は嫁入りした当初から辛い思いをすることもあったようだ。ただ、祖父も祖母も、孫である私たちには多少甘い部分をみせていた記憶がある。
祖父が定年になる前、私がまだ小学生だった頃、祖母が亡くなった。五十代後半の死は、あまりにも早かった。母には、祖母の役目と母の役目、両方がのしかかった。今から約二十年前で、家事は女の仕事、女は男を立てるもの、という価値観はまだまだ当たり前にあった時代の話。祖母が亡くなってから、祖父の母に対する当たりがきつくなったと父は言う。また、この頃から酒量が増えた、とも。
それから一年経って、私や弟とは歳の離れた妹が生まれた。母は仕事をやめた。祖父は歳の離れた末の孫を溺愛した。しょっちゅうかまうものだから、母は機嫌を悪くして、時々父や私に愚痴を言った。
祖父と母の関係が決定的に悪化したのは、私が高校生になり、妹にある程度手がかからなくなって、母が再び働きに出るようになった後だ。祖父はとっくに定年になっていて、ずっと家にいるようになった。趣味の合う友人と連れだって遊びに出かけたことも時々はあったけれど、家にいることがほとんどで、昼間は自室に籠もっているか、畑で仕事をしているかだった。祖父には、母が五時過ぎに仕事から帰ると同時に台所の自分の席に座ってお酒を飲み始める習慣があった。母が夕食の支度をしている後ろ姿の、その後ろで二時間くらい、じっと座っているのだ。六時になる頃には私も弟妹も家にいたけれど、居間でテレビに釘付けだったから、その状態には気づけなかった。七時も過ぎて父が仕事から帰ってくると、夕食。六人で食卓を囲む。私と弟妹は思い思いにおしゃべりをする。ひとしきり話し終わった頃、祖父が口を開く。ときどき意味の分からないことを言う。話が通じないことに、私たちはイライラし始めて黙ってしまう。父が間に入って話すけれど、お酒の入っている祖父は興奮しやすく、時々興奮しすぎて母に当たった。祖父が母に当たると父も頭に血が上って、怒鳴り合いになる。しまいには祖父が「そんなに邪魔なら殺せ!包丁で刺せ!」などと叫んで、部屋に籠もってしまう。こんな日々が続いた。
今思い出すと、この頃にはまだらボケが始まっていたのかもしれない。それで執拗にいろいろと尋ねたのかもしれない。私も弟妹も、学校がお昼頃で終わった日は居間でテレビを見たり、宿題をしたりしていた。そのとき、祖父がいつも居間にあらわれて話をしようとするのをうっとおしがっていた。なにも分かってない子供なんてワガママなもので、無視して自室に籠もることもあった。食卓を囲んでいるとき、怒鳴って気分をめちゃくちゃにする祖父の理不尽さも大嫌いだった。
学校でもいろいろあるというのに、「殺せ!」と怒号の響く家は気が休まらなくて大嫌いだった。弟は、高校生になると、わざと夜遅く帰ってくるようになった。父が叱ったが聞く耳を持たなかったし、男の子だと言うこともあり、いつしか容認されていった。私にはそんな要領のよさはなかったし、妹はまだ小学生だったから、毎晩のように繰り返される怒鳴り合いをそばで聞いているしかなかった。
私が大学への進学を考えた頃、両親は地元大学を勧めたけれど、私は県外の大学に願書を出した。願書を出す直前までは、後期試験は地元を受けると言っていたくせに、結局後期試験の願書も県外の大学に出した。今思えばふざけた話だが、初めての反抗らしい反抗だった。県外の大学に進学した後は、部活、バイト等、わざと忙しくして下宿にいないようにしていた。家からの電話が憂鬱だったからだ。下宿に居ないのを両親に詮索されるのも嫌だったし、なにより、家族の誰かが別の誰かを殺したという電話がいつか入ることを本気で心配していたのだ。講義がない時期には帰省が憂鬱だった。夏も冬も理由をつけて、一週間くらいしか家に帰らなかった。家に帰るとおなじみの怒鳴り合いの日々だった。帰って一、二日は静かだが、三日目を過ぎると怒鳴り合いが始まる。家から下宿に戻った後はますます電話が怖くなった。酷いときは電話線を抜いた。
一歳下の弟も大学に進学して、家を離れた。家は、祖父と両親と妹だけになった。私たちは両親と妹を犠牲にしたのだと思う。
大学三年の夏、父から電話がかかってきた。この時は不思議と電話を取る気になった。電話の内容は中学生の妹のことだった。食事を全く取らなくなったという。父は毎晩のように妹の訴えを聞いていたけれど、最後には「頑張れ」と言うしかなく、なにもできないまま悪くなったという。妹に対しては罪悪感があった。夏休みはほとんどを家で過ごした。
家に帰ってすぐに父と話した。母にはもう無理だからと言われ、母のお薬手帳を見せられた。そこに並んでいる処方薬の名前を調べると、抗精神病薬ばかりだった。母は頻繁に被害妄想を訴えるようになっていた。最初は、家に祖父と二人でいる間、いつも祖父が後にいるから怖いという訴えだった。それがいつの間にか、家の中で誰かに監視されている、家の中に盗聴器がある、近所ぐるみで監視している、警察に狙われている、と徐々に変化していった。祖父の行動ひとつひとつが、何者かによる母への攻撃であるかのように見えていたようだ。父は祖父に、母を刺激しないように何度も言ったが、祖父はその場では返事をするものの、すぐに忘れてしまうらしく、全く変わらなかった。
その日会った妹はどこか異様だった。何を聞いても無表情で「うん……」と、けだるそうに返事をするだけ。本当に食事を取らなくなっていた。一口食べて箸を置き、体がだるいのかすぐ居間で横になる。重症だと思った。その日の晩、私が自室でうとうとしかけている頃、妹が枕を抱えて部屋に来て「一緒に寝ていい?」と言った。招き入れると、妹はしばらく黙っていたが、突然堰を切ったように話し始め、もう無理だと訴えた。妹は、いつか家の中で殺し合いが起こるといって怯えていた。母の被害妄想が始まってから、夕方の台所で母と祖父の言い争いが起こるようになった。妹はなるべく早く学校から帰り、食事の準備をしている母のそばにずっといた。妹がいる間は、母は穏やかで、祖父の機嫌もそう悪くはならないから。妹は毎日のように母の愚痴を聞いた。しかし状況は変わらず、母は夜中に突然飛び起きて、怖いと言って泣くようになっていった。妹の部屋は両親の寝室のすぐ隣だったから、母の泣く声で眠れないこともしばしばあったという。学校の人間関係は、妹にとってあまりよくない状態で、妹の気が休まる時間はどこにもなかった。妹は、父には何かしてくれるようには言えないという。父は毎晩のように祖父と戦っていたし、母をなだめるのでいっぱいいっぱいだから、これ以上無理はさせられないと。
父に遠慮している妹には悪いと思ったが、現状を父に伝えた。その上で、父にはしばらく黙っていてもらうことにした。妹の体調があまりよくないこともあり、病院に連れて行った。妹は検査で採血をされ、胃カメラを飲み、点滴を打たれて「病人みたい」と笑った。「検査に異常はないから精神的なものだと思う、食べられないのが続くようなら精神科を紹介するから様子を見て」と言われた。その日からしばらく、妹は私にべったりと甘えていた。何をするにも一緒だった。帰省してきた弟は、帰ってくると真っ先に「おい大丈夫か?」と言った。進学して家を出てから、これだけ長い間弟妹と一緒にいたのは初めてだった。三人でくだらない話ばかりした。「この家、超不幸だ」と言いながら笑った。妹は、プリンやゼリーから始めて、普通の食事も少しずつ摂るようになった。妹が笑うようになった頃、大学の講義が始まって時間切れ。私はわざと忙しくするのを止め、電話を取るようになった。
その後もしばらく膠着状態だった。祖父も母もあいかわらずの調子で、間に立つ父は本当にたいへんな思いをしただろう。
私が大学を卒業した頃、状況がますます悪い方に動きはじめた。昼間のうちに家のあちこちに水たまりができ、家族がしばしばそれを踏んづけるようになった。水たまりの犯人は祖父。時々失禁をするようになったのだ。何度注意しても改善せず、おむつを勧めても頑として受け入れない。以前は熱心に畑に出ていたのに部屋に籠もることが多くなり、同時に食事や入浴を忘れるようになった。部屋に籠もる一方で、ふらっといなくなることもあり、連絡をもらった父が慌てて迎えに行って頭を下げるのだ。時々真夜中に近所の家を訪ねることまであり、消耗した父は何度も祖父に「勘弁してくれ」と土下座したが、状況はまったく変わらなかった。祖父は自分の状況が分かっていなかったか、分かっていてもどうしようもなかったのだろう。他にも、庭先に祖父がどこからか拾ってきた妙なガラクタが増えたりもした。捨てようとすると祖父が怒るので、だんだん量が増えた。祖父は車の免許を持っていたけど、ちょうどこの頃に庭先で車をぶつけたこともあり、危ないので免許証を取り上げて車の鍵を隠した。祖父が車の鍵に執着して家じゅうを探しまわるので、母が影響されて荒れることもあった。
さすがに近所にも親戚にも隠し通せなくなり、父は、隣県に住む伯母に相談した。伯母はその何年か前にヘルパーの資格を取っており、福祉関係の仕事も長いのでしばらく預かることを父に提案した。父も母も限界だったから、一ヶ月程度ということで祖父を伯母に預けた。庭先のガラクタを片づけ、荒れ放題になっていた祖父の部屋を片づけ、少し落ち着いたところで事件が起こった。伯母に預けた後、二週間も経っていないうちの出来事だ。伯母はその日も祖父に声をかけ、パートタイムの仕事に出かけた。伯母が帰ると、祖父がなにも持たずにいなくなっていた。すぐに探しに出かけたが、祖父は見つからなかった。警察やご近所に連絡し、数日経って、祖父が警察に保護されていると連絡があった。伯母宅からはずいぶん離れていた。祖父は警察に、家に帰せと主張していたそうだ。
父はこの時、もう自宅で見るのは無理だと思ったそうだ。病院で検査を受けるように祖父に勧めたが、祖父は昔から親は子よりえらいと思っている人で、このときも言うことを聞かなかった。父は、祖父が唯一頭の上がらない祖父の友人に状況を話し、祖父を説得してもらうことにした。祖父の友人は「もうずっと前からボケておかしくなっていることが分かっていたけど、言われるまで言えなかった」と、父に頭を下げた。祖父は友人の説得でしぶしぶ承諾し、父と友人に付き添われて病院で検査を受けた。
アルツハイマー型痴呆症には、根本的な治療薬がない。当時あったのは進行を抑えるだけの薬で、祖父を「治す」ことはできなかった。介護施設を探すことを医者から提案されたが、老人病院にも介護施設にも空きがなく、どこも順番待ちの状態で、診断がついても状況は変わらなかった。祖父の友人の協力を取りつけられたおかげで、祖父を説得しなければならないときにその人から強く言ってもらうこともできるようになったのはよかったが、祖父が内容を忘れてしまうことが何度もあったため、どれくらい効果があったのかは分からない。
注意して祖父を観察するようになると、物事をしっかり認識できているときと、そうでないときがあることが分かった。普通に過ごしていても、時々どこを見ているのか分からないような様子でいることが、しばらくの間続くのだ。その直後の祖父は決まって難しい顔をした。どこか悲しそうで、戸惑っているような表情。話しているときも、前後の文脈が分からなくなっている様子があった。つい一瞬前に話した内容を忘れてしまうのだ。そして何度も直前の話を聞き返す。説明しなおして話が繋がるときもあれば、辻褄が合わないままのときもある。その時の祖父の表情は、やっぱりどこか悲しそうで、戸惑っているようだった。いわゆるまだらボケと呼ばれる症状だ。頭がしっかりしているときは、その直前まで自分が呆けていたことを分かっていたのかもしれない。
診断がついてから何ヶ月も経って、家からそれなりに近い場所に介護施設が見つかったので、祖父を入居させる手続きをした。これで一件落着のはずだった。ところが、一週間後には「無理なので引き取ってください」と連絡が入った。何度も頼んだが、手に負えないから無理だと断られた。手に負えない原因は、主に精神的な症状だ。場所や状況を認識する能力が低下しているので、そこがどこなのか、なぜそこにいるのか理解できない。家にいたはずがいつの間にか知らない場所に連れてこられたと思いこみ、何度も脱走しようとした。止めようとしても、自分は被害者だと思っているから暴れる。祖父は身体も大きく、農作業で身体を動かしていたこともあり、暴れると抑えるのは難しかった。収集癖の悪化も災いした。他の入居者の部屋に入りこみ、物を自分の場所に持ち帰るのだ。職員が返すように言っても、自分のものだと言い張って返さない。そして他の入居者とトラブルになる。こんなことが入居直後から繰り返されたので、ついには断られたのだ。
それからは施設探し。祖父の身体疾患のこともあり、施設からは精神的に安定するまでは介護施設よりは病院に入った方がいいと言われた。受け入れてくれる病院などそうそうないから、しばらくは再び悪夢の日々。次の病院が見つかるまでに数ヶ月かかった。
鍵のかかった病院に入ってから、祖父はぼうっとしていることが増えた。薬の影響もあったのだろう。週に一度、一時間かけて病院に行き、洗濯物を預かり、祖父と少し話した。最初の頃は、よく歩いていると職員に聞かされた。その後、車いすに座ってぼうっとしていることがだんだんと増え、歩くことも減った。話しかけると「よく来たなあ」と笑った。祖父から話しをすることはあまりなく、もっぱら私たちの話を聞いた。しっかり話を聞いていると思うと、急にぼうっとしてしまうこともあった。もう慣れていたから、そんなものだと思うようになった。祖父の顔は、だんだん穏やかになっていった。
入院から半年ぐらい後のことだと思うが、祖父の状態が落ち着き、特別養護老人ホームに空きが出た。すぐに祖父をそちらに移すことになった。ホームには病院と同じように鍵がついており、入居者が自由になれるエリアは鍵の内側だけだったが、病院に比べると明るく開放的で、入居者が昼間に集まっているロビーの雰囲気も、なんとなく暖かみを感じるものだった。祖父をそちらに移してからも、週に一度、洗濯物を取りに行っている。施設に全部まかせることもできたが、父がその程度の面倒は見たいと言って譲らなかった。祖父は他の入居者とは少し離れた場所、ロビーのそばにある職員詰め所の入り口に、椅子を置いて座っている。職員は「いつもあそこに座ってますよ。よく分かりませんけどお気に入りみたいです」と言う。昔、警備をしていた名残だろうか。守衛として座っている時間も長かっただろうから。祖父に声をかけると「よく来たな」と私の名前を呼んで、にこにこ笑う。私が久々に祖父を見舞ったのは、ちょうどこの時期、少し暖かくなってきた頃だ。
その後も現在まで、父は週に一度は祖父を見舞い、祖父の洗濯を愚痴もこぼさず楽しそうにやっている。母は「お母さん、ノータッチだから楽でいいわ」と、のほほんとお茶をすする。一時期の被害妄想は、ほとんどなくなり、よく笑うようになった。家に寄りつかなかった弟は、遠方で就職したくせに「家の方が落ち着く」と、長期休暇のたびにぎりぎりまで長居する。妹は地元で大学に進み、家の中ではよい意味でワガママな振る舞いをするようになった。弟妹はときどき、父について祖父のところに行く。以前とは違う意味で家の中がやかましくなった。みんな、笑えるようになった。
私は結婚して家を出た。ときどき、父と一緒に祖父のところに出かける。このごろ祖父は私のことがわからなくなった。祖父は私を、祖父の娘の名前で呼び、話しかけてくる。私はにこにこしている祖父のために、にこにこながら受け答えをする。内心はかなり複雑だが、もしそれを表に出せば、また祖父を難しい顔にさせてしまうかもしれないから。同じ時間と場所を共有していても、祖父が見ている景色と、私が見ている景色は多分違う。それを共有できることももうないかもしれないが、いつも難しい顔をしていた祖父がにこにこと笑っているのだから、これでよかったのだと思いたい。
個人的には見識を広めるというのも一つの利点であることは否めない。だが、しかしながら私は文系科目で(かつ学部で)留学というのは少し反対である。
聞いた話によれば確かに大半の日本の大学の文系は行く価値のないモラトリアムかもしれない。だがそれはアメリカだって同じことだ。アメリカ人は日本人に比べて勉強する、これは神話である。アメリカ人は勉強しない。もし君がアメリカ人が勉強しているように見えたのであればただ単に君がとてつもなく不真面目で英語能力がないだけなのではないかと私は疑う。
アメリカ人で勉強する連中は大抵Pre-medやそういった専門大学院に行く連中だ。そういった連中ははじめから成績がいいし頭もいい。そして勉強しないことで発生しうる不利益と大学院に行くことによって得うる利益を知っている。誰だって高給の職業に就けるのであれば努力するだろう。もし専門大学院にいけなければ彼らは可哀そうなことにみじめな職につかないといけなくなるのだから(これは彼らの専攻に関係している。そして高給の職に比べたら大抵の職業はみじめだ。労働に貴賎はなくても労働の価値に違いはあるし労働の賃金にも違いがあるのは事実だ。)
工学部の連中も勉強する。いや、勉強しない連中は工学部に残ることができないと言ったほうがより正しいだろう。アメリカでは卒業するために評定平均でC、そして専攻科目ですべてC以上を取らなくてはならない。悲しいことに勉強しなければ工学部は卒業できないのだ。確かに遥かに羨望に値するぐらい勉強をしないで私より良い成績を残す人はいる。だがそんな人間はめったにいないし、君はたぶんそんな人間ではない。勉強をしない連中は大抵はじめの一年目か二年目の半ばに専攻を変えてゆく。彼らにははじめに選んだ専攻に固執するだけの思いもないし所詮彼らにとっては大学なんてモラトリアムだ。
再度言おう。アメリカ人は勉強するというのは神話だ。アメリカ人の中には勉強をするモノ好きもいる。そして大抵の彼らはいい成績を納めるしいい大学院に行くか有名企業に就職することとなる。だが君が知っている通り大抵はしょぼい企業に就職する。それは日本と同じことだ。
不幸なことにGrade Inflationは深刻である。君はもしかしたら卒業できるだけの知識はないのに卒業できてしまうかもしれない。ド田舎から来た少年少女は誠心誠意モラトリアムに励むことになるだろう。彼らは、しかしながら卒業しなければならない。しかし彼らは勉強をしない。大学は彼らから授業料を得たいし、彼らが長く大学に在籍することを望んでいる。解決方法は簡単だ。彼らに不相応な成績を与えればいい。授業の内容を簡易化し、宿題を減らし、Extra Creditを与え、そして不相応な成績を与えている。日本の大学で授業の参加しなくても卒業できるように悲しいことにアメリカの大学を卒業するということは考えているほど難しいものではない、もし君の母国が英語であったならば。
だが不幸なことに、まことに不幸なことに君の母国は日本語であるはずだ。もし君がアメリカで生まれて、もしくはアメリカの高校を出たりしたら少しは変わってくるのかもしれない。だが日本の高校を出て大学受験をしていた君には、そして私には簡単は簡単ではないし、なかった。君がいま格闘している英語の教科書...それは悲しいほどに簡単だ。そして君の語彙力は悲しいほどに乏しい、もし君が私と同じ程度の語彙力であるならば。私の高校では英語の単語帳はDB4200だったと思う。私はそれのほとんどを記憶したしTOEFLの単語帳にある単語の半数は記憶した。センター模試の英語はコンスタントに180以上だ。TOEFL CBTのreadingのsectionでは27/30ぐらい実力はあった。けど約束しよう。TOEFLは無意味だ。SATかACTを受けろ。もし君がSATもACTの知らないのであれば留学は止めておいた方がいい。SATは君の英語能力を悲しいほどに否定し君が一流大学のいけないことを証明してくれる。SATは悲しいほどに克服するのに時間を要する。君が大学受験と併用してSATの準備をできるほど優秀か否かにかかっている。私はそれほど優秀でなかった。私の英語の能力のなさはSATによって証明された。偏差値60は無意味だった。だから私はしがない大学の工学部に通っているわけだが。
大学入学後君は語彙力のなさ、英会話能力のなさを思い知らされる。たぶん君は他の留学生のように英語の汚さを堂々と曝け出ししゃべることはできないであろう(非英語圏の外国人の英語は何を言っているかいまだに苦労する。)もし君が文系ならばそれは致命的だ。君はたぶん可能な限り多くの授業をとりたいと思うだろう。年間安くても250万以上かかる留学を少なくとも4年するわけだ。それはとても安くはない。だから君はより多くの単位を取ることになる。しかし君は文系だ。文系科目はより多くの読書課題が課される。毎日のように課さられる読書課題は君を不幸へと誘ってくれるだろう。もし君の母国が英語てあったなら...君はそうは願わずにはいられない。多くの文系科目を取れば取るほど君は多くの課題を課されるだろう。君はavoidance-avoidance conflictに陥るわけだ。
そして君は選んでしまうかもしれない。勉強しないことを。勉強をしないという選択は甘美なほどに甘い選択だ。君は最初の1年を乗り越えられれば(私のように一学期に21単位も取ったりしなければ)、君はたぶん生き残ることができるかもしれない。だが君は本当に生き残られるのか?君が1時間かけて読んだ課題を君のルームメイトはたった10分程度で読みそして授業で全く内容を触れられなかった悲しみを君は耐えれるのか?日本から来たお気楽なEchange Studentsは遊び勉強をしないで君に甘い蜜の匂いをかがせるのに?そして親切なアメリカ人は君をパーティーに誘うだろう。それは親切な心からだ。そしてパーティーを断ることのできない君は翌日悪夢が現実となるのを分かっているのに?そして高校で別れた君の大好きな友達たちは日本の簡単な大学に行き、君にとてもつまらない事実を教えてくれるのに?君の懐かしい友達は簡単なモラトリアムを謳歌しているのを聞いて君は耐えられるのか?君の友達が恋人ができたと教えてくれた時に君は何をしていると思う?たぶんだが君は宿題を諦めて寝ているか諦めないで宿題と云う名の怪物に挑んでいるかだ。再度問う。君は耐えられるのか。もし君が求めているのが単なる幻想ならば日本の大学に行け。それが君の幸せだ。
君は海外で働きたいと思っている。よし、考えろ。君はどんな人間に就労ビザが発行されるか知っているか。どのような要綱にそってビザが発行されるか知っているか。君はしがない文系の人間にビザが発行されると思っているのか。ぐぐってみよう。まずはそれからだ。私は専門家でもないから正しくないかもしれない。だが国内で調達できる人間を海外から調達する必要があるのか。だったらもっと安い中国人やインド人にやらせればいい話だ。文系の君を雇う必然性はない。君は安易な留学という選択をしたことに後悔したことに気づくのにはすでに遅すぎた。
2.だったらどうすればいいと君は尋ねる。 に続く。
こんばんは。わたしは今日、SEとして、つまり障害を報告するプロという立場で増田に来ました。
もちろん、SEだけが障害を出すわけではありません。よく知られているようにPGもバグを出します。ディスク障害、ネットワークダウンのように、ハード屋やら電話屋もそれぞれがそれぞれの障害を出します。しかし、SEのバグは他の人たちのバグとは違います。SEがバグを出して道徳的と称賛されることはありません。それどころか、その障害が大きければ大きいほど、ひどい障害であればいっそう、顧客や上司からの批判が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?
それに対する私の答えはこうです。すなわち、致命的なタイミングで障害を出す、いってみれば、悪夢を現実にすることによって、SEはシステム投資の重要さを説き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、開発工程のほとんどを内製化し、正確にシステム化することは事実上不可能です。だからこそ、私たちはPGを隠れた零細企業からおびき寄せ、開発拠点へと運び、一見正社員の形に置き換えるのです。しかしながら、これで障害を起こした場合には、私たちのメンバーの誰が腹を切るのかを明確にしなければなりません。メインフレーム時代に現役バリバリだった時代遅れなPMを安全ピン代わりに上司の席に着かせることは、自分を身を守るのに必要な準備のひとつなのです。
そうは言いながらも、今日も障害を報告するつもりはありません。できる限り先延ばしにします。私が人力で運用フォローをしなくて済み、この時間に帰れる日は月に2、3回しかないのですが、今日はちょうどその日に当たったようです。
真実をお話しします。本社で、かなりの上の人たちから、障害を悟られぬようように、と言われました。ばれたら、私のマイナス査定(降格)を下すと警告する人さえいました。これはもちろん、メインフレーム周りでの激しい障害のためでした。基盤担当の報告では、バックアップの上書きで1000ファイル以上が消失し、その大部分は唯一無二の情報、つまり受注先マスタや売掛金データであったとのことです。
障害の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。仲間がサーバルームでコマンドを叩き続けているときに自分だけオフィスへ来て、上司への報告書を書くことが果たして正しい行為なのか、今まで機器構成を説明する図が無くて今日初めて作られたことが悟られないか、一部のモジュールのソースと設計書が紛失しており機能を想像して丸ごと書き直さないとバグがつぶせないことをどう説明するか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私はバイナリからの逆コンパイルには反対ですし、ヤマ勘でのプログラミングも支持しません。もちろん、先人の書いた設計書は見つかるはずもありません。
しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に障害を報告しませんでした。この判断の理由の一つは、実に上の立場の人が障害を報告しないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの技術者と同じように、私は上司に言われた通りのことをする傾向があるのです。「言うな」「考えるぞ」「で?」「黙ってりゃわからん」「マイクロソフトのせいにできんのか?」「お前は一言もしゃべるな」と言われると、特に役員の個室に呼び出され「警告」を受けると、それに従いたくなるし、考えたくなくなるのです。これはサラリーマンとして当然の「気質」かもしれません。技術者は普通のサラリーマンなのです。私たちは上司自身の口から出たことや、FW:が5個ほど連なったメールにしかすんなりとは従えないのです。
というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、増田に来ることを選びました。コンソールを見つめることより、PCを見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それはコードを書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に壁の側に立つ」ということです。
そうなんです。その壁がいくら正しくなく、卵が正しいとしても、私は壁サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく労基署や裁判所というものが。しかし、もしどのような理由であれ、顧客の立場に立って正直に報告書を書く技術者がいたら、上司はその部下にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?
この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。納期前倒し、瑕疵責任、仕様変更、出精値引、SLA無視は高い壁です。これらによって押しつぶされ、徹夜し、心理療法を受ける非正規の下請けたちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。
私が報告書を書く目的はただ一つです。個々の下請けが業務を担当したエビデンスを集め、それに責任を与えることです。報告書を書く目的は、「システム」の網の目に自分の魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「外注先」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、設計書への検印、テストの実施担当者の検印、ソースの最終更新者、リリース時の立会い責任者、打ち合わせ記録書の参加者などのエビデンスから個人を槍玉に挙げた報告書を書くことで、自分を守り、壁を守り、下請けを破壊することがSEの仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣にエビデンスを積み上げていくのです。
私の先輩は昨年、40代で亡くなりました。先輩はPGで、時折、SEをしていました。金融のSE だったとき、徴PGされ、中国のオフショアに送られました。先輩の隣のチームだった私は、先輩が昼食後に毎日、たくさんのお薬を飲んでいるのを見るのが日常でした。ある時、私は先輩になぜそうまでして働くのかを尋ねました。先輩の答えは、これまでデスマで散った人たちのために戦っているとのことでした。先輩は、顧客であろうが上司であろうが関係なく、残ったメンバーのために開発を続けているとのことでした。先輩が会議室でのレビュー中に焦点の合わない目を見開いたまま俯いている顔を見たとき、先輩の周りに死の影を感じたような気がしました。
先輩は亡くなりました。先輩は残りのメンバーが決して知り得ない仕様も一緒に持っていってしまいました。しかし、メインフレームの周辺に潜んでいたJCLの仕様の一部が既に転職していったメンバーの記憶に残っており、相手の迷惑を顧みずにばんばん電話で聞いています。以上のことはプロジェクト管理のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。
今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目は見えてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
これが、私がお話ししたいすべてです。
「自宅謹慎1ヶ月」、本当にありがとうございました。一旦は闇に葬られた私の報告書が形を変えて増田の多くの人々に読まれていることはとてもうれしいことです。増田の読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。
14日のビリー・ヘリントン来日イベント目当てに、ニコ厨が何百人も徹夜して馬鹿騒ぎを起こし平然と動画をアップするという話を聞き、3月の例大祭でも似たような馬鹿が湧いて出てくると確信した。そこで出現するであろう馬鹿のタイプを予測して見た。予測のポイントは簡単さと馬鹿騒ぎのしやすさの2つ。「ナイト・オブ・ナイツを歌ってみた」のような難易度の高いのは湧く心配はないからな。
2月17日時点での「チルノのパーフェクトさんすう教室」タグの動画は775件だが「踊ってみた」はその内209件存在する。4分の1以上が「踊ってみた」である。これらの中に、あるいは投稿していないのでも例大祭で踊る者が出る可能性は高いと思う。例大祭に「バーカバーカ、バーカバーカ」の絶叫が響くのであろうか!
「パチュリー、ウッ」「レミリアッー!」「西行☆とんがりコーン」「エロい、ZUNZUNZUN」等の空耳を叫ぶだけでOKというお手軽さなので、待機中の行列とかで軽はずみに叫ぶ馬鹿が少なからず出ると思われる。
ゆっくりしていってね!!!のウザさをより高めた「ウザテイ」「しこっていいのよ」のセリフ・歌詞をソフトークの口調でしゃべくって回りをイライラさせる光景が目に浮かぶようだ。周りから注意されたら「うるさいってさ、おおこわいこわい」と火に油を注ぐ様も容易に想像できる。
去年目撃された、オーエン+ドナルドの大合唱の悪夢も十分可能性がある。最終鬼畜の動画はランキング工作があるとは言え、500万再生オーバーを計上しているわけでまだまだ人気なのである。
あと、ニコ厨関連ではないが、REX等連載中の儚月抄に対する不満から神主に喰ってかかる馬鹿も出るかもしれん。個人的には最もあってほしくない事だ。
「小泉劇場第2幕」? 民主に広がる「埋没」危機感
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090213/stt0902132244005-n1.htm小泉純一郎元首相が麻生太郎首相を公然と批判したことが、民主党にも動揺を与えている。自民党の内紛は歓迎すべきなのだが、満身創痍(そうい)の麻生首相で早期に衆院解散・総選挙という政権奪取へのシナリオが狂いかねないうえ、郵政民営化をめぐる「小泉劇場」で埋没を余儀なくされた4年前の前回衆院選の“悪夢”がよぎるからだ。民主党は国民の支持が強い小泉氏の出方と自民党の内紛の行方に神経質になっている。
小泉氏が首相批判をぶち上げてから一夜明けた13日も、民放テレビ番組はこぞって小泉氏の発言や自民党内の反応を伝えた。小泉氏に対するメディアの注目ぶりに、ある民主党幹部は「小泉劇場の幕が開いたな」とつぶやいた。
小泉政権下の平成17年の衆院選前、自民党は郵政民営化の是非をめぐり党内が二分し、造反議員が除名処分や離党勧告を受ける事態に発展した。民主党は当初「自民分裂は願ってもない展開だ」と喜んだが、その後、造反者への刺客候補の擁立といった小泉氏の手法に関心が集まり、陰に隠れた民主党は惨敗した。
これが民主党のトラウマになっており、党内には、「希代の名優」と評される小泉氏の“登場”に警戒感が漂う。簗瀬進参院国対委員長も13日の記者会見で「変な劇場政治を持ち込むことで焦点がぼかされ、政権交代を通じた日本政治のレベルアップが脇道にそれてしまう」と述べた。
定額給付金に異を唱えた小泉発言を受け、民主党は給付金の財源確保のための給付金特例法案の参院での採決時期の再考を余儀なくされた。野党が多数を占める参院で否決後、衆院での再議決で自民党に造反者が出た場合、「自民党がつぶれるか、最高潮で生き返るかという2つの側面があるから厄介だ。自民党のお家騒動が主役になる可能性がある」(幹部)ためだ。
民主党の輿石東参院議員会長は同日の参院議員総会で、自民党を揺さぶるために小泉氏がロシア訪問から帰国する20日以降に採決を先送りさせる考えを示した。その後の党幹部会では20日以降の採決を視野に、自民党内の動向を見極めた上で来週に判断することにした。
一方、麻生政権が迷走する中、民主党内には次期衆院選での勝利を楽観視する空気もあった。だが「麻生下ろし」の動きが加速し、自民党の顔が代わる事態になれば情勢は一変する懸念も出てきた。小沢一郎代表は13日の幹部会で「混乱するのは自民党の方だ」と述べた。しかし、ある党幹部は小泉氏の影響力への不安をもらした。「小泉氏の政治に対する勘は、ものすごい。先がまったく読めなくなってきた」
小沢の不動っぷりが不安になってくるな。本当に何もしていないのか、影でコソコソ何か根回しをしてるのか。本気で今年中に総理大臣になるつもりなんだろうか。
もう二月だから市役所などで任期付職員の募集とかかかる時期になったらしい。
地元広報紙に掲載されている市役所の任期付職員募集を枕元に父におかれた。
あと二年弱で定年退職になる親に世話になるのは、
怠けて家でゴロゴロしたいからじゃないんだ。
(だから失業保険の受給もまだできない)
毎日毎日夜はほとんど眠れず、
昼間に数時間浅く眠れば悪夢と不安で冬でも冷や汗で下着が濡れてしまう。
余計に家でグズグズしているように思えるらしい。(病気なら太らないとの事)
持病の腰痛も悪化して家の中もほぼ動けない。
弟は受験でイライラしていて家の中で暴れて物を壊したり殴ってきたりする。
父はパチンコで借金を作り消費者金融でお金を借り累計1000万近くまでいった。
だから母は父を信用できないし
父は未だにパチンコしている(近所の人が目撃)ので何かと理由をつけて
あの時、自分が病気とも思わなかった、何科を受診すればいいかも分からなかった。
いつもお金がないと喧嘩する両親に病院に行きたいから保険証を使わせてとは言えなかった。
(毎月かかるアトピーの治療にはかしてもらって実費は自分でいつも工面していたから、それも後は自分で払うつもりだった。精神科に通院されるのが嫌だったようだ。)
あの時どうすればよかったなんて言っても仕方ないけど
もし、いいお医者さんといい薬の両方に出会えていたら
病気の心配もなく折合いのつかない家族からも離れられて失業もせずに済んだかも知れない。
いける大学の中で偏差値が一番高いというだけで決めないで薬学部のあるところに行く。
病気も初期で受診して治して、遊びと馬鹿にされない勉強をして薬剤師になって働いて家を出る。
薬剤師なら非正規でも治療をしつつ暮らしていける位の糧は稼ぐことができる。
結局、十年以上の歳月も高い私大の学費も奨学金で賄い切れない分を親に懇願したことも無駄だった。
職種も合わず何も身に付いたものはなかった。病気で人も離れていった。
健康も失い職も失い何もかも失ってしまった。
ただ死ねないだけの状態だ。
「曾祖母の納骨を親に”見せられた”小学校1年生の女の子が”PTSD”になってしまったかも」というエントリー。
半数以上の反応が「こんなんでPTSDになるなんて」「親も子供も軟弱」、と否定的で、さらにそれに対して元増田が
みんな、お骨を拾って何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したりしながら成長していったのか・・・。
と返している。
どっちも違うなあ、と思った。「ブタがいた教室」に対する是非論と同じ感想。
私は今年26だけど田舎の子だったので「死」は身近だった。
物心付く頃には家に犬がいて今実家で飼ってる犬共の親、祖母、曾祖母と3代を見送った。
1匹はフィラリアであっけなく死んだ。残りの2代は老衰だった。
だんだん弱っていく犬を寝ないで看病して最後を見届けた。死んだら庭に埋めた。
だから死んだら硬くなる事も、どんなに弱ってても生きている内はあった「あたたかみ」が
死んだ瞬間にすっと無くなる事も知っている。
ムクロとか、亡骸、という言葉がどういうものかを経験として知っている。
どんなに大事な人でも存在でも、死んでしまう、死んでいなくなる、のだと「知っている」。
そのハツカネズミを喰ってハラが膨れた蛇が籠から出られなくなって引っかかったまま縊死したり、
婆ちゃんが晩の鍋にする鶏を〆たりするのを見てきたし、
カマキリとか昆虫を枯葉かけて焼いたりもした(いや、超残酷なんですけど子供の頃って結構残酷なことを平気でやらなかった?)。
「いきもの」は「死ぬ」んだと。
それは「分かる」とか「分からない」とかじゃなくて、空気と同じぐらい当然に「そういうもの」だった。
だから幼稚園の時にひい婆ちゃんが死んだ時も、大好きだったから泣いて泣いて泣きまくって
でも「死んだ」事は分かってた。骨を見て墓に収める骨壷に触らせてもらってその無機質さに
「ああ、やっぱり」と受け入れた。
送るというのはそういう事だとわかってた。
でもさー、そういう経験が全くないままにいきなり人骨はつらいだろーよ?
段階を踏んでるからこそ近しい人の死に大泣きしてもすんなり受け入れることが出来るんだぞ。
人生初の「死」がひい婆ちゃんの骨だったらそりゃトラウマにもなるっつーの!
親も「命の大切さ~」とか「何事も経験~」とか頭でっかちに考えて
手順とか段階とかをすっとばしていきなり「ひい婆ちゃんの骨」じゃあ、そりゃ子供がかわいそうだ。
元増田も多分そのあたり感じ取って従姪さんのご両親に対して反感を覚えているんじゃないのかな。
みんな、お骨を拾って何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したりしながら成長していったのか・・・。
違うね。
場数を踏んでたの。それかご両親が場数を踏んでいてちゃんと子供に伝えてたの、子供の困惑を受け止めてたの。だから「何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したり」なんてしなかったの。。。だと思うよ。
起きてしまった事はしょうがないでしょ。
乗り越えられない事じゃ決してないんだから、いい機会だととらえて両親が子供に真正面から向き合えばいいじゃない。
や、まず最初に両親が「死ぬこと」に対して真摯に向き合う必要はあるけどね。
祖母のお骨を骨壺に収める際、何を思ったが従姉(お袋の姉の娘)が娘(小学一年生・俺からみれば「従姪」)をその場に立ち会わせたのだ。
俺と両親は「やめておいた方がいい」と事前に何度も告げたのだが、従姉夫婦はいっこうに聞き入れず、これから何が始まるのかもよく分かっていないであろう我が娘に「大丈夫だよね?」と尋ね、娘もそれに頷くばかりで結局押し切られてしまった。
何せ直前まで高温に晒されていた物体である。お骨のみならずそれを乗せている台もかろうじて触れられる程度に熱を持っており、それほど広くない締め切った部屋には独特の熱気が充満している。そして部屋の中央には紛れもない本物の人骨。いくらなんでも小学一年生の女の子にはキツいシチュエーションだろうに。
案の定、従姪はお骨を壺に収める事なく体調を崩し退室した。顔は真っ青で今にも吐きそうな気配。従姉(従姪の母親)と伯母夫婦(従姪の祖父母・お袋の姉夫婦)はオロオロするばかり。「だから言わんこっちゃない」とお袋は伯母を睨みつつ、従姪の背中をさすりながら俺に「すぐに駐車場に行って、クルマに置いてるあんたの任天堂DS持ってきて」と指示。
「こういう時は違う事をさせて気を紛らわせるのが良い」というのがお袋の経験らしい。最初は拒んでいた従姪だったが、火葬場を引き上げる時はゲームに熱中していたようだった。「後で返させるから、しばらく貸しといてやっといてよ」というお袋の要請を俺も受諾した。
それから2ヶ月ほどが経過した。伯母から電話があった。「あれから孫(従姪)がトラウマになったみたいで…」こぼしていたのを、お袋がたっぷりと説教したらしい。漫画やアニメのデフォルメされた骸骨や幽霊の類にも極度におびえるようになったそうだ。テレビで唐突に葬式のシーンが流れるだけで嘔吐する時もあるそうだ。貸したDSはまだ戻ってきていない。
なんだかトラバもブクマ米も「この程度で何言ってるんだ」的な物ばかりで驚いた。みんな、お骨を拾って何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したりしながら成長していったのか・・・。19歳になるまで身近な人間の不幸に遭遇しなかった俺にはちょっと想像しづらい経験だ。
続柄の使い方が間違ってるっぽいんで修正したよ。
彼女は「1月17日」と記せば誰もが思い出す地震の被災者で、両親は自分の足で立つこともできない娘を遺して亡くなった。
その友達が、“奇跡”と共に残った自らの命を捨て去ろうとするに至った経緯を書き残すと共に、自分自身が思い悩んでいることを打ち明けることで少しでも心を軽くしたい。
俺と彼女が知り合ったのは6年ほど前、ともに小学4年生の頃。関西生まれの転校生と、関西生まれの在校生の出会い。
転入したクラスで親密になった友達は男子1人と女子2人の計3人で、その中でも件の彼女とは不思議に気が合い、人に打ち明けにくい悩みを相談できる貴重な異性として、互いを大切に想ってた(と思う)。正直ちょっと顔が赤くなる。
“打ち明けにくい悩み”といっても大半は歳相応に他愛のないもので、高校生になった今では「あんなバカバカしいことを真剣に悩んでたのか…」と恥ずかしくなってくるほど。
それらのほとんどは相手と共に考えることで解決させることができたんだけど、ただ一つだけ、どう悩み抜こうと答えが出なかった問題がある。それが、彼女の話した自らの過去に関するもの。
神戸の灘区に住んでいたらしい彼女の一家は、彼女が2歳になる前に地震に遭い、二人の親と、母親の中にいた“一人”の弟妹が命を落とした。
たった一人遺された娘は、母親の妹(か姉かはハッキリしないけど)夫婦に引き取られ、母親の出身地、九州に移り住んでいる。
きっと、関西から来た転校生として、「他の友達より真剣に耳を傾けてくれるかもしれない」と思って打ち明けてくれたところもあったんだろうと思う。
しかし俺は関西と言っても大阪生まれ、なじみの薄い神戸の話に特別な思いを抱くことはできず・・・(我ながら最低だ)
あえて自己を弁護するならば、とにかく「親がいない」という事実が衝撃的で、話の詳細を考える余裕が無かった、ということだったのかもしれない。
それからは年に1、2度ほど会うことがあるのみとなり、電話やメールといった手段での連絡は一切なし。
伝えるべき事柄もないし、たぶん単に面倒だったんだろう。以後5年間、ほんの最近までそんな関係だった。
変化が起きたのは去年の11月、連絡先も伝えていないはずの彼女からかかってきた突然の電話。(連絡先は男の友達から聞き出したらしい。伝えたことを忘れていた。)
とにかく話がしたくて電話をしたとは言うものの、しばらく喋ってみても彼女の話したい事柄が見えてこず。
とりあえずその日は電話を置くことにし、後日改めて会いに行くと伝えることで彼女を落ち着かせることに。
久しぶりに見た彼女は随分と思いつめている様子で、会うなり突然泣き出しそうな雰囲気すら感じられる悲痛な姿。
他の友達連中と楽しく過ごすふりをしつつ、何が彼女をそこまで追い詰めているのかを全身全霊で突き止める決意を固めたりしたのだが、その原因はあっさり彼女自身の口から語られる。
それは、もはや忘れかけていた、地震の話。
夢を見た、と彼女は言う。生みの親の死に目に遭いながら何もできず、ただ泣いていただけの自分の惨めな姿を目にした、と。
出来事以後の13年間、一度たりとも、そんな悪夢はみたことが無かったのに、私は見てしまった、と。
どう接すればよいのか分からなかった。何だこの話、なんだよこれ。
今まで自分が生き残ったのは全くの偶然だと思っていた、運命のいたずらで、仕方がないことだ、と。
しかしそうじゃなかった、自分が生きているのは両親のおかげだ、両親が身を挺してくれなければ私は確実に死んでいた、と。
そんなことも知らずに「私はあの時どうして死ななかったんだろう、死んでいれば楽だったのに、死んでいたかった」なんて考えていた自分が許せない、と。
「生き残ったことへの罪悪感」と、「生き残らせてくれたことに感謝してこなかったことへの罪悪感」。
二重の重圧に耐えかね、必死に苦しみから逃れる方法を考え続け、出してしまった答えが、死ぬこと。
この問題は未熟な高校生が悩むには難しすぎるのだろうけど、彼女自身が死に代わる答えを見つけなければいけないことは確かだ。そして俺は、その答えを探す手助けとしてできることを見つけたい。
それまでに、何としても。
神先 一矢(かみさき かずや):1年男子
主人公。非能力者…だけど実は幻影(ファントム)が棲みついているのに気づいていないだけ
幻影領域は全体、能力不明
天乃 翔(あまの かける):3年男子 幻影能力者 幻影領域:全体 能力:ペガサス化(飛行能力など)
速水 光(はやみ ひかる):2年男子 幻影能力者 幻影領域:両足 能力:スピードアップ(常人の2倍の速度)
黒闇 黒夢(くろやみ くろむ):2年男子 幻影能力者 幻影領域:口 能力:悪夢吸収(悪夢を吸収して回復)
時来 未佳子(ときらい みかこ):1年女子 1つの体に2つの幻影が棲みついている幻影能力者 幻影領域:右目と左目
右目の能力:1分後から10分後の間の未来が見れる 左目の能力:30日間の過去が見れる
鈴鳴 猫夢(すずなり ねこむ):3年女子
鈴鳴姉妹の姉。幻影能力者 幻影領域:両目 能力:猫の眼(暗い場所でも普通に見えるようになる)
鈴鳴 鈴音(すずなり すずね):2年女子 鈴鳴姉妹の妹。幻影能力者 幻影領域:両耳 能力:猫の耳(猫並の聴覚になる)
白掛 真夜 (しろがけ まよ):1年女子 非能力者 マヨネーズが好きで食事の時は常に持っている
本堂 詠子(ほんどう えいこ):2年女子 非能力者 本を読むのが好きで昼休みは図書室に居る
修正:17日9時32分 性別と学年の設定追加
私は統合失調症と診断され、今も病院通いを続けている。そんな私が大学の保健管理センターに通いはじめた時に、今までどんな症状に悩まされてきたかが記されたファイルを発掘した。私は下記の様な経緯を経て、自殺したいという思いや自己否定的な独り言、注意散漫で交通事故に遭いかけた事などが重なり、大学3年の2月に、大学の保健管理センターの扉を叩いた。
入学してから半年間は真面目に大学に通い、家事等もほぼ完璧にこなしていた。
1年の半ばからだんだんとおかしくなってきた。講義をさぼることはそうなかったが、憂鬱状態、自己否定的な独り言などはこの頃からあった。
2年の後期頃に、電気回路第二の先生にやる気について注意を受けた(というより心配をされた)ことがあった。
3年前期にあった健康診断で内科の先生に最近疲れがちだと相談したが、体の異変は無かったので睡眠不足だと判断された。
3年の後期からかなり授業をさぼるようになった。憂鬱になり、レポートも滞りがちになった。この頃から時々人から疲れているように見えるとの指摘を受けるようになった。また、夏から秋にかけては悪夢をよくみた。一時期は眠りに入るのも怖かった。レポートが出来ていないことが理由で、実験中に泣き出したこともあった。授業は明らかにやる気がなく、どうでもいいなどという気持ちがあった。
そうして大学の保健管理センターでミラドールを処方してもらっていたが、一年経ってもちょっとした失敗で自分を殴る事や、自殺したいという思いや、やる気の無さはなかなか改善しなかった。そして、自殺したいという思いの洪水の中、なぜそんなに死にたいのかという問いが頭の中に生まれ、とっさに「宇宙人が私の体を乗っ取っているからだ!」という答えが浮かんだ。すぐにそれは間違いだという事に気がついたが、その事を大学の保健管理センターの先生に話したところ、統合失調症だ、と判断された。そして大学病院へ本格的に通うことになった。それは2年ほど経った今でも続いている。
引用文にある様な症状が出ていた時、私はただひたすら耐えていた。けれども、今思えば1年後期に憂鬱状態や自己否定的な独り言などが出た時に保健管理センターを訪れるべきだったと思っている。
これを読まれた増田諸君、この前兆は私の場合であるが、何か一つでも思い当たる様なことがあればなるべく早めに専門家の元を訊ねる事をお勧めする。私はこの程度の事で病院だなんて大げさだ自意識過剰だ、という思いがあって大学の保健管理センターという施設であっても利用をためらっていたが、大げさなのかどうかは医者が判断する事だ。
http://anond.hatelabo.jp/20090110181359
こ、これは、とても重要なことが書かれている気がする。「その人の生命を体内に受け入れることができない」は名言。これはある。すごくある。
わたしの場合、30年以上生きてきて、セックスしたい人は1人しかいなかった。ちなみに、出来なかった。したい相手とはそんなものなのかもしれない。
絶対無理な人というのもいる。そういう人は5パーセントくらい。ただ、後述するように、なんらかのきっかけで性愛対象として意識したときにしか分からないので、実際はもっと多いのかもしれない。
そして、その他9割以上の男性は可能な人だ。きっかけがあれば可能だけど、きっかけが無かっただけ。こういうのもビッチと呼ばれるのだろうか。わたしの場合は、この9割の中にはあまり差がない。イケメンだろうが高収入だろうが、(わたしに)親切だろうが不親切だろうが、あまり関係ない。ただ、そういう機会があるかないかだけ。受け身の性だからこんなもの。
そして、絶対無理な人。
もう絶対無理、無理無理無理無理カタツムリ級に無理。
この男とするくらいなら舌噛み切って死ぬ!って勢いで無理。
そして、そういう人が近くにいると、なんというか、他の人に対しては全くそんなこと思わないのに、その人の場合だけ性的なイメージでいっぱいになることがある。その人と接しないといけない期間中は寝付きが悪く、その男の子供を孕む悪夢みたいなイメージで汗びっしょりで目覚めることすらある。近くにいる間は一瞬も気が休まらず、神経がピリピリしている。本能が全身で警告を発してる感じ。
心配性な男性のために言っておくと、ここまで嫌な反応が出るのは、なんらかの性愛を予想させるアクションをした人に対してだけで、ただの仕事仲間とかの間は全然思わない。
さらに心配性な男性のために言っとくと、そうなったら相手本人に対しては嫌ってることは隠しませんが(社交辞令で期待させて実力行使に出られたら嫌だから)、必要な会話はするし、女性同士でキモいと言い合ったりもしないし、感情の激しさの割に表面的には穏やかです。
そしてここからが不思議なのだが、無理な理由は全く説明不能。どんだけイケメンだろうが評判が良かろうが駄目な人は駄目だし、逆もある。理由を強いて言語化すれば「不健康そうに見える」ことだと思うのだが、自分から見て絶対無理でも他の女性が受け入れた(それも渋々ではなく積極的に)例も見ているので、自分にだけ不健康そうに「見える」のではないかと思う。全く本能としか言いようがない。このことを自覚するとき、自分は子宮で生きていると思う。この言い回しは女性には評判が悪いようだが、一面の真理があると思う。これだけ強く本能にドライブされてコントロールが全く効かない、「無理なものは無理」から一歩も動かせないのは、この件だけだからだ。
なお、絶対無理と思ってしまった相手については、その後の言動から、やっぱり駄目な人だったと思うことが多いのだが、その意味で自分の勘は正しかったと確信するケースばかりなのだが、しかし、嫌いという感情が先にあってその理由を無意識に探しているのかもしれず、慎重に受け止めるように心がけている。本能に基づいた個人的な感情を社会的な場面に持ち込まないように注意している。
これは本能としか言い様のないもので、本人には変えようが無い。また、自分が絶対駄目だと判定した人でも、他の女性にとっては好ましい相手であることもある。自分にとって駄目だからと言って、その男性が普遍的に駄目なわけではない。ネットなどで男性が特定の相手とセックス出来ないことを嘆いているのを見ると、さらに特定の相手が受け入れてくれないことを普遍的に駄目だと解釈しているのを見ると、理由のないことで拒絶されている男性と、生理的嫌悪感と戦っている女性の両方に(勝手に)感情移入して、胸が苦しくなる。努力では変わらない。さっさと次行け。としか言いようがない。
最近、恋愛の成立を、なんでもかんでも努力や普遍性に帰する風潮があるが、何割かはこのように努力のしようがないものが混在していると思う。それは生物としての相性なのかもしれない。しかし男性にとっては殆どブラックボックスで、理不尽さが募るだけだろう。数をこなせば、このような構造が見えてくるかもしれない。とりあえず理由無く拒絶する側としては心苦しく、たった1件の事例で落ち込んでないで数こなして下さいと思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20090110115558
同意。
私が思うに、非正規雇用者の問題に関する話には
保障等の安定した「何か」が正社員には無条件で与えられていると勘違いしてる者が多いように見える。
正社員は何も楽をしてそれらを得ているわけではない。
年功序列や終身雇用などはもう過去の夢でしかなく、賃金カットや首切りの悪夢に日々おびえながら暮らす正社員は多いはずだ。
ちょっとでもいい給料を求めて、あるいは、ちょっとでもいい生活を求めて
日々、身を粉にして働いてるのは非正規雇用であろうが正社員であろうが同じはず。
いや、正社員はかなり大変なのだと知って欲しい。
私の知っている事務系について言えば、派遣さんは所詮ヘルプであると言える。
正社員はそれ以上の仕事を抱えているし、決して怠けているわけではない。
また、正社員の全部ではないだろうが、
だいたいの社員は昇給やスキルアップを目指して、オフにも何かの勉強を積み重ねていたりもする。
議論を進める方には、決して、その地位が「楽して維持できているもの」ではないのだけ覚えておいてほしい。