はてなキーワード: 悪夢とは
きたない話だからそのつもりで聞いてくれ。
「だだっ広く、ひどく汚れた、公衆トイレ」の夢。
細部は時々で違うんだけど、屋外や公共の場所にあるトイレに行くとそれが中で十分は迷えるくらいに広くて入り組んでて、
で、すごく汚い。黄色く変色した便器に色々付着物が……水も濁ってる……しかも扉がない。しゃがもうもんなら尻丸見え。
そんなとこでしなきゃならないんだ。不思議と便意はなくて、でもしなきゃ出られないことになってる。
その夢がすごく嫌で、怖かった。
ところでさっき突然、その夢をしばらく見ていないことに気がついた。
なんでだろう?
そもそもあの夢、一体なんであんなの見ていたんだろう?
ローティーンの頃の中国旅行の記憶かも、とも思っていた。言っちゃなんだがひどいトイレばかりだった。
一昨年肉体労働のバイトして、簡易便所に慣れたおかげで、もう怖くなくなったのかな。
それとも、とふと気づいた。セックスしたからだろうか。
去年産まれて初めてセックスをしたんだけど、それって関係してるかな。してる気がしてきた。
それを契機に見なくなったんだとしたら、あのトイレの夢は、一体どんな意味があったんだろう。
心理学とかフロイトさんの話とか、ろくに知らないから分からないけどさ。意味なんて全然ないのかもしれないけど。「一番の悪夢がトイレ」なんて、なかなか言えないから呟いてみました。
読んでて、私もこの先まともに恋愛できるのかなって不安になった。何より、男の人が恐い。ずっと男の人に恐い思いをしてきた。
初めて痴漢にあったのは小1の4月。ピアノ教室の帰り。知らない男の人が「ハンカチ落としたよ。」といったかと思うと、スカートのの中に手を入れてきた。恐いというより、何が起きたかわからなかった。男の人がにやっとしていなくなったあと、パニックになって泣きながら帰った。
でも結局、両親には言えなかった。なぜだかわからないが、言うのが恐かった。親はどうやら近所の男の子に泣かされたと思ったようだ。
その後もずっと塾帰りの電車、立ち寄った本屋、文房具屋などたびたび痴漢にあった。痴漢はさっと立ち去るか、私の反応を楽しむかのどちらかだった。中学や高校になると、どんどんエスカレートした。一度だけ母親に相談した。返ってきた答えは「あなたに隙がある。」。ひどく怒られた。そのうち痴漢だけじゃなくなった。知らない男の人が家まで付いてくるようになった。知らない人から電話がかかってきたり、私の行動が詳しく書かれた手紙が来たり。夜道で追いかけられたり。なるべく女性ぽくないよう、髪をみじかくして、私服はスカートをはかないようにした。男の人になりたかった。
高校を卒業し、学校近くの女子寮から通学するようになっって、ようやく解放された。
すっかり嫌な思いをしなくなって「もう大人になったから、だいじょうぶになったんだな。」と、安心してた。しかしもっと酷いことが待っていた。就職してアパートに一人暮らしをするようになった。年のいった大家さんの家の上の古いアパート。すっかり油断していた。
引越してしばらく、同じアパートにすむ男の人がよく話かけてきた。「彼氏いないの?一人だと不安でしょう。何でも相談乗りますよ。」。馴れ馴れしいのが嫌で、適当にかわしていた。ある日家のなかに、その近所の男がいた。びっくりしたのと恐怖で、大家さんのところにとんで行った。すると「え?付き合ってんでしょ? 彼からそう聞いたよ。結婚も考えているって。なんか内緒でプロポーズしたいから、鍵あけるよう頼まれて。いい彼氏だね~。『〇〇は隙だらけだから、他の男にとられないか心配』って言ってたよ。だめだよ、心配かけちゃあ。なかなか彼みたいないい人はいないよー。」とにこにこして言われた。この人に説明しても無駄と悟った。まだいたら警察に行こうと思い部屋に戻ると、いなくなっていた。速攻で実家に帰り、二度とそのアパートには足を踏み入れなかった。
その後も悪夢は続いた。どんどんエスカレートしていった。前の会社の同僚からストーカーを受け、警察沙汰になった。
ストーカーがいなくなっても、また別の人からいたずら電話、やらしいことばかり書いた手紙、変なビデオ。アルバイト帰りに襲われかけたりもした。親は私に「いい加減にしろ!ストーカーでどんだけ迷惑かけたと思ってんだ」と怒鳴り散らす。
ほとんど今は引きこもりだ。たまに外で大きな足音がすると、体がびくっと反応してしまう。こんな私でも、いつかは結婚できるのだろうか。子供を持つことも可能なのだろうか。
追記
釣りやコピペで書いてません。読む人が読んだら(友達とか)私のことだとわかります。
そして私は美人ではありません。地味で、今時な感じじゃないです。だから何でこんなことになるのか、余計わかりません。
《舞台は、以前自分も住んでいた、実家のマンション。両親などの人は部屋の中にいないが、体長2メートル以上の、灰色をした、頭がスキンヘッドの怪人が横になっている。首から上が、亀のように肩の中に引っ込んだり、出たりしている。
怖れて自分は逃げ出した。玄関からではなく、二階のベランダ側から、手摺などに掴りながら降りる格好だった。なぜか、このときは全裸だった。
人の目も気になるし、マンションのベランダ側から側面へ回ると、狭く小さな公衆便所と思しき部屋に入った。中はプラスチック製で、いかにも汚い。しかし自分のものではないが、割ときちんとしたスラックスやシャツが置いてある。スラックスにはベルトも通してある。
これ幸いと着込んでいると、外から男が小さな窓から覗き込みながら、出てくるようにと呼びかける。
何とはなしの微妙な罪悪感、責められているような気分を味わいながら、まるで連行されているかのように、外の道路をその男と歩くところで夢は終わった。》
…悪夢というほどではないのだけれど、後味の悪さが残る夢でした。
最近、ソープランド通いをちょこちょことしていることと関係がありそうです。独身だし、全面的に悪いことと思ってはいません。具体的に何かと言われると考え込んでしまいますが、こういう所でなければ習得しえないこと、知りえないことも少しはありそうです。
しかしやはり、マイナスの側面も感じざるを得ず、ただ無邪気に楽しむことはできません、その辺の葛藤が現れているのかなと思いました。
冒頭の巨人は、性器を連想させます。取り扱うことの困難な、「性欲」という怪物が化体するとこんな感じになりそうです。
そして、無防備で恥ずかしい裸ということ。ソープ通いなどというものは世間体が悪いもので、あまり大っぴらにできるものではありません。しかし同時に、裸であること、即ち素直であることと言い換えると、「裸でいたい」という願望もあるのかも知れません。実際、ソープランドの部屋の中では妙に素直な気持ちになり、見栄を張ったりするのはつまらないものだという気分になります。他愛の無い話をしていると、安らぎの感覚を得ます。そして、自分の貧弱でちょっとお腹がぽっこりと出た姿も、包み隠さず晒すことになります。
怪人から逃げて公衆便所に逃げ込むと、安心感と同時に、不快な汚さというのもありました。ソープ嬢に対する最大の蔑称は「公衆便所」だと思うのですが、言葉を手がかりにした連想が夢の中で働いていたような気がします。自分は特に、清潔な雰囲気を持った女性を好むのですが、そうであればあるほど、また、次第に打ち解けてくるほどに、ちらりと意識せざるを得ないのです。
そして、外から男に引っ張りだされること。小さな部屋に篭ったままでいないで、服を身に付け、外の世界に出ろと促がされているようです。ソープランドにいくら通ったところで、それは未来に繋がる行いではありません。
…ただ、こじつけかも知れませんが、夢全体の流れからプラスの側面も読み取れるかと思います。得体の知れない怪人から逃げ、外を歩けるような服を得ることができたのは、狭く小さな、公衆便所の中なのです。急いで身なりを整えさせ、笑顔で手を振って客を帰すソープ嬢に、少しは感謝の気持ちがあります。
だからといって「やらないよりはマシだろ」という考えでどうせ勉強したらしたで「こんな事もすぐに分からないのか出来損ない」と馬鹿にされる。良い成績を取っても「一位じゃないから」とまるで馬鹿にする人達が一位にでもなったかの様に嘲りにくる。
目が覚めているのに悪夢に魘され続けていて勉強どころではない。
現実逃避をしようとすると「勉強しろよ」「そんな風だからお前は馬鹿なままなんだ」「現実から逃げてばかりで恥ずかしい人だ」と現実逃避すらさせてくれない。
劣等感が酷い。嫌悪の表情をしていると「気持ち悪い」と言われる。
最近は何もやる気にならないので布団の中に入ってひたすら時間が過ぎるのを待つようにしている。しかしそれでもこの頭を駆け巡る嫌な記憶から逃げられるわけではないしどうしようもない。
楽に生きるか楽に死にたいんだけどそんな都合のいい話ある訳ないしね。
もう嫌になって勤めていない自分がいる。
普通にしていても、いつかクビになるんじゃないかなるんじゃないかと怖くて怖くて、
まともに働いていられない。
クビにならないんだもん。
いつクビになるかもしんない、と思いながら働いてると怖くて仕方ない。
履歴書を書く度に欝になる。
またクビになるんだろうなって嫌になる。
どんな職でもいいです、って妥協した結果が時給840円の肉体労働。
「お前なんか知り合いじゃなきゃ雇ってない」
辞めました。
死ぬ勇気がありません。
頑張ったけど、増えたのは年齢と職歴と薬の数だけ。
親が死んだらホームレスだろうな。
女のホームレスはきついんだろうな。
レイプとかされるんだろうな。
初めてがレイプかー。きついなー。
といってこの容姿じゃ売春婦になるにもつらい。32才だよ。男に声かけられたことないや。
大根つっこまれるほど痛いもんくらいは好きな人にもらってほしいなあ。
そのうち目も見えなくなる病にかかってる。
もうつかれたなー。
二年ニートしてるけど、何やっても上手くいく気がしない。
余談。
高校生時代、いじめられていて、いつもお昼は1人で食べていた。
本が好きだから、別に気にしなかったけど、一回くらいみんなで騒いでみたかった。
高校の学園祭で屋台を出してみたかった。うちは屋台禁止だった。
電車の中で寝てたら、前にいた同じ学校の子が私の泣き真似をしてみんなを笑わせていた。
あんまり怒りすぎて、上手く対応できなかった。
その子と偶然街で会ったら、子供がいて、旦那さんがいて、仕事は親のコネで団体職員だそうだ。
「あなた1人が好きだと思ったから声かけなかったんだけど」
それで人の真似をして笑わせていたわけだね。
君が忘れても私は忘れてないよ。
なんか、インドの人が来世を信じる気持ちが分かるよ。
不条理が多いと来世の自分は幸せで向こうは不幸せだろうくらい思わないとやってられない。
ところで、苛められる方にも問題はある、っていう奴は、
たいてい苛めてたか、虐めを無視してたかどっちかだと思っています。
泥棒に入られた家にすきがあったから、ってのと同じだよ。
悪いのは泥棒であって、その家にすきがあったからというのは、
泥棒がターゲットを選ぶ基準に過ぎないです。
すきがない家ばかりなら、泥棒は強盗になるだけです。
いじめもおんなじ。どんなにしてても、やる奴はやるだけ。
虐めは楽しいから。
一回だけ、近所の女の子をはやし立てて苛めることをしたことがあります。
別にその子はなにもしてない。いつもされてたのは私で、
すごくすごく楽しかった。
いつも苛められてたからってこともあるけど、
自分には沢山の仲間がいて、守られてて、こいつが泣けば泣くほどその子は弱くなって、
自分と仲間は強くなったような気がする。
その時、リーダー格が私に、
「お前だっていつもやられてるだろ。みっともないよ」
って言ってくれなかったら、私はずっと人を苛める側だったろう。
よく考えるとリーダー格はいつも苛めてるわけなんだけど、その台詞には感謝している。
あんなハイな体験、その後生きてきて比べられるのは小説が一次選考に受かったときくらいだ。
虐めをやめようとしたってさ、あんな楽しいこと辞められるはずがない。
ただ単に数人で1人をバカにするだけであんなに楽しいんだもの。
たった数時間人をはやしたてただけでそう思うくらいなんだから、日常的にやってるやつらはハイだろうなあ。
そういう奴らには、人工的にいっかい虐めを経験してもらうのが一番いいと思うけど、
そんなことになるのがオチかな。
とりあえず私はどうしよう。
精神科の薬飲んで寝て、今までのこと全部忘れる?
いつまで続くのかな、この悪夢。
起きたら今までは全部夢で、ほんとうは小学校の夏休みまっただ中で、いつまで寝てるのってお母さんにいわれてたらいいな。
そんときも苛められてたけど、プールに行く友達くらいはいたから。
また世話好きの知り合いの社長に心配され、とりあえずウチへ来いと誘われた。
とはいっても、働く気が無いわけではない。自分はとても仕事がしたい。
ブランクはあるし、年齢の割に洗練はしてないけど、ある問題さえなければ、出来ると思えることは山のように思いつく。
別に選り好みしているわけではない。できるんだったら、アルバイトだっていい。
なぜか年上に好かれるのと、学生時代に色んな仕事をしてたおかげで、人脈もあり、今回のように、ウチへ来ないか的なはなしがたまにある。
しかし、私は断る。
知り合いだからこそ、迷惑を掛けたくないからだ。
履歴書だけ見ると、上場企業を数回転職してきた、向上心あふれる人に見えなくもない。
それはある面で正しい。次こそは、あの悪夢が来なければ、と、思いながら、20代は転職をしていた。
仕事をやめる理由は毎回同じだった。
昼間から、突然ぶっ倒れるように寝てしまうためだ。
職場ならまだいい。会社のビルを前に、顔面蒼白で倒れることもあった。
最初は同情されるが、すぐに荷物になる。まあ当たり前だ。
原因は正直よく分からない。医者には大抵、自律神経失調症と言われるが、10年近く薬を飲んでも治らないので、2年くらい前にやめた。
慢性の鬱ではない。怠惰でもない。ただ、体が言うことをきかないもどかしさが、とても悔しい。
さらに5年前くらいから、みぞおちが刺すように痛み、毛穴という毛穴から脂汗やら老廃物やらがドクドクと流れ出るようになった。
これもまた医者で内視鏡やらなにやらで調べてもらったが、目立った異常が無く、結局また自律神経失調症だ。
こっちは初めての発作の時、本当にこのままだと死ぬと思い、救急車を呼んだりしてたレベルなのに、何もないんだそうだ。
そして運び込まれた病院で触診を受け、確かに胃が痙攣しているといわれ、首をかしげられる。
だから言ったでしょう。手を当てると、胃の中でカエルが暴れてる感じって、そう伝えたでしょう。
本当に、全く意味が分からない。
しかも最近、外に出るとまた失敗するんではないかという恐怖感から、ひきこもりがちになりつつある。
それでも私が努力しているのは、この体を何とかしなければ、もう生きるすべが無いと思うからだ。
今はほぼ、ドクターショッピングな日々を送っている。
それしか、自分が前に進む方法は無いからだ。
でもたまに、夜に苦しんだ分の脂汗を流すため、シャワー浴びながら朝から泣いてたりする。
どうしてこうなった、何をどう努力すればいいんだ、そういう感じで顔を歪めて。
医者通いも時々嫌になるし、全て放り出したくなることもある。
でもやらなきゃ始まらないとおもって、医学書や論文をあさり、目星をつけ、病院を回っている。
癌の人とかが代替医療を求めて転々とするのって、こういう気分なのかなー、とか思いつつ。
私にはやりたいことが山のようにある。
友達にわざわざ近所まで来てもらったりしたくない。
そんな願望を心に、私はもうすぐ35歳無職となる。
母はいつも私の友人を見ると眉をひそめてあれやこれやと欠点をあげつらった。
小学生の時はいいなりだった。あの子はかわいくないから、あの子はバカだから、あの子はデブで怠けものに違いないから、あの子の親は変だから、だから付き合うなと言われて、遊びの誘いを断り続けたこともある。学校では仲良くし続けても帰り道の途中からいつも一人ぼっちだった。家に帰ってから遊ぶ相手は誰もいなかった。むしろ家に帰ってから遊びに出かけること自体が許されていなかった。
中学生くらいからそういう母の戯言は聞き流すようになって、ときどきは休みの日に遊びに行くようになった。とは言ってもお小遣いをもらっていなかった私はみんなの遊びには加われないことが多かった。プリクラもマンガの貸し借りも繁華街もゲーセンも私にとっては入ることのできない場所だった。次第に友人関係はフェードアウトしていき、部活のつながりだが残った。毎日毎日学校に行って帰るだけの日々だった。部活の練習試合に行くのすら気が重かった。母にお金をくれと頼むのがしんどかった。
金を出さないと言われたことがあるわけではない。でも、暗黙の了解で、遊びに行くのは禁止だった。休日は家にいなければならなかった。休日家にいないことは、私にとってはすなわちお金が必要だということで、そのことを母に告げるときの針のような視線が痛かった。
母は私の友人を見かけたり写真で見たりするといちいち欠点をあげつらった。まるで自分自身が責められているようでいつもつらかった。彼女たちは別に悪い人たちではなかった。未熟なりに欠点はあったにせよ、話をしていて楽しい相手だった。でも母はいつも彼女たちを気に入らなかった。私の嫌いな人たちに限ってほめちぎった。
しんどかった。話をしたくなかった。何も頼みたくなかった。私の交友関係に土足で踏み込んでくるそのやり方が気に入らなかった。
だから私はただ口をとざして、数少ない友人とだけ学校生活を過ごした。学校での生活は悪くはなかった。よくもなかった。少なくとも苦ではなかった。
休日は苦だった。家にいても外に行っても責められているような気がした。家にいればいれでなんやかんやと小言を言われたり、友達もいないのかと嘲笑われたりするのだ。かといってどこかに遊びに行けば、罪悪感がずっと心の中を支配していて楽しめなかった。実際に楽しい思いをすることもあまりなかった。お金がなかったから。そのくせ、どこかへ行くと母は必ずお土産を要求した。土産としてなにか買って帰らなければ家に入れてもらえなかった。ただちょっと近所に行くだけでも、友達の家に遊びに行くだけでも、土産を買って帰らねばならなかった。大した金額のお金を持っていない私にとって土産を買うことはとても辛いことだった。お金がないことがいつの間にか心の深く深くに根を張ってしまい、お金がないことを理由に誘いを断るようになっていった。友人たちはそうか、仕方ないよねといって特に責めなかった。誘いを断るたびに私はひどく落ち込んだが、友人たちは決して責めたりはせず、みんなで出かけた後は私にお土産をくれたりした。私はそれを返せないことをひどくすまないと思ったが、彼女たちは気にしなくていいと言ってくれた。本当に心優しい人たちだと思う。
大学に進学して、そこで私は愕然とした。お金の使い方がわからなかった。一人暮らしを同時に初めて、そこで買い物ができなかった。スーパーのどんな品物も高く思えた。すぐにお金が尽きてしまうような気がして、しばらく空腹のまま過ごした。私の中でお金は使ってはいけないもので、遊びにいってはいけないものだという固定概念がすでにできてしまっていた。もちろん遊び方もわからなかった。飲み会も初めてだった。休日にどこかに行くというのは考えられなかった。学校とバイト先の往復、友達ができても遊びの誘いを罪悪感から断っていたらすぐにフェードアウトして行ってしまった。頑張って何度か遊びに行っても、同じような金の使い方はできなかった。なくなってしまう、生きていけないという思いの方が強くてお金が出せなかった。ファミレスの食事など地獄のようだった。高い。高い。どこへ行ってもお金がかかる。どんどんお金が飛んでいく。私は恐慌状態だった。生きていける気なんてしなかった。その結論として選んだのが、部屋にできるだけひきこもり、友人を作らず、とにかくアルバイトをし続けるということだった。
通帳にはどんどんお金がたまっていった。それでも私には足りなかった。どんなに稼いでもためても、すぐになくなってしまう気がしてしょうがなかった。100円のものを買うのにすら何十分も悩んだ。自販機で缶ジュースを買うことすらできなかった。コンビニは私の敵だった。
やせ細っていく私を母は笑った。一人暮らしなんてできるわけがないと思っていた、帰ってきなさいと笑った。でも私は帰らなかった。母は怒って私の通帳を取り上げて新車を買ったが、私はただ黙々とまたアルバイトをしてお金を貯めた。歯をくいしばって泣きながら、体も壊して、でも働き続けた。いつもお金がなかった。お金を取られないように細かくいくつもの通帳に分けて管理した。徹底した管理で家計簿の一円単位まできっちりと毎日記録した。毎日お金のことしか考えていなかった。
大学時代の友人はいない。あの時をどうやって過ごしたのかも覚えていない。時々、高校時代の友達が遊びにきてご飯を食べに行くと、高いけど大丈夫?とみな聞いた。私は泣きそうだった。泣きそうでも大丈夫と答えて笑った。みんなやさしかった。私の頼む量が少なくても何も言わなかった。私が店の前でためらうと別の店にする?私あんまお金ないんだよねと先回りして気遣ってくれた。
その優しさに私は何も答えられていない。なにも返せていない。
社会人になった年は特にひどくて周囲の人と合わせてお金を使うことがひどくストレスだった。それでも我慢して使っていたら慢性の胃炎とめまいと貧血が常に襲ってくるようになった。表面上は笑って過ごしても休日は布団から起き上がれなかった。ただ、救いだったのは同期はみなお金がなかったことだ。無計画に使って、給料日前には後いくらしか残ってないとげっそりした顔で言っている同期もいた。スーツが買えないと愚痴をこぼしている同期もいた。その中でお金がないというのはそれほど苦痛ではなかった。お金がない、という状態を誰かと共有したのはその時が初めてだった。いや、正確に言うと私は今も相変わらずあまり使うたちではないので彼らよりはずっとお金があったのだが、でもあとこれだけしか使えないという感覚の共有とそれを口に出してよいことが新鮮だったし、救いだった。彼らに合わせるのは大学時代よりは苦ではないということに気づいたのはしばらくしてからだった。それからは徐々に体調も戻って、少しずつ使える額を増やしていけるようになった。同期とは今も仲良くしている。たまに飲みに行くこともある。休日にまで会うことは少ないが、でも浅くゆるくつながり続けている。
今でも時々悪夢で目覚める。所持金も口座もすっからかんになっている夢だ。そのくせ必要な出費が次から次へと押し寄せてきて途方に暮れる夢だ。いまだにあの感覚が私の中に残っているのだと知って暗澹たる思いに打ちひしがれる。あの底知れない闇の底を思い出して恐怖する。いまだに、ケチくさいなどと嫌味を言われることがある。それでも少しずつ、人より遅い成長をして、なんとかつかみ取ってきた。異常から正常な方へ、誰かの親切や優しさに導かれてやってくることができた。この感謝は誰に返せばいいのだろう。与えられたものは誰に返せばよいのだろう。どうやって返せばよいのだろう。お金で返すのは汚いだろうか。そういうことをなぜかぐるぐると考え続けている。
ブライアン・ラムレイの「地を穿つ魔」を読んでたら、タイタスとアンリは恋愛関係に置き換えて萌えてもいける!みたいな超絶電波なことを考えて自分で自分に戦慄した。今までSF/ファンタジでそういう妄想をやらかしたことなんてなかったのに!
やべーちょっと落ち着こう、あの名状しがたき板でおぞましきスレがなかったら本当に反省しようと思ってさがしたら、
あった。
しかもpart2だった。
よかった、自分だけじゃないと安心したはいいものの、これ、私もスレ住人もちからのかぎりSAN値が下がっているだけなのかもしれない。
いくつかのレスには心の底から困惑させられた。神が我々に与えた最大の恩寵は物の関連性に思い当たる能力を我々から取り除いたことであるのに!しかしこのまま私の萌えSAN値がさがっていったら、ナイアールラトホテプはコスプレ好きとかクトゥルフはヤンデレ攻めとかの意見に納得してしまうのかもしれない。
そのうちクトゥルフを飛び出てSFまで妄想がすすんじゃってディアスポラのヤチマはショタ受けとかマイクロフト×マニーとか言い出し始めるのかもしれない。ヘインズとレーシーはリバでいける、とかそういう悪夢じみた恐怖の広がりが私の中に渦巻いてしまうのかもしれない。
個人ブログにも書いたけど反応が見たいので転載します。ルール違反かな…。
混んでるのは避けたいなあと思いつつなかなか行けなかったんだよね。
さて、「破」を見て思ったのは、いよいよ「悪夢」が現実化してきたかなってこと。
11年?12年くらい昔になるのかなあ、当時生まれた子供はもうじき中学生だ。
旧エヴァがああいう形で終わり、旧エヴァの天に昇れぬ魂は地上のオタクはおろか業界にまで呪いをかけ縛り続けてきたんだと思う。
アニメ界は一時期エヴァリスペクトみたいな作品が沢山作られたし、エヴァでクローズアップされたのかな、セカイ系のライトノベルが腐るほど量産されたし、京アニ作品群(AIRとかハルヒとか)には大抵「エヴァを超えた」なんて枕詞が付く(京アニファンが言ってるだけだろうけど)。
同人誌もものすごかったし(エロばっかりじゃなく考察系や文学系、芸術系も結構多かった)、当時はまだインターネットがそれ程普及してなかったけど、サイドストーリーやエヴァアフター物なんてのが溢れんばかりに作られた。
で、結局これって、旧エヴァがアン・ハッピーエンドだったからなんだよね。
「幻魔大戦」を書いた平井和正氏は「ハッピーエンドは物語の死である」と言っている。
つまり、ハッピーエンドであればもう足すものも引くものも無い、更に何かが続くことなどありえない、無限の可能性は失われ物語は完全に終わってしまうわけ。
旧エヴァはハッピーでは無かったからこそ、せめてファンの手でと、供養の花束を贈り続けることになったわけだ。
でも、ヱヴァは本気で終わらすらしい、しかも見たところ、ハッピーエンドとして終わらす気配が濃厚だ。
旧エヴァの魂はいよいよ天に昇るのかもしれない、が、それは同時に無限の循環にあった物語が終着点にたどり着くことを意味する。
もうファンはエヴァで遊べなくなるのだ。もちろんパロディという意味での遊びは残っているが、エヴァの世界にはこういう可能性があるかもしれないと夢想する遊びはできなくなってしまう。
楽しかった終わり無き日常は終わりを告げる、ビューティフルドリーマーは目を覚ます。
当時、エヴァを心底楽しんでいたファンとしては、続きはもう見たくないと思ってしまう。
ものすごく勝手だけど、続き作らなくていいよとすら言いたくなる。
つらい。
映画館で、あれだけ泣いたのは初めてだ。それも、30代半ばのおっさんになって。
自分でも始末におえないとは思っている。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版「破」
事前の情報で、エンターテイメント性に振ったものになっていると聞いていたし
そもそも今の自分は「エヴァ」にそれほどこだわっていないつもりだった。
「序」も、ポップコーン食いながら超まったりな鑑賞だったし。
だから、すっかり油断していた。
95年の秋から、97年の映画版EOEまで。
僕はすっかりエヴァにはまっていた。
大学生活が終わりを迎え、就職活動に向かっていた大学生の僕は社会生活に、そして自分にすっかり自信を失っていた。
いや、そもそも自信なんて持っていなかった。
学生時代のかなり長い期間イジメに遭い、精神的にはボロボロで。
外見やら身だしなみやら話し方やら、改善しようにもどうしたらよいか分からず見当違いのことばかりをして。
勉強はそれなりに頑張っていたから、それなりの大学に入ったけど、誰に褒められることも無い上友人は少なく授業は厳しく。
今までの人生における、努力に対する報われなさ感は最大、絶望感も特大、最低の時期だった。
そんな折、エヴァに出会った。
周囲から無理や理不尽を押し付けられる中、一時的には逃げつつも何とか踏みとどまって世界と折り合いをつけようとするシンジ君に
僕は共感以上のものを覚えた。
そして、彼に自分を重ね合わせ、彼が幸せをつかめることを、僕がこの境遇から抜け出せることを、切に願った。
TV版で相当やられていたけど、まあそれはそれとして。
正直映画版見終えた後、茫然自失になり、しばらく何をしたか覚えていないくらいショックだった。
「エヴァ」とは正反対に、自分の状況は就職してから急激に好転した。
精神的な余裕ができて、色々な物事にチャレンジできるようになり。
時間や金銭にも余裕もできて、遊びの幅も広がり。
拷問のような学生時代のことは、時折悪夢として夢に見る程度で意識しない限り思い出さなくなっていった。
もう一度言う。だから、すっかり油断していたんだよ。
特に、ラストの20分くらいはもう本当に涙が止まらなくて。
彼が、自らの手を伸ばして何かを掴み取ったことが喜ばしくて。
闘うという決意が報われたことに、雨が上がった後の青空のように気分が晴れて。
90年代半ばの自分が求め続けたものが、そして決して得られなかったものが、そこにはあった。
あれは確かに「エヴァンゲリオン」の「続き」だった。
間違いなく。
僕にとってはそれだけで幸せだ。
以上、掲示板やBlog等読んでいて、昔ほど感情的な感想が無いなぁと思ったので書いてみた。
皆成長したんだな。僕みたいにアレを引きずっているのは少数派になったのか。
当時わたしは彼に振られたばかりで絶対☆きれいになってやる!!と決心したのだった。
ダイエットファッションスキンケア…できることはすべてやった。
外見はそれなりにはなったと思う。
中身もいろんな人と関わってコミュ力をあげたと思う。
そんなある日の話。
予期せぬときに予期せぬことがおこると、どうすればいいのかよくわからなくなる。
私はクラスメートの一人とふたりきりになっていた。
彼は生まれて初めての発言として意味のわからない言葉を発した。「付き合わない?」
「っは?」
いやいやいや意味わからないから。今まで一度も会話したことないのになぜそうなる?
当然のようにお断りすると私の友人と彼の友人(二人はカップル)他数人がぞろぞろとでてきた。
「なんで?ひどくない?好きなんじゃないの?」
話を聞いてみると、最近私がきれいになったのはそのクラスメートのことが好きだからで、
いい感じで話しかけるようになったのを見て間違いないと思ったのだそうだ。
確かに学園祭用のTシャツの注文枚数をにこやかに聞いたことはあったけど…それ以外に思い当たるふしがないんですが??
あの発言は「(俺のこと好きなんでしょ?)付き合わない?」だったのだ。
なんという壮大な勘違い。
思わず言った。
「別に、あのひとのためにしたんじゃないんだから!!!あの人のことなんでどーだっていいんだから!!!」
はっと気がつく。当時某キャラの流行のせいで「別にあんたのためじゃないんだからね!!」という言葉が日常会話として流行っていた。
その言葉の真意は言うまでも無い。
「違うのに…違うのに…。こんなやつのために努力してきたんじゃないのに…!!!」
全身の力が抜ける。
あんな悪夢は2度と見たくない。
↑の元だけど
http://anond.hatelabo.jp/20090613093337
悪夢はすっげぇつまんなかった。
単調だったし当時CV無かったし。
なんで売れたか未だにわからん。
(SEEKはまだ面白さはあった)
・・・「懐古厨乙」っていわれそうな発言だな・・・
スワト渓谷のタリバン壊滅作戦は政治基盤を弱め、原理主義を根付かせる
米国としては「こんな筈じゃなかった」と悔やむことしきりだろう。
パキスタンが無政府状態の混沌にある。ますます反米感情が激化している。核兵器の安全管理はむしろ危うくなった。ムシャラフ軍事独裁時代のほうが、核兵器は管理されており、国内にこれほどのテロリズムの嵐が吹き荒れることもなかった。
中国がパキスタンと半世紀にわたる「軍事同盟」を結んできた理由は地政学的に判断すれば、きわめて単純である。
インドとの間における絶対的な緩衝地帯であり、パキスタンもインドを敵視しており、軍事同盟の条件は揃っていた。中国と合弁の武器工場はパキスタン各地にあるが、戦車から戦闘機、機関銃まで量産している。
主として中国が援助したのだ。
中国のテコ入れは、両国にとっての共通の敵=インドをパキスタンが横腹から牽制し、もしインドが強ければ、代理に核兵器をぶっ放して呉れると結構とばかり、パキスタンに核兵器の技術も提供した。
美貌の女政治家、ブッドが首相をつとめていた時代のこと、核兵器開発を軍情報部が秘密に展開していた過程は首相にも知らされていなかった(ブッドが亡命先のロンドンで『TIME』とのインタビューで語ったことがある)。
まして現在のブッドの夫=ザルダリ大統領にも知らされていない。陸軍参謀長はカヤニだが、その実力は大変なものがあり、またシャリフ前首相とも天敵の関係。隙あらば暗殺される可能性がつねにあり、パキスタンの政治家は命がけである。
シャリフ元首相の再登場というシナリオも日々現実味を帯びてきている。
ならばパキスタン国民は悉くが「反米」「親中」かといえば、そういう単純で短絡的図解ではひどく誤解を招くだろう。
現地に行ってみるとよく分かるが、パキスタン人はかなりの程度、高潔である。そして狡猾・老獪である。昔も今も族長支配の封建政治がパキスタンを支配している。イスラム原理主義の猛威は、この封建制度のうえにこそ成り立つ。
むろんパキスタン人のなかには武器の密輸、麻薬に手を出す者もいれば犯罪者も多い。紛争が長引き、教育が遅れているため人々は道徳的に荒んでいる。
原因は貧困である。
貧困がアルカィーダの戦闘員を育てる。サウジアラビアやイエーメン、スーダンでなぜ、滅びたはずのアルカィーダが容易に息を吹き返しているのか。
繰り返すが、原因は貧困である。
実際にパキスタンやアフガニスタンでも、タリバンを支持する階層は三つにわかれ、!)指導層はイスラム原理主義だが、!)貧困による志願層(世直しを信じて志願兵になるから自爆テロはやりやすい)があり、そして!)タリバンが麻薬資金で得たカネで雇う傭兵である。
教育はイスラム教が牛耳っている。神学校は12500ケ所。タリバンは「神学生」の意味である。
実際にグアンタナモ基地(アフガンで捕獲した戦闘員をキューバの米軍基地へ連行)で尋問したアルカィーダ戦闘員容疑者のうちウィグル系の五人は、そのごアルバニアへ亡命を許されたが、まず傭兵といってよく、「良い働き口がある」と騙されて新彊ウィグル自治区からアフガンへ潜入したばかりだった。
パキスタンは同盟関係と武器援助最大のスポンサーでもある中国には、情け容赦なくウィグル系容疑者を引き渡したが、04年に引き渡した容疑者は中国ですぐさま処刑された。国際批判をもろともせず、パキスタンは09年にも七人を中国へ引き渡した(ワシントンタイムズ、4月24日付け)。
米国は普段の態度、原則と異なり、このことでパキスタンを咎めなかった。じつにいい加減である。
さてタリバンが猖獗する地域はパキスタンとアフガニスタンとの国境ばかりではない。
パキスタン政府の統治が及んでいない地区が多いが、西北部のスワト地区がとくにそうだった。同地区の38%が政府支配、残りの24%が武装勢力の支配下にある、とBBCが伝えた(09年5月14日)。
この地域はインドとの戦争のときにインドから逃れてきた難民が住み着いてきた。
ワジリスタン地区の南北も同様、人口密集のパンジャブ州(8200万人はパンジャブ州に暮らす)とて47%の住民は政府の遣り方に反対だという。
主流の部族はパシュトーン族、言語はウルドゥ語。ほかにインド系、タジク系、イラン系、ウズベク系など雑多な民族が混在、人口は一億七千万人!
そもそもパキスタン政府が国全体をおさめきれないのだ。部族中心主義のイスラム国家に於いてはアフガニスタン同様に西側民主主義なんていうのは、システムも発想も馬鹿の典型、部族長が決める政治である。
だからパキスタン軍はスワト地区に手を出さなかった。ザルダリ大統領は同地区に厳格なイスラム法の適用を認めるほどに妥協してきた。
まして軍情報部はタリバンのシンパが山のように潜入しているため、軍事機密情報が漏れる。攪乱情報や偽情報に振り回されるとパキスタン政府軍がタリバンに負ける恐れもある。
パキスタン政府のタリバン撲滅路線が曖昧さから強硬路線へと方針が180度変わったのは米国の変心による。
オバマ大統領は、5月6日にアフガニスタンのカルザイ大統領と、パキスタンのザルダリ大統領をホワイトハウスに呼んで会談した。会談内容は秘密だが、爾後漏れてきた情報は、核兵器の安全が米国の最大関心事ということだった。
つまりパキスタンが保有する60発から100発の核兵器がタリバンに奪取されるという空恐ろしき悪夢が現実のものになりつつあると言うのである。
これには前段がある。
ヒラリー・クリントン国務長官が議会証言で「パキスタンの核兵器隠匿場所は全土に拡大した恐れが強く、管理リスクが増大している。パキスタン政府が完璧に管理できないとなると、タリバンの手に渡らないとも限らない」(4月23日の議会証言)。
そしてヒラリーはこうも言った。
「われわれはイランの核をたいそう懸念しているが、イランはまだ核保有に至っていない。だがパキスタンは既に保有している」。
01年9月11日の同時テロ以降、米国はパキスタンに対して核兵器貯蔵場所の安全確保のために一億ドルを供与してきた。
それも水泡に帰す恐れがある。
幸いにしてザルダリ大統領はブッド元首相の夫君でもあり、欧米のウケがいい。
カルザイ(アフガニスタン大統領)は、米国あってこそ存在できる政治家であり、そのカブール政権の不正と腐敗に目をつむってくれる限りは米欧に協力するだろう。もともと米国の傀儡としてカブールに入り、しかもいまも依然としてカブールしか統治できない無能力政治家だが、タリバン退治には欠かせない人物である。
▲史上空前の難民が発生、こんな筈ではなかった
ザルダリは突如決めた。
タリバンが多く潜伏するとされたスワト渓谷への本格的攻撃を命じた。
パキスタン軍とて、2007-08年の戦闘で1400名の兵士が死亡、4000人が負傷している。
キラニ・パキスタン首相は「テロリストと武装勢力を壊滅させるまで闘う」と記者会見し、二月に合意したばかりの武装勢力との停戦合意を破棄した。
パキスタン軍の発表では爾来、1100名のタリバンを退治したという「成果」が声高に発表された。
大変な事態が付随しておきていた。
スワト渓谷の多くでは「水道が壊れ、電気がとまり、食糧が底を突き、猜疑心が交錯し、機関銃の乾いた音がそこら中に聞こえ、流れ弾でつぎつぎと住民が死んでいく。電話が通じなくなった。住民は着の身着のままで逃げ出す」(NYタイムズ、6月1日付け)。
難民は既に240万人、毎日8万5000人が難民となって周辺の集落からラホール、イスラマバード近郊の難民キャンプへ押し寄せた。すぐに食糧、医薬品不足に陥った。
西側の支援物資はとどかない、食糧支援は圧倒的に足りない。いや西側の援助団体がテロの対象となって警備が希薄なため、援助物資が届かない。
難民は暗闇の中で死の恐怖と闘っている。
「パキスタンのスワト地区で発生した難民の数もスピードは嘗てのカンボジア、スーダン、イラク、ルワンダのそれより早い」(英紙『インデペンダント』、5月31日付け)。
5月27日、ラホールで自爆テロ30名が死亡した。「パキスタンのタリバン運動」が犯行声明。この団体はブッド首相暗殺に関与したとされる。
にも関わらず5月31日にパキスタン軍情報部は「完全勝利」を宣言し、「ミンゴラを完全制圧した。治安回復はすぐだ」と豪語した。ミンゴラは武装勢力の拠点の都市である。
アルノー・ド・ボルシェグレーブは絶望的な近未来を語る。(アルノーは元NEWSWEEK編集長、アフガニスタンのロシア侵略を追求した国際的ジャーナリスト、作家)。
「神学校では毎年毎年二百万の若者が卒業する。パキスタンでは職がない。パキスタンは誰が敵か、誰が味方かも分別できない、戦争定義のない、戦争国家に陥った。タリバンは、かのロシアと闘ったムジャヒデンの子供たちである。ムジャヒデンは勇敢にロシア兵と闘い、そしてイランでは52人のアメリカ人を人質にとって米国大使館を444日間にわたって占拠した。パキスタンに猖獗するイスラム原理主義は同国政治の根幹をすでに奪胎している。イランがホメイニ革命前すでにイスラムの見えない統治があったように」(『ワシントン・タイムズ』、4月28日コラム)。
大規模にアフリカの農地を借り上げ、植民地として食糧増産計画を実現する野心。
マダガスカル政府は130万ヘクタールの農地を無償で99年間、韓国の大宇財閥に貸し付け、そこを農場に転用させて大増産を行えば外貨が入り込み、現地の雇用も増え、農業技術も進展し、食糧が豊富になるという夢のプロジェクトに乗った。これを持ちかけたのは韓国だった。
「それは新植民地ではないか」とマダガスカル政府への反対運動が拡がり、クーデタが発生して政権が転覆、韓国の野望は潰えた。
http://www.anzen.mofa.go.jp/info/spot_top5.asp?id=119&num=3
英誌『エコノミスト』(09年5月23日号)に拠れば、狙われた農地で失敗した例は他にも中国が狙ったフィリピンとモザンビークの例がある。
フィリピンで借り受ける予定だった農地は180万ヘクタールの土地だった。
失敗例はほかにもサウジアラビアがインドネシアと交渉し、50万ヘクタールの土地を借りうけ農地にする予定だった。
しかし当該国家では、「新植民地主義」などという批判はすくなく、地主らが積極的に外国企業に農地を貸している国が多い。
筆頭はロシア、ウクライナ。とくにウクライナは40万ヘクタールの農地使用権をモルガン・スタンレイに売った。
「キング・アブドラ・イニシャティブ」という農業プロジェクトはマレーシアに米農家をつくり、すでに国王は「マレーシア産、サウジ胴元の米」を食した。
食糧不足により世界的に農地借り受けプロジェクトは拡大しているが、ダントツなのが中国である。すでに米国に広大な養豚場を立ち上げ、この用地はゴールドマンサックスを通じて、中国はなんと5億ドルを投下している。
全世界で中国が獲得した農地は明らかになっているだけでも数百万ヘクタールにおよぶ。これを追っているのが韓国、UAE、サウジ、カタールなど。
▲基本的な食糧には目もくれず、バイオ燃料を狙うヘッジ・ファンドが露骨に介入
とくに中国が投資したなかでコンゴの280万ヘクタールが飛び抜けて目立つ。史上空前の規模である。ここではヤシ油が生産される。
アフリカが如何に貧困と雖も、ひとつの国が外国にこれほど大規模な土地を提供するのは中国向けが最大である。
ザンビアでも200万ヘクタールの農地使用が交渉中、すでに現地の養鶏の四分の一は中国資本と言われる。
しかしながらザンビアでは中国の遣り方に不満をもつ民衆が立ち上がり反中国暴動が発生している。あまりに露骨な農業の搾取であり、政権への賄賂は腐敗の象徴ではないか、という批判が巻き起こっている。
このような新植民地主義的な海外農地への進出は、表面的に見れば「食糧不足の解消」である。
だが、ベンチャー・キャピタルや新興ヘッジ・ファンドが混在し、面妖な農業ビジネスがまかり通っている。
旧来の小麦、芋、バナナなどに目もくれず、かれらはトウモロコシなどエタノール燃料(とうもろこし)の増産を狙う気配が濃厚であり、なにしろ値上がりの見込める品種しか興味がない。
過去一年、大豆は78%値上がりした。米は130%。一方で世界各地では食糧のストックがそこを尽きつつある。
タイミング良く格好の解説書がでた。
国際情報通の浜田和幸氏が書いた『食糧争奪戦争』(学研新書)である。浜田氏は、この本のなかで、異様な食糧ブームの背景を次のように描く。
「今世界はかつてない食糧生産における危機に直面している」が、「食糧生産国の間では農作物の輸出制限が強まってきた。食糧の値段は高騰を続け、貧しい途上国に於いては食糧を確保することが日々困難となりつつある。100万人単位で餓死者がでるという悪夢のような状況が現実のものとなり始めている」
と警告する。
国連FAOも「十億人を超える人々が満足な食事をとれていない事態が続けば、途上国を中心に政治的に不安定な状況が生まれ、治安の悪化やテロの引き金になる可能性が大いに懸念される」
と事務総長が警告を発した。
第一は食糧不足で、むしろ太っているアメリカのアグリ・ビジネス。とくにカーギルやモンサント、これに乗じて食種の種子の特許を独占しようとするビル・ゲーツやらヘッジ・ファンドの魑魅魍魎的な動き、他方で家庭菜園をつくって防御に走るアメリカ国民だが、その家庭菜園の率先役がオバマ夫人だという矛盾。
第二に「自然災害を装ったテロの可能性が否定できない」という指摘である。
つまり「ヨーロッパや地中海地方を襲う異常な熱波や寒波、またアフリカを襲う大規模な干魃、そしてスカンジナビア半島を飲み込む氷河期の到来」が危険視されるものの、じつは「人工的に(干魃が)生み出されているという説」が流れており、「背後には一部の政府機関や民間企業がかかわっている」という空恐ろしい現実が指摘されている。
いったい、そうなると先進国で最悪の食糧自給率を誇る日本はどうするのか?
第一は「耕地面積の減少」であり、工業化による減反、中国の農業地帯では農地をごっそりと工業団地にしたが、「乱立してきた工業開発区の規制に」、中国政府は重い腰をあげて、ようやく「04年末には5000ヶ所あまりの開発区が撤廃された」ものの減反に劇的な歯止めがかからず、そこで中国は「海外に農場を確保する動きを加速させる」。
都市に就労する農民の群れに関しては説明が不要だろう。
時々、変な夢を見る。なんというかそこで繰り広げられている光景は明らかに奇妙で、意味不明で、合理性を欠いているのだが、
自分自身を含め誰もそんなことは気にしない。たまに、「何かおかしい」ということに気付いて、これは夢だと思い、
ほっぺをつねる。これで目が覚めることもあれば、そうやって目が覚めるという夢をまだ見ていることもある。
そして、どういうわけか目が覚めるとそれまで見ていた夢がいったい何だったのかさっぱり思い出せない。
しかし、昨日見た変な夢は何故か結構覚えていたので、ちょっと書いてみる。
私は世界を救う旅に出ていた。何でかわからないが、とにかくそういう使命を負っていた。そして何故かただひたすら走っている。
私は一人ではなく、数人の仲間がいた。だから恐れるものは何もない。ただひたすら前に進むだけだ。
途中で巨大なカブトムシみたいなのが出てくるが無視して突き進む。
街の中だろうと城の中だろうとかまわず、みんなで走る。みんな疲れないんだろうかとかは思わない。
その内、走ってるのが自分たちだけでなく、どこかの村の人やどこかの騎士団みたいな格好をした集団もみんな走っている。
進む方向はみんな一緒だ。なんだかよくわからないが、みんな力を貸してくれているようだ。
そして遂に旅の終着点にたどり着いた。普段は陽気で明るいメンバー達の顔が真剣になる。
当たり前だ。これから世界の命運をかけた戦いが始まるのだ。誰だって真剣になる。
しかし、そこで何かが変なことに気付く。何故かみんな行儀良く一列に並んでいるのだ。まるで上官を前にした軍人みたいに。
なんだかよくわからないが、自分もそれにならう。チームワークを乱してはいけない。
そして舞台の隅から足音が聞こえてくる。最後の敵の登場だ。
ここに来るまで今まで一回も戦闘なんてやっていないが、そんなことは誰も気にしない。
一人の男が出てきた。身長は170cmぐらいでタキシード姿でマイクを右手に持っている。
・・・・・・・・・・あれ?
男が口を開く。
みなさん、お待たせしました。それではごゆっくりお楽しみ下さい。
は?
けいおん リニューアル
・・・・・・・・・・目が覚めた。
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今日 起こった事を話すぜ!
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|l、{ j} /,,ィ//| 世界を救う旅に出て目的地に着いたと思ったらけいおんのコンサート会場だった
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった…
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -—一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 初夢とか正夢とか白昼夢とか悪夢とか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと恐ろしい、夢の不可解さを味わったぜ…
ああ、わかってるよ。多分疲れているんだと思う。明日までにやらなきゃいけない仕事もさっき終わったし、今日はもう寝るよ。おやすみ。