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2022-12-19

動物権利倫理バグ

動物権利ってのは功利主義の考え方からまれ

功利主義の「最大多数の最大幸福」のメンバーにヒト以外の動物も含めた幸福を考えましょうね、という考え方

「なぜヒト以外の動物を含めるのか?」と聞いたら「性差別人種差別と同じように種差別もよくないことだ」という回答が返ってくる

「いや、人間動物は違うでしょ」と返すと「それって人間中心主義じゃない?それこそ差別だよ」と返される

動物は嫌だとか言わないでしょ」と聞くと「その理屈だと赤ちゃんは何も言わないけど何してもいいってこと?」と返ってくる

赤ちゃん言葉には出来ないけど嫌と思ってるよ」と聞いたら「動物だって言葉に出来ないけど嫌と思ってるよ、赤ちゃん動物とでどうして区別するの?」と返される

赤ちゃんは成長すれば嫌と言える大人になるけど動物はその可能性がゼロだよ」と聞けば「それなら将来喋る可能性がゼロの寝たきりのヒトは最大多数の最大幸福対象外ってことにならない?」と返される

反出生主義とかもそうなんだが、論理が強固なんだよね

倫理について筋道だってちゃんと考えると泥沼にハマりがち

「この正しさを採用するのなら、あちらの正しさも採用しないとダブルスタンダードになる」といった連鎖がずっと続く

その終着駅が種差別とか反出生主

倫理バグ

なぜバグるかっていうと倫理ってのは「共感感情」が基盤になっている

自分がされて嬉しいことを他人にもしましょう」「自分がされて嫌なことは他人にしないようにしましょう」

自分がされて嬉しい/悲しいから、これをされたら他人もきっと嬉しい/悲しいはずだ」という共感能力倫理を作っている

この共感感情ってのがまた厄介で、「西洋キリスト教人間中心主義カウンター動物権利が取沙汰されるようになったわけじゃん?」と言っても「いや、倫理を形作る共感感情キリスト教に限らず人類共通のはずだよ」と返されてしまう原因になっている

ヒトはヒト以外の動物に対しても共感してしま

から差別という概念が生まれしま

ヒトはヒト以外の動物に対しても共感するかぎり種差別論理的には正しい

腹立たしい事に自分には反論する能力が無い

だが正しいからといって人々は正しき行いをしなければいけないわけではない

車が来ていなかったら信号無視道路を横断する歩行者もいる

信号無視をしたからと言って、信号無視は善き行いだと思っているわけではない

信号無視したことがあるヒトであろうとも、きっと子どもには「信号無視をしてはいけません」と教育するだろう

から肉を食べるし革靴を履くけどね、悪いなあと思いながら

2022-12-12

anond:20221212163155

全ての人が満足できる「社会正義」なんて実現できるわけがない

個人的には「最大多数の最大幸福」というのが最もベストに近いと思うのだが、活動家の人たちは「功利主義」だと言って批判する

結局のところ権力闘争なのだから、どの勢力につくのが得かということになる

2022-11-11

anond:20221111110024

このツッコミ分からんでもない。

義務論からは『世の中が改善やす状態』は関係ない」というツッコミは一つ上の増田の時点でなされるべきツッコミで、そこを敢えてその次の増田にツッコんでるのは、上増田=功利主義から暗殺肯定にはケチを付けたくないが下増田意見にはケチをつけたいという邪念を疑われてもしゃーない。

ただ、下増田も、合理主義義務論理解してないのでもうちょいちゃんと考えてくれ。

2022-11-10

anond:20221110194647

動物から倫理学入門(伊勢田哲治)』がおすすめ

https://www.amazon.co.jp/dp/4815805997

タイトルから動物倫理の本のように見えるけど、倫理学の基礎をきっちり説明した上で、それぞれを動物に応用したらどうなるか?という構成なので、それぞれの主義主張を基礎から応用まで幅広く学べる。

功利主義義務論の元となるメタ倫理学にもしっかり言及がある。

anond:20221110212418

救済か見殺しの二択ではないだろ

欧州自動織機が発明されたときは手織師組合抵抗圧は凄まじかったようだ

植民地時代功利主義だけど

そういう反動は織り込まれるわけだから圧を使うことは必要

anond:20221110211835

義務論から暗殺禁止されるよ。

功利主義だと暗殺した方が良いかどうかで違うけど。

きみ根本的に真逆で考えてるでしょ。

anond:20221110204114

妄想に囚われてんなぁ。

元増田功利主義が正しいとも義務論が正しいとも言ってないし、倫理学素養がある人はそういうこと言わんよ。倫理学は、◯◯論が正しいみたいなことを言わない。

anond:20221110121451

世の中が改善」とか「日本悪くしている」という想定は、日本全体での善悪の総和を見ており、「最大多数の最大幸福」という功利主義的な考え方に基づいている。

義務論からは、たとえ日本全体の幸福度が増えようとも、それが不幸になる少数者の犠牲を伴うなら許されない。

「世の中は変わらない」という前提は非現実的で、良くなる人も悪くなる人もいるというのが普通の想定で、その場合義務論からは救わないという選択になる。

anond:20221110130422

それならわりと簡単で、

功利主義からは、復活により2人以上死ぬなら復活させない、死ぬのが1人なら復活させてもさせなくても良い、だれも死なないなら復活させる。

義務論からは、復活により誰かが不利益を受けるなら復活させない、そうでない場合は復活させてもさせなくても良い。

anond:20221110102421

功利主義によれば、死者がより少なくなる選択をすることになる。安倍元首相が生きていると2人以上死ぬと考える功利主義者は歴史を改変しないことを選択するが、安倍元首相が生きていても1人も死なないと考える功利主義者は歴史改変を選択するだろう。

(中略)

義務論によれば、歴史改変による悪影響が何一つ存在しない場合を除き、歴史改変は許されない(この「悪影響」とは第三者(たとえば宗教2世)の死に限られない。)。

これが「安倍は死なせておけ」に見えるのなら、無意識に「安倍元首相が生きていると2人以上死ぬ」と考えてない?

anond:20221110115040

功利主義から暗殺正当化される。

義務論からは、これから暗殺を行おうとすることは正当化されない(禁止される)し、既に行われた暗殺正当化されない(批難される)けれど、歴史改変正当化されない(禁止される)。

というか、義務論は将来に向かって何を行うべきかという方向の話なので、歴史改変のような因果律の変更は義務論埒外のような気もする。結論矛盾しているのではなく、仮定因果矛盾している。

anond:20221109170231

これが「トロッコ問題であると指摘している人の多くが、実は「トロッコ問題」を正確に理解していない。

トロッコ問題は「5人の死と1人の死のどちらを選ぶか」という問題ではなく、「このままでは5人死ぬが、1人死ぬ方に切り替えるか」という問題だ。

この違いは「功利主義」と呼ばれる倫理体系からは同じに見えるが、「義務論」と呼ばれる倫理体系からは決定的な違いになる。

トロッコ問題では功利主義的に考えがちな一般人義務論意識させるための典型問題が、トロッコ問題バリエーションである「太った男」だ。その問題設定は次のとおり。

このままでは5人死ぬが、目の前にいる1人の太った男をトロッコの前に突き落とせば、5人が救われる。

多くの人は、「太った男」では「突き落とさない」ことを選択するといわれる。

「突き落とさない」を選択する倫理体系の1つが、「社会全体を幸福にするためであっても、その手段として人を利用すべきではない」という「義務論」だ。

トロッコ問題」でも、義務論的に考えれば「ポイントを切り替えない」すなわち「5人死ぬに任せる」という結論になる。

しかし、線路が初めから「1人死ぬ」に設定されている場合は、義務論からも「1人死ぬに任せる」という結論になる。

このように、「トロッコ問題」は同条件の2つから1つを選ぶのではなく、現状を変更するかという作為に関する問題だ。

 

これを踏まえて元増田問題設定に戻る。

功利主義によれば、死者がより少なくなる選択をすることになる。安倍元首相が生きていると2人以上死ぬと考える功利主義者は歴史を改変しないことを選択するが、安倍元首相が生きていても1人も死なないと考える功利主義者は歴史改変を選択するだろう。

それでは義務論からはどうか。ここで間違ってはならないのは、歴史を改変しないことは、「安倍の死によって多数を救う」という作為ではないという点だ。

もしこれが、安倍元首相暗殺されない世界線において「安倍を殺して多数を救うか」という問いであれば、そのような作為はまさに義務論が禁ずるものである。(逆に、功利主義からは、本当に救えるのならば推奨される行為である。)

しかし、現実には安倍元首相暗殺された、「何もしなければ安倍元首相死ぬ」という状況である

義務論によれば、歴史改変による悪影響が何一つ存在しない場合を除き、歴史改変は許されない(この「悪影響」とは第三者(たとえば宗教2世)の死に限られない。)。何らかの悪影響がある限り、歴史改変という作為は「誰かの犠牲によって安倍元首相を救う」という選択であり、それは義務論が禁ずるところなのだ

2022-10-20

宗教じゃ何もわからない

あなた正義論は功利主義リバタリアンリベラルか?と問うたほうが行動指針がわかりそうだけど

宗教聞いただけじゃ決まった時間礼拝をするかとか中絶否定派かとかしかわからん

2022-09-20

anond:20220920190305

支配者のための功利主義があれば、不幸を背負わされる人間いるからな

インド人イギリスの下で働かせられたし

日本兵は清やロシアと戦わせられて一瞬勝利したが、後が悪かった

anond:20220920125200

それ割と功利主義の発想そのものなんだけど、功利主義には幸福の総量を増やす上で多数派優遇するのが効率的であることから優遇を求めて多数派に吸収されたがる人が増える&少数派が無視されるというバグがあってな。

これが多くの人々が信じる幸福だとして突きつけられたものを受け入れられない人間は不幸になる。

まあ実はそういう発想で社会を作った結果、現代資本主義国家ベースが出来上がっていったんだよ。

2022-09-17

意思疎通のできない重度障害者安楽死させよ」という主張への反論

1.相模原障害者殺傷事件犯人は「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会不要存在であるため、重度障害者安楽死させれば世界平和につながる」という思想のもと犯行に及んだ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E5%8E%9F%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E6%96%BD%E8%A8%AD%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ここで犯人が訴えているのは、意思疎通のできない重度障害者はその存在が不幸で、かつ、社会的に何も生み出さないわりにそのお世話に多額の税金と労力が費やされていて、単なる社会お荷物から安楽死させればよい、ということだ。

なかなか先鋭的な意見で、絶対に賛成はしたくないと直感的には思う。しかし、理屈でどうやって対抗すればよいのか。この主張に反論するのは結構難問なのではないかと思うに至った。

2.意思疎通のできない重度障害者社会お荷物なのは事実だろう。彼・彼女らが社会に何か貢献できるかと言われれば、今の高度に複雑化した社会では極めて困難だろう。そして、いるだけで税金がかかってしまうし、介護医療などで人手も取られる。もし彼・彼女がいなければそこに投入されていた税金や労力を別に回すことができる。

実利的、合理的功利主義的に考えれば、彼・彼女はいない方が社会全体にとってよいという考えに至る人はそれなりにいるのではないか相模原障害者殺傷事件犯人のように実行に移すかどうかは別として。

こういう実利的、合理的功利主義的な観点から犯人優生思想反論しようとすると、なかなか難しい。

3.実利的、合理的功利主義的な観点から反論として「今回のコロナ禍で引きこもり属性強者となり、自宅でじっとしていられない陽キャ弱者となった。このように今の社会では確かにお荷物かもしれないが、社会の変化があったときにその属性強者となることはありうる。多様性に富むことが種の強みなのだ」的な言説に触れることが増えた。これも一つの反論としてはありうるだろう。

しかし、私は意思疎通のできない重度障害者が適者となる社会想像できない。それはどんな社会なんだろうか。また人類史においてそんな時代はかつてあったのか?

上記の「コロナ禍で〜」という反論も、ある特定タイプ障害特性の持ち主を殺処分してはならない理由とはなり得ても、意思疎通のできない重度障害者安楽死させよという主張に対する反論としては成功しているとは言い難い。

4. こちらのサイトには、優生思想に対する反論として

https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r170/r170_glossary.html#:~:text=%E5%84%AA%E7%94%9F%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%8C%E3%80%8C%E4%BA%BA%E9%A1%9E,%E3%80%8F%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%9B%B8%E5%BA%97%EF%BC%8C2008%EF%BC%89%E3%80%82

「「生きるに値しない生命」などない。人間生命に対して人間がそのような問いを持ち出すことは許されない。私たちは,あらゆる人間生命に対する線引きを頑なに拒否しなければならない。人間がこの世に存在するための特別な条件などどこにもない。

 私たち意識なかにそのような考え方が深く根を張らない限り,真の共生社会の実現などありえない。」

という説明がなされている。

しかし結局のところ、これとて実利的、合理的功利主義観点から反論できてなくて、「我々の住む日本は全ての人に人権があり、それを恣意的に選別したりすることを許さな社会なのだ。」という以上の意味を持たない。

言ってしまえば今の日本国憲法の「理念」に合わないから駄目という理念的な話だ。なんとも脆弱見解に思えてしまう。相模原障害者殺傷事件犯人はこの反論を受けても考えを変えることは絶対にないだろう。

5.犯人思想に実利的、合理的功利主義的な観点から反論を加えることはなかなか難しい。

この辺について専門家はどういう回答を持っているのだろうか。

それとも我々には「命の選別は許さない」という理念的で倫理的道徳的お題目念仏のように唱え続け、実利的で合理的功利主義的な思想に蓋をし続けるしか道は用意されていないのか。

2022-09-12

自分で物を考える”と“マイルールで好き勝手する”って裏表だと思う

道徳教育とか功利主義共通認識がしっかり根付いてないと

他人犠牲にした自己利益追求しかしなくなる。

学のない大衆は何も考えず社会ルールを守って生きてる方がよっぽどマシなのではないだろうか。

で、実際義務教育でやってる事ってそれなんだと思う。

2022-08-31

猫が死んだ時のこと

未だに興奮して眠れない記録魔の自分がすることはやはり記録することだった。

今の記憶は消えてしまう。失われてしまう。

時間による記憶喪失が愛しい者を失うことの感慨さえも洗い流してしまうなら

それは人にとって救いであり、希望なのかもしれないが私はそう思わない。

私の猫が死んだという事実は私が生きている限りにおいて永遠に記憶されるものであって欲しい。

死んだ瞬間は悲しくなかった。

実を言うと今も悲しくはない。

死んだ瞬間はその事実気づき、やはり死んでいる、生き物ではなくなり

外界を認知し変化させることのなくなった物体に変化した、そう認識した。

彼女に対して手を抜いたことはなかったとそう言えると思う。

から後悔はなかったのかもしれない。

医学は専門ではないがわからないなりに病院に行き、母と二人で注射器での薬の経口投与を繰り返した。

本人がどれほど嫌がろうとも。

猫の体調が悪いと気づいたのは一ヶ月ほど前からだった。

食事後に餌を吐くようになり、吐いた餌を食べたり食べなかったりした。

3日ほどで病院に行くことになった。

猫の体調が悪化するのと逆に自身の長年の体調不良回復していった。

糖分を取らなければもろもろの不定愁訴が解消していったのだ。

2年以上に渡る体調不良は米を取らない。その一つの行動から回復していった。精神科にも通った。薬の効果も実感している。

しかしながら生まれてきた中で思い出せる限りの長い期間常に自身体調不良だったのではないかと気づいた。

薬理的な効果以上に炭水化物を取らないことが自身の体調に寄与していることは明らかであった。

猫に話を戻そう。

とにかく彼女は餌を食べられなくなった。

異物を飲み込んだのではないか判断した医者は様子見の生徒剤の投与後、内視鏡による異物摘出を試みた。

さな毛玉が胃の出口のところにあった。

それを取り出したこと嘔吐は解消されるかと思われた。

しか彼女は変わらず吐いた。

その時点に至るまで二週間ほどがすでに経過していたと記憶している。

また、気管挿管の際にミスをしたのか、呼吸音が異常になっていた。

次にしたことは猫を飼い始めた時にノミダニの薬とワクチンを打ってくれた看護師に連絡することだった。

彼女らはすぐに来てくれ、この食事が良い。だの、この時期に猫が吐いてしまうのはよくあること。だの、医者は変えた方がいい。だの、と違う立場自由意見を述べた。

親切にしてくれたし、変化が必要かもしれないと、私は彼女らの言葉を聞き、近くの病院医者を変えた。

今思うに、この判断は貴重な時間を空費するだけに過ぎなかったと考えざるを得ない。

やはり、医者を変えたあとも猫は吐き続けた。

次の病院で行われた治療は元の病院とは種類の違う吐き気止めとステロイドを繰り返し投与だった。長い二週間だった。

彼女は嫌がった。苦しいので当たり前だ。餌も飲み込めず、後に水すらも飲み込めず苦しがるほどの猫に経口投与を繰り返した。

しかしながら呼吸音はステロイドにより落ち着いた。そのように思えた。

ただ、嘔吐は二週間の間に違う餌に切り替えた努力も虚しく、変化がなく無駄だった。

私は調べうる限りの症例を聞いたが、最後にガス性のイレウスではないかと聞いた際にはっきりとそうでない理由を伺うことはできなかった。

このままでは食事ができずに死にますよ。そう伝えると彼の助手である女性看護師二次診療専門の病院提案した。

医者二次診療を勧め始めた。

この病院でのカルテは渡すので、治療データこちらより豊富な元の病院から二次診療専門病院に連絡をつけるようにと言われた。

私は釈然としない思いをいだきながら病院をあとにした。

元の病院に連絡すると少し驚いた様子であった。

事実上、さじを投げたと言ってもいいだろう。

二番目の病院からでも出せる診察依頼を出すことなく、元の病院に戻したので少し呆れていたのかもしれない。

しかし私はそんなことはどうでも良かった。

治療継続されるかどうか、進展があるかどうかが重要である

20万円ほどの少ない蓄えも底をつき始めていたが、友人に借金してでも治療を完遂させようと考え、友人にもその旨を伝え、了承を得ていた。

そこから彼女なりの治療プロトコルに従わないので苛ついているような反応を返すノミダニの薬を売ってくれた看護師に話を聞いたり

死んだ場合どうすれば良いのかを考え始めたり、たまに来る母親に猫を見てもらったりした。

モノになったのだ。席を立ち、ジョナゴールド発泡スチロール箱を見てやはり実感する。

眠っているのではないことは知っている。もう彼女は外界に何ら影響を与えることを許されないのだ。

ただただ衝撃だけがある。

二次診療専門の病院に行く前に診察を行った。

元の病院男性医者ではなく、別の女性医者対応してくれた。

呼吸音が異常であることを見抜き、胸にエコーを当てた。

彼女は胸にあるしこりと、胸水が気道と食道を圧迫していることに気づいた。

猫はここでも抵抗した。麻酔なしでは胸のしこりを生検することはできなかった。

また彼女は、胸水の原因を特定しようと試みたが確実にリンパ腫が原因であるとは判定できなかった。

つの選択肢提示された。

病変を明らかにするためにCTをする。

もしくは、今の胸水を専門医に判定させる。

私はCTを受けさせることにした。

そして初診を予約できたのがそれから三日後だった。

初診の前に血液検査を行うことになった。

血液検査の結果、異常は特に無いように思えたが猫白血病ウイルスが陽性であった。

リンパ腫の可能性が色濃くなった。

こうなると寛解はしない。高額な医療費請求されて生きられるのは半年から一年程度。

そういった認識があった。

友人とは相談した。

つねづね私は話していた。

単純な功利主義だけでは世の中回っていかないが、重度のケア必要な猫を一匹救うより、未だに健康を保てている猫を二匹救うべきだと。

高額な医療費をかけたい気持ちはあるが、それは正しいのかと。

友人と私は話し合ったが明確な答えは出ず、それでもざっくりとした方針をなんとか決定した。

飼い猫はまだ4歳前後であることから、一度治療成功すれば5年以上の生存の見込みがある。

そのためにならば50万から最大100万円程度の治療費を貸し付けることは容認できる。

しかしながら、一年延命治療のために高額な費用がかかるのは私自身の考えからは外れてしまうこと。

まりリンパ腫など予後が悪い病状の場合安楽死、ないし積極的治療放棄することを決定した。

出会った時から不思議な猫だった。

初めてあった時から肩に登ってこようとし、私の無茶な要求にも反抗しようとすることはほとんどなかった。

病院に行く際は一度も言うことを聞かなかったことはない。

出会ってしばらくしてから

左耳の部分が腐ったのか落ちており、付け根は膿んで肉が露出していた。

さくらねこというのだが、猫は避妊処理の後のリリースされると耳の先をカットされる。

メス猫は普通左耳の先をカットするが、彼女には左耳がなかったので右耳をカットされていた。

彼女は飼い猫以上に友人であった。

自分の鼻をすぐに舐めたがる犬のような猫であった。

その癖意地を張ってウェットフードを食べない頑固な猫だった。

時に一緒に眠り、また、顎をブラシで撫でてやるとゴロゴロと音を鳴らした。

肉付きはよく、4.4キロほどあったと思う。

死ぬ直前は3.1キロほどしかなかったが。

話を戻すが治療方針を決めて二次診療専門の病院の初診に向かった。

母親に車を出してもらい向かった先でしたのは、元の病院女医の話す内容とほとんど変わらない内容の説明を受けることだった。

また、治療方針として、胃ろうをして欲しいと言うと彼は自身胃ろうは好きではないと話した。

ここでは結局治療をすることはなかったし、進展はなかったので詳しい話は省略する。

初診料として8500円ほどを支払い、帰路についた。

それからまた3日ほど経った日、水を飲んでも吐くようになった。

このままでは保たないと判断したので、点滴で水分だけでも入れてもらおうと元の病院に連れて行った。

体調が悪いこと、胸水を抜くのは抵抗されたので難しかたこと、9月1日にCTを取りに行く前にもう一度点滴を受けて万全の状態にすべきであることを女医は告げてきた。

それが最後病院であった。

次の日、つまり昨日(8月30日)その瞬間は訪れた。

呼吸音が異常ではあったが、それほど異常の度合いが高いわけでもなかった。

しか母親が突然来訪し、ちゅーるを持ってきた。友人と話していた自分母親と話すことになり、もう一匹の猫にブラシをかけるなどの世話を始めた。

それからしばらくして、母親は帰った。

帰ってものの十分程度で発作的な呼吸が始まった。

初めて失禁し、のたうち回った。

夜間病院に連れて行くかどうか、20分ほど思案した後、母親呼び戻した。

母親が到着したのは35分程度後だった。

それまでに、死んでしまい、死後硬直が始まった時のためにダンボールタオルは用意していた。

車で来てくれた母親に事前に電話した動物病院に行くようにお願いをし、移動を初めて20分ほどで呼吸音がなくなったことに気づいた。

助手から降り、確認したがすでに瞳孔は開きっぱなしで力の全く入らない死体になった猫がそこにいた。

動物病院に行くのはやめ、大きいディスカウントスーパーに向かうことにした。

保冷を始めるためだ。

私はもう次の準備を考え始めていた。

アドレナリンが出て興奮していたのもあるが死体を腐らせる訳にはいかないと思っていたし、覚悟はしていたからだ。

スーパーに向かい発泡スチロール箱の有無を聞き、もうなさそうだとわかると氷だけを買ってそこを出た。

23時になっていたのでコーナンなども空いていない。

家の近くにあり24時間開いているスーパー玉出に向かうことにした。

普段から無愛想なおじちゃんに声をかけるとそこになかったらないと言われたが無事キレイ発泡スチロール箱があった。

おじちゃんに礼を言って車で自宅まで移動し、母親と別れ、友人と話をした。

そんなにしんみりはしなかったが、衝撃はあったと話をし、故人の話をしてくれたりしたが、騒音が気になりほどほどで話は終わった。

風呂に入ったが猫を何度も風呂に入れたことを思い出し、喪失感を感じてすぐに出た。

もう一匹の猫を膝の上に乗せていると少し眠たくなったので寝たがやはり一時間ほど寝れずにこれを書いている次第だ。

これから葬式をどうするか考えないといけないし、行動している内、考えている内は悲しくなることはないだろう。

この文章も一時間半ほど書いて疲れたのでこのあたりで筆を置くことにする。

死ぬ前に考えた。

自身無神論よりの不可知論者ではあるが、猫が死んだらどうなるのかと。

自分は肉体と精神に関しては唯物論的な思考でいるので肉になるのだと考えた。それでも悲しくはなかった。しかし救いはなかった。

私は幸いにも救いを必要としていないのだろうけれど、なぜ宗教必要とされるのかは少しわかった気がした。

思うに愛別離苦、別れは経験であり、自身の糧にするべきで背負っていくべきものだ。

死は絶対で覆すことはできない。それはあらゆる命にとっての救いでもあるのかもしれない。

彼女が安らかに眠れればいいなと思う。

2022-08-24

功利主義動画を観た

NGOで働くよりも大金を稼いで得たお金寄付したほうが効果が高い」みたいなこと言ってるけど

周りのライバルは蹴落とされて貧しくなってるんだから何が正義かわからなくなるよな

2022-08-17

anond:20220816173718

宗教って殆ど人類全体の幸福を前提にしてるのばっかりじゃね?

建前なのか本気なのかは知らんが

そもそも統一教会やそれと癒着してる自民党功利主義というより

最終的には全体が不幸になる社会を目指してるので破滅主義の方が近い

2022-08-16

anond:20220816173543

世の中には功利主義を悪いことだと考える宗教もあるのか

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