その同じ施設の10人の中で一番見目麗しい女の子が支援者に食われて残り9人はまあまあ助かる…というのを自分の中では許している感がある。ひどいんだけど全員支援されないよりマシじゃないか。だって全員助けるリソースが無いっぽい(この場合のリソースとは支援者のモチベーションも含む)。全員助けられるなら行政の支援はこんな形をしていない。その犠牲で助かった子が少しずつ余裕が出来て次世代に優しくできるなら、そしてリソースを増やしていけばいつか全員助かるかもしれないし。それが今だというならいいんだけどそれ本当に信じて大丈夫?ちゃんと助ける?私は自分が今生きていくだけで精一杯で人を助けられる余裕が無いんだけど、みんなはそうでもない?これは自分の中の子供の不信感でそれでもやっていくのが大人としての自分だけど、その大人が見返りや犠牲を許容してる。
救うか救われるか、利益があるかないかのことばかり考えていると、お前の言うような話になる。 そこで、「公正」という概念が重要になってくるわけだ。 「公正」は大事だ。贔...
今の社会の「公正さ」が全体の利益…というよりも弱者の利益に追いつかないと私は思ってるんだよね。社会に対する不信が根底にあるんだけど。だって世の中が公正さで溢れてる感じ...