はてなキーワード: 処女厨とは
日常の生活にまとめブログとかニコニコ、ボカロの特殊なノリを持ち込んでくる人がいる。
めの女性の外見を「チェンジ」みたいにジャッジできると思っていて、それを口に出してしまう。
韓国、中国への敵意を隠さず、韓国料理店での飲み会にダラダラ文句言う人。
AKBとかKPOPとか聞くに堪えない、ボカロの方がいいしあの歌い手は……とはばからない人。
何が好きでもいいと思う。ニコニコだから、まとめブログだからというわけではなく。
でもそれがその場の相手に与える影響を考えられない、そうすることが許されると思っているのが不可解だし、関わりたくない。
仲間だけの飲み会で言えばいいのに、なんで色んな人がいる場で語り始めちゃうかね。
アニメやニコニコが不快な人はたくさんいるけど、誰もあなたの前では批判したり、文句をいったりしない。
大人として最低限他の領域に敬意を払っているし、あなたを尊重している。
それでもこの人は相手が不快になることは了承した上であんなことやってるわけで。
処女厨にとっても
だから仕方ない
処女厨っていうのは処女ならいいってわけじゃなくて、美貌と若さが前提としてあった上で、ビッチと処女なら処女がいいっていうものにすぎないんだよ。
しかし美貌があればあるほど早く処女でなくなるから、結婚適齢期の処女ってのはブスしかいない。だから「処女の方が配偶者選択で得」というデータは出てきようがない。
恋愛でも婚活でも、男は高身長なほど有利というデータや実例は腐るほど存在するが
もう見かけるたびに何べんでも言うけどさ、
処女厨ってのは自分が処女と付き合いたいとか処女とセックスしたいって人間ではないから。
なんかどこかにある理想の形として処女的なものを希求してるだけなのよ。
どう考えても自分が付き合えないものに処女性を求めてる(そして「裏切られた!」つって炎上させてる)でしょ。
友人に女紹介してもらってる時点で
それ処女厨じゃねえし。
まず結論から言いましょう
ごめん、やっぱやめとく、なんかあんまり紹介とかそういうのってちょっと、と言いました
友人からの返事は短いものでした やっぱりなw 大丈夫、冗談だから!w
思い出します あれは小学生の頃です プールの時間の前 塾に行く前
決まってお腹がとても痛くなるのです
なんだかとても情けなくなりました
どうして、おれ、この年で、恋愛も出来なくて、友達にも小馬鹿にされて、こんな、みじめで、
いつまでも子供のまま置いていかれて、寄ってきた女は気持ち悪いやつで……
まともな恋愛も出来ないなんて。
といっても、つい最近までのことですが
黒髪ちゃんへのメールの返信は投げやりになっていました そして文章は攻撃的になっていました
「うん」
「うんってw 遊びませんか?」
「忙しいんで」
「そうですか(´ ・ω・`) …なんか、わたし、怒らせるようなことしました?(´ ・ω・`)」
こんな具合のやり取りが増えていきました
「ごめんなさい」「怒らせたんなら謝ります」なんだか黒髪ちゃんのメールはストーカーみたいです
めんどくさい処女って こういうことか
そもそもどうしてそんなことを信じていたのでしょうか
すこし考えたら分かることだと思いました
童貞がこんなに駄目で気持ち悪くてクズみたいなんだから、そりゃ処女にも駄目で気持ち悪いクズもいるよな
あははははは
もうよく分かりません、頭が混乱しています
どうしておれはいつまでもこんななんだ 処女厨は子供時代を思い出しました
子供の頃、お母さんとお父さんはなんでも 駄目 といいました
漫画、ゲーム、アニメ、サッカー部への入部、流行の音楽、バラエティ番組、女の子と遊ぶこと……
処女厨が楽しそうなものに興味を示すと そんなもの駄目! 不良になるよ! と叱られました
彼の楽しみは読書です
ライトノベルだとバレないようブックカバーをつけて 自分の部屋で読むのです
本を読むことについては、両親はなにも言いませんでしたから
それから、塾帰りにバレないようにゲームセンターに行くこと と インターネット これが彼に許されたものでした
処女厨は、頭のどこかで、恋愛をよくない、不良のやることだと思っていたのかもしれません
そして同時に、漫画や、TVや、恋愛を、自由に楽しんでいるかっこいい男の子や可愛い女の子を心底憎んでいました
リア充たちは大勢の友人に囲まれていて、キラキラして見えました
いつも楽しそうです
自分のような人間に、キモいと言ったり、非常識なわがままを無理に通したり、ずるい手段で成功を手に入れたり……
それに連中はミーハーです 流行ものにすぐ飛びつきます 気をつけていればだまされないようなデマにすぐ引っかかります マスコミの仕掛けた罠にすぐにハマります 下らないものをすぐに買いあさります
バカです、じぶんより
そういう連中を、処女厨は大嫌いでした
そんな、「スイーツ」の女が告白してきても、そしてそんな女が絶世の美人でも好きにならない自信がありました
ライトノベルにもいろいろありますが、処女厨の好きな物語は、いつも主人公はヒロインと結ばれてハッピーエンドをむかえるのです
ヒロインは、主人公だけを好きになり、喧嘩をしながらもなかよくすごします
処女厨が好きになるのはいつも 生身の人間ではありませんでした
彼は今まで、おれは結婚もしないし、趣味もあるし、これが自分の人生だと割り切って生きていました
一人の世界を作り上げ、すばらしい作品を生み出してきたアーティストもいます
そして処女厨はお兄さんを思い出しました 昔、彼の隣にいたのは兄です
でも兄は、整形手術をしてイケメンになり、日のあたる人生を堂々と生きています
死んでしまいたい。いなくなりたい。消えてしまいたい。消えてしまいたい。
黒髪ちゃんも本当は気持ち悪いメンヘルビッチ予備軍だったんじゃん。
なんであんな、喜んで、おれ……
そこでふと、処女厨は気付きました
そういえば、おれ、黒髪ちゃんにドキドキしたんだよな……
それまで苦しい気持ちで混乱していた処女厨は、何故だかこんなことを思いつきました
もう一度あの子に会ってみよう
処女厨は、メンヘルビッチだった黒髪ちゃんに告白する気はもはやありませんでした
でも、もう一度黒髪ちゃんと会って、ちょっとでもドキドキできたら……
そう思った時の彼は、高揚した、なんだか嬉しい気持ちを取り戻しました
それでも処女厨はそのあと、二、三回メールをしました 今暇ですか、遊びましょう、飲み行きませんか?
返事は、ありませんでした
危ないからと事務所から出されました 電車は止まってしまいました 処女厨は行き場を失ってしまいました
たくさんの人がいます
本当にたくさんいます、急いで歩いているのやら、人並みに飲まれそうなのやら、手をつないでいるのやら
歩いている人は茶髪が多いです そして、立ち止まっている人は携帯をさわっている人が多いです
顔を上げてみると、夕やみの空がビルに迫っていました
たくさんの人々は、だれもそれを見上げていませんでした
記事を知らない人は、先に参照されたし
それで、肝心の治し方だけど、ブコメやら記事では、実際に、中国人・韓国人に会え会え触れて見ろ、っていう意見が多く見受けられる。
たとえばこんな記事
嫌韓中右翼やレイシストは処女厨と一緒 - Hagex-day info
ただこれって、レイシストな俺くんには効かないと思う。
処女厨に非処女とつき合えっていってるのと一緒で、荒療治だし、根本的な解決にはつながらない気がする
処女厨もネトウヨも、偏った思考になってるから、一人の人間としてちゃんと向き合えてないからそんな排他的な言動になってるわけで、
だから、実際に付き合わせたところで、悪い所だけみつけて帰ってくるだけだと思う。
それじゃあ、肝心な簡単な治し方だけど、もちょっと腰を据えて考えてみること。
これでばっちり解決。
大半の人は、そういう思考法ができてるから、レイシストにはなってないのだけど、レイシストな俺くんにはたぶん抽象的でわかりにくいと思うから、もう少し踏み込んで解説してみる。
世界にはいろんな人がいる。当たり前のことだけど、このことについて踏み込んで考えてみる
分かりやすい例で言うと、俺くんが好きで、僕も好きな日本について考えてみる。
日本人って、謙虚で奥ゆかしい面がある反面、空気よめとかめんどくさいところもあるって、よく言われるけど、本当にそうなのか。
実際、そういう人ばかりじゃない。いろんなタイプな人がいる。
まず大きいところで言うと、よく比較される関東人や関西人だって全然違うって言われる。
関西人だって一筋縄じゃない。神戸、京都、大阪、尼崎だって違う。(滋賀奈良和歌山は関西人なのかという議論はひとまず置いて)、
神戸人だって全然一くくりにできない。東灘・灘区と中央区とかと、兵庫区長田区、北区、西区だって全然雰囲気が違う。(東灘区と長田区のグルメ百年戦争や、北区民西区民の俺んとこはおまえのとこよりも田舎じゃない論争などは書きたいところだけど脱線するので割愛)
その中の北区だって、新興住宅地と昔ながらの地域だと全然雰囲気が違う。
もっともっとミクロな視点になって、自分の周りだって、全然違う人で溢れてる。
僕は神戸市北区出身で神戸のとある地元企業に働いているけど、僕の周りにいる人は、ほんと様々だ。
日本人は謙虚?空気をよく読む?関西人は面白い?笑いにうるさい?神戸っこはおしゃれ?
自分勝手な人も大勢いるし、あえて空気を読まないものもちらほら、芸人みたいに面白い人なんてそうそういないし、笑いにうるさい人ってなに?そして神戸っこでありながら、ユニクロを愛し、なんか気づいたら黒一色の服装になっている僕はおしゃれではない。
ということは、日本人つったって、ものすごい量の様々なタイプの人がいる。
同じように、韓国や中国だってものすごい量の人格のバリエーションがあるって考えるのは自然な発想だよね。
そりゃあ多少地域の色は出るだろうけど、それはほんとゆるーい潜在意識レベルでつながってるもので、
笑い話の種のひとつにするなら、あるいはTV番組のネタの一つにするなら分かるけど、そのことで民族論がどうこうと論じたり、ましてや差別なんかできない。
これでも治らないレイシストのために、もう一歩だけ踏み込んで考えてみる。
さっき説明したように、中国人や韓国・朝鮮人(表現は適切?)にはいろんな人がいる。
だから、よく報道されているような、デモを起こして日本人の商店を襲撃したり、あるいは日本人を敵視して、ものすごい差別意識を持っている人ばかりじゃない
親日家で中国共産党や韓国政府のやり方に疑問を感じていいる人もいるだろうし。
政治的イデオロギーは抜きにしても、温厚な人、普段は斜に構えているけど実は優しいタイプ、どがってるけど隠れて子猫を助けてしまう奴。
いっそこんなステレオタイプに当てはめなくても、日本人に差別意識をもってなくて、付き合ったら人間と居して好きになってしまうような人。
そんな人が、朝鮮人を殺せ!なんかを含む差別的排他的デモや、各種ネットでの差別的書き込み、レイシストな俺くんの「韓国人が苦しんでいるのが愉快で仕方ない」ていう心ない言葉を見たら、ものすごく傷つくとは思わない?
日本語が、日本人にだけしか通じない言語で、翻訳不可能な言語だったら別に関係ないかもしれない。
でも実際周りには、中国韓国からの留学生・出稼ぎ、観光客で日本語が理解できる人もたくさん来ているし、ネットもみてるだろうし、とくに日本には、在日という特殊な立場の人もいる。
そういう人が見たら、ものすごく傷つく可能性がある。だからみんなそういうヘイトスピーチをしないの。
みんな表面を取り繕ってる”いい子ちゃん”だから、ヘイトスピーチしない訳じゃないんだってば。
そりゃ、領土問題とか、慰安婦問題とか、歴史問題とか、どうなんだあの国って思っている日本人も大勢居るだろうし、僕自身、むかつくって思うことは多々あるけど、
でも、不特定多数の人が傷つく可能性をあるから、みんなちゃんと考えて、腹で押さえるの。汚い言葉を。
ましてや、誰がみるか分からない公衆の面前や、ネットでの書き込みなんてしないんです。
以上、ものすごい当たり前のことつらつら、書きました。
ということで、汚い言葉を出す前に、こんな感じのこともちょっと腰を据えて考えてみれば、レイシストになんかならないと思います。
さて、本文では割愛した、神戸の北区はいかに西区よりましかということについて、これから論じ・・・・・、やっぱやめときます。
性欲が生殖欲に基づく本能だというなら、処女厨なんて存在しないはずなんだよね。
生殖欲、つまり種の存続が至上命題で、人間がそれに従っているとういのなら、
となる。
種の存続を最優先に考えた場合、女性が誰の子どもを産もうが構わない。とにかく子どもさえ産めば種は存続、繁栄する。他の男の種だろうがなんだろうがね。
なのに「他の男の種の可能性が~~」なんて言ってる奴は、種の存続という至上命題に反する欲求を持ってるってこと。
つまり処女厨は「本能が~本能が~」とバカのひとつ覚えみたいに言ってるけど、実は本能とは真逆の個人的な欲望、支配欲、独占欲にのみ忠実なだけなんだよ。
ひいては、少々高齢だったり、経験済みでも子を産める女を蔑ろにし、種の繁栄を阻害する存在にさえなりかねない。処女厨は人類にとって害悪以外のなにものでもない。
喩えで物事を語るというのは、たいてい下らないバイアスや偏りがあるものだけど、処女厨が絶賛しているこの喩えは特に酷い。(画像がはれないのでよそのサイトへのリンクで申し訳ないが)
http://livedoor.3.blogimg.jp/vipsister23/imgs/d/b/db1284c7.jpg
これを見て「うまい」とか言ってる奴の気が知れない。
ここで女性をクッキーに喩える必然的な理由はない。これがクッキーじゃなくて1万円札や金塊だったら? みんなの手を渡っていようが何しようがみんな欲しいって言うだろ?
女性をクッキーに喩えるなら男性は何になるんだよとか、きもい奴ひとりが触ったのと魅力的な異性多数が触ったののどっちを選ぶかとか、家族や気になる異性が手渡しで渡してくれたクッキーなら食えるけどそれってこの比喩に当てはめると家族や好きな人の相手なら大丈夫ってことになるんじゃね? とか、突っ込みどころありすぎてキリがない。
なぜこういうことになるかというと、この比喩が「妥当でない」からだ。
喩えは、都合がよいものを都合がよい状況に当てはめ、好き勝手に捻じ曲げることができる。現実に則さない、本来なら適合しないそういうわけのわからない比喩を持ってくることで、話を混乱させ、煙に巻き、自分の主張したいことへ誘導するという目的で。比喩の内容を正しいと思わせることで、自分の主張をあたかも正しいと錯覚させる。
他にも、女性を便器に喩える例がある。女性が便器なら、処女は単に未使用の便器だ。他人が使った便器は使用しないのか? みんな普通に使ってるだろ? この喩えに乗っかるなら、処女厨は新品で購入した自分専用の便器しか使わない、家のトイレは他の誰にも使わせない、ってことになる。
そしてこの比喩に対して、男性は何に喩えられるのか。便器の中に入るものといえば当然、尿や便である。処女は未使用の便器にすぎない。女性を便器に喩える人間は、男性は尿や便であると認めていることに他ならない。