はてなキーワード: 擬音語とは
夜とコンクリートを読んだ。青いサイダーで泣かされた。簡素かつ美しい線で描かれた物語から立ち昇ってくるのは、夏の寂寥感にも似た読書感だった。
恥ずかしながら中古で買ったんですけどね。棚を眺めていてひょいと手が伸ばしたら、こんな素敵な漫画に出会えたわけです。運がよかった。
内容としては全体的にとってもシャープ。無駄がなく、足りない箇所も見受けられない。絵柄も本当にすっきりしているから、人物たちの言葉と彼らがいる場所の空気感がダイレクトに伝わってきた。
そのおかげか、はたまたAmazonでのレビューをチラ見したせいかは知らないけど、いま一度内容を思い返してみると、擬音語がなかったはずの場面から濃密に音の気配が聞こえてくる気がする。
変な言い回しになってるけど、例えば夏休みの町って話の扉絵から降り注ぐ蝉の鳴き声や、強烈な日差しが照り付けてる感じや、風の音なんかがひしひしと感じられるようになったのです。
感受性を刺激されたというか、想像力をたくましくさせられたというか。実際読みながら涙が出てしまったわけで、個人的に感情を強く揺さぶられる表現が詰まっていたことは間違いないです。
難しいですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1214380477
そこから来ているのではないかとは思いますが、最初に使った人をまず特定しなければ、と思います。
二番目には割と共感してしまう。シモも入れるならありかと思う。
ただ元増田だが、マジメに考えるなら4つとか3つ以前に、発明という言葉の意味を考えて欲しい。
確認していないが1.と4.は明らかに文語からであり、擬音語を書き文字に持ち込んだに過ぎない。
3.に関しては印象は強いのかもしれないが、主要キャラクターが正論や驚くような台詞を力強く言う際での使用だとすると、これも明らかに発明とは言い難い。
申し訳ない事にそれも確認していないが、同じ用例は3.以前に数多くあった記憶があるからだ。また、形容詞的に使われる擬音語としては日常的に多くあったようにも思う。
そして2.だが、あの独特な使い方に関してはあまり類を見ない気もする。ただ、作者の師事していた漫画家の有名作品ではもしかすると存在するかもしれない。
馬やバイクの登場が多く、群衆の足音などでもあったかもしれないので判然としないが、『発明』と言うのであればメメタア、やドギュゥウン、等を挙げた方がスジは良いのではないだろうか。
重箱の隅のように感じられたら申し訳ないのだが、本当に全く悪気はなく、発明それ自体の価値と、漫画全体をも陥れない為を思って書いてみた。
私はchindonの表記が一番一般的だなとは思っていました。
chindon→ching dong(より英語的)→tin dong(より英語の擬音語的)
の順でナチュラルなのかな、と思います。(ネイティブではないので感覚ですが^^;)
ただ、ふと思ったのは、そこが日本語の面白みなのですが、「チンドン」というのは、擬音語であるとともに、一事象をさす固有名詞でもあるという点です。固有名詞にはそれを発音したら、同じものが頭に浮かぶ機能が必要になります。
例えば、外国人旅行者が、「チンドン屋さんはどこですか?」と、街で出会ったおばあちゃんに聞いたときに、「ホェア イズ ティンドンヤ?」と聞き取れてしまうと、おばあちゃんには「てぃんどんや?」となってしまい、会話が成り立たなくなってしまう可能性があります。
それですと、固有名詞としての同じものが頭に浮かぶ便利さがなくなってしまうと思うのです。
そう考えますと、外国の方が「チンドンの英語表記」を使うときの用途は、その音を表現する擬音語としてよりも、「チンドンおよびチンドン屋さん」を表現する固有名詞としてのほうがメインなのではと考えました。
となると、発音者によって「てぃんどんや?」となってしまうリスクよりも、例え表現として違和感があっても「チンドンヤ?ああ、チンドン屋さんならあっち行ったわよ」と伝わるメリットのほうが大きいと思われます。
よって、汎用的には「chindon、ching dong」のほうがよいのではないかと思いました。そのうえで、”chindon” is japanese onomatopoeia. It sounds like “tin dong” のように補足すると、日本語の奥深さが伝わるのではないでしょうか。
※ちなみにGoogle翻訳は
チンドン → Jindong
みんな薄着になってくる季節だ。
丸みのあるお尻がピチピチのジーンズやスキニーにフィットさせてブリブリ歩く季節。
つり革に掴まっている女の堂々かつ無防備な尻。
座席に座っている女の太ももを、バスの揺れで小刻みにププププと波打つ。
冬と違ってコートを着てないから、重力に逆らって尻が布の中に詰まりに詰まっているのがよく分かる。
尻にまとわりついてラインを生み出す布地に脂肪がギュッと収まって作られた尻〜太ももこそ美の完成形と言っても良い、女の至宝だ。
多分デカ尻が全部包まれてると安心するんだろうけど、尚のこと尻のラインを見せつけているのに気付いてるんだろうか。
そういう尻を見ると、尻の谷間を両手で鷲掴みにして観音開きにしたくなる。えっちなマンガによくある、ペンタブを持つ手を気持ち悪くくねらせて書いたみたいな擬音語を思い浮かべる。ガバァッとかムワァッとか。
プリッとラインが出ている尻は良い。
デーンとデカいが横にペッターンとしている尻も良い。
脚ガリガリなのに意外と小盛り上がってる小振りなお尻も良い。
量感をたたえない、幸の薄い貧尻は本当に大嫌いだったが、最近はピッチリのボトムスを履いてこれでもかと下半身を見せつける小振りなお尻なら許せるようになってきた。
で、私は女なのでそういうのはラ○ーアとかのスパやお○呂の王様といった銭湯でこれでもかと見ることができる。
押さえつけられていた尻肉をするりと解き放ち、ショーツが惜しげもなく現れる。
そこまではまだいいが、そうして全裸になると、もうほんと何とも思わなくなる。
つまり女は裸にするよりも、服を着ているほうが良いのだ。
完成形と称したように、布地に押さえつけられて形を成した尻こそ整っていて美味しそうだ。
あそこがムレるに至るまで何をしていたのかも想像できる。
これが全裸ではダイレクトすぎて面白くないしぶっちゃけただ臭いと思う。あんな汚いとこなんか見なくて良いよほんと。
何より服を着ているからこそ、たぷんとした肉感を道行くたくさんの女の数だけ見て楽しめる。
良い尻を見つけるとほんの少し疲れがとれるんです、せっかくの夏なので、皆さん腰にパーカーなんか巻かずに涼しくお過ごしください。お願いします!
いいところがあっても、そこを全く見ずに、
人を変えようとする人がいる。その人は、わずかでも欠点があると許せない…。自分は欠点だらけなのに、自分は変えようとしない…。
次はこれ直せ、治ったら次はこれ直せ、それが直ったら次はこれ直せ…
そのどれもがしょうもないこと。
超超超、繊細すぎる自分を不快にさせないで、という要求ばかり。
「私が元気の無い時は、それを察して笑顔にならないで」とか。
「会話のなかで、あ~、とか、えっと、とか言わないで、」とか、
「歩き方が気に入らないから、直して」とか、
こういう人って何様なんだろうか?
なんで、その程度のことが我慢できないの?
こういう人と関わってると殺されるんじゃないかと思う。
今日、「バブみ」という言葉を知り、日本語の持つ奥深さとオタク文化の繊細さに感銘を受けた。
「バブ」が「バブバブ」という赤ちゃんの擬音語から来ており、対象に母性を感じるという意味で使用されているのは明らかとして、この言葉の発案者はそれに「み」を付けた。「バブい」でも「バブさ」でもなく、「バブみ」。
「み」とは「味」である。「旨味」や「エグ味」などに並ぶものとしての「バブみ」。「バブい」ではその度合いが表現できず、「バブさ」では程度を測るようで、対象に対する敬意に欠ける。ほのかに醸し出される「味わい」としての母性を、彼(おそらく)は「バブみ」と表現した。
そこには、オタク文化ならではの「対象との繊細かつ一方的な距離感」がある。「味わい」という繊細で多次元的な評価軸を持ち、さらに、あくまで甘える側からの視点である「バブバブ」を使用することで、対象の主観を排除している。矛盾するかもしれないが、対象に敬意を込めることと、対象をこちら側に巻き込まないことは、オタク文化にとっては同義である。「萌え」も同様で、草木が伸びる様を表す自動詞で自らを表現することで、間接的に対象を表現している。そこに対象の主観はないが、それを無視したのではなく、敢えて入れなかったのである。
そういった脈々と連なる想いがどこからともなく湧きあがり、2015年の言葉として顕在化したのが「バブみ」なのではないだろうか。
(オチはありません)
一生懸命頑張っているのに、モノが売れない人は戦略やマーケティングが間違っている。
以下、アフィリエイトに限らず、オンライン上でモノを売ることや、Webサービスの運営などに当てはまると思います。
読みやすくするため、箇条書きで記します。1つでも役に立つのがあれば、これ幸いです。
・相手の「知性」と同時に「感情」に訴えかけること。つまり、欲望やコンプレックスを狙う。
・「自分はどんな人生を歩むべきか?」「このままで納得できるのか?」といったことを考えさせる。
・「傍観者」では感情を揺さぶりにくい。「参加者」になってもらうことで、記憶に残る。
・上から目線は、相手が離れる。共感や応援のほうが、相手の心に届く。
・人は見聞した情報で商品を買う…というよりは、その情報を元に頭の中で使い道を想像してから買う。
・お客様のコメントは、その商品の良し悪しが具体的にイメージできるため、次に商品を買う人の参考になる。
・お客様が欲しくなる演出を心がけよう。例えば、その商品開発の背景、安心感、お得感。
・人は、自分と似たような人と同じものを買っておけば安心、という心理がある。
・それゆえ「この商品も同時に買われています」「このページを読んだ人は、こちらの記事も読んでいます」などが、有効に。
・「自分だけのモノ」という、愛着を持ってもらえる商品を考える。
・健康食品が高額なのは、高い方が効果がある、という意識を植え付けさせる役割をはたしている。
・売上を伸ばすためには、「新規の開拓」「リピーター作り」「購入単価を上げる」こと。それぞれの検証が必要。
・単一商品で売るよりも、パッケージ化したほうが利益は伸びる。
・高い商品を購入した直後の人は、関連商品のついで買いにおいて「そんなに高くないかも」と感じて購入しやすい。
・携帯は、常時接続のメディア。モバイルでの売り上げを甘くみないようにしよう。
・人は良いコミュニティに入りたがる。そういう空気を創り出すために必要なのは、濃く狭く伝えること。
・クックパッドのPR企画など、広告ですらすんなり読者が入っていける魅力がある。
・人は得したことを、ついつい話したくなるもの。
・消費者に目を留めてもらうには、子供・動物・女性などの要素が使いやすい。
・限定品は、売れやすい。
・美容や健康関連のキャッチコピーは、モノを売る上での参考になる。
・人は、「高いから買わない」「安くないから買わない」というよりは、情報や商品の氾濫から正しい価値が分からないから買わない。
・それゆえ信頼できる、他人のオススメを信じたりする。
・マクドナルドは、セット販売で選択肢のパターン化をしている。例:ハンバーガー、サイドメニュー、ドリンク
・ユーザーというのは、たくさんのメッセージを受け止められない。
・そのサービス、多角化しすぎていませんか?
・選択肢が多すぎると、結果的に人は迷って買わない。
・選択肢に迷った時は、ランキングに流れたりする。最初から、ランキング志向の方もいる。
・同時に、同じ表現なら短いほうが読まれる。
・数値の羅列よりは、表のほうが理解できる。
・難しすぎるのは、つまらない。
・簡略化されていない情報は、読み手にとって理解しづらい。
・擬音語、擬声語、擬態語は、分かりにくい表現を分かりやすい表現に変える効果がある。
・分かりにくい説明には、例え話を用いることで、理解度が高まる。
・世の中では、小学生や中学生でも理解できるような、お手軽なHow toが求められている。
・レベルというのは、落とせば落とすほど、マーケットが広がる。
・長い説明が必要なサービスは、そもそも求められていない。
・信頼関係のない人にモノを買ってもらうのは、非常に難しい。
・人は、何回か同じ人に接する(ブログを読む、Twitterで会話するなど)内に、信用するようになる。
・一度でも買ってくれた人は、その次の購入の敷居が、一気に低くなる。
・有名ブランドが、単価の低いハンカチやキーホルダーなどの小物を出しているのは、最初のキッカケになるから。
・ネットショップなどは、いきなりオープンさせるよりは、モニターを募り改善点を見つけておく。
・ある記事や広告を読んでその商品が欲しくなったら、なぜ自分は欲しくなったのかを考えてみる。
・ライバルの店舗ではなく、自分の店舗を選んでもらうために何ができるか、は常に考えること。
・ライバルの長所を真似することは、ライバルが持っていた長所を奪うことにもつながる。
・儲かるというイメージがないのなら、そのイメージが湧くまで引き出しを増やす必要がある。
・例えば、売れているネットショップの研究をしよう。流行や季節を考えてみよう。
・逆に、自分ならどういうショップだと躊躇するか、を考えてみよう。
http://tsurumitext.seesaa.net/article/130055536.html
以上です。
追記:こっちも書きました。
人たらしになるコツ30箇条
http://anond.hatelabo.jp/20110622150551
行動力を身につけるためのコツ30箇条
http://anond.hatelabo.jp/20110622220732
「草はやす生活」
浮いてるよ。
浮かんでるよ。
幸福だよ。
ただひたすらに、幸福だよ。
それだけだよ。あとは、楽しいことだらけで参るなぁ。
眠いなぁ。
はぁ。何もすることが思いつかないなぁ。
どうしようかなぁ。
ノンビリ生きていたいなぁ。
誰かに何か求められて誰にも甘えられない!!
いいんだ。これが始まりなんだ。
なんとなく、ノーコメント。
吐き出す先は、なんだっていい。
くだらなくたっていい。俺の一文字一文字が、世界を変えていく鍵となる。
そう、おれは救世主となるのだ。
愛でもって、世界は変わる。何もできなかったこの俺が、世界を変える。
そんな夢物語。誰にも触れることができない領域。妥協を許せない。
I can feel.なんでもいいけど、俺を手駒にするのはやめてくれよ。
匿名なんて、まるで2chみたいだね。くだらないよね。そう、つまらない。
誰が見に来るかなんてどうでもいいんだね。くだらないんだね。
びっくりするほどユートピアなんだね。脳髄が動き出す音が聴こえてくる。
波に負けない、スライドドア。捨ててるコミュニティだと彼は言う。
だって僕にはyahooブログがあるから。いつでも帰っていける、居場所があるから。
ここでどう暴れようが、関係ないね。ふざけてるよ。全くもう。
俺が何をしたっていうんだい?ただ、文章を書いてるだけじゃないか。
ふざけろよ?ここからが俺の発展場だ。
うほっいい男・・や ら な い か
イカ娘!
分かる人には分かる、辻きりのようなネタを浴びせかかる。
俺は、まだ途中なんだって信じたい
なしくずし戦法も、もう飽き飽きしてきた所さ。
来世ってとこに僕を早く引っ張っていってよ。
そんなけったいなこと言えるお前には人に生まれるには大分早すぎたよ。
果てがなくて困る。
砂漠に迷い込んだようだ。
しっかりせんといかんぞ・・
やむことのない痛み。辱め。
くっだらねぇって、つまんねぇって、
じゃあ何をするべきだ?才能発揮はポテンシャルの問題でしょうが。
ポテンシャルならまだ十分に発揮していない。くそっ今日も調子でないな。
言いたいことが次から次に崩れ落ちていく。/(^o^)\ナンテコッタイ
もういい。いいんだ。
こんな調子でどうよ?
(≧∀≦)ノフレ───ッ!
∩(*・∀・*)∩ファイト♪
ピンポーン
おっぱいマシーンが破裂するよ。ぼかすかじゃんだよ。
俺が何かを作るよヘッドバンキング。
暑くて死にそうなのかい。
やばいくらいの座席表だぜ。
もちろんそのままの意味じゃないぜ?
これだけの文章を作り出すのにどんだけの時間をかけてるんだぜ。
文章を紡ぐのは俺の大好きなことなんだぜ。
ええ、趣味は作文です。ってなもんさ。だっさーーーーーーーーーーーー
ここからやり始める元気もブッ壊れてまだお腹が空かないんだぜ。
眠いのは誰でも一緒でしょう。くっだらねぇって。
いいんだよって分かってるんだよって君が叫ぶからさ。
僕はどこにも居場所がなくなって落ちていくのさ。
なかなかのボスの器・・・どっかのバカに教えてやりたいもんだ。
爪はまだ・・大丈夫だな。長すぎるとキーボードカバーを傷つけてしまうからな。
俺の好みをよく理解してる。
むちゃくちゃな文章でも、書くことそれが意味のあることだってもんだ。
なんたって、最強だからな。
このせかいじゃ最強なんだからな。
流されていく、るるるるる~♪
わんもあせっwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ドフラミンゴ。
なぁに、こんなのなれたもんさ。
俺は脳髄の片隅で新しい出口を探すぜ。
これはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwひどいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
日々、日々を生きる。
目を瞑る。カーテンを引っ張ってちぎる。
そう、ドラゴンボールさえあればどんな願いも叶うんだ。
女性の排泄動画を見ること、約20年。20年経ってもやっぱり変わらない問題がある。
スカトロ愛好者の俺は、他のAV鑑賞者が困らない問題で困っている。それは、DVDやネットでダウンロードした動画において、重要度の低そうなシーンを飛ばしたいと思っても、無闇と早送りで飛ばすことができないことだ。さらに、購入前に重要度の高いシーンが含まれているか、また含まれているなら何回あるのか、さっぱりわからないことだ。
なぜなら、スカトロAVにおいて、俺がもっともそそる部分は、女が意に反して漏らしてしまう「屁」であり、少量の便の排泄時に発生する破裂音(まあ屁の一種といえるが)なのだが、これが映像を早送りで見ていると、どの部分に存在しているかがよく判別できないからだ。
もちろんソファーに座ってインタビューを受けているシーンなど、絶対に起こりえない部分は早送りできるが、浣腸の後はもうひたすら普通に再生して耳でチェックするしかない。
女が笑いながら屁をこくとか、そういうぬるいAVにはこれっぽっちも興味はなく、強制浣腸の上、やむなく漏らしてしまうのが好みである。しょうがなく排泄させられたあと、油断したときに思わず肛門括約筋が緩んで、女としての自尊心がズタズタに引き裂かれるような、情けない屁をぶっ放し(これを「ラッパを吹く」と言う)、そしてその音に女優がこの上なく恥ずかしがるシーンにもっとも興奮する。しかし、購入前にはレビューを見てもそうした音を含むシーンが含まれるのかよくわからないし、買ったあとも早送りせずに時間をかけて再生してチェックすることしかできず、なかなか効率が悪い。
IT系のことはよくわからないし、もっと勉強熱心なスカトロ愛好者は解決している問題なのかもしれないが、スカトロAVの商品を売るときには、自動的にプログラム(←すごく曖昧な言い方w)が動画をチェックして屁の回数とその発生時刻を集計し、商品の解説欄に表示していただけないだろうか。トータル13回、No1 13分23秒、No2 15分35秒、... みたいな。屁にもさまざまな種類があるから、分析しておおまかにアイコンで各屁が分類がされているとなおよい。1つの商品に含まれる各屁の好き度合いをフィードバックできれば、購入者の好みの屁を類推して、他のよく似たスペクトルをもつ屁があるスカトロAVをレコメンドしてくれるかもしれない。
俺の手元には、あたりを付けて買った大量のスカトロAVの各商品について、屁の発生時刻と擬音語の手書きリストがある。もうこんな原始的なやり方は疲れるからそろそろやめたいのだ……。書いていて思ったが、ITエンジニアは関係ないか、音声処理に長けたエンジニアがやればいいのか。
「くぱぁ」って何なんだろうか。
はてなキーワードの説明だと、『「くぱぁ」とは、主にエロマンガで女性器を拡げた時に用いられる擬音』だとされている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%AF%A4%D1%A4%A1
気になって仕方無かったので、妄想を交えつつ、テキトーに考えてみた。
(以下の文章は、面倒くさいのでネットで調べることもせず、思いつきで書いてます。増田のすることですんで、勘弁してやってください。)
擬音を、おおまかに分類すると、2つのパターンがあるんじゃないか、と思う。
(1)実際に発生している音に近づけるように、音を参考にして作る場合
(2)実際に発生している音とは別個に、独立して作る場合
とりあえず、この2つ。
まず、(1)実際に発した音を参考にして作るパターン。
実際に発生した音を耳で聴き、それに近いと感じるカタカナを当てはめて作ってるっぽいやつだ。
たとえば、マウスをクリックするときに発する音は、「カチッ」という擬音で表現したりする。
マウスをクリックしたとき、本当にカチッという音がしているか、と聞かれると、微妙な気もするけれど、そう聞こえないこともない。
「カチッ」=「クリックする際に発する音を表す擬音」だというのは、たいていの日本人にとって、違和感を感じないのではないか。
馴染むというか、何というか。しっくりくる擬音なんじゃないかと思う。
・・・でも、女性器を拡げても、たぶん「くぱぁ」なんて音はしない。
「くぱぁ」は、(2)の実際に発した音とは別個・独立して作っているパターンの擬音なんだと思う。
実際に発生している音とは、直接的な関係なしに、擬音を創作するパターンは、意外と多い気がする。
怒っている状態を「プンプン」などと表現したりするが、怒っている人は別にプンプンと音を発したりはしていない。
でも、怒っている状態を表す擬音として、プンプンを当てはめることに、何となく納得してしまう。
こういう擬音は、たぶん、日々の生活で、人と会話し、文書を読んだりTVを見たりして、繰り返し触れているうちに、いつの間にか、体に馴染み、腑に落ちるようになっているのだろう。
この(2)のパターンの擬音は、最初に、誰かが創作しているはずだ。
(1)のパターンの擬音も、誰かが最初に言い出したことに違いはないのだろうが、たぶんその人が言い出さなくても、いずれ生まれたんじゃなかろうか。
同じ言語を用いる地域内においては、実際に発している音は、みな、同じように聞こえるはずだから。
でも(2)のパターンの擬音は、そうはいかない。
音が実際に発しているわけではないのだから。
きっと、従来の擬音では表現しきれない感覚・思いを、誰かに伝えたくて、創作者が知恵を振り絞って生み出したものなのだと思う。
(2)のパターンの擬音は、実際に発する音とは、直接の関係なく生み出されるものであるとしても、既存の言語感覚とは無縁ではいられない。
社会で共有されている言語感覚と、まったく無縁の擬音を創作した場合、受け手にとって理解するための取っ掛かりがない。
TVのCMのように、繰り返し浴びせる手段があるなら、そのうち新しい擬音に馴染んでくれるかもしれないが・・・。
継続的に情報を刷り込むような媒体でない場合(小説や漫画などの場合)、一回で意味を理解させなければならない。
瞬間的に意味を理解するためには、従来の言語との連続性・類似性が必要なのだ。
擬音がどんな行為・状態を指すものなのか、理解されなければ、共感されようがない。
(2)のパターンの擬音は、自己の感覚・思いを他人に伝えるために生み出したものである、と先に書いた。
共感を生まない擬音は、この役割を果たさないものであり、ただの独りよがり、無意味な存在でしかないだろう。
(あまりに奇異な擬音の場合、2ch等のネット上で叩かれ、注目の的になり、逆に広まったりすることはあるかもしれないが・・・。)
手塚治虫氏が、静寂を表す擬音として「シーン」を創作した話は、有名な話だと思う。
そもそも、静寂とは、限りなく音のない状態なのだから、その状態を示す擬音を作れと言っても無茶とも思われる。
それでも、漫画表現の新境地を切り開くべく、知恵を振り絞って生み出したのが、「シーン」なんだろう。
「シーン」も、まったくの思いつきで作られたものではなく、周到に、当時存在していた言語感覚を踏まえて作られたものだと考えられる。
静寂、つまり外部が限りなく無音に近い状態の場合、人間の耳は、体内の音を拾うらしい。
そのとき人は、耳鳴りに類する音を感じるようだ。
「耳鳴り」は擬音としては、「キーン」などと表現されることが多い。
「シーン」という擬音は、この「キーン」との類似性を利用して、限りなく音のない状態を感じさせるために、作られたんだろう。
なんか、そういう話だった気がする(うろ覚えだけど)。
散々グダグダ書いてきたが、それでは、「くぱぁ」は、どうやって作られた擬音なのだろうか。
思うに、これは3つの段階を経て、形成された擬音なのではないかと思う。
【第1段階~反対語のイメージ利用~】
食べ物を口に入れ、「閉じる」ときの擬音として、「ぱくっ」「ぱくぱく」などがある。
逆に、「開く」動作の擬音として、「ぱかっ」、開いた状態の擬音として「ぱっくり」などがある。
だから、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音として「ぱかっ」「ぱっくり」を用いることも可能である。
(現に、「ぱっくり」という擬音は、エロマンガその他小説等においても、時折使われている。)
しかし、「ぱかっ」では、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音としては、軽すぎる。
どうにも、乾いた響きしかしない。
一部分、というより、足全体を拡げるときに使うほうが、しっくりくるだろう。
「ぱかっ」は、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音としては、物足りない、どうにも力不足なのだ。
だから、新しい擬音を生み出す必要がある。この際、既に社会に浸透している擬音との類似性・連続性を利用しない手はない。
「ぱくっ」「ぱくぱく」「ぱかっ」「ぱっくり」など、メジャーな擬音のイメージが利用できるなら、するべきだろう。
「ぱくっ」は「閉じる」動作を示す擬音である。
「開く」のは「閉じる」の反対の行為だから、「ぱくっ」をひっくり返して「っくぱ」とすれば、開く動作を想起させる擬音として使えるかもしれない。
しかし、最初に小さい「っ」を持ってくるのは、発音しづらいく、擬音としておかしい。
小さい「っ」は、通常の擬音と同様、一番最後に持ってくるべきだろう。
だから、ここでは「くぱっ」となる。
【第2段階~語尾の変更~】
さて、その1の作業で、まず「くぱっ」という擬音ができた。
小さな「っ」が最後に来ると、小気味よいリズムが生まれる。
動作として素早い感じ、そんなイメージを持つ方が多いはずだ。
「くぱっ」でも、女性器を拡げる擬音として、用いることは可能だ。
だが、その用途は非常に限定されたものになるだろう(・・・勢いよく拡げるときとかだろうか)。
冷静に考えてみてほしい。
素早く開くなんて、如何にも味気ないのではなかろうか。
著名な仏閣の御開帳だって、数百年に一度だったりするではないか。
勿体ぶって、じっくりゆっくり開くべきだろう。
求められているのは、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音なのだ。
そこで、「っ」の代わりに、「ぁ」である。
「くぱぁ」
柔らかくてゆっくりした、緩慢な動作・状態を感じとってもらえるのではないだろうか。
まぁ、なんで「ぁ」だとこういう感じになるのかは、説明しづらいのだけれども。
(段々、考えるのが面倒くさくなってきた)
【第3段階~ひらがな・カタカナの選択~】
もう、その2の段階で、「くぱぁ」は完成してしまった。
なので、その3は確認作業でしかないのだが、念のため一緒に確認してほしい。
日本語で擬音を表す場合、表記の方法として、2つの方法がある。
そう、「ひらがな」と「カタカナ」の2つだ。
擬音に込めた感覚・思いを、より正確に他者に伝えるには、「カタカナ」を用いた方がいい場面もある。
・カタカナは、直線的であり、鋭角的である。
・ひらがなは、曲線的であり、鈍角的である。
この文字を構成する線の形状の違いから、ひらがな・カタカナ自体に、一定のイメージが生まれる。
たとえば、スピード感、緊迫感、硬度、強調を伝えたいときは、カタカナで擬音を表記した方が、適正なはずだ。
だが、今回のテーマ「くぱぁ」は、上のようなスピード感等を伝えたいわけではない。
一応、試しに表記しておこう。
・「クパァ」 ・・・やっぱなんか違う。
・「くぱぁ」 ・・・やっぱ、こっちのほうがしっくりくる気がする。
そんなわけで、「くぱぁ」完成。
今回「くぱぁ」について考えたことのまとめ。
「くぱぁ」は、「反対語」の持つイメージを利用し、より感覚に近い「語尾」を選びつつ、「ひらがな」の特性を活かした、発明と評しても良いほど、優れた擬音なんじゃなかろうか。
・・・んなこたぁないか。
もしここまで読んでくれた方がいましたら、長文読ませて、すんませんでした。
【6月10日追記】
意外に読んでくれた人が多いようで、・・・ありがとうございました。
TBで指摘されていた「擬態語・擬声語・オノマトペあたりを使えば前半の説明が楽になりそう」ってのは、まったくもってその通りだと思います。
その通りだとは思うんですが・・・。
そうすると、擬音語・擬態語に区分する際に、「くぱぁ」を「擬態語」に分類せねばならなくなってしまう気がするんです。
う~ん・・・、上手く表現できないんですが。
何ていうか、「くぱぁ」は「擬態語」ではなく、あくまでも「擬音語」として扱いたかったんです。
先ほど見た、はてブのコメントで、『「「くぱぁ」なんて音はしないとは、さては童貞だなっ』というのがありました。
これって、凄く重要な指摘なんだと思います。
童貞かどうかはさておき、「女性器を拡げ」たら「くぱぁ」という音がする、
醒めた頭で考えれば、これは一種の「ファンタジー」です。
そう信じる子どもに、「サンタは来ないぞ」と告げ、ファンタジーを否定することはないんじゃないでしょうか。
時には、ファンタジーをファンタジーのまま、留めておくということも必要ではないかと。
・・・やっぱり上手く表現できませんね。
自分で「くぱぁ」なんて音はしないと書いておきながら、擬音語として扱いたいとか、何が言いたいのやら。
自分でもわかりません。
他にもTBで、『その理屈で「ドッギャーン」とか説明できるんかいな。』 とありました。
荒木先生がどのように考えてドッギャーンを生み出したか。
その生成過程は、私などの知見の及ぶ領域ではありません。
ゆえに、説明は難しい、と思います。
あえて、妄想を膨らませてみるならば、こんな感じでしょうか。
「ドッギャーン」は、たぶん、爆発音を示す擬音語の「ドッカーン」、人の悲鳴を示す擬音語の「ギャー」を組み合わせて作った擬音語。
まず、爆発音に対して、生物は、自己の身体を守るため、強い反応を示すだろう。
また、人の悲鳴に対して、人間は、自己の身体を守るため、強い関心を抱くはずだ。
創作者は、こうした本能に訴えかける場面を想像させる擬音語を、重ねて使用することにより、読者に、強烈な印象を与えたかったのではないか。
「くぱぁ」が出来るまでを妄想した、3つの段階に照らし合わせると・・・
(1)既存の擬音語2つを、その擬音語が持つイメージを利用するために掛け合わせる。とりあえず「ドッカーン+ギャー」。
(2)音声化した際に、一番伝えたい感覚・思いに近いように、言葉を並べ替える。この場合「-」のところが重なるようにするのが一番違和感がないはずだ。そうすると、「ドッギャーン」が出来る。
(3)この場合、強い衝撃を表現したいのだから、表記はカタカナのまま。
こんな感じに、似たような理屈で説明・・・できてるのかなぁ。
(For Beginners)
(For Windows)
(For Mac)
(In case you are using shared computer)
(Information)
部屋に一人でいるとき、何か衝動的に「お○んこ」、「セックスしたいナー!」、「チ○ポ」という卑猥な言葉を発してしまう。
他人と一緒にいるときは別にそんな衝動はないし、たまにあっても自分の意思で抑えられている。
自分でも困ったクセだと思ってたんだけど、汚言症って病気があるんだね…
この人の症状(?)と近いかも!
はっきりとした時期は覚えていないのですが
10代半ばぐらいから
時々ですが『アホか』『死ね』『セックス』などの言葉が突然口をついて出てしまうようになりました。
恥ずかしかった経験などを思い出している時です。
人前や公共の場所などでは言いかけては はっとして言葉を飲み込んでいますので
今のところ恥ずかしい思いをしたことはありません。
それから、テンションあがり気味のときは、スキャットのような意味のない擬音語で即興の歌を歌ったりもしている。これも部屋に一人でいるときには衝動的というか、ふいに口をつくように出てくる。
鬱で精神科にかかったこともあるけど、そんな自分でも知ってる先生には汚言症の相談はしにくいな…
子供のころから女体や性的なものへの興味が異常に強い自覚があって、そのことに罪悪感を感じたりしてたんだが、中学くらいには周りの友人たちにもそういう関心があることがわかって安心してた。
一人にいるときに口をつく卑猥な言葉も自分が少々スケベだからかな、と思ってたんだけど病気かもしれないのか。今でも性欲が強くてエロ動画集めとオナニーで自分の時間の大半を使ってるようなところがあるが、それも病気のせいなんだろうか。
鬱はセロトニンの不足が原因と言われているが、汚言症はドーパミンの過剰が原因らしい。
自分ではそういうのも個性だと諦観してた部分もあったんだけど、実は俺の脳内ってメチャクチャだったんだなあ。