はてなキーワード: エロマンガとは
デヴィ夫人のブログを読んで本気で気持ち悪くなった。ああいった意見を持った人間がいること自体はともかく、それに対して「よく言った!」「日本人の誇りだ!」みたいなコメントがついてるのを見るとぞっとする。痴漢冤罪は被害者立場を利用した女性からの迫害だから女が悪い!痴漢は性欲を催させるような格好をしているような女が悪い!という免責をしてミソジニー丸出ししてる浅い思考が透けて見えて本当に気持ち悪い。おまけにそれをそのまま強姦に適用しているあたり、女にとって名誉ある男に犯されるのはどういった形であれ幸福であり、それを盾にああいった騒ぎを起こすなんてとんでもない、というような視線まで感じられる。ひっでぇ。それで、朝からそんなものを見かけたせいでテンション下がりまくりな状態で俺は考えたわけである。セックスとは何ぞや。性欲とは何ぞや。もちろん実際に経験がない人間なわけだから限界はあるだろうけれど、それを考えることは無意味じゃないだろうってことで。
そもそも俺が今まで性について触れてきたのって、大体はエロゲや官能小説、エロマンガ、AVというものが殆どで、学校の性教育は全然薄かった。せいぜいが性病の感染に気をつけてくださいねーくらいで、それ以外の部分については一切なし。だから自然とそういうメディアで興奮するようになっていたわけだけど、やっぱりどうしてもそれはオナニーでしかない。セックスではない。セックスっていうのは二人の関係の中で起こる行為だからだ。単なる性欲の発散以上の意味合いを持っていて欲しい、と思う。しかし男にとってそれが難しいのは、どうしても性欲というスイッチがあることだ。それなりに単純なこのスイッチは割と簡単に入るし、条件次第ではそれのことしか考えられなくなる。股間でものを考えてしまう状態というのがどうしてもそこにあるわけだ。ただ、そういった本能のまま、衝動のままの性欲を人間を相手にぶつけるってのは、俺はどうしても肯定できない。だって相手は人間なのだ。自分と同じように考えたり感じたりする人間相手にありのままの性欲をぶつけるってことがどうしても耐えられない。性欲は乱暴な面もあるし、おまけに男はチンコ突っ込んで射精してあーきもちよかった、で済ませられてしまう。それってセックスじゃねえじゃん、と思うわけだ。生身の人間の膣を使ったオナニーでしかない。人間はオナホールじゃないんだぞ。もちろん、そういった性欲の存在は否定しないし、発散する手段はあっていい。そのためにポルノメディアはあるんだと思う。オナニーに際してそれを用いることには俺は賛成だ。確かに「悔しい、でも感じちゃう(ビクン」なメソッドには興奮する。するよ。ちんぽギンギンだよ。でもそれを、もし生身の相手のにんげんにやって、おまけに相手が嫌がってたら、それ、やめるべきでしょ?
あと、恋愛は性欲をデコレーションしただけのことだ、なんて言葉に浸って恋愛の不可能性を指摘した気になっているような奴はどうにかしたほうがいいと思う。恋愛に性欲は不可欠だけど、それをどう運用していくかってことが大事であって、セックスのないプラトニックな恋愛=清純=理想、セックスのある恋愛=生々しい=現実、みたいな稚拙な二項対立に持ってくのだけは童貞として避けていきたい。セックスのあるプラトニックな関係だってあっていいし、セックスのない生々しい関係だってあっていいじゃないですか(そこんとこどうなんですか恋愛経験者の皆さん)。
大事なのは、セックスっていうのは二人のものだってこと。だから普段は仲が良いのに彼氏から乱暴なセックスされてつらいだとか、別れるのが怖くてしたくもないセックスばっかりさせられた、みたいな話を聞くたびに俺はもうやるせなくなってくる。なにやってんだよと。せっかく相手に触れていい、そういうことをしていいっていう関係を築けてるのに、どうしてそこでそうやってしまうんだよ、と。別にうらやましいんじゃなくて(まあ嫉妬だといわれたらそうなってしまうんだろうけど)、なんというか、悔しい。ある程度人と関わっていくことができるような人間にとって、恋愛やセックスって、傷つくことも嫌なこともたくさんあるけど、それと同じ、それ以上に嬉しいことや喜ばしいことがあっていいはずじゃないか。なんでそこで傷つけるだけで終わらせてしまうのかがわからない。なんでだよ。
もちろん性に対しておおっぴらにしろってわけじゃないけど、でも、たとえばセックスが終わった後に、お互いに自由に感想を交わせるような習慣があっていいんじゃないか。女性の側も男性の側も、痛かっただとか、もうちょっと優しくして欲しいだとか、そこを触られたのは気持ちよかっただとか、そういうことをやって、二人でセックスを作り上げていくべきだろ。そうじゃなきゃセックスじゃねぇって。形だけの同意とってんじゃねえよ。悔しくても感じてるって勝手に信じるなよ。本当にセックスできるのか考えろよ、性欲を上手に乗りこなせよ。ポルノメディアみたいなセックスのことを考えるなら、そうでないセックスのことを考えてもいいじゃないか。男が女にセックスしてやる、チンポ突っ込んでよがらせてやるよ、みたいなセックスじゃなくて、清濁併せ呑んで二人だけのセックスを試行錯誤して作り上げていけよ。そうであってくれよ。
だから、こういうレイプだとか性犯罪に関して、セックスを通じて性暴力という形で人が人を傷つけてしまった、不快な思いをさせたってのはだめだ。しかも今回は立場とかの問題も絡んでる。それなのにデヴィ夫人のブログとかそこにつくコメントみたいな意見が支持されるのはやるせない。鈍感にもほどがある。俺はそう思う。
……そう思うんだけど、なんつーか、あくまで童貞の理想論であることも認める。ので、セックスしたことある人、嫌だったセックスをさせられたことのある人、俺みたいな意見って、どうなんでしょう。以上。
このhttp://anond.hatelabo.jp/20111204004159「女性を冷遇できない」に納得する(私は女)。みそっかす扱いというか、おまけ。
フィクションやCMで女を悪人に仕立てる、ダメ人間として描くものも見たいと思っているが、それは女を貶めるための描き方ではないものであってほしい。
前にどこかでドラマや映画で自衛隊を悪役に描けない、という意見も読んだ気がする。そういう感じに似ているかも。
関係ないかもしれないけど、携帯で2chとか見てるとよく出てくる男性向けエロマンガの広告は美女がきもいおっさんに……みたいなのが多いけれど、男性はあれでいいのだろうか。美人がイケメンといちゃいちゃするところを見るよりはまし、ということなのだろうか。わかんね。
という切り口なら、同じレベルで
普通にあるよ。
ここで。
そういう作品(ヲタ男から見ても「男女どちらもまともでいい奴」である作品)は「普通の人向けだろ」って「定義」にしちゃうなら、
「ヲタ男向け作品」は、絶対に『ヲタ男から見ても「男女どちらもまともでいい奴」である作品』ではないと言える。
定義上、これは当然そうなる。
「もしドラ」読んだ。順番逆だけど「小説の読み方」も参考にできたので面白く読めた。
感想を一言で言うと「第一章は素晴らしい」かな。まだ読んでない人も第一章だけは読むといいと思う。
追記:
いろいろ書いたけど、結論としては「ヒカルの碁のオマージュ」でいいような気がしてきた。
1章で主人公の人格を描き、2~7章でマネジメントを描き、最後に対決の場を用意する。
こういう時は、どちらを優先させるべきか、という主従関係を考えさせる。
「マネジメント」をドラッカーやQBのような人格的存在ではなく、主人公が一方的にアクセスする存在にしたのは
あくまで最後まで「マネジメント」が常に上位で、主人公はそこから学ぶ存在であるとするためだろう、と。
1章以外があんまり面白くなかったのは、主人公がまったく動いてないからだと思う。
ヒット作の基礎としてもっと研究されてもいいかもしれないなー。
このマンガは、戦争という、誰が描いたのかしれない、とてつもなく大きく理不尽な物語に巻き込まれた人物の、「あれは一体なんだったのか」という理不尽を徹底して問うているものだと思います。 そのために、膨大な書籍を読破し、引用し、言葉の限りをつくして、主人公はその理不尽さに対峙するのです。これは作者の大西が戦中言いたかったことのすべてを、「これは一体何であるのか」という世間への問いを、主人公に代弁させているのではと思います。
しかしそれは、どんなに言葉を尽くしても語り尽くせるものではなく、それがいったい「何」であるかなど、断定することはできません。多くの死者と悲劇を産み出したものが「何」であるかを説明などできないのです。しかしその「説明することのできなさ」、そして「何」であるのかを誰も知らぬままにただ抑圧されてきた者たちの鬱屈、そういったものが描かれているのではないでしょうか。
私が戦争体験がないのと同様、漫画化したのぶえのぶひさにも、戦争体験はありません。それでいて、軍生活の細部までもを絵で表現するという「無謀」に挑戦するのは、抑圧された者の語り得ぬ言葉の鬱屈さを彼も抱えていて、語りたい、言葉が欲しいという、ただ一つの情熱ではないかと思います。 戦争はたくさんの人から言葉を奪いました。そして今も、たくさんの人が自分のリアリティについて、語る術を持たず、沈黙を強いられています。そういった人々が何かを語らんとしたとき、それはダムの決壊のような勢いを持って、言葉の放流となって私たちの前に現れます。 私たちはそれにとまどい、それが「何」であるのかを理解できません。言葉はあまりに複雑で、あまりに多すぎるからです。そして、その言葉の放流を前にしたとき、私たちは「閉口」するのです。主人公の東堂に論破される人々のように。
そして、語っている本人ですら、もはやそれが「何」であるのかなど、分かってはいないのかもしれません。ただ、その語り得ぬ「何」かを、その「説明することのできなさ」を、他者に言葉を尽くして「説明している」のだと思います。オマエはこれを知っているのか、知っているなら語ってみよ、説明してみよ、と迫るのです。そして誰も説明できずに、言葉を飲み込むしかないのです。 これだけの言葉を尽くしても、決して説明しえない理不尽があり、これだけの言葉を用いて25年かけても昇華されない痛みと悲しみと怒りがある。極力まで押さえた表現からにじみ出てくるもののすごさに、私はただただ、言葉を失って、圧倒されたのでした。
これは大西巨人の「神聖喜劇」という作品のコミック版に対する感想。
作者が最も描きたかったのは回心的な体験の部分であろう。主人公が立ち上がる部分。
つまり冒頭に当たる一章の部分。ここの描写は良いと思う。
(2)・宗教的な救い、
・自分の居場所、方向性
おそらく、作者自身がそれを体験し、誰かに伝えたいという強い思いから、この作品は書かれたのだと思う。
その意味で、彼が「もしドラ」の後に「小説の読み方」の本を書いたのも、彼の中ではつながっていると思われる。
というより、「もしドラ」と「小説の読み方」では全く同じことを言っている。「***との出会いは人生をすくう」ということだ。
彼が今後別の話を書くとしても、おそらくこういう「師匠との出会い」「良い本の出会い」がテーマになるのではないか?
そこから解放されること(抗うこと)をを欲してやまない、それでいてその望みを自覚できないほど自らを抑圧している主人公が、
ある言葉との出会いをきっかけを手に入れ、人生が救われる、という過程、いや瞬間。それを描ければきっかけはなんでも良いのである。
実際、ラノベでも中二病小説でも、似たようなテーマは手を変え品を変え書かれている。
ただ、この作品は他のものと少し違うところがある。
「生まれ変わりたい」という主人公の思いとその実現がまっすぐ、なんのひねりもなく寄り道もなくそのまんまベタに書かれているということだ。
そこに一切の照れもなければ、言い訳もない。ラノベにありがちなごちゃごちゃした設定も全くない。
高校野球の部活というありきたりの舞台で、今時一般的には口にだすのも恥ずかしいとされるようなまっすぐな思いだけを描いてる。
読んでるこちらが気恥ずかしくなるほどのストレートど真ん中な感じは、なんだかすこし懐かしささえ覚える。
話の筋書きや細かい描写などはツッコミどころ満載だが、むしろその不器用さが「青少年の主張かくあるべし」という感じで好ましい。
この正直小説と読んでいいのか迷うくらい本当に「まっすぐ」な部分は珍しいと思うので、食わず嫌いせずにぜひ読んで欲しいと思う。
なぜ人が宗教を求めるのか、知識を求めるのか、物語を求めるのか。
そういう根本的な部分についての彼の思いを語ろうとしている点ですごくよかった。本編があとがき、みたいな何かを感じた。
この作品で重要な存在としてとりあげられるのは「マネジメント」についてだが、
別にこの作品は主人公が読む本が「マネジメント」でなくても代替が可能である。
実際には、普通の日本の高校生にとって、マネジメントの代替物になりそうなものは現実的には少ないと思うが、
この作品の主人公にとってほんとうに重要なのは、作中で多数引用されている中の、ある一節の文章だけである。
その一節が、主人公の中にある価値体系を肯定し、主人公の人生の希望となる・・・この部分の描写が全てである。
故に、この作品はマネジメントが中心にはない。マネジメントのなんたるかを描こうとした作品ではない。
ただ、このあたり、一章で提示された最重要な部分と、マネジメントの説明の混線が2章以降に見られるような気がする。
正直に言わせてもらうと、最終章以外は読まなくても良いと思う。
一章とまるでテンションが違う。
必要がないとまでは言わないが、もうちょっと何とかならなかったのだろうか。
なぜすばらしい一章から、こんなふうに続いてしまうんだろうか、よく理解出来ない。
下手なエロマンガとかだと、最初の出会い部分とエンディング以外は
登場ん人物の人格とか細かいことはいいからエロだけやってりゃいい、みたいな展開になることがよくあることなんだが割とそれに似ている。
どれも観るのは結構好きなんだけど、実際やったらしらけた。
要因として、
腰が痛かったり、疲れたり、胸から腹が潰れていて呼吸が苦しかったり、疲れたり。
彼氏は鍛えてるのでさほど疲れないそうだけど、私は体力が無いので本当につらい。
正直、体勢を維持するのに必死すぎて快感も興奮もまるでない。
AV・エロマンガ・エロゲーなどを観る時、私は登場人物の表情を見て興奮していたらしい。
だから視界にシーツしか入らない状態が長く続いたり、男性器のアップしか見えない状態が続くとしらけた。
ホイホイ体位を変えられることにしらけた。
観るのは好きだから理解あるほうだと思っていたのだけど、実際やってみると全然違った。
正直もう二度としたくない。彼氏は乗り気だから言いづらいけど本当にしたくない。
やるならコスプレ・シチュエーションプレイ等の身体に負荷のかからないものだけにしたい。そっちなら割と好き。
AV体位をあと何回かやっただけで彼氏に対して完全にさめそうな気すらして怖い。それくらいしんどかった。
いつ切り出そう。
誰も触れてなかったようなのでちょっと書いてみる
タイトルから分かるように、いわゆるロリ系のエロマンガ雑誌である
しょうもないというのは、下手に現実的な視点で表現をする為に読んでいる方が「うわあああ……」と頭を抱えてしまう、という意味だ
クジラックスの作品で最も有名なのは、LOの2009年7月号に掲載された「らぶいずぶらいんど」であると思う
「20歳なんですけど!ふくしの大学?に通ってるんですけど」の台詞で有名な「らぶいずぶらいんど」
掻い摘んでストーリーを説明すると、小学生の女の子が視覚障害者の男と出会って仲良くなり、年齢を偽りセックスをするが……といった感じだ
クジラックスは小学生を主に描き、現実世界の何処かで見たニュースを思い出させるような作品を作る
さて、「ろりともだち」に話を戻そう
この作品では珍しく、少女の方ではなく男の方に焦点が当てられている
大学の新歓で知り合った2人の男は、互いにロリコンであることをカミングアウトして仲良くなる
初めは動画や画像を共有して、ロリ談義をする程度であった二人は
盗撮やぶっかけ(立ち読みしている少女に精液をかける)、声掛けをするなどエスカレートしていく
それを皮切りに多数の県を周り、何人もの少女を強姦するようになる
この作品はちょっと異色かなと思う
この作品が違うのは、男側の汚い部分をあえて見せたところだ
陵辱物だとしても、男側の考える事なんて必要でないどころか邪魔なものだ
そんなもの誰も知りたくないし、書きたくもないだろう
けれど、この作品で描かれる男の台詞には不思議と共感してしまう部分があった
「ろりともだち」の最後は「こんな気持ち僕らにしか……分かんないよねぇ。僕らにしか……さぁ……」という台詞で締められる
それを(一般的にはマイナー誌とはいえ)雑誌メディアに載せた所が「ろりともだち」の凄いところだと感じた
登場する男2人が善人であると、とてもじゃないが言えない
けれど、自分にも彼らと同じように黒い部分(現実の女の子と……)が存在するのは確かなのだ
誰もが触れられなかった領域に雑誌という公の場で触れた作品は、どの様な影響を周囲に与えるのだろうか
田舎(いなか)または鄙(ひな)とは、農村・漁村・山村のように、人口や住宅が疎で辺鄙な地域を指す概念・用語である。対義語は、都市、都会、都など。
村落は学術的に用いられることが多いのに対して、田舎や村はよりくだけた俗語・日常用語である。また、生まれ(育ち)故郷を指す場合もある。
以下で言う「田舎」は、「辺鄙な地域」という意味と「故郷」という二つの意味。
昨年、西川美和監督の『ゆれる』を鑑賞した。心もゆれる、いい作品だった。
先日、岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』を鑑賞した。賛否あるようだが、いい作品だった。
そして、どちらも性的表現があり、作品全体に流れる空気も淫靡だ。
懐かしい。
それと共に、閉塞的で、物悲しさ、憂い、残酷性、狂気も感じる。
退廃的な美。エロスだ。
でも、田舎のどこが退廃しているのか、詳しくどのようなところがエロティックなのかは、まだよくわからない。
心臓をギュッと掴まれるような恐怖を覚えながらも、どうしても田舎を舞台にした作品を観てしまう。
だから、帰省のたびに泣きそうになり、帰省のたびに胸が高鳴る。
田舎って、いいよね。
ほぼ毎日楽しませてくれる&ここで紹介されてる商品は結構自分にとってヒット。
なのでここのアフィで欲しいもの発見した場合はお礼代わりにアフィ通して買ってる。
毎月膨大に発売されるエロ漫画の雑誌&単行本をほとんど買っていてレビューしてくれてる。
あと雑誌の掲載作家情報も、連載陣の不安定なエロマンガ誌には大事。
気に入った作家の作家買いをしたいとき、単行本だけでなく雑誌の些細な掲載情報まで網羅で全部出てくる。
なので、ここのおかげで購入を決めたエロ漫画は全てアフィを踏んで買ってる。
結構一冊一冊が安くないものなのでこれもプレビュー画像と内容まとめがあるのはうれしい。
ここも、購入を決めた教本は全てここのアフィ通して買ってる。
みんなもお世話になってるサイトのアフィは結構踏んだりしてる?
まあはてな界隈だとお世話になるサイトっていってもプログラムとかそっちのほうが多くて
あんまアフィでどうこうはないのかもしれないけど。
女は童貞が嫌いなんじゃない。
射精可能になってからかなりの年数が経っているのに童貞な男が嫌いなの。
女を欲望しながらも手に入らず、大量のAV・エロマンガ・エロゲーを消費して、
長い年月かけて女への理想を蓄えまくっているじゃない。
同級生の男が次々と童貞捨てたり、結婚したり子持ちになったりするのを尻目に、
好きな女の子を他の男に取られたり、彼氏持ちであることが判明したりを、
12歳で目覚めて今32歳の童貞、とかはてなにも居そうだけどさ、
そんだけ溜め込んでたら屈折して当たり前。性格腐りまくって当たり前。
AV・エロマンガ・エロゲーを賛美してリアル女を叩きまくるようになって当たり前。
近づきたくない。気持ち悪い。
初めて風俗に行ってきたので考えたこと、感じたことをつらつら書いていこうと思う。
以下感想。
※ブコメで頻出している「1万6千円って安すぎだろう」という突っ込みに対する応答も含め、補足を書いたのでそちらも参照してもらえると幸いです。
されること10種類のうち8種が良くて2種が痛い場合、その2つはされるの痛いって言いやすい
でも10種類のうち8種が痛いあるいは最悪全部痛い場合、何も言えなくなる
好意でしてくれている相手を否定し続けることになるから心苦しくて黙ってしまう
自分の母校を志望してる学生に勉強教えてください!と頼まれたとして
その子が割り算も出来ていなかったらもう教える意欲が減退するじゃない
合格させるにはスパルタ・悪役やらなきゃと思うと完全に萎えるじゃない
人に仕事のリテイク出すのだって1、2回は言えても3回4回と続くとやり直しさせる方の心も折れてくるじゃない
言われた方の、またリテイクか…っていう表情を見るだけでしんどいじゃない
それで不満があっても通しちゃったりするじゃない
男って、痛かったり良くなかったりするときには言って、なんて言いながら
本当に痛いですって言われる覚悟は出来てるの?
今までされてたことはほとんど痛いことばかりで、声を出したり表情をゆがませていたのは
声を抑えた悲鳴と苦悶だったんです、って聞いてプライド瓦解しない?
傷ついて落ち込んで女性恐怖症になったりしない?
お前が不感症なんだろうとか、実はビッチだから要求が高すぎるんだとかって逆ギレしない?
不信感があるから嘘つくし、演技するし、イッたふりするんだよ
AVやエロマンガみたいな動きのあるエロは全部廃絶してグラビア・ヌードだけにして欲しい
今の相手と10数年前につきあった相手がすごくにている。
顔が割と似ているし、微乳なのも(70A)割とお尻おっきめなのもまぁよくにている。
今の相手は割と積極的だけどスポーツ的というかあんまりじっくりとしたのは苦手。割とさっさと入れてほしいというタイプ。
あと、ク○ニされるのが苦手。
前の相手は積極的なのは一緒だけどねっとりというかエロマンガ的?というかまぁすごいエロい。彼女のフェ○はたぶん今までつきあった相手(○○人くらい)の中でもダントツにうまい。
でこの二人の違いというのは、前者は体育会系、後者はかなりオタクな文化系なんだよなぁ。
てことで結論、文化系女性はねちっこくて相当エロい。体育会系女性はさっぱりしていてさばさばやることはやる感じでエロい。
他にも実例をまとめてみようと思うけど、ちょうど似たような二人だったので書き殴った。
18禁のいわゆるエロマンガに関して、まぁ、法律で規制するのは基本どうかと思うのだが、
ゾーニングで不快に思う人に可能な限り手の届かない状況にするために自主的な活動はした方がいい気がする。
18禁マンガに内容に関する表示を行うためのガイドラインを自主的に作るとか。
提案としては、一般的な18禁マンガ愛好家でも、「これはちょっとアブノーマルだよね」と思えるものに関して
注意を喚起する表記をつける。たとえば、
「設定上12歳以下、もしくは小学生以下を連想させる学校指定の服装や帽子、鞄・ランドセル類の
(この項目に関しては特に議論があるところだと思うが、大体合意が得られそうなラインとして今回は設定している)」
あたりに対して、それぞれが含まれていることをすぐにわかるように18禁マークの近くに
それとわかるピクトグラムを追加する。が、別に販売に対しては今までの18禁マンガと同様に扱って良いとする。
言っててナンだが、3つ目の奴は直接的すぎて同様に扱ってくれるのか不安なところもあるが…。
これにより、一般の18禁マンガ愛好家やあまりトラブルを抱えたくない書店は注意して本を選ぶことが
(逆にそういうのが好きな人はそれだけをチョイスできる)できる。とか言う枠組みはどうか。
何かあった時にこの枠組みを調節して対応できれば大きな問題にしなくて済むのではないか?