はてなキーワード: 天動説とは
http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-1173.html
番組はここで見られるみたいよ(ただし5分以上はVeoh入会者限定)
というわけであとはまかせた>すでにVeohに入会してる人
斬新な定義で笑いを誘ったまとめ「http://togetter.com/li/186846」から発展したまとめ「http://togetter.com/li/186951」にて
、天動説や地動説の問題(天動説は、現在では正しい)は、科学史ではよく言われることです(もう飽きました)。たしかあのNHK!でもやってた。
などとほざきやがるので検索してみた。
まず見つけたのがハックルさんの記事。http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081105
たぶん地動説のことは誰でも知ってると思うが、天動説もまた誤りではないというのは、意外と知らない人が多いのではないだろうか? この前テレビを見てて、そんなことを思った。
NHKに「爆笑問題のニッポンの教養」という番組があって、爆笑問題の二人がホストとなって、毎週さまざまな学者の先生と侃々諤々の議論を交わしている。この前それを見ていた時に、たまたま天動説の話が出てきた。それは、天文学者である小山勝二との対話でのことだった。
その中で、爆笑問題の太田光が何かの比喩として天動説と地動説を持ち出してきた。そうして、天動説を「誤ったもの」、地動説を「正しいもの」の例えとして論を進めようとしたのだけれど、そこで小山に「いや、天動説だって正しいんですよ」と否定され、その比喩はすぐに取り下げざるを得なくなった。
そうして太田は、今度はまた別の話題に話を転換したから、彼が「天動説もまた誤りではない」ということを知ってたか知らなかったかは分からなかったが、それでも、それを知らない人は意外と多いのではないかと、その時に思わされたのである。
地動説と天動説は、どちらが正しいとか間違っているという問題ではない。いや、とても厳密に言うと(それは主に美意識的な意味で)そういう問題になるのだけれど、とりあえず科学的には、そういう問題にはなってない。地動説も天動説も、どちらも科学的に説明できることなのだ。
長々と引用したけど、彼がこれを書くに至ったのはNHKの番組、『爆笑問題のニッポンの教養』のようだ。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20080325.html(京大SP)
あーこれは確かに11月に再放送やったのを見てた記憶がある。でも天動説云々言っていたかは覚えていない。誰か覚えてる人いないかなエロイ人。
以前
http://anond.hatelabo.jp/20100715105846
の投稿で、
「はてなーの科学リテラシーをスタンダードとする天動説的考えは、
ママ友ワールドには通用しないよ、水疱瘡とか治った子のところに
まああまり小生も科学リテラシーが「はてなー平均ほどは高くない」
(世間一般よりは高いを思うが)ので、そのときはあまり反論しませんでした。
http://6506.teacup.com/0120320354/bbs
にしたところ、
常連で科学リテラシーが自分よりはるかに高い人(東大工学部卒⇒現在私大准教授)から
『治った子供から免疫をおすそ分け』してもらうという行為自体、
それなりに理に適っている(科学リテラシーなしとは言えない)のではないか?」
との意見をいただきました。
>昭和40年代まではごく普通にありました。パーティではなく、はしかになった
>子どもを聞きつけ、「うちの子にもうつしてあげて、小さいうちになった方が
>軽く済むから・・・」、みたいな感じでうつしてもらってたんだそうです。
>はしかパーティのママともグループは、おそらくその母親世代からその慣習を受け継いで
>自分たちで納得して行っているのでしょう。
>これは私は、科学リテラシーがないからだとは思えません。
>はしかワクチンの危険性(副作用、因果関係不明の脳症発症例etc)
>はしかワクチンの有効性(免疫が継続しないので大人になってからかかるリスク)
>vs
>を天秤にかけてるんでしょう。
>もちろん前者のリスクの方が小さいとされるから、予防接種が行われているわけで、
>私も予防接種をする方を選択していますが、予防接種の危険性もよくわからぬ状態なので、
>後者を選ぶのも見識の一つと言っていいと思います。
>はしかのリスク、合併症の確率は統計的に算出されていて、命定めと過去に言われた
>ように丈夫な子は大丈夫なことが多いが、予防接種のリスクははっきりしていません。
>なんかあっても因果関係が不明とされてしまい、泣き寝入りすることが多い。
>私の印象ですが、予防接種の副作用で統計にのっているのは因果関係がはっきりしている
>ものだけのような気がします。
>たとえば、うちの子は、Hibワクチン接種後、翌日に原因不明の高熱を発して、
>2日ほどで下がりましたが、医者を受診すると因果関係不明と言っていました。
>実際、育児ブログなどを検索するとヒブワクチン接種後、原因不明の高熱を
>発したと書いてあるのが結構あるのですが、公式に発表されている高熱発生率とは
>全く違うような印象をもっています。そこらへんは何か不信感をもつ。
>接種後、腕が2倍くらいにはれ上がってましたが、腫れ上がる率もかなり低めの
>データが公表されているようですし。
・・・ということで、「予防接種副作用リスクがキチンと見える化されている」のが
議論の前提だったと思っていたのですが、「統計に出ていない水面下のリスク」も
考慮すると、議論の枠組みががらっと変わってしまう。
http://mesetudesenfrance.blogspot.com/2010/05/blog-post_06.html
これが一番びっくりしたのですが、反対意見をいう人の殆どが、首相は馬鹿だと信じていることです。いつも冷静なブロガーなども、問題の結論として何故か首相は馬鹿だからという理論を持ってきています。僕はこれはどうしても信じられません。政治や外交のことなんて専門的にやった事が無い僕が、何十年も専門的に仕事をしてきたプロフェッショナルよりも、かしこい選択に辿りつけるなんて信じられません。
さらに馬鹿だからと言うのは説明としても成立していません。これを理由にするのは便利すぎるからです。例えば、
...(略)...
一種の思考停止だと思います。日本ではおそらく首相をバカにした報道がなされているのでしょうが、これほどまでに皆が首相は馬鹿だと思い込んでいるのはちょっと怖いです。前エントリでは、「善意の愚者が意図せず事態を混迷させてしまった」と解釈されるのが鳩山首相にとっては最も都合が良いと書きました。なぜ意図的にやっている可能性を考えないか逆に不思議です。
この人は最初から鳩山を馬鹿だと決めつけて議論するから馬鹿だという結論になると思い込んでいる。違うだろ、馬鹿なことを散々してきたから馬鹿だとかルーピーだとか言われる。ここ数日だけでも、県外移転は民主党の公約じゃなくて私の見解だとか、海兵隊が抑止力だと勉強してやっとわかったとか言っている。古いものまで探してきたら膨大な馬鹿だと言われる言動をしている。
民主党支持者が信者と呼ばれるのは、単に支持しているのではなく、理屈抜きに体制を守ることが至上の目的になっている。宗教とはそうしたものだ。天動説でも何でもいいけど、聖書に書いてあるとか教皇が言っているとかが全てで、現実がどうであるかは考えない。
この人は1つ前の記事で
http://mesetudesenfrance.blogspot.com/2010/05/blog-post.html
四年間いろいろ考えてみればいい
普天間問題だけで終わってしまうと、ただ単に対米従属反対を言っているように思われてもいけないので、鳩山政権の懸案事項も同じ構図で触れておくことにします。
例えば、事業仕分けは、60年前に登ると決めた科学立国という山を登るために必要な、膨大な研究費をすべて出す必要があるのか検討しています。研究者としての立場からすると、研究費が減らされるのは困りますが、その研究が必要であることが主張できないようでは減らされてもしょうがないと思います。逆に、周りを見回してみた結果、全てのプロジェクトが日本にとって必要不可欠であることが分かれば、自民党時代と同じように全てのプロジェクトにお金を出すことになります。それは、議論の失敗ではなくて、すべて必要なことがわかったという成功です。議論後に議論前の結論に至ることにも価値があるのです。
友愛の話でも、子ども手当ての話でも自民党時代に決まった既定路線を見直して新規路線を作り出す努力をすることは今の日本に必要なことではないでしょうか。議論後に議論前の結論に至ることになっても、既定路線が正しかったことが分かればそれはそれで進展です。4年間ぐらい試行錯誤してみればいいのではないでしょうか。
という類の「ユニクロ悪玉論」は、けっこう広く支持されてるんですね。後藤田正純氏のように「安売りを規制しろ」という政治家は多く、内閣府参与になった湯浅誠氏も公然と海外移転禁止論を主張しているので、民主党もそのうち言い出すでしょう。
こういう人々が錯覚していることを証明するのは簡単です。たとえばユニクロの海外生産を禁止したら、どうなるかを考えればいい。中国の工場の賃金は日本の1/5程度らしいので、これをすべて日本で生産したら、1000円のジーンズは5000円ぐらいになるでしょう。消費者は買わなくなるので、ユニクロの売り上げは落ちます。そうすると経営が苦しくなって従業員は解雇される――これによって、いったい誰が得をするのでしょうか。
彼らの錯覚の原因は、内外価格差を「デフレ」だと思い込んでいることにあります。ユニクロが低価格で売れるのは、グローバルな相対価格の差を利用した価格競争であり、貨幣的なデフレではありません。価格競争で安い商品が勝つのは市場経済のルールであり、競争を禁止して高い商品を守ることは消費者にとって有害なばかりではなく、企業の国際競争力を弱め、最終的には日本の産業全体が沈没します。
それが今、まさに日本経済に起こっていることです。正社員の賃金が労働生産性をはるかに上回っていることが企業収益を圧迫しているのに、労働生産性に近い賃金で働く非正社員が「かわいそうだ」とメディアが騒ぎ、それを禁止しようとする。いつまでたっても国内の高賃金が正しく、新興国の低賃金が間違っているという天動説が抜けない。
残念ながら、日本政府が「正しい賃金」を決めることはできないのです。衣類のようなグローバルな商品の価格は国際的な相場で決まり、その価格で競争できない企業は退出するしかない。これは水が高いところから低いところへ流れるのと同じで、せき止める方法は保護主義だけです。今まで日本は、複雑な商慣行などの非関税障壁によってこうした水位差を巧みに守ってきましたが、その堤防が決壊したことが「価格革命」をもたらしているのです。
これをデフレと取り違えて「日銀がお札をばらまけ」などと叫んでいる人々は、日銀がユニクロの安売りを止められるとでも思っているのでしょうか。たしかに、いま起こっている価格革命は多くの企業に事業再構築を強いるもので、愉快な出来事ではありません。
しかし、かつて日本企業が欧米に低価格の自動車や電機製品を輸出したとき、彼らは同じ経験をしたのです。そのとき「貿易摩擦」を言い立てて日本からの輸出を妨害したGMは、経営破綻しました。
これまで日本が繁栄してきた最大の原因は自由貿易の拡大であり、それを元に戻すことは可能でもなく望ましくもない。むしろ日本が成長するには、新興国の関税を撤廃させる自由貿易協定(FTA)などによって輸出を拡大するとともに、現地生産によってコストを下げてグローバルな競争に勝ち残っていくしかない。競争を妨害してユニクロを非難していると、日本中の企業がGMのようになるでしょう。
情報強者って「真実を知っているもの」ではないと思うんだがねぇ。
その自治体、もしくは国から旨みだけを吸って逃げる事ができたものが、情報強者だ。
情報を知っていることで、他人よりも上手く立ち回れるから情報強者なのであって、結果失敗したのなら強者でもなんでもない。
むしろ、弱者。
コペルニクスが例で出ているが、天動説が常識の世の中で地動説を説いた、なんてのは情報強者でもなんでもない。
それは時に天才とか呼ばれる異常者なだけだ。
地動説と言う考えを人よりも早く知って、その価値に気付き、それで財を成したものがいれば、その人こそが情報強者だ。
言いたいことはわかるけど、それはプロの間でしか通用しないよ。一般には、教科書にあるから、本に書いてあるから、立派な先生が言ってるから、だからきっと正しいんだろうと考える。そういうものでしょう?反証可能性だの論文だの、普通の人には無関係だもの。そこんところが問題なんじゃないのかな。
そうですね。『何かの本に、人間は自分に都合の良い事、自分の思っていることと同じ事がマスメディアで語られると、立証なしにそれを正しいと信じ込むという都合の良い習性がある』と書いてありました。まったくその通りだと、なんの実験もせず、反証もせず、うんうん、その通りその通りと思った、天動説うんぬん言い出した増田の私が通ります。
であるからこそ、なるべく、実験するクセを付けることが大切。証明することが大切。査読することが大切。と自分に言い聞かせていることもあり、強く言ってしまいました。
まぁ、難しいですね。
天動説を疑似科学として持ち出すような人というのが、私のことであれば。良く読んでとしか言いようがないです。
地動説が正しく、天動説が誤りであるってどこに書いてあるか、教えて欲しいですw。
天動説がデータを取っていたというのはその通りですね。私の言い過ぎでした。
そもそも、主題とは関係ない事かと思います。主題は、査読を拒否するか、否定するなら、きちんと論文の形をとって、査読者を集め、しかるべき科学の手続きを踏めという事です。その主題に置いては、天動説も地動説も確かに正しいですね。しかしながら、しかるべき手続きを取った結果、現代では地動説の方を一般的理論として取り扱うのが一般的かと思います。
まぁ、こうやって、議論を重ねて、誤解を解いて、指摘があれば反論して、それでも、残る物が科学かと思います。
という大元のタイトルに対して、
「これまでの経験から考えて、神に頼っても何もしてくれない可能性の方が高い」と信じるならば、実験と理論で説明せよ。
そうでないならば、保留して、汝が信じることを実験と理論で説明せよ。
たとえ、証明できなくても、実験を積み重ねることで、この方法では証明出来ないという事の証明になり、それはそれで、科学の1ページとして、輝かしくはない物の立派な科学の1ページだと。
私は科学をそのように思っています。
天動説云々は同意するけどね。
天動説を疑似科学として持ち出すような人をたまに見かけるが、教科書にあるから学校の先生が言ってたから地動説が正しいとか思い込むことこそ非科学的なんだけどね。
言いたいことはわかるけど、それはプロの間でしか通用しないよ。一般には、教科書にあるから、本に書いてあるから、立派な先生が言ってるから、だからきっと正しいんだろうと考える。そういうものでしょう?反証可能性だの論文だの、普通の人には無関係だもの。そこんところが問題なんじゃないのかな。
よくこういう勘違いあるけど天動説でも千年以上実用に耐える天体運動の予測ができてたわけで証明なしに正しいとされていたわけじゃない。観測結果に基づいて正しいとされていた。それに相対論的には絶対座標自体がないんだからどっちが中心でどっちが動いてるかなんか解釈次第でこれに反証可能性なんかない。どちらが実用的か程度の話。
天動説を疑似科学として持ち出すような人をたまに見かけるが、教科書にあるから学校の先生が言ってたから地動説が正しいとか思い込むことこそ非科学的なんだけどね。
「水は言葉を理解する」という命題は、「過去の水に関する実験結果は、全て水にかけた言葉と関係なく説明できる」ことから、間接的ではあるが、否定実験をするまでもなく容易に反証可能。
あくまでも、私見になってしまい、パブリックな科学論とはずれるのかもしませんが、私はこのセリフには同意できません。
なぜならば。
昔は、天動説が証明することもなく当たり前でしょう、と言われていましたが、今では、地動説の方が一般的です。
しかしながら、何百億年という単位で見た場合、実は、地球が太陽の周りを回っているというのはたかだか100億年程度の事で、あと200億年後には、別な軌道を描くもっと複雑な運動であったことが証明されないとは限りません。
地球が太陽の周りを回っていると考えるのは十分に合理的であり、天体観測上も問題なく。十分矛盾がない理論である。という事になると思います。
こういう考え方が科学であると思いますので、十分な考察と、十分な実験が無く、肯定することも否定することも非科学的だと私は思います。
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「水は言葉を理解する」という命題は、現在の科学の基本的な実験と、その命題を主張する科学者の実験に不備が見られることを理由に、「水は言葉を理解する」という命題を主張するにはデータ不十分。よって検討に値しない。
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言い方を変えると、査読を拒否するのに十分な理由がある。という言い方でもいいかもしれません。
という分には問題ないと思いますが、反証可能であるとするには、やはりそれも、データ不十分である。ほとんどの人が唱えている「水は言葉を理解しない」という命題もまた、査読を拒否するのに十分な理由があると思います。(他の実験とかいわれても、他の実験は他の実験で条件が違うのに、何か言われても困りますと。もっとも、必ずしもそうでもない事も分かりますけれども。きちんと、論文としての体裁を整え、どの論文のどの実験と、どの実験の結果を基に、どういう風に考察して、けっか、どうである。という条件をそろえてくれないと、査読することが不可能という意味:科学的というならば、そういうことかと。それ以外はディベートかと思います。)
既存の科学に、実験と理論で、新しい1ページを追加していくのが科学かと思います。であるならば、証明可能かどうか?という事は科学に値せず、証明することが科学かと思います。反証不可能な事については、現代の科学では証明・不可能と判断を保留した方がよいと考えています。
たぶん
真理は0で
自分が1で
世界が2なんだ
あと、自分と世界で3
世界を2で見ようとすると
片方に近づけばもう一方が見えなくなり、
両方に近づこうとすれば引き裂かれる。
遠くに離れて両方みれば同じに見える。
世界を外から3で見れば
3から世界と自分を引いて真理が残るけど、自分も消えちゃうわな。
多くの人はたぶん2の世界観
神と言葉と我
3で見るとちょっと違って見えるけど自分が消えないようにな。
おれとしては3の世界観で八百万の神は連続性という仮説を今度は見つめてみよう。
あとフラクタル。相似性をもった構造が包含され続けるってくらいしか知らないし、wikipediaもまだ見てない。
たぶん2と3の間になにか見えるんじゃねという未検証の仮設。
アマルティア・センもちょっと気になる。
経済だったら現物(キャッシュ含む)と情報(仮想貨幣含む)と目に見えないもの(感動とか安心とか)
見つめすぎはヤバイけどな。
なんでヤバイ話を書いたかって。
おれの周囲におれの考えが染み出したみたいでリアルで問題が起きそうになった。
だからこっちにまとめて吐き出した。
キーになるのは系の外へのつながりだ。main()みたいにな。
So-net blog:正己の異論・反論:アッシュの実験:同調しちゃう
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。
最悪のものだという証拠は群集なのである。
多数者の利己主義 vs 民主主義 - OhmyNews:オーマイニュース
平壌と38度線の中間にあった沙里院(さりいん)のガードポイントをトラックで突破するときでした。
それまで何度も止められましたが、そのたびに時計や万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。
それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。
若い娘はまずい。子持ちはダメ、あまり年上もよくないということで、
結局は元芸者さんなどの水商売をしていた女性や、夫や子供を失った未亡人に、みんなの視線が自然と集中するのです。
そのうちリーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。
みんなから射すくめられるように見られるのですから、その女性は出て行かざるをえません。
そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。
(中略)
さらにひどいことに、女性が明け方、ボロ雑巾のように帰ってくると、
「ロシア兵から悪い病気をうつされているかもしれないから、あの女の人に近寄っちゃだめよ」と、
本来であれば手をとってお礼を言ってもいいのに、そういうことを言って蔑んだ目で見る。
戻ってきた女性の周囲には誰も近寄らないのです。
第2次大戦後を扱った日本の小説、米の推せん図書採択に韓人が反発 | Japanese JoongAngIlbo | 中央日報
「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯く
404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり
同じ仕事を日本人なら月20万円、中国人なら月1万円が相場とする。
搾取者は日本人をクビにして中国人を採用し、その際に他の会社と競争力を持たせるために、月2万円を中国人に払うとする。
この時点で、搾取者は月18万円の得。中国人は2万円の得、日本人は20万円の損。
泣く者は一人、笑う者は二人。合計金額は変わらないのに、この方が笑う者が増えている。
Amazon.co.jp: 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)): 山本 七平: 本
秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。
群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。
例えば、ナチス政権下のドイツやスターリン時代のソ連やポルポト政権下のカンボジアで
空気読んで行動するってどんなことか考えてみよう。
「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞の責任はどうなんだ。
すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」
この言葉は私にとってかなり衝撃的だった。というのも、
マルティン・ニーメラー - Wikipedia 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia
原題直訳の「いじめっ子、いじめられっ子、そして傍観者」の方がインパクトも強く、また内容をよく表している。
何と言っても本書の特徴は、いじめの当事者として「傍観者」という存在に着目したことにある。
そう。いじめが成立するには、この第三の存在が欠かせないのだ。いじめに対する介入として行われる行動は、
たいていいじめる者(the bully)への制裁と、いじめられる者(the bullied)への保護と補償しかなされないが、
いじめに対して最も効果があるのは、この第三の存在である傍観者(the bystander)を、
「目撃者」(the witness)へと転じさせるというのが本書が提示する数多く処方の中で最も特徴的なものであろう。
Amazon.co.jp: いじめの根を絶ち子どもを守るガイド―親と教師は暴力のサイクルをいかに断ち切るか: バーバラ コロローソ, Barbara Coloroso, 冨永 星: 本
ミルグラム実験とは、1962年、米イエール大学の心理学者、スタンリー・ミルグラムによって行われた人間の服従性を研究するための実験である。
実験は第二次世界大戦におけるホロコースト研究の一環として、1961年に逮捕されたナチス高官のアドルフ・アイヒマンの裁判を受け、
「アドルフ・アイヒマンとその多くの部下達は、単に上官の命令によって虐殺をおこなったのか。
彼等を共犯者と呼ぶことが出来るのか」という疑問に応えるべくして行われた
はてなブックマーク - asahi.com:「通報者の責任追及を」申入書 横浜市大謝礼金問題 - 社会
CiNii - 徳島県における人口密度及び学校の規模といじめ・不登校の発生率との関連
いじめと同調圧力 - サムガイズの日記〜You learn something new everyday !〜
大学側の調査に対し、
関与した学生らは「今までやってきたことがなぜ悪いのか」などと話したため
まじめに話し合おうとしているのか、中2病の大学生が二日酔を慰めようとしているのかによって対応は違うから。なんにせよ、元増田がゲーデルを知らないことはよく分かった。以下読み物。
数学の歴史は長いが、ユークリッドやピタゴラス以降、恐ろしく長い空白があった。その後、ニュートン、ライプニッツあたりから突如急角度の上昇が始まる。この後、オイラー、ガウスといった大天才がヨーロッパに続けざまに現れて17世紀から19世紀くらいまでは数学の黄金期と言って良い。こんな急激な進歩があったのは、数学、物理学、工学がかみ合って足並みをそろえて進歩を始めたことに原因がある。当初、数学は本当に純粋学問だったが、微分積分が物体の運動を予言できることからにわかに風向きが変わり始めた。
「反証可能性」「未知の事象の予測」「知られている事象との一致」といった厳しい原則に基づく科学的アプローチは天動説に反する観測的事実が蓄積し始めたことに端を発するといってよい。太陽を中心とする円形軌道に地球を諸惑星を置いたコペルニクスのモデルは、当時の精密化した天動説と大差ない誤差を持っていたが、太陽を焦点とする楕円軌道を提唱したケプラーは、きわめて精密に観測結果に一致した。
その後、ニュートンが現れ、ケプラーの法則を万有引力の法則と微積分で説明することに成功した。
このように近代数学と近代科学は足並みをそろえて歩き始めたのだが、この二つには大きな差がある。自然科学(いわゆる科学)は自然の事物を理解するための仮説の集合であるのに対して、数学とは最初に提示された公理とその操作方法に基づく演繹された知識の体系であるということ。つまり、数学は自然に根ざしていない。これは強調してもしすぎることはない点で、しばしば数学者はこの数学の自立性を以って自然科学を見下すことがある。
数学は公理とその操作からなる演繹的な体系と書いたが、もちろんはじめはそうではなかった。最初はものの数を数えるところから始まり、距離を測り、面積を測り、重さを量り、時間を計るためのツールだった。つまり自然に根ざしていた。が、19世紀後半に精密化が進んだ後、いったん数学は崩壊の危機に面した。それを救うために公理系を整理し、再出発して網羅的に数学の完全性、無矛盾性を証明しようとする動きがあらわれた。だが、最後にはゲーデルが現れ、完全且つ無矛盾な公理系はないと証明して、公理主義者たちをがっかりさせた。
数学は出発点こそ自然科学に密着していたが、今では(失敗したものの)公理に基づく独立した体系と考えて良い。そうしたところで、数学の出す答えが変わるわけではない。が、じっくりと考えたときに、自然現象がこうもうまく数学に従うという点については少し気味の悪さを感じざるを得ない。たとえば、速度を積分すると距離を算出できるというのは、科学的な仮説である。この仮説は徹底的に検証されているので安心して利用できる。だが、速度ときょりという自然現象がなぜ数学的概念である微分積分にこうも厳密に従うのか。突き詰めて考えると、それは時空間の線形性、時普遍性に支えられているが、それ自身がなぜそうなのか、誰にも分からない。
微分積分というのは公理から出発して導き出された数学の体系のひとつである。それ自身は自然科学的アプローチで反証する必要ない。なぜなら、数学の証明は自然科学の実験による「証明」とはまったく異質の厳密な証明だからだ。一方、自然科学の実験による「証明」は確からしさを積み上げることでしかない。